「硝子の月」
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「それで、話っていうのは?」 「貴女のお噂を伺いました」 「ほう」 老婆の瞳に何かを楽しむ色が浮かぶ。 「かつては『叡智の殿堂』におられたとか」 唐突に出てきた単語にグレンは目を丸くした。『叡智の殿堂』の話は『硝子の月』程ではないにしても半ば伝説化した有名な話である。 世界のどこかに存在するという、世界の総ての知識の集う所。知識を司るその殿堂の一族を統べるのは、美しい女だという。 しかし、殿堂の一族が『叡智の殿堂』を出たという話は聞いたことがない。 「どこでその話を? この町の連中は知らないはずだがね」 「噂で、としか申し上げられません」 少女はいたずらに微笑する。老婆も目を細めた。
けれど、他にどうすればいいのかもわからない。 「……何なんだよ」 「ピィ……」 「うん、ごめんな。俺らしくないよな」 湧き上がる弱気を隠せないままに、アニスに頬を寄せた。
「それじゃこの子達はいらないって言うのかい?」 「ええ」 困惑の表情を浮かべる老婆に対して、ルウファはきっぱりと頷いた。3匹の仔猫達は既に老婆の腕に移っている。 「かわいいその子達を危険に曝す訳にはいきませんから」 本音三割建前七割といったところか。 (三割もあれば上等か) 二、三歩下がった所でグレンはそんな風に思う。 「それじゃ、報酬は先に交渉したとおりに」 「ちょっと待ってください」 しっかり者の少女が老婆の言葉を遮る。 「何だい? あれ以上は暴利だよお嬢ちゃん」 「値上げ要求じゃありません。話によってはお金はいりません」 老婆もグレンも、意外な面持ちで彼女を見詰めた。
「……あ。ルウファだ」 「なにっ!!? ルウファ、どこだい僕の仔猫ちゃんっ!!」 腹が立ったので適当に明後日の方向を示すと、シオンは宿の窓にへばりついてきょろきょろ辺りを見回した。……これでこそシオンだと思わないでもない。 思えばこいつも正体不明だよな、と首をかしげる。わけがわからないという点では即興パーティー随一だが。 「さて、行くかアニス」 「ピィ」 当然のことながらティオは彼など待たず、とっとと宿を後にする。
「ええいっ、僕の愛しいルウファv がどこにいると言うんだ――あれ?」 10分後、ようやくシオンが振り返ったとき、そこにいたのは困り顔の宿の主人だけだった。
「―――……」 一方ティオは、宿を離れ件の噴水の前に立っていた。もっとも噴水など跡形もなく破壊され、今は石の残骸がそこに残っているだけだが。 あの少年のこと。傷のこと。機械の『虫』のこと。……あの爆発のこと。様々なことが頭を過ぎる。答えの出ないことばかり。 身寄りひとつもないティオをわざわざ殺そうとする理由とはなんだろう。誰か、それをあの少年に頼んだ人間がいる。 そして、あの爆発。 ティオは自分の手のひらを見下ろした。……あの瞬間の奇妙な感覚を思い出す。 身を灼くような、それでいて寒気のするような、満ち足りながら飢えにも似た何かが全身を支配したあの瞬間。
――子供だよ。自分の状態も周りの状況もわきまえずに勝手に行動しようとする。大人のすることじゃない。
認めるのは癪だが、あの青年(の言う通りかもしれない。確かに自分は子供だ。 それが歯がゆくてならない。……そう、思う。
「どこへ行って何がしたいのか明確に述べてくれたまえ」 「とりあえずお前のいない所だな」 物凄く嫌そうな表情(でそう言ってやる。 「俺のことはほっとくことにしたんじゃなかったのかよ」 「僕は優しい男だ。困っている子供を見捨てるわけにはいかん」 「誰が子供だ!」 大真面目に言われて怒鳴る。 シオンは初めて嘲(るような笑みを見せた。 「子供だよ。自分の状態も周りの状況もわきまえずに勝手に行動しようとする。大人のすることじゃない」 (何だこいつ……あの女(に対するのと態度違い過ぎだ) 同じく扱ってほしいなどとは毛頭思わないが、面白いことではない。
「アニス」 名前を呼ぶと、アニスはふわりとティオの頭に降り立った。爪を立てずにやんわりと座り込む姿はちょっと「ぷりちー」かもしれない。 「……なんで頭かなそのトリ」 「トリって言うな。アニスだ」 いや確かに鳥なのだが、ティオだってニンゲンなんて呼ばれ方をしたらイヤだ。一応訂正を入れ、それ以上青年には構わず部屋を出る。 けれど階段を下りようとして一段目、脇腹の痛みに思わず顔をしかめた。 「――てっ」 「……ピ」 上から覗き込んできているらしいアニスが心配そうに鳴く。 「……大丈夫だよ」 ティオは上目遣いに答えた。頭に乗ったのはひょっとして、肩に乗って左右どちらかにバランスを崩すのを防ぐためなのかもしれない。 ともかくそろりそろりと慎重に階段を降りた。ようやく一階にたどり着いた頃には、わずかに汗まで滲んでいる。 「……まどろっこしい奴だな、君は」 「うわっ!」 ホッとした瞬間に後ろから声をかけられ、ティオは思わずのけぞった。脇腹に走る痛みに言葉も出なくなる。 気が付けばそこには、何故かシオンが腕組して立っていた。
「どこへ行くんだ?」 ドアを開けた少年にシオンが問い掛ける。 「外だよ」 仕方なく顔だけ振り向いて答える。 「よし、では僕も行こう」 「来んな」 当然即効で断る。 「そんな体の君を一人で外に出して何かあったら僕がルウファに怒られるだろう」 「一緒に来て何かあったらそのほうが怒られんじゃねぇの?」 しばしの間。 「……そうか。それにこいつに何かあって戻ってこないようなことになったら、彼女もくだらない『運命』とやらに見切りをつけることだろう。そして! 『僕の胸でお泣きよハニー』ってな塩梅か!」 「派手な独り言だなオイ」 馬鹿馬鹿しくて付き合っていられない。
少女はそう言って、抱いている子猫に頬を寄せた。
グレンとルウファが行ってしまってから十分後―――。
むくりとシオンが起き上がる。 「げ…起きちまったよ…」 ティオは嫌そうにシオンに目を向ける。 彼はベットから起きあがって窓際に置かれたイスに移動していた。 ギシギシと痛む身体に鞭打って服を着始める。 「何だかあまり良くは覚えてないが、とても怖い夢を見ていたような…でも何だか微妙に気持ち良かったような気もするし…あれ?僕の子猫ちゃん達は?」 「ルウファ達が返しに行った」 「そうか」 シオンにしては素直な返事だなあと思ったのもつかの間、 「やだなあ、ルウファのやきもちやきさんv。僕の愛は君だけのものだっていつも言ってるのに、僕の愛が子猫に移ってしまうのが怖かったんだろ?」 まるでそこに彼女がいるかのように壁に向かって喋りつづける。 その言動にものすごく傷がうずく。
2002年03月05日(火) |
<始動> 朔也、瀬生曲 |
グレンとルウファは一瞬ちらりと顔を見合わせ、それぞれに答えた。 「ああ。帰ってきたらな」 「大丈夫大丈夫。ほっとけばその内目ぇ覚ますから」 「おいっっ」 それが問題なんだろと突っ込もうとすると、ルウファがちっちっちと人差し指を振る。 「わかってないわねティオ」 「……ナニが」 「ゴミの日は明日なのよ」 「不法投棄してこいっ!」 「それに触るのヤだし?」 「そっちがメインか!!」 思わず叫んだが、二人は素早くドアを開けて向こうから手など振ってくる。 「というわけで、あたしたち出かけるから。安静にしててね?」 「こいつ付きでか!?」 「幸運を祈る」 「祈らんでいいッ!!」 グレンに枕を投げつけたが、素早く閉じられたドアにぶつかってあっさりと落ちた。それと同時、激しく痛んだ傷口を抑えて沈没する。 「――――っ、くそォ……」 「……ピィ」 ぶつけどころの無いうめき声を上げるティオを、ルリハヤブサがただ心配そうに見詰めていた。
「……しかし、大丈夫かね。アイツ」 グレンは振り返り、多少気遣わしげにドアの向こうを見遣った。透かして見えるわけでもないのだが、何となく意固地な様子の少年が気になる。 少し離れて様子を見たほうがいいだろうと思ったのだが、放っておくのもどうか。 「お人好しねぇ、アナタ」 ルウファはちらりと笑い、肩をすくめた。 「大丈夫でしょ。いくらあの馬鹿(でも、あのコの面倒くらい見られるわよ」 怪我人を一人残していくよりはマシな筈だ。……多分。 「…………」 「…………」 「……ホントにそう思うか?」 「…………」 「……にゃ?」 やっぱしちょっと失敗したかなーなどと思いつつ。 不思議そうに見上げてくる仔猫を抱え、二人は黙々と歩き出した。
「さて、どうするかな」 グレンがそう呟いたのは独り言だった。 「何が?」 しかし当然隣を歩く少女からの問い返しがある。別に話して困ることではないし、寧(ろ話すべきことである。 「これからさ。あいつは当分動けなさそうだし、かと言ってずっとここにいても仕方がない」 「そうねぇ」 「お嬢ちゃん、魔法が使えるんだろ? 何とかならないのか?」 「なるんだったらとっくにやってるわよ」 返ってきたのは至極当然のことで「そうだよなぁ」と呟く。 「回復系の魔法はあんまり相性がよくないの。出来ないことはないけど、今度はあたしが寝込むことになるかもね」
「俺も行こうか?」 グレンが申し出ると、彼女は「どっちでもいいけど」と答えた。 「待て」 ティオがそれを止めると青年はからかいの笑みを浮かべて振り向く。 「なんだ、寂しいのか? それとも妬きもちか?」 「違う」 即座にそれを否定して、少年は床の上を指差した。 「これ(は片付けて行け」 その先にうなされる青年が転がっていることは言うまでもない。
「『悪夢の接吻』」 呪文が完成すると同時に何かがシオンの唇を奪う。ティオにはそれは女の影に見えた。 「あ……」 小さく声を発して、口付けを受けた青年はぱたりと倒れる。安らかな寝顔……とはとても言えない。 「やっと静かになったわね」 「「そうか?」」 悪夢にうなされる彼を見下ろして頷く少女に、残る二人は疑問の言葉を口にする。 そのタイミングが同じだったことに、少年は居心地の悪さのようなものを感じたが、黙っていた。 「貸して。返してくるわ」 ルウファはグレンから仔猫達を受け取る。 「一緒になんて連れていけないもの」 慈しむ、優しい眼差し―― 「報酬はきっちり貰わないとだし」 気のせいだったかもしれない。
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