いかに判断するか。 これほど簡単そうで難しいものはないような気がする。
カルテが積まれた診察室に入る。一番上に乗っているカルテを手に取り、まずは生年月日を確認する。73歳か。なるほど。一息入れてからカルテの一番最後のページを開く。今日の日付が入ったスタンプと、看護婦が取った簡単な主訴が書いてある。発熱・息苦しい、などと書いてあるわけだ。体温は38.2度。呼吸数は20と。73歳で発熱して息苦しかったら肺炎だろう。単なる風邪かもしれないが、変に帰すとこじらせて肺炎となって帰ってくる可能性がある。入院かなあ。入院の可能性が高いなあ。とりあえず、本人や家族は何を求めてきたのかなあ。入院希望だったら入院だな。帰宅希望だったら肺炎の可能性を十分説明して・・・。
と、患者を呼び入れる数秒の間にこんなことを考える。患者を呼び入れ、挨拶をしてしばらく訴えをじっくりと聞く。情報にならない訴えの場合が多いが、話を聞かないと信頼は得られない。フリートークでないと、本当に重要な情報、こっちが知りたい情報が出てこない場合がある。仮に肺炎を疑っていれば、聞くことはほとんど限られており、あとは胸部の聴診と必要あればレントゲンで片がつく。が、ゆっくり話を聞く。
なんだかここまで書いてあまりのバリエーションの多さにうんざりしたのでいきなり終了。
てめえが物好きに移り住んだ島はそれこそ小さな島だが、その小さな島の周りにも更に小さな島が点々と散らばっていたりして今てめえはそんな小さな小さな島の一つに居る。
島へ行く為のフェリーは一日二便で、この小さなフェリーに自動車を載せる為にはあらかじめ予約が必要だったりする。島に向かうフェリーからは透き通るような青い海の上を気持ちよさそうに飛ぶトビウオが見えた。
島に一つしかない診療所にはたった一人の医師が常駐している。放射線技師も検査技師もいないので、レントゲン撮影が必要な患者には自分でレントゲン撮影を行い、そのあと暗室にこもって医師自らが現像までしなければならない。蒸し暑い暗室から出て、現像したばかりのレントゲンを見ると条件が甘くてレントゲンが真っ白だったりして、そんな間にも待合室には患者さんが溜まっていく。
そんな小さな診療所には薬だけもらいに来る老人から子供の発熱から交通事故から止まらない鼻血からかすみ目から犬に咬まれた人からがんの末期から天井から悪口の聞こえる人から妊婦の腹痛からありとあらゆる患者が集まる。ここでは「専門外」という言葉はなく、限られた資源の中でなんとか診ていかなければならない。注射薬も使い切ってしまうと次の船が来るまで待たなければならない。
誤診があると島では生きていけないかもしれない。現に、何年か前に島で殺された医師も居た。まったく医師という仕事は割に合わないことばかりだが、そんな愚痴は別の機会にたっぷりすることにしよう。
そんなある日の夕方、腹痛を訴える旅行者が診療所を訪れた。腹痛ははじめみぞおち部分が痛く、次第に右下腹部に限局してきたと。腹部を診察すると確かに右下腹部に圧痛があり、反跳痛も認められた。腹部エコーにてやや腫大した虫垂を認める。腹痛は次第に強くなっているという。発熱も出てきた。設備はないのでこれ以上の検査はできない。虫垂炎は否定できない、それしか言えない。
この日のフェリーはもう行ってしまった。明日朝まで待たないといけない。一刻を争う状況であれば自衛隊のヘリを呼ぶが、そこまでの病状ではない。しかも夜間のヘリ搬送はきわめて危険で、過去に一度医師を積んだままヘリが墜落し海の藻屑と消えたこともある。
入院設備のない診療所の小さなベッドに患者を寝かせ、抗生物質を点滴しながら朝まで患者に付き添った。幸い症状は安定し、無事翌日のフェリーで患者を送り出すことができた。搬送先の病院からは、虫垂炎の手術が無事成功したとの知らせがあった。
みたいな集まりがあったので、興味本位で出かけていったら下っ端と言う事でいろいろと下働きをさせられた。いやそんな事はどうでも良い。
雑用からの帰り際の夜遅くに、今年から社会人になった一年下の後輩たちと「観覧車に乗ろうぜ!」と意味も分からず盛り上がり、なぜかみんなで観覧車に乗ることになってしまった。言い出しっぺは間違いなく自分だが、そんな事もどうでも良い。
勢いだけで乗り込んだ連中を乗せて小部屋はのんびりと動き出した。
「なんだか、初めてのデートみたいですね」と、後輩が苦笑いしながら呟いた。暗闇の中にただ広がる海とその海岸線に沿って線状に伸びる光。ビーチでは巨大な扇風機がゆっくりと回っていた。我が物顔で街を歩く異国人がだんだん遠く小さくなっていく。他に夜遅くから観覧車に乗っているような物好きはいなかった。
登りつめるその前に小さく開く窓を開けると海からの突風が舞い込み小部屋はぐらりと小さく揺れた。海の反対側をふと見ると、遠く続く暗闇の中に我が国に居座り続ける他国軍の基地がどこまでも広がっていた。
(*)観覧車の写真はこちら
大学の頃は本当に楽しかった。それは現役大学生の頃から自覚はしていた。もうこんなに楽しい時間を過ごすことはないだろうなと。もうこんなに頭のいい連中と過ごすことはないだろうな、と。その予感は今の所的中している。夢のような日々だった。
今はあまりにも疲れきってしまった。ある程度予想はしていたが、こんなにストレスフルだとは。愚痴を言っても始まらないが、本当に疲れ果ててしまった。満足に睡眠もできず、身を削る日々が続く。今一度望みが叶うならば、昔の友人達と時間を忘れて飲み明かしてみたい。分かりきっていた事だが、本当にあの頃は幸せだった。人生で最高の時間だった。
みんな苦しんでるなー。がんばれーと言いたい自分がやばい。今になって要領の悪さが裏目に出ていると思うよN君。
May I tell a story purposing to render clear the ratio circular perimeter breadth, revealing one of the problems most famous in modern days, and the greatest man of science anciently known.
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