のづ随想録 〜風をあつめて〜
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【のづ写日記 ADVANCE】

2002年11月30日(土)  晩餐

 随分と遅くなってしまったのだが、9月に迎えたツマの誕生祝いということで、ツマのリクエストにお応えして西麻布のイタリアンレストランへ足を運んだ。
 西麻布――。なんと馴染みのない土地か。西麻布と言って真っ先に思い浮かぶのが、俺が18、9の頃に流行っていたとんねるずの『二人の西麻布』という歌くらいだというから我ながら情けない。“オシャレな街”“高級な街”――訳もなくそんなイメージを持ち続けてしまう。六本木の改札を抜けたらその日のファッションと預金残高をチェックをされるので気をつけろ、そんな冗談をちょっと真顔で言われてしまったら俺は恐らく信じてしまうかも知れない。
 実際、このイタリアンレストランへ行くのも、ツマとケッコンする前後の時期以来というから実に3、4年ぶりで、こういう店に独身時代は行き慣れていたツマと違って俺自身にとっては若干敷居の高めの店、というイメージがあったので、実はえいやっという気持ちも少なからずあったのである。
「ご予約ののづ様ですね。お待ちしておりました」
 予約の時間より15分ほど遅刻して、のづ夫妻はその小さな店に到着。店の一番奥のやや照明のぼんやりしたテーブルに案内された。店内は思っていたより混んでいて、様々な客が賑やかに店内を埋めていた。
 若いカップル。いかにも男性側が張り切ってます!――という風情が見て取れて面白い。
 なんでこんな若い女性を連れてるんだ、と四十路後半のオヤジをツッコみたくなる訳アリ風の男女。
 幸せそうな家族連れ。子供は小学生低学年か。ガキの頃からこんなレストランに来るようじゃまともな育ち方はしないぞ。
「なんか雰囲気変わったね」
 とりあえず白ワインので乾杯した後、ツマがゆっくりと店内を見回した。
「うん。前に来たときよりも、えらい賑やかだ」 俺も同感。
「賑やか、というより、ウルサいくらいかもね」
 なにより気になる客がいて、彼らが俺達にそう思わせたのかも知れない。
 俺とツマのすぐ後ろのテーブルに、なぜか若い男の二人連れがいた。女性の二人連れならしっかり絵になるレストランだが、ふつうこういう店に男二人で入ろうとは思わない。そんな事をこそこそとツマと話していたのだが、食事が進み、酒が進んでくると、彼らのテンションはますます上がっていった。

 それも、関西弁。

 和民や白木屋でもそんな騒ぎ方はしないぞ、と言いたくなるくらいに彼らは声高にベタベタの関西弁を店内に響かせていた。
「せやねん。こないだ喰ぅたウニがなぁ、ごっつ美味かってん。あんなんそうそう喰われへん思たわ」
「ほんまぁ? ええなあ、自分」
 他のテーブルの客もがそれなりに賑やかに食事を楽しんでいたせいか、彼らのこんな絵に描いたような関西弁だけが特別目立つ、というわけでもなかったのが厄介だった。
「うるさいな、俺の後ろの二人」
 ツマに目配せをすると、ツマはちょっと呆れた様子だったが、
「まあ、イタリアンはカジュアルに食べるもんだから、いいのかもね」
 確かにツマの言うとおりかも知れない、とも思った。変に肩肘を張ってマナーを気にするより、もっと食事を楽しむべきなのだ。
 そして、俺とツマは運ばれてくる料理に集中して、ワインをぐいぐいと呑んだ。
「そらあかんわ! ぎゃはははは」
 しばらくしてまた後方の関西人が大声で笑いだした。さすがに店内に響く笑い声で、俺とツマは同時にナイフとフォークを持つ手が止まった。
「――あかんわぁ。特にな、逆にそういうホームパーティやったら気ィ遣わなあかんで。そない時やからこそマナーっちゅうもんを考えな」
「せやなあ」
「せやで。自分くらいの歳やったらもうマナーくらいちゃんとせなあかんやん」
 
 おまえらがマナーを語るな。

 関西弁をBGMにいただくイタリアンは実に美味でございました。



2002年11月17日(日)  信頼

 どうも体調が良くない。
 はっきり男らしく「熱が40度あります!」くらいの症状がしっかりあればいいのだが、そこまでではなく、どうも熱っぽかったり、関節が微妙に痛かったり、胃の調子が良くなかったり――という具合である。
 仕事の方は一応先月末でひとつの山を越えたことは越えたのだが、それはそれ、やるべき事、やらざるを得ないことは寄せては返す波のように次々とやってくるのである。

 先日も昼前くらいから突如として胃がきりきりと痛みだしてきた。元々胃腸は強いほうではないが、どちらかというと俺は“お腹をこわしやすい”方面のタイプであり、この時のように“胃が痛い”ということはあまり経験がない。「なんだろうなあ……」などとハラをさすりながら、この日の昼食は軽めに済ませた。勿論、会社を早退するほどの症状でもないし、早退できるような状況でもない。結局この日も10時過ぎまで残業をしていたのだがこの時間になっても胃の痛みは治まらなかったので、さすがにヤバいと思い始め、テキトーに残業を切り上げ寒風の中家路を急いだ。
「なんか、胃が痛いんだよねえ」
 帰宅し、着替えながらツマに言うと、
「そういう時は薬を飲みなさい。アナタはあまり薬を飲むほうではないので、そういう時はぜひ胃薬を飲みなさい」
というようなことを言った。
 なるほど、ツマの言うとおり、俺は風邪の初期段階や頭痛などでもあまり薬に頼ることをしない。
 これはきっと子供の頃のトラウマ、ということもあるのだろうか。

 小学校の約6年間を、俺は小児喘息というなかなかシビアな病と闘いながら過ごしてきた。この病気のおかげで、ほぼ毎週木曜日は母に連れられて上野の病院まで注射を打ちに通っていたし、タイミング悪く学校の行事と苦しい発作が重なってしまった時は、例えば運動会を保健室のベッドの上で過ごした。小学校6年生の時の修学旅行は喘息の発作のおかげで参加することが出来なかった、というカナシい思い出もある。
 こんな小学校生活では、常に俺のそばには喘息の薬があった。
 いやという程薬を飲まされたので、今となってはもう薬は勘弁してくれ――という思いがどこかにあるのかもしれない。
 そんな俺でも、絶大なる信頼を置く薬がただひとつ、ある。

『ラッパのマークの正露丸』

 手のひらに乗せて二錠飲むだけで、手が征露丸臭くなってしまうという強烈な、あの薬。
 前述のとおり、俺は胃腸が弱いので、例えば熱い風呂に週刊ベースボールでも読みながら長いこと浸かっていた後、キンキンに冷やしたコカコーラなんぞを一気飲みでもしようものなら、ちょっと油断していると腹の奥底の方がぐるぐると疼いてくる。
 そんなときは迷わず正露丸の登場だ。
 外回りの仕事をしているころは正露丸の“糖衣錠”を本気で鞄の中に常備しようと思っていたくらいである。
 珍しくひどい頭痛に悩まされているときでも、なかなかバファリンなどの頭痛薬に手が伸びないのだが、『あ、ちょっとハラの具合が……』ということになると、迷わず正露丸。これがまたテキメンに腹の痛みが治まるからすごい。個人的には、正露丸の開発者には田中さん以上にノーベル賞を与えたいと思う。

 胃の痛みを堪えながら帰ってきたこの日の晩も、正露丸を飲めばなんとか治まるだろうか……、などと呟いていると、ツマは「わけの分からないこと言ってないで。是非太田胃散を飲みなさい」
 ああ、粉薬は苦手なのになあ。


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