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相変わらず甘い。
kinyoubi
健康が一番だと思うけれど。
明日は木曜日。
今日は息子はご飯も食べずに眠ってしまった。
今日はちゃんと用意して登校したかと思ったが、眼鏡を忘れて行っている。 黒板などちゃんと見えるのだろうか?席替えで前の方の席に座れたような気はするが。
安倍さん、そんなに責任感じなくてもいいと思う。一生懸命やっていたんだから。リラックスして消化のいい美味しいものでも食べて、元気になったらいいな。 私は福田さん好きだけど、うちの主人は麻生さん好きみたいだった。
もう九月も終わりか?
中秋の名月?この間半月を見たが。
マルセルマルソーさん、84歳か。パントマイム印象的だった。見えない壁や空間を手探りで表現するパントマイム。ピエロのお化粧とマッチしていた。
今朝はカフェオレを飲める。目を覚ます気があるのだ。工事の音や車の音がにぎやかだ。
明け方暑くて眠れないので一部屋冷房にしてもらって眠れた。
でも主人は冷房だと気持ち悪くなるのだそうだ。
あ、今日は湿度が50パーセント。すると、昨日湿度がゼロパーセントだったのは、湿度計が壊れていたわけではないのか。
150円のピースに合うようなフィルターがあると嬉しいなと思う。禁煙パイプなどのプラスティック性のフィルターのようなものをくっつけることはできないかな。
ああ、占いの言葉も煩くなって来た。
若い頃は占いなんて見たことなかったのに、私も堕落したものだわ。でも妊娠している時に酒や煙草をのんだことはないな。そのかわり太って妊娠中毒症になった。体重減るのにしばらくかかった。
nanndaka生きにくい時代になったな。子供を生む頃は、そんなに生きにくい時代とは感じていなかったが、なんだか生んで申し訳ないような気がしてきた。あの頃兵庫県はどういうところだったのかよくわからないが、私の祖母の故郷の岡山の温泉の川では、老若男女が混浴しているのがドライブウェイの車の助手席から見えたが、おおらかで長閑な風景だった。条例か。
私が人違いをした彼女はどんなお顔をされているんだろう。彼女は悪くないのに、すみません、人違いです、とおっしゃられると、何だか謝罪の言葉を先取りされたような感じで。
そうだ。こちらこそすみません、と言うより、とにかく、一言、ごめんなさい!ということで、行くか。決めた。
そうだ。便箋買ったんだ。向こうがこちらに郵便で手紙を下さったのだから、こちらがあちらにお手紙を差し上げても、構わないのではないだろうか。
あの方の故郷の様子をお知らせしても構わないのでないだろうか。80年前とどれだけ違うかわからないけれど。
と思うが、重すぎて、胸が苦しい。一時か。あれ?秋分の日ってお彼岸だ。
お彼岸は、あちらの方へ思いを致す。これでいいんだ。亡くなった人たちに会いたがっても、迎えにきてもらいたがっても別に構わないではないか。 彼岸を思ってもいいじゃないか。
私の実家のお仏壇はどこにあるんだろう?ここのお仏壇的なところには、えびすさんとだいこくさんがお笑いになっておられるが。熊手のおたふくさんもにこにこしてらっしゃるし、あれはおかめひょっとこ?
ニュージーランドの魔よけの木彫りが、あっかんべーと舌を出している。 モアイ像はかなたを見つめている。絵馬には、みんなが健康でありますように。明朗快活正直勤勉信頼南無阿弥陀仏家内安全のびのび安心商売繁盛健康増進素直ク邪気成長感謝健康安寧秩序信頼無地交通安全人のために尽くせることなどと書いてある。平成16年申年か。2004年の元旦?
上野の権現さんで買った祈願の絵馬には、家内安全暢気健康無事商売繁盛長寿学問芸術文化興隆なんて書いてある。なんだかなあ。でも大真面目だったのだ。友好、和解、子孫繁栄、平和、安心、自然、無病息災、快活、向上、実り、動物自然愛護だって。回復というのもある。Peaceラブだって、私こんなこと祈願していたなんて、熱すぎるよ。地球の温暖化に貢献しちゃってるよ。
しかし驚いた。私ってポジティブな人だったんだ。一生懸命オセロゲームで闘っていた時に、投げやりになっちゃ駄目だよ!と対戦相手である甥っ子に怒られたので、私って投げやりな人なのかと驚いたこともあった。神様か阿弥陀さんがなかなか迎えにきてくれないのは私を嫌いなんだろうか?と心配になりつつ、お迎えを頼んだりしていた。
ところで窓が全開で、風が通っているのだが(しかし汗が出る)、湿度計はゼロパーセントになっている。湿度計が壊れたのか?それとも本当に湿度がほとんどないのか?晴天のようではある。摂氏30度になっている。
やっと夕暮れ。
柿の種も黒豆せんべいもなかなかんまい。
怖い。鉄のフライパンの錆を洗って熱して水分をとばし、そこに健康油と言われる油を数滴たらしたら、なんだかじゅうっと油が焦げて、タールのような異物が残った。これは何だろう。ご飯は炊いたが。
煙草でタールがたまっているから、驚くほどのことでもないか。
主人の買ったビールが冷えていて、一缶開けたい気がする。でも一缶全部は飲めそうもないので、帰ってきて開けたら、少しもらいたい。お彼岸か。
今日はコーヒー飲めなかったな。今朝目が覚めたら、おとうさんもこどももカレーか何かを食べた後があって、子供はまだいたが、おとうさんはもういなかった。プラスチックごみは出してくれたみたいだ。
子供は昨日今日は眼鏡をかけていったが、ちゃんと壊さずにいるだろうか。
それにしても一時よりはずっと血圧が下がってきた。
失業手当って一度もらってみたかったな。雇用保険っていうのも入ってみたかったな。
かたちのないものを買うって、例えばどんなもの?愛は買えない。愛は与えるもの。でも惜しみなく奪うという小説あったかしら。またアイアイアイアイおさるさんだよになっちゃった。
seiten
茜色の夕暮れの西の空の、まだ青い空に、白い半月と、あれは?金星?まだ空が青い時に光っていた星が一個。白い半月の傍に。
いつまでも柔軟でしなやかでありたいけど、私もちょっと夏ばて気味。
でもどうなのかしら?私たちって何か圧力をかけられているからこそ自分を保てているものなのかしら?例えば戦争をおっぱじめても、原爆を落とされて敗戦の痛みを知ったからこそ平和の有り難さを知るというような? 親に叱られて痛かったこと、背中を見ていたこと、周りをきょろきょろ見て反面教師にしているとか。
あと3ヶ月ちょっとで今年も終わりか。早いな。
あれ?古田監督も疲れたのか?負けている時でなくて勝っている時にやめることにすればいいのになあ。なんて人のことなら何とでも言える?
思いやりを持てって一口に言われるけど、何が思いやりかよくわからない。 私の場合は、悪口を言うことが悪だというよりも、自分が精一杯よかれと努めていれば、陰で悪く言われていることがあることがあるとしても、その人たちがそれほど悪人というわけではないと、気にしないようにするくらいしかできない。直接言われてもすぐ反省できるかどうかはわからないが、直接言ってくれる人の方がやっぱり好感を持つ。あの人があなたのことこんな風に批判していたよというようなことはなるべく言わない。そういう親切は好きじゃない。本人がいないところで家族団らんなどで、有名人のことを批評したりしていることあるのだから、自分もたいしたものではないが、仮に何か自分のいないところで誰かに酷評されていたとしても、その人たちは別に私に大して害をなそうとしているわけでもないことはわかる。けれども直接ではなく他の人の口を通じて耳に入るととても印象が悪くなるから、なるべく自分はほかの人の間を裂くようなこと、あの人あなたのことこんな風に悪く言ってたわよとは言いたくないと思う。有名人というのは政治家にしても芸人さんにしても批判には強いだろうと思うので、つい軽口を叩いてしまうことがあるが、批判しようとすれば何とでも言える、誰でも完璧に生きているわけじゃないから、そんな風に感じられることもあるんだなと時が経てば反省や理解の一つになるが、それでも実際信頼していた人に弱っていた時に陰で口さがないことを言われていたと知るのは口に出さなくてもとても傷ついた経験があり、その後未だにその人と素直には付き合えないから、できれば余程言いたいことがあるなら文句のある人が本人に直接言う方がいいと思うし、あなたについてこんな噂がありますよ、というようなことは普通人間関係にひびが入るから、人の悪口を聞いても、自分のところで止めてきたという一抹の自負がある。
と思っていたが、公開の日記って独り言のつもりでも影響あるかしら。
弱っている時って感じやすいからな。人気商売の人って大変だろう。それにしても、ご指導ご鞭撻くださいと思っていても、頭にきて名誉毀損で訴えざるを得ないようなことになる人って、やっぱりかなり社会的に力がある人なんだなと感じる。
こう書きながら、私もやっと、実家からかなり遠くなってきたのを感じる。これから猛母猛妻一直線なのだろうか。それとも後いくばくもないのだろうか。どういう道が残っているのだろうか。ご機嫌の具合がつかめなくて、お父さんは私の好きそうな食べ物でなだめようとしたりするのかな。
敬老の日を思いながら、元気で健康であって欲しいと思いながら、以前のように老人になにかをするということをしなかった。 私はまだ老人とは言えないし、若者でも子供でもないが、自分が老人になったら、別に敬老の日に形だけのご機嫌取りのものをよこされるより、思いがけずわだかまりのない明るいおしゃべりの声を聞けるとかいうことが一番嬉しいかなと思う。 そういうことって、努力というのもあるかもしれないが、思いがけずできる時はできるし、できない時はできない。できない時は無理をせずに離れていても幸を願いたいと思う。
九月はまだ暑い。冷房しないと寝苦しい。
私も漫画は好きだけど、北朝鮮にほかの強国に頼んで圧力をかけなければ対話が成立した試しがないと発言するということは、結局北朝鮮を国として自分と同じ人間としてまともな相手と認められないということだから、北朝鮮の高官が核をちらつかせなければ日本とはやっていけないと発言するのと何ら変わりない。喧嘩してしまうのは同じレベルなのかな。上品ぶらずに庶民的でありたいのはわかるけれど、麻生さんの発言では阿部さんと同じで進展は望めそうもない。麻生さんの発言には相手の尊厳を尊重しようとしている気遣いが感じられない。自国の国民の人気取りをしようとしているだけなんじゃないかと思う。
私も時折夫と話にならないと思ったり言ったりすることがある。憎からず思っているうまくいっている相手でもそういうときがあるのだから、感情問題が続いている隣国とは本当に難しいんだろうな。へギョンちゃんは元気だろうか。 なんじの隣人を愛せよ、なんじが好きな相手を愛しても何も偉いことはない、そんなことは異教徒だってしているではないか、なんじを憎む相手をなんじが憎く思う相手を愛しなさいと言うのは、本当に家族と別れて出家した聖者でもなければ言えないことかもしれない。でも何度でも許しなさいと福音は説く。その方が自分のため。憎しみに彩られた人生なんて幸せじゃないもの。自分を人間として尊重されなければ誰だっていい顔はできない。自然な会話は弾まない。私は日本人だけど、拉致されるのも強制的に慰安婦にされるのも嫌だし、北朝鮮も日本も同じ血の通った人間だと信じている。北朝鮮も自然の景観も人の情けもあるだろうに、それでもこんなに近いのに、イタリアの方が行きやすかったなんて。
イタリアのミラノで、ファッションや優れた技術などで繁栄したイタリアの製品が高くて売れず、中国の安売り製品が売れるようになってしまうものだから、イタリアのプライドも危うくなって中国などにちょっと脅威を感じたりしているらしいことを、ミラノとイタリア人の友人と一緒に歩いていた時に少し感じた。 私だって、高くても質がいいといわれるものに投資して、粗悪品はボイコットしたい気もするが、お金は使おうとすれば簡単になくなる。安いのはやっぱり助かる。扇風機は回ってくれればそんなに複雑な構造でなくて構わないのだ。 野生動物だって別に潔く生きているわけではなくて、おっかなびっくり生きのびようとしているのだ。そのことを情けなくことはないが、生きていくのは大変だ。 友達が日本人の女の子と結婚したからといって日本の女の子と仲良くなりたい、僕はプリンスだ、自分の国の女の子は金ばかり欲しがると言っている男の子があったが、甘ったれだなと思った。結婚したって孤独で思い通りにならないのは変わらないのに。どんな王子様か知らないが自分の国の女の子をハングリーにしてよその国のお姫様の心をつかめると思うのか志がずるいなと思いました。 それに比べたらうちのはげ父ちゃんの方がずっと心がけがプリンスだと思いましたさ。
政治家が人気者である必要はない。地味で政治家が存在していることを人が忘れてしまうくらいでいいな。
kinyoubi Friday Venerdi 14ka
ごみ捨てに出たら、風が気持ちよかった。
木曜日。
阿部さんは政治家よりも学者になったらどうかと思う。悪がき的な部分がほとんど感じられなくて本当にいい人そうだから。今のままのよさを生かすには、学者。
安全保障条約は絶対必要だったという固い信念をお子さんの時から持っておられたのだから、やはり阿部さんの美しい国のモデルはアメリカ合衆国ではないかと思う。アメリカは自分で美しい国を目指さなくても、日本が米国と呼ぶところのアメリカ合衆国を、台湾も中国も美国と呼んでいる。つまりアメリカは国として美しくあろうと努力しなくても既にその構造を美国と他国に認められているのだ。そのアメリカに日本がいくら憧れて美しい国になりたいと願っても、永遠に追いつけない。日本は日本として行くのが自然だと思う。
私は決して安保反対ではない。今のところ日米同盟を破棄して日本が生き延びられる道があるとは考えていない。アメリカに占領された日本はラッキーだったようにも思われる。しかし、多国籍軍がイラクに駐留することが最善かどうかも、疑問。自民党の候補者が当確と聞くと、民主党に入れたくなるのだ。で、アメリカがイラクを攻撃したのは、正義だったとは思えないところがある。アメリカを嫌いじゃないが。ビンラディン氏を追いかけ続けずにその勢力をイラクに持っていったのは、腑に落ちない。あの時アメリカ人の怒りの気持ちはわかると思ったけれども、何だか藪の中だ。もともと世界は混沌としていたという気がする。あれは何か川の堤防を小さな溝から水があふれ出たような印象。そういう意味ではあれも日本の開戦も似ているようでもあり、しかし日本はやはり小国だ。でも小国だから何も言えないというわけではないですよね。
ところで、ベトナム戦争の後、ベトナムはどうなっているんだろうか。 東工大の文化祭で、ベトナム料理の生春巻きは実に美味しかった。べトさんは結婚した。
で、イラクは。
国名:ベトナム社会主義共和国 (Socialist Republic of Viet Nam)
2007年9月現在
一般事情 1.面積 32万9,241平方キロメートル
2.人口 約8,411万人(2006年) 人口増加率:1.18%(対前年比)
3.首都 ハノイ
4.民族 キン族(越人)約86%、53の少数民族
5.言語 ベトナム語
6.宗教 仏教(80%)、カトリック、カオダイ教他
7.略史 千年を超える中国支配を経験した中国文化圏最南端の国。
年月 略史 1883年 仏の植民地化。 1945年 ベトナム民主共和国成立。 1949年 ベトナム国(親仏)成立。 1954年 ジュネーヴ協定により南北分割。 1955年 南部で共和制成立。 1965年 米軍直接介入開始。 1973年 パリ和平協定。 1975年 南越崩壊。 1976年 南北統一(社会主義共和国)。
政治体制・内政 1.政体 社会主義共和国
2.元首 グエン・ミン・チエット国家主席
3.国会(グエン・フー・チョン議長) (1)一院制(493名)、任期5年(但し2007年〜2011年の第12期国会は4年)
(2)中選挙区
(3)選挙権満18歳以上、被選挙権満21歳以上
4.政府 (1)首相 グエン・タン・ズン
(2)外相 ファム・ザー・キエム(副首相兼務)
5.内政 (1)1986年の第6回党大会にて採択された市場経済システムの導入と対外開放化を柱としたドイモイ(刷新)路線を継続、外資導入に向けた構造改革や国際競争力強化に取り組んでいる。他方、ドイモイの進展の裏で、貧富の差の拡大、汚職の蔓廷、官僚主義の弊害などのマイナス面も顕在化している。
(2)2006年4月には、第10回党大会(5年毎)が開催され、「ドイモイ(刷新)」政策実施20年を総括した。また、ドイモイ路線の継続を確認し、汚職問題について厳しく取り組む姿勢が表明された。書記長には、ノン・ドゥック・マイン書記長が再選された。党大会後の第11期第9回国会(5月16日から6月29日まで)にて6月27日グエン・ミン・チエット国家主席、グエン・タン・ズン首相が新たに選出された。26日にはグエン・フー・チョン国会議長が新たに選出された。2007年5月、5年に一度の国会議員選挙が行われ、マイン書記長を始めとする首脳陣はいずれも当選し、同年7月〜8月の新期(第12期)第一回国会において、チョン国会議長、チエット国家主席、ズン首相の再任が承認された。また、同国会では、省庁改編(中央省庁数の削減)、一部閣僚の交代(副首相2名の追加等)の他、今期国会議員の任期を4年に短縮し、地方議会(人民評議会)議員の任期を2年延長させることが決定され、次回選挙(2011年)より、国会、地方議会選挙と共産党大会が同一年に行われることとなった。
外交・国防 1.外交基本方針 全方位外交の展開、特にアセアン、アジア・太平洋諸国等近隣諸国との友好関係の拡大に努めること。 1995年7月、米国と国交正常化、アセアンに加盟。1998年11月、APECに正式参加。
2.軍事力(2007年版ミリタリー・バランスより) (1)予算 34.3億ドル(2006年)
(2)兵役 徴兵制(18〜27才間の2年間が標準(陸軍及び防空軍は2年、海軍及び空軍は3年))
(3)兵力 45.5万人(2006年、主力軍)
経済 1.主要産業 農林水産業、鉱業
2.GDP 604億米ドル(2006年 IMF推定値)
3.一人当たりGDP 715米ドル(2006年 IMF推定値)
4.経済成長率 8.17%(2006年)(前年同期は8.4%)
5.物価上昇率 6.6%(2005年12月比)(前年同期は8.4%)
6.失業率 4.4%(都市部のみ、2005年)
7.貿易額(2006年(暫定値)) (1)輸出 396.1億ドル(前年比 22.1%増)
(2)輸入 444.1億ドル(前年比 20.1%増)
8.主要貿易品目(2006年) (1)輸出 原油、縫製品、織物、水産物等
(2)輸入 機械機器(同部品)、石油製品、布、鉄鋼等
9.貿易相手国(2006年) (1)輸出 米国、日本、オーストラリア、中国、シンガポール
(2)輸入 中国、シンガポール、台湾、日本、韓国
10.通貨 ドン(Dong)
11.為替レート 1ドル≒16,115ドン(2007年6月)
12.外国からの投資実績 604.7億ドル(1988年から2006年12月まで認可額)
13.経済概況 (1)1989年頃よりドイモイの成果が上がり始め、1995〜1996年には9%台の高い経済成長を続けた。しかし、1997年に入り、成長率の鈍化等の傾向が表面化したのに加え、アジア経済危機の影響を受け、外国直接投資が急減し、また、輸出面でも周辺諸国との競争激化に晒され、1999年の成長率は4.8%に低下した。
(2)2000年の成長率は6.7%、2001年は6.8%、2002年は7.0%、2003年は7.2%、2004年は7.9%、2005年は8.4%の成長率を達成。しかし、慢性的貿易赤字、未成熟な投資環境等、懸念材料も依然残っている。
(3)近年ベトナムは一層の市場経済化と国際経済への統合を押し進め、2007年1月11日、WTO正式加盟を果たした。
経済協力 1.日本の援助実績 1992年11月以降経済協力再開。日本はベトナムにとって最大の援助国。2005年度の援助誓約額は、円借款、無償資金協力、技術協力合わせて総額約1009億円。2006年度については総額1039億円を拠出表明。
わが国の対ベトナムODA供与規模・実績(単位:億円) 1999年度 2000年度 2001年度 2002年度 2003年度 2004年度 2005年度 円借款 1,012.81 709.04 743.14 793.30 793.30 820.00 908.20 無償資金協力 46.41 80.67 83.65 52.37 56.50 49.14 44.65 技術協力 60.74 74.32 79.09 67.08 55.77 57.11 56.51
2.DAC内主要援助国(2004年) (1)日 (2)仏 (3)独 (4)デンマーク
二国間関係 1.政治関係 1978年末の越軍カンボジア侵攻に伴い、1979年度以降の対越経済協力の実施を見合せてきたが、1991年10月のカンボジア和平合意を受け、1992年11月に455億円を限度とする円借款を供与。
右を契機に、日越関係は将来を見据えた新たな発展段階に入り、日本側からはベトナムの進めている開放化政策に支持・支援を表明。近年の首脳の相互訪問等を経て、両国関係は経済面のみならず政治、文化に亘る幅広い分野での交流が進んでいる。
2006年10月のズン首相訪日の際には首脳間で初の共同声明を発表し、両国関係をアジアの平和と繁栄のための戦略的パートナーシップに向け更に強化することで合意した。
2.経済関係 (1)対日貿易(2006年)
(イ)貿易額 輸出 6,151億円(対前年比+22.6%) 輸入 4,816億円(対前年比+21.5%) (ロ)品目 輸出 水産物、縫製品、原油 輸入 機械類、電気機器、鉄鋼 (2)日本からの直接投資(1988年から2006年末までの累計投資額)
591件、総額62.2億ドル(認可額)
(3)JETRO事務所開設(1993年9月)、OECF(現JBIC)事務所開設(1995年1月)、JICA事務所開設(1995年5月)、経団連代表団訪越(1993年2月/1994年4月/1995年2月/1996年9月/2000年10月/2002年4月/2006年2月/2006年11月)
3.文化・学術関係 (1)文化無償協力 2006年までに、文化遺産保存環境整備、日本語学習機材、日本武道関連器材、番組ソフト、撮影機材等の購入のための資金供与等33件の文化無償協力を実施。
(2)主要文化事業 「ベトナム日本祭」(1993年10月)「ハロー!!ベトナム」(1995年10月)「ベトナム日本文化フェスティバル」(1998年)「Japan Festival 2006 in Vietnam」(2006年8月)
(3)日越科学技術協定(2006年8月)
4.在留届提出邦人数 4,754人(2006年10月1日現在)
5.在日ベトナム人数 28,932人(2005年末現在)
6.要人往来 (1)往(1993年以降) 年月 要人名 1994年8月 村山総理大臣 1997年1月 橋本総理大臣 1998年12月 小渕総理大臣 1999年6月 秋篠宮同妃両殿下 2000年7月 田中外務大臣 2002年1月 綿貫衆議院議長 2002年4月 小泉総理大臣 2004年7月 川口外務大臣 2004年10月 小泉総理大臣、町村外務大臣 2005年6月 町村外務大臣 2006年11月 安倍総理大臣、麻生外務大臣 (2)来(1993年以降) 年月 要人名 1993年3月 キエット首相(公実賓) 1993年5月 カイ副首相 1995年4月 ムオイ党書記長(公賓) 1995年12月 マイン国会議長 1996年3月 ルオン副首相 1996年9月 ビン国家副主席 1997年5月 カム外相 1997年12月 カム副首相兼外相 1998年6月 タン副首相 1999年3月 カイ首相(公実賓) 1999年6月 ズン・副首相 2000年3月 ニエン外相 2000年6月 カム副首相 2000年9月 ニエン外相 2001年6月 カイ首相 2002年5月 キエム副首相、アン国会議長 2002年8月 ニエン外相 2002年10月 マイン党書記長(公賓) 2003年4月 カイ首相 2003年6月 ホア国家副主席 2003年6月 ニエン外相 2003年9月 キエム副首相 2003年12月 カイ首相、ニエン外相 2004年4月 キエム副首相 2004年6月 カイ首相 2005年3月 ニエン外相 2005年5月 ニエン外相 2005年7月 カイ首相 2006年10月 ズン首相(公実賓)
7.二国間条約・取極 航空協定(1994年) 青年海外協力隊派遣取極(1994年) 租税協定(1995年) 技術協力協定(1998年) 投資協定(2004年) 科学技術協力協定(2006年)
ヴェトナムって社会主義共和国なのか。そんなことも調べてみないと知らない。でも基本的に全方位外交。戦争は嫌ですよね。
ああ、学食のハヤシライス美味しかったな。
しかし、拉致問題のことについて真顔で語っていた安倍さんは危うさを感じさせたが(自分もアブナイおばちゃんのくせしてすまんの)、でも割合 真っ直ぐに頑張ったと思うの。でも北朝鮮にいくこともなかったし同じことばの繰り返しで、金正日氏を日本に呼べたらたいしたものだったに。
安倍さんが悪いわけではないと思う。誰がやっても難しいだろうけど。疲れたのかな?
柔道の山下さんって好きなんだけどなあ。まあ柔道も相撲も、国際的なスポーツになってきたということか。
私は子供の頃から姪や甥がいて既におばさんだったし、年配のおばさんたちも嫌いじゃないので、自分がおばさんなのも構わないけど、 しかし、やっぱり体力が落ちてくるのはしんどいな。やっぱり年取るほどに自分を鍛えなくちゃいけないのかもしれないな。といって悪あがきも見苦しいかも知れない、といっても、事情もあるのだから、できるだけ努力するとしか言えないわ。
ところで今日はお天気だ。
In Greek mythology, Hectōr (Ἔκτωρ, "holding fast"[1]), or Hektōr, is a Trojan prince and one of the greatest fighters in the Trojan War. He is the son of Priam and Hecuba, descendant of Dardanus, ancient king of the Dardanians, who lived under Mount Ida, and of Tros, the founder of Troy.[2] He acts as leader of the Trojans and their allies in the defense of Troy. He was known not only for his courage but also for his noble nature.
金曜日
台風か
晴耕雨読。でももう午後3時。お昼は納豆ご飯。キムチじゃなくて、大根はなんだったかしら?かくてき?入れて。
カクテキ 0
〔朝鮮語〕大根のキムチ漬け。カクトゥギ。
だよね。ナムルってなんだろ。キュウリのはなにかな〜。
ナムル 1
〔朝鮮語〕朝鮮料理の一。大豆もやし・ゼンマイ・ホウレンソウなどのあえもの。 あれか。あ、これに焼肉も入れて混ぜて食べたりする。大好き。
今朝はうちのあたりは燃えるごみの収集日でした。
明日は金曜日。あさって土曜日。
うーむ。弁当のおかず。
明日あさっては雨?
ルチアーノパヴァロッティって世界的に有名なテノール歌手なんですね。私は本当に世間知らずだ。それにしても、早いな。
お天気だ。
7時50分前に出られるように。やっと息子が前日に次の日の用意をした。
のはいいが、私は午前3時にどうしてクラリネットのジャズを聴いている?
せっかくめがね作ったのに、どうも息子は、目つきの悪いまま裸眼で学校に通っている。
亡くなった父や私の近眼の遺伝子が、息子に出てしまった。娘は目はいいらしいが、それも不憫だ。私の子供のお父さんたちはどちらも近眼ではなく目も耳も悪くない。それは素晴らしいことだ。天然で、絵葉書のような美しい風景がそのまま見えるのだ。目や耳は財産だ。眼鏡やコンタクトをすると、近眼のものは、何と絵葉書のように美しい世界だったことか!と感激する時がないですか?
もしかすると、息子には、色弱の遺伝子もあるのではないかと思うが、それだけで人生の価値が決まるわけではない。おじさんたちも越えてきたものだ。立派なおじさんたちだものね。
にしても、とうとう私もジャズを聴いたりするようになったのかな。ベートーベンの運命よりも、今は肌に合うなあ。息子は尊敬する人にベートーベンを出したことがあるが、私は、内心、バッハ、と思いますです。しかしバッハは怖いパパだったかしら?
ああ、それにしても、昨日は担任の先生からお電話がかかってきてしまった。相当問題児だ。担任の先生の専門の教科が一番ひどいし。宿題提出なかなかしないし。でも、今年の担任の先生もとてもいい先生だ。うちの子は保育園の頃から、あ、生まれた時から、ずっといい先生に恵まれてる。娘もそうだ。
今日は大安。今日から遅刻はきっとしない。今日はきっといい日だ。
ホイットニーヒューストンが流れている。
3soudaあれを確認するかな。
国名:パキスタン・イスラム共和国 (Islamic Republic of Pakistan)
2006年9月現在
一般事情 1.面積 79.6万平方キロメートル(日本の約2倍)
2.人口 1億5,540万人(2005年)(年人口増加率1.9%)
3.首都 イスラマバード
4.民族 パンジャブ人、シンド人、パターン人、バローチ人
5.言語 ウルドゥー語(国語)
6.識字率 53.0%(2005年)
7.宗教 イスラム教(国教)
8.略史 年月 略史 1947年 英領インドより独立 1948年 第1次印パ戦争 1952年 日パ国交樹立 1965年 第2次印パ戦争 1971年 第3次印パ戦争 1999年 無血クーデター(ムシャラフ陸軍参謀総長) 2002年10月 総選挙実施 2002年11月 ジャマリ内閣発足 2004年6月 フセイン内閣発足 2004年9月 アジーズ内閣発足
政治体制・内政 1.政体 連邦共和制
2.元首 パルヴェーズ・ムシャラフ大統領
3.議会 2院制
4.政府 (1)首相 ショーカット・アジーズ
(2)外相 ミアン・クルシード・カスーリ
5.内政 (1)2002年10月、1999年のクーデター以来初めて総選挙が実施され、議会が復活し、ジャマリ内閣が発足し、ムシャラフ大統領は行政権をジャマリ内閣に移譲。
(2)2004年6月、ジャマリ首相の辞任を受け、フセイン首相が就任し、次期首相にアジーズ蔵相を指名。
(3)2004年8月、アジーズ首相就任。9月2日、新内閣が発足。
(4)2007年、下院選挙、大統領選挙予定。
外交・国防 1.外交基本方針 (1)イスラム諸国との連帯を重視しつつ、インドへの対抗上、中国との緊密な関係を構築してきている。また、西欧諸国とも友好関係を構築してきている。
(2)2001年9月の米国同時多発テロ事件以降は、テロとの闘いにおいて、米国を始め国際社会と協力して取り組んでいる。
(3)2004年1月の印との首脳会談で対話プロセスの開始につき合意し、関係改善が図られている。
2.軍事力 (1)予算 2,502億ルピー(2005/2006年度予算案、経常予算の19%)
(2)兵役 志願制
(3)兵力 陸軍55万人、海軍2.2万人、空軍4.5万人
パキスタンは、インドが1998年5月中旬に2度にわたり地下核実験を実施したことへの対抗措置であるとして、同月下旬2度の地下核実験を行った。
経済(単位 米ドル)(パキスタン経済白書2005/2006年) 1.主要産業 農業、綿工業
2.GNP(実質) 1,125億ドル
3.一人当たりGNP 847ドル(2005/2006パ経済白書)
4.実質経済成長率(GNP) 6.6%
5.物価上昇率 8.0%
6.失業率 6.5%
7.外貨準備高 112.27億ドル
8.総貿易額(2004/2005) (1)輸出 144.0億(ドル)
(2)輸入 187.5億(ドル)
9.主要貿易品目(2004/2005) (1)輸出 綿花関連製品、皮革製品、合成繊維衣料品、米
(2)輸入 原油、石油製品、機械類、化学品、鉄鋼、食用油
10.主要貿易相手国(2004/2005) (1)輸出 米国、英、UAE、独、香港
(2)輸入 サウジ、クウェート、米、日本、独
11.通貨 パキスタン・ルピー
12.公定為替レート 1米ドル=59.81ルピー(2005/2006)
13.経済概況 (1)パキスタン政府による経済・財政改革及び国際社会による支援等が功を奏し、昨年度は経済成長率8.4%を達成するなど、パキスタン経済は大幅に改善している。
(2)一方、高いインフレ率や貧困率等が課題。
14.債務残高 対外累積債務残高340.37億ドル(2004/2005)
15.会計年度 7月1日〜6月30日
経済協力(単位 億円) 1.我が国の援助実績累計(単位:億円) (1)有償資金協力(2005年度まで、ENベース) 8,569.00
(2)無償資金協力(2005年度まで、ENベース) 2,023.06
(3)技術協力実績(2005年度まで、JICAベース) 345.52
(ENベース) (億円) 有償 無償 技協 2004 実績 275.82 100.13 21.40
2.主要援助国(2004年支出純額ベース) (1)日本 (2)英国 (3)米国
日パキスタン二国間関係 1.政治関係 経済協力関係を軸として伝統的友好関係を維持。
2.経済関係 (1)対日貿易(我が国財務省貿易統計)(単位 億円)
(イ)貿易額 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 対日輸出 270.6 268.3 189.7 155.9 184.3 157.0 対日輸入 652.3 608.6 896.0 1,043.9 1,340.0 1,668.8
(ロ)主要品目(2005年:数値は上位20品目中の関連品目が対日貿易全体に占める割合) 対日輸出 綿糸他繊維製品(59%)、その他の原料品(8%)、革製品(8%)、魚介類(6%) 対日輸入 一般機械(31%)、自動車及び同部品(40%)、電気機械(11%)、化学品(5%) (2)我が国からの直接投資 (2003/2004経済白書)(単位 万ドル)
5,740(1998年度)、1,770(1999年度)、910(2000年度)、650(2001年度)、1,410(2002年度)、1,510(2003年度)、4,520(2004年度) (1994年度から2003年度(2004年3月まで)の10年間の累積額:3億1,790万ドル)
3.文化関係 文化無償協力、モヘンジョダロ遺跡修復事業協力、南西アジア青年招聘、講演、展示等を実施。日本において1984年ガンダーラ美術展、1986年インダス文明展、1998年ブッダ展、2000年インダス文明展。
4.在留邦人数 850人(2005年10月現在)
5.在日当該国人数 8,610人(2005年在留外国人統計)
6.日系企業数 約30社
7.要人往来 (1)往(1990年以降) 年月 要人名 1990年 海部総理大臣 1992年 秋篠宮同妃両殿下 1995年 橋本通産相 1997年 池田外相 2000年 森総理大臣 2001年 田中外相 2002年 緒方総理特別代表 堀内総理特使 2004年 川口外相 2005年 中川経産大臣 町村外相 小泉総理大臣 2006年 麻生外務大臣 (2)来(1990年以降) 年月 要人名 1990年 カーン大統領(即位の礼) 1992年 シャリフ首相(公式実務訪問) 1993年 バーバル・アリ蔵相 1996年 ブットー首相(公賓) 1997年 アビダ・フセイン人口福祉・科学技術相 ゴース・アリ・シャー教育相 1998年 シェイク・ラシード・アフマド文化・労働(等)相 ゴーハル・アユーブ・カーン外相 サルタージ・アジズ外相 2001年外賓 サッタール外相 ショーカット・アジズ蔵相(大統領特使) 2002年 ショーカット・アジズ蔵相 ムシャラフ大統領 ハイダル内相 2003年 カーン商務相 シェルパオ水利電力相 2005年 カスーリ外相 アジーズ首相
8.両陛下・皇族の御訪問等 天皇皇后両陛下が皇太子同妃両殿下として御訪問(1962年1月) 三笠宮殿下が御訪問(1973年2月) 秋篠宮同妃両殿下が御訪問(1992年11月)
9.二国間条約・取極 文化協定(1958年)、租税条約(1959年)、友好通商条約(1961年)、航空協定(1962年)、投資保護協定(2001年)
10.二国間政治宣言 日パキスタン共同宣言(2005年、小泉総理パキスタン訪問の際)
パキスタンってウルドゥー語なんですね。知らなかったごめんなさい。ってウルドゥー語って聞いたことはあったんですよね。ベンガル地方の、コルコタのあたりはインドでベンガル語でしょう。で、パキスタンにも、ベンガル人がいなかっただろうか。あ、あれは、バングラデシュ。ベンガル人の土地だから、バングラデシュでしょ。しかしイスラムのパキスタンはウルドゥー語のような。
で、パキスタン出身の方がご近所におられるけれど、ほとんど面識はないけれど、それにしても、パキスタンもアラビア語かな、みたいな意識も私にはあったような。でもその方の奥様が話しかけてらしたのは、日本語だった。 イエメンの青年も日本語きっとわかるんだわ。NHKに出てきたイスラム教徒の人たちは、みんな日本語上手だったもの。 イタリア風ファミレスで、お天気のいい日に、サングラス姿がイタリアのマフィアみたいだって評したら、大笑いしていた。そして、いつも最後に欠伸が出るので、疲れさせちゃったかな?と言うと、いやいや、と言葉を捜して、ヨロコンダ、という日本語を使った。やっぱり英語的な思考が介在しているが、紳士的な青年だ。 うちの旦那さんも堅気だけど、運転中日光から目を保護するのにサングラスをかけることがある。だけど私は、映画のゴッドファーザーなどのイメージから、何となくエキゾチックな面立ちの人がサングラスをしていると、マフィアみたいだよ、と思うのだ。
朝青龍、そっとして休ませてあげたいので、タイトルはつけないけど、でも、やっぱりあれだけの体格だと、いくら乗馬はいいと言われても、難しいのかしら?でも、彼だって馬ほどの体重はないと思うけどなあ。 でもやはりお馬さんは細い細いあんよだものね。足を折らないように、ジョッキーは体重を軽く保つのか。
「枯葉」(かれは フランス語原題 Les Feuilles mortes )は、1945年にジョゼフ・コズマ(Joseph Kosma)が作曲し、後にジャック・プレヴェール(Jacques Prévert)が作詞したフランスの歌曲(シャンソン)である。
ミディアム・スローテンポの短調で歌われるバラードで、6/8拍子の長いヴァースと、4拍子のコーラス部分から成り、その歌詞は遠く過ぎ去って還ることのない恋愛への追想を、季節を背景とした比喩を多用して語るものである。第二次世界大戦後のシャンソンの中でももっとも有名な曲の一つであるだけでなく、世界的にも20世紀を代表するポピュラー音楽の名歌に数えられる。フランス語の原詞のほかにも、各国語の歌詞を与えられて広く歌われ、また演奏されている。
[編集] オリジナル「Les Feuilles mortes」 1945年、ローラン・プティ・バレエ団のステージ「Rendez-vous」の伴奏音楽の一つとしてコズマが作曲したメロディーが原型である。このステージからモチーフを得て翌1946年に製作されたマルセル・カルネ監督の映画「夜の門」" Les Portes de la Nuit"で挿入歌として用いられることになり、映画の脚本にも携わったプレヴェールが新たに詞を付けた。なお、プレヴェールとコズマは、戦時中に製作されたカルネ監督の名作映画「天井桟敷の人々」にもそれぞれ脚本と音楽で携わっていた。歌自体は1947年に出版登録されている。
映画「夜の門」は戦後の世相を背景とした群像劇で、映画に出演した新人歌手イヴ・モンタンによって劇中で歌われたのが歌曲としての「枯葉」のオリジナルとなったが、このバージョンは映画共々ヒットしなかった。しかし、これに続いて当時人気があった知性派の女性シャンソン歌手ジュリエット・グレコが歌ったことで「枯葉」は世に認知されるようになり、1940年代末から1950年代にかけ広まって、シャンソン界のスタンダード曲となった。
女性歌手コラ・ヴォーケールは1948年にこの曲を取り上げて歌うようになり、何度か録音も行っている。彼女の抑制された端整な歌唱によるヴァージョンはこの曲のもっとも優れた解釈の一つであり、アメリカの大学においてフランス語の授業に「フランス語の美しい発音のサンプル」として使われたというエピソードもある。他にも戦後に活躍した多くのフランス人歌手たちによって歌われており、反骨のアーティストであるセルジュ・ゲンスブールもこの歌を歌っている。
[編集] 英語版「Autumn leaves」 フランス語歌曲の「枯葉」が、ポピュラー音楽大国のアメリカ合衆国に持ちこまれたのは1949年である。しかし、フランス語の歌詞ではアメリカの一般大衆相手に売れるはずもなく、アメリカでこの曲を売り出そうとしたキャピトル・レコードの方針で、英語歌詞が付けられ、"Autumn leaves"という英語題で発表された。
英語詞を作詞したのはキャピトル・レコードの創立者でもあったジョニー・マーサーである。彼はそれ以前から「P・S・アイ・ラブ・ユー」「ワン・フォー・マイ・ベイビー」「ザッツ・オールド・ブラック・マジック」など数々のヒット曲を作詞し、後にはヘンリー・マンシーニとのコンビで「ムーン・リバー」「酒とバラの日々」の作詞も手がけた大作詞家であるが、「枯葉」についてはプレヴェールの原詞に比してかなり感傷過多な内容の歌詞を書いている。
この際、マーサーはなぜか、歌の前説となるヴァースの部分に歌詞を付けず、後半のコーラス部分のみを作詞した(「枯葉」のヴァース部分は、ポピュラー音楽としては地味で長いのは確かである)。その結果、アメリカではこの曲のヴァースの部分が(たとえインストゥルメンタルであっても)省略され、なおかつ若干引き延ばされた形で流布してしまい、誰もヴァースを知らないという状況になってしまった。
最初にこの英語詞を歌ったのは、1950年のビング・クロスビーであった。以後、1952年のナット・キング・コールのバージョンなどボーカルを中心に何種かのバージョンが送り出されたが決定打にはならず、本格的に広まったのはインストゥルメンタル版でポピュラー・ピアニストのロジャー・ウィリアムズがヒットを飛ばしてからであった。ウィリアムスのバージョンは、枯葉の舞い散る様をピアノで模したきらびやかなアレンジが大衆に大受けして1955年に全米ヒットチャートで4週連続第一位を達成している。
以後、アメリカのポピュラー音楽界におけるスタンダードナンバーとして広く歌われるようになり、フランク・シナトラをはじめとする多くの有名歌手のレパートリーとなった。外国から移入された曲でアメリカのスタンダードナンバーとなった曲では、おそらく「ベサメ・ムーチョ」「イパネマの娘」「イエスタデイ」等と並んでもっとも人気を博した曲の一つであろう。
ウィリアムズの影響で、この曲は以後もムード音楽分野では、ストリングスやピアノを用いて無闇に甘ったるく切々と演奏されるのが定番のスタイルとなった。有名無名を問わず無数のオーケストラやピアニストに演奏されるこの種の俗流「枯葉」は、エレベーターミュージックの大スタンダードナンバーとなり、現在でも全世界のデパート、スーパーマーケットやコーヒーショップのBGMとして頻繁に流されている。その結果善し悪しは別として日夜新たな聴き手を開拓し、「誰でも聴いたことのある曲」として「枯葉」の知名度を高めている。
ジャズの分野では1952年にスタン・ゲッツが録音したのが先駆だったが、ポピュラー界でスタンダードとなったことと、コーラス部分の独特のコード進行がアドリブの素材として好まれたことから、1950年代後半以降、多くの有名なジャズメンによって取り上げられた。ミディアム・テンポで演奏されるキャノンボール・アダレイのブルーノート盤『サムシン・エルス』(1958年録音、実質的にはマイルス・デイヴィスのリーダーアルバム)、急速調のピアノで多彩なアドリブを展開するビル・エヴァンスのリバーサイド盤『ポートレイト・イン・ジャズ』(1959年録音)は名演として殊に有名である。またサラ・ヴォーンのパブロ盤(1982年録音)は原曲の姿をまったく留めないまでの縦横無尽な超高速スキャットで歌われ、その過激さから激しい賛否両論を呼んだ。
なお、マーサーに作詞されなかったヴァースの部分の英語詞を、はるか後年に(ジャズ評論家・翻訳者でもある)大橋巨泉が作詞しているが、当然ながら世界でも巨泉以外の誰にも歌われていない(唯一の音源は、巨泉自身が実の娘であるジャズ歌手・大橋美加と共演したバージョンであるが、巨泉のソロ歌唱によるヴァースについては論評困難である)。
[編集] 日本語版「枯葉」 フランス好きの西洋趣味な人々が戦前から少なくなかった日本では、戦後間もない頃からシャンソンブームが起きていたこともあり、「枯葉」も早くから聴かれていた。だが多くの日本人はフランス語を理解しないため、やはり日本語詞が書かれることになった。
「枯葉」の日本語詞はシャンソン作詞家・歌手の手になるいくつかのバリエーションがあるが、もっともよく知られているのは他にも多くのシャンソンの日本語詞を書いた岩谷時子の詞である。ヴァースは省略されず、原曲に忠実に、全曲の歌詞を与えられている。この時代の洋楽に後付けされた多くの日本語詞の例に漏れず表現や言い回しが生硬でもあり(ヴァースからコーラスへのブリッジ部はその最たるものである)、感傷過多さは否めなかったが、越路吹雪や石井好子など日本人シャンソン歌手に好んで歌われ、昭和30年代の日本の大衆に広く親しまれた。現在でも初老以上の人々にはよく知られる「懐メロ」となっている。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%AF%E8%91%89_%28%E6%AD%8C%E6%9B%B2%29" より作成
なるほど。それで実家の父は枯葉のレコードをよく聴いていたのだな。スロバキアの人にも夜枯れ葉を聞かせていたような気がする。それとも新世界からだった???いや。違う。憂愁が感じられる欧州歌だったもの。
私は四角い部屋を丸く掃くタイプということだったが、今日は四角い部屋を四角く掃いてみたくなった。
ところで夕飯は何にしよう。
今日は防災の日だったか。そういえば、9月1日ってそうでしたね。
国名:キリバス共和国 (Republic of Kiribati)
2007年2月現在
一般事情 1.面積 730平方キロメートル(対馬とほぼ同じ。世銀)
2.人口 92,428人(2005年、政府人口調査)
3.首都 タラワ(4.6万人)
4.民族 ミクロネシア系(98%)の他、若干のポリネシア系及び欧州人が居住。
5.言語 キリバス語及び英語が公用語
6.宗教 ローマ・カトリックとプロテスタントが主な宗派
7.略史 年月 略史 1606年 スペイン人キロス、ブタリタリ島(ギルバート諸島)を発見 1892年 英国、ギルバート諸島、次いでエリス諸島を保護領と宣言 1916年 英国、ギルバート、エリス諸島を併合、植民地とする 1939年 英及び米国、カントン島及びエンダベリ島(フェニックス諸島)を共同統治 1941年 日本軍、バナバ、タラワ、マキンを占領 1979年7月12日 独立
政治体制・内政 1.政体 共和制
2.元首 アノテ・トン大統領(Anote Tong)
3.議会 一院制、42議席(内2名は司法長官及びランビ島評議会代表者)、任期4年
4.政府 (1)首相 なし
(2)外相 アノテ・トン(大統領職と兼任、2003年8月就任)
5.内政 独立以来大統領を務めてきたタバイの任期終了により、1990年7月にテアンナキが大統領に就任。1994年の総選挙で与党が大敗し、テブロロ・シトが大統領に選出され、1998年11月の大統領選挙で再選された。2002年11月に実施された総選挙では与党が苦戦し、続く2003年2月の大統領選挙ではシト大統領がかろうじて三選を果たしたものの、3月に不信任案が可決され辞任、議会は解散した。2003年5月の議会選挙に続き、7月に行われた大統領選においてアノテ・トンが選出された。同年11月、トン政権は台湾と外交関係を樹立し、これが一時的に政治問題となったものの、現在では安定政権となっている。漁業とコプラ生産を主とした経済開発を基本とした、経済自立の達成が最大の課題。
外交・国防 1.外交基本方針 豪、NZを含む太平洋諸国との友好関係維持・強化、経済自立達成、財政収入確保のため多様な国際関係を模索(1985年、ソ連と漁業協定締結、1986年失効)。トン大統領は2003年11月、台湾と外交関係を樹立、これに対抗し中国はキリバスと断交した。
2.軍事力 軍隊はない
経済 1.主要産業 漁業、コプラの生産
2.GNI 137.4百万米ドル(2005年、世銀)
3.一人当たりGNI 1,390米ドル(2005年、世銀)
4.経済成長率 1.8%(2004年、世銀)
5.物価上昇率 -1.9%(2004年、ADB)
6.総貿易額 (2002年、ADB)
(1)輸出 6.32百万豪ドル
(2)輸入 91.59百万豪ドル
7.貿易品目 (1)輸出 コプラ、観賞用魚、海草
(2)輸入 食品、輸送機器・機械、工業製品
8.貿易相手国(2003年) (1)輸出 日本、韓国、豪州
(2)輸入 豪州、フィジー、ニュージーランド
10.通貨 豪州ドル
11.為替レート 1豪ドル=94.43円(2007年2月)
12.経済概況 1979年に燐鉱石が枯渇して以来、漁業開発の促進等により新しい経済構造を模索中。LDC(後発開発途上国)。
経済協力 1.我が国の援助実績 2005年度 2005年度までの累計 (1)有償資金協力 なし なし (2)無償資金協力 6.39億円 150.82億円 (3)技術協力 0.29億円 (JICA実績のみ) 35.86億円
2.主要援助国 (百万米ドル、2004年DACベース) (1)豪(5.4)、(2)NZ(2.1)、(3)米国(1.3)、(4)日本(1.2)
二国間関係 1.政治関係 (1)1979年7月12日のキリバス独立式典に大野明衆議院議員を派遣。同日国家承認。
(2)1982年11月、バイテケ初代駐日大使(移動大使)が我が国に信任状を捧呈。
(3)1983年4月、在京キリバス名誉総領事館開設。
2.経済関係 (1)対日貿易(2005年、財務省通関統計)
(イ)貿易額 輸出 125万米ドル 輸入 1,014万米ドル (ロ)主要品目(%) 輸出 魚介類(まぐろ、かつお) 輸入 機械類、自動車 (2)我が国からの直接投資 1件 35千円(1993年度)
(3)政府間漁業協定(1978年発効)
3.在留邦人数 25名(2006年9月現在)
4.在日キリバス人数 6名(2005年10月現在)(「出入国管理統計年報」法務省)
6.要人往来 (1)往 (1979年以降) 年月 要人名 1979年 大野明衆議院議員(独立式典特派大使) 2000年 浅野勝人外務政務次官(PIF域外国対話) (2)来 (1979年以降) 年月 要人名 1979年、1985年、1988年 タバイ大統領 1981年 テイワキ天然資源大臣 1982年、1985年 キラタ天然資源大臣 1985年 アロバティ貿易・産業・労働大臣 1987年 タオマティ天然資源開発大臣 1988年 アタイア保健・家族計画大臣 1989年 テアンナキ副大統領(大喪の礼) 1990年 ボカイ人事院総裁(花博賓客) 1990年 タバイ大統領(即位の礼) 1997年 シト大統領(日・SPF首脳会議) 1998年 シインガ蔵相(ADB・CG会合) 2000年 シト大統領(第2回太平洋・島サミット) 2001年 シト大統領(外務省賓客) 2003年3月 タオム労働・エネルギー大臣(水フォーラム) 2003年5月 オタン国政評議会議長(第3回太平洋・島サミット) 2004年8月 ナカラ漁業・海洋資源開発大臣(鈴木元総理葬儀) 2004年8月 同上(日・キリバス漁業協議) 2005年8月 テーベ通信・運輸・観光開発大臣(博覧会賓客) 2006年5月 トン大統領(第4回太平洋・島サミット) 2007年2月 トン大統領(実務訪問賓客)
6.二国間条約・取極 日・ギルバート諸島漁業協定(1978年)、青年海外協力隊派遣取極め(2007年)
7.外交使節 (1)駐キリバス日本国大使 滑川雅士駐フィジー大使が兼任。
(2)日本へのキリバス臨時代理大使 エリオット・アリ(キリバス外務次官、本国常駐)
【タラワ(キリバス)=仲川高志】地球温暖化に伴う海面上昇により、国土が水没の危機にひんしている太平洋の島国キリバスのアノテ・トン大統領(55)は本紙と会見し、「我が国は早晩、海に沈むだろう」と明言。
国家水没を前提とした上で、国民の脱出を職業訓練などの形で側面支援するよう、日本など先進各国に要請した。
首都タラワの大統領官邸で、30日、インタビューに応じたトン大統領は、キリバスの水没は不可避との見方を強調、「小さな我が国には海面上昇を防ぐ手だてなどなく、どうしようもない」と述べた。国際社会の取り組みについても、「温暖化は進んでおり、国際社会が(2013年以降のポスト京都議定書の枠組みなどで)今後、どんな決定をしても、もはや手遅れだ」と明確に悲観論を展開した。
小泉左京さんも日本沈没を著したが、早晩とはいつ頃の頃だろう?ノストラダムスの大予言とか終末気分が強くなった発言とは違うのだろうか。
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