『広告宣伝の人から、今すぐ決めてくれって言われてるんです』 仕事で外出していた俺の携帯電話に同僚から連絡が入った。 『大沢、篠塚、遠藤。――誰にします?』 愛媛県松山市に新たに進出することを決めたわが社は、そのための説明会を現地で開催する準備を進めていた。俺はその担当の一人であるわけだが、説明会のゲスト講演者として、スポーツ関連の著名人をいろいろ当たっていて、いよいよ候補が絞られた。 大昔日本ハムの監督をやっていた、ご存知大沢親分。ジャイアンツの名手であり今季はコーチも勤めていた篠塚、かつて大洋ホエールズの投手陣の支えであった遠藤――この3名が急遽候補としてクローズアップされ、ブッキングの問題もあり、今すぐ決めてくれ、ということらしい。 『――誰にします?』 「……篠塚。篠塚だな」 『篠塚ですね?分かりました、すぐ広告宣伝に伝えます!』 同僚があわてた様子で電話を切る。ほとんど俺の一存で、説明会のゲスト後援者を篠塚と決めてしまった。勿論、そこには理由はある。 俺が、ジャイアンツファンだからだ。
説明会当日は100名以上の参加者が集まる大盛況であった。“仕切り”を任されていた俺は説明会会場と役員さま達の控え室と受付を走り回っていた。久しぶりにかなり高い位置にモチベーションがあるのを感じていた。“篠塚に会える”これだけが、その前日まで連日深夜に及ぶ残業にも持ちこたえた支えであった。 「篠塚さんは飛行機の遅れで、到着が15分ほど遅れるそうです」 篠塚のブッキングを担当した某大手広告代理店の営業担当くんがそう俺に伝えた。了解、とだけ言って、俺はやや深刻な顔つきで彼ににじり寄った。 「○○さん、実は……」 「なんですか、のづさん」 「先ほど用意してくださったサイン色紙なんですが……」 「ああ、アレは御社の各事務所宛に書いてもらうつもりなんですが」 「承知しています」 俺はアイフルのお父さんに見つめられるチワワのような瞳で、彼にまなざしを投げかけた。 「――ああ、サイン、いります? 僕、頼んでみますよ」 「話が早い! 実はこういうものを用意していまして……」
「ええっ、オットは篠塚に会えるの?」 ツマはかなり本気のリアクションをしてくれた。ゲスト後援者を篠塚と決めた、その晩。 「うん、かくかくしかじかで篠塚をゲストとして招くことになったんだ」 「えー、いいなあ! 私も行こうかなあ!」 こいつ、本気じゃねーだろうな、そう思ったが口にはしなかった。 夫婦そろってジャイアンツファンの我が家だが、ツマはかつて篠塚の大ファンであった。篠塚がジャイアンツに入団してから紆余曲折の末レギュラーポジションを獲得するまでの顛末など、ちょうどその時代のジャイアンツのことは俺より詳しい。「中畑が怪我したおかげで篠塚はレギュラーになれたようなものなのよ」とツマはよく話していた。 「じゃあ、オットはサインをもらうんでしょ」 「一応、頼んでみようと思ってる」 「ならばゼヒこれを持って行ってくれたまえ」 そう言って、ツマは本棚の奥底のほうから、リブロのブックカバーに包まれた一冊の本を取り出した。 「この本の、ここんとこね。ここんとこにサイン貰ってきて。私の名前で、ね」 「……」
「『嵐を超えて』ですか。篠塚さんがずいぶん昔に書いた本ですね」 営業担当はページをめくりながら言った。 「うちの家内に持たされまして……」 「かなり古い本ですよ。よく持ってますねえ」 「なんとか篠塚さんにサインをもらっていただけませんか。社内の連中には内緒で……」 「はい、あとでタイミングをみてもらっておきますよ。まったく問題ないです」 「ありがとう!こそこそっと頼むね、こそこそっと」 「分かってます」 “仕切り”という立場を利用して、個人的にサインなどもらいやがって――なんていう心無い批判をする輩もいるので、俺は極秘裏のうちに篠塚のサインを手に入れる必要があったのだ。
篠塚の講演会はなかなかいい話が聞けたらしい。俺はのんびりと彼の後援を聞いているわけには行かない立場だったので、ほんの数分、会場にもぐりこんだだけだったが、あとから先輩社員に聞いてみると、一様に「やっぱプロは違うな。いい事言うよ、篠塚は」という評価が大半であった。 講演会を終え、篠塚とわが社の役員達が控え室に戻ってきた。いやいやどうも篠塚さん本日は誠にいいお話をありがとうございました状態である。しばし雑談をした後で、くだんの営業担当くんが切り出した。 「篠塚さん、サインを頂戴したいのですが」 「ああ、いいですよ」 篠塚は快くサインに応じてくれた。営業担当くんが篠塚に手渡したのは5枚のサイン色紙。あまり上手とは言えない文字で「○○事務所さん江」と書き添えたサインをさらさらっと書き出した。本当か否かは分からないけれど、役員達全員ジャイアンツファンということで、その間、固唾を飲んで篠塚がサインを書いている様子を一同起立で見守っていた。 ここで俺は突如としてピンチを迎えた。俺はいつもこういう星の元に生まれていると思う。マジで。 “こそこそっと”がキーワードだったはずの、俺が頼んだサイン。営業担当くんはナニを血迷ったか、役員たちがずらり並ぶこの場に俺の託した篠塚本を差し出してしまったのだ。 「はい、ここにサインね」人のいい篠塚は、改めてサインペンを手にした。 おいばか、営業担当。“こそこそっと”って頼んだだろ、俺。おまえも“タイミング見て”って言ってたじゃねえかよ。 引き続き役員達は笑顔で篠塚のサインしている様子を見守っている。もしこの場面が漫画だったら、役員達の頭の上には『その本、誰ンだよ……?』という吹き出しが浮かんでいるに違いない。 「ええと、名前もお願いします。“恵”という字にですね……」 営業担当くんが俺のツマの名前を教えている。 「名前は間違ったら失礼だからなあ」 いいから早く書けよ、篠塚! 背中にいやな汗。 「おい、あの本は、なんだ?」 俺の横に立っていた役員のひとりが、俺に静かにたずねた。そりゃそうだ、この場で突然不自然に現れた古ぼけた本。誰もがそう思っている。 「ええと――」 俺は答えた。「ずいぶん昔に、篠塚さんが書かれた本です」 「ほお……」 いいぞ、俺!ナイス回答だ、俺! 役員の質問には答えたが、実は核心には触れていない! とっさにしてはいい回答だ! ココロの中で俺は“俺”とハイタッチをした。 しかし、不自然な空気は依然漂い続けている。実はこの間わずか数十秒も俺には悠久の時間が流れたような感じだった。この不自然さに耐え切れず、 「すいません!そのサインは私のツマに頼まれたものなんです!」 と、俺は何度その場で土下座しそうになったか。
出張から帰った俺は、もったいぶって篠塚サインの本をツマに差し出した。まずは喜んでくれたようなので、あの背中のいやな汗も報われたと思いたい。
2003年11月16日(日) |
最近四国づいていた訳 |
今月は一発目の更新が11月1日であったので、今月は結構更新回数を伸ばせるのではないかと自分自身に期待をしていたのだが、なんのことはない二回目の更新が今日だってんだから、いやはやなんとも。実はいま、羽田空港から所沢に向かうリムジンバスの中でコイツを打ち込んでいるのだけれど、何人かココを読んでくれている人のアクセス数が今日までただ無駄に増え続けていたのかと思うと申し訳ない気持ちにもなる。今年もあと一ヵ月半、のづ随想録はあと何度更新できるのであろう。 っつーか、いよいよこんなところでのづ随想録を打ち込むようになってしまったか、と我ながら呆れている次第で。
毎度出張の話で恐縮だが、先週の火曜日の夜から今日まで、例によって愛媛県松山市へ赴いていました。ココだけの話、火曜の夕方に会社を飛び出したのだが、結局羽田空港で松山行きの最終便に乗り遅れ、水曜日の朝イチの飛行機で松山入りした、というのは実は会社には内緒の話である。 なんや最近、おまえはずいぶんと松山だ高松だと四国方面へ飛びまわっているではないか、とお思いでしょうか。もう一部新聞発表もされたので構わないのだろうけれど、じつはわが社のコンビニが四国へ本格出店することになりまして、その本部側準備メンバーのひとりであるワタクシは何度も四国へ足を運んでいたのでありました。 で、今回の出張は、現地活動しているメンバーによる某地元大企業へのプレゼンのお手伝いと、愛媛県で初めて行われるわが社の『説明会』の“仕切り”がメインのお仕事。特に『説明会』は、参加者150名、本部からは常務だ役員だ本部長だとおエラいさんが大挙し、特別ゲストに元ジャイアンツの選手・コーチ、かの篠塚和典さんをお招きするというなかなか大げさなものでありまして、その準備に連日午前2時3時。 はっきり言ってゲキ疲れで帰ってきました。
そんなワタクシを乗せたリムジンバスはもうすぐ関越道へ。
2003年11月01日(土) |
ヒーリングサウナでまったり |
先週は一週間ずっと出張で、正直なところ、かなり疲労がたまっている。休日出勤してやっつけてしまおうと思っていた仕事を明日に回して、今日はゆっくりと休むことにした。で、まあ、いつもの話になってしまうのだけれど、目指すは、我が心の故郷・『湯楽の里 所沢店』。馴染みのスーパー温泉でまったりしてしまおうという魂胆。 もう、何度ここに足を向けたことだろうか。初めて訪れたのは恐らく2年ほど前。本社に転勤になる前、まだ現場仕事で営業車を走らせている頃だった。夏の暑い夜、仕事帰りにふらりと立ち寄ったのが初めてであったと記憶しているが、それからじわりじわりとスーパー銭湯の魅力にハマっていった、という感じだ。 今日はいよいよ「会員証」を作ってしまいました。100円の手数料を取られたけれど、これからは通常の100円引きの会員価格で入浴できる。所沢市内にはあと2ヶ所のスーパー銭湯があるけれど、立地的、設備的にもここ『湯楽の里』がベスト、会員証を作らない手はない、という判断だ。 そして今日は出張疲れをしっかり癒す、というテーマのもと、400円の別料金を払って『楽蒸洞(らくじゅどう)』というヒーリングサウナにも入ってしまいました。これがなかなか侮れない。 このヒーリングサウナは40℃程度の低温サウナで、パンフレットには遠赤外線だのトルマリン鉱石だのマイナスイオンだのというちょっと健康チックな言葉がちりばめられていた。まずは通常の湯船でしっかり温まった後、受付で渡された浴衣を羽織って指定の時間に建物の2階にある『楽蒸洞』へ。待合室のテーブルに置いてある案内文には「楽蒸洞に入る前には備え付けのミネラル水を飲みなさい、ここのサウナは発汗作用がすごいから」というようなことが書いてあったので、素直にミネラル水をコップで2杯。そして、係員に案内されて『楽蒸洞』なるヒーリングサウナに入っていった。 俺が予約した時間はたまたま人が少なくて、おばさま達が5人と俺一人であった。そのサウナは、ちょうどシングルベッド大の大きさに砂利が敷き詰められていて、それぞれが手渡されたバスタオルを砂利の上に敷いて横になり、25分間を過ごすのである。 横になってみると、背中の砂利からもじんわりと熱が伝わってくる。辺りには天然ハーブの香りが漂っていて、薄暗いサウナはぼんやりと赤い照明で照らされていた。さらに照明が落とされると、程なくしてこんなアナウンスが流れてきた。 『楽蒸洞へようこそ。このヒーリングサウナは……』 環境音楽のようなゆったりとしたピアノのメロディをバックにした、落ち着いた女性の声だった。声はこのサウナの効能やちょっとした注意点などを必要以上に“癒し”の声で説明していた。 俺は目を閉じ、ヒーリングサウナ満喫体制に入った。静かな女性の声がサウナ内に響いていた。 『――ゆっくりと目を閉じ、どうぞゆっくりとおくつろぎください……』 女性の声はそこで終わり、ピアノの音がすこしだけ大きくなった。 ああ……、気持ちいいなあ……。俺はぼんやりと静かなメロディに耳を傾けていた。
ここで、悪い癖がでた。 この穏やかな状態で、ピアノ曲の代わりに、『スネークマンショウ』かなんかが流れてきたらかなり面白いんだけどなあ。『やれぇチャンピオン! 殺せぇ!』っていう、あのネタなんかが合うなあ。
こんな莫迦なことを考えているのもわずかな時間だった。低温サウナなので大したことはないだろうと高をくくっていたが、なんのなんのじっとりと汗がにじみ出てくるのにそう時間はかからなかった。それでも一般のドライサウナとは比べ物にならないくらい心地よいので、俺はハーブの香りの中、あっさりと深い眠りの中に溶けていってしまった。25分の時間を過ぎた頃にはすっかり汗びっしょりに。 湯船で温まり直して、風呂上りにはコーヒー牛乳。そしてお食事処に場所を移して、『ソフトクリーム&日本茶』のゴールデンコンビでしっかりシメた。 いやあ、ホント、疲れを癒すことの出来た一日でありました。これで長嶋ジャパンが勝ってくれたら言うことなかったんだけどな。
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