何をやっても上手くいかない時がある。 こんなにやってるのに。ここまで頑張ったのに。 もう、何もかも納得いかない。自分が全然大事じゃなくなる。 もう、やさぐれまくり。神様は何て不公平って、 普段拝みもしないくせにこういう時はとことん恨む。 それが出来るうちはでもまだよくて。 悲しくて悲しくてやるせなくて頑張るのを止めたくなる 時もある。涙がポロポロこぼれてどうにもならない時も。 どうしたらいいんだろう?いつか抜け出せるのかな? 自分次第?でも結構頑張ってる。 それでもまだ足りない?今だけ、だから。きっときっと。 だからお願い、哀しまないで。 今だけなんだ。きっと今だけうまくいかないんだ。 よく聞くでしょ?星の巡りがどうのこうの。 きっとそれだ。それだけだ。数撃ちゃ当たるってのも 結構本当で。辛くても辛くても何でもいいから抜け出すために 夢中になってたら、いつかの為のそれが布石になってたりする。 だからどうか、自分を見捨てずに。誰にだって何か一つくらい 取り柄があるって、あれも結構本当だと思う。 こんな私にでもきっとある。うん、あるはず。 この先もしかしてとんでもないくらい凄い事が待ってるかも。 その為の今がその試練だったり。そう思えばこんな思い安いもの。 試練はそれを越えられる人間にしか与えられないんだって。 じゃぁ、結構選ばれた人間かも。何て。何でもいいんだ。 心が少しでも紛れるなら。何でも話すよ。 何をやっても上手くいかない時はそういう相手も必要。 だからどうにか安心して眠って。そうしてまた明日、きっとね。
子供の頃の夢を時々みます。 なぜだか私はいつも時間に追われてて、 必死に何かに追いつくように、何かから逃れるように ただひたすら走っている。 それはきっと今の自分。 子供の私に、時間に追われるような事はなかったはずだから。 子供の私を通して見る今の私は大いに物足りない。 あの頃の不安をそのまま背負って生きているようで 心配でたまらない。 それでも心からの笑顔はまんざらでもない。 思い描くような生き方ではなかったと思う。 もう少し…昔描いたビジョンはもう少し贅沢なもの。 それでも膝を抱えて泣いていたあの頃の私よりずっといい。 とても不安でとても怖くて大人になる事が怖かったあの頃。 期待は夢と広がる。でも臆病な心に魔が差す時は震えてた。 今じゃ、子供の頃の私の方がずっと大人。 夢の中のあなたはいつも心配そうで。 絶対不満タラタラなんだろう…。もうちょっとさぁ、って。 それからあなたの大事なもの。自分の事は自分が一番よく知ってる から。飽きっぽいあなたが初めて掴んだ大事な物を 私がなくしてないか、とても心配なのね。 もちろんとても辛い時もある。悔しくて悔しくて眠れない日も。 それでも手放す事を考えた時は一度もない。 私はあなたに感謝している。とても素敵な想いをもらったから。 だから安心して、ほんの少し。 思ったような道のりじゃなかったけど、変わらない願いがここにある。 あなたと同じ気持ちで今も、一生懸命生きて一生懸命悩んで 一生懸命頑張っているから。 だから私は昔の自分に出会う時、いつでも一つだけ言う。 私はとっても元気です。あなたが大事にしていた夢を、 今も私は飽きもせず大切に大切に育てています。
これから寒い冬が来る。 寒くて凍えそうな時に一番欲しい物は何だろう。 暖かい家。飢えを知る人間はその前に温かい食事か。 何も与えられる事もなく、まして与えるものもない 人間が、一番に望む事はなんだろう? いつか土に還っていく最大のエコロジーを果たす前、 僕らはきっとこの世で、この心で、夢を見たいんだ。 与えられたのものが命なら、削られ与えていくものも また命。それだけのものを大事に守りながら 一番の望みはただ必死に生きる事。 生きる為に全てを望む。涙を流し、恐怖と闘い 今日も生きる為だけにただ、全てを望む。 それが生きる証のように。生きてる実感が欲ならば いくらでも強欲に求めよう。命があるかぎり生きたいんだ。 ただそれだけなんだ。だから望む。寒くて凍えそうにな時に 暖かい光をただ望む。それが生きてる全て。 それを見つけられることが何よりの奇跡。 この世は奇跡に満ちている。 生きる事をやめなければ、永遠に。
長く一つのものを追い続けていると たくさんの言葉が目を隠そうとしたりする。 とても意固地に見えたり意地張ってみえる 生き方でも、そこに真実と信念は存在してる。 人は自分に悪意がある時、他人も悪意があるものと 思う。否、それがなければいけないと思うのか。 同じでいる事は決して安心出来る事ではないと思うけど。 叶いそうにない思いはそれに近い感情で一蹴されてしまう。 凄いね、という言葉の裏にあるものを読みとってしまおうと するこの心も卑しいのだけれど。 でも、この想いがある事実は変えようがないのです。 共に笑い泣き苦悩する仲間がいることも事実です。 この情熱という不確かでどうしても自分を突き動かして しまう想いがあるうちは、誰の言葉も聞かないし 必要ない。そしてそれはやっぱり真っ直ぐで大事で 本気の想い。大丈夫。愚にも付かない言葉で慰められるのは 慣れてる。信念が顔に出てしまう事もあるだろうけど、 生きる為に円滑油なるような笑顔も覚えた。 そんな自分に嫌気がさす時もよくあるけど。 それでも解き放たれた心は自由になれるから。 信じる者は救われる、と自分の力を信じたい。 誰もが手を合わせ祈るように思いの丈を口にする。 いつかこの夢をこの手で掴むまで、諦めないと誓います…と 祈るように自分自身に誓うのだ。
見えない物を見ようとする。 否、見えないからこそ追い掛ける。 闇に目を凝らし、見えない物を必死で 探し出す。そんな子供だった。 なぜ幼い頃の私はあんなに臆病だったのか。 よく夜中に一人でトイレに行けない子がいるけれど、 私は昼間でも怖かった。何にそんなに怯えているのか。 一人になる事が怖くて怖くて。 なのに家族に囲まれて一人っきりになるのが好きだった。 私の恐がりはもうそれはちょっと尋常ではなくて。 友達の昔話を聞いてもやっぱり普通じゃない程の 恐がりだったんだと思わされる。 なぜだろう。私には目に映る全ての物に命があるように 思えたのだろうか?それら全てに悪意があるように。 両親の部屋に花の絵が飾られていて。それがどうしても 私には生き物の絵に見えて仕方なかった。 今でも思い出せる。私を凝視するそれは私にとっては 恐怖以外の何でもなかった。でも誰に言っても花以外の 何物でもないと言われ凄く苦悩したのを覚えてる。 その絵だけでなく、小さい頃の私はよく一人で何かを 見つけていたらしい。一人でブツブツいう子供を親は… そりゃもう嫌だったと思う。 今ではちょっと慣れてしまったというか。 相変わらず怖がりなはずなんですが、そう見られず…。 あんまりに子供の頃に怖がりすぎて麻痺しちゃったのか 恐怖心が表に出にくくなってるみたいです。 子供の頃は余分な知識や知恵がない分、見た物を見たまま 信じてしまい、それがそのまま恐怖に繋がってたんだろうと 思う。今は気のせいだとかあるわけないと思える物も あの頃は本気で信じて本気で泣いていた…。 今の社会や現実で生きて行く為には大人になる事が大事で 何かを見て見ぬ振りしたり。そうしていくうちに本当に 昔見えてた物が見えなくなっていったりして。 それも大事。でもあの頃と同じような気持ちでいる事も 私達の仕事にはちょっとだけ必要なのかもしれない。 言ってみれば目に見えぬ、紙に書かれた言葉を 本物の気持ちにする為には。見えぬ物に目を凝らす事が とても大切なのかもしれない。
遠い昔にみた夢は今でもこの胸に住み着いて。 消えるどころかいつの間にかどんどん大きく なっていた。いつしか大人と言われる歳になって 少しずつ余計な事も見えてきて。 いい加減、曖昧で楽な先のビジョンに不埒な考えも 飽きてきた頃。やっぱりこれしかないんだと 歯噛みする。逃げ切れない程の想い。 このままつき合ってたら何とかなる前に 必死でいられなくなるかも。何て本当は思っても みない不安に少々足踏みしたりして。 不安になるのは本当はそこじゃなく。 必死でいなきゃいけないと分ってるのに よくある一身上の都合に振り回される事。 まだ遠い。手を伸ばして、出来るだけ。 それでもまだ追いつけない。 あの日見た映画のヒロインは誰だっけ? 記憶は過去へ遠ざかる。それでも思ったより 敏感な心は、今だあの日の興奮を忘れさせずにいる。 貴方に会いたくて。今日も私はこの思い深くへと旅をする。
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