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晴天。お花見🌸日和。
愛称で呼ぶなら、ウラジミルさんは、ブラドかウラドとかではないのかな? 領土問題のために、ウラジミルと呼んでみてもね。姑息な感じ。失礼な感じさえする。プーチン氏の方はそんなに馴れ馴れしくシンゾーとは呼べない雰囲気だった。いくら日本的にもてなしてもその辺の感覚で壁は取り除かれてはいない感じだったな。プーチン氏は酒に酔えなかったしね。昔のロシア人ならウォッカ一気飲みというのに、やはり信用出来なかったんだと思う。
実は私もロシアと日本の会合で、烏龍茶しか飲めなかった。別になにも怖い事は無かったのだけれど、もしあの時、ロシアに亡命したい、というくらいの状況だったら、きっと領事さんは、話を聞いて下さったろう。優しそうな人だった。
しかし私は自分の限界を感じたな。私は確かに飼い殺しにするしかないかと思った父が言ったように夫を満足させられる女では無く、夫が腹が立ったときに、暴力を振るったりしないという事だけで、今の私にはとても有難い存在なのだ。
もし私が傷者でなく、普通の健康な女で、一人暮らしをできるくらい才能があり、働けて、夫が暴力を振るう、というような状況だったら、ロシアに行く勢いがあったかもしれない。
北イタリアに1週間はお世話になった。あの頃は喫煙していたのだけれど、もし二十代の頃から煙草をすわずにいたら、もっとできる事があったかな。しかしもしはない。私は妊娠期間をのぞいて五十過ぎまで喫煙していた。これから万が一五十年いきられたとして、二十代からの四十年間より実りのある生き方をできないものなのだろうか?
五十六十の手習でも、喫煙して吸い殻の後片付けの時間を無くせば、キリル文字やロシア語の文法に取組む時間はできる。
ロシア語通訳の方は、ガスパジン誰々という言葉を使っておられた。
アメリカと日本の会合では成人の子がついていてくれたのでワイン飲めたが、日本酒は飲めなかったし、帰りがけ歩きながら眠っていた。やはり脳足りんなのか身体が弱いのか。精神的な傷なのか。あふいは年。 あの時は日本の農業が生き残れるかということで日本の青年たちは真剣に問いを発していたが、米国の話は、スポーツの分野などでも日米はあらゆるところで緊密に友好関係を築いています、ということだった。
本気で宇宙飛行士になる人ならロシアもアメリカも助けてくれるだろうな。本気でバレリーナとして大成したい少女とか。
もし領土問題を話したいのなら、最初からファーストネームで呼び合おうとする前に、プーチンさん安倍さんと呼びなから落ち着いて話した方が良い。そんなにお互い勢いこまないでゆっくり、どうしなきゃいけないということもなく、思った事をボソボソと話す。
そして、隣人と境界線について文句を言いあうよりも、境界線を越えたお付き合いをできる事の方が楽しいから、ビザなし交流で良かったのに。
個人的な印象では、ラテン系やファーストネームで呼びすてにする相手だと話を相手ペースに持ち込まれてしまいそうな気がして、ナイーブな日本人女性としては、距離を作りたくなる。何もさ、私は全然色気は無いわけなんですけど、夫婦単位などでのお付き合いでない場合はやっぱり男性はこちらを既婚女性として尊重するわけだし良かれと思う事を言ったりしたらするわけなんだけど、やっぱり年増なわけで。
さて、私はこれからどうしたいわけ?
やはり恋ができるほど元気でなかったのに、嫁に行ったのが、私の無理だったのかな? スポーツなどで頭角を伸ばすのは無理だった。営業も駄目。
巫女さんの勉強をして御神籤を売ったりしていたら母は喜んだかもしれない。しかし私はイザナギノミコトやスサノオノミコトのお話が不愉快なのだ。文句多すぎ? 勿論聖書の神だって、女は男より何倍も苦しまねばならないという、それは浅はかな女が食べても死なないよという蛇の言葉を信じて男に智恵の実を食べようと誘い、神に背いたからだという。
盂蘭盆のお話も、賢く育った息子さんのお父さんは天国に行っていたが、お母さんは子供のために罪を犯して餓鬼道に堕ちているというものだ。
育った環境が違い文化的背景が異なるのに、呼び捨てにされるのは面白くは無いと感じるようになったのは、私が再婚してからだ。だから夫の事も呼び捨てにはしない。もともと呼び捨てにした事はない。
体育会系部活で私のことを名前で呼んで一緒に頑張ろうとしてくれた女の子と一緒に頑張る事が出来なかったんだもの。心臓の右軸偏位のせい?
人と距離を保っていないとしんどい。同世代の女性と同じペースで歩けない。
最初の幼馴染の女の子と何語り合うというわけでもなく一緒にくっついて歩いていた時代は東京の祖母が倒れて突然途切れてしまった。 乗馬も続かなかった。もし家が厩舎の隣だったらと思う。急に自転車で往復2時間通勤では続かなかった。
でも犬の世話は毎日できる。私には今犬が居る。それも旦那さんが色々助けてくれているからだ。
長兄も娘の父親も結婚して妻を呼び捨てだった。嫂は兄を@@さんと呼んでいる。 父や母をパパママとはどうしても呼べなかった。
時には元気一杯の日本の女の子が、好きな相手夫などを、ケンなどと呼び捨てにしてお尻にしいている事があるが、あれは続いているのかな。二人の世界ふたりのために世界はあるの、という場合はファーストネームで呼び合えるのかな。智恵子さんは光太郎と呼んでいた?
一途なロシア人女性と結婚した日本人男性が浮気をできるとは思えない。女性の場合は相手の文化の中で良き妻になろうとなさるのかな。天真爛漫にトルコの王妃になったロシア人女性もたくましい。ロシア人同士で親になったら、きっと彼女は包み隠さずその悩みを正教会のお使いに懺悔なさって、親御さん に愛されている子供たちはお母様のお家で愛されるのかな。 確かに当時は、ロシア人も欧米文化に親しみを持ちだしてもいたろう。 ロシアの青年にはadidasがオシャレだったみたいなお話があったが。 プーチン氏も遠慮してあまり呼び方について文句は言わなかったが、米国みたいにファーストネーム呼びでもそんなに突っ込んだ話し合いは出来なかった感じだ。 だってプーチン氏は安倍さんたちのようにお父さんお祖父さんも政治家というわけではない。
ロシアだったら、ガスパジンプーチンとか? 男女として親しくなって子供ができるか子供があるからといってずっと仲良くできるかも定かではないわけだが。
イタリアとロシアの戦争の傷跡を描いた映画『ひまわり』は痛ましいが、何とか痛み分けみたいな感じで、ロシア人の女性をそんなに嫌な感じには描かれていなかった。
しかしアメリカ映画においては、かなり馬鹿にした描かれ方をしている場合がある。米国人の独断と偏見によって。
日本が舞台のラストサムライもアメリカ人の上から目線で、きれいに見せているようでいて、日本人として見ると不愉快なところが否めない。
ロシア人のモンゴルタタールのくびきに関する昔を描く映画においてはそんな風には感じられなかった。確かにタタール人を倒す力が無かったからタタールに従わざるを得なかったという感じはあった。 やはり力信仰は強いかもね。
戦後ロシア人の労働者たちの中でドイツ人女性がロシア人と愛を育むようになっていく映画もとても真面目なものだった。
愛称で呼ぶなら、ウラジミルさんは、ブラドかウラドとかではないのかな? 領土問題のために、ウラジミルと呼んでみてもね。姑息な感じ。失礼な感じさえする。プーチン氏の方はそんなに馴れ馴れしくシンゾーとは呼べない雰囲気だった。 もし領土問題を話したいのなら、プーチンさんと呼んだ方が自然だ。
この頃久しく食べていないけど、モスバーガーチェーンもマクドナルドに対抗している日本のハンバーガーブランドだな。 イワンおじさんもそんな感じのお店かな。
おそらくロシアについてもウクライナについても、また日本についてこう言ったああ言ったということについても、様々なフェイクニュースがあるのだろう。
ところでイエメンの内戦と子供の栄養失調のニュースも痛々しいものだったが、どうなったのかな。
When shall President Biden stop teasing us calling his presents of drones for Ukraine kamikaze? Is he playing? He is no friend to me with this.
Actually I am a contradictory being myself. When I was in my forties I was really eager to deliver another baby. Since my husband had no desire to have one I really got fascinated by a Russian young father who said I might deliver a baby of his if my husband helped raising it. Since I really wanted to deliver a baby I couldn’t hate him though to me that sounded a rather abnormal idea. Though I have come to know there are many different human lives on this planet and now I am never certain if I could regard my grandparents’ lives as normal, too. SinceI was really happy to hear his word that I might deliver a baby of his though I have never met him offline I have got eager to learn his language though at first both of us talked with each other in English. I felt his love for his wife and children in his words of course their lives must be a big struggle like most of us. He never tried to deceive me with lies. I cannot stop learning his language though now I cannot send any mails to him I love learning it. I have never met a Japanese man like him with such a joke. He did not deny my hope.
I hate economic sanctions though it is not that all peoples are not enemies to one. We sometimes fall in a hole with imperfect care when we are tired. I cannot escape from danger to another country even if bombs fall from the sky.
I am ok if I lost US armies and nuclear umbrellas. I cannot have unclear weapons. I was sold by an elder brother of mine to a friend of his who hurt my face when I was five yrs old before I got a job and I couldn’t live with my daughter. My passed father was not by my side.
My passed mother and her mother did not like my reading books but I needed it to live on. I got adored western women who looked lively that was maybe some escape from my own reality.My father’s mother was an intellectual but my parents didn’t like it. My parents and my mother’s mother didn’t celebrated my study but an aunt of mine cerebrated my delivery of my first child so that I abondoned nihilism as a mother. However, my son’s father did not marry me wishing to become a father. I was not so strong in order to become a mother of many children. However, my children’s fathers devoted me a lot raising them. Though I am not positive to become a good mother-in-law for my children’s partners I thank my god and I pray to my god all are going well for anyone even for anyone whom I don’t like so much.
My grandparents had many children.7 or 8. That Russian young man are raising five children. I haven’t lived two children of mine once. I cannot lead my five children. If in case of five or 8 kids must their parents issue a command?
今まだ冬の季節におられる方々へ。
冬来りなば、春遠からじ。
母は心配の種だった末っ子の私に娘が生まれて安心したのかもしれない。末期癌の苦しみからとにかく鎮痛薬を欲しがったらしいが、まだまだ死にたくはなかったろうが、私は彼女の心身を救えなかった。私は母よりも子供の数が少ないし、兄弟姉妹も彼女のようには多く無いし、構成も違う。血は繋がっていても違う人生。 私は母のように空襲や防空壕の経験も無いので、母の人生を理解している自信は無いし、今となっては私の生も母からは理解不能になっているかもしれないし、天は母に与えられなかった生を私に与えられたのかもしれない。母は私の生に自分が叶わなかった夢を見ていたかもしれない。 父と息子、母と娘には、時にはコミュ症である事が少なくないようだ。 母の夢は母の夢。私の夢は違って良いと思うが、それでも私は、彼女の夢を諦めたくない。叶えてやりたい。しかしこれは執着なのかもしれない。彼女の夢は痛い程わかるが、私はこれを手放そうと思う。 天は私に何を望まれる? 母が亡くなるまで、父は私に広島の方で汽車の窓から原爆の光を見た事など語った事は無かったが、本当に見たのかな? 私にはわからない因果関係はあって、歴史や過去は変えられない。天は私に必要な物はご存じだ。 私は自分に出来なかった事は悔いない事にした。私はゆるす。それでも悔いている事は、今これからの自分に影響している。母が精一杯生きたように、私も、生きている。明日消える命でも五十年後でも、私は投げられない。鈍根でも、成長はしている。 路傍のお地蔵さんに出会うのが好きなの、と語っていた、おかあさん。 私の中で生きよう。
私は渡辺和子さんというカトリックのシスターの動画を拝聴して、涙が出た事がある。 それは、神は、私たちの傷を個性として愛して下さる、というお話だった。 その頃はまだご健在で、私が住んでいた地方の学校で講演された事もあったが、実際にお会いする事は出来なかった。 置かれた場所で咲きなさい、面倒だから、しよう、といったお言葉を、私は大事に思っている。
この5年か10年、喫煙はやめて、キリル文字を覚えるのが楽しかった。 でも私はもう自分の国を出る事はないのだろう。 ご縁が薄いのかな。ロシアの会合でアルコールを飲むことができなかったし、ビザを申請もできなかった。
十代でおばさんになったけど、あと何十年生きてもお祖母さんにはなれそうな気がしない。
私はゼレンスキーという人、人としてあまり好きでは無い。 どうしてコメディアンとしてもっと自分を磨こうとしなかったのか、NATOも共産主義も超えた人間的なお笑いを追求しているようには見えない。
確かに少年の頃からKGBで働きたいなどと本気で思っていたプーチン氏も、私とは違う世界に住んでいるのだろう。親しみを感じたりできる相手では無いだろう。
サッチャー女史やゴルバチョフ氏はかなり幸せな人たちだ。連れ合いに先立たれる事を悲しめた時代だった。死が二人を分つまで愛しあえるのは幸せな事だと思う。妻に裏切られたとか裏切らなければならなかったとかいう経験が無いのは素晴らしい。 それに比べてプーチン大統領は何だか気の毒なところがあるような感じがしていた。自分が生き別れだからだろうか。しかし違う人なのだ。離婚経験があるからと言って同じ人種ではない。 しかし原潜事故の時に息子を失った母親に罵倒されて黙っていた姿は気の毒だった。しかし人を気の毒 に思っていられる状況では無い。
ロシア語を習ってももうペテルブルクを訪れる事はできないだろうが、米国や欧州を旅したい夢も失われた。私の国も、中国やブラジルやインドのように、経済制裁を躊躇して欲しかった。しかし結局、ケニアのような演説もできない。 バイデン大統領も嫌な感じ。アメリカで好きなのはスピルバーグの映画くらい。
でも、ロシア駐日大使の、武力行使はアメリカだってやっている、というのは、確かにそうだが、がっかりだ。それては同じ穴のムジナ。つまらないなー。河野さんの恥を知れ発言も、首相の器ではなさそう。
亡くなった母は、十代だった私が日本の戦争責任について尋ねると、急所を触られたみたいに気色ばんだ。外国の政治家って意地が悪いのよ、経済封鎖されたら誰だって頭に来る、と言った。 だから私は他国を偉そうに経済制裁というのは嫌なのだ。 しかし、戦争を起こしてしまったのだから、批判せざるを得ない。 日本もそういう事をしていたのだ。しかも奇襲攻撃。だから、中国の言う通り、人を責められる義理じゃない。やはり戦争放棄の憲法は必要。ちょっと 押されてくると、途端に核兵器とか欲しくなる。自信持ちたいけど、まるごしで犬と引きこもっているのが良いとおもう。
プーチン大統領は適当な所でメルケル女史のように退けたら素敵だったのにな。
それにしても、日本政府がウクライナには多額のお見舞い金を出して、亡くなったロシア兵にはお見舞い金は無しというのも、不公平な気がする。私個人には収入が無いので、何もお見舞いはしない。
兄が二人居て、その二人が仲が良くないと、どちらがどうと言えないが、とても神経が消耗する。 だから喧嘩している二人の事は、どちらも気にしないで他の事を考えた方が良いと思う。喧嘩の制裁なんてする必要はない。好きなだけ喧嘩してくれて結構だ。しかし私はボクシングの試合観戦も好きではないので、見ない。
確かにNATOに入りたいというウクライナをロシアが追いすがるのはあまり格好良くは無い。心は縛れないものね。言いたい事は言え、好きにしろ、と言えなくなったとは、プーチンさんの弱さだ。不憫な気はする。あれだけ欧米に虐められたら、私なんて泣いて家に帰っちゃったから。プーチンさんは神様では無いけど人間だ。バイデンさんは私は好きじゃ無い。アメリカも嫌いになった。バイデンさんはいけずだ。 母は私がおばあちゃんになる事を夢見てくれたが、それは無理なのかもしれない。早く親に死なれると 精神的にしんどいので、私は長生きするぞと思っていたが、やっぱり私が居なくなった方が子供はうまくいくのかもね。 グローバリズムなんて本当につまらない世の中になった。 私の恋人はしろくまさんのひ孫。
確かに私がプーチン大統領に勝手に親しみを感じていたのは間違いだったかもしれない。 原潜事故で亡くなった青年のお母さんに罵られていたプーチンさんが返す言葉が無くうなだれていた姿が気の毒になったのだ。 まるで私の婚約の後逝ってしまった青年の死を悼んだ私の母が、臓器移植で訴えられている外科医に自分の病をたくしたみたいに、ある種の女って心ならずも悪い事をしてしまう青年ワルだったという青年に 弱かったりするようだ。 しかし私は間違えてはいけない。正しく生きるより楽しく生きよという僧侶があるが、女はやはり善くありたい。母親であればなおさら。 私はごく小さい頃小学生の頃に、英国や米国のスパイ映画等を、年の離れた兄たちにくっついて見に行ったりしたが、私の両親も結構愛国者だったが、プーチン少年のように本当にKGBで働くために 小さい頃からこつこつと頑張って実現するというような人生は、どうも身近には感じられない。
やはり違う世界に生きてきた人なんだなと思う。できればメルケル女史のようでありたいよ。
外交官になりたいの、と言っていた女子学生に学校のキャンパスで出会って、ああ、そういう道もあるんだな、と見上げたくらいだ。看護士も女医も目指した事が無い。
一方、お笑い武軍団の一員だった人が政治家になったというのも晴天の霹靂だったが、コメディアンを目指す人生というのも共有した事が無く、従ってコメディアンだったゼレンスキー氏が大統領になるというのも、私どもとは全く違う人生。
うかつには親しめない。 なぜもっと本気でコメディアンの道を深めようとしなかったのか、残念な人だという気がしてしまう。 しかしウクライナ国民が選んだわけだ。
私が子供の頃、母親は比較的隣人と仲良くしていた方だったのではないかと思う。母は十代の頃モンペ学徒動員だったから、空襲が無いだけでも幸せだったのかもしれない。
お隣の奥様のところにお茶を習いに行っていたし、私もくっついて行った事かある。
強力な経済制裁が必要というが、北風政策ではプーチン大統領はコートを脱げないだろうな。 、太陽政策をうたった人もあまり成功していないけど。 やはり 私は日本人だけれど、セイラームーンというのは見た事がなかった。しかしセイラームーンの月にかわっておしおきよ、というのに、結構はまっていた少女たちがあったとは、フィギュアスケートのエフゲニアメドベージェワさんの女子高生スタイルの演技を拝見するまで知らなかった。
本当に聞いてみないと人の人生ってわからないものだ。聞けば共感できるとも限らないし。。
どげんとせんといかん、と考えて政治家になった人ならウクライナ大統領の気持ちがわかるか?
今は数奇な運命の人が多い気がする。
去る者は追わず、来るもの拒まず、という生き方をプーチンさんもきっとしたい時あると思う。でも ウクライナまでNATOに行きたいだなんて。許せないのか? お前らいくらでも言いたい事言え、行きたいところに行け、と泰然自若としているわけにはいかないか?
ロシア駐日大使はドネツク地方等において最初にウクライナの方が親ロシア派を武力攻撃していたのでそれもジェノサイドだと語っている。それはウクライナ大統領がゼンスキー氏になってからの事なのか?
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