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| 2005年05月13日(金) |
これからは葬儀屋だな。 |
昼頃葬儀屋が来て出棺、俺らも移動。会社の人が一杯、よりどうも僕は親戚とかこの土地とかにはあんまりみたいだ。どいつもこいつも期待してるよとか言うなぼけ知ったことか。
昨日から狂ったように食ってる。
通夜は今日、家から会館への出棺が明日、そして会館で通夜があってさらにその次が葬儀と焼き場とかだそうな。地方によって違うだろうが凄いなあ。昨日出てくる時に今日木曜の休みの話はしといたが、金曜の分の電話もしておく。こういう時休みの自由はかなりきく。
おじさんは週末に会ったときより顔色が良くなった印象だ。式に臨む慌しさはあるとは言え、週末と比べて家族の緊張感は和らいでいる。みんな楽になれたんだな、と思う。
通夜のろうそく線香の番に。でも明け方頃寝る。
求人広告が有効になるのは来週からだそうだ。早くしてもらいたいもんだ。配置換え関係、パーティションだのデスクだの届いたのでそういう作業とか、配線やりなおしとか、いろいろ。
家からメール着てて、おじさんは夕方に亡くなったそうだ。すぐに会社出て3時間少しで到着、忙しいので近所にある別の親戚の家へ行く事に。ていうか通夜っつうのは翌日以降なんだな。まあ言っても俺が飛び出してきたのは間違いっぽい。
さらに久々に会う親戚とかと少し話す。葬式に関係ないこととか。
今日から前の仕事場に。2ヶ月以上あいててもいつもどおり、な感じだな。
昨日の今日で自称いつもどおりな今日は幸いと言えるのかも知れない。生きる事死ぬ事、自分の事もわからないのに他人の事なんて、という、言葉は違ってもみんな理解しようとしている事なんだろう。多分。死ぬ事を口にするのが禁句でも死に方を尊重する考え方自体は人生観とか宗教観とかにはよらないものらしい。
今日まで話をしていてそう思った。親戚や家族じゃない人は「いつもどおり」なんだけどね。
暇つぶし程度の作業の打ち合わせなど。早く次の人が見つかれば僕はそれでいいんだけど。準備の確認いろいろ。冷蔵庫にあったビール少し飲んで帰る。
千代田区某店。なんてことない巨人2で気合変則押し等、でも特訓単発なので192ヤメ10Kの40K。ST機の薄いところ狙っていける(ツッコミ無用)のは、よっぽどのことでないとストック飛ばすような店には近寄らない、からなのかなあ。
店移動。なんということもなくいろいろ天井狙い→移動ノマれ天井狙い、を繰り返し結局ノマれる。帰り際シマトップだけどここ何回か糞ハマリしてる南国に座ったらすぐにBの9連+Rで3000枚ほど、30K投資だからプラス。立ち回れてないです。うん。
朝から仕事の話いろいろ。いつもどおりのウダウダがイマイチな印象を与えてしまったらしい。本当はハッタリとか嫌いなんですよ。マジで。
家を出るとき、おじさんに一応の報告と挨拶だけをしたらわかってくれたみたいだった。多分最期だと思った。
今日も天気がいい。風が気持ち良い。散歩がてら以前住んでいた所までタバコを買いに出かける。緑が多い、と言えば聞こえはいいが、よく見れば足元の緑は雑草も多く、新興住宅地として開発され始めた頃と比べればこういったところに街が古くなりつつある事がわかる。既に、というかいた頃からイマイチ地元という感覚がなかったもんで特に思う事はないんだが。キレイに植えられてる植木だろうと雑草だろうと、緑が多いのはいい。
本当に良い天気だ。気持ち良い。
昼過ぎに両親と車で近くにできた施設に出かける。施設つうのは便利な言葉だがどの分野においてもちゃんとした区別がわからんからしゃあない。この春から祖母がいる所で、まあそういう施設。
僕や父が生まれた家と祖父が亡くなってからは新たに建てた家で一緒に住んでいた祖母だが、自分で身の周りのことをしなくてもよくなったせいか、たまに話を聞けば父や母からは文句しか出てこないような感じだったらしい。身体はともかく元々頭のいい人だとずっと思っていたので、モウロクしたわけでもなかろうに、僕と一緒で面倒臭いだけなんだろうなあくらいにしか思ってなかったんだが。
眺めのいい部屋は熾烈な抽選で得たものらしい。そこでの生活を聞いてみれば、足腰こそ弱くなったとはいえ(でも自分で歩けるが)、介護の人を特に煩わせる事も無く、一緒に入ってる人たちともよく話をしたり、一見全く問題ないような、というか施設の性格上帰されてもおかしくない程度の生活ぶりらしい。少しぼんやりしてる印象はあるし、トイレに立つまでに途中で、なんてこともあるがまあその辺は僕も(略)。
震災で自分の建てた家を失ってから決定的に気力を失った祖父とは違う様子なのが安心だ。帰り際通路でふと見かけた別のばあちゃんを、以前一緒に住み始めたときの介護バスでいつも乗り合わせてた人で、生まれはどこでどんな人で、、、なんてかなり詳細に覚えていたのが印象的だった。まだまだ大丈夫なんだろう、きっと。
夕方頃家出る。
親戚のおじさんのガンは思っていたよりも進行していた、というかもう今週来週の話だったらしい。日曜と言う事もあり、今日は僕を合わせて20人以上の人が来ていたらしい。自宅に戻ってきている事が決していい状態ではないということくらいはわかっていたつもりだったが、2ヶ月前はハッキリ会話もできていたが、今は高熱で意識もハッキリしない状態で、多くの人が来ても反応があるかないかといった状態だった。
食事の場では僕に酒まで勧める程、いつもどおりな、気丈に振舞う家族と少し話をして寝る。
シートがどうだろうが夜行の座席は眠れない。おまけに禁煙席、連休の最中ほどではないが車内の少しの雑音にイライラしたり、小田原までは全車指定だってんのにうろうろしてるデブとか最近急に増えた住所不定な連中の団体とか(略)浜松と豊橋で長時間の停車があるからそこで一服してコーヒーでも飲んだら大丈夫だ、と納得しようとする。
静岡の少し前、興津で停車。深夜の時間帯なので車内の放送は少ないが、前方で人身事故だとかなんとか。こんな深夜に。そういや3月に実家戻ったときは、乗ってた列車が人撥ねたなとか思い出したが、まあそこで1時間以上の停車を余儀なくされ浜松も豊橋も当たり前のように1分停車だけで(略)。いろいろなことがあるもんだ。
始発の新幹線で来るより少し遅く実家到着。
特に何をすることもなく、予定もなく。最近父と母の2人だけで住むようになった、まだ馴染みのない家でぼうっとしている。天気もいい、緑もキレイだ。死ぬなら今がいい。夜行で移動する日は何もできないと思わなければいけない。
夜頃仕事の電話があって明日の移動になりそうだ。困るなあ。ゆっくりしてたかったんだけどなあ。明日の晩飯はお好み焼きだって言ってるのになあ。