★ 夏海の日記 ★

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2006年09月29日(金) teaの機嫌は最悪です

昨日は、teaが起きている間に帰宅することができました。
わたし的には嬉しかったんだけど、たぶん眠れなくてきっと機嫌が悪くなるだろうと思っていたら、案の定機嫌が悪くなりました。

最近私が帰宅する頃には爆睡しているtea。
痛みと、たぶん微熱?があると言って、仕事だけでめーいっぱいらしく、ご飯を食べると電池が切れるそうで。
爆睡しているから、私が物音を立てても起きないし、起きない以上眠れないことはない。
もともと物音に敏感に反応して、よっぽど眠くて電池が切れてでもいない限り、私が起きている間は眠れないようで、
昨日は私がTVを見ていることが我慢できなくて、イライラしていたら、痛みが増していったらしくて、
痛みが増したことによって、ますますイライラして、またもや痛みが増して...の悪循環にはまってしまったみたい。
本人はイライラしているから 痛みが増したとは思ってないんだけど。

「まだ寝ないのっっっ?!」って怒られて、「これ見たいんだけどなぁ」って思ったけど、
私がいる限り眠れないだろうなって思って 仕方なくお風呂にゆっくり入って出たら、爆睡していました。

早く治ってくれないかなぁ...
痛いのは(痛みの程は分からないけど)分かるけど、私に当たらないで欲しいなぁ...




●さくら色(351) 題名:ついに突入^^ 投稿日 : 2006年9月29日<金>00時03分

夏海さん お久しぶりです。
突然ですが私、昨日で30歳になりましたww

成人式から早いものでもう10年です。
思えば20代は、結構自分勝手にしたよなぁ〜なんて
少々感傷に浸っております^^

10年、ほんとに早かった。
きっと30代もあっという間なのでしょうね〜
自分自身に悔いがないように、生きようと思います^^




◎夏海(352) 題名:お誕生日おめでとう!! 投稿日 : 2006年10月1日<日>11時12分

この一年が、去年よりもっと楽しい笑顔いっぱいの一年でありますように ^^

私ね、年を取れば取るほど、どんどん楽になっていて、
年を取れば取るほど どんどん楽しくなって来ています。
さくら色さんも、きっと もっと楽しいことがいっぱい押し寄せて来ますから、
楽しみにしていて下さいね ^^

そのためには、「楽しんでやるぞ!」って楽しむこと待ち構えること。
せっかく楽しいことがやって来ても、見逃しては 勿体無いですもんね♪
『チャンスは前髪で待て』って知ってます?
チャンスの神様は、凄いスピードで歩いていて、そしてハゲてるんですって(笑)
んで、髪の毛が唯一ある場所が、前髪で
だから、チャンスの神様を捕まえるには、後ろから捕まえようとしても過ぎ去る速度は速いし、
後頭部はツルツル滑って捕まえられないから、
前に回りこんで 前髪を捕まえないと!!ってことらしいのです。
(にしても、チャンスの神様 残り少ない前髪をつかまれるなんてっ ^^;)
チャンスの神様が目の前を通るのを 今か 今かと待ち構えて、
それっ!って前髪をつかむ勢いでね(笑)


2006年09月28日(木) 視点を変えて見ること

朝自転車で公園を走り抜けようとしたら、銀杏を拾っている人を見かけました。
そっかー
もうそんな季節なのね。
公園がうん○の臭いになって(笑)
金木犀が咲き出して、
秋が更けていきます。

昨日の私の自己分析は、たぶん間違いデス。
正しくは、私は『買い物依存症』ではなく、『強迫神経症』。
何かが買いたくて、買うことによる気分の高揚に依存していたのではなく、
無い、もしくは無くなることが不安で買わないではいられなかった が正解。
元シブガキ隊のやっくんが、同じ傾向があり。
ストックがいくつ以上ないと不安なので、無くなりそうになると買い足して、
そのうちストックがあることを忘れて、余分に買い足す。
その数が増えていって、ストックとして必要だと感じる数自体が1つから2つ、3つ...と、どんどん増えていきました。

teaと一緒に暮らすようになって、『今』必要なもの以外は買わないときつく言われました。
teaも過去に 明らかに常軌を逸した買い方をしていたことがあるので。
「これがあると便利だな」は、なくて良いものだから、買うなと言われています。
自分のお金で買うから良いじゃんっっ!!って思っていたんだけど、
怒られてまで買いたい訳でもない。
それに、キッチン用品が主に好きなんだけど、最近台所に立っている時間は、圧倒的にteaが多いので、
私が口出しできない状況にある ―“―

そんなこんなで買わないうちに 落ち着いてきた今、
あの頃は おかしかったんだよなぁってしみじみ思うのだーー。


あ、さて、話は変わって。
私の顔は脂性肌で、化粧しても崩れまくりだし、汗ではなく脂でねっとりして、脂取り紙が数枚必要なほどなんだけど、
これは、脂が過剰に出すぎているせいだと思っていたら、どうやら違うらしいと最近教えて貰った。
そして、それを実践したところ、確かにそうだった。

私の脂性肌の原因は、水分不足。
水分が肌にない状態なので、脂を出して補おうとしているから、
余分に脂が出てしまって、テカテカになっているのだそうな。
脂が顔に乗っかってるので、乾燥肌の人のように突っ張った感じはないが、
水分がないため、小じわが目立ってくる、毛穴が広がってくる、毛穴が脂で詰まって、ニキビができやすい
(毛穴が広がる は、水分がある状態は皮膚がふやけていて 毛穴を目立たなくしてくれるので、
水分がない状態では皮膚がつっぱった感じになり、毛穴が目立つ のだそうです)
ということで、集中的にコットンパック(洗顔で肌を綺麗にした後、コットンに化粧水を染み込ませて肌に乗せて5〜10分放置するお手軽パックです)を勧められました。
そして、洗顔によって過剰に水分を取ってしまわないために、
洗顔前にはきちんとクレンジングをして、肌の水分&油分を調節しておくことを言われました。
クレンジングをして、きちんと洗顔をすると、肌が柔らかくなっていきます。
肌が柔らかくなる = 化粧水が染み込みやすい肌になる で、
その後、化粧水を含ませたコットンで、パタパタ3分パッティングをして、保水成分が含まれた美容液などをプラスして(私は乳液が嫌いなので^^;)
せっかく与えた水分が 顔から蒸発してしまわないようにして 夜のお手入れ終了。

そうして きちんとケアすると、あんなに脂ギッシュでギラギラだった顔がしっとりお肌に変わっていきました。
うーん
私は 脂性ではなく、水分不足のために、過剰に脂を出しすぎていたのね。
水分を充分与えて脂分とのバランスが整ったら、必要以上に脂が出なくなる仕組みにびっくりしました。

発想の転換。
視点を変えて見ること。

私の顔は、脂性肌ではなく、実は水分不足の乾燥肌だったのです。
一人では気が付かないこと。
専門家や詳しい人に話を聞くことの大切さ。
そして、それを行動し、継続すること。(が、一番難しいです ^^;)

メンタルな問題も同じじゃないかな。
一人で考え込まないで、他の人の脳みそを使って、考えて貰ったら、
ほら!なくしたものが、自分以外の人が探すと簡単に見付かるように、
自分だけの考えだけじゃなくて、視点が広がって良いかも知れない。
ただし、『自分』を見失わないでね。
貴方の心が一番大切。
やってみて違和感があるのであれば、それは あなたには『合わないこと』だから、
無理して我慢して続けちゃダメよ。


上司から私がいつも言われている言葉。
視野を広く
色んな角度から見なさい。

そして、今度は こう言われました。

マイナス面をプラスにもっていけとは言わない。
マイナス面を人並み程度にもっていって、プラス面を伸ばす方向でいけば、もっと仕事がはかどるよ。

はい。
お仕事頑張ります。


2006年09月27日(水) 朝から大冒険

人身事故があり、電車が不通。
私鉄で振り替え運転を行っていたけれど、シャレにならない混み具合でした。
快速に乗ったものの、いくつ目かの停止駅でプラットホームにいる人の群れを見て、
「無理無理無理無理」と電車を降り、がら空きの普通に乗り換えました。
途中2本の列車に追い抜かれて...
でも、乗り換えて正解だった。
もし乗り換えなかったら、次の乗り継ぎの駅でダウンしていたでしょう。
まだ癒えていない過去の電車に乗り、電車は地上から地下へと潜り、過去の馴染み深い駅に降り立つ。
一つ手前の駅で降りてしまって、1区間歩こうかとも考えたよ。
振替運転は、切符をタダにして貰えるなんて知らなかったから、私鉄の切符を買って、
駅で聞いてみたら、乗る駅でタダになる切符を貰わないとダメと言われ、払い戻しはして貰えなかった。
朝から 小梅太夫だよ。(ちっくしょ〜!ってね)
これからは、注意しよう。

今朝は 起きた時からめまいがしていた。
って言うか、めまいを気にしてから1ヶ月以上経っていのだが。
何かの拍子に ふっと見失う程度で、倒れるまでには至らない程度のもの。
今朝は 大丈夫か?オイラって思いながら家を出て、駐輪場についた頃には、もう会社へ行くのやめようかなって思っていた。
(仕事が残っているので、今週は絶っっっ対に休めないのです ^^;)
駅にいる大勢の群れを見て、今日は一体何があるんだ?!って思ったら、列車が止まっていたのだ。
ただでさえ行きたくない会社へ、いつもと違う電車に乗り、いつもと違う風景を見て、いつもと違う混み具合で、心に傷がまだ残っている電車で。
いつもの乗り継ぎ駅まで行けたのは奇跡だと思った。
「落ち着け 落ち着け」と何度も何度も自分に言い聞かせた。
多分私は とっても疲れているようだ。

昨日、癒されたいと強く思った。
さぁて、どこへ行けば癒されるんだろうって。
そう思って仕事をしていたら、teaからメールが来た。
温めると痛みが軽減するからとお医者さんに言われたので、今日はお風呂を沸かしたと。

teaの不調は、取り合えず腸の炎症によるものと判明。
でも、たぶん それだけではないだろう。
さすがのteaも、今週末はゆっくり過ごすと言った。
大好きな釣りに行かないで。

体の疲れと 精神の疲れと どっちがteaにとって良いのだろうか?そう思って、
絶対に体の疲れが取れないであろうことが分かっていたけれど、釣りで気分転換するのを黙って見ていた。
病室での寝泊りと、その後の後始末とで、精神的にかなり疲れているだろうから、
海に癒して貰いに行った方が良いと思って。

釣りをしていると、釣ること以外考えなくて良い。
それは、クライミングや登山と同じで。
私はクライミングをすることによる、何も考えられない時間が好きだ。
色々頭で考えてしまう私なので、上へ登る以外は何も考えられない状況になるクライミングというスポーツは、良い。
(本当は考えて登りなさいと いつもteaに叱られるのだが ^^;)

本人も体の疲れと心の疲れを比較して、釣りを選んだ。

teaちん
自分が思っていた以上に、お年だってことやね。(笑)

疲れは、その人の一番弱い場所へ出てくる。
私の場合、脳や すい臓。そして腰。
teaの場合は、腸だったようだ。
完治するまで 大人しくしてようね。

teaが、夏海ちゃんが どんどん元気になっていって、その代わりにオイラが弱っていくーー!
オイラの生気を取られてるーーー!!って叫んでました。
あげられるものなら、分けてあげたいのだよ。
ただし、この元気も 本当の元気ではなく、気力で何とかしている元気だと思うのだけど。

で、
昨日帰宅して ご飯を食べ、ゆっくり湯船に浸かった。
湯船に浸かるってのは、何て幸せな気分になるんだろうね。
本当に ホッとしたよ。
きっと、体内にいた頃の 羊水の記憶を 体が覚えているんだろうね。
癒されたい人は、ゆっくり湯船に浸かってみると良いよ。
温水プールで、体の力を思いっきり抜いて、プッカ〜って浮いてみるのも お勧めです。 ^^v

会社に来るだけで、燃え尽きた〜って感じだったのに、
こんな時間(もう9時過ぎてます)頑張った私!偉いぞ〜!!って自分で誉めてみる。
日曜の朝、夢見が悪くて ズタボロに疲れきって起きた。
かなりの寝不足&お疲れモードの夏海です。


2006年09月26日(火) 一緒に生きたいのに...

大島弓子さんのマンガを読み始めてしまった
朝のくそ忙しい時間の何気なく始まったいつもの現実逃避。
読み始めて「しまった!」と思ったが、遅かった。
私の思考が動き始めてしまった。

teaは、意識して食べないと痩せてしまう体質で
それも食べ過ぎることなく効率よく食べないと、下痢になって排出してしまう。
体に栄養を貯めておけないので、災害など『食べられない状況』においては、一番弱い体質でもある。

そのteaが最近太れなくなった。
食べても、食べても。
シヤレにならない体重&体脂肪になっている。
寝ても疲れが取れない。
父親の介護&死、それに伴う手続きを全て自分でこなし、
休日には気分転換に釣りに出掛けていたので、
そりゃー疲れも取れんわなって笑っていたのだが。

自分なりに調べた結果、『隠れ糖尿病』ではないかと思い始めた。
それは普通の検索では血糖値は正常なので発見されないらしい。
検査は空腹時血糖値とぶどう糖?だかを投与した血糖値の差で診断するそうで、
「そんなお腹が空く検査なんてやだー!!」と言って検査を拒否している。
(本当は怖いから知りたくないのだろうけど)

慢性の糖尿病との違いは、食べ物を食べることによって急に血糖値が上がることと、
じわじわと悪化していくのではなく、突然どこかの血管が詰まって倒れるのだそうな。
そして昇天。

teaさん
困るのだが。
そして 私はとても悲むのだが。

長生きする気はないとteaは言う。
長生きしてくれたら嬉しいが、それを求めたりしない。
本人にその気がないのに、引き止めたりはできないことは知っている。

でも
もう少し、この楽しい時間を味わいたいのだが。
新婚さんな訳だし。

teaは生きる意力がない。
将来に希望や やりたいことがある訳でもなく、
積極的に死ぬことはしないが、生きることを希望している訳でもない。
死にたいと思って生きてきた私はと言うと、
今まで頑張って来たご褒美に、今の楽しい時間を もう少し楽しみたいと思う。
できたら、少しでも長く teaと一緒に。

最悪の状態を考えるのが私の癖で、
それは、最悪の状況になっても慌てない為の私の知恵だったりする。
そうやって、今まで生きてきた。

そして今朝。
teaが突然倒れてしまったら、残された私と teaのお母さんは、どうやって暮らして行こうかと考えた。
果たして私はお母さんを養っていけるのかと。
私の稼ぎと、お母さんの年金と、そしてteaのお姉さんの援助。

近々一緒に住むであろう家は、teaの名義で、teaが死んだら私への遺産になる。
が、私はその家に住めるのだろうか?
それとも家を出て、新しい家を探さなくてはいけないのだろうか?
teaが亡くなったら他人になるお母さんとの共同生活に思いを馳せる。
お母さんが動ける今は良いとして、介護が必要になったら、私は大丈夫だろうかと。
そして一人になったら...。

『その時』になってから考えれば良い。
それは分かってはいるんだけど。

今朝、大島弓子さんの漫画本を読んでしまった。
悲しい気持ちが離れない。


2006年09月25日(月) 毎度毎度の...

2ヶ月に1回やってくる納品書作成。
それまで上司がやっていた納品書作成を任されてから、もう1年になるのね。
にしても。
毎度毎度 面倒臭い!!!
1日がかりで下書きを作成して、
次の一日で 上司のちっこい手直し&プリントアウト&ちっこい手直し&プリントアウト
いつ果てるとも分からない『ちっこい手直し』で、夕方くらいになると作業に飽きてくる。
んでもって、こうやって現実逃避するのさ〜

ただ今の時刻は、15:35 なり。
めっちゃ眠いし、飽きちゃったしで、早く帰りたいよーー (>o<)
新しく作ったサングラスは 耳のところが痛いし T^T
もうやだーーー!!!!


最近収支のバランスを著しく欠いているので、
特に今月は軽く真っ青になっている。
昔、私は買い物依存症だったのかも知れない。

毎月、特に欲しい訳でもないのに、フェリシモで何かが送られてくるのを待っていた。
お金のありがたみが、あまりなかった。(感情と同じでマヒしてたんだね)
何かを買っては焦ることはあっても、後悔することはなかった。
お金は ただの紙だった。
母親に渡す為に貯めたお金も。
たぶん私は狂っていた。

夕食の買い物も、お腹が減っているのも手伝ってか、
いつ食べるものか分からないものを買っては、うーたんの母親に見付かって食べられしまっていた。
(うーたんの母親は、食べることが大好きで、自分を押さえられなくて、
「食べて良い?」と、すでに食べてしまってから聞く たちの悪い人だった。
食べ物に執着していない私は、また買えば良いって思って 腹も立たなかったが。)


今は買い物依存症と言うより、興奮しているのだと思う。
欲しいものを買えることに。
加速がつかないように気を付けないと。
収支のバランスを崩さないように。
大切なお金を ただの紙として扱わないように。


2006年09月24日(日) 暴挙に出たらしい

●夏海(348) 題名:本日のレシピ 投稿日 : 2006年9月24日<日>13時18分 返信

teaに、「過去の自己流の味はリセットして、基本から覚えなさい」と言われていました。
私が作るものは、あまりに雑すぎ&適当過ぎると。
私が作る『肉じゃが』は、味としては『アリ』だけど、
一般的に『肉じゃが』と呼ばれているものとは違うもので、
『肉じゃが』を作ると言うのであれば、きちんと『肉じゃが』を作って欲しいと。
『肉じゃが』と言って出されると、「『肉じゃが』と違――――う!」ちゃぶ台をひっくり返したくなるのだそうな。

んなもん、『わたし風』で良いんじゃーー!
これで来たんだから!って、いつも説教されるたびに思っていたんだけど、
説教されてばかりでも面白くないので、前回ネットで調べて『さばの味噌煮』を作ったら
これが tea的にも かなりヒットらしかったようで、
「おいしいから、母ちゃんにも持って行ってやろ〜♪」って実家へ持っていきました。
その姿を見て、単純な私は嬉しくなって、
今日も 違うレシピをネットで検索して 『さばの味噌煮』を作ってみました。

今夜はteaが釣ってきた魚&イカのお刺身を頂くので、
一晩寝かせた『さばの味噌煮』を明日食べる予定です。^^
参考にしたHPを貼っておきますね ^^
http://kitchen-h.fem.jp/recipe_179.html
Kitchen Hiromi

数あるレシピの中で参考にした理由は、オイスターソースとごま油をコクを出す隠し味として使っていたので。
オイスターソース&ごま油好きの私とtea好みの味じゃないかなと ^^
作っていた時(味噌たれをスプーンで掬って付きっきりでサバに掛け続けてました)に、
ごま油の美味しそうな匂いがプーンと部屋に広がって、幸せな調理時間でしたよ ^^v


さて

昨日、やっと私の親戚にteaを紹介し、「よろしくお願いします」とteaにご挨拶できました。
父親の弟。私と兄妹のように育った私と13歳違いの叔父です。
teaとの会食後、teaと別れて
叔父と2人だけで 積もる話をしに喫茶店に入って、席に着こうとしたら、
あらら!お隣は うーたんではないかい!!
うわ〜って思ったけど、移動するのも何だし...って迷って、
結局席を移動せず、隣のテーブルに腰を掛け、叔父と話しをしていました。

と、うーたんが話し掛けてきました。
「北の部屋にあったものを おふくろが不燃物に出してしまった。ごめんね」
へっ?
「☆☆君(うーたんの友達)のも、俺のも関係なしに、捨てちまった」
うーん...
かあちゃん、この間(お盆)の私が訪問した時に、ご挨拶をしなかったのにムカついて
そんな暴挙に出たのね。
もともと 腹が立つと、物を捨てたり(私たちの新婚当初、新品の炊飯器を捨てた時にはびっくりしました!)、
物に当たるるタイプ(陶器をかなづちで叩き割っていたなぁ...)だったから、今更驚きはしないけど、
にしても、息子に怒られるのをとても嫌がっていたのに、そんな暴挙に出るとは。
うーん
らしいっちゃー 彼女らしいやねぇ。

何が置いてあったか思い出そうとしたんだけど...
学生時代の写真は無事かなぁ...
そういう暴挙に出るなら、早々に運び出さなくてはヤバイかしらん。

彼女達は そこでこれからも暮らすのだから、面目をつぶしては可哀想だと思って、
引越しトラックを横付けするのは避けようと思ってたんだけど、
そういうことをするなら、やっちゃうよ〜!ってか。

はぁ〜 まぁ 関係なくなった人だから、
不愉快だけど まぁそうやって 息子の信頼をどんどん なくしていってくださいな。
そういう性格が 息子をどんどん追い詰めてしまっているってことに気が付いていないのね。
可哀想な うーたん。
「母親が 夏海や自分の友達のものを 勝手に捨ててしまった」という負い目を
目に入れても痛くないはずの息子に背負わせて、
そんなストレスを背負わせてまで 彼女が得たいものは 何なんだったんろう?

捨てたものは、もう元には戻らないし、
壊してしまったものは もう元には戻らない。
良いとか悪いとかを 頭で考えるより先に口に出して言ってしまう その性格そのものの行動は、
彼女が死ぬまで治らないんだろうね。
彼女がそれを治そうと努力しない限りは。
そして、無意識にどんどん人を傷つけ、周りから天気の話だけしかされなくなっていくのね。

彼女には 知り合いは沢山いるけれど、友達はいない。
年老いて ますます それは 寂しいことだと思うんだけどな。
 


 

ゲスト GAKUさんです ^^
GAKUさんのHPへお邪魔して、『栗きんとん』を食べた♪って書き込みをしたら、
どうやら食べるの大好きなGAKUさんの『栗きんとん』熱が出たようです(笑)

◎GAKU(349) 題名:食べ物の味も色々で・・・ 投稿日 : 2006年9月24日<日>22時22分

それぞれの家庭の味ってのが有りまして、子供の頃から食べなれた味は一生覚えているようですね。
最近聞いた中には、コンビニやスーパーの惣菜になれてしまって手作りの味は薄くてまずい!と感じる子供・青年が増えているようです。

我が家では九州生まれがいるのと仕事などでうろついていたため各地の味がそれぞれ生きています。
どれが出身地の味だか?解らなくなりそうです(^^;)

それはそうと・・まだ今年の栗を使った「栗きんとん」を食べていません!
明日「栗蒸し羊羹」と一緒に買って食べたい!と思っています。
時間が作れれば中津川の「すや」まで足を伸ばしたい!


2006年09月22日(金) 紅葉ちゃんの好きなところ

引越しをします。
まだ少し先だけど。
で、友達に連絡しました。
冷蔵庫貰ってくれる人は いない?ってね。
引越し先はteaんち。
すでに何もかもがあるので、電化製品は全ていらない。
私の後に 友達が入居することが決定したので、その友達に貰ってもらえるものは貰ってもらって、
でもその友達もすでに一人暮らしをしているので、いるものと いらないものとがあって、
うちのでっかい冷蔵庫は 友達には不要なものなんだよね〜

私の身長よりも少し高め。
韓国製で3万円。
友達に社員価格で買ってもらって送って貰ったものです。

そんなこんなを 冷蔵庫を手配してくれた友達とメールでやり取りをして...
もう丸3年になるよな。
あの頃は、こんな未来が来るなんて、思いもしなかったよなってね。
お互い結婚してるなんてね〜って。
友達は、まさか自分が結婚するなんて思ってもいなかったし、
私は私で 離婚して結婚するとは夢にも思ってなかったし。
生きることに いっぱいいっぱいで、明日のことさえ見えてなかった。
あの辛い中、よく生き残ったなぁと我ながら感心するよ。
病院探しから始まって、お薬が合わなくて部屋の中でさえ熊のように歩き回った時もあり、
頼って行った友達には 理由も告げられずに居留守を使われるようになったし。
働こうにも 土地勘がなくて、どこを探せば良いのか分からなくて、
面接では 緊張しすぎて貧乏揺すりがとめられず、落とされたよなぁ...
ガソリンスタンドでは、初めてセルフでガソリンを入れることを覚えたし、
ストレスのあまり、38度が平熱になってた時期もあったなぁ。
隣のおばさんには、「死んじゃダメだよ」って何度も励まされたし、
神社で毎朝集まってやっていたラジオ体操の人達には助けられたなぁ。

部屋の片付けをしていて、その頃のお薬の説明書?が出て来て、どれだけ自分が大量のお薬を飲んでいたのかを改めて見てみると、
本当に あの状況で一人で生きてこれたのは、奇跡だよなぁって思う。

そんなこんなを考えていた 昨日今日でした。


さて
前から好きだなぁって思っていて、書こうと思っていた紅葉ちゃんのこと。
って思って、私は好きな人に囲まれているなぁ。
幸せだなぁって思って、会社のロッカールームから自分の席に向かっていたんだけど、
『好き』って主観で、だからこれは私の主観だから、相手が私のことを好きであろうとなかろうと関係ない。
確かに好きな人に好きになって貰うと嬉しいけど、この人好きだなぁって思うだけで楽しいし、
好きな人に会えたらラッキーって思う。
好きな人に囲まれて幸せ〜って思うのは、
『私のことを好きな人』に囲まれて ではなく、『私が好きだなぁって思っている人たち』に囲まれてるって勝手に思うことだから、
これって誰にでも簡単にできそうな気がするんだけど、いかがでしょう?
ただ、人を好きになるって、人の長所を見つけることが上手じゃないと なかなか難しいかもね。

顔だけでも全然OKだけど、声だけでも全然OKだけど、
言葉遣いが好きとか、声のトーンが好きとか 喋るテンポが好きとか、
格好良く歩いてるところが好きとか、読んでる本の趣味が似てるとか、
同じ化粧品使ってるとか、お化粧の悩みが同じ(まぶたが一重で困ってるの〜)とか、
同じドラマを見て、コメントが面白いとか、同じ感じに感じてるとか、
好ましいところを見つけて、好きになっちゃえば、好きな人に囲まれて暮らせるよ ^^

好きだって思われなくてもいいって思うと、とっても楽ちん。
自分一人の世界で好きだ〜って思ってると、一人ぼっちな感じがする?
それがねー、結構違うんだなぁ〜
一人で好きだなぁって勝手に思って楽しそうにしてるでしょ?
楽しそういしている相手と一緒にいるって、楽しいじゃない?
それに、好きだなぁってオーラ出して、ここが好きとかって直接にその人にでも直接でなくても他の人に喋ると、
回りまわって相手の耳に入ったりして相手も何となく優しくしてくれて、
最終的には仲良しになれるんだよね〜これが ^^v
まぁ 仲良しになれなくても、お喋りしたことがなくても、結局は好きな人に囲まれて楽しんでることには変わりはないんだけどね。

おっと 話がズレました f^^;

話は、紅葉ちゃんの好きなところだったよね ^^
紅葉ちゃんは、会社で私の隣に座っている女の子で、とっても『女の子』って感じの子なの。

私は女の子が苦手で、それは 今の私の周りにはいないけど、学生の頃に私の周りにいた女の子たちは群れたがってて、
『一緒に』何でもしたがってて、トイレに行きたくなくてもトイレに行かなきゃいけなかったし(行かなかったけど ^^;)
言ってることと 思ってることが違っていたりして、感情を探り合ってた感じがしたのね。

だから、入社してすぐはお互いにけん制し合ってたって言うか、様子を探ってた感じだったの。
年も離れていたしね。
私は別に一緒にトイレに行きたい訳ではないし、食事も一緒ではなかったので、お互いに様子見って感じでした。
何がきっかけだったのかな?
確か私の上司が『オス』って感じの人で、紅葉ちゃんが苦手なタイプで、結構避けてるっぽかったので、
こんな可愛い面もあるよって、上司とその彼女のほんわかした話をしたのが始まりかなぁ...
すっごくぎこちなく話していた上司と紅葉ちゃんが、普通のレベルの応対をするようになって。
もともと紅葉ちゃんとは、私や上司やnobyやedamとは仕事をする場所やグループが違っているので、共通の話がなくて会話がなかったんだけど、
nobyだけに懐いていた紅葉ちゃんが、私達がワイワイ話をしているのに参加するようになって、
で、女の子同士の化粧やら おしゃれやら 洋服やら バーゲンの話をするようになったんだたっけ?
私が自分ちの話やら電車で見つけた面白話とか趣味のクライミングとかの話をするもんだから、
みんながそれぞれ『地』を出して自分の趣味の世界の話をしだして、それを聞いてた紅葉ちゃんは「みんな洗脳されてる」だって。
紅葉ちゃん、言葉が間違ってるよ〜
『洗脳』ではなく、それは『感化(かんか)』というのだよ ^^;

紅葉ちゃんのマイペースな感じと、ストレートな物言いが面白くて好きです。
『洗脳』もそうだけど、「私、人の秘密を握りたいんですよね〜」って言われた時には、なんじゃ?そりゃって思ったけど、
秘密を知ってどう ではなく、言葉を間違って使っていただけで、たぶん紅葉ちゃんの言いたかったことは
「会社では見られない違う一面が見たい(知りたい)」なんだろうなぁって。(ずいぶん違う意味だぞ?!)

少しお喋りするようになって、会社に沢山いる『格好良い(ハンサム)さん』を教えて、
(私は人を見るのが好きなので、顔やらしぐさやら 印象に残った人の話をしました)
そうしたら、紅葉ちゃんにとって、今まで一山いくらの認識しかなかった会社の人を 紅葉ちゃんも観察するようになって、
お互い「こんな人がいた!」って情報交換するようになりました。
話もしないし、一緒に仕事もしない、ただ同じフロアーにいる印象深い人を お互いに教えあって、あだ名で呼んだりして。
(『おばちゃん』やら 『ほっしゃん』やら 『かまきり』やら...本当に好き放題のあだ名を付けてます^^;)

お化粧の話や、ダイエットの話もたくさん情報交換して、女の子とお喋りするのって、こんなに楽しいんだって思いました。

お盆休みに金華山に行った時、「景色が綺麗だよ!休憩する?」って聞いたら、「そんなこと、どうでも良いっっ!!」って 
あまりの登りの辛さに叫んだ紅葉ちゃんが好きです(笑)

紅葉ちゃん語録の中の一番好きなセリフは、「食べたぁい」です。

お昼ご飯を食べた食堂の帰り、会社の売店の中を通る私を誘惑するお菓子の数々...
その誘惑には負けてしまうけど、全て食べてしまっては 太るし、
それに みんなにあげて、味を共有するのが好きなので、みんなにおすそ分けをします。
チョコレートやら おせんべいやら...
新商品の発掘には余念がありません ^^;

で、紅葉ちゃんに聞きます。
「これ、食べる?」「これ、いらなぁい?」
「はい」ではなく、「欲しい」や「いただきます」でもなく、紅葉ちゃんは嬉しそうな顔をして必ずこう答えます。
「食べたぁい」
欲望がストレートに言葉となって口から出ているさまを見ている気がして、とっても好きです。

食べ物をおすそ分けするときに、「食べたい」と意思表示をされたことは、今までなく、
たぶん これからもこのセリフでの返事はされないでしょう。
この「食べたぁい」は、最強です。

「紅葉ちゃんの『食べたぁい』を言われるのが好き」って紅葉ちゃんに言ったら、照れて笑っていました。
紅葉ちゃん、一緒にダイエット頑張りましょう。(無理な気がしますが ^^;)


...そう言えば、最近のヒットは、「私、まだ癒されたくない!」です。
teaの友達が彼女を募集していて、その人が癒し系だって言ったら、こう返されました(笑)
「まだ癒されたくない。攻めでいきたい。」だそうです。
紅葉ちゃん、素敵です(笑)


2006年09月21日(木) 何か、やっと気づいたよ

あのね、自分を変える必要なんてないんだってことを。
変えるのは自分ではなく、考え方や意識だけで、
自分を認めて、自分に合う人を探せば良いんだってこと。
気が付いてみたら、何て単純な話なんだって思った。

遠回りして私は私に帰っていった。
何が変わったかって言ったら、周りが変わって、
何が変わったかって言うと、私が飾らなくなったってことだけ。
好かれたいとか、認められたいとか、誉められたいとか思ってやっていたことを全部やめて、
自分が何をしたいのか に集中してみたら、
私は私でいたんだって、もう疲れっちゃったんだってことに気が付いて、
別に合わない人に無理に合わせなくても
無理に合わせて疲れるくらいなら、一人でも良いやって思ったら、
同じタイプの人に出会えた。

私は空気が淀むのが嫌いで、それは部屋だけじゃなくて人に関してもで、
慣れてしまって、空気が淀んでしまったら、新しい風を入れるために 違う場所を探すのね。
それは もともとの性分で、『家』に居場所がなかったから、
居心地良い居場所を見つける為に、仕方なくやっていたことなんだけど、
この習慣があったお陰で、新しい仲間に出会えたし、
新しい(でも古くからいる本当の)自分に出会えることができた。

人からどう見られたって良いやって
自分が努力してるなら、人に認められなくても 自分で誉めておけ!誉めておけ!って思って
自分でご褒美をあげたり、自分でいい子 いい子してあげたり。
んでもって、誉めて欲しい時には 「頑張ったから誉めて!」って言えるようになった。

肩の力を抜いて、人に好かれなくても良いやって思ったら、とっても楽になった。

『変わるべき』なのではなく、考え方の方向転換をしたら良いんだね。
長所も短所も自分で、この私を好きになってくれる人がいるなら嬉しい。
嫌いな人もいても全然関係ないやって
投げやりではなく、空気を吸うように思えるようになったら
きっと世界は変わると思う。

んとね、自分を知ることから始めよう。
自分を知らないと、どのタイプの人と自分が合うのかがわからないから。
着飾らないで 格好つけないで 素の自分がどんな人か。
気張って 誰かの理想になろうと思っても、疲れちゃうだけだから。

大好きな人のために頑張るのは とっても素敵。
大好きな人のために、自分がもっと幸せになっていったら、大好きな人へもその幸せを分けてあげられるよ。
理想を持つのはとっても前向きで素敵。
ただ、無理はしないでね
無理をしているか していないかを知るために、
やっぱり自分を知ることから始めようよ。

私はカールルイスやベンジョンソンのように走れないし、
宮里藍にもなれない。
悲しいかな 黒木瞳にもなれないのだー T^T
どう頑張っても無理!
じゃー どこで『理想』の自分と折り合いをつけるか。
試行錯誤しながら 寄り道しながら 道草を食いながら のんびり生きていきましょう ^^


2006年09月20日(水) 言葉って難しいな...

言葉って難しいな...
って言うか、男心って難しいな...かな。

私は女で、ネット上において、私が相談するってことはたぶんないし、
ただ、相談する女性は、
「今のこの状況をどうにかして!」
「助けて!」
「私には、どうしたら良いのか分からないの!」
「できることなら別の世界へ連れていって!」
と、SOSを発していることが多く、
または、ただ愚痴を言いたいだけで、話すことによって満足するか のどちらかのパターンが多い気がします。
辛い自分を理解して欲しいと思っていることがダイレクトに伝わってくるのは、同性だからでしょうか?
そして、同じ思考パターンを持っていて、同性として、痒いところに手が届く?アドバイスができるのかも知れないけれど、
あたくし、またやらかしてしまったようです。

痛いところをピンポイントで突いてしまった、相談者が踏んで欲しくない地雷をまたもや踏んでしまったようです。
男性へのアドバイスは、私に向いていないようなので、これを戒めに もうしないことにします。

私なりに 何がいけなかったかを ちょこっと分析してみると、
男の人は プライドがあり、相談するにしても全てを受け入れる心の準備ができていない。
なので、自分が用意していた『答え』のシュミレーションと違う答えが返ってきた場合、自分を否定されたようなショックを受けてしまう。
自分を否定されたような。相手から攻撃されたような。

女性の場合、あらかじめ自分なりの『答え』があって、それを肯定して欲しい時は、文章にそう書いてあったりすることが多いのにたいして、
男性は たぶん『性』の違い『脳の構造の違い』なんだろうけど、助けて欲しい、どうしたら良いのか教えて欲しいと書いてあるように私には読めるけれど、
でも実際は答えは自分の中にあって、それを見つけて欲しいって願望が強い人が多い気がする。
って言うか、全ての人ではなく、瞬間最大わたし的に人口密度が高いだけだと思うんだけど。

たぶん私がイイ気になっているんだと思う。
私が変われば、世界が変わることを体験したから。
類は友を呼ぶって、本当のことで、
私が 自分が分かってなかったばっかりに、正反対の方向の人達を呼んでいたんだなぁって。
私が本当の私を理解して、そしてその方向に向かって歩き出せば、同じタイプの人が集まって来た。
「自分がおかしい」と思って人に言わなかった私の本音を理解してくれて、それが正常だと言ってくれる人達が。
目が覚めたとは、こういうことを言うんだなぁって思う。
自分を知るには、何もかもを『こうである』と認める勇気が必要で、
格好悪いところも、情けないところも、認めたくないドロドロした感情でさえも。
こんな自分は本当の自分じゃないってところも、これは仮の姿なんだ!ってことも、
どんな自分も全てを自分で許して、『こうである』と認めなければならない。
だからこそ難しいんだけどね。
そして習慣となっている以前の癖を直して、新しい『なりたい自分』へ方向転換する。
とっても根気のいる作業だし、途方もなく遠い未来に向かって 道なき道を歩いている孤独。
本当にこの道で良いんだろうか?と自問自答する怖さ。
4年の歳月がかかった『私探し』が終わって、新しい仲間に出会って、私は今『私を生きている』って感じているから、
生きることに辛い人、息苦しい人に 私の体験を話してアドバイスできたらなぁって思って。

その『突き抜けた感』が、嬉しい気持ちが強すぎちゃって、
鉄棒で逆上がりできたーーー!逆上がりのコツを教えてあげるーー!って
自転車の練習に苦労している人に 逆上がりのコツを教えてるようなもんだったのかなって。

女性の場合は、これも例え話なんだけど
自転車の練習中だけど、じゃぁ気分転換に逆上がりのコツも教えて貰っておこうか、いづれ私もできるようになりたいしって聞いてくれるけど、
男の人は集中力が自転車にしかいっていないので、自転車に乗るコツ以外は うるさいっっ!!邪魔するな!ってなるのかなって。
これも、男脳 女脳の違いから来るのかなって。

だから、女の私が男の人のアドバイスをすること自体が無理があったのかも知れない。
こういう方法があるよって話も、こうしなさいって命令されている感じがするのかなって 何となく思うの。
人に教えを請うこと自体が、男の人のプライド的に言って 自分的に許せない行為のような気がする。

何か私って、凄く嫌なやつだーって気がした一日でした。
嫌なヤツだけど、これが私なんだよね〜
んでもって、変える気もないときたもんだ。

地雷は踏んじゃったけど、本当にピンポイントで踏んじゃったから、相手もカッとなってるだろうけど、
冷静に考えたら、私の言ってることはしごくまともな、圧倒的多数で女性の支持を得られることだから、
私のことを『敵』と思わないで肩の力を抜いて、改めて読んで欲しいなぁって願ってるんだけど。

にしても、
私のレスの後にレスをしてらっしゃった方たちは、本当に上手くまとめてあって、素晴らしいと思いました。
こういう『大人』な助言ができたら良いなぁって思います。
(でも私、精神年齢が大人じゃないんだよね〜 − −;)
特に、相談者の方を『自分を嫌いな訳じゃなくて、どうして自分を分かってくれないんだって怒りを持っている人だ』って書いてらっしゃった人の洞察力に感嘆しました。
ああ、そうかーー!
私は文章からしか読んでなかったよ。
言葉では こんな自分が嫌いとか、変わりたいとか、一見自己否定しているかに見えて、
本当の本音は、なぜ自分を分かって貰えないのだ?!って怒りを持っている人は、確かにいる!いる!
相談してらっしゃった方がそのタイプであれば、自己改革は他人から自己否定されたのと同じなので、そりゃー怒るわな。

このフォローを見て、私も救われました。
どちらも傷つけない『大人の意見』素敵です。


2006年09月19日(火) 10年後の私の為に

昨日、とうとう対決しましたよーー
実家へ行って、母へ結婚の報告しましたっ!
帰りに『PO』に寄って、ご報告 ^^v
「偉いぞ私〜!」って言ったら、「そうだそうだ!自分を誉めておけ〜!」ってsea姉さんに言われました。
「これから色々あるだろうから、降ろせる荷物は 早いうちにどっこいしょ!って降ろしておかないとね〜」ってね ^^
「あ〜らよ!ほいっ!」って降ろしておけ〜って ^^v

teaの実家で晩御飯を食べる予定だったので、teaんちに帰り、
秋刀魚を焼く為に炭をおこしてくれているteaに報告して、美味しく秋の贈り物(1尾68円!なり)を頂いて
夜家に帰って、「ごめんね〜 teaのお父さんもお母さんも、私にご挨拶してくれたのに、私の親は挨拶もできないで」って言ったら、
「いやいや オイラも挨拶に行ってないし ^^;」って。
母は、「喪も明けてないのに、結婚や家をいじるなんて」ってことにこだわっていて、
「だから反対だったんだ」ってね。
でも、生きている人の方が大切だと思うのよ。私は。
お父さんが生きているうちに、楽しく食卓を囲みたかったなぁって思っています。
それができない以上、お父さんが心配しているであろうお母さんと一緒に暮らすことこそが、供養になると思うの。
1年間も喪が明けるまで待つよりもね。
心を取るか、様式にこだわるのか。
どっちが『信心深い』と思います?


さて、題名の10年後の私のために

2週間前、睫毛パーマをして貰いました。
その時に、フフって言われて、「なぁに?それ(睫毛パーマ)以前に、することあるでしょ?」の「フフ」?ってsea姉さんに言ったら、
解かってんじゃん!って言われてね、
「まぁ、今回は睫毛パーマして、とにかくクレンジングを集中的にしっかりとしてね」ってって言われました。
2週間ちょっと気合を入れて、クレンジングと化粧水を叩くのを集中的に頑張ったら、
凄いもんだねぇ!肌の調子が違ってくるもんだねぇ!
で、「見て見て!クレンジング頑張ったよ!」ってsea姉さんに報告して、誉めて貰おうと思ったら、
「おっ!良くなって来たじゃん!顔の赤みもなくなってきたし。
これで水分の入る肌になったから、これからは、お風呂上りに3分間化粧水を叩くこと!」との指令を受けました。
コットンに化粧水をたっぷり染み込ませ、叩いては、化粧水を足して、またはたく。
それを毎日の日課にすること。
「これから冬にむかって、ますます肌が乾燥していくので、肌に水分を与えないと小じわがどんどん増えるよ」ってね。

髪の毛を切りに行った時に、髪の毛を触ってくれた友達にも言われました。
私達、これからが勝負だよねって。
どれだけ自分の肌を労わってあげるか が、これからの肌年齢に関わってきて、10年後の肌を作り上げていく。
顔に年齢の差が出てくるのは、これからだよ!頑張ろうねってね。
そして、優しく自分の肌に言い聞かせるんだって。
「が・ん・ば・れ(は〜と)」
手をかけてあげればあげる程、肌はそれに答えてくれて、頑張ってくれる。
毎日何度も鏡を見ることを癖にすることと、自分の肌を桃を扱うようにソフトに優しく大切に扱ってあげることが大切なんだって。

私は女性なので、女性への例え話は とてもしやすい。
首筋には、年齢が出やすく、一度首筋についたシワは、悲しいくらいに なかなか取れない。
首まで顔と認識しているか?
顔と同じ扱いを首にまでして ちゃんとケアしてあげているか?
化粧を習慣にしていなかった私が基礎化粧をすることが、どれだけ面倒臭いことか!
でも、今まで放ったらかしにしても大丈夫だった 自分の肌は、年齢に負けてどんどん保水機能が落ちてきて、
小じわ(大じわも?)が目立つようになってきた。
若く見られたい訳でもなく、シワがあっても別に気にはならないが、
ただし、所帯やつれや 人生にくたびれた顔はしたくないし、そう見られたくない。
だから、お化粧で着飾るよりも 肌自体に頑張って貰わないと。
年相応に衰えていくものは仕方がない。
ただ、私の肌に頑張って貰う為には、私が頑張れるところは 頑張ってあげないとね。

10年後の私は 私が作る。
これは、誰かのせいにできない 私だけの問題
で、
私にその気がないと、エステに通っていたって、高いお化粧品を使ったって、お金を無駄に使ってしまうだけだもん。
きちんとした毎日のケア(この毎日が続けられないんだよねぇ〜)と同時に 栄養の偏らない楽しい食事を食べること。

心の問題も これと同じなんだよなぁって思うの。
本人が『そのこと』に気が付いて、本人がその気にならないとね。
先生やお薬は エステやサプリメントなどと同じで、外部からのサポートにしかならないのです。
10年後の自分のために 今 してあげられるとは なに?

とりあえず、私は 化粧水で3分間 顔にパタパタ水分を補給してあげることかな ^^;
そして、体重を気にしながら、季節の贈り物を 美味しく頂くのです ^^v
(この秋、すでに『栗きんとん』を食べたことは、teaにはナイショです)


2006年09月16日(土) 『しあわせになろうね』

●夏海(346) 題名:『しあわせになろうね』 投稿日 : 2006年9月16日<土>11時15分 返信

今朝、メールを開いたら、久しぶりの方からのメールが届いていました。
嬉しくて声を出して泣いてしまいました。
あなたからメールが来てとても嬉しい。
あなたとまたメールができてとても嬉しい。
メールを送ってくれて、どうもありがとう ^^
とても とても 感謝しています。
 
 
さて、いつもご紹介している あづまさんのメルマガを
『しあわせになろうね』の9月15日にコピペしました。
コピペの許可申請中ですので、消去するかも知れません。
とても大切な内容だと思います。
特に、いじめや 虐待に合っていた人、『条件付き』で愛されていた人にとっては。

消去したときの為に、
このメルマガがもし心に響いたと感じたときには、どうか自分のPCに保存しておいて下さい。
今、あづまさんのメルマガが少しずつ変わっていっています。
愛される自分になる為には から、
自分を愛することのできる自分になる為には にテーマが移行している気がします。

登録は無料です。
私が言いたいことを とても判りやすい言葉でおっしゃっています。
おすすめのメルマガです。

メルマガ登録アドレス

http://www.mag2.com/m/0000164141.html




あづまさんからお返事頂きました。

夏海さん

あづまです。
こんにちは。

メールありがとうございます。
いつも読んでくださって、嬉しいです。

転載の件ですが、あくまで夏海さんの書かれた文章が主である
ホームページに、私のメルマガ(のうち、気に入ってくださっ
た号)が従になるようなかたちで掲載されるのであれば、
OKです。

その際、出所を書いて下さい。(=リンクを張って下さい)
リンクは、メルマガの登録画面へのリンク、または、
http://www.mag2.com/m/0000164141.html
ココヘルブログへのリンク
http://www.556health.com/
どちらかで結構です。

お願いは、それだけです。

ご友人への転送はご自由にどうぞ。


どうぞ、ご活用下さい。

辛い経験も、乗りこえ心を癒せば必ずひとまわり成長して他人
の辛さも幸せも分かる人間への道が開けます。
夏海さんは、ご自分の幸せのために真剣に生きていいんですよ。
ぜひ、充実した人生を歩んでくださいね。

ではまた!

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
      女と男のメンタルヘルスカウンセラー
   あづま やすし   e-mail: azma@556health.com
     女と男の「心のヘルス」−癒しの心理学
 メールマガジン http://www.mag2.com/m/0000164141.html
 ウェブページ  http://www.556health.com/
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

※ メールアドレスは、@を全角にしてあります。




あづまさん やっぱり素敵です。


2006年09月15日(金) 休んじゃった ^^;

電車に乗っている間にお腹が痛くなって、「大丈夫。大丈夫」って自分に言い聞かせてパニックにならないように頑張って、乗り換えの駅まで何とか無事到着し、
しゃがみこんだまま動けなくなりました。
はぁ〜 ここで動けなくなったのは、2回目だ〜って思いながら、通勤途中の人の流れを見ながら、上司にメールで報告。
『夏海、腹痛で動けません!』って。
しばらくして、「休みます」って報告して、会社を休みました。
まぁねぇ 色々あったから、仕方がないことやね。

私の病院は駅前にあるので、そこの休憩室で休ませて貰って、少し落ち着いたので、ソーシャルワーカーの人に話を聞いて貰いました。
せっかくの平日のお休みなんだから、平日にしか行けない名前変更手続きやらをしようと思って。
で、最大の難関
例の叔母が担当している私の生命保険の手続きをどうするか。
名前を変更すると、結婚したことが当然だけどわかって、そのことをウダウダ言われることが、物凄く面倒臭い。鬱陶しい。
母親の問題もあって、愚痴を言いたくて、本当の一般常識として、母が正解なのか私が正解なのか聞きたくて、「話を聞いて下さい」って言いました。

2時間くらい話を聞いてもらったかなぁ...
離婚の理由やら、家を出た時のことやら、蟹さんのことやら、現在のうーたんのことやら、
私の生い立ちのことやら、母親との関係やら父親との関係やら...
たっくさん話を聞いてもらって、最後に言われました。
「夏海さんが幸せであれば、それが一番ですよ」
「夏海さんが幸せであれば、他のことはどうでも良いことです」

結婚のご報告を 夏海さんが気にしてらっしゃるのであれば、一方的に手紙を出して、「じゃっ!」で良いと思いますよ ^^ って。

でね、そこの場所のすぐ近くにある居酒屋の話をしてくれました。

その居酒屋のでっかい看板には、こう書いてあります。
『お父さん お母さん 私を生んでくれて ありがとう』

う〜ん...
「で?」って感じで見ていました。
会社帰りに偶然そこからお客さんが出てくるところに出くわした時に、店員さんが2人くらい?出て来て、物凄い大声でお礼を言っていました。
この挨拶、嬉しいのか?暑苦しいお店やなぁって思っていました。

毎日お店が始まる前に『夕礼』があるそうです。お店の外で。
まずは「いらっしゃいませ」やら「ありがとうございました」やらの挨拶を大声で唱和して、
その後、一人一人が「はい!」って手を挙げて、抱負?みたいなのを発言するそうです。
で、それが終わって最後に みんなで振り付きで お店のモットーを唱和するそうです。
その言葉

『笑顔で元気!自分大好き!』

だそうです。
振りも教えて貰いました。

『大きな栗の木の下で』の歌の「仲良く遊びましょ」の時の 胸の前で腕を交差する格好で
『笑顔で元気』
グリコの看板って分かります?それの腕を空に向かって伸ばしてバンザイってする格好で
『自分大好き』

ソーシャルワーカーの人は、その光景を見て、うーん良いなぁって思うそうです。
なぁんにも考えずに笑顔で元気でさえいられたら良いよね。
んでもって、自分大好きで良いじゃん。
シンプル イズ ベスト

笑顔でいられるようにするには 自分に どうしてあげたら良いか?
元気でいられるようにするには、自分に どうしてあげたら良いか?
自分が大好きで、自分の気持ちを最優先に考えてあげられたら、
色んな問題は、とってもシンプルに解決するんじゃないかなって。

手紙を一方的に送りつけて、「じゃ!」って。
問題は何も解決しないけど、少なくとも 傷つけられはしないし、落ち込んだり心を乱されたりはしない。
私が幸せでさえあれば、全てOK。
まずはそれだけを考えて、余力ができてから それからのことを考えたら良い。

んだね。
余力がないのに、何も戦いを挑まなくても良いんだよね。
余力ができてから考えたって良いんだよね。

今まで 余力がないのに 頑張りすぎたから 壊れちゃったんだから、
私の気持ちを最優先に考えてあげれば良いんだよね。

っつーことで、気分が浮上した私は 市役所やら銀行やらへ出掛けて、名前&住所変更をして一日が終わりました。

私が私であること。
笑顔で一日が始まり終わること。
笑顔で眠りにつけること。
笑顔で元気。
自分大好き。
一番大切なことは、今、何を最優先に考えるべきなのか。
私が笑顔で元気でいられるために。


2006年09月14日(木) 自己主張の勧め

今朝はベランダから養老山脈がとっても綺麗に見えました。
久しぶりに爽やかな朝です。

ポストに投函されるクーポン付きの無料冊子のお店情報を見て、もうすぐ湯豆腐の季節だなぁって思って嬉しくなり、
あらら?夏が過ぎ行くのに嬉しいだなんて??ってびっくりしていたら、
土曜日の夜に出掛けたコンビニでおでんを見て、そう言えば もうすぐおでんの季節だなぁ楽しみだなぁって思って、またもやあれれ?って。

おでんや湯豆腐や鳥鍋や...
私は1年間、本当に楽しい食卓を囲んでいたんだなぁって今朝気が付きました。
季節感のある食卓を teaと楽しく囲み、美味しいねって言いながら、楽しく食事をしてたんだぁって。
去年の私はまだ不安定で、お薬も減量中だったけど、だからアップダウンがあって最悪な状態だったけど、
豊か(高級食材が並んでいるという意味ではなく)な食卓は、心を豊かにしてくれるのねって
改めて 今話題になっている『食育(しょくいく)』というものの大切さを知りました。
季節が移っていくことを楽しみにするなんて、今までの人生で一度もなかった感触です。
私は『季節』を 目に見える見たそのままの『季節』としか感じてなかったのね。
こんなに豊かな季節の移り変わりを 心で感じていなかったなんて、ずいぶん勿体無い時を過ごしてきたものです。
食べることって、命の根源に関わることなので、楽しい食卓を飾ることの大切さをもっとみんなが実感すれば、
すぐに人を殺しちゃうような 短絡的な思考方向に向かっている日本全体が変わるだろうにと思います。


さて、題名の『自己主張の勧め』について

あなたは 夜、自転車をこぐ時に、ライトをちゃんと点けて運転していますか?

昔、バイクの免許を取りに 自動車教習所へ通っていた頃、先生に昼間でもライトを点灯しなさいと教えられました。
道を照らすのではなく、自分がそこにいることを自動車にアピールする為に だそうです。

バイクは自転車と同じで二輪です。
車幅はとても狭く、自動車の半分もありません。
車道の真中を走っている時は、自動車のバックミラーに映るけれど、ミラーの死角に入ってしまって、
そこにいるのに 車からは見えていない状態』になってしまう現象がおきます。
車からは見えていないのですから、そこに存在していないものとして車は走ります。
そして
自動車の左折に巻き込まれたり、急ブレーキを踏まれたり、左側に寄られて危ない目にあったり、
最悪事故ってしまう場合もあります。
窓を開けて車を走らせていたらバイクの音は聞こえるけれど、窓を閉めてオーディオを聞いていると、バイクが脇をすり抜けていくことに気が付きません。

軽くすり抜けていくスクーターなどに「おぅおわ!!」ってびっくりして心臓がバクバクいうようなことがよくあるのですが、
スクーターしか乗ったことがない人には、スクーターはどうも自転車感覚のようで、
自分がスピードの出る危険でとても不安定な乗り物に乗り、自動車と同じ車道を走っていることが危険なことだとは思ってもいないようです。

おっと!横道にそれてしまいました。

で、昼間のライトは目立ちません。
でも、ちゃんと光っているのです。
その光によって、ミラーに映りこみ、何かが自分の後ろにいることに気が付きます。
(バックミラーを見ないで マイペースで運転している困ったちゃんには 何をやっても無駄なんですけど)
自分がそこにいることをアピールする大切さを 教習所で まず教えられました。
自分を守る為に。
(だって、バイクは 生身のまま高速で走るので、転んだら必ず怪我をするのですから)

自転車のライトもそうです。
暗い夜道を照らす明かりというアイテムだけでなく、自分がそこにいることを車にアピールしないと、
自転車って(歩行者もですが)、本当に 夜 車に乗っていると見えないんです。
車はライトを照らして走っているから、自転車や歩行者には「あ、車が来てるな」って分かるんだけど、
車側からは 自転車がいることも 人がいることも 全然見えてない。
だから、視界に急に自転車が現れたり、歩行者が現れたりして、心臓がバクバクすることが多々あります。
自分を守る為に、自転車でも夜はライトをつけて走ってね。

そして
これって、生きることにもつながると思うんです。
自分がここにいるよって ほんの少しでも良いから自己アピールすること。

全盲の友人の家に遊びに行くと、私はジーンズのベルトに鈴を付けていました。
私が動くと鈴が鳴る。
目の見えない友人は、ニオイと音が私の情報の全てで、何も喋っていないと私はそこにいないのと同じになります。
私は見えているので、自由に動くけど、友人は見えないので、行動線上でバッティングする。
動きがとても早い友人と 友人をよけ損ねた私は何度もぶつかって、
そうだ!!って鈴をつけることを思い立ち、チリンチリンと鳴らしながら歩いたら、これは便利だと喜んで貰えました。
そして その鈴の音のお陰で、もうぶつかることはなくなりました。
一緒にいる時には 鈴をつけていましたので、そのうち私がじっとしてて鈴の音が聞こえなくなると、
「どこにいるの?」って声を掛けてくれるようになりました。
鈴の音はしていないけど、家から出るドアの音もしていない。
一体どこにいて、何をしているんだろう?ってね。
鈴をつけていたお陰で、音がしなくても私がその部屋に存在していることを思い出させてくれて、
鈴を付けてない時には、音を立てていないと『いないもの』だった私が 
音を立てていなくても『部屋に存在している人』になりました。

昼間のバイクの点灯、自転車のランプ、腰につけた鈴。
自分がそこに存在していることをアピールすることによって、自分を守ったり、人を守ったりします。

私はここにいるよって 自己アピールすること。
その言葉で私は傷ついてるんだよって 自己アピールすること。
私はあなたの傍にいて、ちゃんとあなたを見ているよって 自己アピールすること。

何も言わなくてもわかってって貰えるのは理想だし、
何も言わなくても私の存在に気が付いて 
何も言わなくても私の気持ちを分かってくれたら嬉しい。
でも。
何も言わなくても 私以外の人に 私の本当の気持ちをわかって貰えると思うのは傲慢だし 危険。
人に自分の気持ちをゆだねてしまうのは 嫌。
夏海ちゃんは、こう思ってるんだよね?って 私の気持ちを そう推し量ってくれて言われても、
うーん...遠くは離れていないんだけど微妙にニュアンスが違うなぁって思ったりします。

嬉しいことは 嬉しいと
違うことは 違うと
悲しいときは 悲しいと
寂しいときは 寂しいと
きちんと言葉にして相手に伝えることは、自分を守ることと同時に 
大切なコミュニケーションや 誰かを守ることにもなるんだと思います。
ちょこっとだけ 勇気を出して


2006年09月13日(水) 疲れた...

うーん...どうやら日記に書いた例え話が 文章能力がないせい?で 誤解を招いてしまったようだ。
私は、恋愛について相談されていた。
最終は夜中に来たメール。「あなたに相談したのが間違いだった。さようなら」と書いてあった。

8月29日の日記かなぁ?
水性蚊取り線香が 私にとってアレルギーの対象になることをきちんと説明しないで母親を責めているなんて、
結局は夏海は話し合いから逃げていると指摘されました。

あれは、たとえ話であって、母親に勝手に婚家へシロアリ駆除をされたことはないし、
水性蚊取り線香は実家では24時間つけっぱなしになっているけど、それは私のためにではなく、母親の家の住人達(おもに孫たち)の為に であって、
いつ行くか判らない私のために、私以外の人にとっては毒でも何でもないものを消せとは言えない。

私が化学物質過敏症であるから、そうでない人には理解され難いってことを 殺虫剤を例に出して、
そうである人と そうでない人は 相互理解するのが難しいって話をしたかっただけなのだが...。
そして、私は傷つけられる度に きちんと説明している。
そして私をこれ以上傷つけないで欲しいと懇願している。
でも、それは理解して貰うには 世界が違いすぎて 本当の意味では理解して貰うことが難しいだけであって。
例に出した、水性蚊取りがダメ なのではなく、化学物質過敏症なのだと どれだけ説明しても、
『化学物質過敏症』と理解するよりも、『水性蚊取りが苦手』なのだと理解する方が 単純に覚えやすく、
自分が想像して理解する上でとっても簡単であり、
でも、根本原因であるところの『化学物質過敏症』が何であるのかが理解していない為に、同じ類のことを繰り返し行うってことを
世界において 少数派である『化学物質過敏症』を例にあげて説明しただけだったんだけどな。

そして、母親との対話に逃げている夏海から 上からものを言うようなアドバイスなどされたくない。
むかつくと言われた。

うーん...
そうだね。
そう思ってしまった以上、何を言ってもムカツクだけで、私の言葉は耳には届くだろうけど、心には届かない。
人には合う 合わないがあり、
人は言葉を脳で聞くようにできているから、聞きたい言葉だけが聞こえて、見たいものだけが目に入る。
そうメールに書いたら、
夏海は人の心を逆撫でするのが上手(だったかな?)だと言われた。

確かに今回はそうだろう。
突いて欲しくないことを 『今回した相談』の内容と関係ないところから引っ張ってきて、あーだこーだ言われたのだから、ムカツクのは当然だやね。
でも、棚上げされている前前からの相談 悩みと 今回された悩みの 根本のところは繋がっていて、
繋がっていることを本人が理解しなければ、同じことを繰り返すであろうと思うから、私の視点からアドバイスをした。

私はカウンセラーではないし、カウンセリングの勉強をしたこともない。
私は私の経験からしか ものを語れないし、
話す方法も おせっかい過ぎるなぁとは思う。
プロなら、相手にもっと考える余裕を与えるだろうなと思う。
相手のことを長い目で見て考える余裕が私にあるのであれば、上司のように 何も言わないでとことん自分の力で考えさせるのが大人の方法なのだろうと思う。
指示を出すことは簡単で、でも指示を出されてそれに沿って進んでばかりいたら、
自分がそう(与えられた課題をこなしているだけ)であることをちゃんと意識していないと 何も残らない。
教えて貰える前提で行動するので、何も覚える必要がなくなる。何も考える必要もなくなる。
それが解かっていながら できないのが私であり、
まだ完成されていない 過渡期 治療途中のあかしなのだと思うのだが、
そうだね。私に相談する人にとって、私は完璧でならなくてはいけないし、欲しい言葉を言って欲しいし、痛いところは突かれたくないし、相談したこと以外には触れて欲しくないよね。
この問題はこっちへ置いて置いて 実は他にも...と言われても、
あれとこれとを別々の問題として考えられる程、私は賢くない。

一番解決しなきゃならない根本的なことを置いて置いて、恋愛の話をされた時、うーん...って正直思ったけど、
恋愛が 相談してくれた人の人生に 彩りや 華やかさや 幸せや ホッとできる居場所や 未来への希望や 
モロモロのプラスの方向の感情が湧きあがるのであれば、
辛い現実にも踏ん張って 新しい未来へと突き進んでいけるなぁって思って返事を返した。
ただし、私とその人とはタイプが違って、私には同じ思いをした経験がないことなので、他の掲示板を紹介したり、私の視点からアドバイスをしたりした。
でも、書いたように、一番解決しなきゃならない根本的な問題もあり、そして今回の恋愛に関する悩みも
その人の思考の『癖』が 全ての出発点であり、簡単に解決してはいけないことだと思い、敢えて苦言した。


人が望んでいる自分を演じることはとても簡単で、でも疲れる。
そしてどんどん心が磨り減ってしまい、自分は一体何をしてるんだろう?ってある日ハッと気が付く。
自分は何て薄っぺらい人間なんだろうと自己嫌悪に陥り、何度同じ事を繰り返したら 何度痛い目にあったら判るのだろうと自分の馬鹿さ加減に腹が立ち、落ち込む。
そうやって自分を嫌いにならない為にとアドバイスしたつもりが、どうも失敗したようだ。

私は 24時間『夏海』でいる訳ではない。
1日に1〜2時間程度だったり、『夏海』でいない日も 当然だがある。
仕事や日常生活をしている以上、メールも返せたり返せなかったりする。
すぐに反応できるときもあるが、すぐに反応できない方が確立としては高い。
メールをくれる人にとって私は、1対1だが、
私にとっては 本当に申し訳ないが、掲示板に書き込んでくれる人のうちの一人でしかなく、
途中で投げ出したりしないで誠実に対処する気持ちはあるが、『夏海』でいる時間が私の生活において圧倒的に短い。
そして、無理をして『夏海』でいると、私まで倒れかねない。
メンタル面において、私は まだまだ不安定で弱い。
私個人の解決できていない問題もあり、不安定になった時には返事もできなくなる可能性もある。

今回のことに関しては、色んなことに うかつだった私も悪い。
ことは緊急だと思い込み、早急に結果を出さないといけないと焦ったのかも知れない。
相談してくれた人のテンションと 私のテンションが噛み合ってなかったんだね。
間違ったことはしていないし、行き過ぎた回答をしたとは思わないけど(突っ込んだ回答はしたが)
その人が納得いくように最後まで付き合えないことに関して言えば、申し訳ないことをしたと思う。

その人の耳に入るような助言をしてくれる存在の人と出会えると良いなと思います。
まだ本当に若く、若いが故の暴走をしないで 明るい未来へ向かって歩いてくれたらなぁって思うのだけど。

人の怒りを受け止めるのは 精神を消耗させる。
疲れて家を出たら、車のセルが動かなくて駐車場でアタフタして 会社へ1時間遅刻。
今日は雨。
はあぁぁぁぁぁぁ...


2006年09月12日(火) 丁寧に育てられたか?

昨日の夜、筑紫さん+TBSの特別番組を見た。
番組の途中にお風呂に立ったteaは、「別に変えても良いからね」と言ってお風呂に行った。
私にはニュースを見ることができなかった過去があり、
その酷い状態の私を見ているteaは、このショッキングな映像を見て私のスイッチが入ってしまうことを恐れていたんだと思う。
5年前のあの事件のあと、私はうつを再発した。
今回のあの事件の検証をしていた映像を見て、スイッチが入ってしまう人もいるだろう。
ボーダーラインにいる人、崖っぷちにいる人
あのショッキングな出来事を映した映像が 背中を押してしまう可能性は高い。
こちら側で踏ん張って頑張っている土俵際にいる人の背中に最後の一押しをしてしまう程のショッキングな出来事だった。

「たった3000人(でしたっけ?)しか死ななかった」とteaは言った。
「何の罪もない人が ある日突然飛び込んできた旅客機によって命を奪われた」というTVのアナウンスに向かって。
テロは憎むべき行為であり、でも。
自分が旅をしてきたアフガニスタンなどでは、ある日突然ミサイルが飛んできて、何も罪のない善良で普通に生活している家族が住んでいる家が爆発し
愛する人達が亡くなっていくことが 日常なのだと。
何万 何十万の理不尽に死んでしまった人の数に対して、たった3000人だと。
それはテロなどではなく、正義の名のもとに行われた結果の『誤爆』だったりさえする。
「ごめんね〜 やっちった〜」
どれだけ謝罪されても死んだ命は もう生き返らない。
誤まって殺されてしまった人たちの残された人には恨みが残る。
そして 憎むべきテロは なくならない。
『右の頬を打たれたら 左の頬を差し出せ』と教えにあるキリスト教の教えとは一体何なんだろう?
自爆テロを行った人は英雄視され、その家族は一生安泰に暮らせるとteaは言う。
だから自爆テロはなくならないのだと。
自分の命と引き換えに家族の生活が一生保障されるという自爆テロを行う実行犯たちは、
宗教的狂信者なのだろうか?それとも、家族愛、自己犠牲的精神によってなされるのだろうか?
心の ではなく 胃袋の飢えというものを私は知らない。
ミサイルに莫大なお金を投資するのではなく、食料を援助し続けるのなら、
少なくとも宗教的狂信者ではない実行犯が行うテロはなくなるのではと思う私は甘いのだろうか?


さて 本題に。
「恩に着せてまで していらん」
母が私たちによく言った言葉。
「(食後の)後片付けしてあげるわ」の言葉に対しての返事だ。


叔母(私に捨て台詞を残し去っていった かの人です)がある宗教に入信していて、
叔母に誘われて母は「家族入信」し、
自動的にいつの間にか私もその宗教の一員になっていた。
仏教の教えと その宗教団体の創立者の母親が 入信していた宗教団体の教えと合いまって
「お蔭さま」という思想が浸透していた。
そして「○○させていただく」の思考方向。

駅前の掃除や集合住宅なら共有部分の掃除など、
「掃除をする」ではなく、
「掃除をさせていただく」

大上段に構えるのではなく、○○させて下さいという心構え。
喜んで奉仕をする『思考方向』を絶えず言われていた。

母や叔母が言う。
自分の父親や母親(私にとって祖父母)が言っていた言葉通りのことを言われているので受け入れやすいと。

電車に乗っている時、
重い荷物を持っているお年よりを見かけると、祖父母は子供達にこう言ったそうだ。
「あの荷物を 持たせて貰って来なさい」
子供は素直に親の言葉を復唱する。
「その荷物を、私たちに持たさせて貰えますか?」

「あの重そうな荷物を 持ってあげなさい」
ではなく、
「持たさせて頂きなさい」

海の幸を頂いて 生活していた祖父は、生活全てにおいて 『お陰さま』だったように思える。
海が荒れたら漁ができない。生活ができない。
赤潮が発生したら、魚やカキは死んでしまう。
漁ができることへの感謝。
生活ができることへの感謝。
叔母(祖父の娘)が病気になった時、大漁だったお陰で 病院へ連れていくことができたと 何度も涙を浮かべて話していた祖父。

漁師の仕事が早朝なのであれば、子供達が学校から帰る頃には家にいて、
海が荒れた日にも家にいて、
祖父母の子供達は、丁寧に育てられたんだろうなと思う。
生活の知恵や 人への接し方をきちんと教えられ、
奢るもんじゃない。人に接する時は、相手のことを考えて行動しなさいと教えられ...

その子供であった叔母は、「私がこんなに してやってるのに」と自ら買って出た自分役割に対して私に愚痴り、
その犠牲として 「私は子供とコミュニケーションが取れない」と私に懺悔する。
懺悔すべきは 自分の子供に対して だろうに。
自分の手に負えなくなった(意思の疎通ができない)娘を宗教団体に預けて人間形成がなされていくのを祈る。
そして、お陰様でこんな風になったと報告した叔母。
んっとね。
間違っていると思うな。あたし。
他人に育てて貰った娘を見て喜ぶ...
へ? あれあれ? 私の母親もですかい?
ありゃりゃ
話を聞いた限りでは、丁寧に育てられただろうに、勿体無い。

そして母は 上記の言葉を吐く。
「恩にきせてまで していらん」

自分は丁寧に育てられて、その土壌があったから言った言葉なのだろうが、その言葉から何を汲み取れと言ったのだろうか?
私が汲み取った言葉は こうだ。
「労働の見返りとしてお小遣いをやると言ったのだから、それ以上恩を着せるな」
祖父母が言いたかった言葉であろう「させて頂く」の精神は あなたから私へは引き継がれなかったね。
ざんねんっっ!!
私が母に教えられたことは、「お金を払った以上、私は客よっ!!」の精神だった。
どこで どう間違っちゃったんだろうねぇ?

させて頂くと口先だけで『言う』のは簡単で、そう自分が思っていると思い込むこともとっても簡単。
そう叔母のように。
他人にはできることが、私に対しては 「してやってる」と恩に着せていることに 本気で気が付いていない。
「これだけしてやってるのに」と恩を強引に売りつけていることに気づかず、
感謝されないことに苛立ち、にも関わらず私の体調が良くならないことに苛立ち、捨て台詞を吐いてサヨナラ。
これは 悪でさえあると思うのだが?

祖父母の下で丁寧に育てられ、宗教によってそれを再確認した母と叔母。

ごめんね。やっぱり住んでいる世界が違っているんだね。
祖父母は私と同じ世界だったのだろうか?
伯父は同じ世界だった気がする。(父親としては失格だったが)
何が違う? どこが分岐点だったんだろうね?

皇后である美智子さんが 子育てバイブルとして作った『ナルちゃん憲法』の話をHPで少し読んで、
丁寧に育てられた人は やっぱ違うよなぁって思ったけど、
それを受ける側の資質ってあるんだなぁってことが 今朝判った。

私は 父母の思考を受け継がなくて幸運だった。


2006年09月11日(月) 世界が変わった日

5年前の今日、世界が変わりました。
もう5年。
まだ5年。
5年前の夜、TVのチャンネルを変えたら、ビルが燃えているのが映っていました。
何かの映画?って思っていたら、本当の出来事で、
もう1機の旅客機がビルに突っ込んでいくのをライブで見ました。
何が起こったのか わからないまま、呆然とTV画面を見ていました。

家の外に星条旗を掲げない家は、攻撃の対象になる。
自由の国アメリカの自由がなくなりました。

イスラム教が 理不尽にも悪の宗教のような報道のされ方をされ、
報復として アメリカがしかけた戦争(一般人を沢山殺したあの攻撃は戦争でなくて何なのでしょう?!)は泥沼化し
日本はアタフタしながら アメリカのお尻を追いかけて日本の軍隊である自衛隊を派遣した。

地球が変わってしまった日。

そして 『あの日以来、世界中が手をつなぎ、戦争がなくなり、平和な地球になった』という歴史は まだ作られていない。


2006年09月10日(日) 過去の遺物が

書く場所がなかったので f^^;
ここへ...




●夏海(345) 題名:過去の遺物が... 投稿日 : 2006年9月12日<火>

怒涛の書き込みをして、
昨日の特別番組を見て
『何か』のスイッチが入ったのかも知れない。

過去に母親に言われた言葉が 次々と私を傷つける。
過去に囚われてしまわないようにしなくては。
もっと心を 意識して強く持たなくてはならない。

5年前の出来事のあと、私はうつを再発してしまった。
今年は大丈夫。
そう言い聞かせながら、私は 私の日常を生きる。




さてさて、もう『年末』です f^^;(今日は12月8日です)
離婚 → teaの父親の葬儀(&親戚への紹介^^;) → 再婚 → 引越し
本当に色々あった一年なのに、あっと言う間にここまで来ちゃったねって感じ。
なぁにやってんだか、私は前に進んでるんだか...
目の前にある問題を 一つずつ 一つずつ片付けていってるだけなんだけど、
何とか ここまでやってきたって感じッス。

過去の遺物...
悩まされた過去の遺物は、母親の心無い言葉たち。
それまで思いっきり真面目に、言う通りに過ごしてきたのに、
授業を1時間だけ(正確には2時間かな^^;)さぼって友だちの家に遊びに行ったら、
2時間目の先生に何だか大騒ぎされて、担任から家に電話があったんだとさ。
んで、家に帰ったら説教になったんだけど、散々説教された後に、
「もう サジ投げてたわ」って言われた。
はぁ?
いつから『サジを投げてた』の?
私、あなたの手に負えない程の何をした?過去において。
この言葉を聞いてがっかりし、もう努力するのは止めようと思った。
良い子でいても 何の評価もなく、すでにサジを投げられてるんだもん。知らない間に。

そして短大へ進学し、その短大は高校の延長のような学校で、
(他の短大はどうか知らないけど)入学式の後、クラスで集合写真を撮ったのね。
それを見せたら、ニヤニヤしながらこう言いました。

「ズベ公やなぁ」
「公衆便所って言うんやったっけ?」

この人は 一体何を言ってるんだろうと思って、はぁ?って聞いたら、
「公衆便所って言うんやろ?誰にでも股開く女は」
「股開いて座ってるやん!格好悪い!」だって。
かぁちゃん
それ別人ですけど。

最前列に座っている私ではない誰かが 膝頭を合わせていないで座っている姿を見ての母親の言葉でした。

自分の娘を見間違えるのもどうかしてるけど、
自分の娘に向かってその侮辱の言葉は なに?!

たった膝頭をそろえていない姿を見ただけで その言葉が出るってことは、
普段から そういう目で見ていたってことやね。
私は母親を軽蔑しました。
これはジョークでも何でもなく、あきらかに侮蔑の言葉です。
どれだけ本人がジョークだと言い切ったとしても。
新しく知った『公衆便所』と言う言葉を使いたかった?
あんた、アホやろ


私がもしそうだとしたら、それは そう育つようにと あんたに育てられたせいやね。
って言うか、あんたに育てられなくて 私は幸運だったよ。

もともと他人の家に住んでいる感があり、早く家を出たいと思っていたけれど、
ますます早く家を出なきゃって思いました。
毒が体中に蔓延して、ここから抜け出せなくなる前に。

未だに毒を吐きつづけている母親。
かぁちゃん、あんたはそれで幸福なんかい?


その後 弟が亡くなり、イトコが家に下宿に来た。
学校へ通っていたイトコの帰りが遅いのを心配して、その後に私の父親の言った言葉。

「襲われるくらいなら、死んでくれた方が良い」
「暴行された苦しみを見るよりも、いっそ殺された方が良い」

父母にも学校にも言わなかったこと。
私は中学3年生の時に、後ろを追けて来た男にアザができるくらい膝蹴りを何度もくらい、キスをされ、暴行されかけた過去があります。
(ファーストキスでした)
たまたま人が通りががかってくれたので、「助けて」と叫んだら 捨て台詞を残して逃げて行ったお蔭で暴行されずに済みましたが。

とおちゃん、私は死んでいた方が良かったんだね。
殺されていた方が良かったんだね。

私を助けてくれたのは、クラスメイトの当時学校で はばをきかせていた男の子で、
自分のテリトリーで起こった事件として腹を立ててくれて、
たまたま相手を特定できたので呼び出すことになって、そうしたら先輩も続々集まって来て、結構な騒ぎになったんだけど...。
その子がいてくれなかったら、今の私はいなかったと思う。
単車に乗ったり、タバコを吸ったりと いわゆる世間で言うところの『不良』だったけど、
助けた私に何かを要求する訳でもなく、私のことを心配してくれ、最後まで守ってくれて本当にありがたかった。

信用できない親を持つと、子供は苦労するね。
ここまで信用できなかったから、かえって私は幸運だったのかも。

本当に ここまで生き残って来れたのは奇跡だと思う。
今が幸せで 良かった。
死ななくて 良かった。


2006年09月08日(金) 苦しい

ある掲示板で知り合って、過去に私に励ましのメールを下さった人がいます。
今、その掲示板が荒れてしまって(バグのせい?)、閉鎖(一時お休み?)になり、悩みではない『何でも掲示板』の方だけが生き残りました。
その『何でも掲示板』に書き込むと、『どのホストから書き込んだのか』 が表示される為、
以前から会社からは書き込めない板でした。
相談の掲示板は、書き込み自由で、自分の情報も表示されない。
それに対して、自分の情報(全てではないにしても)が書き込まれるので、そこに相談を書き込んだものに対してレスはあまり付けられなくなりました。
私はというと、自分のことで手一杯になってしまって、そして会社のセキュリティーが厳しくなったので、
自分の掲示板にさえ書き込めず、自身のHPの更新も週1程度になっています。
たとえ『相談掲示板』が残っていたとしても、たぶん書き込みができない状態で、
webメールも週一程度しか送れない状況です。

そのその方は、うつです。
母親も父親も味方ではありません。
とっても頑張りやさんな為、家でさえ 頑張ってしまうのです。
そして心無い言葉の連発。

彼女は相談の方には書き込まず、ただ『愚痴』を『何でも掲示板』に吐き出していました。
私のように 自分のHPを持っていないので、吐き出し場所が そこだったのでしょう。

弱音を吐いていた時に、メールを出しました。掲示板にレスを付けるのではなく。
内容は、「相手を見下せば、楽になるよ」です。
何も考えないで言葉にしてしまって、そこにいる人たちを凍りつかせてしまうような人の言う言葉には、傷つく価値もないと。
お返事が来ました。
その不愉快な出来事があった直後に書きなぐったように 心情を吐露しただけであって、大丈夫だよと。
「あそこは、私の感情の捨て場所なの」と。

私の上司がメンタル面で理解があり、とっても羨ましがっていました。
その状況はとても幸運で、でも私は違うんだと。
何も言えませんでした。
私と上司は、確かに仲良しに見えますが、甘やかされている訳でもはなく、厳しいことも、追い詰められることも 何度もありました。
でも
メンタル面で理解があることに変わりはなく、助けてと言えば、助けてくれる度量のある人です。
本っ当にキーーーーって腹が立つときもあるのですが。

彼女が掲示板の向こうで泣いているのがわかりました。
途方に暮れている様子が。

私は運良く家を出ることができ、運良く『PO』という自分の居場所を見つけ、
今、電車に乗ることも、バスに乗ることも、エレベーターだって乗れるし、地下鉄にも乗れる。
仕事をすることができ、決まったお金を稼げるようになり、自活できるようになりました。

彼女は、何年か前の私です。
私が声を掛けても良いのかな...
彼女にとって、能天気に見えるであろう私。 また傷つけてしまわないかな。

掲示板にレスが書いてありました。
この板は、もう終わっていると。
住人はいなくなり、誰も答えてくれないと。

彼女の痛みがわかります。
だから苦しいです。
彼女も住む世界が違う親や周囲と暮らしていて、心が悲鳴をあげている感じがします。

何もしてあげられない。
何かしてあげたい。
声を掛けても良いのかな...


2006年09月07日(木) 新婚さん

昨日友達からメールを貰いました。

最近知り合ったその友達は、出会う前に離婚経験があることを聞いていました。
実際会ってみると、離婚密度が高い私のまわりの誰にも当てはまらない、ごくごく普通の印象の人で、
一日中一緒にいても同じ印象のままで、
とっても穏やかな 普通に結婚して子供の優しい母親になり、幸せな一生を暮らす 
そんなイメージの人で、『離婚』という言葉が当てはまらないなぁって思っていました。
何をして、この穏やかな人が、離婚という選択をしなきゃいけなかったんだろう?って思ったら、
後で聞いたところ、旦那さんの暴力だったそうです。
なので、離婚が決定した時、みんなで「おめでとう」って祝福したんだそうです。

一日中一緒にいて私と別れた後、私と彼女の共通の友達に「夏海さんって、幸せそうだね」って言ったのだそうです。
神社好きの私と彼女とは 話が合い、一緒に神社巡りをしようねって話で盛り上がったり、
山は良いねぇって話で盛り上がったり、
特に何も変わった話などしなかった気がするのですが、一体何が「幸せそう」に見えたのかなぁって不思議でした。
って言うか、私は苦労が顔に出るタイプではないので、ほとんどの人に、悩みがなくて、いっつもニコニコしてて幸せそうだねぇとはよく言われます。
そして、幸せじゃない人には、そんな私の存在がウザイらしく、苛められたりしました。
能天気にのほほ〜んと生きてる風に見える私が(本当は違うのにね) 鬱陶しかったのでしょうね。

さて、やっとメールを出すことができた私に彼女は「ご結婚おめでとう!」ってお返事を下さって、
そして、「だから、幸せそうだったのね。思った通り!」って書いてありました。
新婚さんで、ラブラブねってね。

うーん...『ラブラブ』だなんて、微妙だ〜って思いながら、ま、いっか〜って軽く流しておこう思って、
友達から「幸せそうだ」って聞いて、何が幸せそうに見えたのか不思議だったの。
オーラがにじみ出てた?って
会社でも旧姓(つっても、厳密には旧姓ではないのだけど^^;)だし、同居して長いし、
自分が結婚した実感が 二人もなくて^^;
って書きました。

そうしたら、彼女からお返事が届きました。

『新婚時代は、大切だし入籍する事は大きな意味だと思います。
何時までお幸せでね(^_-)』

うーん 入籍することに対する執着や感慨はないんだよな〜って思いました。
でも、これが『普通』の感覚なんだよなぁって思って、反論することもないよなぁって思って、「ありがとう」ってお返事を書きました。
彼女は、本当に『普通』の人で、とっても穏やかで全てを抱きしめて、包み込んで貰えるようなオーラを持っています。
共通の友人は、彼女が男だったら、絶対結婚するのにって言ってるくらい、包容力に溢れている感じがします。

でね、たぶん入籍直後に 私が私の友達を一人無くしてしまったであろう言葉があるの。
「結婚って簡単だ」
このHPを時々覗いてくれていると良いなぁ。
そして連絡してくれたら、もっと嬉しいなぁ。(とっても心配しています)
言い訳しても良いかしらん?
私が本当に言いたかった言葉は、結婚(入籍すること)は、通過点でしかないってことなのです。

自分の両親を見て育っている私は、結婚に対して夢を持っていなくて、
子供の頃から「別れたら、どっちにつく?」って何度も言われながら離婚しない夫婦、
何で結婚しているのか理解できない夫婦を見て、私は我慢するのは止めようと思って育ちました。
「ダメだと思ったら、我慢して結婚生活を送るのは止めよう」そう心に決めていました。

恋人になるのは 簡単。
でも長く『恋』をしながら付き合っていけるのは、難しい。
それと同じで、結婚するのは 書類上の問題だけで、未成年でなければ誰はばかることなく結婚するのは可能。

でも

本当に よく言われる言葉
「今が一番良い時期だね〜」

『今』が一番良い時期で、これから下がる一方なのであれば、結婚なんてしたくないって思います。
結婚は 私の中では ゴールではなく、平凡な日常生活の始まりなんですから。
例えば結婚式というイベントが 新婚旅行というイベントが終わってしまったら、
子供が生まれたり、その子のためのイベントがなかったりしたら、
過去に自分の家族と一緒に住んでいた時のような、普通の毎日の繰り返しです。
結婚は生活であり、『結婚すること』『入籍すること』は難しいことではなく、
私にとって一番の課題は、二人で幸せに暮らせる期間をいかに長くできるか です。

結婚したことによって、幸せが保証された訳ではない。
それは、二人の努力によって、育っていくものだと思っています。

teaに感謝の心を忘れずにいよう とか、
teaを幸せにしたいなぁって思うとか、
これからも二人で ゲラゲラ笑って過ごしていきたいなぁって思うけど、
それが 『結婚』という形態であることとは イコールじゃない。

好きだなぁ 幸せだなぁって思うけれど、それは結婚しているからではなく、
teaが夫(ひゃー 『夫』だって f^^)でも、夫でなくても 変わらないことなんだよね。

うっかりスーパーで会ってしまった後輩に、「キャーー じゃぁ今、浮かれてるんですね〜」って言われて絶句してしまいました。
うーん別に普通なんだけどなぁって思って。
でも、3人の子供のお母さん&嫁姑バトル&旦那さんの浮気事件などを ガッツでこなしている後輩にとって、
恋をしていて、結婚したての私は『浮かれポンチ』に思えるんでしょうね。
(うーん『恋をしている』ってのもピンとこないなぁ...
大好きで、一緒にいるんだけど、もう家族愛になってるからなぁ
『家族愛』ってこんなに穏やかで『普通』な感じだったのねって 今、改めて思います。)

「この幸せにあぐらをかかないで、彼との生活を大切にしていきます」って 前出の友達にメールでお返事だしました。

私の「幸せだなぁ」って気持ちと teaの「幸せだなぁ」って気持ちとが足し算や掛け算されて、
どんどん膨らんでいったら良いなぁって思います。
そのためには、私はまず 私のために、幸せにならないといけないんだよなぁって思っています。


2006年09月05日(火) 何にも属さない私

毎朝自転車で通っていると、すれ違う顔ぶれは大体同じになります。
私は時間が適当なので、すれ違う場所は違ったり、
相手が自転車だとしたら、すれ違えなかったりはするんだけどね。

で、時々目が合ったりします。
乙女チックな私は(すんません。自分で言ってみました^^;)少女漫画のように、ここから恋が始まったりしてねーなんてバカなことを考えたりします。
駅までの道のりは、考え事や妄想をしたりして、結構楽しい時間です。
で、今朝の妄想を(笑)

今朝、すれ違う常連さんと目が合いました。
彼のことが特に好きとかではないのですが、妄想の開始です。
出会うとしたら、どういうシュチエーションがあるだろう?って色んなパターンを妄想して...。
で、私って恋をするのが好きだなぁと、しみじみと思いました。
『ただ恋をするだけ』 では、相手を選ぶ必要はありません。
結婚していようと、TVの中であろうと、おぢさんであろうと、学生さんであろうと。
話をしたことがあるとか ないとかも関係なく、
この人の笑顔が好きとか、
この人は、ドアを開けて私が通るのを待っていてくれたとか、
本当にほんの些細な事から始まります。
っつーても、私の中だけの話なんだけど。

付き合うのが前提ではなく、『恋をしていること』を楽しむのが好きで、
だから尻が軽いとか惚れっぽいとかってのではなく、
ドキドキしたり、ワクワクしたり、キュンとしたり、幸せな気分だったり、ラッキー♪って思ったり、
そこに『恋のエキス』があるのとないのとでは、ただその場所にいるってだけでも気分が違います。
毎日が楽しくなる恋って、思うだけならタダだし、誰にも迷惑もかけないし、
私の中だけって言う ちっちゃな世界限定の ほんの小さな楽しみ。

で、考えました。
昔と違って、寂しいから誰かと一緒にいたい と思って 相手を探しているのではなく、
楽しい毎日を送るだけの『恋』をするのが楽しい に変わったんだなぁって。

○○の彼女 ではなく、○○さんちの奥さんでもなく、○○会社の夏海でもなく、何にも属さない私でいられる気楽さ。
『PO』では、性別でさえ問題ではなくなります。
背負っている家庭や、会社やその役や、背負っている事情や 学生や無職や何千万円の契約を取引している有能な営業であろうと、
『そこにいるその人』が、全てであって、他の何もいらない。
全てが平等に扱われ、何の偏見もなく、みんなが同じ土俵にいる。
(自分ではありえないけど)それもアリだよねって言ってもらえる寛容さ
もしくは、それを言葉に出して言ってはいけないだろうってことを有頂天になって話していると、ペン!って叩かれる爽快感。
決して甘やかされている訳でもなく、何か話さなくてはいけない訳でもなく、笑っていなきゃいけない訳でもなく、
怒っちゃいけない訳でもなく、泣いちゃいけない訳でもなく、お喋りに加わらなくてはいけない訳でもなく、
ぼーっと一人で自分の考えに浸っていても良いし、
そこにいる 何にも気負わない自分 何も飾らない 強がったり見栄を張ったりしなくて良い『素の自分』でいても良い空間。
何にも属さなくても良いってことは、私が私でさえあれば良いってこと。
何かができる振りをしなくても 何かができない振りをしなくても良い。
電車に乗れなくても 私は私。
エレベーターに乗れなくても 私は私。
傘をさして 自転車に乗れない不器用な私も私。
部屋を片付ける才能がなくても 私は私。

teaが言ってた。
阪神淡路大震災で、生き残った中年の男性の死亡率は高く、それは『会社』という日常がなくたってしまって、自分の居場所を失ってしまったストレスによるものだと言う。

会社を引退して うつになる人は多いと聞きます。
会社の中で、部長さんとして扱われてきた『自分の肩書き』がなくなり、『素の自分』になってしまって、どうしたら良いのか分からないのが原因だそうな。
何にも属さない『ただの自分』でいることの居心地悪さ。
会社ばかりで地域に密着していなかった人に多いのだそうな。
近所の人や町内会の付き合いは 全て奥さんに任せてあって、会社だけ頑張ってきた人。
家族の為と言いながら、会社を理由に逃げていはしないですか?

何かに属しているのは、とっても楽です。
でも、その『何か』に依存してしまうのは、とっても危険だと思います。
何かに属しているのも自分。
そして、何にも属さないでも 自分は自分。
なにも飾りを付けない『素の自分』を認めてしまうこと。
それが、自分を好きになる一歩かも知れないね。


2006年09月01日(金) ちょっと一息 ^^

ゴングが鳴って、怒涛の書き込みをしました。
私の頭の中にあるものを全て出してしまわないと、この問題は終わらない。
そう思って、どうわーーーっと書きました。
身体の悪いものと同じで、心の悪いものも吐き出さないといけません。
身体の悪いものを排泄できないと、病気になるように、
心の悪いものも きちんと排泄できないと やっぱり病気になります。
自らを『攻撃的』だと言う友達に対して、私は『怒れない』タイプだったので、
(怒るタイミングを逃したり、後になって自分が腹が立っていることに気が付いたり、
じわじわと腹が立ってきたりして、相手に対して「怒っていること」を言うタイミングを逃していたのです。
 って言うか、何に対して怒っていいのかが、きっとイマイチにぶかったんですね。
 本当は腹が立っているのに、それに気が付いてなかったり...)
自分の感情を吐き出せなくて、蟹さんのところで一番最後に教えられたのは、『怒り』でした。
怒ることができるのは、自分が不快であることがちゃんと解かっている証拠で、
だから、怒ることはとっても大切で、自分が怒っていることを相手に伝えることはとっても大切なことだと思います。

っつうーことで、ひとまず心を吐き出したところで、ちょっと一息 ^^


昨日teaが釣りに出掛けました。
狙った獲物は鯛!
80cmオーバーの鯛を釣って、テトのように「誉めて 誉めて」って感じだったので笑っちゃいました。
teaは『漁』をするタイプの釣り師で、闇雲に沢山釣って、貰ってくれる人を探すことはしません。
これは美味しくないぞって魚はリリースしても、釣ることを楽しんだだけで、後はリリースするなんてことはしません。
釣った魚は美味しく頂き、食べられるものは骨まで から揚げにしてくれます。
獲物を釣りたいteaは、地元の人に情報を貰う為、地元ならではの楽しい話も美味しい晩御飯のおかずです。^^
teaが釣りに行くと、美味しい海の幸が食べられるので、とっても嬉しい。
そして、teaが釣りに行くと、磯の香りがするし、
teaが道具の手入れをしたり、仕掛けを作ったりしているのを見ていると、自分の道具の手入れをしていた祖父を見ているみたいで心が安らぎます。
私の故郷は、祖父の傍だったんだなぁって心から思います。
teaが道具の手入れをしているのを見て、心が安らぎ、幸せだなぁって思っていることを母が知ったら、理解して貰えるのかなとも思うのですが、
そんな単純で簡単な幸せを理解して貰えるのかは、微妙な感じがします。
私と同じように祖父の傍で育ったのに、母と私が違う感覚を持つ人間だってことを不思議に思います。
生活でいっぱいいっぱいだった母の子供の頃に対して、同じく生活を支えないといけない立場であったにしても、
私が孫という立場で、祖父も年を取って穏やかになっていたのかも知れない。
厳しくて怖い祖父でしたが、今になって思えば、孫みんなのことだ大好きだったんだなぁって 懐かしく思います。


昨日、地方新聞である『中日新聞』にこんな記事が載っていました。
13歳の男の子が警察に通報して、虐待していた父親が逮捕されたって。
あっぱれ!!って思って、こういう時代がやっと来たんだと喜びました。
虐待は、許せない行為です。
この事件は、虐待されていることを子供が警察に言い、警察が動いてくれた初めてのケースでしょう。
これから、もっと虐待されている子供が自分でSOSを出して、心の傷をそれ以上深くしないうちに、虐待のない自分の居場所を見つけていって欲しいって心から思いました。
問題は ただ一つ。
身体の虐待は、目で見ることができる。
でも、言葉の暴力で虐待を受けていたとしたら、助けても貰えるんでしょうか?
性的暴力は?
(性的虐待を受けている子供は、自分を責めるのだそうです。悲しくて痛々しいことです。)
もっと基準をはっきり明確にして欲しいと思います。

電車の中で見出しだけを見て、会社で検索してみましたが、アクセスが多すぎて探せませんでした。
で、家に帰ってから中日新聞のHPから検索してみたら、母親の元に転がり込んできて入籍した男が虐待していた父親だと書いてありました。
すぐ傍で母親は見ていたんだけど、助けては貰えず、その暴力は自分だけではなく、妹までに及んで、妹を助けるために警察に相談したそうです。
「このままでは、妹は殺されてしまいます。どうしたら良いんでしょう?」
酷い暴力を受けていたであろう自分の為ではなく、妹の身の安全を図るために。

私の知り合いは、母親の夫になった人に性的暴力を受けそうになって 祖父母のもとで暮らしたそうです。
私が自分の父親でさえ、男のにおいがして、恐怖を感じたのですから、赤の他人である母親の夫に狙われているのを知った恐怖はどれくらいだったんでしょう。
内田春菊さんも本に書いてらっしゃいますが、母親は手を出した男から娘を守るのではなく、女として嫉妬するケースが多く、
「あんたが色目を使っているんだろう」と 逆に責められてしまった場合、居場所がなくなります。
そして、やはり自分を責めます。
そして自分なんていなくなれば良いと思うようになります。
私の知り合いは、男性恐怖症にはならなかったけど、微妙に恋愛依存ちっくで、結婚&出産後 今はどう暮らしているんでしょうか....

そんなこんなを考えた今日一日でした。


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