ぴょんきち活きる、生きる道
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2001年07月26日(木)

日記を書くの、1日すっぽかしてしまいましたーーー!!
テヘ、ちょいと昨日は地元の親友から電話がかかってきて、
長電話してました、、(かかってきたことをいいことに)
その親友は、今年からピチピチの新米看護婦さんをやってます。
そう、白衣の天使ってやつ。真っ白いナースシューズってやつ。
でも、魅力的な外見とは裏腹に、人の命と対峙するっていうお仕事だから、
本当、たいへんそうだ・・・。
「元気だせ!」っていう気持ちをこめて、応援歌を電話先で歌おうとしたら
拒否された(笑)毎度の事なんだけどね。(それでも唄っちゃうのだけど)

本当は、今すぐ地元に飛んで行って、一緒に飲んで、いっぱいグチを聞いて
あげたいんだけど、(自分もいっぱいしゃべりたい)
奨学生をしてるとなかなか帰れないよねーー。
この間帰ったのは、去年の夏かな・・・早いなーー、1年。

でも、離れていても、それぞれ頑張ってる親友がいるからこそ、
私も頑張れてるような気がする。辞めないで奨学生続けてこれた
ような気がする。

これからも、大切な人を、いっぱい愛していこぉっと!
テヘ。そんな感じ。


2001年07月24日(火)

おっしゃー、ぼちぼち日記を書くぞー!
っておい!もう25日になっちゃったよーー。テヘ。チャットが楽しくて、つい。

今日(ホントは昨日)はテストが午前中で終了したので、帰りに美容室によってきた。パーマをかたり、カラーを入れたり、気合が入っていたので、お昼くらいに行ったのに、セットが終わったのは午後6時をまわっておりました・・・ふいー。

でも、どす黒くて、ボサボサ伸び放題で重かった髪から一新・・・
リフレッーーーーシュ!!
どおりゃーー!明日から頑張るぞ〜!・・あっ・・・集金だ・・・
ひゅルルルルル〜シュパン。ドテ。いやいや、ネバーギブアップ。
わっせわっせ、
パカパパッババ〜ン、モチベーションアップ完了!!

ところで・・・
ふと、自分の進んでる道に不安を覚えた時、配達中大声で歌う歌がある。

ミスチルの「終わりなき旅」の1フレーズ・・
「誰の真似もす〜んな、君は君でいい〜、生きるためのレ〜シピなんて
 な〜い、なーーーーーいさーーー!!!」

そう、自分は自分。人は人。マニュアル的な生き方なんて、ありえない。
 
日記なんだけど、この場をかりてramiaさんへ。

将来の夢を持ってるramiaさんが、とってもカッコイイと思ったぞ。
ぴょん的に、力の限り応援しております!!がんばれ〜!!

余談。私はこっちに奨学生として上京するとき、父親に猛反対され、
拳を交えるまでの大喧嘩をしちゃいました。

でも、最後には真剣な思いは必ず心に届くはず。




2001年07月23日(月) ふるさと。

この間、NHK朝のテレビ小説「ちゅらさん」の海の日特集を見ていたら、物語の中に、「自分にとっての地元の本当のよさは、そこを離れて生活してみてはじめてわかるものだ。」といったような台詞があった。
それを聞いていて、実際北国から上京してきた私は、「全くその通りだなや〜」としみじみと思った。そう、離れてみて実感する、ふるさとの良さなのだ。

私は、18歳で上京するまで、(注:神奈川だろうが埼玉だろうが、あっちにしてみたら、ほぼ首都圏全域「東京」に入ると思われるのであしからず)一度も関東に足を踏み入れたことがなかった。「都会に行ってみたい」という欲も特になかった。ただテレビで見る都会の人ゴミと電車の量にビビってただけかもしれないが・・・コホン。
でも、東京という大都会に強い憧れはあり、それは、吉幾三の「おら東京さいくだ」ばり感覚の、「東京に行ったらなんでもある!」という思い込みからであった。こっちに来てみたら、確かに物はいっぱいあふれていて、田舎に比べて交通の便もすごくよかった。テレビのチャンネルも三つも多かった。遊ぶ所も観る所もたくさんあって、上京1年目は、そりゃもう電車に乗っては、新宿、浅草、お台場やらに出かけたりしていた。でも・・・時が経つと、無いものもたくさん見えてきて、高い場所から眺めた景色は、どこまでも灰色っぽい空と建物に覆われていて、噂には聞いていたが、山は、遠く遠くにかすんで見えるくらいだった。

ふと、気づいた。「私、ないものねだりだったんだなー」って。

田舎には、緑が覆い茂った山々も、キレイな水も、美味しい空気も、渋滞知らずの道も、そしてのぉ〜んびりした雰囲気もホント当たり前に存在して、18年間、その価値についてはあんまり深く考えなかった。服屋が少ないだの、セブンイレブンがないだの、そんなことばかりに目がいって・・・
だから、こっちに来てはじめて、当たり前で冴えなかった田舎の風景が、キラキラ輝きはじめたのだった。「地元最高ー!」って具合に。ちょっとゲンキン?
でも、
都会の人にとって「ふるさと」ってものが、かけがえのないものである理由がようやくわかったような気がした。

「まぁんず、んだよね〜!」











2001年07月22日(日)

来週から、大学のテスト期間(他大学に比べて遅過ぎる)が始まるので、今日は1日勉強してた!と、日記に書く予定でした。ところがどっこい、すっとこどっこい、居眠りばかりしてました(苦笑)ピ〜ンチ!でも、夢の中の私は確かにバリバリ勉強をしたり、課題をこなしたりしてました(笑)

時たま仕事でも、
自分はもう朝刊に行く準備をしてるつもりでも、それは夢の中での話しで、しっかり二度寝してたりとか、カーテンを閉めたままとかで部屋で寝ていて起きると、朝刊で起きたのか夕刊で起きたのかわからず一人で大混乱してしまったりとか、朝刊寝坊した!と焦って店にすっ飛んでったら、一時間早かったりとか・・・

そんな衝撃の後に押し寄せてくる、切なさっていったらない。せつな〜い!

ま、勉強は崖っぷちだけど、その崖っぷち、受けてたとうじゃないの!と都合良く開き直りながら、これからテストにむけて少しあがこうかなと思う次第であります。がんばるぞ〜!

教訓:勉強は計画的にね。


2001年07月21日(土)

今日は風があって比較的過ごしやすく、夕刊配達ものぉんびりとしたもんだった。

何年も同じ区域を配っていると、あんなことがあったなー、こんなことがあったなーとふと思い出を回想しながらの配達になってしまったりする。
(あまり考え事をしてると事故るので気をつけましょう。)

たまに、黒飴のおばあちゃんについて思い出す。
そのおばあちゃんは、2紙もうちから購読して下さっていて、ご主人と二人で、お庭のとっても綺麗な、立派な一軒家に住んでいた。とっても品のいい方で、田舎育ちの私は、オババといえば田畑ともんぺ姿を連想するような感じだったので、なんだか新鮮な思いでそのおばあちゃんと接していた。
おばあちゃんの口癖は、「あなた健康に気をつけるのよ、人間はそれが一番ですからね」で、集金の時、ほとんど毎回身体に良いからと、黒飴を2、3個私にくれた。そしてそれが3年くらい続いた。
桜が満開をむかえる月にいつものように集金に行くと、玄関先にご主人と娘さんが出てこられたので「おばあちゃんは今日はお出かけですか?」と聞くと、おばあちゃんは、つい一週間前に急逝したと告げられた。眠ってる間に亡くなられたとのことだった。私は思わず、かぶっていたヘルメットを取り、仕事も忘れて泣いてしまった。私はちょうどその頃、食中毒で休んでいたのから復活したばかりだったので、
お通夜もお葬式もわからず、その事がなおさら無念だった。

それから1年以上が経った現在でも、ご主人が新聞を取って下さっている。
今では集金の時、これまたダンディなおじいちゃんに「私がもうちょと若かったら、
お姉ちゃんに結婚を申しこんどるぞ」とからかわれている。
御年八十数歳、いつまでもお元気でいてほしいと願うばかりである。
そう、黒飴をなめながらそう思うのである。


ぴょんきち