のづ随想録 〜風をあつめて〜
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【のづ写日記 ADVANCE】

2001年09月29日(土) 小ネタ特集

● うちのツマと義母の会話

義母「佳子おばさんがね、最近すっごくお気に入りのCDがあるんだって」
ツマ「おばさんは音楽が好きだものね。誰のCDなの?」
義母「ええと、誰って言ってたかしら。綺麗な映像のCMなんかにも使われてる……」
ツマ「――誰だろう?」
義母「あ、たしか、『野猿』って言ってたわ」
ツマ「野猿!?」

 どうやら、ほんとうは『エンヤ』らしかった。

● チラシ

 最近まで料理番組やグルメ番組の流行が続いている。料理番組などではそれぞれの食材に『○○産玉ネギ』とか『××産豚肉』などとわざわざ産地を表記して、そのありがたみをアピールしている。なるほど、そう言われてみると、なんか美味そうな玉ネギなのかも、と思わないでもない。

 ツマが新聞のチラシ広告をチェックしている。「ねえ、ちょっとコレ見て!」と大笑いしながら一枚の広告を俺に差し出した。それは近所のスーパーの特売広告だった。
「どれ?」
「ここ! ここ!」
 ツマが指さすそこには、こう書いてあった。

『埼玉産 ボンカレーゴールド』

● 遺伝子組み替え食品

「え、遺伝子組み替え食品って、食べると自分の遺伝子が組み替わっちゃうんでしょ!?」
 本気でこう言った人がいた。 そんなオソロしい食い物があるか。大体、どんな風に自分の遺伝子が組み替わるというのだ。



2001年09月28日(金) 20世紀が終わった――

 昨年、俺が見たプロ野球の試合はたったひとつ。それが“長嶋ジャイアンツ”が東京ドームで日本一となる日本シリーズ第6戦。
 歓喜の中で見たあの“背番号3”の胴上げが、まさか長嶋監督の最後の胴上げになるとは……。

 長嶋茂雄讀売巨人軍監督、残り2試合を残して今季限りの勇退を発表――。

 表現は妥当ではないが、“虫の知らせ”だったのだろうか。
 昨年の日本一の勢いあってか、今年は生まれて初めて、というペースで球場に足を運んだ。ジャイアンツがもたつきながらも優勝戦線に食い下がっていることもあって、気がつけば8試合もジャイアンツ戦を観戦した。ホームランが乱れ飛ぶ圧勝のゲームがあれば、俺の誕生日に横浜まで観に行った試合はサヨナラホームランを浴びた。復活の桑田の熱投で1―0でヤクルトに競り勝った試合は一生忘れない。
 ふと思い立って、球場で売っているジャイアンツ商品のうちの『3』グッズを随分買い込んだ。『3』が刺繍されたミニタオルとフェイスタオルは日常の中で使っているし、特に何に使うわけでもないリストバンドはほとんどバッグのアクセサリとなっている。
 月刊ジャイアンツを読み、選手のテーマソングを集めたコンピレーションアルバム『GIANTS mania』を聴き、仕事で市場調査をして歩いているときでもラジオ中継が聴けるように携帯ラジオも買った。カバンに入れてあるPDAにはセ・リーグの全日程とジャイアンツの全選手データが入れてあった。

 これほどまでに巨人を、長嶋ジャイアンツを応援した一年はなかった。

 事務所での資料作成を途中で切り上げ、夕方のアポイントのために俺は営業車で関越道を走らせていた。
 ふと、ラジオから聞こえる衝撃。
『長嶋監督の今季限りの勇退が決まりました――』
 聞き間違いだと思った。聞き間違えるはずがなかったが、それでも聞き間違いであることを祈った。しかし高速道路を降りるころ、ラジオ番組の内容が急に切り替わり、突然『長嶋監督退任記者会見』の模様の生中継が始まった。
 オーナーの話の後、長嶋茂雄が静かに口を開いた。穏やかに、そしてきっぱりと長嶋は今季限りでジャイアンツの背番号『3』のユニフォームを脱ぐことを告げた。

 胸が熱くなった。たかがプロ野球、たかが長嶋茂雄のことで――と笑わば笑え。

 俺は車を止め、カーラジオから流れる会見の様子をじっと聞き入っていた。その声の晴れやかさから、長嶋茂雄は間違いなく笑顔で話をしているに違いない、と思った。
 これで恐らく栄光の背番号『3』は封印されるに違いない。長嶋茂雄の胴上げを、恐らくもう見ることは出来ない。それを考えると寂しいやら口惜しいやらで、咽喉の奥の方でなにか苦いものが込み上げてきた。

 ふと、俺の携帯電話に友人からメールが届いた。あの日本シリーズ第6戦を一緒に観に行ったその友人からのメールは、とても短い文章だった。

『長嶋の最後の日本一胴上げを見れて、本当によかったな』

 涙が止まらなかった。



2001年09月26日(水) “風をあつめて”

 のづ随想録のとある賢明な(いや、本当は全然賢明ではないのだが)読者の方から御質問を頂いた。

『♪かぁぜーを〜あつぅめてぇ〜♪

 ってい(う、が抜けている。筆者註)歌があったよねぇ?
 誰が歌ってたんだっけ?
 これを読むたびに、すんごく気になるの。』

 ね。賢明じゃないでしょう?

『のづ随想録〜風をあつめて〜』のタイトルの由来はというと、この“風をあつめて”というフレーズは俺が大変気に入っている歌のタイトルなのです。種明かしをしてしまうと、なあんだそんな話か、というような程度の話である。
 しかし、この質問をくれた方、よくこの歌を知っていたな?――と正直驚いた。

 はっぴいえんど、を知っていますか?
 70年代初めに現れた4人組。大滝詠一、松本隆、細野晴臣という後のウルトラビッグネームの若き日のフォーク・ユニット。
『風をあつめて』は松本隆作詞・細野晴臣作曲、ヴォーカルも細野氏が務めている。なんだかかったるそうな唄い方がかえって味があって、いい。

 仕事中に営業車の中でよく聴いている、とあるラジオ番組のエンディングに流れていたのがこの曲だった。丁度、太陽が西に傾きかけ、少しずつオレンジ色に近づいてくるころに、いつもこの曲がカーラジオから流れてきた。元気になる、とか、励まされる、とかそういうわけではなかったが、ココロに染みるメロディだった。

『――それで ぼくも
 風をあつめて 風をあつめて
 蒼空を翔けたいんです
 蒼空を』



2001年09月25日(火) 20店目の開店

 俺が大体どういう仕事をしているか知っている人の方が多いと思うので詳細は省く(知らない人は個別で教えます)が、明日、俺の記念すべき“20店目”の新しいお店がオープンする。
 決して威張れる数字でないが、それでもああようやく20店が開店したのか、と思うと、4年間の転勤生活だった大阪時代を含めてアレコレと思い返してしまうものだ。

 今日は朝からずーっと会議が続いていた。こういうのは何が、というわけではないがとてもとても疲れる――というのは皆さん御理解いただけるでしょう。夕方からは部長サマを営業車に乗せて明日開店の店まで出向き、開店のセレモニーを行った。その後は店長とマネージャーを連れて近隣の住宅や商店へ開店の挨拶。
 毎度のことなのだが、近隣の挨拶へ行くと大概一軒や二軒は“お店が開店することを歓迎していない家”というのがあって、ちょっと困る。こちらも開店の挨拶の手土産持ってお邪魔しているので、向こうもさすがに無下には扱わないが、「うるさくならないかしら」とか「夜中に人がタムロしたりしないかしら」というようなことを引きつった笑顔の中で言われたりするのだ。まあ、言うことは分からないではないのだが。
 開店直前の準備は続く。
 商品の納品や陳列は、業者さんがあらかたやってくれるし、お店の運営指導を担当する社員が応援に駆け付けてくれてもいるので、実際のところ俺がやることはそれほどでもない。いわゆる“立ちあい”という状態だ。それでも店内を隅々までチェックして回っていて、今日は『チョロQ』の納品ミスを発見した。それから店の前の通りの草むしりまでやった。
 しばらく店内をうろうろとしていたのだが、ちょっとした事務処理仕事が残っていたので、一足先に俺は店を後にした。
 そのまま事務所に帰る気にはなれなかったので、近くのファミレス――例のココスですね――に入り、のんびりと書類をやっつけていた。傍らにはドリンクバーのアイスコーヒー、左耳には携帯ラジオの巨人―広島戦中継。

 明日は開店だ。お近くにお越しの際は是非お立ち寄りください。
(http://www.family.co.jp/inf/shop/s_0109.html にそのうち掲載されます)



2001年09月22日(土) ミラクルアゲイン(……)

 ああ、やっぱりベタだな。タイトルにするともっとベタだ。

 ミラクルアゲイン――。
 今日は書いちゃうぞ。野球に興味ない人、今日はパスしていいよ。
 我が讀売ジャイアンツがリーグ優勝への1%の望みをつなぐためのヤクルト3連戦は今日その幕を切って落とされた。ぶっちゃけて言うと、俺はオールスター戦直前に阪神に3連敗した段階でジャイアンツの優勝はあきらめているのだが、それでも最後まであきらめようとしない長嶋ジャイアンツをやっぱり応援してしまうわけですよ。この辺に今季6試合もジャイアンツ戦を観戦している俺の意気込みがあったりするのね。

 今日の先発は入魂の投球を見せる根性の人・入来祐作。シーソーゲームの展開となり、二番手には90年代のジャイアンツを支えた復活の人・斉藤雅樹。この“背番号11”がグラウンドで投げているだけで涙目になりそうだ。江藤の逆転ツーランの後、今世紀中はゼッタイ信用しない、と心に誓った岡島がやっぱりもたついて、最後にピッチャーマウンドにあがったのは桑田真澄。
 今日の試合を神宮で見たジャイアンツファンが羨ましい。まさに日本シリーズみたいな盛り上がりと熱気と緊張感がテレビ朝日の中継からも伝わってきた。
 訳あって実家に戻っていた俺は21時半でテレビ中継が終わってしまうと、家族への挨拶もテキトーに済ませ愛車デミオで帰宅の途についた。ラジオ中継で続きを聴きながら帰るためだ。
 桑田が最後のバッターを打ち取った瞬間にはハンドルをばしばしと叩きながら「よーしっ!」と絶叫の俺。大事な初戦をモノにしました。さあ、ミラクルアゲインだ!(……やっぱりベタだな)

 明日も野球ネタだったらごめんね。



2001年09月21日(金) ファミレス

 今日の埼玉は朝からいつ雨が降り出してきてもおかしくないような重苦しい雨雲に覆われていたが、案の定、俺の使っている営業車が突如としてエンジンがかからなくなるというアクシデントに見舞われた午前10時半頃には、霧のような雨からしっかりとした雨粒が空から落ちてくるようになっていた。

 今日はどうも気分が乗らない一日だった。

 雨のせいかも知れない。こんな天気の時には大気中に“陰イオン”が沢山放出されているので、精神が落ち込むことがあるんだ、と昔兄貴に聞いたことがあるが、その真偽は別としても、なるほどそう言うこともあるのかも知れないなあ、と時々思うことがある。
 仕事での訪問先でも思ったように話が進まない。ま、こういうことは日常茶飯事なので、だからと言って落ち込んでいたらどうしようもないのだが、それとはまったく別の次元で、気分が晴れない。
 最後の訪問先を出たのが午後8時ちょっと前。こんな一日のせいか、酷く疲れていた。

 ふと、あたたかいコーヒーが飲みたくなった。それも缶コーヒーのような甘ったるい奴じゃなくて、だからと言って本格的な“珈琲”でもない。
 ファミレスの、安っぽい、アメリカンコーヒー。

 時々、仕事が終わった帰宅の道すがら、ふとファミレスや喫茶店に立ち寄ることがある。今思い返してみると、だいたい今日のような、気分の乗らなかった一日の最後に、寄り道することが多いかも知れない。
 気分転換。
 家まで車であと5分とかからない国道沿いに、ファミレスの『ココス』はある。駐車場に営業車を滑り込ませるころには雨脚はかなり強くなっていて、エンジンを切ってから俺はぼんやりフロントガラスを流れ落ちてゆく雨を眺めていた。
 人気の少ない店内。こんな雨だものな。俺はお手軽な“ドリンクバー”を注文。まさに安っぽい――それでも最近は、ファミレスでも一杯ずつ抽出するドリップ式のマシンが主流みたいですな――アメリカンコーヒーがどんよりとした俺の体の中に注ぎ込まれた。

 重くも軽くもないため息。

 2杯目を運んできてからはカバンの中の『週刊ベースボール』を読みながら、1時間ほどねばった。雨脚はさらに強まっているようだったが、俺の心の中の雨雲は徐々に太平洋へ抜けていくような感じであった。



2001年09月20日(木) びっくり、アクセスカウンタ

 ここんとこいろいろと忙しく、帰宅が遅くなってしまっている。
 この随想録も数日、無断欠勤をさせてもらったが、“書き手”としてのプレッシャーはあまり感じていない。『日刊』もしくは『ほぼ日刊』のペースで書き続けられればそれはそれで俺も楽しいし、なにより「どれどれ、“のづ”のヤローは今日はどんな莫迦なことを書いておるのだ」と“読み手”の側に楽しみにしてもらえるのも嬉しいのだが、それがプレッシャーになってしまってはいかがなものか、という心持ちでこの随想録を始めた、というのもあるので、まあ、気ままに書かせてもらっている。
 今日は21時半頃には帰宅した。俺にしてみればかなり早い帰宅時間だ。――でも、普通はみんなこんな時間よりももっと遅く帰宅しているんだろうな。
 シャワーを浴び、風呂に入り、ツマとソファで新商品のお菓子をつまみながらテレビを眺める。こんなことをやっているとあっという間に23時は過ぎる。今日はそんなゆったりとした時間が持てたものの、帰宅が23時を過ぎると、さすがにパソコン起動してさあ随想録を――というのもシンドかったりすることも、そりゃ、ある。
 なんか、言い訳めいてきたな。
 ま、気ままに書かせてもらってる。

 アクセスカウンタ、が付いてるんですね、ココ。
 今日、この数字が“97”になっていてオドロいた。もう100アクセスがそこまで来ている。一体、俺の知り合い以外の人が何人この駄文を読んでいるのだろうかと考えると、何か訳申し訳ない気分になってくる。
 ただ、アクセスカウンタというものはそういうものなのだろうが、ココのアクセスカウンタは、例えばブラウザの『更新』を押すだけでアクセス数はひとつ上がってしまんですね。
 こんなことを言っていると、ココの読者たちはみんなどうかした連中ばかりだから、やたらめったらと『更新』ボタンを押しまくり、明日の朝には見事10000アクセスを越えている――なんてこともありそうだなあ。頼むからそんなことすんじゃねーぞ。


※  ※  ※


 感想メールをありがとうA・Tさん。



2001年09月17日(月) むずかしいなあ

 今日、つけ放しになっている営業車のラジオからこんな話が聞こえてきた。
 そのラジオ番組には、俺の良く知らないフランス人がゲストとして出演していた。日本語は実に堪能、ラジオのパーソナリティは「あんた日本人でしょう?」と下品に笑っていた。確かに言葉の端々に、ああ、日本を勉強なさっているのだなあという語彙が見え隠れしていた。

 連日、テレビ画面ではもういいよ、と言いたくなる位に報道され続ける米国での同時多発テロ事件。
 こういう、海外などでちょっと大きな事件、事故があると必ず出てくる言葉がある。

『――尚、事故に遭ったこの飛行機に日本人は搭乗していませんでした』

 昔、兄貴と、この台詞はいかがなものか、というような話をしたことがあった。
 もちろん、分かる。海外に肉親や友人、知人がいて、何か事件事故に巻き込まれてはいないかという不安や心配があって、それに対して、“大丈夫、御心配なく。あなたのお友達はこの事故には巻き込まれていませんよ”と言っているのだ。その事実は大切なことだし、当然報道すべきだろう。
 ただ、なんとなく、俺にはこうも聞こえる、と俺と兄貴は同時に言った。

“他は知らないけど同胞の日本人に怪我がなくてよかったね。”

 いやいや。もちろん、そんなことは言っていないのだが、そう聞こえてしまう自分がいるんだよなあ、ということだった。

 フランス人は、パーソナリティの『今の日本に対して、何か言いたいこと、ある?』という質問に、全世界を震撼させているテロ事件になぞらえて、こう応えていた。

――日本は、自分の国の被害者がいるとかいないとか、そういうことを随分たくさん報道しすぎている。フランスでは絶対ありえないことだ。あの事件は自国の被害がどうのこうのというレベルの話ではない。全世界の問題なのだ。それはちょと違うと思う。

 報道とは、報道の仕方とは難しい。何が正しいのか、分からない。



2001年09月15日(土) キャッチボール

 月に二回程度、土曜日を利用して会社での勉強会がある。会社、というよりは俺が所属している『開発部』という部署の勉強会で、部長サマが講師となりアレコレと御教授を頂くありがたい(……)三時間である。
 この勉強会、基本的には自主出勤。間違っても勤怠表に“休日出勤”などと記入することはできない。
 で、今日もその勉強会があったのだが、事前のお達しの通り部長の講義は三十分程度で終了、上半期の納会という意味でのバーベキュー大会がかなり大袈裟に行われた。
 第一に部長サマがこういうことが大好きで、春には“花見バーベキュー”を行った実績がある。部員全員参加で約三十数名、会社近くの公園に三々五々集まってきたオトコだけのかなり汗臭いバーベキュー大会であった。

「俺、キャッチボールやりたいんだよね」
 先週、同僚達となんとなくこのバーベキューの話題になったときに、俺はこうひとりごちた。
 ただ肉と魚と野菜を喰らい、ひたすら呑み続ける――これは正直ツラい。それでなくとも食材は余るほど調達されるはずであり、特に若手はそれをなかば強制的に食わされる。“ほどよく焼けた”というよりは殆ど“炭”と化した肉や野菜を食わされるのはもはや拷問以外のナニモノでもない。であれば、なんかこう、広い公園で笑ってキャッチボールなんてのもいいんじゃないか、というような話が盛り上がった。
 こう、なんとなくやってみたいことってあるじゃないですか。そう言えば最近やってないよなあ、というようなこと。俺にとって、“キャッチボール”がそれだった。
 休日にどこかグラウンドを借りて、道具を揃えて、まずはランニングから……そこまで本格的じゃなくて、俺はただ単純にボールを投げ合うだけの“キャッチボール”がやりたかった。男なら、『野球』と『キャッチボール』が、ある部分ではまったく別の次元のものであると言ったら、納得してもらえると思う。
 ステーキ肉やイカの姿焼きや業者からタダで持ってこさせたビールなどをたらふく腹に収めた後、俺は後輩が持ってきたグラブを借りて、真っ白な軟球を手にした。
 これ、この感触。
 グローブのアブラとほこりの匂いと公園の芝生の匂いが相まって、俺はあっという間に“ガキ”に戻った。
 雲間からのぞく青空の下を同僚と俺の間で白球が行ったり来たりする。お互いに「何年ぶりだろう!?」と笑いながら。桑田のフォームを真似てカーブのまね事をしたら、ちょいと酒が入っているせいかボールはまったく明後日の方向に飛んでいった。
「かんべんしてくださいよ!」 笑いながら同僚がボールを追いかける。
 ユニクロのチノパンは泥だらけになり、相当汗まみれになったが、それでも気持ちの良い初秋の午後でありました。


  *  *  *


 ありがとうM・K。君が感想メールを一番最初にくれた人だ。
(どうでもいいけど、イニシャルって、最近は名字を先にするんですか? ここではそうしてます)



2001年09月13日(木) 寝不足

 米国の同時多発テロの報道が毎夜のニュース番組で続いていて、同時に俺の睡眠時間が激減している。
 ぶっちゃけて言ってしまうと、今日は午後2時からの建設業者との打合せが終わった後、その近くのセブンイレブンの駐車場に営業車を止めて、小一時間ほど昼寝をしてしまった。
 気が抜けると、途端に睡魔が襲ってきた。会社では『営業車での事故が多くなっているので各員十分に気をつけること云々』ということがウルサく言われていて、これで居眠り運転で事故を起こしてしまってもつまらない話である。

 今日はこの日記をお休みしようと思ったんだけど、まあ、“勢い”ってやつで。
 日記の左端(?)の方にアクセスカウンタがあるんだけど、こいつが僅かながらも着実にその数値を大きくしているのが、やはり嬉しい。
 そこから俺宛にメールを送れるようになっているようなので、たまには感想とか文句とか罵詈雑言とか送ってくれると、もっと嬉しい。



2001年09月12日(水) 呼ぶ

 電車に乗っているときだとか、ちょっと怪しい人に出くわすことはありませんか。
 例えば、酩酊状態のサラリーマン。よく深夜の電車でこんなオヤジにからまれている女性がいたりするけど、心底同情する。
 例えば、明らかに怪しオーラを発している正体不明の青年。意味のない薄笑みを浮かべて、何かを口走りながら車内を小走りしてる、なんてのがいるよね。車内で『次の停車駅は石神井公園、石神井こーえん〜。各駅停車飯能行きを御利用の方はお乗り換え下さあい』と、やけに流暢に駅員の真似をしているのもいたりする。もちろん、車窓から斜め前方を指さし確認もしてる。
 例えば、異常なテンションで子供を叱りつけているおばさん。その声は常軌を逸していて、車内には冷たく乾いた空気が一瞬にして立ちこめる。
 いわゆる“ちょっとヘンな人”。

 俺はこの“ちょっとヘンな人”にかなりの確率で遭遇する。電車の中、ファミリーレストラン、喫茶店……ありとあらゆる場面で、だ。
『ああ、また“呼んでしまった”』
 いつの頃からか、俺はこの“ちょっとヘンな人”に出くわす機会がやけに多いことに気づいた。
“ちょっとヘンな人”に遭遇することを、俺は“呼ぶ”と言っている。どうも俺自身が怪しオーラ系の人々を“呼んでいる”としか思えないほど、その機会は頻繁なのだ。

 先週の土曜日。池袋の本社で行われる会社の展示会に俺の客が来ることになっていたので、その案内のために俺は休日出勤をしていた。午前と午後の遅い時間に一組ずつ案内する予定で、ちょうど昼時から2時間ほどぽっかりとあいてしまう。その時間を利用して、俺は一気に読み進めていた、さだまさし『精霊流し』を読もうと思っていた。それほどに本に引き込まれていたと思っていただきたい。
 午前の客の案内が終わってお昼過ぎ。本を抱え、俺はサンシャイン通りのドトールに入った。地下の禁煙席のソファ席を陣取り、アイスコーヒーを傍らに俺は頁をめくり始めた。
 まわりの席の話し声や笑い声が聞こえなくなるほど、その世界に入り込んでいくのにさして時間はかからなかった。

 どすん。
 俺の左側にはテーブルとテーブルの間を遮る“ついたて”があって、自分のおしりで風船でも割るのか、というような勢いでその向こう側に一人の中年女性が座った。その振動がこちらに伝わってきて、俺は感動の世界から一気に現実に引き戻されてしまった。
 青いワンピースに決して整っているとは言いがたい髪形。眉間のしわ。そして何より強く感じる怪しオーラ。その女性が“ちょっとヘンな人”だということはすぐに分かった。ついたての向こう側でなにやらぶつぶつと不平不満をぶちまけていて、トレーの上のコップを“故意に”床に溢していた。
『ああ、また“呼んでしまった”』
 俺は思った。
 手元の本は今まさにクライマックスから感動のエピローグへと突入したところ、残り2、3頁という大事な場面だ。
 彼女が口走る言葉はやがて“ぶつぶつ”ではなくなり、どちらかというとぎゃーぎゃー怒鳴っている、というような風情になった。まわりの客もいぶかしげに彼女を見遣っていた。
 俺は感動の世界に舞い戻ろうと本に眼を落とすが、同じ行を繰り返し眺めているだけで、ちっとも身が入らない。ついたてのすぐ隣では中年女性が叫び声をあげている。俺、泣きそう。
 ほどなくして女性店員が現れ「遅くなりまして申し訳ございません」と澄んだ声で言いながら中年女性のテーブルにクロワッサンを置いた。
 どうやらこの“ちょっとヘンな中年女性”は、自分が注文したクロワッサンが出てくるのに時間がかかり過ぎていることをかなり御立腹のようだ。女性店員は引きつった表情で何度も詫びているが、中年女性は「出すのが遅せえんだよ」「こっちは金払ってんだ」「金返せ、ばか」 ――異常なほどの金切り声で何度も繰り返していた。

 俺は『精霊流し』の感動のラストシーンを、この中年女性にブチ壊しにされた。怒りがわき起こった。
「金返せ、ばか」
 本気でそう言いたい気分だった。



2001年09月11日(火) 本当は昨日の続きだったのだが……

『ジャングルテレビ』なんていうノー天気な番組を観ていたら突如として画面に筑紫哲也氏が現れた。

 アメリカでの連続テロ事件。

 続々と眼を釘付けにさせられるような映像が映し出され、気がつけば深夜。だから今日はもう寝ます。本当なら昨日の続きの話を、と思っていたのですが、それはまた今度。ああ、ねむ。



2001年09月10日(月) さだまさし『精霊流し』に三度泣いた。

 さだまさし『精霊流し』に三度泣いた。

 フォークのスタンダードと言ってもよい名曲『精霊流し』ではなく、ここでは最近出版されたばかりの本格書き下ろし小説、さだまさし著『精霊流し』を指します。
 なんや聞くところによればテレビ番組『ほんパラ!関口堂書店』とかいう書籍紹介番組の中での企画で生まれた本であるらしく、さだまさしファン歴23年のこの俺がうっかりその企画が進行していることすら知らなかった。7月某日のさだまさしメールマガジンでそのことを初めて知り、8月末の発売をそれはそれは首長竜となって待っていたのでした。

 厚さ2センチちょっとのハードカバー、約400頁。実に久しぶりにこんなごっつい本を買ってホンの一瞬だけひるんでしまったのだが、ページをめくってしまえばあっという間に引き込まれ、読み始めてから3日もしないで読み終えてしまった。
 もちろん、俺にとって“さだまさしが書き下ろした小説”という点がなにより親しみやすかった。自伝的小説であり、八編の短編小説は当然『精霊流し』というバックボーンに沿って描かれているのだが、実はこれらのほとんどが、さだまさしのコンサートでのMCで何度も語られている“名エピソード”であることは、さだまさしファンならすぐに気づく。そんなことも手伝って、一気に読めてしまったわけだ。

 三度泣いた。
 いや、正確に言うならば三度涙があふれてきた、が正しい。本を読んで涙を浮かべたのは倉本聰著『ニングル』以来である。『ニングル』はマジで涙が頬を伝うほどで、深夜までかけて読み通した名作だ。
 そしてこの『精霊流し』。
 まあ、さだまさしファンでないと書店で手にしにくい本かも知れないが、その中身は少年時代や青春時代の挫折や愛情をやさしく切り取った鮮やかなフォトグラフでもある。
 気が向いたら、書店で緑色の表紙を見かけたら立ち読みでいいから、第五話『精霊流し』を読んでみて。

(幻冬社 さだまさし『精霊流し』 1429円+税)



2001年09月09日(日) 3勝3敗に持ち込みました

 巨人―ヤクルト戦を夫婦で観に行った。
 もはや“首位決戦”などと盛り上がれる状態でないことは周知だが、それでも俺なりにこだわりがあったりして。そのこだわりを一機に羅列すると――
 ヤクルト戦、この時期で3タテがかかっている、桑田の先発、ヤクルト・藤井の先発、今季巨人戦観戦2勝3敗をなんとか五分にしたいエトセトラエトセトラ。

 結果は俺と同い年の桑田の熱投と松井の7回裏の一発が勝利を呼び込み、1―0という好ゲームでジャイアンツの勝ち。Yahoo!オークションで頑張ってチケットを手に入れた甲斐のあったゲームであった。俺自身の観戦成績も3勝3敗の五分。

 前述したが、俺にしては珍しく、今日を含めて今季はジャイアンツ戦を6試合観戦した。今までには無かったことである。昨年はわずか1試合、それも日本シリーズの日本一の瞬間(シリーズ第6戦)だけを観ている。なぜ今季に限ってこんなにムキになって球場に足を運んでいるかというと、まあいろいろある。
 そのへんのことは、いずれゆっくりと。

 だって、もう遅い時間なんだもん。



2001年09月08日(土) モノは試しということで。

 自分のHPを持って、その中でくだらない文章を書き続けてゆきたい――なんつーことは、それこそ世の中にまともに“インターネット”だとか“ホームページ”なんて言葉が浸透しつつあるころから考えていた。
 誰に頼まれたわけでもないのに、友人達と同人誌の一歩手前(いや五歩も六歩も手前だったに違いない)みたいな印刷物を作っては喜んでいた高校時代。
 誰かさんの真似をして、エッセイやら小説の偽物を掲載した個人誌を作り続けた大学時代。
 最近では、去年、『のづき歳時記〜風をあつめて〜』とかいう気まぐれメールエッセイを適当な人達に送り付けていた。
 長続きするとかしないとかはとりあえず棚の上の奥の方に押しやるとしても、結局俺はこういうことが好きなのである。
 で、“ここ”の存在を知ったわけで。
“ここ”で、俺はかつてから夢見ていた“自分のHPでくだらない文章を書き続ける”ことの疑似体験が出来る。どこまで続けられるのか、それだけの度量が“ここ”にあるのかはわからないけど、兎に角始めてみよう。


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