「硝子の月」
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2002年11月30日(土) <建国祭> 朔也

 人込みの中に立ち、彼は軽く眼鏡を押し上げる。銀灰の目は険のある形に歪み、くすんだ銀の髪が風にたなびいた。
「――フン」
 少年は軽く鼻を鳴らす。本来ならこんな人込みになど、自ら訪れたりはしない。
 それを押してここを訪れた理由はひとつ。
「次は――失敗しない」
 囁き声が、零れる。
 他人の思惑も密かな企みも、自分には関わり無いこと。もうたくさんだ。
 全て終わらせてやればいい。鳴動する嘘と真意の中心にあるものを叩き壊して。
 そうすれば契約は終了、貸しも借りも面倒臭い制約もなく自由の身になる。
 後のことなど知ったことではない。
(今度こそ)
 第三の力を発動させる隙など与えない。あれがどういった経緯の力であったにせよ。
 気付かぬ内に殺してしまえば、力などなんの役にも立たない。
(殺してやるよ)
 彼は薄く微笑む。寒気のするような表情で。
(殺してやるよ――ティオ・ホージュ)
 その目は群衆の向こうを見据えた。まるでそこに、自分の標的が見えでもするように。


2002年11月24日(日) <建国祭> 瀬生曲

「お前…」
 彼女が何を知っているのか、ティオは結局何も聞き出せていないことに今更ながらに気付く。
「お行きなさい」
 少女への何度目かの問いを遮ったのは母。
「いつかまた、会える───あいしてるわ、わたしの子ティオ───」
 はっきりと耳に届いていたはずの声が、またいつかのように遠くなる。
「母さん!」
 霞む視界の向こうで、まだ若い父と母が出会っている。初めて出会ったのは、父がこのファス・カイザを訪れた時。
 幸せなその光景に二重写しにされる戦乱の昔。
(何なんだこれは)
 おかしいのは自分の頭か、それとも――
「今日は建国祭だから、国の記憶も無礼講なのよ」
 ずっと手を繋いだままの少女が当たり前のようにそう言った。
 戦乱と、統治と、出会いと、別れと――硝子の月――
   ピィ――――ッ
 ルリハヤブサの声が聞こえる。肩にいつもの重みが戻って我に返ると、そこは元の雑踏の中だった。
 一瞬だったのか、ひどく長かったのか、否、本当の出来事だったのかどうかさえ怪しい。
「だからいったでしょう? 『あたしと建国祭に行くのよ』って」
 ただルウファの言葉と繋いだままの手が、幻ではなかったことを証明していたのだった。


2002年11月23日(土) <建国祭> 瀬生曲

「ええ」

 返ってきた答えは望んだとおりの知っていた答え。
「ごめんなさいね」
 今はっきりと耳に届く、確かに自分に向けられる声。
「俺、どうして……母さん、俺……」
 疑問はぐるぐると頭を回るだけで言葉にならない。
「貴方は私の子供――だから一緒には暮らせなかった」
「どうして?」
 子供が実の母親と暮らせないなどと。
「私が――――だから」
「え?」
 聞き取れなくて問い返すと、彼女は腕を緩めて少年を見詰めた。ひどく哀しそうに。
「まだその時ではないのね」
 そう言いながら何故かルウファに視線を移す。赤い瞳の少女ははっきりと頷いた。


2002年11月22日(金) <建国祭> 朔也

 その目に、その声にティオは何故だかひどくうろたえた。身体の底から、自分さえも知らないような得体の知れない感覚が湧き起こってくる。
「……あ……あの、俺」
 言葉がつかえた。頭がカッとなり、何も考えられなくなる。
 完全にあがってしまったティオに、彼女はそっと微笑みかけた。
「おおきく、なったのね……」
 やさしい声だった。ティオは思わず視線を揺らす。
 優しく、懐かしく、慕わしい声だった。
 無条件の愛情に満ちた、とてもきれいな声だった。
「あっ、あんた――いやっ、その……あなたは」
 ティオは慌てて口を動かした。そうしていないとなんだか、とてもみっともないことになりそうで。
「あなたは、その」
 その答えを自分は知っている気がする。遠い遠い昔から知っているような。
 だけど、こんな気持ちは知らなかった。こんな風に、何も知らない子供に戻ったかのような、頼りない自分はしらない。
 どこにも行けない幼子のようなたまらない顔で、それ以上の言葉もなくティオは女性を見上げる。
 ――息苦しく眩暈のする感覚の中で、心が軋むほど大きな何か。
「ねえ、ティオ」
 ほろりと。自分と同じ色の目から、涙がこぼれるのをティオは見た。
 痛いほどの軋みが、まだどんどんと大きくなっていく。
「あなたを――抱きしめても、いいかしら?」
 その瞬間、頭の中が真っ白になって。
 自分がうなずいたのにも気付かずに、女性のたおやかな腕を受け入れた。自分が未だ少女の手を握っていたことも、その手が汗ばんで震えていたことも、それをルウファがそっと受け止めていたことにも気付かずに。
「――か、」
 ただ、やさしいにおいのする髪の毛が頬をくすぐり、とても暖かな感触が自分を包んだときに、言葉はまるで涙のように零れ落ちた。
 溢れ出した感情と一緒に、震える咽から。

「……かあ、さん……?」


2002年11月21日(木) <建国祭> 瀬生曲

 二人はいつの間にか祭りの歓声から離れた場所に立っていた。そこは薄暗い部屋の中だった。晴れた昼間だというのに雨戸が閉まっている。
 遠くに聞こえる歓声は、今が建国祭の最中だと教えてくれる。
(知ってる)
 少年はただそれを理解する。
 すすり泣くような声。絶望に濡れた、こえ。
 椅子に掛け、胸に抱く赤子の頭を愛し気に愛し気に撫でるその声の主は、ひどく線の細い女性。彼女が繰り返し口にする名前は――ティオ――
 温かい手に握り替えされて、自分がルウファの手をきつく握り締めていることに気付く。
 赤い瞳と視線を交わす。こちらが何か言おうとするよりも早く、彼女は視線をドアに移す。と同時にノックが響いて女がゆっくりと顔を上げた。
 潤む大きな瞳は鮮やかな青。
「用意は出来たか?」
 現れたのはティオの育ての親。父親の弟という男。
「ええ」
 立ち上がった女は抱いていた赤子を男に渡す。
「元気でね」
 赤子の頬に触れて微笑んだ時に、今まで落ちなかった涙が落ちた。
  ピィ――
 ルリハヤブサの声が長く響く。
「よろしくお願いします」
 僅かな赤子の荷物と金貨の入った袋を手渡した女が深々と頭を下げて、鷹揚に頷いた男が部屋を出て行く。
「ティオ」
 女が、少年の名を呼んだ。
 今まで自らの腕に抱いていた赤子の名ではなく、今同じ部屋にいる少年にしっかりと視線を合わせて。
「会いたかったわ」


2002年11月18日(月) <建国祭> 瀬生曲、朔也

 うわんと歓声がティオを包み込む。

 ───ティオ、ごめんね。ゆるして───…

「!?」
 確かに耳に届いた。
 すすり泣くような声。絶望に濡れた、こえ。

 ───あいしてるわ、わたしの子ティオ───

「――っ!」
 叫んだのに。
 こちらの声は雑踏に呑まれて届かない。
「――っ!」
 闇雲に人波を押しのけて駆け出す。
 何故こんなに人がいるのだろう。ちっとも前に進めない。声は、確かに聞こえているのに。
「この地に俺の国を――平穏な俺の国を」
 雑踏の向こう、微笑する青年は三百年も昔の人物。
(声が!)
 聞こえなくなってしまう。懐かしい女の声。
「ピィ」
(アニス!?)
 肩の上の相棒までもが声だけを残していなくなる。困惑する。ここはいったい何なのだろう。頭の中がぐるぐる回る。
「こっちよ」
 ぐいと手を引かれる。引いたのは赤い髪と赤い瞳の少女。
「ちょっと反則かもしれないけど。今ここに貴方といるのも運命さだめだから」
(お前は何を知っているんだ)
 記憶が混乱する。これは継ぎ合わされた記憶ではないのか。
 ざわめきが妙に遠く聞こえる。自分の叫びを掻き消すくらいに近いくせに。声だけでなく何もかもが遠い。まるで夢の中にいるように。
(だけど)
 確信はある。今ここでたった一つ確かなもの。
(この手は本物)

「さあ、ティオ・ホージュ。どこに行きたい?」
 歓声の中にあってすこしも揺るがない静かな声が、清水のようにひやりとティオの中に流れ込んできた。心地いい冷たさだ。
「選べるのはあなただけ。だってあなたの道だもの」
 つないだ手のぬくもりに縋りつくように、ティオは顔を上げる。
「大丈夫よ。あたしがいるから」
 少女は笑っている。慣れ親しんだ笑顔だ。
「さあ、どこに行きたい?」
 ティオはふっと目を閉じた。声も人も感覚から締め出し、少女の手のひらと懐かしい気配だけを確かめる。
 どこへでも行ける。何故だかそんな気がした。いつか、そう、あの銀の髪の少年と対峙したときに似た感覚が全身を支配している。
(行きたい)
 つよい願い。それを妨げられるものなど、何かあるだろうか?
「呼んでるんだ」
「うん」
「誰かが、俺を」
「うん」
「だから、」
 ティオはぎゅっとルウファの手を握り締めた。震える手で、握り締めた。
「だから、行かなきゃ」
 その言葉に、ルウファが微笑む。
「……うん、そうね」


2002年11月17日(日) <建国祭> 朔也

「そ……」
 ティオは咄嗟に口を開いた。何を言おうというのか。そんなことは自分でもよくわからない。
 ただ焦燥のようなものにかられて声を上げたとき。
「静粛に!」
 凛とした声が上がる。周囲のざわめきが、嘘みたいに一瞬に消えた。
「皆、よく集まった……今日は建国祭。かつての建国王アルバート一世がこの王国を打ち立てた日!」
 魔法で増幅された声が広場に響いている。それとも機械を使っているのだろうか。
 どちらにせよ、やや小柄なティオからでは、人込みに遮られてどこから誰が喋っているのかさえも見えない。
「皆の者、忘るるでないぞ! 彼の王の偉業を!
 悲劇に満ちた戦乱の世に終止符を打った我等が王の名を!
 この国は第一王国、誇り高き勇者の国!
 忘るるな、我等は永久とこしえに、この大陸の平和を守るのだ! かつて最初の王が勝ち取った平和を、この国と共に!」
(アルバート)
 ティオの記憶が一瞬混乱した。夢の中で見たかつての王の顔が、鮮やかに甦る。
「我等がアルティアに、栄光を!」
 わっと歓声が沸き起こり、全ては始まった。
 祭りという名の舞台が、ここから。


2002年11月08日(金) <建国祭> 瀬生曲

「もちろん」
 ルウファは微笑する。ひどく大人びた表情で。
「だから一緒にいるのよ。これがあたしの運命さだめだから。今のところ蹴飛ばす気はないわ」
 いつものように謎めいた言葉。
「お前の知っている『運命』って何だ?」
「運命は運命よ」
 押せば引く。まるで風に吹かれる柳のように。
「でもそうね、差し当たっての運命くらい教えてあげてもいいかしら」
 少女は赤い瞳の一方をいたずらっぽく瞑ってみせる。
「貴方はこれからあたしと建国祭に行くのよ」
「真面目に答えろ」
「真面目よ」
 赤い双眸が紫紺の双眸をしっかりと捕らえた。
「この建国祭の中であたしと一緒に、貴方は貴方のことを知る」


2002年11月07日(木) <建国祭> 朔也

 街はざわめきに満ちている。これからまさに始まらんとする祭りのために。
 浮かれ酔いしれ、人々の目にも口にも常にない熱気が立ち込める。
「……こんな大きな祭り、初めて見た」
 どことなく落ち着かなげに辺りを見回すティオに、ルウファは小さく笑った。
「そりゃあね。なんたって建国祭だもの。
 延々と田舎に引っ込んでちゃ、一生かかったって見られないわよ」
 途端にティオが面白くなさそうな顔つきになる。
「……悪かったな田舎者で」
「あら。あたしだって割と辺境の生まれよ」
「? ……そうなのか?」
「そう。魔法王国の端っこでね」
 魔法王国。これまでろくに村を出たこともなかったティオにとっては、想像もつかないほど遠い国だ。
 ティオは目を瞬かせる。これまであまり考えたこともなかったが、よく考えればルウファも年の割に随分と旅慣れている。
「おまえさあ」
「……ん?」
「なんで俺たちについて来たんだ?」
 気が付けば疑問は、するりと口を突いて出た。はぐらかされてばかりだった当たり前の問い。
「俺の何を知ってる?」
 ティオ・ホージュ。自分の名前を聞き、旅の同行を申し出た少女。
「お前、俺のことどう思ってるんだ?」
 いつかした質問。あの時は真意を見えない笑みと共に「好き」と言われたけれど。
 ティオは目をほそめる。少女の目の奥に何かを見定めようとするように。
「――ホントに仲間だと、思ってるのか?」
 何も語らない少女。多分何かを知っている少女。
 彼女の何かを捕らえようとするように、しばしまっすぐに視線を向けた。


2002年11月02日(土) <建国祭> 瀬生曲

「何言ってんだよ」
 ティオは露骨に顔をしかめてみせた。
「別に。さ、あたし達も行きましょ」
「どこに」
「決まってるじゃない」
 ルウファは楽しそうに笑う。
「建国祭よ」
「ピィ」
 彼女に同意を示すように、少年の肩の上でアニスが鳴いた。


紗月 護 |MAILHomePage

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