日記でもなく、手紙でもなく
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2002年10月14日(月) |
夏日が戻ってきたような日 |
土曜日も日曜日も、昼間は晴れてかなり温度が上がったものの、夜になると急に温度が下がるような日だった。 さすがに10月中旬ともなると、温度の高低差が大きくなるものだ、と変に感心していたのだが、今日は昼間も暑かったし、夜になっても温度が下がらなかった。
昨日の夜、高校時代の知人Kさんが大阪から上京するというので、その同期が5人で集まる機会があった。 忙しいという割によく顔を出しているOが、不眠症らしい。なかなかほかの人には理解してもらえないということを言うわりには、まだ医者に行っていないと言うので、これはすぐ診てもらうべきだという話になる。
そういえば、横になるといろいろ考えて、なかなか眠れないと言っている人がもう一人いたことを思い出してしまい、今日思いついて電話を入れてみた。 二日酔いで頭が痛い、寝かせていて欲しそうな雰囲気。 こちらのほうは、まだ大丈夫らしい。
静嘉堂文庫美術館へ行くのに、東急・二子玉川線で、二子玉川まで初めて乗る。用賀の駅までは、というよりもこの二子玉川線に初めて乗って、用賀から渋谷へ出たのが、今年8月。 それほど自分には(今まで)あまり縁のない路線の一つだった。
用賀から渋谷へ出たときは、ずっと地下を電車が走っており、景色も見えないつまらない路線だという印象が強かった。 どこまでも地下を行くわけはないだろうと思っていたら、用賀を出たところで外の風景が見える。用賀の次の駅がこの二子玉川になる。
長い名前なので、フタタマという人も多いが、駅名のアナウンスを聞いていたら<ふたこたまがわ>と<こ>が濁らないというのを初めて知る。 ターミナル駅らしく、私鉄にしては、駅前はそれなりの賑わいもある街だ。
駅のホームから、下方に見える多摩川で、川の中にまで入って、釣り糸を垂れている人の姿も多く目にできる。 釣り人の姿を見たのも、本当に久しぶりだ。どうも、そういう場所に来ることが少ないのに違いない。
太陽はかなり西に傾いて、釣り人を見るのも眩しい、よく晴れた秋の日。
今年は、二人の日本人がノーベル賞を獲得、史上初めてのダブル受賞ということで、日本の中をちょっと湧かせていたりする。 これはこれで、教育の見直しにつながればこれにこしたことはない。
ところで、ノーベル賞の経済学のほうでは、プリンストン大学のカーネマン教授がその受賞者の一人。 トゥヴァースキー&カーネマンという二人のコンビによる実験経済心理学の論文というのは山ほどあって、どれもなかなか実験計画の着眼点が優れているのと、人間の経済行動というのが、合理性だけで動いているわけではないこと、しかも経済的選択行動の中に、非論理的な法則を見出した人として、この二人の名前は忘れることはできない人も多いだろう。
トゥヴァースキー氏のほうは、残念ながら既に1996年に他界しているという。カーネマン氏にしてみれば、お互い刺激し合うことで論文を生み出していったに違いなく、その意味ではもう少し早くノーベル賞を貰えていたら、という思いもあったのではないかと、そんな風にも考えてしまう。
どん底まで、どんどん落ち込んでいきそうな世界経済が見えているにもかかわらず、どういうわけか、経済合理性を錦の御旗にしてまだまだ経済政策が語られ、採用されていく。米国だけではなく、日本においても全く同じことである。しかし、それをやっていても、どうも経済はこれ以上良くなる気配もない。 非合理性の要素が見落とされている、のかもしれない。
とすれば、カーネマン氏のノーベル賞受賞が、少なくとももう5年ほど早ければ、本当は(特に日本にとって)良かったのかも−−という思いも、もう一方では残されてしまうのだ。
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