鼻くそ駄文日記
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2001年08月31日(金) いらいらいらいら

いらいらいらいら
いらいらいらいら
ぼくは
何に
いらいらいらいら

ぼくを見れば
君も
いらいらいらいら
ぼくだって
いらいらいらいら

腹筋しないか
運動不足じゃないかな
いらいらいらいら

君は
いらいらいらいら
ぼくも
いらいらいらいら

君の
いらいらいらいら

ぼくにうつったのかな
それとも
ぼくの
いらいらいらいら

どうして
こんなに
いらいらいらいら
まえみたいに
みんな
ぼくのことを
きらっていないはずなのに
いらいらいらいら

ぼくは
いらいらいらいら


2001年08月30日(木) もう、秋なのさ(自作詩)

雨のにおいが
夕立とは違うね
もう
秋なのさ

夏さえ来なきゃ
君は海に行かなかった

去年の秋を
憶えているかい
君と一緒だった
はじめての秋
君は
巨人が優勝したのを
ものすごく
喜んでた
君と一緒だった
最後の秋

夏さえ来なきゃ
君はあいつと出会わなかった

朝の空気が
冷たいよ
まるで
君みたいに
もう
秋なのさ


2001年08月29日(水) 悪魔の瞳(自作詩)

正気を失った世界が
人々を混乱させる
石から血を搾るような難題の連続
どんな子供でも知っている
大人になればつらいことばかりだと

内秘めた悪魔の瞳が
おまえを操り続ける
もう
たくさんだ
おれはそんなにバカじゃない

地平線も見えない地球上で
身が粉になり
手足が棒になる
清き心が
悪い子でいようと
おまえを悟らせる

最愛なるもの
それは知識
おまえには見当もつかないだろう
知識は力だと覚えておけ!

おまえの
働きを知らない手は
近い将来
おれの墓に石を投げつける
おれにはわかる

大地が激しく揺れ
河川は泥を吐きだす
よく聞け
悪魔の瞳を自分と思うな!


2001年08月28日(火) わたしは投げ込まれた存在である――ハイデガー/投企

 まだ、なにひとつ自覚できていなかった子供の頃。わたしたちは、この世界を自分の思い通りになるものだと思ってはいなかっただろうか?
 ぼくはサッカー選手になりたかったし、なれると信じていた。当時はまだJリーグはなかったけれど、海外でプロとして活躍して、日本代表になってワールドカップで日本を優勝させることが「わたしには」できると思っていた。
 やがて、ぼくは自分が人よりも運動神経が鈍いことを知る。自分の母国、日本がとてもじゃないがワールドカップで優勝できるような国でもないことを知る。
 そのような挫折に直面し、人は世界が自分のために存在していないことを知るのである。
 さて、挫折したわたしはどうすればいいのだろう?
 世界が自分のために存在していないのならば、自分という存在は世界にとっても必要ないのではないだろうか?
 自分の思い通りにならず、つらい思いばかりしなければならないのなら、生きる価値などあるのだろうか?
 そんなアイデンティティークライシスに陥ったときに、わたしたちに突きつけられるのがハイデガーの言う「投企」の現実である。
 世界はわたしたちがいるから存在しているのではない。
 わたしたちは、自分で望んだわけでなく、選んだわけでなく、ましてや造ったわけでもない世界に、否応なく投げ込まれた存在に過ぎない。
 このことをわたしたちは自覚しなければならないのだ。
 更にわたしたちは、自分が世界に投げ込まれた存在であることを気づくと、同時に「死」によってこの世界から強制的にいつかは退場させられる存在であることにも気づく。
 そして、この死を自覚することによって、まったく新たな「生」の意味をつかむことができるのだ。
 世界に投げ込まれたことを自覚した人間が、そのことに絶望しないで、逆に自分を世界に投げ返す。そこからが本当の意味での自分の人生のはじまりなのである。


2001年08月27日(月) 誕生とモーニング娘。

 モーニング娘。のメンバーがまた増えたそうだ。
 ぼくはこのニュースを今朝のスポーツ新聞の芸能欄で知った。特に驚きもしなかった。またか、と思った。
 しかし、メンバーの加入、もしくは脱退を「またか」と冷静に受け止められる「モーニング娘。」。よくよく考えるとかなりイノベータなグループではある。
 なぜ、あんなにメンバーがころころ替わるのだろう?
 そして、メンバーチェンジのたびにCCガールズのように人気が落ちるならまだしも、人気が上昇しているというのだから驚きだ。
 いったい何が、人々をモーニング娘。の虜にさせているんだろうか?
 理由はたくさんあるのだろう。そして、そのほとんどがぼくにはわからないものだろう(わかってれば、タレント事務所をやって儲けるよ)。
 ただ、メンバーチェンジを繰り返すからこそ、モーニング娘。とぼくは勝手に思っている。
 モーニング娘。の彼女たちはご存じの通り、テレビ番組のオーディションから選ばれた女の子である。つまり、いまモーニング娘。をやっている子たちが、はじめてテレビに出たときはモーニング娘。ではなかったのだ。
 そして、人間にしろ住宅にしろなんでもそうだが、もっとも刺激的で重大なのはそのものが「誕生」したときである。
 人間は生まれたときがもっともめでたく、もっとも家族に感激を与える機会である。
 それまでなんでもなかった普通の女の子が、変身してモーニング娘。になる。その瞬間がいちばん刺激的で感動させるのである。
 だから、モーニング娘。はこれからも、解散するまで半永久的にメンバーチェンジを繰り返さなければならないだろう。
 オートポイエーシスシステムのように、自己産出を繰り返すなければ、飽きられてしまうのが21世紀なのだ。


2001年08月26日(日) 自分のサイトが雑誌掲載された!

 残念ながらShaggy Dogではないんだけど、別にやっているGO AHEAD!!というサイトが雑誌に掲載されることになった。明日、福岡県を中心に発売される「シティ情報ふくおか」の197ページに、ぼくが管理をしているサイトの記事が載る。
 掲載依頼をメールでもらったとき、「うれしいな」と素直に思った。
 だけど、あくまで「うれしいな」だった。小学校のテストで100点を取ったぐらいの気分に過ぎず、うれしいことはうれしいのだが、感動もしなかったし、わりかしクールに受け止めていた。
 そして昨日、一足早くぼくのサイトが掲載されている「シティ情報ふくおか」を郵送でいただいた。
 そこでぼくは思わぬ行動に出る。まさかこんな気持ちが潜在下の自分にあるとは思いもしなかった。
 ぼくは郵便ポストから封筒を取り出すと、すぐにバリバリと破って開け、自分のサイトの載っている記事を探した。まるで遠方の大学を受験して、郵送の合格発表の表を見ながら自分の数字を探すように焦った手つきで。
 そして見つけた。合格発表と違い、自分のサイトは必ず載っている(大学の合格発表は血眼になって探しても自分の番号を見つけられなかった)と頭ではわかっているのだが、感動した。
 まさかこんなにうれしいものとは思わなかった。
 見た瞬間、あまりのうれしさに家の廊下をスキップで何度も往復した。家族が誰も家にいないのが幸いだった。
 それから、また自分のサイトの記事が載っている197ページをニタニタと気持ち悪く眺め、更にスキップ! ほとんど挙動不審である。
 この記事を見て、どれだけの人がアクセスしてくれるかなんてどうでもいい。
 ただ、ちょっと載っただけでわくわくできたのがすごくしあわせでした。
 


2001年08月25日(土) 越えられない壁をどう処理するか――ヤスパース限界状況を私的に解釈

 昨日話したガダマーさんの後輩であるヤスパースさんのお話である。
 ぼくらは日常生活で壁(葛藤、悩みなどのことです)ができたときは、その壁を越えろとよく言われる。それはおおむね正しい。壁から逃げれば、越えられなかった自分を尊敬できなくなり、現実を直視できない言い訳だらけの人間になってしまう。
 しかし、世の中には絶対に越えられない壁もある。
 ヤスパースはその絶対に越えられない壁を体験したひとりだ。ヤスパースは、ドイツ人である。そして、ナチス政権誕生後、ナチスへの協力を拒否したため大学の教授職と全著作の発売禁止処分を受けた。ナチスドイツという壁、これは個人ではどうしても越えられない壁である。
 ヤスパースはこのようなどうしても越えられない壁を「限界状況」と名付けた。
 そして、人が限界状況におかれたときは、その挫折を直視することを、自分をもうひとつ上のステージへ上げる(つまり擬似的に壁を越えたことになる)きっかけになると考えた。
 つまり、壁を越えられなければ、なぜ自分が越えられなかったかを直視することが大切なのである。
 なにか挫折をしたとき、ぼくらは「運がなかった」などと適当なことを言ってごまかしがちだ。しかし、それではなんにもならない。「本当だったら、こうなっていた」と結果も出てないのに思いこみ、本当の自分はこういう人間ではないと疑うはめになる。疑っているうちに、本当の自分ではないと思いこんでいる現実の自分を軽蔑するようになり、自分を偽って生きるようになってしまう。
 それではいけない。
 自分の挫折、いたらなさ、失敗、それらを直視し、「たら、れば」な自分を一切忘れるべきである。いま、生きている自分が本当の自分なのだから。
 限界を知ること、それが壁の向こう側を知るひとつの方法でもある。


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