★★☆ 想 う ☆★★
目次過去未来


2001年09月30日(日) 前を向いて歩こう

前を向いて歩こう。

  ただ歩くのではなく。

前を向いて歩こう。

  下を向くのではなく。

前を向いて歩こう。

  振り返るのではなく。

前を向いて歩こう。

  走るのではなく。

前を向いて歩こう。

  止まらないで。


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2001年09月29日(土) 選べないもの... 改題

親は選べない。という言葉をきいて

人により選べないと思うものがあるだろうし、
ひょっとしてすべてのものが選べないかもしれない。
何をもって選んだとするのか、

しかし選んだ瞬間からそれは事実となり、
事実になってしまっているのに
選択項目だと思い込んでいないだろうか。

世の中のほとんどは選択項目ではあったが、
すでに選択項目ではなくなっている...

事実は結果として地盤となり、
その上で次の選択をしていかねばならない。

選択をしている以上、実は自分が選んでいるのである。
それらの選択はすべて自分がしている。

人生は常に選択の連続である。
人生は常に結果の連続である。

結果は選ぶことは出来ない。
選ぶことが出来ないところに目がいってないだろうか...


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2001年09月28日(金) 坂道はくだりがきつい。

坂道を登るとき、きついと思う。
降りるときは、楽だと思う。
いや、ほんとに楽チン、楽チン。
勢いあまって、ひざに、負担がかかる...
帰り道は、行きよりもずいぶんと早いが、
その分、体にひずみをためる。
行きと帰りは、同じスピードがよい。


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2001年09月25日(火) あばたもエクボ...

恋人同士の幸せな気分。
好きで好きでたまらず、気持ちは軽くとても楽しい。
ある本に、
「それは無批判の気持ちで接しているから」
と書いてあった。
そう。その通り。
批判する気持ちがないから、不満が無い
不満がなければ、自分が楽しい。
自分が楽しいから、世の中が楽しい。
意図的に、無批判の気持ちをもてるだろうか...


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2001年09月24日(月) 山登りはしんどいが。

今日乳岩峡に行った。
ハイキングコースを1周した。
頂上付近はほんときつかった。
なんどか引き返そうとおもった。
小学生では登れないとおもった。
家内がねを上げるとおもった。
ねを上げたのは自分だけだった。
それでも声を掛け合い、
はげましながら登った。
登りきったところでランチにした。
みんな笑顔で食べた。
お調子者の長男にハラハラさせられた。
走るな。登るな。ふざけるな。
「そろそろ任せても大丈夫よ」との家内の声に
子供の成長と、自分の不成長を感じた。
しかし、澄んだ川の水と、空気と緑が
僕らを十分に包んでくれた。
山登りっていいもんだね。 (たまには....)


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2001年09月23日(日) 意志の強い人

今日ある人と話をした。
タバコをやめたこと。ビールを断っていることを話したら、
「意志が強いんだねぇ」と言われた。
そう、確かに僕は意志が強い。
でも、
いや、まてよ。
本当に意志が強いなら、
タバコやめなくたって、1本吸って止められるんじゃないか?
意志が弱いからこそ、吸うことを拒絶しているだけじゃないか?
まっ
どっちでもいいさ。
やめたもん勝ちさ。



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2001年09月22日(土) 知らないくせに怒るな

もちろん自分の事。
例えば家に帰ってくると、子供がおもちゃを広げて
部屋はぐちゃぐちゃ。
「片付けろ〜」 「勉強しろ〜」
機嫌が悪くてついつい怒鳴っている自分。
でもちょっと待って。
子供はひょっとして5分前までは
一生懸命勉強してたかもしれない。
やっと終わって遊び始めたとこかもしれない。

人は一目見て瞬時に判断するが、現状よりも
過程が大切である。
かっとなった時は要注意!
かっとならないために過程を見よう!


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2001年09月21日(金) とっさの助け

もう何年か前のことだけど、
家内のジジババと僕らでドライブに行った。

私は運転手。助手席はチャイルドシートの長男。
家内と家内の両親は後部座席に座っていた。

夕方、家に戻り、車を駐車場に入れた。
みないっせいにドアを開け、車から降りた。
その時、家内の腕にハチだったか蛾だったか、
とにかく虫が襲ってきた。
その時家内は、隣りにいた父親に向かって
「ひゃ〜 お父さん、助けて!」と叫んだ。

確かに父親は隣りにいた。
でも私もすぐ前にいた。
とっさに出た言葉だったので
自分にはすごくショックだった。
助けを求める相手は私でなくてはならない...

いままで仕事中だろうが、寝ているときだろうが
何度も呼ばれてきた。
時には、「そのくらいで、いちいち電話すんなよ」なんて
思ったけど、この出来事があってから、
「なんでもオレに電話しろよな!」って思うようになった。
相手が実父でも、家内は独り占めしたい...

でもさぁ、
「子供が全然言うこと聞かないの!宿題やらせといてね!」
ってのは無しだぜ!



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2001年09月20日(木) 時間は戻らない

時間は戻らない。
これ当たり前。
時間は戻らないってことを実感している人は
ほとんどいない。

頭では理解していても、その行動は
時間は無限にあると信じている。
時間がないとあせる必要はない。

ただ、やり直しが聞くと思って、何十回と同じ行動を
繰り返して生きている自分...

成長するってことは、行動が変るってこと。

自分って成長していない???


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2001年09月19日(水) 美味しいおかずは最後に...

我が家の子供たちを見ていると、
大好きなおかずは最後に残している。

私はうまいものから食べる。
だって、食べれる時に食べないと、
お腹が一杯になっちゃうかも
急用で食べれなくなっちゃうかも
人に食べられちゃうかも
鮮度がおちるかも


でも最後は、うまいもので締めくくりたいって気持ちはあるよね。
満足感を最後に持っていくっていくのは
「終わりよければすべてよし」ってことで
気持ちいいもんね。

折り寿司を食べた時、いつも最後に残る
卵焼きや、シメサバ、カッパ巻を見ると、
自分が寿司が好きじゃない理由は、
食べる順番が問題なのかも知れないって思う。

日曜日。
掃除と遊びが入っていれば
当然掃除をしてから遊びに行く。
あとで掃除したくないからね。

嫌なことを先に済ますこともある。
このことからわかるのは
自分は食べ物にせこいってことだね! きっと。

自分じゃせこくないと思うんだけどなぁ...




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2001年09月18日(火) 母親の足

ある会社の入社条件に、
「母親の足を洗ってくるように」
というのがあった。
実際に足を洗った新入社員たちの何人かは泣いた。
足を洗いながら何を思ったか...
泣いた社員が感じたものはいったい何?
こういう場合、詩人のように頭で考えていては
その1割も理解することができないだろう。


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2001年09月17日(月) やってみなけりゃわからない...

「脱いだ服は洗濯機に入れてよね!」
うるさいなぁ。
「食べたら流しにおいてくれない?」
わかった。わかった。

一生懸命片付けている横から、ゴミをだされたら
誰だっておこれちゃうよね。
「横で片付けてる身になってみろよ!」ってね。

「じゃあ、家事やるからオレの仕事をやってみろよ」

お父さん。ちょっと待って。それは違うよ。
いかに大変かって言いあってもなんにもなりゃしない。
一度やってみな! 相手の気持ちがわかるから。
して欲しいというよりも、わかって欲しいんだよね。

だって、自分だってわかってもらいたいもの。
仕事の大変さ。人間関係。つきあい、失敗やつまづき...

わかってもらうにゃ、やってみるしかない!

これ、男の立場のキモチ...
お父さんは家事できるけど、お母さんは会社行けないからね。




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2001年09月16日(日) ピン!

家族で毎週のようにお出かけ...
助手席は家内の専用席。
会話の中で、突然思い出したように、
「そうそう、あれだけど...」
今までの会話と全然関係ない話題なのに
ピン!
とくる。
「なんでわかったの???」
自分でもわからない。
結婚後の数年間でもこんなことは多々あって話題にしたけど
年々、察するレベルが深くなってる。
「信じられない〜」と一緒に笑う。
互いの会話の中で、相手がどんな発想をしていくか
どんな展開をしていくかのパターンが蓄積されて
わかるんだろうね。

パターン認識は、人間の最も得意とするところ。
学習と体験で磨きがかかる。
幼稚園の運動会で、芋洗い状態の園児の中から
我が子を見つけられるのは、パターン認識の賜物である。
いろんなパターンを何百回も見ているので、
学習したパターンを見逃さないのだ。
夫婦の会話で、ものすごい「ピン!」があるということは、
何百回もの会話があるということ。
あなた方には、どのくらい「ピン!」がありますか?


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2001年09月15日(土) 5才

息子が産まれた時、僕はお父さんになった。
息子が5才の時、幼稚園児は生意気だと思った。
自分勝手でわがまま一杯の幼稚園児をもてあました。
なぐりたくなるほど怒れる時もあったし、
思うようにならない息子にイライラした。
5才なんてまだまだ子供だよ。
でも、
考えてみれば僕もお父さんになってたった5才。
幼稚園児。
自分勝手でわがままだった。
そう思って周りを見ると、
お父さん、お母さんたちは5才なのに
みんなえらそうだった。
大人ってたちが悪いね!


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2001年09月14日(金) 短所と長所

短所をなおそうとする。やれそうでなかなか難しい。
長所をのばそうとする。これもなんとなく難しい。
でももっと難しいのは、自分の短所と長所を知ることさ。
自分が知っている自分と、他人が知っている自分がいるからね。
どちらも自分。
でも自分の短所のおかげで他人に長所があると思えば、
共生するって考え方でいいんじゃないのかな!


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2001年09月13日(木) お金がない

お金がない。
お金がない。
でも缶ジュースは買えるよ。
ダイヤの指輪は買えない。
いくら持ってたらお金があると言えるのかなぁ。
いくら持っていても足りないんだろうなぁ。
だったら持っているお金で満足しようか。
僕は缶ジュースを買えるお金を持ってる!


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2001年09月12日(水) 認めよう

認めよう。今の自分を。
認めよう。今の環境を。
認めよう。今の人間関係を。
認めよう。すべてのことを。
認めれば、不満一つないバラ色の人生が待っている...


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2001年09月11日(火) 後悔と反省

「後悔」よりも「反省」の方が前向きである。
だから「反省」の方がよい。
ただ、「反省」をしてはいけないときがある。
それは、まだ勝負しているときである。
勝負の最中は反省してはいけない。
なぜなら百害あって一利無し。
勝負中に反省しても間に合わないのだ。
反省するのは計画が甘いのだ。
反省はあとでいい。
勝負に集中しろ!


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2001年09月10日(月) 1億2千万の日本人。

人口1億2千万の日本人に、2億4千万人の父母がいる。
我が子の父母は二人だけ...
ここにいる...


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2001年09月09日(日) お手本

子供の視線を感じる。
子供は見ている。
こうして親になっていくのか。
僕が笑えば子も笑う。


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2001年09月08日(土) かかってきた電話

誰からかかってきたの?と子が問う。
「パパの友達」
なんていう名前の人?と子が問う。
「誰でもいいじゃん。お前の知らない人。」
だれなの?教えてよ?と子が問う。
「誰だっていいじゃん」とちょっと意地になる。
ねえ教えてよ。誰からなの?と子が問う。
「なんで聞くの?関係ないじゃん」
教えてよぉもうなんで教えてくれないの?と子が問う。
なんで聞くんだろう?
なにを意地になっているんだろう?


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2001年09月07日(金) 人生すべて気の持ちよう

人生すべて気の持ちよう。わかっているのに執着してる...
空から自分を見てみようか。
うまい空気が吸えるかも。
深呼吸ができるかも。
それができるってことを、それが必要ってことを僕は知ってる。。。


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2001年09月06日(木) ふれあい

子供とのふれあい。
妻とのふれあい。
親とのふれあい。
自分はどこに比重をおいているのか?
指摘されないと気付かない。
頭でわかっていても、気付かない。
気付いていないということに気付いた。


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2001年09月05日(水) 泣く

子供が自分に対して泣く。
自分を理解してくれなくて泣く。
自分の主張が通らなくて泣く。
自分の考えと違うお父さんに泣く。
気付いているよ。お父さん、大人げないね。
でもお父さんも人間。
気分で子供に接している。
素直に気持ちを出せずに、照れ隠しする。
子供のご機嫌をとってどうするの?
ただあやまればいいのに...


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2001年09月04日(火) 決まってるさ

妻が問う。
「わたしを見てる?」
見てるに決まっている。
「本当に見てる?」
妻が望んでいる見方をはたしてしているだろうか???
見てるに決まっている。
この言葉に安心していた自分がいた...


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2001年09月03日(月) 百科事典

百科事典を与えて、「さあ勉強しなさい!」
って言ってないだろうか?
どんないいものでも、子供は何を勉強していいのかわからない。


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2001年09月02日(日) 砂時計は怖い

砂が落ちる。砂時計は怖い。終わりが見える。
せいぜいがんばって生きてもあと40年...
命の砂を直視して生きるのは難しい。
五体満足な私は、無為に日々を過ごす。
ただ、どんな試練があっても、それを乗り越えるだけの
強い気持ちは持っていたいと思う。


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2001年09月01日(土) 人生はギャンブル

ギャンブルはやみくもにやれば負ける。
みな勝つために、データを取ったり、縁起をかついだり
気分転換したりして勝負にいどむ。
ギャンブルで大切なこと。それは、勝つか負けるかではない。
半がでるか、丁がでるか当てることではない。
自分の勝負の哲学を持って、はっているか!ということだ。
データ論でも確率論でも出目論でもいい。
哲学があれば、負けても納得ができる。
哲学は経験によって磨かれる。
あなたは哲学を持って勝負しているか?
人生もギャンブルと同じ...


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