時々日刊たえ新聞
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2003年06月20日(金) 足に異変!

6月3日(火)のこと。在宅ヘルパーの仕事から戻って職場で仕事をしているとやけに足腰がギクシャクする。筋肉痛だなと思う。1時間半ちょっとの掃除機かけと雑巾がけしただけなんだけど、わたしの体もなまったもんだなぁと苦笑していた。家に帰っても「よっこらしょ」の連発。疲労感が強い。この声かけなくしては立ち上がれない、いや立ち上がる元気が出ない!家族が笑う。いつになく疲労感が強いもんだから、その週末7日(土)、教会の子どもたちと藻岩山に登る予定だから(準備もあるし)前日6日(金)は有休を取ることにした。そのために月初めにしなくちゃいけない仕事を5日までにせっせと片付けた。さて、6日は出かける予定のないお休み、らんらんらん♪右足の付け根は痛いけれど、こんな筋肉痛は何のその!明日の山登りは天気も良さそうだから雨天中止の場合のゲームも用意しなくていいや〜と有頂天。ところが午後車に乗ろうとすると右足が持ち上がらない。手で足を持ち上げて納める。「何だかやな感じ」夕方には普通に歩くのも痛くて足を引きずるようにしてゆっくり歩く。こうなって暢気なわたしも「明日山に登れるだろうか?」と不安になってきた。いや登れないかもしれないな。明日は整形外科に受診してから教会に行こうか・・・と思い巡らす。よし!mitiyoさんに責任者を代わってもらってわたしは病院に行こう。その後ロープウェイで頂上に行ってもいいし車で駆けつけてもいいや。そう決めて関係者に電話しお願いし安堵して寝た。ところが右足の付け根が切ないような痛さで眠ることが出来なかった。足の下にクッション置いても身の置き所がない。明るくなる頃ようやくソファに移動してうつらうつら。これはただごとじゃないかしら

6月7日、土曜日の朝ようやく車に乗り込んで運転して整形に行ったら駐車場がまったく空いていなかった。くっそ〜。一度家に帰ってタクシーを呼ぼう。駐車場から3階の我家に呼びかけて娘にタクシー会社に電話してもらう。20分以上かかるそうだ。それじゃ、歩いて行くワと断ってもらう。これは甘かった。普段なら歩いて10分くらいの病院に30分かかって到着した。(車なら5分もかからない)右足の痛みが増して耐えながら歩いた。杖をついてもなお歩みの危うい年寄りの状態がわかった。診断結果は変形性股関節症からくる臼蓋形成不全。股関節の屋根の部分が狭くて炎症を起こしているのだそうだ。痛み止めの注射をされ、抗生物質を処方される。ボルタレンも処方されるが座薬の嫌いなわたしは使わずじまい。
痛いのは右だけど左も同様の状態だと言う。数年前から左足の付け根からもものサイドにかけて疲労感があったけれど、それかしら。運動は厳禁。なるべく歩かないように。体重は減らした方がいいが、歩いて減らすのはダメ、などの注意を受ける。これも寄る年波の故障の一つかなぁ、だとしたら慌ててもしょうがないもんなぁなどと思う。今まで元気で動き回れたのが幸い。ここで自分の状態をよく観察する機会を与えられたことも幸い。そう思って心は穏やか。ただ、ヘルパーの仕事の調整をしていて代行者がいない時、即座に自分が行くことができないのは不便だ。他の常勤二人にお願いしなくちゃならない。そうか、人にお願いするってこともだいじなんだな。自分で何でも出来る時は自分の力に頼っていた。今は周りの人々の力を借りなければ進まない。当然人に支えられて生きてきたのだ。そのことに鈍感になっていたことに思い至った。


2003年06月19日(木) 日暮れの病室

6月11日(水)朝仕事に行く前に電話が鳴った。同じ地区に住む教会のyukikoさんからだった。彼女はわたしの姉のような人、もう60才過ぎてるもんね。目が見えない。わたしの心寄せる大事な友の一人。「taekoさん、わたし今G病院に入院してるの」と言う。ちょっとびっくり。入院していることもそうだけど、yukikoさんは体調が悪くても困ったことが起きても滅多に電話などくれる人ではなかったので、何か特別な事情が起きたのか!?とどっきりした。仕事帰りG病院に寄る。yukikoさんは「昨日は隣の病室だと思うんだけどね、誰か亡くなったみたい。出入りが激しくて眠れなかった。そしたら自分もこのまま死んでしまうかもしれないと思って不安でしょうがなくなった。今までは人に言わないで入院したんだけど、今回はtaekoさんや教会の人にお祈りして欲しくてね、電話したの」と言う。何とも素直に話してくれるyukikoさん。窓外の木々の葉っぱが揺れて夕日でキラキラしている。静かに語るyukikoさんとわたし。yukikoさんとわたしは社交辞令や駆け引きが要らない。yukikoさんから求められなかったらわたしは彼女の元に駆けつけない。「ねぇ、大丈夫?」と心配の言葉を投げかけることもない。彼女は目が見えないけれど、子どもを育て、やはり目の見えない夫を5年前に見送った。不自由ではあるだろうけれど大方のことを自分でやってきた。yukikoさんにお為ごかしのお節介を焼いたら彼女はすぐにピンと来る。この人はわたしを哀れんでいるな、と。yukikoさんは哀れまれても意に介せず自分の道を行く人だけど、わたしは人を哀れむのが嫌いなんだ。自分に禁じている。
yukikoさんからラブコールがあったみたいにいそいそと病室に通うわたし。パイプ椅子に座って一時静かにのんびりお話する。退室する前に「それじゃわたしに祈らせてね」わたしは声を出して祈る。彼女の前では祈りさえも素直になって彼女のために祈っているというより、わたしのために祈らせてもらっているような気がする。


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