時々日刊たえ新聞
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2004年02月28日(土) 沖縄への旅6(3/20up)旅の最後

朝の目覚めはぱっちり。隣の布団のぽちくんも起きた。7:30になるとテレビのセーラームーンをつけた。この時も「ああセーラームーンね」てな調子で、わたしは価値がわかっていなかった。(笑)今思えば、ちゃんと見れば良かった!

朝の食事を作ってくれたのはぽちくん。野菜サラダとベーコンだったよね?爽やかに食事。わたしはお昼前に空港に着かなくてはならない。それで始動が早い。キララさんの家から国際通りは歩いて行けるそうだ。あの有名な国際通りが徒歩圏内なんだよ!すばらしいね。おゆみちゃんも改めて来てくれた。キララさんは朝は用事を足すことがあって後で合流することになった。キララ邸宿泊はとっても快適だった。気兼ねも無くのびのび〜。わたしたちは女学生のようだった。(ホンマかいな?^^;)キララさんありがとう!

ぽちくん、おゆみちゃんと3人で国際通りに向けて歩く。まずはサングラスが欲しい〜。二人に見立ててもらって無難な奴を買った。買った店は大城時計店。(記念に記しておこう)釣りの好きな男の子のために「海人」のTシャツGET。(笑)市場に入ると目に付くのは豚のばら肉かたまり。いい肉だなぁ。ブタの顔面の皮?が真空パックになって売っている。真空じゃなくてそのまま肉のついた顔もあった。おゆみちゃんが「涙の跡がある」と言った。熱帯魚のデカイのも売っていた。知らない食材・食料を多々見かけたが、沖縄を知ることはこれから始まるんだ。今焦ることはない。(笑)サーターアンダギーと果物(アテモヤ一個)と海人のタオル買った。
途中でキララさんと合流し、荷物を受け取り最寄のゆいレール駅まで送ってもらった。すべて徒歩圏内。ぽちくんたちはこれからロロンさんと落ち合ってどこかに遊びに行くそうだ。ぽちくん、はるばる来てくれてありがとう。短い時間だったけれど目いっぱい付き合ってくれて皆さんありがとう。楽しかった!!

ゆいレールに乗ると目の前に札幌から一緒に来たN牧師夫人が座っていた。わたしがサングラスかけていたから声を掛けそびれたらしい。(笑)ご挨拶して空港に一緒に降りた。すでに同行者たちは空港に着いていてしばしの別れの後の再会を喜んだ!皆さん家に帰れる喜びが滲み出て顔が明るい。でもね、実は金曜日に発熱した方がいて、その人には辛い帰路になってしまった。持病を持っていることを聞いていたので、無事に家に帰れますようにと祈った。新千歳空港に着いた時は安堵した。羽田から千歳に向かう便の中で隣に座ったMさんから一通の封筒をいただいた。封筒には「少ないですが携帯電話代に使って下さい、感謝」とあって現金が入っていた。15人の皆さんが下さったものだそうだ。この旅の間一番恵みをいただいたのはわたしだと思う。比較的若いというだけでリーダーシップを取らせてもらったが、むしろ労いの言葉をいただき特別優しくしていただいたように思う。だから恐縮してしまったが皆さんのお気持ちを感謝していただいた。こんな旅は滅多に出来るものではない。いつまでも心に残るだろう。
旅を終えて今もまだ、旅の同行者からお便りをいただく。写真もいただく。(わたしほとんど写真を撮っていない)懐かしく楽しく思い出す。すべての人に、そして神さまに、たくさんの(^3^)/〜☆を送る。ありがとう!(おわり)


2004年02月27日(金) 沖縄への旅5(3/20up)長〜い一日

さぁ、大会最後の日だ。朝礼拝、閉会礼拝と続く。閉会のセレモニーは感動的だった。参加者がハンカチに平和のメッセージを書いて持参していたが、そのハンカチが3本のロープに結ばれて二階席から下ろされ、参加している子どもたちとお母さんが手を繋いで引っ張って、ステージの大きな十字架に繋げられた。頭上に万国旗のように垂れる色とりどりのハンカチ。今回の大会のテーマは「シャローム!平和のかけ橋になろう」それを象徴するような演出だった。
もう一つ心に残ったのは、アジアバプテスト女性連合(20ヶ国加盟)の次期会長が、日本バプテスト女性連合の村上千代さんになったこと。わたしたちにも親しみのある方だ。アジアにおいて初めて日本から会長が選ばれたということに、たくさんの意味が込められていることを感じた。アジアの女性にとって、この59年は日本のクリスチャン女性との共同の働きを通して和解を進める年月だったに違いない。わたしも「日本の」クリスチャンであることを否応無く感じさせられた。5年後の大会はインドで開催されることも紹介された。今度はインドに行こうなんて声もすでに上がっている。ちょっと待って!(笑)

全プログラムが終わって皆名残惜しそうに外の広場で挨拶しあった。わたしも今は遠くに転居された方々と立ち止まって言葉を交わした。時にHUGした。たとえお別れしてもきっとまたお会い出来る、そう確信出来ることは幸いだ。

この後同行の皆さんはバスツアーに行く人、独自のお遊びに繰り出す人と・・・気分は観光モード。もう一泊して翌日帰路に着くことになっている。わたしは一人別行動で、すでに荷物をまとめてホテルの部屋を引き払ってきた。ネットで出会ったキララさんの家に泊めていただく。その前にKyanさんとお会いする。KyanさんはわたしのおねだりにNOも言わず、会場にお迎えに来てくれてキララ邸まで送ってくださることになっている。ありがたや。ネットでお会いして5年以上経った。北海道にはごきぶりがいない(少なくともわたしの周りには)、子どもたちは生まれてこの方ごきぶりを見たことが無い、という話を交わしたのが出会いだった。「仙人」とも「ご隠居」とも言われるKyanさんがどんな人かは会ってみないと納得出来ない!(笑)メールが来て、会場隣接の体育館の駐車場に向かう。あ、いた!何とも言えない。(爆)いや、一言言おう。若いじゃん!誰よ老けているって言ったのは。(笑)恥らいもほとんど無く、旧知の間柄のようにしっくり。(笑)

Kyanさんの運転する横でKyanさんからいただいた物をさっそく開く。CDの入ったアルバムファイルで、セーラームーンのCD-Rが入っていた。レーベルの画像が、Kyanさんってかなりやばいかもと思わせるが、口には出さない。これがどういうお宝か、実はこの時はよくわからなかった。しかし後日、この贈り物の価値がよくわかるのであった!o(^o^)oキララさんちのパソコンのメンテナンスの取り扱いCD-Rも一枚あった。(これはキララ邸に置いて来た)

A&Wというハンバーガー屋さんに寄った。エンダーって言うんだって。駐車場にマイクがあって、車に乗ったまま注文して、お店からまっすぐ伸びた通路?を通って品物持って来てくれて、車の中で食べれる。札幌にはない文化だ。アイスコーヒーとハンバーガー美味しくいただいた。Kyanさんが飲んだ飲み物、一昨日まで覚えていたんだけど、何て名前だっけ?薬みたいな変な味の。(沖縄では一般的な飲み物らしい)あ、思い出した!ルートビア!
キララ村までの道すがらキョロキョロしながら会話する。Kyanさんが掲示板で書いている通りの「仙人」であることをこの耳で確認した。(笑)ゆいレール(モノレール)に対する民俗学的・工学的な見解は心に残った。(笑)
キララ邸に着くと上から懐かしい声が聞こえる。大阪のぽちくん!わたしの旅行に合わせて大好きな沖縄旅行を敢行してくれた。隣には初対面のキララさんがいる。黄昏の午後、熟女二人がベランダから手招きしている。おいそれとKyanさんを逃すわけがない。キララ村に引きずり込んだ。(笑)そしてキララ村パソコンの無料メンテナンス!
もう細かいことは書かない。だが一つ。(笑)ぽちくんが撮ってくれたツーショットの携帯画像が巷に流れていることと思うが・・・つくづく親子写真みたい!仙人Kyanさんが息子ね。だとしたらわたしは鬼婆かい!?(笑)

キララ村に熟女が3人。キララさんは小柄な人だと思っていたけれどそうでもない。(笑)キララさんは口数が少ないと思っていたけれどそうでもない。(笑)キララさんは巫女さんのような人かな?と勝手に思っていたが、そうでなくても不思議ではないと思っていたので、驚かなかった。(笑)いや、巫女さんにも見えるぞ。わたしには「謎」の人であったので、謎が解けたことが何よりうれしい。今ではユニークな人!と思っている。(笑)
この熟女の中にロロンさんという「いい男」と、おゆみちゃんという「瑞々しいお姉さん」が加わって宴が開かれた。いったい何から書こうか?印象的なこと全部書いていたら、ここの容量を超えちゃうかも。(笑)
ロロンさんとは、ぽちくんとキララさんを通して出会った。ロロンさんが撮る海や空や道や木々には、いつもいい風が吹いている。何度でも飽きずに見る。生活圏を撮った画像は、息遣いが聞こえてくるようでワクワクする。いや全て生活を切り撮っているように思える。珍しいものを見せてもらっているのではなく、日常的なある場面の連続だけど、カッコもつけていないそのままで尊いシーンなのだ。

おゆみちゃんは知る人ぞ知るキララ村の元管理人、キララさんを知る以前におゆみちゃんと出会っている。智恵と才能とセンスを持っている。何のかって?Webのデザインや漫画やイラストにそれを感じる。若いけれど、年齢差を感じさせてくれない。(爆)熟女3人+男1人をおばさん&おじさん扱いしないんだよね。(笑)
ぽちくんも知る人ぞ知る大阪のいい女。会話を聞いていたら沖縄の人に思える。沖縄の習慣、言葉、料理、交通、すべてに通じているように思う。沖縄をこよなく愛しているんだってわかる。沖縄料理、ふ〜チャンプルーはぽちくんが作ってくれた。
よし、ここでキララ邸豪華メニューのご披露。オリオンビールで乾杯ね!(おゆみちゃんも持ってきてくれたんだけど、わたしはキララさんを道連れにしてオリオンビール買いに行った!周辺の道を知ることが出来た)
まずわたしがいただいたのはロロンさんご持参の「バクダン」なるもの。大きなまん丸のカマボコみたい。切らないで食べてごらんと促されてガブリ!中身はおにぎりでした〜。真ん中にはシャケや梅。これは沖縄名物なんでしょうか?美味しいね。一個食べたらかなりの満足感。キララさんの作ったラフテー、柔らかくてよく味がしみている。ゆし豆腐・・・崩れた豆腐に見えるんだけど、型に入れて固める前のお豆腐なんだって。温めたお豆腐の上に小ネギとおかかをかけていただいた。ツルンツルンと幾らでも食べちゃいそう。ぽちくんのふ〜ちゃんぷる〜は、もやしを入れて大きな麩が入っている。もやしが札幌のとは違うな、長くて太くて美味しい。味付けGood!それからお刺身盛り合わせ。これは誰が用意してくれたんだろう?ロロンさん?マグロが旨かった!(笑)ハマチも旨いね。(笑)何て魚なのか、色鮮やかな身はコリコリしてた。わたしはうなぎ寿司を作った。材料はキララさん持ちね。キララ村に向かっているおゆみちゃんに生しょうがと青じそと白ゴマを買ってきて〜と指令を飛ばして作ったけれど、うなぎ寿司は、キララ村の冷凍庫に大方収まった。キララさんしばらく炊き立てのご飯食べることができなかっただろう。すいません。(笑)
飲み物はビールの他に泡盛二種。ロロンさん秘蔵の阪神優勝記念?泡盛とキララさん秘蔵の泡盛。もちろん水割りね。ロロンさんは大酒飲みでもなく、程よい口だね。酒飲み女3人(キララさん除く)はチビチビダラダラと飲んだね。それから沖縄のぜんざいいただきました。キララさんが砂糖と時間をたっぷりかけて、小豆じゃなくて金時豆煮てくれていた。それを下に敷いてカキ氷を乗せる。ベランダのガラス戸を開けちゃいたけれど、ちょっと寒い夜、泡盛横に置きながらぜんざいサクサク。(笑)この他にサラダがあったように思うんだけどどうだっけ?ぽちくんがお土産に持ってきてくれた中華まんじゅう?心残り。(笑)

何を会話していたかって?楽しいかったことは覚えているんだけど、事細かに覚えていないや。少し酔っていたかな。ロロンさんに、メールのやり取りでわたしが「核心に至ると話を逸らす」と指摘されたことは覚えております。m(__)m かなりシビアな政治論だったために、無意識に気まずくなりたくなくて、意識して避けていたかもしれません。懲りずに吹っかけてみて下さい。今後善処します。(笑)

車で来たロロンさんを、ご家族皆さんが別の車で迎えに来て、ロロンさんと車を連れ帰るらしい。それをベランダから眺めていて「何ていい家族なんだろう」とつぶやいたわたしたち。(笑)
ぽちくんとキララさんには、去年の5月の旅行取りやめのハプニングも乗り越え、やっと会うことが出来たと言うのに、やっぱりわたしは布団に入ったら即座に寝ちゃいました。思えば東京でぽちくんとホテルに泊まった時もそうだった。盛りだくさんの一日の最後は眠りが早い!健康って言えば健康なわたしの体、感謝して眠れることの幸い。(笑)みんな歓待してくれてありがとう!


2004年02月26日(木) 沖縄への旅4(3/15up+16up+18up)

大会三日目。昨夜宿舎に早く帰ったのが良かったのか、わたしは朝から力がみなぎっていた。ウルトラマンの復活のごとし。(笑)思うに、札幌組は沖縄に入るまでを16人という按配のいい人数で一致協力して過ごして来たことの方が印象的で、大会に参加するとその規模が大き過ぎて自分たちの存在価値が希薄になって、半ば気後れしているような現象が出ていた(わたしの感じ方ね)。沖縄に来て観光の一つもしていない、そして集会に出てもお客さまのような気分、体も疲れた、そんな倦怠感が色濃かったけれど、三日目(札幌出て四日目)は皆さんまずまずいい笑顔。わたし、すでに修学旅行の引率教師のような気分。(笑)そうそう小学生のお嬢さんと一緒に来たSさんは、この日のプログラムを休んで、那覇方面に遊びに行った。うん、お楽しみもしなくちゃ、行っておいで〜。

朝礼拝そして聖書研究という名の集会が続く。若い女性牧師のまっすぐなメッセージが清々しい。第二コリント5章18節より「一方通行の和解」
集会が終わる12時にLukeのママとLukeが、迎えに来てくれることになっている。ネットで出会って5年ぐらい、Lukeたちはアメリカに住んでいたけれど、ダディの仕事で去年アメリカから沖縄に来た。ADHDという特異さを持っているLukeと、LDという特異さを持った我が息子さんちゃん、似た行動がたくさんある。(笑)ママとはクリスチャンという同類項があって神さまのことをゆったり話すことが出来る。そんなわたしたちが初対面!向う側を歩いてくる少年と日本人風の(笑)女性、あれはまさしLukeとその母に違いない!迷うことなく手を振った。

いつもそうだけど初対面でもほとんど緊張感がない。すでに出会っている人と会うのだから。イメージしていたのと大いに違うって人はまずいないしな。いや、一人いたな。(ニヤリ)
Lukeは11歳、キュートな部類のハンサム!英語を話す彼と日本語しか話さないわたしが、直接たくさん会話することはなかったけれど、それはそれで良かったに違いない。彼はわたしに質問されても答えに困ったと思うんだ。(笑)子どもとは一緒にいるだけで楽しい。
ママとの会話は終始のんびりしていた。彼女は英語が上手です。(爆)ママの運転する赤い車に乗って、これからレストランに連れて行ってくれると言う。うん、行こう!15時までわたしはフリータイムなのだ。
連れて行ってくれたのは「MCCS」というゴルフレッスン場のレストランだった。米軍基地に隣接していると思われる。Lukeもダディに連れられて時々レッスンに来るそうだ。Lukeは子犬のように付いたり離れたり。(笑)お店ではガラス張りのテラスみたいな一角に座った。ボーイさんが若くて礼儀正しくて親切だった。入り口で天ぷら揚げていたのを見たので大人は天ぷら!Lukeはシーフードのサンドイッチ。(ハンバーガーだった?)運ばれたサンドイッチはフライドポテトの量が多い!わぁアメリカだ!(笑)わたしLukeにおねだりして賞味いたしました。(笑)天ぷらも何て量が多いの!?一皿全部天ぷら!!シュリンプはダメなのとママがわたしにエビの天ぷらくれた。わ〜い、わたしは大好きだよ!(爆)沖縄に来て朝こそ好きなお料理を好きなだけいただいていたけれど、昼と夜はお弁当ばかりで温かいお料理が恋しかった。沖縄の揚げたて天ぷら、生涯忘れない!(爆)デザートはショーケースの中から好きなケーキを選ぶことが出来る。レアチーズケーキにした。これも大きい。お店の女性(日本人)がテーブルに来てコーヒーを注いでくれ、気楽にお話をした。アットホームなお店だ。沖縄の人のテンポっていいね。これが沖縄の人の特長なのか、このお店の特長なのかわからないんだけど。そうそうLukeはプレゼントしたオカリナをさっそく取り出して挑戦!すぐにドレミファソラシドを吹いていた。すごいぞ!(微笑)レジの女性はLukeのママと同じ名前(珍しい名前なんだけどね)、だから二人はすでにお友達だそうだ。ドルでの支払い、おいくらだったのかわからない。(^^;)ご馳走さまでした。>Lukeのママ   

あ、お店を出たところに英字新聞の販売ボックスがあってね、それがかっこいいのでママにお金出してもらって開けて新聞手に入れました。(笑)

Lukeのママに「たえさん、基地に入ることに抵抗ない?」と聞かれて「ない。入りた〜い」と答えた。沖縄に米軍基地があることは沖縄の人々に苦難を押し付けていることだと思っている、しかし基地に入ってみたいという好奇心は大いにある。(笑)ゲートの横で免許証を提示。係の若い男性は日本人のナイスガイ!濃いサングラスかけてかっこいい。気楽な会話を交わす。だけどしっかり身元は記録してました。(笑)
入った辺りは丘陵地帯で車道が広くて田舎の町って風情だった。映画館やスーパー、ピザ屋さん、ハンバーガー屋さんなどがあった。すれ違う人が皆アメリカ映画に出てくるような人たちだった。(笑)
スーパーに入る時ママはサインをした。ゲストのわたしは終始リラックスして、好奇心で何を見ても面白かったけれど、国際情勢を考えれば基地の中はわたしが感じる以上に緊張度が高いに違いない。スーパーで買物をする時、ママはカードを自分で機械に通し、モニターにサインをした。クレジットカードを他人の手に渡さないってのが鉄則らしい。日本もだんだんそうなるでしょうねとレジの女性(日本人)が教えてくれた。
ママの運転で丘陵地帯を下って行く。目の前に青い海が広がっていた。なんてすばらしい景色だろう。海沿いの国道を何度かバスで往復したけれど、その時には沖縄が海に囲まれた小さな島であることを感じなかった。基地の中で十分に感じた。のどかな風景の中でうっとりしたけれど、世界は戦争の真っ只中にあるんだ。
ママの運転はGoodでした。(笑)でもね、赤信号なのに左折しようとするのはやめようね。(笑)アメリカでは通る車がなければ行ってもいいんだって。ホンマかいな?ま、合理的ではありますが。(笑)
15時前にはコンベンションセンターに着いて一緒に会場の中に入った。札幌の仲間に紹介する。後でootaちゃんが「彼女(Lukeのママ)、たえちゃんに感じが似てるね」と言った。そうかも。(笑)もっと早く声をかけて集会に気楽に足を運んでもらえば良かったなぁ。世界のどこに行っても人と人は心を通い合わせることが出来るってことを集会でもLukeたちとの逢瀬でも思った。
Lukeはこのままで十分美しい。たくさんのご好意ありがとう!!>Lukeとママ

15時からのプログラムは最後のプレゼンテーションと「沖縄の夕べ」←これ良かったなぁ。沖縄の踊りや歌が披露されて、エイサーの威勢のいい掛け声が響いた。別の建物のアリーナ会場には一同が会して食事する用意がされていた。1000人以上の楽しい夕食会の最中、札幌から仕事の電話が入ったのは不意打ちで、現実に戻された。(笑)旅行に出て以来、自分には職場があるってことも忘れていたワ。(^^;)


2004年02月25日(水) 沖縄への旅3(3/13up)集会三昧

沖縄の夜明けは遅い。目覚めた6時、カーテンの向うを覗くと漆黒だった。だんだん明るくなってわかったんだけど、ベランダから見える右半分は海、左は畑らしい。後でわかったがサトウキビ畑だった。遠くの街の辺りが明るいけれど、ホテルの前はあくまでも暗い。このホテルの部屋からは夕日が美しく見えるらしいんだけど、結局ここから一度も夕日を見ることはなかった。毎日夜遅くまでプログラムが続いたので。

朝食は毎日同じレストランでバイキング。3回いただいたが飽きなかった。まずは果物とジュース、品数多くて見た目も美しい。わたしは朝の牛乳は必須ですが、ここでいただいた牛乳は薄めであっさりした美味しさ。グチャグチャのスクランブルエッグ(同室者には不人気でしたが)、わたしは毎朝必ずいただいた。(朝に卵を食べるのが好きなのです)それからふかしただけの紅芋に味噌をつけていただくのが美味しくてこれも毎朝。朝からラフテーもいただいてにんまり。柔らかい!小さなパンが日替わりで何種類か出たが、紅芋やゴーヤやマンゴーやパパイヤや・・・色と微妙な味で楽しませてもらった。それと大根おろしと梅干も毎朝いただいた。Good!総じて沖縄でいただいたお料理は味付けがあっさりしていて、わたしにはどれも美味に感じた。

さて集会に参加するわたしたちを乗せてバスがホテルを出発したのは8時頃。仕事に出る時間より早かった。(笑)9時から朝の礼拝が始まった。すべての場面で日本語の後には英語の通訳が続く。通訳の奉仕をしてくださる女性の何て堂々としていること。クリスチャンの若い日本人女性たちの聡明さ、明るさが気持ちがいい。この集会にはアジアの18の国から女性たちが集まってきたが、多くの皆さんが民族衣装を着ていた。タイの若い女性が、黒くて張りのある素顔で、頭と体に色鮮やかな布を巻いて、とっても明るくて人懐こく話しかけてくれた。言葉はわからないけど、握手&抱擁。(笑)世界中の人と自由にお話が出来たらどんなに楽しいことだろう。礼拝でも聖書研究の時間でも、英語の部分になるとウトウトしてしまったが、これは連日の旅の疲れが出て、理解できない言葉に対しては集中出来なかったためと思われる。(笑)

午後の時間が始まる前にKyanさんに電話をする。月曜日にお会いするはずだったのをキャンセルしてそのままだったのだ。電話が通じると第一声が咳き込んでいる声だった。「どうしたんですか?」と聞くと「ちょっと喘息で」・・・まさしくKyanさんなのであった!(^_^;)金曜日の午後に会っていただけることになってウキウキ。キララさんにも電話する。よし!これで憂いなく後の集会に参加出来る。

この日午後の集会は10幾つかの分団に別れての学びや交流の時間。わたしは第6分団の「沖縄戦からの証言」に参加。沖縄の二人の女性の証(お話)を聴いた。一人は海軍の看護婦、一人は「ひめゆり」で生き延びた女性。二人とも敗戦の頃10代だった。艦砲射撃を受けて目の前の友人同僚が亡くなって行く。「カンポウ射撃って何だろう?」とぼんやり思った。カンポウは「艦砲」であって、アメリカの軍艦が海から沖縄本土に大砲を打ち込んむのだと後から聞いた。(教えてくれたのはKyanさんでしたっけ?)お二人が体験を話されると質疑応答が始まったが、その中で印象的だった発言が二つ。(もっとたくさんありましたが)一つは、大阪から来た年配の女性。証したお二人と同世代で、大阪の女学生であった。学徒動員で彼女は手榴弾を作った。その手榴弾は沖縄に送られると聞いた。この手榴弾は接近戦で使われるのだから、不発になっては困る、確実に爆発しなくちゃいけないんだと思って心を込めて作ったと言う。その手榴弾が、多く沖縄の人々が自害するのに使われたのです・・・と発言された。もう一つはインドの周辺(?はっきり聞いていなくて残念)から参加された人の発言「沖縄の悲劇は、多くのアジアの人たちにも理解できることです。わたしたちは許すこと・和解することが出来るのです」というような中身だったと思う。生きている者を励ます言葉が語られ、応答があるってことに心染み入るものがあった。

その後は各国からのプレゼンテーションだった。日本のプレゼンテーションは99匹の羊と1匹の羊の話だった。実はわたしも出演依頼を受けていたんだけど、知らん顔して出なかった。(ごめんなさい)練習に参加するのが面倒でして。言い訳です。

プレゼンテーションが始まると、函館から飛んできた者の多くが居眠りをしているのに気付いた。そうだよなぁ。月曜日の早朝から行動して、毎晩宿に着くのが遅くて慣れないベットに寝ている、疲れもピークに達しているように見える。昨夜のように9時過ぎ集会終了、ホテルに10時過ぎでは体がもたない。大会役員の村上さんにお話して札幌の者は途中で抜け出すかもしれないことをお伝えする。そして実際、車2台分コンベンションセンターを抜け出して、ホテルに早めに到着した。ホテルのお土産物屋さんが開店しているのに出くわして、皆でお土産を漁ったがこれも元気回復の良き素だったかも。(笑)


2004年02月24日(火) 沖縄への旅2(3/4up)

↓前日の日記で朝食バイキングが美味しかったと書いたが、わたしにとっての一番の目玉はイカ刺しであった!口に入れると、柔らかくて甘くて「これぞイカ刺しだ!」朝からイカ刺し食べれる幸い。(わたしイカ・エビ・ホタテ等など大好物。嫌いなものがあるの?と聞かれたら答えに窮しますが^^;)あ、イカリングもあったよ。これも美味いんだ!

函館を出発する飛行機は昼過ぎだったために、思いもかけず函館見物が出来た。明治館という倉庫様の物産館に行った。今回の旅には小学3年生の女の子が一人いて、お買物好きな彼女の目を楽しませんがため。(笑)いや、大人の方が喜んでいたけどね。16人の旅行団の中には70歳以上の方が3人いたけれど、皆さんお元気。さらに持病を持っている方もいたけれど、まずまずお元気。みんなパワーがあるなぁ。
わたしは、明治館にいても新千歳のJTBに電話したり、東京のIさんからの指示を受けたりして電話三昧だった。でも函館から飛べる目処がはっきりついて、心は弾む。実際に函館→羽田→那覇はほとんど遅れもなく順調なフライトだった。沖縄本島の姿を見たとき、やっと来た!の思いで少なからず心騒ぐものがあった。(笑)

空港から4台のタクシーに分乗して宜野湾コンベンションセンターに駆けつけた。すでに開会礼拝は終わって、1日目の賛美の夕べの集いが始まっていた。大会役員の村上さんの穏やかな笑顔の歓迎を受ける。わたしたち16人のために心を砕いてくださったことだろう。この大会はボランティアも含めて1400人程の参加で行われた。日本の札幌から来る16人が遅れたとて何の支障があろうか。しかし、手を広げて待っていてくれる人のいることは何てうれしいことだろう。この日の集会のプログラムが終了し、それぞれの宿泊先に向かうバスに乗り込むのには時間がかかった。貸切バスがいっぱい!16人のアットホームな集団が移動するのとは違うなぁ。会場から小一時間ほど離れた残波岬ロイヤルホテルに着いたのは22:30を過ぎていた。沖縄に着いた感動はあったけれど、これからの集会の長丁場なのが予感されて一抹の不安がよぎった。(笑)

それから、4人部屋に落ち着き、相棒ootaちゃんとわたしは大浴場に繰り出した。わたしたちは浴場の前にコインランドリーがあり、生ビールの自動販売機があることを見逃さなかった。洗濯機回しながらしばしビールで歓談、この楽しみが毎夜繰り広げられたのである!


2004年02月23日(月) 沖縄への旅1(3/3up)

3年前から「沖縄に行くよ〜」と吹聴してました。「アジアバプテスト女性大会」というクリスチャン女性の集会に参加するために。2年間教会で積み立て貯金をして旅費を用意した。当初は去年の5月に予定が組まれていたけれどSARSの流行で1ヶ月前に中止になった。規模が大きい集会なので新しい計画は難しいだろうなと思っていたら2月24日〜27日で開催することが5月には決まった。恐れ入った。

2月23日(月)朝、吹雪の中、札幌を中心に道内の女性16人が新千歳空港に集結した。しかしついに飛行機は飛ばなかった。飛行機が欠航になる時の一つの経緯を記しておこう。(笑)搭乗案内に促されて飛行機に乗りシートベルトも締めてゲートも閉まって、さぁ出発。しかし飛行機は動かない。機体に凍結防止のスプレーを吹き付けているとのこと。えっ、どうやって?(窓には雪が貼りついて外が見えない)大分たってから「この飛行機はただいまより滑走路に向かいます」という案内にホッ。しかし少し動いて停まった。「路面が凍って滑走路へ自力で移動出来ないので牽引する車を待っています」というアナウンス。しばらくするとさらに「牽引する車がこちらに到着することが出来ません」というアナウンス。滑走路に出ようという意気込みは感じられたんだけどね〜。(笑)窓の雪が解けて外が見えた。一面横殴りの吹雪、機体が揺れているような気がする。
機内にいるうちに羽田の乗り継ぎ便には完全に間に合わなくなった。そのうち「本機は本日の飛行は無理と判断し、欠航とします」と機長アナウンス。一斉に皆さん立ち上がった。本当なら乗り継ぎ便で羽田から沖縄に飛び立っている時間だった。結局この朝、新千歳空港からは一機も飛ばなかったと思う。(何便か飛んだというのは本当でしょうか?)
さぁそれからが苦難の半日の始まりだった。新千歳のJTBはあくまでも代行の窓口で本来の旅行取扱は東京なのだ。東京に電話して担当者のIさんと便の変更を交渉する。以後この方とわたしの携帯はホットラインのように交信しあった。15時まで待っても飛行機が飛ぶ様子はなかったし、明日の便だって確保が難しいのがひしひしと感じられた。たくさんの人が空港に溢れていた。札幌との間のJRが停まっている。高速道路が閉鎖されている。空港の近くの道路で事故があって、一部通行止めになっている。どうせ動けないのだから腰を据えてIさんの連絡を待った。が朗報は入らない。便の手配に苦戦していることが想像出来た。

実はわたし、この日那覇空港でネット友のKyanとお会いし、おねだりして北谷方面に送っていただき、Lukeとそのママにお会いするつもりだった。Kyanさんにメールし、Lukeのママの逗留先に電話するがどちらもすっきり通じない。メールを打っている途中で電話がかかってくること再三。電源が残り少なくなってきた。気が揉めたが、何とか伝わっているだろうと楽観した。お二人さん、お手数&ご心配かけてごめんなさい。

15時過ぎIさんより提案を受けた。1、明日(火)の昼過ぎの函館→羽田→那覇で夕方遅く沖縄入りする。2、水曜日の午前中の新千歳発→羽田→午後沖縄入り。このどちらかを押えることが出来る。どうしますか?
皆を招集して意見を聞く。その時JRの特急もまったく動いていない。どうやって函館まで行こうか!?(教会のメンバーに電話して良い手段がないか調べてもらったが無かった)果たして明日の昼までに函館に行けるだろうか!?う〜む。それぞれ会社を休み、留守宅のあれこれを整えて(わたしは整えていないけれど)家族に手を振って出発してきたわたしたちは、今日どこに泊まろうが良い、1日でも早く沖縄に辿り着いて少しでも早く集会に参加したい!そんな熱意に溢れていた。「何とか函館まで行こう!」わたしが煽動したわけじゃない。そう熱望する者がいて、皆の心をその気にさせたんだと思う。諦めないってことはすばらしいことだと思う。(^^)ひとまず特急の停まる南千歳まで行こう。みどりの窓口に並ぶとチケットが買えた。買えたってことは特急が動く見込みがあるんだと無邪気に信じた。そして本当にそれからしばらくして函館行きの特急が動き始めた。列車に乗り込んだのは夜8時過ぎ。一同安堵して列車の揺れに体を任せた。函館のホテルはJTBのIさんに予約してもらった。23:10頃函館着。Iさんは家にも帰らず、わたしたちの移動を見守って下さった。ありがとう。ホテルに到着して心底安堵した。函館に送り届けて下さった神さまに感謝した。同室になったootaちゃんと感謝の(ビールの)乾杯しました。(^^;)皆さん翌朝「良く眠れた。函館に来れて良かった!」と明るい。朝のバイキングが美味しかったからでしょうか?(笑)


2004年02月14日(土) カラオケ

さんちゃん、この頃教会の21才仲間とカラオケに行ったり飲みに行ったりしている。同年齢が4人集まってツルンでいるのを見ると何とも微笑ましい。わたしから見るとこの4人は4人とも「優等生」でなくむしろ「はみだしている」ように見える。(笑)さんちゃんは言わずもがなの宇宙人。一人は「自分は心の病気だった」と今ではさらっと言う。彼が小学生の時を知っているが、その後の苦しんでいる時期を知らずにいたのだ。何の力にもなれなかったと思うけれど、知らなくてすまなかったなと思う。もう二人は定時制高校を卒業したナイスガイなんだけど、如何にも世渡りが下手。人懐こくておばさんにも話しかけてくれる。おばさんをちゃんと相手してくれるってだけで、異色だよね?(笑)
それでさんちゃん、カラオケづいちゃったらしくて、しきりに「カラオケに行こう」とわたしを誘う。(笑)今日それを果たした。いりちゃんも一緒ね。1曲100円(そこは時間じゃないんだね)だったから27曲ぐらい歌った。さんちゃんのオンチなこと。音程が違っても決して合わそうとしない。(笑)ただし音程さえ合えば結構上手い!いりちゃんは、前に二人でカラオケした時より上手になっていた。いつどこで練習したんだ!?(笑)本人の言うには自室で歌っているそうだ。
今夜わたしが歌った中では「恋の季節」(byピンキーとキラーズ)と「わたしは泣いています」(byりりぃ)が受けた。(笑)「さくら(独唱)」と「世界に一つだけの花」を是非マスターしたいと思う。(^^ゞ次回はゴールデンウィークに行こう!(^_-)


2004年02月13日(金) ケーキ作り

明日のバレンタインデーのために今夜はチョコレートケーキ作り!娘の力が入る。彼女自身が学校帰りに足りない材料を調えておくことになっていた。ガトーショコラとチョコブラウニーがすでに出来上がっている。かなり上出来。いえ、わたしがかなり手伝ってます。(笑)
あげたい相手はもちろんS君。中学時代の恋はまだ健在。「わたしの心は変わらない」なんて娘は言うけれど、「絶対なんてことはないね」「変わって当然」などと意地悪を言うわたし。(笑)もてない学生時代を過ごしたわたしのひがみですって!?(夫の言)そんな〜!(^_^;)


2004年02月11日(水) 雪祭りと絵とギター

昨夜は早々に寝て、優に9時間は寝たと思う。(笑)朝の目覚めは爽やか。夫と息子は祝日も出勤だ。ご苦労さま。ご苦労さまだけど、殊勝じゃないわたしは、自分が休みであればそれだけでラッキー!うれしい。フルタイムで仕事を始めてから祝日はわたしには大変貴重な休日。
この貴重な休日、娘と雪祭り最終日の見学に行くことにした。雪祭りに行って何をするというわけではないが、ほぼ毎年雪祭り会場に足を運んで必ずすることは、特設郵便局にて、全国各地のステキな切手を購入すること。子供も良くわかっていて「郵便局あるよ」と教えてくれる。今年も買いました。(^^)v
雪祭り見物後はパルコの8階で昼食。名前は忘れたけれど、盛り付け方もお上手、お味もいい店だった。デザートのヨーグルトムース旨かった!ひとまず二重丸!(笑)
娘に付き合って4プラ(大通りの中心にある、たくさんのお店が入ったビル)の自由市場を覗いたら、心を引き付けられる絵があった。上原光子さんという人の絵。素朴で温かい。原画じゃないけどね。「だいすきなうた」「わたしのすきなもの」この二枚衝動的に買ってしまった。
その後楽器店に行った。わたしがオカリナが欲しいのと、いりちゃんがギターを物色したくて。フォークギターが一番安くて9,800円だった。思ったより安いね、よっしゃ!買っちゃる!(笑)太っ腹な母。σ(^_^) ギター見るまで買ってやる気はなかったんですがね〜。わたし娘に甘いかも。(笑)
お店のおじさんが大変親切で、初心者には初心者なりの調整をしてあげると時間をかけて調整してくれた。他にも客が何組か待っているというのに、慌てずのんびりと応対してくれたのがうれしいような照れ臭いような。(笑)
その日帰宅した夫がいりちゃんの抱えたギターを見て「お、いいね〜」と身を乗り出した。いりちゃんからギターを奪って夫が弾いた。いりちゃんは「お父さんすごいね〜」と尊敬の眼差しを注いでいた。


2004年02月08日(日) 雪遊び

教会で小羊会の例会をした。月に一度、教会員の小学生の子供たちが集まって聖書の学びや楽しいことをしている。2月はいつもするんだけど、コイノニア学園(教会でフリースクールをしている)の庭で雪遊びをした。参加した子供は4人。参加した大人は3人。少人数だけど、だからのんびり楽しいってこともある。まずは恒例の宝探し。ビニール袋に詰めたお菓子が宝。第二礼拝やってる時、わたしが隠した。真っ白な雪の上になるべく足跡つけないように、裏に廻って苦心して隠した。子供たちは足跡のない雪の上を縦横無尽に歩いて、16個すべての宝を探しあててくれた。一人で何個も抱えて、最後は皆で分け合った。
宝探しって子供たちはホント好きだね。そうだ!わたしも特別好きだった。だから今子供たちに「やろうよ」って誘うんだね。(笑)その後はそり遊びする子、雪だるま作る子、雪の上で寝そべる子(わたしも)、皆が自由に振舞った。危ないことはしないという約束事はあるけれど規則や強制や威圧が無いところが学校とは違って教会のいいところ。大人も夢中で遊んだ。今日の雪はまるで砂浜のようにサラサラして、雪だるまも作り難い。それでも何とか作った。わたしは山になった雪を掘ってトンネルを作った。子供たちが嬉々として通り抜けた。大人も通り抜けた!みんな雪まみれ。最高楽しかった!


2004年02月07日(土) 焼き芋屋さん

仕事を終えて家に帰りついて、まだ上着を脱がない時、焼き芋屋さんのピーの音が聞こえた。無性に買いたくなった。焼き芋屋さんが通るのはしばしば見ていたけれど買うのは初めて。今夜はさんちゃんはスポーツクラブに行くだろうし、夫は映画に寄るかもしれないと言っていたから、よし!焼き芋買って食べよう!(息子と夫が留守だと何故だ!?^^;)いりちゃんが乗り気で「買って買って〜」二人でアナウンスの音に耳をそばだてて、近づいたと思った頃、わたしが団地の階段を下りていく。いりちゃんはこの寒い夜にベランダの窓開けて見ている。どうやらワクワクしてるらしい。(笑)一つ向うの道の角に小さなワゴン車が見えた。「美味しいよ♪ほっかほかの焼き芋だよ♪」とアナウンスは繰り返している。比較的若い夫婦の焼き芋屋さんだった。一本350円、二本で700円也。新聞紙に包んでくれたのをだいじに抱えて家に戻った。いりちゃんと食べた。するといりちゃんが「うちは物売りが来てもあまり買わないよね。でもアイスクリームを買った時のことは忘れられない」と話し出した。実はわたしも忘れていない。鮮明だ。

記憶の中のいりちゃんは愛くるしかったから(笑)幼稚園生くらいだったな。この団地に移住してきて数年。団地にしばしばアイスクリームの訪問販売車が来て特有の音楽を流していた。高いアイスだったけれど、他所の子供たちは結構買ってもらっていたね。うちはわざわざ買いに走らせない。(笑)しかしその日は違っていた。札幌にしては珍しい梅雨のような陽気で子供たちは家の中で退屈していた。いりちゃんがアイスの車を気にして見ている姿がいじらしくて「買っておいで」と二人にお金を渡した。子供たちは、それはそれはうれしそうにそれぞれ傘をさしてアイスクリーム車に走って行った。わたしは1階の通路まで付いて行ったんだったかなぁ。それじゃなきゃ、こんなに鮮明に覚えていないよなぁ。さんちゃんはコーンに乗ったアイスをちゃんと手に握って帰って来たけれど、いりちゃんは歩いてくる途中、見事にアイスの部分をポロッと落としちゃった!ピンクのアイスが雨降りの道路に落ちて解けてしまった。傘を差しているいりちゃんの泣きべそ顔!滅多に泣かない娘だったけど、その時は泣いた。かわいそうにと思ったけれど新しいのを買っておいでとは決して言わない親(わたし)。どうやって慰めたんだったかなぁ。さんちゃんのを少し分けてあげなさいって言ったんだったかなぁ。前後のことは忘れたけれど、いりちゃんの泣き顔は忘れられない。

いりちゃんは焼き芋を食べながらこの時のことを語ったのだ。初めて明かされる胸の内。あの時は悲しくて悲しくて・・・今でも思い出すと胸が痛いそうだ。今だから笑って語ることが出来る。(笑)彼女は悲しいことはひとまず自分の胸に閉まっておいて一人で耐えるタイプの子だ。ある時封印が解かれたように、彼女の口からその時どんなに悲しかったかが語られる。彼女の気持ちを察してトラウマにならないようにしてあげることをしない親だから、彼女もさぞかし多くの辛酸をなめていることだろう。(笑)でもね、悲しいことをたくさん知っている人は、悲しい人の気持ちがよくわかるんだよね。(ごめんよ、こんなことしか言えない親で)

焼き芋食べながらさらにいりちゃんは「ビー玉二つ手に持って"焼き芋くらさーい"だね」なんて言いだした。そうそう、これは漫画「世界で一番優しい音楽」(小沢真理さん作)のノンノンと焼き芋屋さん(実はノンノンのおじいちゃんが扮している)とのやり取り。ノンノンはビー玉二つで屋台の焼き芋全部を手に入れたのだ!(笑)そうか、このシーンを心に温めて、彼女は焼き芋屋さんのピーの音を聴いていたのか。


2004年02月03日(火) 節分

珍しく世の習慣に倣ってみました。節分の日に太巻きを食べた。
お昼に職場の食堂(軽費老人ホームの食堂です)で、気持ちだけの太巻きが出たんだけど、飽き足らなかった。(笑)
よし、今夜は太巻きだ!家に帰って食器棚の奥から「すまき」探し出した。ぶっとい鉄火巻き5本作った。旨かった。おなかいっぱい。
実はわたし、子供たちの記憶の中では、のり巻きを作ったことがなかったらしい。買ったのり巻きばっかりだったんだって。(^。^;)すまんこって。
「お母さん作れるんだね」当たり前じゃい!主婦歴29年、わたしはヘルパーさんだよ!(^^;)/


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