2003年09月23日(火) |
日蓮上人「夫婦の絆」 |
お彼岸の中日で、墓参りに行ってきた。 その境内に書かれていた、日蓮上人のお言葉だったと思う。 「にょにん(女人)は、をとこ(男)をたから(財)とし、 をとこ(男)は、にょにん(女人)をいのち(命)とす」 素敵な言葉だと私は思ってメモをしたけれど、どう? 出産以外は全て平等、と訴え続ける男女共同参画社会には、 お互いが支えあう夫婦関係は、理解できないだろうか? 何百年も前から続いてきた考え方、これは文化と言ってもいい。 そんな日本の文化を否定することが、男女共同参画社会だと言うのなら 私は、やっぱりこの考え方には賛成できないなぁ。 男は単純だから、財として扱われれば、悪い気はしないよ、 それを粗大ゴミ扱いするから、バカにされたと思い、 その感情のやり場がなく暴力に及ぶ(DV等)ケースだって考えられる。 勿論、暴力を肯定しているわけじゃないよ。 だけど、そんな男の感情を逆なでする言葉が氾濫していると思うな。 もう一度、日蓮上人の言葉を読み返してみようっと・・。
2003年09月22日(月) |
『踊る大捜査線THE MOVIE 2』の女性管理職 |
映画を観てないので、なんとも言えないけれど・・ 先日、友達と観てきたという友人の奥さんから感想を聴いたんだけれど。 そのひとつに・・ 女性管理職がヒステリックになるシーンがあるらしい。 「あれじゃ、まるで女性は感情的になってダメっていってるみたい」と。 へぇ、そういう見方もあるんだなぁ・・と感心させられたよ。 たぶん、私が観たら、そんなシーンは気にならなかったんだろうな。 やはり、同じ性ではなければわからない感情なのかなぁ。 自分と同じ性が、バカにされている・・そういう感覚。 これも不思議だよね。 逆のパターンで、男性が役に立たないシーンがあっても、 全然気にならないと思うんだ。 あぁ、こういう男もいるんだよ・・程度の感想は持つかもね。 もし『踊る大捜査線THE MOVIE 2』を観た女性がいたら、 そのシーンについて、感想をお聞かせ下さい。 これは、社会が作り出した性差(ジェンダー)だと思うから。
2003年09月20日(土) |
顧客層を明確にした店づくり |
男女共同参画、男女平等を叫んでいるはずなのに、 世の中は、さらに男女を意識したビジネスが展開されている。 大型百貨店が、相次いで売り場の改装をしている記事を見つけた。 その手法は、ターゲットを特化し、個性を出すという。 「紳士」「女性」という区別だけでなく、もっと絞った改装。 ある百貨店は「こだわりを持つ30〜50代の男性」をターゲットにし 品揃えをした。 「20代の働く女性」を強烈に意識した店づくりをした百貨店は オープン時に22〜27歳の男性社員12人が店頭で赤いバラを胸に、 女性客を出迎えたという。 どの店も、生き残りに必死なのである。 「男女を意識した店づくりは、社会が作り出した性差」と 言えるだろうか? 世の中は、ますます「性差」を意識した方向へ向かっている。 さらに、最近では、年代まで意識した方向へ。 やはり私の感覚では 「男性も女性も一緒に買える洋服売り場」の方が不自然。 もう一度「社会が作り出した性差(ジェンダー)」について 本当に、いけないことなのか・・考え直す時期に来ていると思う。 机上の政策論は、何も意味を持たないような気がしている。
2003年09月10日(水) |
月と火星、どっちが男性?どっちが女性? |
昨晩の「月と火星のランデブー」、とても魅惑的な光景。 大きさは、全然違うのに、お互いがとても輝いていた気がしない?。 ちょっと、こじつけになるかもしれないけれど、 「男女」の関係はこれかな?と、眺めていたんだ。 「男女共同参画」「男女平等」を叫ぶ方々は、 まず大きさが同じじゃないと納得しないかもしれないけれど。 なにも、大きく見える月が男性、小さく見える火星が女性・・ そんな定義をするつもりはないんだよね。 だけど、ついつい見た目の大きさだけで判断して、 「今の世の中、女性が月、男性が火星」とか 「どうして女性が、男性の傍でおとなしくしていなきゃいけないのよ」 そんなことを言い出すんだろうな・・と可笑しくなってきた。 実際は、火星の方が比較できないほど大きいんだよね。 地球からの距離が違うから、実際の大きさと違うんだよ・・と 気が付けば、笑みがこぼれてくる。 男女も、どちらが大きい・小さいなんて、関係ないでしょ? まず、個として独立していて、その上でお互いが魅力的に見えるように 適当な距離を保つ。 こんな考えって、おかしいかな?
2003年09月06日(土) |
女性専用のジャイアンツ情報誌 |
噂には聞いていたけれど、初めて見つけた情報誌。 ちらっと覗いただけだったので、詳しくは知らないけれど 中身は、高橋由伸選手のスーツ姿や、インタビューなど。 これって、女性を軽く見てないかなぁ・・と思った。 わざわざ野球場へ足を運び、 自ら選手と同じ番号入りのユニフォームに身を包み、 大きな声で声援する彼女たちは、スーツ姿よりユニフォーム姿。 これが一番、似合っていることも知っているはずだから。 女性専用の情報誌(入り口で欲しいと言えば、戴けそうだが・・) こんなのいらない、そう感じたのは私だけではないだろう。 女性の好みそうな写真、好みそうな記事なんだけれど、 ちょっと的が外れているとしか言いようがない。 女性にしか配られない情報誌。 こんなものに、何が意味あるのだろうか? そのうち、選手のヌードでも掲載するつもりなのだろうか? 女性を甘く見るなよ、という声が聞きたいと思った配布物である。
2003年09月01日(月) |
私、もしかしたらオカマかも・・と思ったことがあるよ |
暑さしのぎの暑気払い、冒頭の台詞を女性が呟いたんだ。 とても、女性らしい女性(表現がおかしいかな?)を見た時、 自分と比べて、はっと思うらしい。 たぶん、女性らしい考え方、女性らしい仕草に触れた時にも、 同じ女性なのに、もしかしたら私はオカマ?って考えるのかもしれない。 女らしさ、男らしさ、ってなんだろう?と考えていた私には とても、刺激的なつぶやきであった。 でもね、男の場合、男の中の男のような男性を見ても、 自分は彼に比べて男らしくないから、女かもしれない、とは思わない。 (もちろん、私の視点だから、そう思う男もいるかもしれないけど) 男っぽい女性を見て、自分の方がもしかしたら、女っぽいかも・・ と考えることはあるだろうけれどね。 だから、男性から女性になりたいという「性同一性障害」と 女性から男性になりたいという「性同一性障害」は、 同じような考え方だとひとまとめにするけれど、もしかしたら 全然、出発点が違うのかも・・と考えてみた。 同じだとしたら、同じくらいの割合で「性同一性障害」がいるような 気がするからね。 まぁ、私なりの仮説だから・・聞き流して下さい。(笑)
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