春が来たから思い出す。 - 2006年03月30日(木) 急に冷え込んでますね。 春爛漫へ一直線と思いきや、雨が雪になったりしている不安定な天気。 ああ、あの日もこんなに寒くて寒くて、そして雨が降っていた。 貴方を失くしたから空も泣いたんだ、と思ったあの日。 頭の中身がカラッポになって、どうして自分が立ってるのかも解らなくて、相方に文字通り支えられて(支えていてくれなければ本当にその辺の車に飛び込んだだろう)、ボロボロだった日。 貴方を亡くしたのが哀しくて、空は今日も泣きました。 私も少しだけ、泣いてもいいですか。 貴方のいなくなった日は、多分きっと、いつになっても忘れられないのです。 貴方を失くしてしまったことを、私はきっと、永遠に忘れられないのです。 貴方を思い出して、貴方の手が触れたものを私は今でも、いつでも見える場所に置いていて、貴方の創ったものを写し取った写真を眺めて、ぼんやりとしてしまう。 どうしたって今日は、この頃は、貴方を喪ったことを思い出さずにはいられないのです。 でも確かに喪ってしまったことは哀しいけれど、どんな月日にも色褪せないで哀しいけれど、貴方に出逢えたこと、貴方と話したこと、全てがあまりにも大切すぎて、それは決して『嫌な思い』ばかりを想起するものではないのです。 大切な、大切な、と思える人に、出逢った、こと。 それがもう宝物だから、あんなことも話しましたねと、頭の中だけで繰り返して、ありがとうと思いながら、涙が溢れるのです。 哀しくなる為に出逢ったわけではないのだから、哀しいとばかり繰り返すわけでは、ないのです。 何億という他人の中で貴方と出逢えた私は、きっと幸せものだったのだと思うから。 - BUCK−TICKっぽい。 - 2006年03月29日(水) ここ数日私は低気圧。 どのくらい低気圧かと言うと、会報来たのに何だか熱く読み込めず、『まあいつか読むだろう』程度にダラダラ読み流し、何だか全てにムカついている。 心、休まりたい。 さてそんな低気圧な私でも、仕事には行かねばならんのですよ。 仕事場では、できるだけ大人になろうとして(出来てないけどな!)快不快を顔に出さぬよう努めておりますがまあ大体解るだろう。ってか解っちゃうだろ?オーラで。ごめんな。というカンジでございます。 んで表題は何かと言うと、会社で唯一私の凝固した心を解してくれる人が、本日私に述べた言葉です。 その人にかかっては、このツッコミに命かけてる私でも、ボケキャラ。かなりのボケキャラ。新しい自分を発見しちゃったよくらいでボキャブラリーも豊富に、立派な『いじられキャラ』となっている私。 ゆっとくが、他の人間には私はいじれません。並大抵の語彙じゃああたくしスルーしちゃうでよ。(どこの言葉よ) しかしなぜかその人だけが、見事に私のポイントをつつくのが巧く、ボキャブラリー、知識共に卓越していて、私は立派ないじられキャラと化すのです。 んで、今日は最低気圧!くらいに憤怒していた私ですが(大人気ないな、我ながら)、何でまーこういじるトコ探すのが巧いのか、本日の話題というかポイントは『紫』。 わたくし、会社のデスクトップには我が愛犬、ムサシくんをドーンと飾っとるわけですが、さすがに『業務フロー』をヴィジュアル化で作成するのに切り取ったデスクトップ画面が犬の顔ってそれはどう。 という訳で、それ作成する為に、一瞬蒼紫のような単色にデスクトップ変えたわけです。 そして、私が会社で着用している服の色ですが、概ね、紫。各種紫を取り揃えております。カットソーからセーターからシャツまで。 PNからして、『色が好きだから』という理由で『紫』入ってるんだから、嫌いな訳がなく。 むしろ、紫な小物まで増やして某イベント会場では某Cityの担当の方に『今日も「紫能さん」ってカンジのお洋服ですね』と言われることにある意味生き甲斐を見出しているくらいの…そう、私の紫は、作為的な紫。 私のパーソナルカラーは紫!それを証拠に見てください商業誌!あんな紫〜〜〜な帯から何から、とにかくパーソナルカラーは紫!と、何となく紫系の服とか小物とか集めまくってる訳です。 んで、言われました。 「紫好きの人って情緒不安定なんだって」 ……どうしてそう私のパーソナリティーを当てるのが巧いんだ!と、絶句して声も出ませんでした。 そして続き。 「紫、赤、黒、この辺が情緒不安定らしいよ」 「私今好きな色3色言えって言われたらその3色言うわ」 「…BUCK−TICK、ってカンジ」 問題はここ! 彼は、以前にも私がBUCK−TICKファンであることを一発で当て(ヒント何もなし)、一体私の何を知っているんだ!?と戦慄さえしました。 そして今日。 …私がその色を好きだったばかりに、BUCK−TICKさんのイメージを著しく損なってしまったことにお詫びします…。 「彼らと私の好きな色は何の関係も無いのよー!」 …聞く耳、持たれず。 - 紅茶と私。 - 2006年03月24日(金) 酒だ酒だ酒だ酒だ酒持って来〜い♪…だと思われているらしい私の、本当の嗜好の話。 いや、酒だって大好きです誤解なさらず(何を)。 でも、酒に、月に●万かけないけど、紅茶は普通にかかっちゃうんだよね〜…という、話。酒はね、かかるときはかかるの!(笑)でも、一人で飲む趣味がないので、かからないときは月に酒代0円。 しかし!紅茶代は、月に2万円(約)。 つい!ついついこの手が!…と思いながら、あれもこれもと取り揃えて…最近失敗したなあと思ったのはとあるあんまりメジャーでないイギリスのメーカー。 私はアールグレイで基準を計るんですが(好きなのがアールグレイなんですよ。いくらあっても邪魔になりません)、そこは初めて見たので、もしかしたらまた新しい紅茶メーカー開拓!?_と、ドキドキしながら購入。とりあえずは、アールグレイを。 …マズッ! 何の薬品の匂いだこれ!?と文句つけたくなるようなケミカルな薫りのアールグレイ…。いや、アールグレイって結構ケミカルっぽいのは解ってますが、こういう路線じゃねぇよ!と飲んだ瞬間叫びました。 しかもね…200g缶でしか売ってなかったから、そして私は紅茶に払う金があまり惜しくない人だから、あっさり買ってみたんですよ200gも!!!! マズイ〜〜〜〜! このマズさを何とかしようと、ブレンドしたり蒸す時間を変えたりいろいろ試してみましたが…マズいもんはマズい(結論)。 紅茶のクッキー作るときに生地に練りこむくらいしか使い道ねーな。でも200gも練りこもうと思ったらクッキー焼くだけで一日かかるな。 …そんな感じの、マズいモノに当たってしまいました。 今お気に入りなのはウエッジウッドのアールグレイ。 さっぱりしててふんわり薫っていいカンジです。 マリアージュフレールのアールグレイインペリアルは秀逸です。しかしこっちは、時間のあるときに落ち着いてゆっくり楽しみたい、そんな深い薫り。 レピシエ改めルピシアはね、もういい加減持ってない種類がないくらいなので、オーダー!店頭に行って匂ってみて買う、ということを最近やめました。(いや、新茶はするけどさ) ルピシアで好きなお茶っていうか、自分の中でのレギュラーは決まってるので、切れてきたな〜と思うとまずはお店に電話。 『ムッシュとアールグレイルネッサンスとアールグレイグランドクラシックとフォンテーヌを200gずつ』とお取り寄せ。 ああ!そういやパピヨン発売時期じゃん3月!今年も売ってるのかしら3月!パピヨンだけは!!!…今月行ける時間がない…!でも確かパピヨンとサクラ・ヴェールは3月限定…!(超どうでもいい知識) うあ!カシュカシュも3月までじゃなかったっけ!?…行かなきゃ…!(いつ!) 最近ロブノールも飲んでないわ…と、懐かしむ味満載。 毎朝と晩、最低ポット1杯(要は2杯)、紅茶を楽しむ私。 つまり、酒は飲まない日があるけど、紅茶は飲まない日はないのよ!禁断症状出るかもしれん(笑)。カフェインジャンキーなんでしょうか…いやいや、私は薫りを楽しんでるはず。 そんなカンジで、いろいろ買わなきゃいけないお茶を思い出して愕然と…ああ、また今月も紅茶代…。給料貰ってすぐ紅茶買ってる、なくてはならない嗜好品です。 紅茶をくださる皆様方、愛してます。 勿論お酒くださる皆様も愛してましてよ! …こんな生き物に愛をありがとう…と、頂いた紅茶とかお酒とか楽しむたびに思っている私なのでした。 …ま、あんまりいないでしょう。 ホワイトデーのお返しが、クッキーやチョコやキャンディではなく、各種アルコール類瓶(ワインや限定日本酒や焼酎)が一番多かった女なんて…。あ、ビールは私嫌いなんで。そこんとこよろしく(何を)。 - 彼岸とひとは云う訳だけど。 - 2006年03月17日(金) お彼岸にはお墓参り、が日本の通例だと思うんです。クリスチャンとかの方は違うんでしょうけど、一般的には『お彼岸』って云って、お墓参り、しますよね。 今年はどうにもこうにも仕事の兼ね合いで、所謂『彼岸』の期間中にお参りに行けそうもありません。だから、自分の家で線香立てて、お墓のある方角に向かって祈ってみたりね。 お彼岸―――というものというか習慣の発祥を知らないわけですが、お彼岸ってお盆とは違うんだよね。お盆は、亡くなった人が家に帰ってくるって言うから、迎え火たいて導きして、送り火たいて帰り道を迷わぬよう、ってやるんですものね。 じゃあ、お彼岸っていうのは『彼岸』とどこかが繋がる期間なのかしら。 繋がるんだけど、おうちまでは帰れないから、お墓にお参りに行くのかしら。 『彼岸』と、最も距離が近付いたりする、そういう時期だから『彼岸』とそのものズバリな名称で呼ばれるようになった期間なのかしら。 距離が近付いてしまうから、誘われる人も多い―――そんな期間? という印象が否めないんですよ、『彼岸』の頃って。 気がついたら、ああ、あの人を亡くしたのもこんな時期、と思ってしまうんですよ。 『彼岸』に惹かれる季節なのかしら。 生とか死とか、そんなことが生々しくまざまざと考えてしまう時期、それはなんだかいつも春の初めとか秋の終わりとか。 単に鬱病だからじゃん、とか言われてしまうと身も蓋も無いわけですが(そうよ私は春・秋鬱者…自覚はある)、生まれ変わる季節と眠りにつく季節、それがなんだかどうしても苦手ですね。 生まれ変わる事も、心を完全に閉ざして眠ることも出来ないで、生身の水の身体で苦しんじゃったりしてるとね。それをしろ、と強制されているような居心地悪さで、何だかどうしても座りが悪い。心の。 だから、できるだけ他の方向に意識を向けたいと思ってしまう訳です。 『楽しい』と、脳が快楽のサインを送ってくるような出来事なら、とりあえずやっとけ、なわけです。ただ、薬と男は一歩引いて考えようね、と自分に諭しながら。 …いや、偉そうに人様にそう説教かましといて、自分が薬や男に引っかかったらシャレにならん(笑)。 そんなカンジで、『快楽』のシグナルを探しています。 些細でもいいから、『快楽』の小さなサインを拾い集めて、掻き集めて、ああ、結構幸せかも、と自分を騙す。 『幸せ』ってのは心の状態であって、立場とか何とか関係ないからね。 何不自由するでもなく生きていて好きなことも出来て、一体何をぬかすかと思われる向きもおありでしょうが、心がね、『幸せ』という状態じゃないと、それは『幸せ』ではないのですよ。 極例を出してしまえば、心中したカップルがどんなに『可哀想』と周囲に思われたって、本人たちが納得の上で、それが一番『幸せ』になる道だと思って選んで見事心中できたなら、本人たちは『幸せ』な訳ですよ。 …いや、別に自殺奨励してませんよ、ただの喩えです。 う〜ん、自分がこれ以上暗くなるのはあれなんで、別のこと考える事にします。 これが、長年『鬱』という病気と付き合ってきた人間の、ある意味一番いい逃げ道の確保の仕方なのかもしれませんね。 知りませんが。←言いっ放しか - 忘れたくないこと。 - 2006年03月14日(火) 思考をする、ということ。 私という生き物は、考える事で成り立っている。 いつか書いた気がするが、私は、ものを考え、書くことで、『私』という外廓を保っていられる。書き記す、それは足跡だ。 手で書こうと、指先から零れ落ちようと、それは私の心の片鱗だ。 いろんなものが、私の心を暗くさせる。 いろんなもので、私の心は救われる。 こんなにも、剥き出したままの『心』で生きる事はあまりにも痛いから、暫く、それを忘れていたような気がする。 忘れようとして忘れる―――私も、少しは器用になったものだ。 10年位前は、『忘れる』事を『消す』事だと信じて、私は別の人格を創った。 その別の人格は、隠し方も飾り方も巧くないから、ツギハギだらけで、デコボコだった。 『それ』は失敗作だった。 だから、今度こそ成功させようとして、なんだかあまりにも中途半端な、オドオド生きているだけの人格が出来上がってしまった。 しまった―――と、悔恨の言葉で飾るのは、いま『それ』を剥がす事に失敗し続けているからだ。 『それ』は私の『顔』だと信じられて、今の私の外側に貼りついている。 内側に閉じ込められた私は苦しくて、息苦しくて死んでしまいそうで吐き出すように物語を紡ぐ。まるで、目的が『吐き出すこと』だとでも言うように。 それは、正しくない。 そんな創り方は、正しくない。 脅迫観念に駆られたとき、いわゆる『スランプ』というヤツに陥る。 人が、嘔吐するときに苦しむように、私は物語を紡ぐ。 嘔吐を止められないような気持ちで、紡ぐ。 それは、正しくない。 そう思ってしまったら、内側にまで、あの中途半端な仮面が貼りつこうとする。 そうして生きていくことは楽そうだなと、思ってしまうから、仮面は内側を侵食する。 楽に生きて生きたいわけじゃなかったんだよ、ということを思い出せるまで、私は心の中を洗浄しようとするだろう。 楽に生きようと思ったのか、と、まるで恋のような熱情で自分の紡ぐ物語に焦がれたあの感情を思い出せるまで。 あの感情は、消えたりしない。 あんなに確かだったものが、消える訳が無い。 外的要因のせいで苦しんでるんだと自分に言い訳する自分こそが、悲しくて堪らない。 あれは、私の内側から湧き出すものだったはずだ。 あれは、私の根に巣食うものだった筈だ。 快感へと変化を遂げる痛みに、私は何度も触れたはずだ。 その痛みと、その上にある快感の為に、私はどこまでも貪欲だった。 それに触れられないなら、命を消してしまおうと思うほどに。 何の手段でもなかったはずだ。それは、ただただ私の為に、私の中から浮き出してくる、救命装置のようなものだったはずだ。 頭の中が、シグナルを鳴らす。 頭の奥で、シグナルが鳴り続ける。 消えてしまうよ、と。 頑張らないと、消えてしまうんだよ、と。 どこまで頑張ればいいのと吐き棄てるように思った10年前から、変わっていないものを抱きしめて、触れた箇所がひりひり痛む。 剥き出しの神経を空気に晒すことが怖いのと同じような力で、出してと、何かが叫ぶまで。 先生、私は変わっていませんか。 確かめる人は、もう居ない。 それからもう10年も経っていて、私がまだ生きていること、どうやって想像できただろう。 痛みに耐えて、耐えて、壊れて壊れて繰り返して、そうやってまだ私が10年先にも生きているなんてこと、10年前には想像もつかなかった。 10年経って、まだ、涙は涸れないで流れるのに。 10年経ってもまだ、先生、と問い掛けるのに。 もうすぐあの季節が、来る。 だから春は、嫌いだ。 あの、この世の終わりのような季節が、狂ったように桜が舞い散って濡れる、あの痛覚が剥き出しにされてしまう季節が、来る。 でもこの痛みを、絶対に忘れたくないから、私は毎年、同じ涙で頬を濡らすのかもしれない。 忘れない為に。 - ものや思ふと - 2006年03月13日(月) ひとの問ふまで。 色っぽい言葉ですね〜、は行って多用されると発音し辛いですが、響きが綺麗で流麗で素敵、とか思ってるのは私だけですか。 まあ相変わらず、何の脈絡もないお話をする訳なんですが。 最近考古学者の皆様方が頑張ってくださって、素晴らしき発見が繰り返されるたび、心躍らせながら新聞に食い入る私な訳です。 蘇我馬子、蝦夷邸はここ最近でかなりのトキメキでしたが…!ああああ豊浦(これで『とゆら』と読むのだから地名とはなんと美しいのだ)の中宮が…!ときめきすぎて吐きそうでした。飛鳥の地に飛んでゆきたい…! そしてあれですよ。 日本史最大の謎(って一杯謎あるけどさ)である、持統、天武帝の関係の物的証拠…! 天武帝の病気平癒の為の杓が出てきたって!?うわァああ浪漫です…! この辺がどう『浪漫』なのか解って頂ける方、お友達になりましょう。お互いかなりの日本史オタですね。クス。 ああ、頑張ってください考古学者の皆様…!吉村作治、エジプトばっか掘ってないで日本も掘れよ!(笑)いえ、吉村教授の著書も愛読書ですがね。 『古代』って、何て浪漫に満ちているのかしら! でもやっぱあれですよ、自分という民族のルーツを知るためには日本古代史ですよ。最大のトキメキですよ。 少なくとも、『日本語』はもう生まれていた! 私の超愛する言語、『日本語』は当時生まれていたんですよ! 今の日本語から、古代の日本語を紐解くことは可能なんですよ! そして、学校では安易に『中国の知識を仕入れた』とされる日本語ですが、ルーツは違うんですよね〜独自の言語なんですよ。そりゃ、仕入れた言葉もたくさんですが。 日本人は知識や言語に対する考えが柔軟なのか何なのか、まさに『生き物』と称されるほどに変わっていきますが、根っこのところは変わらないんですよね。 そんな私は日本語で最たる美しさを誇る、ひらがなを愛してやまないのです。 美しい曲線、柔らかなフォルム。 ひらがなで書くだけで、なんだかホントに『やわらかい』気がする、この美しさ。 目で見てその言葉の硬質さが解るという素晴らしい文化。 …話が逸れましたが、ともかくわたくし、日本語を愛してやまない会の会長である。会員募集。そして光GENJIのビデオも引き続き募集(笑)。 - 軽くお願いっていうか。 - 2006年03月10日(金) サミシイな〜誰か相手にして。とかって図々しいことを呟いてみる。 いえ、冒頭のお願いってそれじゃないっすよ〜。 なんつーか最近、矢も盾もたまらないの…。誰かどなたかどちら様か! …光GENJIのビデオ、ダビングしてください…。 セルビデオは全部持ってます。ちゃんと買ってます。 歌番に出た分でもいいです、ドラマに出た分でもいいです!(えーと、大昔ヒガシが『義経』やったときのビデオは持ってます。あと、最近の『はぐれ刑事』も録画してます) できれば、『あぶ少』『St,月桂寺』(これはタイトルさえあやふや…)『ワイルドで行こう!』(これが一番欲しいです!←正直すぎ)とか、まあ有り体に言えば内海光司くんご出演番組が欲しいです。いっそ桜っ子でもいい。 光司くんか〜、そう呼んで愛して愛して不思議なことにTVで彼をまったく見なくなってからも(いや、こないだの『はぐれ刑事』は見た)、愛が薄れません変わりません。 『アイドル』ってカテゴリーで言えばどうしようもなく1番なんです彼。 どこが?とかホントにいろいろ言われますが(そして人を納得させるだけのネタも無い辺り…)、愛に理由はない。 小学生だった時分、存分に愛を捧げる対象として…そしてその思いが今でも残ってるんですよ消えないで。 好きだって思ったことは変わらないんだなぁ〜〜〜〜〜〜と、我ながらしみじみ思います。 何と言うかもう、迷惑な愛ですよ。 それこそ、仙台の売り子ちゃん(大概私が何かに萌えたとき、一番の迷惑を蒙るのは彼女だ)に、『見ろ!ハマれ!』と、とりあえず『…これから物語』のビデオ送りつけてみたり。 いや、ホントに『…これから物語』は名作ですよ。 何と言うか、こんなにただ男二人がいちゃいちゃいちゃいちゃしてるだけの話を作ったジャニーさんもメリーさんも凄い。としか言いようのないいちゃいちゃっぷリ。臆面もなく。 どういう話だったの?と訊かれれば、『金持ちの坊ちゃんがハンサムな男の自由奔放な様に惹かれ(方がまた異常である。執着と言って言い過ぎではない)、一時は自分の手の中に入れようとするもそれは間違いだと気付き(気付かせてくれたのもその『ハンサムな男』である)、自分も『坊ちゃん』の枠から飛び出してその男との未来を夢見る話』と解説します。 そして、内海光司演じる藤岡茂がもう!絶品!なんでございます! お肌ツルツル、お目目キラキラ、何というかもう可愛らしい!を形にしたらきっとこんな。と言い張りたいくらいです。 手足は細くて長いしね。 お坊ちゃま役なのかお嬢さま役なのかそんなこともうどっちでもいいんじゃないの?ってくらい『可愛い』んです。 彼の可愛さは、愛玩動物的可愛さ。と、私は即座に答えます。 ただそこに存在するだけでもう『可愛い』の。 なので、彼は下手くそだけど(言い切るな)『ドラマ』の中の方が映えるんですよ。決められたセリフを喋ってる方が自然。まさに『アイドル』です。 アイドルのくせにアドリブさせたら自分のキャラちったぁ掴めや!と叫んでしまいたくなるような言動を取るんで、彼。 喋らせたら滑る滑る。お願い喋らないで!と、コンサートのたびに小学生に思われていたそのときもうハタチ越していた彼。 …今考えても相当イタいですが、でも好きなの! …って訳で、どなたかどちら様かどこかの神様! あの時手に入れられなかった幻の画像など…何故手に入れられなかったかと言うと答えは簡単、『我が家にビデオデッキがなかった』ってだけですよ! ああ、あんなに好きだった人達の、あんなに露出の多かった人達の映像をセルビデオでしか持ってない私ってなんだか可哀想な人みたい…。 『…これから物語』公開の日、私は水疱瘡で(いかにも小学生っぽい病気だ)38度越す熱があったにも拘らず、映画館に従姉(当時彼女は光GENJIのおっかけをやっていた…)と一緒に並びました。朝5時から。意味ね―――!(今思えば) 初回特典とかなんにも無いのに、一番に見たから何だっていうんだってカンジだったのに、それでも小学生を薄暗い中並ばせるだけの魅力をお持ちだった大アイドルの彼ら。 やはり私はあの頃、彼らという熱に浮かされていたのでしょう。 …でも、スクリーンに映し出された彼らに向かって『キャー!』と奇声を発するほど脳味噌蕩けてはいませんでしたが。…だって、本人が居るわけじゃないのにペンライトとウチワ(当時コンサートでは必須アイテムだった)って…と、そこはさすがに醒めた目で見た小学生でした。 いや、それはいくらなんでもねぇ…(笑)。 とにかく神様仏様誰でもいいけど私の願いを叶えてプリーズ!『新熱中時代』とかもいいな!(さりげに更に図々しい) - HappyBirthday! - 2006年03月07日(火) 読んで字の如し! 櫻井敦司様お誕生日おめでとうございます! お酒飲めるお年になったそうですがお酒送らなくてすみませんが心からお祝いしてますよ!いいじゃん、昔大吟醸送ったし(笑←実話) 眠くて死にそうなのであまりガツガツ書けませんが、あっちゃん様のお誕生日というともういろんな思い出が走馬灯です。 何なら自分の誕生日より走馬灯ですね。 フランス料理食べてこっそリ祝ったこととか(笑)、極寒の赤坂ブリッツでケーキで乾杯したこととかそのライヴ後にはボデコンのスーツの前ボタンが2個くらいしか残ってなくて途方に暮れたこととか(そういやゴルチェのベロアのブーツが死んだのもあの日だった…)友達と夜通し酒飲んで祝ったこととか出来心で大吟醸事務所に送りつけたこととか(笑)。 いや〜いろいろ走馬灯。 今の私の歳より若かったあっちゃん様を愛し始めて、もうその歳は追い抜いちゃって今自分は…まあ、商業で単行本出してるなんてあの頃は夢にも思ってなかったので(笑)思っていた自分よりちょっとマシなのか、それともタガが外れきって判んなくなってるだけなのか(多分後者)。 ああ、ホントにな〜、この年のあっちゃん様のことも愛して愛してそのお誕生を祝ってるってのがとてつもなく不思議な気持ちです。 気持ちって醒めないもんだな〜と世界中に触れ回りたい。 それとも愛した人がそれだけの魅力を持ってるからなのか。いや、まあそこは絶対そうだけどさ。 見る目あるね〜自分。とか思って、やっぱりこの日は感慨ひとしおですよ。 来年も再来年もって言うと現実味ありすぎなんで、あっちゃん様、還暦もお祝いさせてね。 その時は絶対赤いちゃんちゃんこ贈るから!(よせ) - メール復活しました。 - 2006年03月06日(月) 止まってたんなら教えろよって話ですが、すみません。私の怠慢により、暫く使えなかったメールが復活しました。 いろいろとご迷惑をおかけしましたが、どっちのアドレスも大丈夫ですので。 まあ、復活した途端にあのメールですかよFT…ってかあっちゃん様。いやね、もうあのアドレスに何故来るんだってことは考えるのやめました。楽しむことにしましたよ開き直り。 まあね、先に言っておいたほうが貰う方も何かとね。とかいう感想を持ったり持たなかったり。 …すみません、ここんとこずっと日記書いては飛んでるので、今日は飛ばないために短い日記になるでしょう。 来てくださってる皆々様、誠に申し訳ない。 日記そのものにブックマークの方もどうやら大勢いらっしゃる(責めてませんよ?だってホントにここしか更新してない私が悪いんですから)ようで、楽しみが何もなくてすみません。 拍手でポチっと何か言ってやって頂けたら、大喜びでうだうだ書くと思いますが、ここんとこ無言の拍手ばっかで(いえそれも感謝してます。ゼロは哀しすぎ)イマイチボルテージに欠けてましたもので。 ただでさえちょっとオチてたんでね、ついつい怠けておりました。 怠け癖は良くないね、どなたか『オラオラしゃきっと日記くらい書きやがれ!』と激飛ばして下さったら書くかな〜なんて他力本願ですみません。 やっぱり人様のお声が一番のボルテージ持続のための力です。 人に読んでもらいたくて書くわけですから。 読んでもらいたくなかったら何も書きませんよ。読んでもらえていない、という事が解ってしまったら書きませんね。 やっぱり、書く、ということが私の中でアイデンティティ確立の一番の核らしいです。 …ちょっと崩壊の危機に陥ってましたが。 私が書く何事かを、楽しんで頂けてるなら最高です。 笑い取ってナンボ、というのに似てるかもしれません。ネタがあって見てもらってナンボです。 なので、見たいネタ(笑)があったらどしどしご意見お寄せくださいませ。 日記に書く範囲内でね(笑)。 日常のイタいネタが良いのか、イタい語りが良いのか、…BUCK−TICKさん萌え語りは言われなくてもするんで。それ以外はイタいネタばっかかい、私(笑)。 まあ、痛いネタを愉快と思って貰えてナンボですから。 …何が言いたいのか自分でも解りませんが、そんなカンジで。 あっちゃん様バースデーイヴにお届けしました。 おいくつになられるんでしたっけ?おいくつでもどーでも良いんですが。しかしあっちゃん様、ハタチはないでしょう。落ち着いてください。あなたどこのコムスメですか。…と、ちょっと呟いてみます。 -
|
|