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日本の若者のどこが恵まれているのかよくわからないが、中国の若者も前途洋洋で恵まれていると思う。
安住の場所ってないのかなここで朽ちていくのか
かなしいの
むねがしめつけられるように苦しいの
おばあちゃんもそうだったんだね
どんなことがあっても、私がカトリック信者になることはない。そんなことは許されない。
悪化するだけか。何がらいふいずびゅーてぃふるだよ。
あの人たちが悪いことだけして家族も友達も何も失わずにいるとしたら、どうして私はこんなにぼろぼろにされなければならないの?
あんたがそれを許したんだろ。
私が悪いっていうあなたは一体誰?通りすがりの旅人?
許されたんじゃないの。これ以上何が望めるの?この次は私初孫に生まれるの。そんなんばっかり。そういうことと違うでしょう。知らないよ。人に生まれてきたくないですよね。特に私みたいなものには。
正岡子規とか、若かったですよね。もっと生きたかっただろうな。
健康に生まれたい。榊原郁恵さんとか松本伊代さんとか早見優さんみたいな雰囲気の人になりたかったな。
どうしたら気持ちが切り替わるのか。怒りをどこに向けたらいいのか。
ara?今日は日曜日なのね。
どこいったかなあ
名前検索しても見つからなかった友達が友達登録申請してきてくれて承認したら繋がったみたい。
私は人情の機微に疎いし、場の空気を読まねばいけないというのも苦手だが、それにしても、今になって、人の心の動き、人々の心の動きというのも、なるほどなあそういう風に動いていくものなのか、なんて思ってみても、何の役にもたたないだろうか。
鎖国で国際的な人付き合いの暗黙のルールのようなものに、日本人が長けていなかったというのは、もっともといえばもっともなことだが。
私は日本人の中でもさらに人付き合いは苦手な部類だが、日本人全体としてもまず外交は下手糞ということなのかな。上手だったら戦争になったりそれに負けたりしていなかったか。でも上手な人付き合いのテクニックを身に着けようとしてみても、うまくいくとは思えない。結局何を大事にしているかが行動に出てしまう。
私には、神が全智全能というのは必要なことだ。超越した存在が私のことをすべてお見通しだということが私には必要な気がする。そうでなかったら、 生きてこられなかった。神様が私にごめんねというお顔をしている。それだからこそ、いいのよ恨まないわというスタンスを保とうとしてきた。
苦しいのが現実。それで?
貧すれば貪するということだが、貪しても、仕方がない。きっと誰でも通る道。
持っていけるものなんてないんですよね。
半角カナは文字化けします?? 半角カナというのは、ハンカクカナ
文字化けしているでしょうか?自分から見ると別に文字化けには見えないけれど、人から見ると文字化けして見えたりするのかな?
時々文字化けしたメールが来ることがありますが、あれは何故でしょう?
笑う角には福ということで、笑顔笑顔という方がありますが、自然がいいと思っております。わけもなくチェシャーキャットのようなにやにや笑いをしなくてもいい。笑える時は、しかめっ面していろと言われても笑えてしまうこともある。
すきだったなあ みのべさんやすすきさん
ところで、環境のためにできること、にどんなことがあるのか、と検索してみると、割と私は環境を大事にしようとしているじゃないかと思いました。 で、国産木材を使うようにすると環境にいいのですか。
fuu
何だか煙草なくなっても買いに出なくなってしまった。
でも考えてみたら、私高校生の頃までは、煙草吸っていなかった。いつ吸い始めたのか最初の一本の記憶が今出てこないのだが、成人してからか、それとも大学生の頃吸ってた?
記憶にあるのは、結婚前に、煙草吸っていますとフィアンセに正直に語ったことがあったが、離婚がほぼ決まる頃まで、その人の前で結婚していた間、目の前で煙草を堂々と吸ったことがなかった。 何故かというと、その人はスモーカーだったが、女性あるいは母親が煙草を吸うことを嫌がったからだ。というか、私が吸うことを嫌がったのかもしれない。その人のおばあさまはその人つまり孫息子の吸った煙草の吸殻を吸い直していたが、それも人が見ていない時のことだった。彼がおばあさまに、その年になって煙草吸うなとは言わないから、頼むからこそこそとせずに堂々と吸ってくれと言っていたし、私も当時煙草がそれ程害毒とは感じていなかったので、煙草を吸う人お酒を飲む人をやめさせようと言う気はなかったが、自分ひとりのときにだけ吸殻の残りを吸うなんて孤独っぽいなあと 思いつつ、自分は妊婦としてはやはり吸わない方がいいだろうと思って禁煙したり、あるいは煙草を吸う私を見たがらない人の前では吸わないことにしておこうか、憂さ晴らししたい時は吸おうかというところもあった。
あのおばあさまは身内の人にぼけたと言われていたが、そんなことはなかった。火事を起こしそうな危うさもなかったし、体はえらくなっていたけれど、頭脳は最後の最後までかなり明晰だった。 しかしあのおばあさまが孫息子の煙草の吸いさしを拾って吸い直したのは、憂さ晴らしのためというより、吸いさしの煙草を根元まで吸われていないのを見て、モッタイナイと感じざるを得なかったからだろうと思う。
私は煙草を吸うことが似合うタイプではないおぼこ娘だったかもしれない。考えてみれば、彼は中学の頃の私を見たことがあったから、その娘が煙草を吸うようになったということを喜べないものがあったのだろう。実家の母や同居していた兄嫁が煙草を吸っていたので、少なくとも当時二十歳過ぎた女の子が煙草を吸っても法律的に罪に問われるわけではなかったし、私にとって、煙草を吸っていた父や母との語らいは穏やかなものだったので、煙草は懐かしい実家のようなものだった。 しかし、今は、結局、吸い続けるための面倒の方が、マイナーな喫煙に対する思い入れや情熱よりも上回ってきたかもしれない。死の恐怖も身近なものになってきた。
若い頃喫煙していたが長命だった祖母が亡くなってみると、煙草を吸わないようにしてもやはり死ぬ時は死ぬんだとも思うが、とにかく吸殻の始末を自分で片付けるのも面倒だし危険にもなってきた。怖さを感じられるようになってきたのはこれなりに成長なのかもしれない。
やっぱり我ながら思い込みとか無意識に傷をかばってしまう癖ってあるなあと思う。
卑下する必要なんてないのに。
身体的な苦痛が止んでいるととても助かりますね。
何か美味しいもの食べたい気はするけど。
今回2016オリンピックはやっぱりリオが正解。自然で楽しそう。
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