日記でもなく、手紙でもなく
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2002年09月07日(土) |
日経プラス1温泉大賞:黒川温泉 |
日経土曜日の朝刊に、おまけでついてくる<プラス1>、これに温泉大賞というのが出ていて、結構面白く読む。 読者調査による人気投票(行って良かった、行ってみたいなど)、その人気投票に基づいて選ばれた300の温泉地へのアンケート(回収163)をもとに、審査員5名で決定されたもの。 最後の審査員による、というところが、若干透明性に欠けるものの、黒川温泉(熊本県南小国町)の評価というのが、読者調査得点ランキングで第三位、温泉地アンケートで注目する温泉地として第一位に選ばれているところが、大賞の一番基礎票になっている。
街をあげての<温泉地づくり>の取り組みが、今回の結果につながっているという。 黒川温泉の特色として、第一位にあげられているのが、それぞれの宿に趣向をこらした露天風呂がつくられており、それが外来者にも開放されていること、観光案内所で入湯手形なるものを購入すると、3ヵ所の宿の露天風呂に入ることができ、二十数軒ある宿の露天風呂すべてに入ると、記念品までもらえる、というようなしくみになっている。
一番注目されるところは、温泉地に行く人にとってのコア・ベネフィットは<温泉>という、一番単純明快なところを強化している、というところに尽きる。しかも、「それぞれの宿が趣向を凝らした<露天風呂>」に特化して対応しているところも見逃せない。 つまり、金のかかる展望大浴場を作っているわけではないのだ。露天風呂なのである。 しかし、露天風呂の開放感は、こたえられない。ここが、温泉の温泉たる一番楽しいところに違いない。
黒川温泉はそこを外していない。 しかも、他の宿とも連動するしくみを作っている。ここがうまいところだ。 今や、温泉に行って、美味しいものをたらふく食べたいという客というのはさほどいないのではないかと思う。また、豪華な部屋に泊まりたいと思うような人も、恐らく限られるだろう。 温泉に行くというのは、温泉を楽しむために行くという基本を、黒川温泉は的を絞り上手く実現している。
街全体に力がなくなると、一軒の宿がいかに素晴らしい宿であったとしても、結局凋落してしまう、ということも、(この黒川温泉は)よくわかっているのではないかと思う。 手ごろな価格でまた行きたくなるような温泉、その温泉の醍醐味を味わえる温泉こそ、今の時代多くの人が一番行きたいと思う温泉なのだろう。そんなふうに思えた温泉大賞の記事。
2002年09月03日(火) |
平年より真夏日が15日も多かった東京 |
今朝の朝刊には、今年6月〜8月の真夏日が、大阪で70日(平年は55日)、名古屋は65日(平年48日)、東京で53日(平年38日)、福岡だと51日(平年46日)というデータがでていました。 関東以西はどこも暑かったものの、関西・中部圏というのは、今年異常に暑かったということがよくわかります。同時に、今年ばかりは、東京のほうが福岡よりも暑かった!というのも、なかなか不思議な気がします。
夏に東京から福岡へ行く時、空港の建物の外に出ると、その空気の熱さから、九州へ来た!という感覚にたいてい襲われます。 ただ、今年7月に福岡へ行った時、さほどそのような感覚がなかったことを、今になって気が付きました。今年ばかりは、福岡に住んでいるような人が東京に来ると、暑いという感覚に陥ったのではないかとも思います。
暑いとはいえ、7月の夜中3時頃まで暑い、というような感覚は少なくなりました。夜11時を過ぎると、やはり少し温度が下がります。秋までもうほんの少し、というところでしょうか。
2002年09月02日(月) |
聖地のある信者のしあわせ |
9月1日、ルイ・ヴィトン表参道ビルがオープンしたという記事を読む。 地上8階、地下3階。もちろんホールなどもあり、全てが売り場ではないにしても、ヴィトンとしては、世界一の売場面積をもつ巨艦だ。
8月30日から人が並び始め、オープン前日31日の夕方には、数十人の列ができたともいう。 オープン初日の来店客数2800人、売上1億2500万円であったことが報じられていた。そのまま割り算した一人あたり平均購入金額は、一人4万4千円強。 これが多いか少ないかは別としても、たかがバッグ屋に、並んでまで買いたいものがあるのだろうか、という気もしたが、そこは抜かりなく開店記念限定のハンドバッグが用意されていたとのこと。4万円台と6万円台の2種、(合計?)1000個が即日完売。 用意周到である。
これくらいの金額の商品が、毎日これだけの量捌ければ、まさに左団扇で過ごせる、に違いない。
ところで、自分のことを考えると、近年並んでまで買いたいと思うようなものは、何一つなかったりする。それだけ物欲がなくなり、軽やかに過ごせている(?)といえば、そのように言えなくもない。しかし、もう一方では、なんとなく寂しいような気がしている部分もなくはない。 かつては、コンサート・チケットを入手するため列に並び、喜んだりがっかりしたりしていたことなども思い出す。
ヴィトンの大ファンにとって、限定品の価値はそれだけ大きいに違いない。敬虔な信者にとって、この上なくありがたい護符を、ひれ伏してもらっているような図に近い。 信者でないものにとっては、たかだか何の役にもたたない紙切れ一枚にしかすぎない、というように見えなくもないが、果たして皮肉っぽい目線だけで、そう言い放ってよいものだろうか?
護符を手にした信者のしあわせ感は、ただの紙切れ一枚と見る人には決してわからない。 ヴィトンのバッグ、お金で得られるインスタントなしあわせかもしれない、と思うと、欲しいものがないという自分の、どこか寂しい気持ちが見えてくる。
表参道の店は、信者にとっての聖地であり、大本山でもある。欲望の再生産装置ともいえるし、同時にしあわせを持続させる重要なしかけでもある。 しかし、とまた思う。発売期間限定護符というのは、どこまで機能するのだろうか、とも。
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