�蠧�記
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ここに住んで何年になるのかな?
2004年の3月。
11-4 7年。
もう夕方か。早いなあ。
今日食べたものは、親子丼、緑茶、玉蒟蒻、卵ベーコンホウレン草サラダ 皿うどん。
妄念妄執をとどめよといふにもあらず。
そういえば、あの人はしてなかったかna?してらしたのか。。うぃきぺぢあ検索してしまった。。
なかなか賢明な女性にはなれない。やっぱり今生では無理かな。
それにしても、久しぶりに有吉京子さんの白鳥の第1巻の冒頭を見られた。 懐かしいです。真澄ちゃんはレオンと結ばれたんだな。
連絡が取れなくなっているんだけれど、どうしているかな。
映画のティンバレーク氏の写真よりショーンパーカー氏の写真の方が素敵だな。。
風邪を引いていたのかな。
朝夢の中で怒りに駆られて泣いたりしていた。
まあ私としては一生懸命やっていたのよね。
これだけのものなのかな。
このままぼけていくのかな。
努力で頭は良くならないのかな。
寿命は後どのくらいなのかな。寿命には勝てないのかな。
もう一人旅は無理かな。
ワーキングホリデーとか無理かな。
今日水曜日とばかり思っていた。今日は火曜日だ。
小豆を炊いてみました。
今月は光熱費がすごい。
父方の祖母のことを思い出す。脳血栓で倒れて口がきけなかったが、絶対感情や意識はありました。ひらがなででも紙に何か書いてみせるとか、イエスノー形式で答えを求めるとかしたら、コミュニケーションできたんじゃないだろうか。という思いがあるとしたら、どこかに生かせない?
でもねえ、その時その時の流れは、やっぱり自然のもの。こうでありたいああもしたいと思うけど、夫や子供とだって、自分の思いだけ向けてみて相手が心を開いてくれるとは限らない。 でもふとした時に、何か出会えたら、それは贈り物だ。
祖母は結構職業婦人だったから、ぼやっとした私とは意識が違っていたかもしれないけれど、でも当時の徘徊したりベッドで介護されていた祖母から当時のぼやっと突っ立って彼女を見上げていた幼い私の姿は、どう映っていたのだろう?眼中になかったかな?そうかもしれないけど、もしまじまじと振りかえってみたら、いわさきちひろの絵のようか宮崎駿監督のアニメの少女みたいだったにちがいないと思うぞ。
久しぶりにトルコのおじさんと偶然おしゃべりした。merhabamerhabaselam今年は55歳になるのだそうだ。私も50歳だから、なんだろう?ふぃふてぃふぃふてぃでオランダに行こうとか。そういえば甥っ子オランダに逗留していたんだな。 ここは雪国。川端康成でも読んでみようかしら。私はどちらかというと英米の映画がはきはきしてて好き。日本の作家ってすぐあれしちゃうから嫌いよ。私は繊細よりもちょっと鈍感でユーモラスな男が好き。 スキーの、あれはなんていうひとだったかな、メルヒさん?
そういえば、イスタンブールが背景の、自伝小説あったな。グリーンの叔母との旅もイスタンブール方面だけど。トルコの作家も読んでみると(ってあれは英語だった?)あれわりと川端康成と情緒的雰囲気似ていたかもしれない。回想的で。 おるはんぱむくの雪か?名前が紅か?ああ、大変なのね。なかなか。自由の国アメリカでだって、リークスみたいに問題になったりするものね。私も、 ジョークを解せる時と、やたら尖がる時とあります。 また掘り出して読み返してみようかな。本棚のどこに埋もれているもんだか。
ゆで卵かりかりベーコンツナひじき玉葱青菜ガーリックチーズ胡麻ドレ米酢タイムマヨネーズ玄米飯などで、サラダ巻きにしてみました。結構満足な味です。
吹雪いてみたり、青空が現れたり。部屋の中で冬の洞窟の狼の群れみたいにわんこたちはお父さんにひっついてくつろいでいます。
Elizabeth Walls という人のGlass Castleという本を読みました。
小さい時に随分大変な火傷をされたようなので、私の傷なんてたいしたことないですが、ちょっと共感。それにしても彼女のお母さんもいいなあ。
今日は結構大雪ですが、子供は学校みたいです。長靴履いていったかな。
今日はお父さん休日でした。午後から犬を一匹ずつ散歩しました。母犬は童心に帰ったかのようにふかふか雪の感触に興じ、雪まみれになっていました。夏の頃のあえぐような散歩が嘘のようでした。私も嬉しくなりました。 雄犬の方は母犬程は雪に興じていませんでしたが、やはり散歩は嬉しいのです。毛質が日本犬より柔いので、足に雪球がくっついてきて冷たかろうと思いますが、コートを着せていたので、いつかのように濡れ細らずに済みました。この毛質で濡れ細ると実に貧相で惨めな感じなんです。それで私は気が進まずにいましたが、今日は雪質が比較的さらさらしていたせいか、お父さんが散歩する気になったようです。うちの犬は日本犬に対してよく吠えるような気がしていましたが、今日は見かけたわんちゃんに黄色い甘えた声を出していました。それでお公家さんのようなお顔の柴犬とくんくんとご挨拶していました。でもうちの子は小便くさかったんじゃないかな。まるでおしっこの後で砂をかけようとするように、トイレシートのおしっこを鼻にこすりつけたりすることがあるんです。きりりとしたスマートな柴ちゃんは、おい、臭いぞ臭いぞ、というようなお声を出しました。 帰ってからお父さんがあったかいお湯で二匹とも洗ってくれました。やっぱり男手は助かるなあ。 私もわんこを繋いでおいて雪かきをしてみたりしたんですが、ちょっと息が上がって貧血か低血糖か狭心症の手前のようになりました。ちょっと考えないと。
そういえば、今週は、ジュリアロバーツさん主演で映画になったらしい、 Eat,Pray and Loveだったかも読んでみました。 このお話も、エリザベスさんのお話も、私とは勿論多少違ったタイプの人だし、このお話時点でまだお若いですが、女性としてわかるなあと感じられるところもあります。
昨日やっとお風呂に入ることができました。万歳。できれば子供の頃のように毎日入りたいです。 ちなみに主人や子供は毎日シャワーを浴びています。
お迎えが近いような気もするけれど、多分私は今が一番幸せなんじゃないかと思います。
伊達直人現象嬉しいですよね。悲しいニュースは一つでもとてもまいるのですが、本当は無名の伊達直人さんが沢山存在しているのだと思います。
目がとっても疲れている。何とかならないかなあ。昨日もほとんど一日眠ってしまった。お父さんが雪見温泉誘ってくれたんですけど。
起きてお風呂に入れたのは暗くなってから。ちょっと貧血気味になったし。
ああ、子供の頃のように石油ストーブかガスストーブつけたい。エアコンじゃ体がしんしんと冷えてしまうし、喉も乾燥する。ストーブの上に水を入れたやかんを置きたい。
お隣の人は灯油使っているみたいなのが、とっても羨ましい。
今朝は玄米飯の醤油味の炊き込みご飯したら、塩鮭と味噌汁でした。
子供が自分の飲む牛乳を温める時に、私の分も作ってくれました。感激。
正午過ぎて、猛烈に眠たくなってきました。
やっぱり冬眠が一番かな。
雪積もってました。
私は冬は雨よりも雪の方が好き。
お正月、4日の日は、午後初詣に行きました。朝はすごく嫌な奥さんだったけど(ずっとか?)。
心肺機能は相変わらずとても弱っていたけど、あれは終わっていたし、車酔いはしないように頑張っていたし、お腹も壊さなかったし、青島ラーメンも一人前平らげたし、積もった雪もさくさく踏んづけて楽しめたし、青空も見えたし、おみくじも大吉でした。
転居急いでよし、ってあったけど、別に急ぎません。
やはり体重落として、体脂肪落として、心臓や肺、腎臓、肝臓などがもう少し回復したらいいな、楽になりたいな、と思いますが、今はこれでいいのかもしれない。
好調な時に何か踏み外してしまうのも結構怖いものですし。不調になってきていいこともあります。
いけてないかもしれませんが、いけてなくちゃいけないとも思いません。
不眠症も辛いかもしれませんが、一日15時間も20時間も眠ってしまうのもちょっと怖い気はしますが、でも、こんな時もあるでしょう。だって結核で何年も寝込む人もあるんですしね。
私がああでなかったらあの人は死なずに済んだのではないかとか、母が亡くなった後、私が見殺しにしたような気持ちも長くありましたが、今はちょっと自分の被害者感情にも少し理解を持って、愚痴ったりしています。愚痴ってしまうと、確かに私ってたいしたことねえなあつまらないやつだなあという気はしますが、それでも、お腹すくと食べ物おいしいし、自分はかわいいです。夫や子供のために飯作る気はなくても、自分のためだけに飯作る気はあったりします。きっとお父さんが子供の空腹を気にかけてくれているだろうという甘えもありますが、何か回復すると、やっぱりお父さんや子供にも何かしてやりたくなりますよ。でもなかなか買い物に出かける元気は出てこないなあ。
12月の初頭ごろ、兄嫁に、禁煙なんてするもんか、1ミリグラムの高額な煙草なんて買うもんかみたいなことを申しましたが、その後、チャンスがあっても煙草買っていませんねえ。どうしたんでしょう?もう1ヶ月以上喫ってないかしら?面倒になったかなあ。
そういえば、主人の母やらの関係の家の庭(まあ現実とは違っているけど)で、アルパカを飼うことになったりした夢見ました。どうしてだろう?昨年中越の方だったかでアルパカ飼育のニュースがあったのを見たせい?
ほかに落ち込みの激しい時ちょっと嫌な夢も見ましたが、忘れた。きっとある意味元気になってきているのだろうと解釈。
あの世にいったら辛いことも感じられなくなっちゃうものね。生きているからこそ苦しめることもありますよね。
得たいものもあります。
何でも羨ましく感じられてしまうことからは、少し出られました。
クリスマスもケーキで祝わせてもらいましたし、お誕生日も内心祝っていますが、今は何だかあまり頑張れません。でもできたらしたいことはある。
人や過去は変えられないけれど、自分やこれからは変えられる。
幸せって何だろう?
私は幸せに見えないのだろうか?
私は幸せではないのだろうか?
幸せって怖い。幸せになったら、それを失うのが怖くなるかもしれない。
この世には幸せでない人も沢山あると思う。それなのに、自分が幸せだったら何だか悪いような気がする。あるいは何かが見えていないのかもしれないと思う。 それで、みんなが幸せであることを祈ってみたが、いまだかつてこれはこの世で実現したことはなかったんじゃないかと思う。これを祈ることは強欲に過ぎるだろうか?ロマンティック過ぎるだろうか?かといって人の不幸を祈るのも不幸だ。
例えば獅子は弱い動物の肉を食らって生き延びてきた。でも獅子をそれで罪深いと考える人はあまりいない。野生の獅子なんだから仕方がないと思う。 例えば獅子を野菜だけで育てる事は不可能なのか?日本犬は味噌汁飯を食べていたが。動物園の獅子は死んだ動物の肉を与えられているように思われるが、動物園の獅子に野菜だけしか与えなかったとしたら、獅子は野菜を食べずに飢え死にするのか?それとも、野菜を食って生き延びるのか?
しかし野菜だけで生きていれば無垢なのか?サボテンにも感情があるという人がある。草花におはようとかきれいだねとか話しかけながら水をやると草花が喜ぶと思っている人もある。そうやって育てられた草花を飢えた人が勝手にむしってむしゃむしゃ食ってしまったら、草花を育てた人はハートブロークンな気持ちにならないだろうか?なると思う。訴えたくなるのではないだろうか?訴えられた人がもし一文無しだったら、刑をうけなければならないのではないだろうか。その場合、もし訴える言葉を持っていれば、腹が空いていて食った、とか、愛されている花が妬ましかった、と言う事もできるだろうが。
お墓や遺骨には血は通っているようには見えないが、しかし、石にも心があると言われるようなところがある。
私はこれからどうするのだろうか。
何故人には他の動物を生け捕って動物園で他の人に見せる権利があるのか?生け捕りにする方法を思いついたからだろうか?獅子より頭がいいからだろうか?頭の悪いものは囚われなければならないのだろうか?仏の掌の上?
私がもし人にとって取るに足らない小さなことに執着するところがあるとしても、それが取るに足らないつまらないことだと判断するのは誰?私は別に人が私にとってつまらないことに執着していても構わない。私は自分が執着せざるを得ないものを馬鹿にはできない。しかし私は何に執着しているのだろう?
私は悪い人なのだろうか?このままではいけないのだろうか?
年収1500万の人が中間層だという大臣はきっと相当裕福なんだろうなぁと思ってしまう。子供のころ親が借金に追われていたって自分の家が貧しいなどとは考えたことはなかったが、自分のところより貧しそうな家庭も知っていた。 それを助けてあげられたことはなかったが、少なくとも、貧しくても真面目に暮らしている人たちがあることは承知していた。 今我が家に借金がなくても、国全体に借金があれば当然それは我が家にもかかってくるし、他人事ではない。財産を持っていないから気楽とも言っては いられない。自分の家だけ水道代も節約する生活より、やっぱり安心して毎日お風呂に入れる暮らしがしたい。
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