解放区

2004年10月16日(土) てめえの日常は気合ingでGo!

朝起床。眠い目をこすりつつ愛車のバイクに乗って出勤。
ひんぷんガジュマルに挨拶し外の空気を吸う。

ものの数分で到着。これから中での生活開始。外の空気が恋しい。

さっそく着替えて採血に向かう。今日も血管の逃げるおばあや血管の見えない良く肥えた方々に「あがー(痛い)!」と怒られ泣かされる。稀に採血の無い日があり、そんな時はてめえのさぼり場所にこっそり逃げて数分の仮眠を取る。決めた時間にはきっかり目が覚める。まことに適応と言うものは恐ろしい。

病棟へ。予定の無い一日が始まる。いつか報われる日を信じているが、そんな日は一体本当に来るのだろうか。

たまにさーたー(砂糖)あんだーぎー(てんぷら)を齧る。地元の方々は、わざわざ「さとうてんぷら食べよ−ねー」などと親切に言ってはくれるが、最初何の事だか分からんかったぜ旦那。

なんとか丘(本名・摩文仁の丘)には今年の8月15日に詣でた。「内地の終戦日」であるその日には、人はほとんどいなかった。

美ら海水族館の年間パスポートを手に入れたのはたいぶと前の事だが、最近癒されに行っていないことに気が付いた。久しぶりに行ってみようか、と思うのだが、訪ねることの出来る日はいつも休日で人でごった返しており、うんざりする自分を想像して億劫になる自分がいる。

救急室に体調を崩した修学旅行生がよくやって来る。診ながら懐かしいイントネーションを聞き、こっちにどっぷりと使っている自分に気付く。なんてこった。。。



2004年09月14日(火) 中絶

頭の出来が普通のやつが、超エリート学校を卒業する事ほど悲惨なものはないかもしれない。その学歴が一生付きまとい、何をしても期待され注目される。そのプレッシャーに耐えられるやつだけが本物のエリートなのだろう。

今日は中絶に立ち会った。まだ不完全な人間の形をした物体が股間から娩出された。彼にも彼なりの人格があるに違いないのに、その存在は彼の預り知らないところで無とされる。「なんということでしょう」と、加藤みどりのナレーションが鳴り響いた訳ではないが、理不尽さを感じざるを得ない。宅間守氏が感じた以上の理不尽さだとてめえは思った。

大学時代が懐かしくてしょうがない。頭のいいやつらに普通に囲まれていると言う幸せを、今噛み締めている。

奴らは元気にやっているかなあ。みんな大きくなれよー。



2004年09月02日(木) 雑感

どーでもいいが、アメリカナイズされたてめえの病院では、手術の時には「メス」ではなく「ナイフ」であり、産婦人科も「ギネ」ではなく「オービー」である。というわけで、昨日から始まった産婦人科の話。

をしようかと思ったが、やっぱやめる。

「忙しいが充実した日々を送っている」などとぬかす研修医は嘘をついている。少なくとも自分に対して。それとも、よっぽど恵まれた環境にいるのか大バカなのかマゾかどれかだ。きっとマゾなんだろう。しかもきっと、大事な事に目を瞑り続けているとしか思えない。

そうか、やつらは単に鈍感なだけなのかも知れん。てめえにははっきり言って耐えられない日々が続く。この職業を続けていけるのか全く自信がなくなってきた。

恵まれた環境。素晴らしい指導医。研修医に対して寛容な地域性。求められる事は与えられ、研修医としての環境としてはありえないほど幸せなはず。だが、それ以上に現場は過酷である。


今日は子宮内死亡した胎児を取り上げた。初めて経験するお産が死産。胎児は死んでいると分かっているのに陣痛に苦しむ母。生まれた直後、母は「赤ちゃんに会わせて!」と叫んだ。胎便に塗れた赤ちゃんを抱かせた。母親は、何時までもいとおしそうに泣かない赤ちゃんの頭を撫でていた。



2004年08月29日(日) オージーたちの勝利

オーストラリアの乾いた大地を疾走するトラックの車内。
「ところで相棒、バックミラーにかかってるこの銀色のメダルは何なんだ?」
「いや、ちょっとしたお守りみたいなもんさ」
「おい、ちょっと待てよ。これ、本物の銀じゃねえか!」
「そんな目で見るなよ。昔、あるスポーツの大会でもらったのさ。そう、俺はオリンピックに出たんだ」
「オリンピック? 冗談よしてくれ。あれは選びぬかれたスポーツエリートだけが出られる大会だろうが。お前みたいに一日中トラック転がしてる奴がどうやってオリンピックに出るんだ?」
「それもそうだよな、ハハハ。」
「わははは」
しかし、遠い地平線を見る運転手の青い瞳には、ある一日の光景が焼きついていた。ありあまる資金で高級ホテルに泊り、薄ら笑いを浮かべながら会場に現れる東洋人のチーム。彼らのほとんどが一年で百万ドルを稼ぐプロの選手だという。
若いオージー達は燃えた。そして、全力で立ち向かい、ぎりぎりの勝利を掴みとったのだ。ほとんどの人間が野球というものを知らないこの国では、誰も彼らを賞賛しなかった。しかし、胸の奥で今も燃え続ける小さな誇りとともに、今日も彼はハンドルを握り続ける。



2004年08月01日(日) 7月

人生の中で、最も過酷な一ヶ月だった。
こんなにも過酷な仕事があるとは予想もしていなかった。
本当に辛い。この仕事やっていけるのだろうか。
ま、なんとかなるか。

今日は北谷にラーメンを食べに行こうと思ってバイクを走らせたら、途中ですげえスコールに遭って全身びしょびしょになってしまった。なんてこった。しかも雨宿りするところが道中にないし。どこまで行っても森の中。やっと見つけたバス停に体を休めると、全身ががたがた震えた。結局ラーメンは食えず。雨が止んだ後に、生暖かい風に吹かれて帰宅。明日から新しいローテが始まるので勉強しておこうと思ったのだが、もはや無理だった。

帰りに恩納から眺めた海は相変わらずどうしようもないくらい美しかった。
なんだか一か月分のストレスが吹っ飛んだ気がした。

どろどろに疲れた身体を、スコールが洗い流してくれたのだろうか。
この一ヶ月で火照りきった身体を冷やそうとニライカナイの神様は考えたのに違いない。この一ヶ月は本当に辛かった。いつか自分の糧になるだろうと信じて過ごしたが、本当にその日は来るのだろうか。

最近涙もろい。なんでだろう。


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