今日も“いや、どうしても焼肉が喰いたかったのだ”状態で、懲りずに独りで焼肉食べ放題に足を運んでしまったから言うわけではないのだが、俺の最近の食生活は確実に偏っている。いや、もはや“偏っている”という生易しいレベルではないかもしれない。 もう長年、朝ごはんは食べない──という生活を送っているので、だいたい一日二食。昼食はほぼ規則どおり12時すぎには食べることになるが、夕食となるとこれがかなり不規則。現在の出張生活でも、本社に勤務しているときと同様のペースで残業をしているので、夕食にありつけるのは22時から23時、といった具合か。当然、そこまでの空腹には耐えられないので夕方に菓子パンなどをひとつかじったりしている。 最近の昼食・夕食に食べたものをざっと列挙してみようか。 ラーメン+チャーハン、天津飯+唐揚げ、チャーハン大盛り+唐揚げ、とんかつ定食、長崎ちゃんぽん+おにぎり2個、讃岐うどん+天ぷら2個+おにぎり、鍋焼きうどん定食、カップラーメン、唐揚げ弁当大盛り、チャーシューメン+ライス、飲み屋でなんだかわからない夕食、焼肉食べ放題……。 ……。自殺行為と言ってもいいだろう。なんだこの炭水化物の多い食事は。 自宅に居るときは豆類だのヒジキだの納豆だのサラダだのが必ず食卓に上るので、これはもう食べるしかない。一応、ツマもその辺のバランスといったものを考えてくれているのだ。 昨年の今頃、俺は滋賀県で今と同様な出張生活を約3ヶ月近くも送っていた。ほとんどが外食に頼っていたので食事のバランスなどあったものではなく、出張生活の途中から6月くらいまで奇妙な咳が何ヶ月も止まらないという奇病を患ったのはその辺に原因がないとはいえない。 あと1ヶ月の出張生活。すこしは食事にも気を遣わなければならないなあ。
一応ね、ココを書くときはちょっとくらいは構想を練ったりするんですよ。 アレ書いてコレ書いて、ああ、あのエピソードは面白かったから“小さな笑い”として書いておきたい――などなど。ところが、まあ、キーボードに向かってばちばち打ち始めるとそんな構想はどこへやら、いつの間にか本来書こうとしていたテーマとかなり違ったところに話が落ち着いてしまう、なんてこともあるわけで。 それはそれでいいやあ、なんていつも投げやりに思っているんですけれど、小ネタと呼ばれる“小さな笑い”までも書きそびれるとなると、それがいつまでも心の奥底のほうにこびり付いていたりもするわけです。ああ、勿体無い事をしたなあって。 で、まあ、本日は『いつの間にか8,000アクセス突破記念』として、そんな小ネタを連発してしまおうかと。どうでもいい話ばかりなので覚悟してください。
※ ※ ※
■JR松山駅で立ち食いうどんを食べていたら、店内の有線からものすごい曲が流れていた。
井上望 『ルフラン』
ああ、知らないですか。そうですか。そうでしょうね。 (もっとびっくりしたのは、その後この『ルフラン』を、松山市内の有線で何度か耳にしている、ということである。松山市と井上望、その背後にどんな因果関係があるというのか)
■昨年、カーナビの便利さに感動した話をココでも書いたけれど、ある日、会社の後輩とカーナビの話題になって。 高機能のカーナビとなると、目的地を声で言うだけでカーナビがそいつを認識して、目的地までのルートを自動で設定してくれるというのだ。「東京ドーム!」と言うだけで、カーナビの画面にはそのルートが表示される。 便利だ。 その後輩は音声認識カーナビを使ったことがあるんだけど、と言った。だけど? 「便利かもしれないんですけど、時々ちゃんと認識しないことがあるんですよ」 「ううん、機械のことだから、それは仕方がないかあ」 「認識しないんじゃなくて、“間違って認識される”のが鬱陶しいんです」 「ああ、カーナビが“聴き間違える”わけだ」 「そうなんです。『ファミレス』って言ったら『三重県』って認識されたことがありました」 「面白い。“三重県”ってあまりに漠然としてるなあ」 「『お台場海浜公園』って言ったら、『太宰府天満宮』と認識されたことも……」 「面白すぎる。何も考えずにカーナビに従っていたら、九州まで走らされちゃうんだ」 「……気付きますけどね、フツー」
■飛行機にいろいろ鮮やかに絵が描かれているのがあるでしょう。ミッキーマウスだの、ポケモンだの。 ある日、羽田空港に降り立った俺はタラップの窓から『松井秀樹』の顔写真がでかでかと施された飛行機が隣のゲートに停まっているのに気付いた。日本航空の飛行機。 あんなふうに自分の顔が描かれているのって、どんな気分なんだろうなどと他人事に考えていると、ちょうどそこが乗客の荷物が入ったコンテナが入る扉になっているようで、ちょうど松井の顔の“口の辺り”がうぃぃぃぃぃんと縦に開いた。そして続々と松井の口からコンテナが吐き出されてくる。 なんか、タイムボカンの『今週のびっくりどっきりメカ、発進〜!』みたいで、ちょっと笑った。
■移動中の山手線にて。目の前に座る女子大生風ふたりの会話が聞くともなく聞こえてくる。 「そう。それでね、しょうがなくユミコと待ち合わせすることになったのよ〜」 「信じらんない〜」 「でしょう、で、なんか、コンビニで待ってるって言うのね、ユミコがぁ」 「ひどいねえ。あり得ない〜。どこのコンビニ?」 「ええと、なんて言ったかな。ほら、変な名前のコンビニ」 「変な名前? ――ファミリーマート?」 ひどいのはおまえのほうだぞ。ユミコはそんな奴じゃない。
■池袋の地下街を歩いていた。ちょうど帰宅時間と重なって、通路はけっこうな人出である。 すこし距離を置いた前方から、女子高生3人が横に並んでこちらへ歩いてくるのが見えた。制服の黒ミニスカートと足にスカートをはいている様にも見えるルーズソックスはまあ譲るとしても、今時どこに生息しているのだ、と聞きたくなるようなガングロの3人。周辺などお構いなしにぺちゃくちゃと話しながらの3人横並び歩行は明らかに通行の迷惑だったけれど、通行人とぶつかりそうになるとひらり肩をかわして歩いているのはちょっと絶妙だった。 通路がすこし狭くなった。相変わらず傍若無人の3人横並び。迷惑だなあ……と思っていると、ふと彼女達が動いた。3人のお喋りテンションはなんら変わることなく、横並びがすっとタテ一列のフォーメーションとなり、狭い通路の雑踏をすいすいとすり抜けてゆくのである。鮮やかだった。 スカート姿にガングロ3人の絶妙な動き。俺はこうツッコまざるを得なかった。 「おまえら、黒い三連星か!」
(ナイスツッコみなんですけど、ああ、知らないですか。そうですか。そうでしょうね)
2004年01月26日(月) |
ヒロシマの名のもとに |
土曜日だというのに、こんな時間まで仕事をやっている俺は一体……、と底冷えのする暖房の効かない事務所の中、自分の気持ちが確実に内角低め方面にねじけていくのを感じていた。 実は池袋本部でちょっとしたコトがあって、どうやら俺の“1月末まで”という約束の松山出張は期限の英気を余儀なくされそうな気配である。恐らくあと1ヶ月近くはこの地でうどんを食べ続けなければならない生活が続くのである。 会社で起きた“ちょっとしたコト”のおかげで俺の仕事はまた一気に忙しくなってきた。金曜日の朝に某役員さまから直接俺のケータイに連絡があって、かくかくしかじかの書類を作るべし、添削は私がするので──とのこと。ったく、そんなことをやっている時間はないというのに。 本来の仕事をやっつけつつ、悪戦苦闘の末その書類の最終版を某役員にファクスで送ったのが土曜、夜の9時半。電話の向こうでうにゃうにゃと俺が作った書類を読みながら、某役員は言った。 『──うん、まあ、これでいいんじゃないの。コレで、本部にメールで送っておいて』 よっしゃ、フィニッシュ。これでOKが出なかったら日曜日に持ち越しの仕事になるところだった。俺はすぐさまケータイを取り出し、友人にメールを送った。 『行くぞ、広島!』
奥様の実家が広島である、という友人からメールが届いたのが土曜日の朝だった。用事で広島に来ているとのコト。実に退屈な松山の生活にちょっと辟易していた俺は、無理やり休みを取って松山から高速船に乗って広島まで渡り、独りぶらりと広島を観光でもしようか、と考えていたときだったからタイミングはばっちりだ。 『仕事の都合がつけば、日曜日に広島で落ち合おう』 ということになり、俺は土曜日の仕事をムキになってやっつけていたわけだ。 で、行ってきました、広島。修学旅行以来という宮島の厳島神社と広島焼の旅。
松山に来て2ヶ月近くにもなろうというのに始めて来た、松山市内の北西にある観光港から広島へ、ジェットフェリーで1時間ちょっと。まあ、3,000円程度で広島まで渡れるのだろうと高をくくっていたら、5,000円も請求されてちょっとびっくり。 “四国”の松山と“本州”の広島は海をちょいと渡ってしまえば近くなのだ、とぼんやり想像していたが、実は“ちょいと”では渡れないくらいの距離なのである。まあ、当たり前といえば当たり前。 広島港で出迎えに来てくれていた友人夫婦と合流。奥様は所用があるとかで別行動となり、俺は友人とふたりっきり半日広島観光と相成った。 冷静にこのシチュエーションが可笑しい。高校時代の同級生という36歳の脱力サラリーマンがふたり、小雪の舞い散る宮島で何をするというのか。手にするデジカメで、ふたりはどんな写真を撮るというのか。広島港から宮島へ渡るフェリーの中でそんな話をしていると、かなり方向性の違うところでこの半日観光の期待は高まっていった。 実はテーマは決まっていた。友人からの情報と俺のたっての願いで、『宮島の屋台でアツアツ焼きガキをほお張り、ついでに広島焼もがっつり食べてしまうツアー』。大抵、俺の場合観光の8割以上の目的は“なんか旨いもん食いたい”なのである。
思ったほど観光客の少ない宮島・厳島神社は、かなり冷え込みのきついどんよりとした曇り空の下でひっそりと佇んでいた。もう20年近くも昔の話になる高校2年の修学旅行に訪れたここ厳島神社だったが、穏やかな瀬戸内の海に浮かぶそれは修学旅行のときに来たぞ、という記憶ではなく、単なる知識として記憶されている風景のような気がした。それくらい、修学旅行で訪れたときの記憶が欠落している。宮島で俺が友人と話せる修学旅行の記憶といったら、姫路で宿泊した迷路のような構造のホテルの話や、窓の外から隣の部屋へ移動しようとしたところを先生に見つかったバカの話くらいだった。 「ベタな写真を撮ろう」 と友人が言った。宮島のシンボルとも言うべき鳥居を背にパチリ。そして、同じように鳥居を背にして、ふたりの顔を寄せ合い、いわゆる“自分撮り”。ばかです。ええ、ばかですとも。そんなことをやってる自分たちを面白がっているだけなんです。 一方通行の厳島神社境内で、まずは目当ての焼きガキをいただく。一皿400円で、そのアツアツ具合およびまろやかなお味といったらもう泣かせる。やっぱり冬は牡蠣ですね。
引き続き、土産物屋が続く中でもみじ饅頭をひとつ買い食い。ほんのり出来立てだったので、旨い。チョコレートやカスタードのもみじ饅頭ってのはいまやスタンダードなのだろうけれど、びっくりしたのは『アップル』。もはやなんでもアリか。ここまでくると『キムチ』とか『ゴーヤ』あたりが出現するのも時間の問題だ。 悩んだ末に、昼食は『牡蠣うどん』を、友人は焼きガキをいただく。俺の牡蠣うどんは牡蠣のエキスが出汁に上品に出ていて、これまた旨い。本当は牡蠣フライとかしっかり喰いたかったのだが、この後の広島焼に備えて軽めに抑えておいた(――と話したら、「うどんをしっかり喰っておいて、それでも“抑えた”ことになんのか」とツッコまれる)。 “自分撮り”をしてしまうような莫迦な俺たちの、昼食時の会話をちょっとだけ再現。
店員「(俺の注文した牡蠣うどんを俺の前に出しながら)お待たせしました」 俺「ううん、いい匂いだ」 店員「そのままお召し上がりください(と言って立ち去る)」 俺「――今、“そのままお召し上がりください”って言ったよな。どういう意味だろう」 友人「?」 俺「七味とか、入れるなってコトかな」 友人「──箸を使わずに食えってことじゃないか」 俺「……」
こんな友人と、次は広島へ。広島駅ビルの『麗ちゃん』という店で広島焼をいただいたのだが、あまりにあせって食ってしまったので写真を撮るのを忘れてしまいました。
2月も松山での生活が続くと決まった今、なかなか時間を作れないとはいえ、こうしてあちこちで出掛けてみるのも悪くは、ない。
2004年01月24日(土) |
どうしても、どうしても |
いや、どうしても焼肉が喰いたかったのだ。
出張で訪れた初めての韓国ではあまり満足のいく食事は出来なかった、というのがコトの始まりだったかもしれない。 初日は味気ない機内食の昼食で始まり、夜は居酒屋のような店で飲んだんだか食べたんだか……というような中途半端な食事。夜食に韓国のファミリーマートで買ったカップめんとおにぎりを夜食にした。 翌日の昼にはカルビスープのようなものを食べて、初めて分かりやすい韓国料理を口にした気分だった。その日の夜がつまるところ“最後の夜”でもあったわけで、俺はがっつりと本場の焼肉をたらふく食う計画だったのにもかかわらず、同行者の先輩社員が「フグ行こうか、あっさりと、フグ。韓国(こっち)は安いからね」 いやいやいやいやいや、こっちはあっさりじゃなくて“がっつり”喰いたいんですよ。 最終日の昼には、大流行中の鶏インフルエンザの猛威をものともせずに『参鶏湯(サムゲタン)』をいただく。なんてタイムリーなチョイスでしょう。新鮮な若鶏の中に、高麗人参やモチ米、なつめ、にんにくなどを詰め、一羽丸ごとを長時間じっくり煮こんだ、あれ。ここでも“あっさり”だったのでちょっと残念だったけど、本場韓国の、それも観光客相手ではなくその辺の一般人を相手にしているような食堂だったので、これはこれでお手軽でかつ本格的に旨い。韓国の3日間でいちばんカンドーした食い物はこの『参鶏湯』かな。
というわけで、焼肉の本場にいつつもその気配すら感じることなくおめおめと帰国してしまった俺の口腔および胃袋連合がそのまま黙っているわけもなく、その日、仕事がてらで入ったローソンでガイドブックを立ち読み、松山市内の焼肉屋をチェックした。 時刻にして午前10時半。普通、こんな時間にまなじり吊り上げて焼肉のことなんて考える36歳はいない。 「ここだ。ここしかない――」 約30分ほどの熟考の末(考えすぎ)、松山市内にある一軒の焼肉屋に焦点を絞った。ココからさほど遠くなく、この時間から営業していて、とにかく『焼肉が食いたい。腹いっぱい食いたい』という俺の胃袋を納得させる店でなければならなかった。 『焼肉食べ放題・スタミナ亭』 普通、日曜の昼前から焼肉食べ放題にたった一人で足を運ぶ36歳はいない。 正直なところ、ランチタイムに入ろうかという食べ放題の店であれば家族連れやらカップルやらで店はたいそう賑わっていて、俺はその隅のほうのテーブルで独りちまちまと焦がした焼肉を口に運び、人目を忍びながらカルビやらタン塩やらを取りに行き、そしてまた誰も待っていない自分のテーブルに戻り、背中を丸めてこそこそと焼肉を……、という自分を想像するだけで枕を濡らしそうにもなるのだが、そんなことはもう気にしてはいられない。 とにかく、俺がたらふく焼肉を食わないとこの地球を救えないのだ。そんなわけの分からないことをぶつぶつと口走りながら、俺は『スタミナ亭』を訪れた。
店内に入ってみれば、昼時だというのにすっかり閑散としていて、賑やかな店内の片隅で肩を落として焼肉を口に運ぶ疲れたサラリーマン、というような状況はなんとか避けられるようだった。 テーブルに案内されて、90分一本勝負。もうここからは記憶にないくらいガシガシ焼肉をやっつけていきましたよ、ええ、食ってやりましたとも。カルビ、牛ロース、豚ロース、タン塩、レバー、塩チキン……。当然、白米は欠かせません。サラダバーも勿論あったけれど、ブロッコリーをちょっとつまんだ程度。そもそも“焼肉が食いたい”俺の前では野菜など雑草も同然。 俺の目の前のテーブルでは、ほぼ同年代と思しき主婦が二人、テーブルの上に取り皿をうず高く積み上げて、食べては喋り喋っては食べ、という具合に食べ放題と格闘していた。なにかこう、イロイロなことを考えさせる風景ではあった。 お会計で2000円ちょっと。決して極ウマの高級焼肉というわけではないが、俺の胃袋は満足したようだった(満足しすぎて、家に帰ったらちょっとハラの具合が)。
2004年01月17日(土) |
みなさんも確認してみたらどうです |
古い友人の一人が、やはり俺と同じようにWEB上で日記というか雑記というか、そんなものを日々更新しているわけなんですが、これがやっぱり彼の感性がいい具合に滲み出ているような気がして、とても面白いのですね。最近流行の「blog(ブログ)」というスタイルで作られているその彼のサイトを経由して、とあるヒトのサイトに辿り着きました。こういうのを見ると、世の中のいろいろなヒトが同じように日々雑多なことを(というと怒られるのだろうか。まあいいか)認(したた)めていていて、ああ俺だけじゃないのだなあと感じ入ってしまったりするわけです。 そこがまた、ひれ伏してしまいそうに面白い。俺なんかよりずっと若い女性が作っているそのサイトのネタがあんまりだったんで、ついつい盗用してしまうわけです。
ケータイのメール。みなさんも仕事にプライベートに活用しておられますね。最近のケータイメールはどんどん賢くなっていて、前回に変換した言葉を記憶してくれたりするじゃないですか。たとえば「や」と一文字入力すると「闇鍋」と変換してくれる、アレです。 俺はどうもあの機能がおせっかいに思えて、ぷちぷちと文字を入力するたびに過去の変換履歴が出てくるのをうるせいうるせいと全く無視し続けていたのですが、たまにその機能を使ってみると意外に便利だったりして。 これを、五十音一文字ずつ、どんな言葉が出てくるかを調べてみると、日々この俺がどんなメールを打っているのかがセキララに浮き彫りにされるというどうでもいいネタな訳です。
■あ…ありますよね(同意してください) ■い…今(を生きてるんだ) ■う…生まれた(友人に。第1子が。) ■え…ええ(同意しました) ■お…遅れた(どこに?)
■か…かなわん(すぐへこたれるンです) ■き…金(“かね”じゃないところが微妙) ■く…空港(出た、出張ワード) ■け…警察が(そろそろ俺らしくなってきた) ■こ…公開(このあと、“そ”につながります)
■さ…様の(無駄にへりくだります) ■し…七五三(出産が遅れたその第1子はおなかの中で七五三を迎えたらしい) ■す…すでに(そうか、遅かったか) ■せ…切羽詰った(ナニに追い詰められているんだ、俺) ■そ…捜査(日常に使う単語ではない)
■た…たっぷりめ(基本的に大盛りが好きなもんで) ■ち…ちょうど(昔は嬉しがって“丁度”なんて書いてたけど) ■つ…着いた(これも出張ワードか) ■て…手(そのまま) ■と…所沢(まあ、一応)
■な…成田(韓国はここから) ■に…逃げてきた(ナニに追われているんだ、俺) ■ぬ…(ぬ なし) ■ね…寝たきりなのに(どんなメールを打ったのか、ご想像ください) ■の…ノヅキンスキー(ナニ人だ)
■は…羽田(最近、行き倒してます) ■ひ…ヒロシ(誰なんだ) ■ふ…フリ(仕事かな) ■へ…部屋が(殺風景なんですわ) ■ほ…ほんでもって(36歳のサラリーマンが用いる接続語ではない)
■ま…松山(1ヶ月半が経ちました) ■み…認めないよ(スピードワゴン、と言って分かるヒトは俺の仲間) ■む…むかっ(怒ったらしい) ■め…メッセージ(ダイイング…?) ■も…もらえなかった(欲しがるんじゃない)
■や…辞めたので(ので、どうなのか) ■ゆ…誘拐(ああ、もう) ■よ…要求(ごめんなさい)
■ら…来日(ほらね) ■り…離婚(おお、リアルワード) ■る…(る なし) ■れ…霊界から(声が聞こえませんか) ■ろ…呂(いたでしょ、巨人に)
■わ…わかんない(分かることのほうが少ない) ■を…(を なし) ■ん…ン(ン?)
ほら、もう、自分でも確認してみたくなったでしょう。やってみなさいって。いいから、ほら。
2004年01月13日(火) |
極寒のコリアン・レポート 其の弐 |
慣れない海外出張に多少なりとも緊張感があるのか、目覚まし代わりのケータイ電話のアラームよりも早く目が覚めた。韓国出張、二日目。 本日は今回の出張のメインテーマである韓国のFMの店舗視察である。現地の開発課長の案内で、ソウル市内と郊外の店舗及び競合店をじっくり見て回るわけだが、その状況をいちいちココに書いていたらほとんど業務報告書になってしまうので(第一、読んでいる方は面白いわけがない)、当然のようにここでは割愛。 冒頭に海外出張の緊張感、などと書いてしまったが、実際のところそんなものは微塵もない。これがまたアメリカ辺りだとまた違う感覚があるのだろうが、自分がパスポートを使って入国してきた“外国”にいるなんて意識は昨日からどこかに置き忘れてしまった。俺が滞在しているのがソウルの市街地であること、周りを歩いているのが日本人と同じような顔をした連中ばかりだということ、なにより町並みに“外国”が感じられないこと。空港からソウル市内に入ってくる田園風景も、市街地も繁華街も、ほとんど日本のそれと変わりは無い。どちらかといえば、昨年2度訪れた博多にいるような感覚に近い。現に、ソウルの夜は歩道にいくつか屋台が出現して、OL風の若い女性たちまでもがここでおでん(のようなもの)を立ち食いしているのである。ま、もう少し観光でもすればまた違うのかもしれないけれどね。
朝から夕方の4時過ぎまでレンタカーで移動していたのだが、天気はいいもののびっくりするくらいに寒い。我々一行が到着する頃に降っていた雪が路面の日陰のところに凍り付いて残っていた。韓国という国は寒い国なのだ、ということを改めて実感。そういえば、昨日の会食の居酒屋も、今日の昼飯にコムタンスープを食べた食堂もすべて“床暖房完備”だった。寒がりの俺にはありがたい。そうだ、夜に訪れたサウナ「サハリン・スパ」の脱衣所もばっちり床暖房だったなあ。韓国の床暖房率はかなり高いと見たぞ。 なお、スーパー温泉好きを韓国でも発揮した俺が訪れた「サハリン・スパ」での模様は、いずれ『韓国「サハリン・スパ」にアジア経済の明日を見た(仮)』にて紹介予定。
明日の夕方の飛行機で帰国。ま、同行の人たちが俺よりずっと年上の人たちばかりで、正直ツマラない出張ではあった。とっとと帰って日常業務に復帰したい、という気分でもある。すぐに松山へ戻らなきゃいけないんだけどねえ。
2004年01月12日(月) |
極寒のコリアン・レポート |
予定通り韓国出張に来ている。 今これを打ち込んでいるのは、ソウル市内のホテル。べつにココのネタを打ち込むためにパソコンを持ってきたんじゃないからね(それも大きな理由のひとつでもあるのだが)。事前にこの『GREEN GRASS HOTEL』をインターネットで調べたら一級のホテルという紹介だったので期待していたのだが、まあ、こんなもんだろうという広さ。アメニティは日本のほうが充実しているが、日本のうなぎの寝床のようなビジネスホテルの客室とはまあ一線を画する程度ではあるので、満足だ。 5時起き、8時半に上司と成田空港で待ち合わせというスケジュールから一日は始まった。成田空港はチェックイン手続き渡航客であふれかえっていた。久々の海外旅行(出張だよ、出張)でちょいとビビっていたのだが、チェックイン、手荷物検査、出国検査となんとか乗り切った。上司や同行の他部門の人たちとは出発ゲートで初めて顔を合わせる、というラフなスケジュールで、俺はツマに頼まれたDUTY FREE SHOPでランコムだのシャネルだのアルマーニだのという化粧品の買い物を終えて出発のDゲートに到着、程なくして上司と同行者がやって来た。 何もこんな時期を選ばなくって……と同情したくなるような修学旅行の高校生の集団を横目に見ようと思ったのだが、横目どころか彼らは俺と同じ飛行機で韓国まで行くようだった。日本では当たり前のように見かける女子高生のミニスカートだが、上司に言わせると、 「今、韓国って――どれくらい? マイナス5℃とか10℃になるでしょう。あの子達、死ぬぞ」 ちょちょちょちょちょちょちょちょっと待った。 マイナス5℃とか10℃だあ? 聞いてねーぞ、そんなに寒いなんて。俺はあんまり寒いとヒトとしての機能が停止するんだぞ。 我々と自殺行為のミニスカート女子高生たちを載せたJAL951便は、定刻どおり出発し定刻どおり韓国は仁川国際空港(“仁川”って韓国語でなんて読むんだろう)に到着した。 なるほど、マイナス10℃というのは大げさにしても、昨日まで温暖な四国にいた俺にとってはまさに地獄のような寒さが待っていた。おまけに、雪。吹雪。もう、どうにでもしてくれ、という気分に陥り、初の海外出張もかなり低いテンションからスタートした。 リムジンバスでソウル市内にある我が社のエリアフランチャイズ会社「普光FM」本部へ到着、早速この出張中のアテンドをしてくれる李室長、通訳も兼ねる徐課長と名刺交換。うひゃあ、海外のヒトと名刺交換するなんて初めてだあ、“李”だなんてまたベタな名前だなあ──などと俺らしく小さなところで感動したりツッコんだりしそうな場面なのだが、とにかくついさっきまでの寒さが俺の体の芯まで冷やしていて、俺のテンションはまだまだ低いところに位置していた。 そのまま我々一行は副社長室に案内され、これまた“李”副社長と名刺交換&握手。韓国の人は名刺交換のときにはきっちり握手をするようだ。そういえばさっきの李室長も握手を求めてきたっけ。その際に気づいたのだが、韓国の名詞というものは、タテが約3ミリ、ヨコが約1ミリ日本の名詞よりも小ぶりな縮小サイズのようだった。 約2時間、韓国ではナンバーワン・チェーンの座を確立している「普光FM」のその現状及び問題点といったあたりで李副社長にこちらから質問をぶつける形での面談。このあたりになってくるとようやく俺自身も仕事モードにスイッチオン、だんだん海外出張らしくなってきて、そんな状況で仕事をしている自分がちょっと不思議だった。 面談も無事終了、18:30から会食が予定されていた。待ち合わせ場所には「普光FM」の商品本部長兼理事の朴さんもやってきた。理事という肩書きの割には40代後半に見えるやや男前系。我々は彼らが用意している韓国料理店に向かって歩き出した。ふと、“商品本部長兼理事”を我々と一緒に吹雪の中を歩かせている先方のアテンドの理解に苦しんだ。これが日本だったら、ましてや海外からの客人を迎えているということであれば車の手配だナンだと余計な気を回すところなのだろう。 案内された店は韓国風居酒屋、といった風情の掘りごたつの店だった。軽くビールで乾杯した後、日本語の話せる李室長や徐係長を中心に一気に場は和んでいった。 副社長との面談のときにも感じたのだが、やはり想像していた通り韓国のヒトは熱い。彼らは苦難の時期を経て、数年で韓国内ナンバーワン・チェーンに自分たちの会社を成長させたというその自信にも満ち溢れていて、上司に言わせればそれはまさに“日本国内のナンバーワン・チェーン”に本気で追いつき追い越せと励んでいた15、6年前の我が社の姿に似ているらしい。ガンガン成長し続ける会社で仕事をするのは、苦労が苦労とは思えないもんだよ、と同行の先輩社員が言った。 コース料理のようにいろいろな料理が次々と目の前に並べられるのでつい油断していたが、どこかのタイミングでさらっと登場したキムチが辛いの辛くないのどっちなんだ、というくらい辛かった。さすがは本場、オモニじの味だ。元来、辛いものがかなり苦手な俺に「あ、そんなに辛くないじゃん」と油断させておいて、数秒後からじわじわひりひりとかなり腰の据わった辛さが口の中に広がっていくという細菌兵器のような恐ろしさだ。これはやはり、キムチ好きな人にはたまらないのだろうなあ。ツマに買って帰らなきゃ。 会食も終え、日本側の我々はホテルに帰って本日の面談のまとめを行い、解散となった。 案内された店での食事はどちらかというと“呑み”に近かったので、小腹がすいてしまった俺は、報告書を1時間程度でまとめ終えて、ホテルの近くのFMへ買い物に行った。ホテルの近所にはアヤシげな食堂があるにはあって、ナニがなんだかわからないまま注文するという冒険食事を実施しても良かったのだが、さすがに時間も時間だったので、却下。FMではおにぎりと韓国カップ麺を購入した。1,500ウォン。日本円にするには“0”をひとつ取るくらいだ、と教わっていたので、150円くらいか。安い。 しかし、このおにぎりもまた曲者であった。24時近かった、というのは我々“プロ”に対しては言い訳にならないまでも仕方がないとして、おにぎりが2種類10個程度しかケースに並んでいなくてほとんど選択の余地なし。俺はパッケージからしてあまり辛そうでないものをチョイスした。巻かれている海苔は当然といえば当然なのか振り塩のしてある“韓国海苔”であった。 これがまた、辛い。海苔は旨いんだけど、とにかく辛い。だから、俺は辛いのが苦手なんだってば。 明日以降の食事が思いやられる韓国の初日である。
水曜日の晩、21時過ぎまで残業をしていたのだが、先輩社員(といっても年齢は一回り以上も離れている大先輩だ)から「メシでも喰いに行くか」と声をかけられ、まだやっつけねばならない仕事は残っていたのだがそのまま断らずに俺は彼について行った。 「旨いもん、喰いに行こう」と、事務所から10分程度歩いたところにある寿司屋へ。俺は瓶ビール、先輩社員はぬる燗でひとまず乾杯をし、仕事のアレコレなどを語りながら過ごしていた。 つまみの刺身も握りも文句なしに美味しくて、冷えたビールとともに体の中に沁み込んできた。しかし、一方でその具合がちょっとおかしいなと感じていた。 一時間半ほどその店で飲み食いし、「普段、頑張ってもらってるからなあ」とすっかりゴチになってしまう。へへえええっと頭を下げる俺を残して先輩はそのまま家まで歩いて帰っていったが、俺は事務所に残した仕事を終わらせるため、また夜風の中を肩をすくめながら歩きだした。 どうも、こう、あれですよ。体のなかが“渋い”。 事務所に戻り2時間ほど残業して部屋に戻ったのが、午前1時近かった。この頃にはもう確実にオノレの体調が尋常ではないことを実感していた。自分で額に手のひらを当ててみると、熱も確実にありそうだ。昨年末からだましだまし来て、正月も一日軽く寝込んでしまうような状態だったが、いよいよ体調を崩しているようだ。 果たして、木曜日は出勤を断念、「すんませんけど休ませてください……」とケータイで上司に電話し、体中の間接の痛みに堪えながら一日中ベッドでうなり続けていた。薬を買いに行く気力もなく、かろうじて買い置きしていたカップ麺がその日の貴重な食料だった。
熱も大して下がらず、関節の痛みがちょっと引いたくらいで、一日会社を休んでも体調は全く回復する兆しを見せなかったが、これ以上休むとかなり深刻に迷惑をかけることになりそうだったので、今日は重たい体を引きずって不承不承出社する。 『もしもし、松山の“のづ”ですがゲホゲホ』 「ああ、おつかれさまですぅ」──派遣社員の女性が電話に出た。 『ゲホどうもどうも。ちょっと頼みがあるんだけどゲホゲホゲホゲホゲホゲホゲホゲホゲホゲホ』 「大丈夫ですか。昨日、休んだんですよね?」 『うん。はっきり言って死にそうです』 「韓国、行くんですか?」 『今更、風邪ひいたので行けません、なんてゲホ言えないでしょうゲホゲホ』 「のづさん、アレなんじゃないですかあ? あの、今、流行ってる病気」 『狂牛病』 「──ばか」 サラリーマンの性なのか、体調は悪いくせに忙しくアレコレ仕事をやっているとテンションもあがってきて、なんだかんだで一日過ごせてしまうから、これはこれでどうもツラい。 明日一番の飛行機で所沢へ帰ろうと思っていたのだが、一日休んだ分の仕事をこなさなければならない様子だ。明日の全日空の最終便で帰る予定である。 そして、月曜日からは韓国出張。韓国の人々はかなり主張がハゲシいと聞くので、打ち合わせのなかであまり訳の分からないことを言い出したら「だまれ、元植民地」などと口を滑らせないように気をつけたい。
2004年01月06日(火) |
さあ、忙しくなってきた |
予想通り世の中は本日から本格的に動き出したようだった。事務所の近所の長崎ちゃんぽんを食わせる中華料理店はほぼ満席、なんとか片隅の席を確保できたが危うく昼食を求めて彷徨うところであった。池袋の本社近くで昼食難民になるのならいざ知らず、松山市内で昼食難民、というのはどうも釈然としないものがある。 世の中の動きと同様に、俺の仕事も朝から忙しかった。同僚(と呼ぶにはおこがましいほどの大先輩達ばかりなのだが)の皆さんは自分のタイミングで、それも社内的にはかなりギリギリになってからアレを頼むコレを頼むだのと俺に言ってくるので、こちらはそれに振り回されてばかりだ。一方では、松山事務所の仕事についてはとりあえず俺に聞け──ということになっているので池袋本社からの問い合わせ電話はひっきりなしにやってくる。 さすがに午後4時を過ぎるころに、俺はキレかかっていた。 そんなタイミングで嵐は再びやってくる。 『ちょっとこっちの仕事がおっつかないので、応援に来てくれませんか。●●部長の了解はもらってるんで』 ここ愛媛県と同様に、徳島県でも新規出店のための店舗開発活動は行われていて、その事務方応援に来て欲しいとの事。メインの松山での仕事もかなりスケジュール的にかなり逼迫しているのに、大丈夫なのか。結局、今週の木曜・金曜の二日間、そして来週末は徳島県へ滞在することとなった。ちなみに愛媛県と徳島県はどれくらい離れているかというと、高速道路をまるまる3時間すっ飛ばすくらい。……。 池袋本部の上司から電話がかかってきた。 『来週の月曜日から3日間、決まったから。韓国出張』 「──やっぱりボクが行くんですね……」 『そうだよ。君はとりあえず海外旅行するつもりの準備だけしてくればいいから。準備はこちらでやっておくからさあ』 「……」 来週の月曜日から3日間、韓国にあるわが社の関連会社の視察に行かねばならない。なにが海外旅行のつもりで、だ。韓国から戻ったらその報告書の作成は俺がやることになるに決まっている。当然、不在の間の松山での仕事がかなり滞っていることは想像に難くない。そしてすぐまた徳島県へ応援に行かなければならない。 さあ、忙しくなってきた。 一月いっぱい、という約束で松山に長期出張に来ているわけだが、俺は本当に池袋に戻ることが出来るのだろうか。
2004年01月05日(月) |
たいせつなひと(後編) |
ニットのショールを羽織り、紅色に花模様の入ったワンピース姿の彼女はそっと自分の名を名乗り、深々と頭を下げた。遅れて傍らの椅子に座ったギタリストを同時に紹介したが、どうやらそのギタリストが彼女自身のプロデューサーでもあるらしかった。 観客の目の前に彼女がいるということは、彼女の目の前に観客がいるということで、最前列の女性客に照れくさそうにまなざしの微笑を送っていた。センターの椅子に腰掛け、手の平サイズのマラカスを手にすると、アコースティックギターのストロークと同時に彼女はリズムを刻み始めた。
このライヴに足を運ぶのは、実はちょっとだけ勇気が必要だった。 まず、最近の彼女の音楽活動を全く知らないということ。俺が好きなのは、まさに俺の愛車の中にしまいっぱなしになってしまっているベストアルバムを歌っている彼女だ。しかしそのアルバムがリリースされたのは7、8年も前のこと。アーティストであれば感性や目指す音楽の方向性、音域や歌唱方法などがいい意味でも悪い意味でも変わっていって当然なのだが、俺はそれを彼女には求めたくなかった。俺が知っている彼女を、俺が知っているままで、(あわよくば彼女の代表曲も合わせて)聴きたかったのだ。 最新アルバムがリリースされていたのは知っていたが、それを買って“予習”をしなかったのも、そんなちいさな不安があったからかもしれない。全く知らない曲ばかりを聴かされるライヴというものもかなり、辛い。
モノクロームの夢を見ることがある なにもかも白と黒の世界
一曲目はやはり知らない曲だった。けれど、彼女の歌声はそんな俺のちいさな不安をすべて吹き飛ばしてくれた。知らない曲だけれど、目の前で歌ってくれている彼女は、俺が好きな彼女だ。透き通っていて、時に少女のような歌い回しの、俺が愛車のカーステレオで聴いている彼女のままだ。アコースティックギターの軽やかなストロークと小気味よいマラカスのリズムに乗って、彼女の爽やかな歌声が心に沁みてきた。 一応ファンだ、と言いたいくらいに彼女には多少の思い入れはあるが、何にしろ予備知識が皆無に等しいので、彼女が高校時代に原チャリでよく訪れた海の話(そこは、つい先日、仕事で通りかかった海辺だった)や、小田和正のツアーに参加していた話、出来上がったばかりのアルバムの話など、曲間のMCは知らないことばかりでかえって興味深かった。 そして、まさに「あっけなく」という言葉が似合うくらい、唐突にその曲が演奏された。彼女の代表曲であり、俺がその日一番聴きたかった曲だ。
好きになってよかった はじめてそう思った
目を閉じ、静かにこの曲を歌い上げる彼女を目の前にしていると、俺はこのライヴに来てよかったと心からそう思った。 小田和正のツアーに参加している最中に、小田が彼女にプレゼントしたという曲は、彼女自身のピアノ弾き語りで演奏された。ステージのピアノはセンターから俺が座っている左側に置かれていたので、その曲の間だけ、俺と彼女の距離は少しだけ短くなった。 「とっても素敵な曲なので、聴いてくださいね」 そう言いながら彼女は右手の指輪をその細い指から外し、ピアノの上にそっと置いた。そのか細い仕草とは正反対に、ゆったりとした袖口を少しだけ乱暴にたくし上げるところがかえって可愛らしく映った。 それは小田和正の曲といわれれば成る程そうだろうなあ、と聴こえる静かなメロディだった。地元の海を歌った曲でもあり、彼女自身にとっても思い入れの深い一曲のようだった。
ピアノを前に歌う彼女の横顔を見つめながら、俺は妙な錯覚に陥ったような気分だった。 俺は、もしかしたら、彼女に恋をしているのではないだろうか。それも、きっと遠くから見つめている、恋。 きっと、こんなシチュエーションだ。男とその歌い手は高校時代の同窓生。きっと男のほうが先輩なのだろう。学生時代は特別親しいという間柄ではなかったが、たまたま共通の友人がいて、ひょんなことから好きなアーティストが一緒だということが分かって、一度だけそのアーティストのコンサートに二人きりで出掛けたことがある。二人とも恋に不器用で――。 あまりにベタなシチュエーションでそれ以上の妄想はやめてしまったけれど、俺は俺のココロノナカに沸きあがった不思議な感情をヒトゴトのように面白がっていた。
ニューアルバムを中心に、彼女の代表曲、デビュー曲など、アンコールも含めた2時間弱はあっという間に過ぎていった。地元の友人達も幾人か駆けつけていたらしく、歌いながらはじけるような笑顔を見せるくらいに彼女自身もこのライヴを楽しんでいたようだった。
メリークリスマス メリークリスマス ラララ……
アンコールで最後に演奏された曲を小さく口ずさみながら、俺は席を立った。心地よい、ひとりきりのクリスマスだった。
※ ※ ※
会場の隅のほうで販売されていたCDと彼女のエッセイの両方を買うと決めたのは、決して、その場で彼女のサインがもらえるから、ということではない。──と、36歳の自分に強く言い聞かせ、俺は整理券を握り締めて所在無く会場に立ちすくんでいた。 程なくして、小さなテーブルに腰掛ける彼女の前に数人の列が出来上がった。もうちょっと、こう、仰々しさというか、もったいぶってもいいのではないかと思いたくなるくらい、自然な即席サイン会といった感じだった。サインをしてもらっている間、ファンは思い思いのことを彼女に話しかけ、彼女は両手で握手しながら笑顔で応えている。よくある光景だ。 「東京でも、こんな風なアコースティックライヴをゼヒお願いしますよ」 俺は買ったばかりのCDのジャケット写真を差し出しながら、言った。サインを手早く終えた彼女は俺を見上げて応えた。 「2月にも東京でやるんですよ。ここくらいのハコで。……今日はどちらから?」 「たまたま出張で松山に来ているんです」 目を大きく広げて、彼女はかなり驚いた表情を浮かべた。「それはそれは!」 深々とお辞儀をし、サインの礼を言うと、彼女は両手を俺に差し出しながらこう付け加えた。 「ゼヒ、2月も遊びに来てくださいね。お待ちしてますよ」 「ええ、必ず行きます」 彼女の手は細く、小さく、すこし冷たかった。 CDと彼女のエッセイの両方を買うと決めたのは、決して、その場で彼女のサインがもらえるから、ということではない。──と、36歳の自分に強く言い聞かせたが、握手できると知っていたら、もう2セットくらいは購入してしまっていたかもしれない。
今は第一線からは退いているけれど、愛する歌を歌い続けている女性アーティストと、どこにでもいるサラリーマン。意を決してたった一人で出掛けたライヴで、男は戯れだと知る彼女への恋心を抱く。その翌日、女性アーティストから男へメールが届いた。男は思い出す。そうだ、アンケート用紙にはメールアドレスを書く欄があったっけ──。
うん、これなら物語になりそうかな。 そんなことを考えながら、俺は松山の繁華街を歩いていた
飽きずにココを読みに来てくださっている皆様、新年明けましておめでとうございます。 2001年9月よりスタートしたこの『のづ随想録〜風をあつめて』は早くも4年目を迎えることになりました。その更新頻度はスタートしたころと比較すると各段に低下してはおりますが、『更新の為の更新はしない』のポリシーの下、今年も地道にこつこつと書き溜めていく所存でございます。今年も『のづ随想録』をよろしくお願いいたします。
頻繁に更新していないものだから気がつかないことが多くて、ココのベースとなる日記作成HP『enpitu(http://www.enpitu.ne.jp/)』も日々その機能を強化しているようです。今気がついたぞ。大したことではないのだろうけれど、文章の入力画面からこんなこと(太字)やこんなこと(斜体)もできるようになっています。でも個人的にはキラいなので滅多に使わないと思いますが。
皆様にお詫びを申し上げなければならないことがひとつ(ひとつじゃ足りないだろー、と食ってかかりたい方は別室へどうぞ)。
年賀状、出してないんですよ。
通常、毎年の年賀状はプライベートと会社用の2パターンに分けて用意することにしている。プライベートの年賀状はパソコンで2,3種類を作って自作し、会社用のものはFMの年賀状印刷モノでやっつけているわけだけれど、ご存知のように愛媛県は松山市で奴隷のような毎日を送っている私は、日々の忙しごっこで自作の年賀状はおろか“年賀状印刷の発注”すらできなかったのですね。あは、ははは、ははは……。 12月31日に所沢に帰り、体調不良の中実家へ帰省(さらに体調を壊してツマの実家へは行けなかった)、1月3日のJALの最終便で松山へ舞い戻ってくるというスケジュールの中でどうやって年賀状を作れというのですか、え。 3日、所沢の家を出る前の数時間だけ時間を見つけて数十枚の年賀状は作成いたしました。ただし、この年賀状は元旦に俺宛に届いた年賀状へのお返し、という意味で作成されたので、かなりレアものです。 かなり時期はずれにはなると思いますが、皆様のお手元にもいずれ俺からの年賀状が届いたときには、そっと笑顔を浮かべていただきたい。
2004年が皆様にとってよい年でありますように。
前回『たいせつなひと』の後編はちゃんと書いてあるので、次回あたりに更新します。このタイトルが、紅白でさだまさしが歌った『たいせつなひと』とダブらせていることなんて、誰も気づかないだろうなあ。
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