�蠧�記
DiaryINDEX|past|will
母が家族写真をアルバムに貼る作業を三歳の私は傍で見ていた。 昼間、父や兄たちが職場や学校に出かけていた、母と二人だけの時間。 バレエの練習をしたり、バービー人形やぬいぐるみを抱いたりした。あの頃の私の写真はあどけない。あの頃に帰りたいかなと思う。 私の心の中にあの頃の風景が残っている。まだ若い未亡人だった母方の祖母と伯母が父の赴任先熊本に遊びに来て、その時台風が来て、父や兄たちが日曜大工で増築した私の部屋の屋根が飛ばされないように夜中に屋根の上に乗っていたこと、まだ胆石と知らずに嵐で電気も消えている中、布団に横になりながら腹痛に苦しむ祖母に対して、おかあさんは大袈裟なんだから、と笑っていた伯母や母。なんて薄情な娘たちと祖母は怒っていた。 私はただ見ているだけだった。 思いやりってどういうものだろう? 例えばあの時祖母の腰を私がさすってあげたりしていたらどうだったかなと思う。思いつかなかったが。 あの後みんなで温泉に行った。その時の祖母の表情は満足そうだ。写真機を向けられて。
考えないなんてことができるだろうか?
久しぶりなのって何だろう?
来年あたりお墓参り行けたら本当に久しぶりだなぁ。 本当に行かせてもらえるのだろうか?
正しく認識するのって難しい。
判断は難しい。
それにしても毎日腹が減る。
製氷室で小豆のアイスバーを作った。
1日豆を小鍋で水につけたまま忘れていたら暑さの中悪くなったかと思って一度捨てかけたが、また鍋で火を通して何度かざるで灰汁を漉して洗ってから炊いたら、何とかまともなぜんざいになった。
あちらを立てればこちらが立たずって辛い
助かりたい助かりたいと思っていた。
来年の今頃はどうしているのだろう。どこにいるんだろう。
まだごそごそ動いたりものを食べたりしているかな。
夢を見た。
破綻している私の心。でも私は自分が嫌いではない。
実現したいことって何かな
2016-1987= 母が亡くなってから29年。 2歳の娘と一緒に筑波の病院や立て直される前の東京の実家を往復したあの頃。 7月21日に亡くなったのだから7月に入ってからかな。
父が亡くなってからは何年だろう?平成10年に亡くなったんですが、今年は 平成何年? 平成28年ですね。 すると実家の父が亡くなってから18年か。平成10年の夏の終わり。8月31日。
2001年って平成何年? 15年前か。父が亡くなってから三年後。
血圧は高い。自分のことこれからのことを考えると時には重症圏内に入るが、薬を処方して頂きに病院に行く気がまた失せている。なので薬はビタミン剤しか飲んでいない。 朝目が覚めた時楽しくもない夢や夢の中での嫌な気持ちから心臓がビチビチ変に走っているような時は、脳卒中になるかななどと思うが、今はなるべくせずに済むことはせずにいるのがアットホームバカンス。 昔いた犬がフィラリアになったことがあるのでフィラリアの投薬はしたりしている。 私はお犬様の僕かとうんざりすることもあるが、衛生観念はないこともないようだ。
今朝は刑務所の受刑者が盲導犬を育てる話の記事を読んで涙が出たりした。 あの涙はどうして出たのだろう?多分一つには水分を取っているせいもあると思う。 だから涙も出るしちょっとパン生地をこねるだけで汗が出たりする。 犬に煩く言われて水を換えたり花や水槽に水やりしたりお腹が空いて何か作って食べたりする流しの生ごみの始末をしたりする前に、かなりモバゲーにはまっている。 私がはまっていたのはキャンディ集めのようなものだか、檻に囚われている友達を何人解放してあげられるかというのの、解放された時のカチャンと鳴る音が良かったりする。でも課金なしだとなかなかはかどらないし、そのうち最初は快く感じたメロディが煩く感じられてきたりする。 犬の散歩の時にポケモンGOをする気にならないのは主人がしないといったからで 主人が一緒に歩きながらポケモン探しを楽しむなら私もやるかもしれない。 犬に促されてしょうがないなあと出かけるのが今の私を救っているかな。 一人で買い物に出て舌切り雀のお婆さんみたいに重いつづらを持ってやっとのことで帰る時はくたびれ果てるのは当然だった。
|