徒然なる日々

2005年01月18日(火) 『憧』

もう今日は幸せでした。

なんてったって憧れの人に会えたんですから。

高校時代から一番会ってみたかった人。

YUKIさんです。

HANAKOって雑誌の撮影でアシストをしたんだけどさ〜。

もうずっと震えてました。

だって憧れの人が目の前にいるんですもん。

んで親父が撮影したんでサインとか頼んでくれたんですが、

今サインは書いてないらしくって断られてしまいました。

んでも替わりに新曲のサンプルを頂きました。

JOYってCDです。

すげ〜いい曲です。

その後、マギー真司の撮影もあっていろいろ手品とか見せてもらいました。

今日はホント充実した一日でした。



2005年01月17日(月) 『余』

余談ですが、昨日の告別式が終わった後、原宿にアイスホッケーを見に行ってきた。

久しぶりにリンク独特の空気に触れて少し気持ちが軽くなった。

そして、ゲームとゲームの間に食べ物を買いに物販へ行った。

すると見た顔が、、、


「あれ?太陽族の花男君じゃね?」


何でこんなとこにいるんだ?

ちょっと変なことがあったんで余談として書きました。



2005年01月16日(日) 『別』

告別式の日です。

9時頃式場入り。

式場に着くと叔父さんは叔母さんの棺の前にずっと座っていた。


式が始まった。

今日も写真を撮る。

叔母さんの親族の方は泣きつかれたのか、ただ呆然と棺を見ていた。


最後のお別れの時。

みんなで棺に花を添える。

みんな泣き崩れていた。

私もファインダーを覗きながら少し泣いた。

最期に叔父さんが叔母さんに別れのキスをした。

私はシャッターをきった。


出棺し火葬場へ向かう。

叔母さんのお母さんは自分の足では歩けない程混乱してしまっていた。

母が肩を貸し、ようやく歩けた。

火葬場はさすがに生々しいからと写真は撮らなかった。


火葬が終わるまで控え室に戻る。

皆もようやく少し落ち着いたようだった。


火葬が終わり、骨壺に骨を納める。

癌で冒されていた部分の骨が黒く変色していた。

私と弟でその骨を納めた。


式場に戻り、初七日が始まった。

お坊さんがいろいろ話してくれた。


「人は死後、どこへ行くのか。それは生まれる前と同じ世界です。

 倫代さん(叔母さん)は今は少し休憩をして、また生まれてくるのです。

 人によっては80歳でこの世を卒業する人もいれば、7歳で卒業の人もいる。

 倫代さんは45歳という若さで卒業しましたが、とても太く生きられました。

 今は火葬ですが、それ以前は土葬でした。

 膝を曲げて頭を下げて埋葬してました。

 これにも意味があります。

 この形は赤ちゃんが生まれてくる格好と同じなのです。

 つまり生を終え、母なる地球に帰り、また生まれてくるという意味なのです。

 線香というものがあります。

 これは供養するためのものですが、線香にも意味があります。

 線香とは、故人へ想いを届けるものなのです。

 線香を焚き、故人へ想いを心の中で抱きます。

 すると線香の煙が昇っていき、故人へ届くのです。

 たとえ、仏壇が無くてもいいのでたまに線香を焚き故人を想ってください。

 供養をする一番の方法は忘れないことなのです。」



式が全て終了し、昼食をとり、告別式は終了した。

私はこの2日間のこと、そして叔母さんのことを絶対忘れない。

そして私はこんな写真は2度と撮りたくないと想った。






2005年01月15日(土) 『母』

これから書く事は本来、この様な場で書くことではないことかもしれません。

ですが、今回あえて書きます。

それは、忘れないためです。

この2日間のこと、叔母さんのことを忘れない為です。

なので、完全に自分だけの為に書きます。

暗い気になりたくない方は見ないで下さい。


















今日は私の叔母のお通夜に行ってきました。

私の母の義妹にあたる方で、叔父と叔母は仕事の関係でオレゴンに住んでいました。

昨年末、叔母が乳がんでもう永くないことを母から聞きました。

母はその後祖母と一緒にオレゴンに叔父たちの手伝いに向かいました。

叔母は治療しても無駄な状況まできていて、年末から退院して自宅に帰ってきていたそうです。

そして、年を越してすぐ、1月3日に叔母は亡くなりました。享年45歳。

後で聞いた話ですが、その日は叔母の誕生日だったそうです。

また、もう10年以上前の話ですが、私の従兄弟の亡くなったのも日本時間に置き換えると同じ1月3日でした。

何か不思議な繋がりがあるのかと、式後母たちと話しました。


お通夜、告別式は五反田にある桐ヶ谷斎場で行われました。

午後4時式場入り。

すぐに叔母さんの顔を見にいきました。

死後2週間経ってエンバーミングを施された叔母さんの顔は遺影とは違う顔になっていました。

母の話だと髪も全て抜けてしまっていたので鬘を被せたのだという。


今回私は、喪主である叔父さんに頼まれて式の記録写真を撮る事になっていた。

正直撮りたくなかった。


式が始まる前に控え室に続々と親族の方々が見えた。

母の妹夫婦も見えた。

私にとっては叔母さん夫婦にあたる。

母は3人兄妹の長女にあたる。

叔母さんは式場に入るなり母や叔父さんと抱き合い泣き出した。

そこで私は今まで見た事のない母をみた。

必死で涙を堪えて叔母さんを励ます母の姿だ。


式が始まった。

僕は最初の合掌だけすますと、写真を撮り始めた。

それは想像以上に辛かった。

身内の式ということが一番辛かった。

感情がどうしても入ってしまい、ファインダー越しに見える身内の方々の泣いている姿が今でも頭から離れない。

シャッターを押す手もずっと震えていた。


式の中盤にお焼香をあげた。

私の願いはただひとつだった。

「安らかに眠ってください。」

ただそれだけだった。

今まで癌や抗がん剤でたくさん苦しんで来た叔母さんには、今は苦しみのない世界でゆっくり休んでもらいたいと切に願う。


式が終わりホテルに着くと、父、母、私、弟2人で少し話した。

叔父さんのこと。叔母さんのこと。


自分の部屋に帰っても、すぐに起きてしまいその後ずっと眠れなかった。


明日はとうとうお別れだ。






2005年01月04日(火) 『変』

髪型変えました。

パーマをかけました。


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