ぴょんきち活きる、生きる道
DiaryINDEXpastwill


2001年08月04日(土)

2日程ご無沙汰しちゃってました。めんごですm(_ _)m

つい昨日から本格的に自動車学校に通い始めた!
万年金欠のぴょんきちとしては、雷鳴がとどろくほどの出費だす。
配達中はこれからの生活のお金の勘定ばかりしてるのよ〜トホホ。

でも、近い将来ドライブを趣味にしてやるとかすかな野望をもっている
ので、教習車のハンドルを握る手にも力が入るっつーわけであります。
車にのってぶら〜り、気ままな旅に出たいな〜と。

旅といえば、、、

去年の夏は、女3人フェリーで北海道へ渡った。
貴重な夏休み、忘れられない大切な思い出となった。

事前に調べて、泊まったところはすべて民宿。
函館から国道5号線をまっすぐだいぶ行き、くっちゃんを
過ぎると、JR比羅夫駅がある。ごく普通に電車に乗れるのだが、
その駅が日本で唯一、駅であるとともに民宿なのである。

学生割引を使って、1泊2食付きでなんと3800円!(たしか)
夕食は駅のプラットホームで、他の宿泊客と一緒にジンギスカンや
魚介類のバーベキュー、食べきれないくらいの量であった。

夕食をとってるとき、札幌に向かう電車が通り、乗客に手を振ると、
快く笑顔で振り返してくれて、ものすごく嬉しかったなぁ。

なぁんか、、、思い出にひたってるなぁ、私。
旅の思い出はまた今度詳しく書こうかな・・・
脈絡がバラバラで失礼。。

妙にね、人恋しくなる今日この頃なのであった。
しみじみ番茶をすすったりするのねん。グス。


2001年08月01日(水)

明日私は朝刊がお休みだす。
予定してた外泊もおじゃんになって、もうテストのことも考えなくてもよくて、
部屋で一人、有意義にすごすぞ〜!と勢いづいてみたけども・・・・

いざとなると暇なのね(笑)

でも、テストも終わったし、今日は宴じゃ〜!と気をとりなおして、

お寿司を食べ、とろろうどんを食べ、スナック菓子をほおばり、
パピコのチョココーヒー味とホワイトサワー味を食べ比べて、
アルコールはダメだから(未成年なの。うふ。。うそ(^ ^;)
ジュースで祝杯をあげ、とにかくバクバク食べまくってました。

次の日朝刊休みで、せっかくなんだら
まとまった睡眠をとればいいのに、、、

もったいなくて寝られないよ〜!

なんなら今からまきじのうちに行って、
スイカをたいらげてしまおうかなという勢いです。
私が行くからには冷蔵庫いらずです。

お礼に団地やります(笑)










2001年07月31日(火)

どっか〜ん!
今日、やっと、長かったテスト期間に終わりをつげた!わぁ〜い!
がんじがらめにされてた心が、大きく解き放たれたって感じっす!
明日から、なっつやすみー。ま、大して変わらない日々だけど・・・

テストが終わった後、
久々に同じく留年した大学の友達と、昼食をとりながら大いに語り合った。

その彼女は、居酒屋のバイトで生活費を自分で稼いでいる。
新聞奨学生と同じく昼夜逆転労働で、毎朝睡魔と闘っている同志だ。

今日はお互い仕事が休みだったので、大学の事やら、生活のことやら、
女同士のおしゃべりは果てしなく続いたわけである。

それから家に帰って、ふと思った。
「新聞奨学生」って立場は、すごく恵まれてるのかもしれないって。

仕事は楽なもんじゃないし、その上学校と両立しなければならないし、
貸付け金のことを考えたら契約途中で辞めることもできないし、
厳しい面は承知の通りたくさんある。

でもその反面、奨学生制度に守られてる部分もたくさんあるんだよね。
万一、けがや病気で仕事を休むことがあっても、生活は保障されている
わけだから。

バイトの時給で生活費を稼いでいる人達は、
けがや病気で動けなかったら、ダイレクトに生活に響いてしまう。
バイトのシフトをたくさん入れても、ある金額を越えたら、
保険でかなり引かれてしまったりする。
その中で、必死に頑張っている人達がいる。
私の大学の友人も、その一人だ。

「新聞奨学生は普通の大学生と違うからね」ってよく使ってしまうけど、

奨学生とは形が違っても、
世の中には、いろんな自立の仕方があるんじゃないかって思えた・・
新聞奨学生の立場っていうのは、ほんの一例だって。

「しんどい、しんどい」って言ってばっかいないで、
おごらずこれからも頑張っていこうって肝に銘じたのでありました。

反省。




2001年07月30日(月)

忙しい*2って言ったって、奨学生だって恋をする。

私も、一応例外ではない。いくつか恋をして、やぶれたり、ふられたり、時には自らサヨナラを選択したりしてきた。(ぶっちゃけ)

高校2年生の時から4年間、付き合ってる人がいた。
高校の学園祭でナンバーワンカップルに選ばれたりと、とにかく仲良しだった。

高校卒業後2人とも上京して、彼は大学の部活の寮に入り、私は奨学生に
なった。休日は、2人の距離の中間点の駅で、よく待ち合わせをして会ったりと、とにかく会える日は、出かけっぱなしだった。

生活リズムのズレは、気合で払拭していた。

でも、彼には寮の門限があり、私は次の日の朝刊が気がかりだった。
いつも、時間とのにらめっこだった。

そうこうして上京してから2年間、あれこれ2人頑張って付き合ってきたが、
結局、別れた。

今思うと、
もっと要領よく付き合えていたらなぁ〜ワッハッハ!と思えるけど、
その当時の私は、生活リズムのズレと、気持ちのズレを穴埋めすることに疲れきっていた感があった。

 朝刊後、
「とにかく少しでも休息したい」と私。
「せっかく遠くから来ているのに!」と彼。
「なんでうまくいかないんだろう・・・」悔しくって涙が出た。

うまくたちまわれない自分への苛立ち、体中を駆け巡る自己嫌悪感、普通の人とは違う奨学生の生活リズムへの戸惑い。迷い。とにかくいろんな感情達が、グルグル自分の中でかけっこしていた。

まだまだアマちゃんの戯言かもしれないが、
別れた時、純粋に「好き」って気持ちよりも、それを越えた強い何かに抑えつけられてる気がした。時間、距離、生活スタイル・・・そして、現実。

あイタタタタ・・・でも、切り替えて行かんと!
(思えるまで時間を要したけど)

と、苦い経験やそれよりもっと苦い思いをしながらも(笑)、
やっぱり恋っていいもんだと思う。

いっぱいいっぱい考えちゃったりするけど、
恋をするってことは、誰かをまっすぐ信じたいってことだと思う。
少なくとも、私は今までのことから、そう思った。


2001年07月27日(金) うちの犬の話。

私の集金時の楽しみの1つは、お客さんがかっているペット達と会うことだ。
たくさんの犬や猫たちが毎回私をあたたかく(!?)迎えてくれる。
毎月訪れる、やたらと自分らに話しかける人間の存在を、ちゃんと認識してくれているようだ。

もう少し何か新しい発見をしたら、人は犬とか猫とかと話せるようになるんではないだろうかと、私は個人的に思う。逆に犬や猫にとっては、人の言葉の意味なんてお見通しのような気がするのだ、かなり確信的に・・・

先月、うちの実家の愛犬が死んだ。享年13歳だった。名を、ロロという。
私にとっては、たった一人の弟のような存在だった。そんなの大袈裟だって思う人もいるかもしれないけど、紛れもなく、家族にとって、ロロは人間となんら変わりはなかった。ロロ自身も、自分のことを人間と思って生きていたかもしれない。

夫婦が、姉妹が、家の中で喧嘩を始めたとする。座布団に寝そべっていたあいつはムクッと起きだし、耳も目もたれて困ったような表情をし、ソロソロと移動して、どちらかの人の腕に前脚をおいて、「まぁまぁ」と言うように、目を見つめてくる。喧嘩の仲裁は、彼の十八番だった。
2月に13歳の誕生日をむかえて、もうロロも年だから介護のことも考えておこうと家族で話し合ってた矢先、夜、彼は一人で散歩に出かけそのまま、ちょっと家から離れた民家の横で、帰らぬ犬になっていた。急な心停止であったらしい。家族に何の手も煩わすことなく、逝ってしまった。ロロらしいといえば、ロロらしいと思った。

ロロの死には後日談がある。ロロが倒れていた横の民家の方が、親切にも亡骸を安置しておいて下さっていたので、数日後あらためて母がそのお宅にお礼に伺うと、
玄関には、生まれたばかりの子犬が母犬と共に眠っていたそうだ。その子犬は・・・
ロロの子犬の時とそっくりだった!!まさか父親?それはさだかではなかったが、
これも何かの縁だと思い、その日から、ちっちゃな新しい家族が増えた。
名前を、「ロッジ」という。

家族の中でやっぱりロロが一番強者だったことを、思い知らされたエピソードでありました。 帰省した際には、お墓参りに行く予定です。

「ロロ、生まれ変わったんでしょう?」って聞いてこなくちゃ。


ぴょんきち