思うところがありまして
7月5日の日記の『毒吐き』部分を削除いたしました。
ご心配をおかけした方
メールを下さった方々
ありがとうございました。
ご迷惑をかけた方
お詫びいたします。
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7月1日
友人Kが亡くなった。
彼はいくつだったんだろう…?
たしかまだ、32歳くらいだと思う。
7月4日朝
私はそのことをはじめて知った。
思えば1日には、K宛にメールを送っていたのだ。
でも、返事はなかった。
いつも必ず返事をくれる人なので
どうしたのかな…と思ったが
また体調が悪くなったのかもしれないなぁ、と
気にしつつも深くは考えなかった。
Kとは、とある日記サイトで知り合った。
はじめて会ったのは2年前の9月のオフ会で。
もっとも私にはそれがそのサイトでのはじめてのオフ会だったから
だからその日会った人は全員初対面だったけれど。
Kはイメージ通りの人だった。
温厚で自然体で、でもちょっと斜に構えたようなウィットがあって
言葉にセンスがあった。
誰かが「なにげにかっこよかった」と言っていたけれど
その通り!
といっても外見ではなくて(といったら失礼かもしれないが)、
そう。内面がかっこいい人だった。
Kは私たちと知り合うずっと前から闘病生活を送っていた。
そうだ、彼は闘っていたのだ。
私たちはつい忘れてしまいがちだが
彼は常に死と向き合っていたのだ。
Kは、私にとってとてもたいせつな友人だった。
恋愛感情…こそはなかったけれど
やはり男性として、好きな人だった。
…って、なんと説明していいものやら。
ちゃんと異性として好ましいのだけれど
そこにセックスが介在しない。というかなんというか
彼を知っている人なら、この私の感情がきっと理解できる。
そう、なんと言ったらいいのか・・・
極めて精神的に好ましい異性なのだ。
現にKはそのサイトの奥様連中からとても人気があった。
(いや、そもそも主婦が多いサイトなんだけど)
共通していることは
みんなとても
彼を尊敬していた。
Kとの思い出はたくさんある。
昨年の3月に映画のタダ券が手に入ったからと
有楽町に映画を観に連れてってくれた。
ラッセル・クロウとメグ・ライアンの「プルーフ・オブ・ライフ」だった。
それから、今年の3月にはドリカムのコンサートへも一緒に行った。
それからそれから…ビデオやMDや映画の招待券や
いろんなものをたくさんもらった。
やさしい人だった。
突然だった。
とつぜん彼は消えてしまった。
約束がいくつも残っていた。
なぜだろう。
私は、当然のように
Kはいつか良くなると思い込んでいた。
自分の前に当然「明日」があるのと同様に
彼の前にもいつもの「明日」があって
私はあたり前のようにKに
8月や9月の話をしていた。
でも、Kにはわかっていたのかもしれない。
すくなくとも
そんなにたやすい「明日」があるとは
彼は思っていなかったのだと思う。
9月の埼玉アリーナのドリカムのチケットが取れたんだけど行きますか?
とKが聞いてきた。
でももしかすると僕は行けないかもしれません。
そのときは誰かを誘って行ってくださいね。
とKは言った。
7月4日
いっぱいいっぱい泣いた。
こんなに泣いたのは久しぶりなくらい泣いた。
悲しくて悲しくて
もうとても日記の更新などできないと思った。
HPはしばらく休止しようと思った。
しばらく泣いて、何が悲しいのか考えてみた。
もう二度と会えないことが?
いいえ。
Kはたとえずっと会えなくても
記憶の中で気持ちよく存在してくれる人。
だから
彼とはまたどこかで会えそうな気がしてしまう。
そう思ったら、少し悲しみが薄れてきた。
今の私にできることといったら書くことだけ。
Kのことを書くこと。
そのぐらいしかできないのだもの。
午後になって家を出た。
いつものように買い物に行った。
これ以上家にいたら、いつまでもずっとPCの前に坐って
何度も何度も彼の死を確認してしまいそうだった。
意味もなく買い物をしまくった。
怒涛のように買い物カゴに突っ込んだ。
今度はなんだか腹が立ってきた。
神様はどうして、あんなに愛されている人を
さっさと連れて行ってしまったんだろう!?
いや、もしかすると彼は
早くに召される運命だったからこそ
あんなにまわりから愛されたのかもしれない。
人が一生分で受ける愛情を
30年余の間に凝縮して。
人生の中で
家族や恋人以外で
ああ、この人と出会えてよかった~と思える人が
いったい何人いるでしょうか?
Kは私にとってそんな友人のひとりでした。
もう痛くないよ。苦しまなくていいよ。
ゆっくり眠ってね。
ほら、私があげた携帯用ミニ扇風機、
今年の夏は重宝しそうって言ってたじゃない。
忘れずに持って行ってよ。
あちらも暑いよー。きっと。
おやすみ。
言えなかったたくさんの「ありがとう」をこめて。
2002年07月03日(水) |
あたしんちの学校事情 |
長男が受験を決めた理由は
地元の公立中に行きたくない、ということでした。
ただ、別に誰それが行くから嫌だ、と特定の対象がいたわけではないらしく
ただただその中学の「荒れているという評判」に不安を抱いたようでした。
一昨日の日記にも書いたけれど、学校からほど近いところに
巨大な高級マンション群がありまして
この前なにげに「成田離婚」というドラマの再放送を見ていたら
そこの町並みが出ていたのでびっくり!
そういえば以前ロケに使われたって聞いたことあったような・・・
…なんて書いちゃっていいのかな。どこだかバレちゃうかしら?
うちの小学校のなんと4分の1が
そのマンション群の子どもたちなのです。
で、わがやはそのマンション群ではなくて
工業地域のほうにポツポツと最近建ちはじめたマンションのひとつです。
もうちょっと考えるべきでした。
マンションを買うときに、中学校がかなり遠いということはわかっていたのですが
学校の実情までは把握していませんでした。
でも学校が遠いこと自体にもやはり躊躇はあったのです。
なにしろそれまで住んでいたところは
中学校まで徒歩5分。小学校までは7分。
住宅街だけれどコンビニやスーパーも近くにあって
抜群の環境だったのです。
しかし、二男の机を置くとなるとどうしても手狭で、
息子たちには何度も学校が遠いことを念押ししましたが
それでも「引っ越したい」と言うのでした。
ところがマンションの購入契約をして、まだ引越しする前に
その中学で生徒が先生を殴るという「暴力事件」が起こりました。
不安は一気に増大。
だけど今さらキャンセルすれば頭金は戻ってこないし・・・
それに、当時長男はまだ小学4年でしたので
「うちの子が上がる頃には治まっているかも」と
どこか楽観視していたことも否定できません。
こちらの小学校に転校してきてからも、長男はわりあい「中立」タイプで
友人も広く浅く(と私は見ている)、あまり特定の誰かとべったりということはなく
でも常に誰かが遊びにきたり、誰かのところへ遊びに行ったりと行き来はありました。
ある日、長男が何やら悩んでいる様子でした。
わけを尋ねると、「今日AちゃんとBくんから『遊ぼう』って誘われたんだけど
どっちと遊ぶか迷ってるんだ」と言います。
Aちゃんはマンション群の子、B君は地元の子どもです。
「3人で遊べばいいじゃない」と言うと
「だってAちゃんはこB君のこと嫌ってるし、B君もAと一緒だとイヤだって言うし…」
・・・子供同士の事情も複雑なようでした。
そうはいっても、息子と仲のいいのは大半がマンション群の子で、
しかし彼らは公立中にそのまま上がっても別のところへ進むのです。
1つの中学校に2つの小学校から上がるのは普通だと思いますが
1つの小学校が2つの中学に分かれるというのは、あまり多くないでしょう。
しかも、そのマンション群の6年生の3分の2以上が受験して私立へ行くっていうんだから
どーーなってるの!?って感じのわたしんち周辺の学校事情。
そんなこんなの不安を抱えながら「受験」という文字が少しずつ頭の片隅をちらつき始めた頃、
この日記にも以前何度か登場したH君が
息子の家庭教師としてやってくるのです。
息子が中学受験を決意したひとつには
このH君の影響が大きかったと思います。
なにしろ彼は県下でも1、2のレベルの有名私立中学に受験して進学し
みごとT大に現役合格した、まあいわば「受験のオーソリティー」なのですから。
って、H君が登場したところでやっとこさ受験の話に入るわけですが
前説がたらたらと長かったので、ちょっと息切れしてきました。(おいおい)
この話はもう少し続きます。
(おつき合いくださいね~)
読んでくださってありがとう。
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2002年07月02日(火) |
今年もいつのまにか半分が過ぎてしまったね |
ええっと。昨日の日記の続きの、息子の中学受験の話を書くつもりだったのですが…
今日はめちゃめちゃ頭痛に悩まされて
昼間はずっと寝たり起きたりしていたので
とてもあんな余計に頭の痛くなりそうな話(?)を書く気にはなれず、
それにちょっと他に書きたいこともあるので、閑話休題です。
実は現在のマンションに越してきた3年前から
ずーっと我が家の不満の種で
以前の日記にも何度なく書いたかもしれないので
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが
うちって
駐車場が近くにないんです。
これって、いつも車を使う方にはわかってもらえると思うけれど
めちゃめちゃ不便!!!
いや~もうホント。
出不精に拍車がかかってしまいます。
何しろ駐車場まで徒歩で優に5分はかかるんですから。
で、いつもどうしているかというと、
テクテクと駐車場まで歩いて行って、車に乗って
買い物して、帰ってきたらまずマンションの玄関先に乗りつけて
買い物の荷物をおろして、そしてまた駐車場に車を置いて
歩いて戻ってくる。
これの繰り返しで・・・・いやはや。
そもそも、住宅戸数の6割しか駐車場がない、ということを
もっと真剣に考慮に入れるべきだったんです。
しかし当時建設中だったうちのマンションの横には
広~い賃貸の駐車場もあったもので
「大丈夫ですよー。駐車場はなんとかなります」という
販売業者の言葉を鵜呑みにしてしまったのでした。
それでもそれでも、まさか2年に1回しかない敷地内駐車場の抽選を
夫が2度もはずしてしまうなんて思いもよらないことだったし・・・
ってなわけで、うちはこのマンションに入居してからずっと
敷地内駐車場を使ったことが一度もなかったのです。
現在は、マンションの管理組合がまとめて借りている敷地外駐車場を
管理費の補助で敷地内より若干安く借りられている
といった状態なのでした。
が
今月半ばから敷地内に1つ駐車場の空きが出ることになり
先日、それの希望者による抽選が行われたのですが
なんとなんとなんと
当たってしまいました。
やったぁーーー!!!
4年目にして初の快挙です。(←やたらオオゲサ)
それでも信じられませんでした。
何しろ3分の2が当たる抽選に連続してはずれているのに
今回は4分の1の当選確率だったんですもの。
(いや、私は10人近く希望者がいるかと思ったんだけれど)
尚、直接クジをひいたのは二男であります。
くじ運の悪さでは我が家でも一二を争う夫にばかり
このような大役を任せてなどおけません。
母の勅命を背負って、二男は「いざ抽選」へ出向いたわけです。
そして見事に使命を全うしてくれました。(見事にオオゲサです)
そんなわけで、
もう我が家のクジ運は残っていないかもしれません。
宝くじ、もう当たんないな。
ああ、思えば当たり前のようなことなのに
目の前に駐車場があるのって、なんて便利なんでしょう!
としみじみ思う蒸し暑い梅雨の夜です。
読んでくださってありがとう。
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先日、ある人からメールがきて、こんなことが書いてありました。
> 今日 ゆうパックカード送りました
(ふむふむ。別にこれは、私が本を彼女にたくさん送るためで何の疑問もありません)
> ついでに梱包手数料として「夕張メロン6個」も同封しました
えーーーっっ。うそっ、なんでっ!? いやん。きゃあ、嬉しい~~っ♪
でも、そのほんの2秒後に次の一文を見つけました。
> それは まったくの嘘 です (爆)
だよね・・・・そうですわよねー。ええ、わかっておりましたとも。
でもでも、一瞬でも期待してしまった自分がちょっぴり悲しはずかしsatouyaです。
ところでその、やぎママさんの最近の日記は大変興味深いものです。
いつもの彼女の日記らしくなく(?)重いテーマなのだけれど
実際に体験した人でなければわからない深い苦悩や
すじの通った考えが伺えます。
私にとってはとても他人事とは思えないテーマ。
で、同様の意味で最近気になっている日記があります。
まだマイ登録もしていないし、過去の分も全部読んだというわけではないのですが、
自分の「中学受験」の体験を書いている大学生の男の子の日記。
その子の、
・受験を親の勧めではなく自分で決めた
・理由は地元の公立中学に行きたくなかったから
・人より遅く小学6年から塾に行きはじめた
というところが、うちの子の場合とまったく同じだったから。
そういうわけで、とても気になる日記なのだけれど、でもなんだか
息子の日記を覗き見してしまうような後ろめたさもあり(笑)
このまま読み続けていくのも今いち怖いような気がしたりして。
あ、ちなみに、彼のお母様は私なんかとは違って
息子さんの教育にしっかりとしたポリシーをお持ちのようです。
私は息子たちに対してなーんの「教育方針」なんてものも持ち合わせず
学校もまあ、子どもが楽しく通えるならいいかな~、ってぐらいの考えだったわけで
ところが、ところがよ。
今はその「楽しく通う」ことさえ難しいことが多々あるという学校の実態。
うちの長男が上がる予定になっていた地元の公立中学校は
市内でも有名な「荒れた学校」だったのでした。
子どもが通っていた小学校は、中小企業の工場が多い地区にあり、
通っている小学校の校区がふたつの公立中学に分かれるという珍しい状況や
いわゆる工業地域の自営業者が多い地元の住民と
10年ほど前に校区内にできた巨大な高級マンション群の住民との、
言葉は悪いですが「差別化」といったような複雑な事情もあって、
6年生の4分の1から3分の1は私立の中学を受験するのです。
そんなとこへ5年生にあがるときにひょっこり転校してきたうちの長男は
おそらく今まで経験したことのないくらい、迷い、考え抜いたに違いなく
自分から
「ぼく、受験するよ」と言いました。
11歳の決断でした。
ということで、この話
えらく長くなりそうなので
また明日へ続きます。
◇◆◇
ああ、終わっちゃいましたねぇ… ワールドカップ
W杯も、オリンピックも、高校野球も
にわかファンではあるけれども
しばらくそれを日々の楽しみにしていたりすると
不意に楽しみがひとつ無くなってしまったような
「喪失感」に襲われたりする。
ああ、これが「祭りのあと」っていうことかしらね~。(しみじみ)
読んでくださってありがとう。
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