キャッシング情報 今日のつぶやき@日々暮らはおもしろ


今日のつぶやき@日々暮らはおもしろ
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2002年01月31日(木) アイアン・ウーマン

「あれって『こうてつ』って読むの?」
と長男がTVのニュースを見ながら言った。
「そうだよ」と言うと
「なんだか『アイアン』みたいだねぇ」と笑った。

あはは。ほんとにねぇ。
マキコさんは『鋼鉄の女』という形容が似合うかと思っていたら
どうやらそうでもなさそうだ。
そういえば『鋼鉄の女』と称された女首相がどこかの国にいなかったっけ?

けどねぇ、「涙は女の武器」なんてこの場合言っちゃっていいのか?
女の涙が武器ならば、ある意味「諸刃の剣」だと思う。
ええ、私はそう思う。
だから、そうそう誰にでもは見せられない。


それはさておき、なんだか納得いかない。
臭いものにフタをされただけのようでとても納得いかない。
ムネオさんが悪いのはみんなわかっているのだろうに
なんで彼は糾弾されないのか。
いや、それより何よりこれでいいのか政治家さん達!?
もっともっともっと真剣に国民のこと考えて真面目に国会やってよー!!
と叫びたくなるのは、私だけではあるまい。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

『地獄の黙示録』を劇場で見たのはいつの頃だったろうか?

完全版だか復刻版だかディレクターズ・カット版なのか
ともかくあのワーグナーの曲が強烈な印象に残っていて
映画の細かい内容はほとんど忘れてしまっているから
かなり食指が動いている映画。

ああん、でも今あれしてこれやってという優先順位からすると
映画を観に行く余裕はとてもなさそうだ。


銀行へ行って残高を見たら、思ったよりも冬のボーナスが残ってることがわかって
これはもう「デジカメ」と「プレイステーション2」を買うしかないっ!
と決意して帰ってきたところ。
いやまだ夫には相談していないのだけれど、もう決めた。(笑)
PS2を買えばDVDも見れるから、今まで見れなかった映画をカウチポテトで補給できそうだしね。


もう『鋼鉄』の意志で買うことにしよう。




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2002年01月29日(火) 爪が伸びている

そろそろ限界かなぁ。
もう切ろう切ろうと思いつつ、いやせっかくだから久々に
マニュキュアでも塗ってみようと思いながら結局は塗らずじまい。
ストッキングに引っかかるので、明日あたり切るとしようか。

独身の頃(あー、はるか昔だ)はマニュキュアもときどき塗っていたが
実をいうとあまり好きではなかった。
爪が呼吸を塞がれたような苦しがっている感じが、なんとなく指先にあって。
それでもなぜマニュキュアを塗ったりしていたかというと、
それをしているときの自分が、とても女っぽく思えたから。
自分が女だということをなぜかとても意識する稀少な時間だったからである。
つまり端的にいうと、色っぽい行為だったというわけだ。

だから、結婚して主婦をして母になっても、綺麗に爪にマニュキュアをしている人って
なんだかとても女っぽい感じが、私はするのである。

いや、単にこれは私の独断と偏見なのだけれど。


昨年購入したファンヒーターが不調。
なぜか突然電源がオフになったりする。
消化されるのはしかたないとして、電源自体が落ちたかたちなので
臭い消しのファンも作動しないから、急に部屋の中が灯油臭くなるのが困る。

和室の照明も突然電球が切れた。
子供たちが私たちの寝室で暴れて二男が鼻血を出して
私のシーツを真っ赤に汚してしまったりと
日々の暮らしにはごく些細なトラブルが毎日なにかしら起きる。

でもそれもないと、毎日はより退屈なものになってしまうだろうけど。


ただ、自分が女だということを強く意識する時間が
やはり時にはあったほうがいいんじゃないか
なんてなにげに思ってしまう
今日このごろ。




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2002年01月28日(月) いつもの月曜日

結局、今日長男は学校へ行ったのだ。(昨日の日記参照)
朝6時半に体温計を手に私の部屋へ入ってきて「36度5分だから行く」と言う。
(根性で熱を下げたものと見える。)

「へっ!!」と私は飛び起きて、大急ぎでお弁当を作った。

ええ、15分でできましたとも。
手早い!・・・というより、15分でできるお弁当なんだけど。


そしていつもの月曜日となった。
7時半前にはポツンと家にひとりになる。


家の中にひとりでいると、TVをつけているか、ネットを繋いでいるか、
CDもしくはMDをかけているか、のいずれかで
それは大抵ふたつくらいは重なっている。
たとえばTVをつけたままネットをしている。
音楽を聴きながらネットをしている。
TVの画面だけ(音を消して)見ながら、MDの曲を聴いている。
それはしばしば、本を読んだり電話をしているときすら同じである。

ながら族というわけではないつもりだけれど
何か音がないとさびしいのかもしれない。
目から耳からあらゆる五官から
何かを吸収していないと不安なのかもしれない。

とりわけネットに関しては
いくら常時接続できるとはいえ、そうそう繋ぎっぱなしにもしていられない
と一旦は切るのだけれど
しばらくすると、なんとなく物足りないような気持ちになって
ついまた接続してしまう。

メールがくるわけでもないのに。


ネットは私にとって、人とのコミュニケーションのパイプラインだから。





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2002年01月27日(日) 発熱

長男が熱を出した。

雨も上がったようだし、お昼頃から電器屋さん巡りをして
デジカメを見に行こうと思っていたら
昨日からどうも寝てばかりいてらしくないなぁと思っていた長男が
案の定38度7分の熱。

長男は昨年入学してからまだ無遅刻無欠席で
本人も皆勤を狙うと豪語していたので
彼は明日学校に行けるかどうかをひどく気にしていた。

でもねぇ・・・ ちょっと無理かなぁ。その熱では。

食欲はあって、お昼の中華風雑炊もフルーツゼリーも
夕食の海鮮鍋もデザートのナタデココ・ヨーグルトもしっかり全部食べた。
昼間もよく眠っていたし、病人とはいえ
なんだか手がかからなくなったなぁ…としみじみ。

小学校低学年ぐらいの頃は、扁桃腺が弱くてよく熱を出したものだ。
とくに身体を鍛えたというわけでもないけれど
成長とともにだんだん丈夫になっていくものらしい。


にしても、明日の病院の予約をしたいのだが
本人はまだ学校を休まない気でいる。

さて、どうしたものか。




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2002年01月26日(土) 間違い電話

昨夜、ネットサーフィンをしていてたまたま辿り着いたサイトで、ちょっと興味ひかれる日記があったもので、思わず掲示板に書き込みまでしてしまった。

それが「間違い電話」の話だったのだ。

明らかに間違い電話なんだけれども、残された留守電メッセージが気になってかけ直してみたら不愉快な思いをしてしまったという方の日記だったわけで。

実は私も、携帯にかかってきた間違い電話にかけ直して、えらく不快な思いをしたことがある。
相手は携帯の番号ではなくて、同県の市外局番。深夜に近い時間にかかってきたようで、私は着信に気づかなかった。
そこでかけ直してみたのだが、電話に出たおばさんは、絶対その時間には誰も家にいなかったからうちじゃない、おたくが番号間違えてるんじゃ?と言い張るのである。
私は携帯に残っている不在着信履歴の番号にかけ直しているだけだから間違えようがない、と説明しても聞く耳もたず。
こちらは間違い電話だろうと思いつつも親切心からかけたつもりなのに、うさんくさげな言い方をされたものでかなりムカムカときてしまった。

もう間違い電話だとわかる不在着信には絶対にかけ直すまい、と心に誓った次第。

そういえば、ワン切りの不在着信で詐欺まがいの商法もあるようだし・・・気をつけるにこしたことはないかー。


しかし、それぐらいならまだいいのだが、実は自宅の電話のほうにはかなり頻繁に間違い電話がかかってくるのである。
それは正確には「間違い電話」ではなくて、うちの電話番号の以前の持ち主へかかってくる電話なのだ。

私たちがこの番号を使うようになってやがて3年になる。
それなのに、未だに、多いときは1日に1回、少なくとも1週間に2回くらいはかかってくるって、なんだかすごくないだろうか?
しかもFAXと兼用だったらしく、注文らしいFAXまできたこともあるし、留守電に「XXXの修理の件で至急ご連絡いただきたい」なんて入っていたことも、ごく最近まで二度や三度ではない。

引っ越しで新しい電話番号を選ぶ際に、ごろがよくて覚えやすい番号を選んだのが、今思えば裏目に出たのかもしれない。
それは以前、とある会社の所長さんが自宅で使っていた仕事用の電話番号だったのである。どうりで!

なぜそういう事情がわかったのかというと、な、なーんと、私がパートで働いてる会社の取引先だったからなのだ!!

最初その電話は「●●ダさんですか?」とかかってくることが多かったので、てっきり以前使っていた人の姓だと思いこんでいたところ、何回目かからは「○○ガミさんいますか?」と言ってきたりする。
ん? どっちが以前の使用者の姓なのだろう??と不思議に思っていた。
するとすると、たまたまパート先の会社にやってきた取引先の所長さんが「●●ダ」という会社の「○○ガミさん」なのである。

・・・・これはもしかして!?

思いきって、お帰りの際に尋ねてみたら、案の定その人がうちの電話番号の以前の使用者だったのである。

「そうですかー。未だにかかってきますか。それは申し訳ないですねぇ。では今度かかってきたらこちらにかけ直すよう言ってやって下さい」
と彼は名刺を差し出した。


(私は番号案内ではありません。)


おまけにその人は、立ち去り際ににっこりとこう言ったのである。



「そうかぁ。じゃ、あなたの電話番号は以前僕のだったあの番号なんですね〜」



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2002年01月25日(金) 疲労度70

コタツでうたた寝したせいか首が痛い。


会社の従業員さんのお父さんが亡くなって、今夜がお通夜だ。
私は行かなくてもよかったけれども、「従業員一同」で花輪を送ったから
「一人千円ね」と徴収された。
もちろんそれを払うのはやぶさかではないし、工場長の
「仲間はずれじゃない方がいいでしょ?」という冗談めかした言葉に
うんうんと心底から頷いた私だけれど
一昨年の秋に私の父が亡くなったときには
花輪どころか弔電ひとつ、いやそれどころかお悔やみの言葉すらもらえなかったということを
全く意識すらされていないことが、ちょっとばかり心にひっかかった。

まあ、しかたないのだ。

そのとき私は実家に帰っていたわけで

パートだし

別段そんなことで拗ねているわけじゃないんだけれど

だけどさ。


「私も通夜に行ったほうがいいですか?」とは
あえて聞かなかった。


おまけに今日は仕事が忙しかったし

ちょっと疲れ気味かな。



コタツでうたた寝するのって、どうしてあんなに気持ちいいんだろうね。

ちょっと丸まって、ほんとに猫になってしまいそうだ。





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2002年01月24日(木) ポジティブシンキングとは?

今日は二男の小学校へ行ってきた。

これがまた遠くて。おとなの足でも30分近く歩く。
だから学校へ行くときに雨だったりすると、とってもめげる。
通学路ではなく車道に添って歩けばもう少し時間は短縮されるけれど
一車線ずつの狭い道のわりには非常に車が多い。いつも渋滞している。
かといって、自宅の周囲にはちょっと買い物できる店もなくて、
ええコンビニすらなくて、けっこう不便なのである。

どうしてこんな所に越してきたんだろうと思うけれど
周囲の環境や通学のことよりも
リビングが南向きでベランダが広いなんていう間取りや部屋の向きとか
建物の前が川で見晴らしがいいとか、比較的手に入れやすい価格だったとか
そういったことを優先した結果なのだから、いたしかたない。

宝くじにでも当たったら、引っ越しするんだけどなぁ…


ふとどうして私は、自分の現状にいつも満足できないんだろう、と思った。
引っ越しなんてそう簡単にできるわけもなく、むしろ不可能に近いのだから
今の自分の生活のいいところを、もっと見るようにすればいいのに
不平不満は心にストレスをためていくだけだとわかっているのに

住まいのことだけではない。

もっと自分に満足するように考えていく。
それこそがポジティブシンキング?


友人になにごとも自己満足型のコがいた。
彼女は「あたしはこれでいいの」が口癖で、何ごとも人を羨ましがらない。
故郷に帰って彼女たち旧友と会うと、きっと誰かが私に
「いいわねぇ、都会は」と、おそらくお世辞も交えて言うのだけれど
彼女は「でも都会って…」と必ず反論を入れる。
彼女は30代のときは「30代がいちばん素敵」と言い
40代になった今では「やはり40代からがほんとの大人よ」と言うのだ。
かといって愚痴や不平がでないわけでもないのだが
「私は自分の現在の生活に満足している」といつも彼女は言いきる。

ある意味、私にはとても彼女が羨ましい。

私は、器の小さい人間だから、すぐに不満が出る。
いつも迷う。後悔する。自分に自信がない。自分を好きだとは言い切れない。
さみしくなる、悲しくなる、そういう自分に落ち込む。

それってやっぱり、恥ずかしいことだよね?

「あたしはこれでいいの!」と言い切れる強さが自分にあれば
私はもう少し変われるのだろうか?


ポジィティブ・シンキングってなかなか難しい。
でも自己満足イコール、ではないとも思うのだが。





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2002年01月23日(水) 好きなんだけど

皆さま、山芋はお好きでしょうか?

ええ、自然薯とか長芋とかとろろ芋とか、あの類です。

私は大好きです。
大好きだから以前は、山芋の短冊やら山芋とトマトのサラダとかまぐろのとろろかけとか
頻繁に食卓に登場しておりました。
ところが、最近はほとんど口にしていません。

なぜかと言うと・・・

単に私が手抜きでおかずの品数が減った質素な食生活を心がけている
とかではなくて

手が・・・

手がとても痒くなるんです。
山芋に触ると


これが、好きなんだけど相性が悪いということなんだなぁ、
と実感した次第。

好きなんだけど〜離れてるのさ〜♪ というわけです。
(古すぎッ!! のうえに違う)


いや、昨日突然ヤマイモが食べたくなって
スーパーで見たとたん購入した私は
なぜ私がしばらくそれを食べなかったのかという理由を
ハタと忘れていたわけです。

でもいざ調理をしようという段になって急に思い出し
しかたがないから、ラップなどで押さえながら切るという努力で
かゆみを最小限に押さえることができました。
なぁんだ。はじめからこうすればいいんじゃん!

久々に食べたら美味しかった〜♪

この次はむぎとろご飯が食べたいなー。


あ、そうそう最近は「本とろろ」なる山芋をすったやつの冷凍物も売っています。
これにはパッケージには「簡単にできて手が痒くならない!」
という宣伝文句が刷り込んであるくらいですから
わたしと同様に手が痒くなる人が多いのでしょう。

しかもこれ、なかなかおいしくて重宝ですよ。
一度おためしあれ。





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2002年01月22日(火) 嵐のあと。そしてたまにはご挨拶をば

昨日の雨風とはうってかわって、今日はまさに台風一過という感じの上天気です。
しかし、嵐の爪痕はしっかりと残されているわけで、
取りこみ損ねた洗濯物の再度の洗濯に追われたりしています。

なにより驚いたのは、ベランダに置いてあるミニ温室を気取ったプランターラックに被せてあったビニールカバーが、きれいさっぱりなくなってしまっていたこと。
あれって、ファスナーを下まで止めてるだけでなく、紐で金属のラック本体に結びつけてあったのに・・・
風の強さが想像できるというもの。・・・いやぁ、しかし困った。
わがやのプランター植物は今や全滅の危機にさらされています。


ところで、今日は平日というのに夫が家におります。
昨夜、子供たちがようやく寝静まって、私もちょいとHPの日記でも書いて寝ようかしらと思っていたところに、不意に夫が私に「明日、休みだから」と言うのです。
「え、どうして今まで黙っていたの?」
と聞くと(だって、帰宅してから晩ご飯を食べてシャワーを浴びてお茶を飲んだりしてるのに、そんなことはひとことも言わなかったんだもの)
「そんなこと言うとあのタコ(二男のことですぅ)が『明日学校休む』なんて言い出しかねないから」というお答え。
ええ、二男は完璧なパパっ子なのです。いやはや・・・


それにしても、私の日記というのは、どうしてこうも日によってくるくると雰囲気が変わるのだろう、と我ながら思います。
「です・ます」から「だ・した」という語調や段落の文体まで、そのときの気分でくるくると変わってしまうのは、読み手にとってはどうなんでしょう?
ただ、実験的にそうしているというのもちょっぴりなきにしもあらずですが、
この日記を『マイエンピツ』などに登録してくださっている方は、
「あれ?好きなタイプかと思っていたのにそうじゃないじゃん!」と後悔されているかもしれませんね。
申し訳ないです。でも見捨てないでくださいませ。(汗)

ご意見ご感想がありましたら、こちらのBBSか、下のメールフォームからどうぞ。

HPのトップにもこんな日記を書いています。
日々のつぶやきです。時間がおありでしたら覗いてみてください。


こんな日記ですが、いつも読んで下さっている方、ほんとにありがとうございます。




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2002年01月20日(日) 公平ということ

うちのマンションで校外委員をしているKさんから昨日電話があって
現在の校外の班からここのマンションだけ独立して別の班をつくる、
という話し合いを火曜日にすることになった。
つまり、うちのマンションの小学生だけ「子供会」に入っていないので
校外活動も別でやってほしい、とこの地区の班長から言われたらしい。
その根底には「お宅らだけ子供会活動に参加しないのは公平でないので、
子供会に入らないのなら校外の班も別でやってくれ」という意味合いがあるのだ。
「子供会は強制ではなく任意で入会する」という前提があるにもかかわらず。

まあ、なるべくなら役員はやりたくない、というのは誰しもだと思うから
子供会に入らない人が役員をしなくて済むということに
不公平感を抱くのは当然のことなのかもしれない、と理解できないわけではないし
役員決めを「公平に」と抽選でやることにも異議があるわけではないけれど
はたして「抽選」ってほんとうに公平なのだろうか?


うちのマンションで昨年いちばんモメたのは、駐車場の抽選の問題である。
なにしろ世帯数の6割強しか敷地内に駐車場がないわけだから
どうしたって残り4割は敷地外に置くしかないわけである。
しかしね、毎回抽選で決めればいいという問題ではないはずだ。
「抽選がいちばん公平なんだ」と胸を張って主張している人がいたけれども
だったら私はその人に問いたい。

自分の子供がふたりいて、その子達に一つの物、玩具でもなんでもいいが、
を与えたとしましょう。そしてそれはふたり同時には使えないという場合、
あなたは子供たちにどのように教えるだろう?
まず普通、子供たちがそれを公平に使うように考えうる最良の策は
「かわりばんこに使いなさい」ということではないだろうか。

それを「毎回じゃんけんして勝ったほうが使いなさい」とあなたは自分の子供に言うのだろうか?
片方の子供が毎回勝ち続け、もう片方の兄弟がずっとそれを使うことができなくても
あなたはそれを「公平」というのだろうか?

抽選が不公平だとは思わない。
けれど「公平」という言葉には、双方が納得できる良識と思いやりが含まれると
私は思いたい。





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2002年01月19日(土) 同窓会に行ってきました。

いや、あんなことを日記に書いたからって、
そんな心ときめくこととかドラマチックな再会なんて、あるわけがありません。

そう、ドラマじゃないんだから。私たちは小泉今日子でも「シマくん」でもないし、
「金曜日の妻たちへ」なんて話は起こりえない。(古ッ!!)
なんてったって、そこには20数年という長ーーーい月日が存在し
それは明らかに昔の同級生を、そして私を、変貌させているわけです。

・・・なんと、禿げてる人がふたりもいました。
それはもうなんというか、10歳ぐらい老けて見えてしまうのではないか、
ってくらい、かなり波平さんに近づいておりました。
ちょっと同級生と思うのが悲しい。なんて云ったらご本人達には申し訳ないですが。

まあ、例の君は、ちょっと髪に白いものが混じったりやや太った感はあるものの、昔とあまり変わらない感じですぐわかりました。
向こうも私のことを「中学生の頃からちっとも変わっとらんねー」と言いましたが、
いやいや、変わってしまってるよ、私は。残念ながら。
まあ、変わらないものなんてこの世にはひとつもないといえばそうですが。
でも「変わらないね」は誉め言葉と受け取っておきましょう。

そして同窓会といっても、ちょうどバリバリ仕事盛り真っ最中な年頃の彼らの
名刺交換会と化しているのを、場違いな気分で眺めていた私です。
私も10数枚もらいましたけどね。
なかには某国立大学の助教授って人もいて『工学博士』と書かれた名刺を
「へぇーっ」としげしげと眺めてしまいました。
映画のプロデューサーとか商業デザイナーなんて人もいたし。
あと、ラーメン屋を何店舗か経営しているなんて人も。
みんなそれぞれに頑張っているんだなぁ・・・なんて漠然とした感慨も。


しかし、1次会が終わったのがすでに午後10時近くて、
それからもう帰ろうと駅に向かっていたのだけれど、
「やっぱりあともう1軒だけ行こうよ」と誘われて、
それじゃと踵を返したのはいいが金曜の夜の有楽町界隈
その時間からどこへ行っても7〜8人が入れる店は見つからず、
さんざんウロウロしたあげくに11時過ぎに解散したというのが
かなりくたびれました。

帰りは地下鉄と私鉄を使ってスムーズに帰ってこれたものの
最後のJRとの乗り継ぎで1本乗り越したら、次はもう終電しかなかったという次第です。
しかも25分も後だった・・・・

冷たい風の吹きすさぶホームで、自販機の温かな缶コーヒーを飲みながら終電を待つ自分が、
なんだか「オッサン」くさくてちょいと笑えました。





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2002年01月17日(木) 7年前のこの日

朝目覚めてTVをつけると、異様な風景が目にとびこんできた。

母から電話が入った。
「神戸に電話しても繋がらない」と涙声だった。
どきどきと胸の動悸がだんだん激しくなる。

伯母たちの家は悲惨な状況が報道されている神戸市の長田区にあった。
伯父は片足が義足で車椅子を使っている。
乳飲み子も抱えた従姉妹も、たしか近くに住んでいたはずだ。

夫のふたりの叔母も、西宮市と宝塚市に住んでいる。
そちらとはどうにか夜に連絡がついた。

状況がわからない不安は
1日をひどく長いものに感じさせた。

結局、新潟に住んでいる従弟を通して伯父の一家の無事が確認できたのは
2日後のことだったと思う。


伯父はあの震災を乗り越えたものの
やはり無理がたたったのか
翌年の夏に亡くなってしまった。

お酒が好きで陽気だった伯父は
酔うとよく自宅のカラオケ器機で歌をうたっていた。
とくに五木ひろしがお気に入りで

「あの人は行って行ってしもた
あの人は行って行ってしもた〜♪」

と唄っていたことを
今日、思い出して
笑ったら、ちょっと涙がでた。





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2002年01月16日(水) 威圧的な言葉

最近長男が弟に対してとても高飛車な態度のときがあり
その命令口調がやけに威圧感があって、とても嫌なのだ。
彼は親の目から見ても、ときどき「かげひなた」があると思えてしまう。

そんなときの私は、親のくせにとても戸惑う。

あたかも自分の分身のように思ってきたものが、あきらかに別の人格を持ち
あきらかに自分の意に染まない行動を取ったりするとき
私の育て方は正しかったのだろうか?と不安になる。
自分は親として間違っていないのだろうか?と疑いを抱く。


でも彼はそんな私の戸惑いなどおかまいなしに
1秒ごとに刻々と大人になっていく。



*****************************

今日は仕事の日だ。お弁当もふたり分作らなければならないし
何かと気ぜわしい水曜日の朝だというのに、
午前8時から『校外委員』選出のための町内会の集まりですと。
それがなんとまあ、今年の4月からの、つまり来年度の役員なら話はわかるが、
来年の4月からの、すなわち再来年度の役員を決めるための集まりなのだそうだ。
それがこの辺りの「慣習」ということらしい。

今年の4月からやる人はもうほとんど決定している。今のうちに来年の役員を概ね決めておかないと他の役員選出に影響するからとかいう理由のようである。
「やる予定」でいい、もしも何らかの不都合があって来年できなくなったら
その時は誰かと替わればいい、という話だけれど、土壇場になってそんなこと
絶対許してもらえないに違いない。

うちは子供会に入っていない。
「強制ではありません」と言われたから「じゃあ入りません」と答えたのに
「ほんとうに入らないのですか?」と確認の電話がかかってきた。

子供は愛しているが、役員の仕事は好きではない。
いや、役員の仕事だけならやるのはかまわないけれども
「みんなやっているから」とか「ずっとそうしてるんだから」という大義名分を
正義のように振りかざす人たちと、おつき合いするのが嫌いなのである。

その人たちの言葉は威圧的だから。


ともあれ今年は、何らかの役員は免れそうにない。
マンション自治会の理事も、今年か来年には廻ってくる。

今年は昨年のようにのんびりできそうにないな。





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2002年01月15日(火) 昨日のことつれづれ

昨夜は「スマ×スマ」を見て、吾郎ちゃんの涙に思わずもらい泣きしてしまった。
なんだか見事にフジテレビの策略に乗せられてしまったような気がする。

だって、もう吾郎ちゃんを加えての「ビストロ〜」だって収録してあったそうなのに
急遽「緊急生放送」と銘打って大々的に宣伝。いや、それはいいんだけれども
とにかく出てくるまでが長かった。TVの前に正座して待っていたのに(うそ)
じらされること約40分。ああ。
満を持しての登場といえばそうなんだろうけど。
いったいあの時間の視聴率はどのくらいだったのだろうか、と
関係者ならずとも気になるところである。

ともあれ、吾郎ちゃんの復帰は嬉しかったので
他にも気になることはあったが、なんでもよしとしたい気分だけどね。


しかし、昨日は「成人の日」だったのだねー!?
どうも「第二月曜」になってからピンとこない。
昨日からTVでも何度もやっていたが、各地の成人式も昔とはずいぶん様変わりしたようである。

私は成人式には出席していない。
当時私は実家から遠く離れた地に下宿して大学に通っていたし
父の意思で住民票は実家の方にそのままにしてあったので
私はたしか成人の日の翌日が試験だということで
あっさり成人式は断念して、当日はもう実家にはいなかったのである。
ゆえに、親がせっかく作ってくれた振り袖も、卒業式用ということになった。
ところが卒業式も、天候やらその他諸々の事情で振り袖を着ることはなく
結局それにはじめて袖を通したのは、従姉妹の結婚式のときだったと思う。
って、ずいぶん昔の話だ。

ああ、話がそれたけど。

浦安市の成人式はTDLでやったという話。
「大人」になったことを祝う(?)式典なのにどうかと思うけど…
なんて、実際自分のところがそうであったら喜んで行くような気がする。(笑)
出席している本人達にそれが「成人式」だという自覚さえあれば
堅苦しい式典よりは楽しいにこしたことはないか。

じっとそのニュースを見ていた二男がひと言。
「おかあさん、僕が大人になるときは、あの町に住んでるといいなぁ」
…うん、そうだね。なかなか正直でよろしい。

でも、さいたま市の父兄同伴っつーのはいかがなものかと・・・??


しかし、私が住んでいるこの都市はいったいどこでどんなふうにやっているのか全く知らない。
市全体でやるとかなり大規模になりそうなので、区の単位でやっているのか?
それすらも、正直なところ知らない。

少なくともその件に関わるのは長男が成人する7年後の話で
それまでは単なる連休になってしまいそうである。





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2002年01月13日(日) 連休

昨日録画してあった「もうひとつの箱根駅伝」を観る。

法政大の徳本選手のドキュメントとロングインタビューには
やっぱり泣けてしまった。

どうもドキュメンタリーには弱い。
作り物でない切実な想いが心に響いてくるのか。

”自分だけのことなら『来年がある』と思えるけれど
みんながこの一年間に費やした時間と努力を自分が台無しにしてしまった
そのことが許せない”
と、彼は静かに語っていた。

母校の名誉のため、とかいうのはなんだか嫌だけれど
みんなでひとつのものを繋いでいく絆は
何ものにも代え難いほどに大切なものだと
彼らは痛いほどわかっているのだ。


なんて・・・ ああ、若いっていいなあ〜(ためいき)



近所の公園でどんどやをやっていたので
正月飾りを息子たちが燃やしにいった。
くわえて、ちょっと遅くなったけれど、わが家もやっと鏡開きをする。
磯辺巻き、あべかわ、雑煮風、と餅三昧。

・・・・満腹。





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2002年01月12日(土) 誕生日に思い出したこと

私は、今はちょっとお休みしているけれど、某日記サイトに1年8ヶ月に渡って
日記を書いていて、特に最初の1年間くらいの日記はいま読み返しても驚くほど力が入っていると思う。
そろそろその日記も再開したいなぁと思っているけれど、こことHPトップの『今日のつぶやき』と3本立てになると、それぞれに書くことはいろいろあるかもしれないが、どれも中途半端になってしまうのでないか…という危惧もある。

などなど、いろいろ考えながら去年の日記を再度読み返していた。

昨日は二男の誕生日だったので、去年の1月11日付けの日記を読んでみた。
・・・なんだか言葉に表せない様々な思いが胸をよぎって、しばらくいろいろと考えてしまった。
たった1年前に書いたものだけれど、現在の私にはこういう日記は書けないような気がする。
その周辺に書いてある話題は、「え、あれってもう1年も前の話なの?」と思うくらいついこの前のような記憶があるのだけれど、私の中でやはり確実に時間は刻まれているのだろう。

その日記は、今ここでの私とはまた別の、でもかなり素顔を素直に垣間見せられるところだったのだなとあらためて思う。
やはりここでの私は「似非」なのかもしれない。(笑)


※転載になりますが、その日記をここに記しておきます。ちょっと長いですが、よかったら読んで下さい。すでに読んだことのある方はとばしてください。



2001 年 1 月 11 日 (木)   誕生

結婚したとき、私は「子どもはいらない」と思っていた。
理由はあまり子どもが好きではなかったということと、自分自身が
親との関係をうまく築けなかったので、子どものいい親になる自信が
とても持てなかったからだ。
ところが先手を打つように夫に「子どもはすぐにでも欲しい」と
言われてしまった。 結婚までの交際期間が短かったために
そういう意思確認をしていなかったもので「しまった」と思った。
しかし、それにあえて「いいえ、私は産みたくないの」と主張するには
自分の理由は説得力が弱すぎると思えた。言えなかった。
おまけに結婚後最初に夫の実家を訪ねたときに、義父から
「あいつももう30なんだから早く子どもを作ってくれ」と
言われたことが追い打ちをかけた。同居していないとはいえ、
田舎の旧家の長男である夫が「子どもができない」ならともかく
「つくらない」なんてことが許されるはずもないのだ。
「まあ、仕方ないか・・・できたときは授かりものってことで」
などと私はどうにか自分に納得させた。

長男が生まれたのはドラゴンズが優勝した辰年の
猛暑で眠れない夜が続いた7月だった。
会社を早退して病院に駆けつけた夫が「がんばったね。ありがとう」
と言ってくれたのが嬉しかったのと同時に
「これで私は義務をはたした」という安堵感が湧いてきた。
その翌年、年号は平成に変わり、夫の転勤で私たち親子3人は
鳥取県の米子市に転居した。
そして2年後。今度は宮崎市へ。

私は「もうふたりめはいらない」と考えていた。ほとんど決意に近かった。
夫も次については何も言わなかったし、ひとりっこなんて今どき
めずらしくもない。子どもがひとりのほうが、私も余裕をもって
親らしいことができる。そう思っていた。
しかし地域性なのかもしれないが、近所に「ひとりっこ」はとても
少なかった。うちのように3歳くらいの子がいるところでも、大抵
その下に幼児や乳飲み子がいるか、母親は妊婦だったりする。
子どもは3人というところが多かった。

ご近所との話題も当然のように「ふたりめはまだ?」という方向へ
流れてしまう。同じマンションの奥さんが用もないのに電話をしてきて
散々世間話をしたあげくに、「やっぱりひとりっこは可哀想よ」なんて
言われたこともあったっけ。
「いいの!うちはもうふたりめはいらないの」と声高に主張すれば
まわりもさほど言わなくなったのかもしれない。けれども転勤族で
近くに友人もいない私には、それも憚られた。

私は近所づきあいが次第に憂鬱になった。
マンションの前に公園がある、ということでここに住まいを決めたのに
玄関のドアを開けると公園にいる奥さんたちの視線が一斉にこちらを
向くような気がして、外へ出るのも億劫になった。
3歳児検診に行っても、そこで出会った見知らぬ奥さんからなにげに
「おふたりめはまだなんですか?」と聞かれてしまう地域性なのだ。
受け流せばそれまでだったのかもしれない。
しかし、長男が選択の余地もなく前出の同じマンションの奥さんとこの
息子と同じ幼稚園に通うことが決まった頃には、私は少しノイローゼ気味だったと思う。

ある日夫が不意に「やっぱり兄弟はいるよね」と言い出した。
「俺もキミも兄弟がいるから、ひとりっこのよさはわからないじゃ
ない? それにもうひとり子どもができたら、きっと生活が変わるよ。
できればいいな、って気楽に考えてさ。今度は女の子が欲しいのなら
女の子の産み分けとかの本でも読んで、妊娠出産を楽しんでみるって
のはどう?」
夫がこういう提案をするというのはほとんどないと言っていいくらい
非常に稀なことだったので、なんだか妙に説得力があった。
(しかしあとあと聞いてみたら「俺そんなこと言ったっけ?」と
ほとんど覚えていなかったが。。)

翌年、私は幼稚園の役員を引き受けたにもかかわらず妊娠して
周囲に迷惑をかけたけれども、ご近所や周りからは戸惑うほどの
祝福をもらった。
そして里帰りした私は、1月11日17時11分に二男を出産した。
11時とか1時じゃなかったのがちょっと悔やまれるけれど。
女の子でも男の子でも、もうどちらでもよかった。
私の安堵感ははかりしれない。

それから8年。放任育児のせいか二男はころころと落ち着きがない。
擦り傷も絶えないし、癇癪だし、でも甘え上手である。
お母さんにかまってもらうには自分から働きかけなきゃダメだと
認識でもしているかのように。
同じ自分の子どもだから、どちらが可愛いとかいうことはないけれど
私はこの山羊座A型くんとは、なんだかウマが合うようである。

二男くん、8歳のお誕生日おめでとう。





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2002年01月10日(木) 同窓会通知その後

もうあと1週間で、高校の東京同窓会である。

私は、先日の日記に書いたに出席する旨をメールで返事した。
「同窓会のご案内ありがとうございました。お久しぶりですね。お元気でお過ごしでしたでしょうか?」とさりげなくメッセージを交えて。

その日のうちに返信が返ってきた。
「本当にご無沙汰です。幹事会から是非おいでください。ウェルカムです。18日にお会いしましょう。」とこれまたさりげないメッセージで。

さてこれで20数年ぶりの再会がはたされるわけだが、はたして?

最近、同窓会などに出席して思うことだけれど、女性よりも男性のほうが外見的に変化が大きいような気がするのだ。
まず、ハゲる、太る・・・これがオジサン化の第一歩だと思われる。要注意。

かくいう私もオバサン化していることは間違いないわけで
お互いの変わり果てた姿を見て、会ったことを後悔するなんてことにはなりませんよう。(祈)


ところで、私は幹事のTから出欠の確認ができてない女性5人に連絡するよう依頼されたわけだが、少々驚いたことは、5人のうち3人が未だに独身だったことである。
いまだによ!
(って、一体いくつなんだ?というツッコミはご遠慮下さい。)

たしか3人ともバツイチではないはずである。
3人ともバリバリのキャリアウーマンであることはたしかだ。
ひとりはJALのパーサー、ひとりはTV局勤務、あとひとりは外資系医薬品会社の広報担当だとか。
すばらしい。



・・・なんの取り柄もない私のようなヤツは、結婚するしかないってか?





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2002年01月09日(水) お正月、なにしてたの?

今日、今年はじめて会社に行ったら、かなりの回数でこう聞かれた。

「足捻挫してちゃお出かけもままならなかったでしょ? お正月休みの間なにしてたの?」

たしかに・・・なにしてたんでしょ?

寝る、食べる、ネットをする、TVを見る、また食べる、ネットをする、昼寝する、TVを見る、食べる・・・・エンドレスに続く。

って具合で、勿体ないんだか贅沢なんだかわかんないような時間の使い方をしたと思う。

でもさ、こんなにぐうたらできるのお正月だけじゃない?
いや、日頃も全く違うとは言い切れないけれども、どこか後ろめたさのある平日と違って、堂々とごろごろできるお正月という貴重な時間は身体だけでなく気持ちまでも回復させてくれるんだってば。

と、なんだか言い訳がましいが。


とりわけネットについては、一昨年の秋に「フレッツ」にしてから
その接続時間の長くなったことといったら
そのための常時接続と言えば当たり前なんだけれども
時間の使い方のバランスがめっきり崩れてしまったような気がする。

かといって今さら通常のダイヤルアップに戻すなんて
いちいち切断して閲覧するなどもう「言語道断!」ってくらいできないわけで
これはもう、この繋ぎっぱなしの現状をいかに自制心によって有効に改善するか…
なんて問題なのかもしれない。(それが難しいのだが/汗)

ともかく、そのフレッツのおかげでお正月も退屈はしなかった。

けれど、すこぶる出不精になってしまったような感がある。
これはネットの所為だけではないと思うんだけれども
思えば独身の頃なんて
「休日に家でTV見てるほどさびしい生活送ってない」なんて豪語してたっけ。

若かった頃とはいえ、その気負いがなんとまあ気恥ずかしい・・・・






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2002年01月08日(火) 親離れ子離れ

昨夜、私が寝たのは午前4時半ですよ。
昨夜というよりも今朝ですね。

どうしてかっていうと、冬休みの宿題をする長男につき合って起きていたわけです。


・・・やっぱりなぁ。 これって私が過保護なんだろうと思います。

いちいち私に聞きに来るんですよね。長男。
ここの問題の答えはこれでいいと思うか、とか。
習字の書き初め、こっちとそっち、どちらがよく書けていると思うか?とか。
絵の課題はどれを描こうかとか。

もう小学生じゃないんだから自分でやんなさいよー。
と突き放せばいいんだろうと思うけれど
私もついつい口を出してしまう。
そっちのほうがいいんじゃない?とか
これはこうしたほうが・・・なんて。

絵なんて描いてるのを見ていると
「まあ、私はけっこう美術は得意だったのに、この子ったらなんでこんなに下手なのかしら…。きっとパパに似たのよね。ええ、絶対そうだわ」
なんて内心イライラハラハラしてきて
思わず手出し口出ししてしまう。


それがイカンのだ!!


そんなことをするから、息子はついつい私に頼ってしまうって
わかってはいるんですけど・・・

昨夜も別にずっとつきっきりで手伝っていたとかではないのです。
最初は私はネットをやっていたし、1時頃からは息子の横でひたすら漫画を読んでいたわけで。
(おかけで「ヒカルの碁」の全巻再読制覇)

なんだけどねー
「ああ、もうおかあさんは先に寝るわ〜」と寝室に行こうとすると
「えー」と不満げな顔。

まあ、こんな顔してもらえるのもあとちょっとの間だけだとは思うんだけれど

友達のような仲良し親子、とは言われるけれど

それとこれとは別問題。


そろそろね。まずは私が子離れしなくっちゃ。

ね。




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2002年01月07日(月) 日々の暮らしの中でも心のきらめきを持ち続けたい

ああ、幸せだなぁ、と感じたことを
心の中で小さく折り畳んで
私は出し惜しみしたい。

時折思い出して
少しでも長くいい気分でいられるように
心の距離をうまく保てるように
やさしい気持ちが続くように

ひっそりと息をひそめて
不安の種を掘り起こさぬよう
心のぬくもりを手放さぬよう

無口になって
臆病になって
バランスを保ちながら
それでも胸の奥のきらめきを
壊さないように
ひそかに だいじに
持続させたい


だから私は
幸せにはケチでいたいの




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2002年01月05日(土) 同窓会の通知

今月の18日に、高校の東京同窓会がある。
その話は、11月に中学も高校も同じだったTから聞いていたけれど
昨年のうちに詳細の連絡がなかったので気になっていた。

今日、メールがきた。
Tからではなく、やはり中学・高校と一緒のKからである。


Kは私が中学3年から高校1年までつき合っていた相手だった。
つき合っていたといっても、なにしろ15・6歳の頃だから可愛いもので
デートらしいデートをした記憶もほとんどないけれど
彼の家には何度か遊びに行ったりしたものだ。
同じ県立高校を受験してふたりとも合格し、クラスは違っていたものの
彼と同じ文化系のクラブに友達に誘われるまま私も入ってしまったのだ。
でもそれが破局のはじまりで、彼とは2学期の終わり近くにケンカ別れしてしまったのである。
2度ほど長い手紙をやりとりして、最後は私が「別れの手紙」を突きつけた。

年が明けて、Kから年賀状が来た。しかも2枚組になっていて
その2枚に小さい文字でぎっしりとメッセージが書いてあった。
細かいことは記憶が定かではないが、たしか
「自分を変えたいから、今のクラブは退部してラグビー部に入る」と
書いてあったのは覚えている。
彼はスポーツマンではなかった。とてもラグビーをやるタイプではなかった。

その時ふたりとも16歳だった。
若かった。
人を傷つける痛みすらわからないほどに。


Kからきたそのメールは、ただの事務的な同窓会の通知だった。
どこにも個人的なメッセージはなかった。
でもメールの差出人の懐かしい名前は
暫しの間、私に高校時代の思い出を蘇らせてくれた。


長い年月は私たちの間にもはや何の感情をももたらさないにせよ、
しかし私は、彼のメールに返事を出さなくてはならない。





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2002年01月04日(金) 「詳しくはホームページで」

そう言って父親が息子に名刺を差し出すコマーシャルがありますよね。
息子役は永瀬正敏(キョンキョンのダンナ様ですね)。
あれは何のCMだっけ? ADSL??
今調べたら、「KDDI(DION)」のCFらしいです。

いや、今日まさしくそんな感じで、名刺をもらったもので。
ええ、まさしく、です。
それは、自分の名前とHPのURLと携帯の電話番号とメールアドレスだけが書いてある、
普通見るような住所とか会社名や職業など全く書いてない名刺でした。
これってまさしく、自分のHPの宣伝用の名刺、ってやつじゃありません?
こういうのを作るのって、今は当たり前なんでしょうか??


これをくれた人は、今日うちを訪れたお客様のひとりです。
つまり夫の会社の人。
食事の時に私がWeb上に日記を書いている、という話になって
するとひとりが「いや僕も書いてるんです」と。
「どんなこと書いてるの?」と夫。
「いろいろです。仕事の愚痴とかも…」と彼。
「課長の悪口とか?(笑)」と私。
一同ここでどっと笑い。(課長は夫です)

と、彼はおもむろに名刺を取りだして、それを私に差し出しました。
夫にではなく私にです。
もちろん、日記を書いているのはたしかに私ですが、
この場合夫ではなく私にそのHPアドレスの名刺を渡すもんかどうか?はともかくとして、
はたしてそのHP、見ちゃってもいいものでしょうか?

まあ、課長や課長の奥さんに見られてもかまわないようなHPなのでしょうが、
私だったらイヤだけどなぁ・・・・


夫が知っている私の日記というのは、このHPとはまた別のところのなのです。
でもそこすらも、夫は読んではいません。
まあ、私がいないときにこっそり読んでないとも言い切れませんが、
うちのパソコンだとネットに繋ぐログイン・パスワードもろくに知らないので
おそらく読んでいないものと思われます。
まあ、読んでないと思っておこう。
こちらの日記のことは存在すら知らないはず。


で、今、その人のHPをちょこっと見てきました。
日記は最新の2〜3日分を読んだだけなのでまだよくわかりませんが
会社のことはそんなに書いてないような感じでした。
まあ、でなきゃ教えないでしょうけどねぇ・・・





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2002年01月03日(木) 1年の計は

元旦にあり。
というのに、3日目になって考える私はやっぱり何ごとも「遅い!」やつなのかも。

しかし、昨年はほんとうに激動の年だった。
出会いと別れの多い年だったと思う。
それも予想だにしないことがたくさん起こった。
だから、「今年はこんな年にしたいなー」なんて思っても
きっと今年も予想や期待を裏切る出来事がいろいろ起こるに違いない。

昨年はなんとなく、なし崩しに終わったという感がある。
思い残すことややり残したことは多々あったけれども
それは今年への課題として残ったと思う。

年は変わっても、私は変わらない。
あたりまえだけれども、私の生活も変わらない。
でも気持ちを変えることはできる。
私が変わらなければきっと何も変わらないだろうし
余程のことが起きない限り、私の生活にも大きな変化はないと思われる。


なんて、うだうだとつぶやいてみたけれど
今年の目標は「ゆっくりいこう」である。

え? 今までは「さっさと」行動していたのかって?
それは「否」である。(笑)
けれども性格的にはとても「せっかち」なところがあるので
今考えると、急いで出した結論や衝動的な行動は
少しもいい結果に結びつかなかったような気がするのだ。

今年はともかく「ゆっくり考えよう」だな。

うん、それでいこう。





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2002年01月02日(水) 地に足をつける。

↑いえ、別に今年念頭の言葉、とかいうわけではありません。

結局丸10日間も家から一歩も外に出なかったので(ベランダには出たけど)
地上10階に居を構えるわが家だから、久しぶりに文字通り地面に足をつけた感じでありました。
もうほぼ普通に歩けるのだけれど、まだ若干腫れ気味の右足は靴のファスナーが閉められない状態で、でもそれより何より、ちょっとの間ほとんど歩かなかったというだけで、やっぱりめっきりと脚力は落ちるものだなぁ…と実感したのです。
それにつけても松葉杖はもう絶対に使いたくない、と痛感。
たかだか捻挫くらいでも、何しろ当初は無くては歩けなかったし
それっぽっちの不自由が、とてつもなく不自由に思えました。


たしかあれは、捻挫する前日のことだったと思うけれど
長男の学校の三者面談に行った帰りに寄ったダイエーで
車椅子に乗った片足のない男性を見かけたのです。
その人は上手に車椅子を駆使してレジを済ませると買い物袋を車椅子の背に結びつけて
私たちのそばをすり抜けエスカレーターの方へ向かっていきます。
「あら、あぶない。誰か手を貸さないと?」という私のつぶやきが聞こえたのか
長男がその男性に近づこうとすると、ほぼ同時に気がついた店員さんが
「エレベーターを使われたほうが…」と声をかけたのです。しかしその人はにっこり笑って
「いえいえ。エレベーターは待ち長いので」と手を振って制すと
いきなりくるりと車椅子を方向転換させて、両手で手摺りにつかまり
なんと後ろ向き前傾姿勢ですうーっとエスカレーターを下りていったのです。
いやぁ、お見事でした。
私と長男もすぐに車椅子を追ってエスカレーターを下り
着地するときにバランスを崩さないかなどと余計なお節介でどきどき心配しましたが
きれいに着地するとまたくるりと方向転換して、なんということもなく彼は今度はパン屋に入って行ったのでした。

私と長男は顔を見合わせてにっこり笑い
私たちの手などこれっぽっちも借りようなんて思いもしないその人に
なんというか「かっこいいなぁ」みたいな気持ちになったのでした。
うん。人間って素敵、というような。


そして、「普通に歩ける」ということは実はとてもとても有り難いことなのだと、
翌日実感することになる私なのでした。




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2002年01月01日(火) 明けました

 謹賀新年 

昨年、私の拙い日記を読んで下さった皆さまには感謝の気持ちでいっぱいです。
本年もよろしくお願いいたします。


というわけで、なんだかあっけなく2002年はやってきました。

うちではお屠蘇は飲みません。
特に理由はなく、ただ結婚して最初のお正月に夫が「いらない」と言ったから用意しなかったというだけなのですが
子供の頃からずっと、元旦の朝は新しい下着を身につけて普段よりちょっと綺麗な服を着て家族が茶の間に全員揃ったらまずお屠蘇を飲む、という家に育った私としてはちょっと物足りない気がしないでもありません。
でも、お屠蘇の味は成長してもどうにも好きになれなかったので、あえて飲みたいとは思わないので、かわりにワインか日本酒で乾杯!ということにしています。

ってなわけで、ちょいとシャブリでほろ酔い。

おまけに家族は初詣に出かけて、私は家にひとりです。
こりゃあもう、日記を更新するしかないでしょう。(笑)

もう足の捻挫は家の中では普通に歩けるくらい大丈夫なのですが、
やはり人混みの中を長時間立っていたりするのは無理だろうと言われて
今年も置いてきぼりです。
まあ確かにまだ多少痛みがあるので、靴を履いて外を歩くのはちょっぴり不安ですが。
そういえば昨年も風邪をひいてしまって、ひとりでお留守番でした。
そして夫と子供が初詣に行った先は昨年と同じ、東京・文京区の湯島天神。
昨年合格祈願に行ったのでお礼参りに行きたいと長男が主張したのです。
鎌倉の鶴岡八幡宮に行きたかった夫はしぶしぶと承諾しました。
まあどちらにしてもすごい人出でしょうねぇ・・・・


ネットのおかげで、今やリアルタイムに新年の挨拶ができたりします。
でも「おめでとう」という形式的な言葉を交わさなくても
今日という新しい1年の1日目を迎えられたこの穏やかな気持ちを
あなたに伝えられたらと思う私なのでした。


にしても、私の本年最初の外への第一歩は一体いつなされるのでしょうか?




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