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1975年08月31日(日) a

最終更新日: 2001.10.01  HOME

http://members.ozemail.com.au/~skyaxe/mindcontrol1.htm

6.Mind Control in Mahikari 
  真光におけるマインドコントロール
    
    by D.S.


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(ホームページ作者から)
今回、Mahikari Exposedサイトの比較的新しい記事である、「Mind Control in Mahikari 真光におけるマインドコントロール」の日本語訳を付け加えました。この記事の作者は女性のようです。まだ未完成な部分もありますが、スティーブンハッサン氏によるマインドコントロールの分析を真光に当てはめ,真光のどの部分がどのようなマインドコントロールをしているのかを、詳細な具体例をあげつつ説き明かしています。かつて私もマインドコントロールされていましたので、翻訳している最中に、この方の苦しみが伝わってくるような感覚を覚えました。しかしながら、作者の方はこの記事を書くことによって、ご自身がマインドコントロールから徐々に解放されつつあるのではないかと思います。自分自身の内面を丹念に見つめ、どのように自分が操作されていたのかを逐一理解していくことは、大変苦しい作業ではありますが、マインドコントロールから解放されるためには避けて通れない作業であると思われます。そのためこの記事は、マインドコントロールに苦しむ人(教団を辞めたくても怖くてやめられない人),誰かをマインドコントロールから解放してあげたいと思っている人に、ぜひじっくりと読んでいただきたいと思います。

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目次

1. Introduction      はじめに
2. Behaviour Control  行動のコントロール
3. Information Control 情報のコントロール
4. Thought Control   思考のコントロール
5. Emotional Control  感情のコントロール



1975年08月29日(金) a

1. Introduction はじめに

私は14年間真光に関わってきましたが、多くの時間をハッピーとは言えない状態で過ごしてきました。私は最終的に真光を退会することができましたが、それは忘れられないくらいの大きな精神的ダメージを受ける経験でした。この組織がそんなにも長い期間にわたって私を操ってきたことに対し、私は混乱し、うろたえ、怒りを感じました。その組織の中にいるとき、私は自分が理性的であり思慮分別のある人間だと思っていましたが、実際には私は色々なレベルでコントロールされ続けていました。私も決して例外ではなかったのです。−私が会って話をしたり手紙などでやりとりしたすべての元信者も、同じように被害を受けてきたのです。真光はどのようにしてこれを成し遂げたのでしょうか?

2000年初頭に真光を離れてから、私は広く書物を読み、この詐欺的組織の本当の歴史、また特にこの組織が無知な人々に対してどのようにマインドコントロールを行っているか、について調べてきました。私は、子供たちがこの組織に10歳から入信できるという点、また、10代の若者や若い大人が危険にさらされている点について、特に問題が大きいと思っています。

スティーブン・ハッサン著の『マインド・コントロールの恐怖(原題:Combatting Cult Mind control)』(浅見定雄訳 恒友出版)という本に出会ったとき、真光がどのようにしてそんなにも巨大な影響を私に与えることができたのかについて、私の目は開かれ理解しました。この記事では、彼の次の著作『Releasing the Bonds: Empowering People to Think for Themselves (呪縛からの解放: 人々を勇気付けて自分で考えるように導く方法』の第2章「Freedom of Mind Press 心理的圧迫の解放 ( http://www.freedomofmind.com/) 」にある、「BITE Mind Control Model(マインドコントロールモデルを噛み砕く)」に沿って、真光におけるマインドコントロールの基礎を指摘します。私は、仲間が集めた文献、私自身の体験、そして他の人々の体験に基づいて、できるだけ公平に、そして正確にこの調査を行いました。


スティーブン・ハッサンはこう書いています。「普通の人は、カルトに対抗するすべをもっていないし、マインドコントロールというものを理解していない。また、カルトグループによって異なる方法でコントロールを行っていることを知らない。どのようなことを問題とすべきか、また、どのような振る舞いに気をつけるべきなのかを知らない。そして自分だけは大丈夫だと思っている。」[Combatting Cult Mind Control, Steven Hassan; pg 42]

「人々は「自分はカルトに引っかからない」と信じている。なぜなら、カルトのマインドコントロールに陥った何百万人もの犠牲者に比べて、自分は強くて善良な人間であると信じたいからである。私たちに必要なことは、自分が強い人間であると信じることではなく、カルトの勧誘者にいとも簡単に操られてしまう自分の弱さを知ることなのである。」[Ibid, pg 44]

「破壊的なカルトグループは、意図的に知性や才能のある人、または成功した人を探し出すので、そういうメンバー自身が新メンバーにとっては説得力があり魅力的な存在になる。実際、新メンバーがそういう誠実で立派なメンバーたちに出会うことが、どんな教義や構造よりも、その組織に入るための大きな原動力になるのである。大きなカルト組織は、その組織の「広告塔」をどのように教育すればよいかを知っている。カルト組織はそのメンバーに組織の最も良い面だけを表面に出すように教育する。メンバーは、組織に対して持つどんな些細な負の感情も押さえ込むように教えられ、いつも笑顔で幸せそうな顔をするように教え込まれる。」[Ibid, pg 41]

以上のような理由から、○○真光に関わる人は誰でもマインドコントロールについて知ることが重要です。疑いようもなく、真光はマインドコントロールのテクニックを使っており、熱心な信者はその犠牲者なのです。真光信者は常に、「いつもニコニコ陽光子(ようこうし)」であれと言われ続けます。私たちは、色々なタイプの人に対してその興味に応じてどのように真光の教えを紹介すればよいかを教わってきました。私たちは常に献身的な信者の模範として振舞うようにと、また、組織をできるだけ多くの人に紹介するのが当然とされてきました。私たちは組織や教え、信者、その他の人々を決して批判しないのが当然とされ、批判することは私たちの深い罪や穢れの証とされ、組織を破壊しようとする邪神の陰謀であるとされてきました。私たちはめったなことでは批判を口にできませんでした。この組織に対して注意しましょう!

経験豊かな催眠術師であるディック・サッフェン氏は次のように言います。「人間の歴史のなかで、「自分は洗脳されているのだ」と洗脳されたり信じたりした人はいません。つまり、洗脳の只中にあって自分が洗脳されていると理解できた人はいないのです。洗脳された人々は、大抵の場合、「私はそのお方から光を与えられたのです」とか、「私はそのお方によって奇跡のように変えられたのです。」と言って、狂ったようにその操縦者を守ろうとします。」 [The Battle for your Mind, Persuasion & Brainwashing Techniques Being Used On The Public Today, Dick Sutphen]

わかりやすいように、スティーブン・ハッサンの本の中にある「BITE Mind Control Model」の論点を引用したものは太字で、私の意見は普通字で、真光の文献からの引用は一段右に寄せて引用符「」をつけ、さらに引用文献を示します。

この破壊的マインドコントロールを理解するために、4つの基本的な章があります。私は順を追ってそれぞれの点について解説していきます。真光によって用いられているコントロールの範囲の広さから、真光が効果的で微妙なマインドコントロールのテクニックを信者に適用していることは明らかなのです。


1975年08月28日(木) a

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2. Behaviour Control  行動のコントロール

1. Regulation of individual's physical reality 
  個人のあり方に関する規定がある。

a. Where, how and with whom the member lives and associates with 
  どこで、どのように、誰と信者は生活を共にするか。

真光は、信者がどこでどのように住み、誰と住むのかについては、公式には制限をしていません。しかし、真光は結婚せずに「同棲」するカップルに対してあからさまに眉をひそめます。ある女性が長期間にわたる事実上のパートナーと正式に結婚するまで初級研修を受けられなかったという例を、私は知っています。伝統的な家族という価値に対して重きがおかれ、結婚に留まるように(つまり離婚をしないように)奨励されます。

多くの信者は、その土地の道場(真光センター)の近くに住みたがります。しかし、それは強制されるものではありません。

誰の近くにいるべきかということいついて教えが与えられており、よい人格を持った「高いレベル」の人の周囲にいるのがよいこととされています。


「もし頑固な人といっしょにいたら、最後は自分も頑固になりますよね。もし夫が頑固なら、妻も同じように頑固になります。これは恐ろしいことです。このようにして人は、周囲の人から霊波線を通して影響をうけるのです。」

「もし誰かと出会うと、その人とあなたは霊波線で結ばれます。もちろん、霊波線の数はどのくらい親しいかに依存します。しかし、それによって他人の霊的なエネルギーがあなたの中に流れこむのです。」

[Extract from Teachings of Sukuinushisama, Wondrous Method of Going-Towards-God, given on 13 June 1993, MAAJ Volume 11, Number 7, July 1993, pg 10-11]

MAAJ = 真光オーストラリア−オセアニア アジアジャーナル、日本の(○○)真光誌を翻訳したもの

b. What clothes, colours, hairstyles the person wears  
  どんな服、何色の服を着るか。どんな髪形にすべきか。

女性に対しては、女性らしい服装をすることがよいとされています。例えば、スカートやドレスなどです。しかしながらこれは、総ての信者に対して強制されているわけではありません。女性の導士はスカートかドレス、ボタンのたくさんついているブラウスを着なければならず、腋の下が見えないように、ノースリーブの服は着ることが許可されていません。髪は短く切るか、後ろで束ねなければなりません。

服の色やヘアスタイルについては、特に厳しい規定はありませんが、黒は女性にはふさわしくないと見られています。男性は黒のスーツを着ることができますが、女性は明るい色の服を着るのがよいとされています。また、女性が(ズボンをはいたりスーツを着て)男性のように見え始めること、男性が(長髪などにして)女性のように見え始めることは、現代社会が崩壊に近づいている証であるという教えがあります。

「本日は3月3日、お雛祭りの日です。(日本では一般には女の子のお祭りあるいは人形のお祭りとして知られていますが、神の教えでは、古代における節目の日、女性を祝う日とされています。) 女性は女性らしさをより一層発揮し、より一層神様に仕えなくてはなりません。」
[Extract from Teachings of Oshienushisama, Foremost Duty of Children of God, given on 3 March 1987. Published in Mahikari Australia Journal, Volume 5, No 4, pg 3]
すべての信者は、御み霊(おみたま:聖なるペンダント)を入れるための小さなポケットを下着につけなければなりません。そして、入浴と水泳時以外は、常に御み霊を身に付けます。そのポケットは新しい生地で作られ、御み霊が傾かないように、きちんとまっすぐに縫い付けられなければなりません。

c. What food the person eats, drinks, adopts, and rejects  
  どんな食べ物を食べ、どんな飲み物を飲むか。 また、どんなものを受け入れ、どんなものを拒絶すべきか。

信者は「生理学的にシンプルな食べ物」や、できるだけ有機栽培された食べ物を食べるのがよいとされています。着色料やその他の添加物は避けるべきものとされています。その多くは現代の常識とされているものです。しかしながら、これらの教えの多くは信者にとってはより強力なインパクトを持って語られており、もし子供たちに色つきのキャンディーを与えたりしたら、子供に毒を与えているとか、ちゃんと面倒をみていないとされます。

凍っている食べ物は体内の毒を固めてしまうと言われています。よって、夏にアイスクリームやその他の冷たい食べ物を食べると眉をひそめられます。


「『夏の日に 冷たきものはさけよかし 濁毒(だくどく)かたむるあとのおそろし』」(祈言集 P.198 夏の感謝)

「これが意味するところは、夏の間冷たいものを食べてはいけないという意味です。冷たいものの代表は、アイスのように凍っているものです。また、0度ちかくに冷やされた食べ物をとることは、体によくありません。氷を使った食べ物や飲み物を避けることが重要です。」

「冷たい食べ物は、胃からはじまる内臓を冷やし、ダメージを与えます。そして、新陳代謝を止めてしまいます。冷たいものが新陳代謝を阻害するというのは、人間の身体が必要なものを吸収し不要なものを排出するという生物学的働きを阻害するということです。すなわち、古い細胞が新しい細胞に置き換わるのが邪魔されるということです。」

「もし冷たいものを食べると、古い細胞が体の外に出されず、体のなかに溜まっていきます。遅かれ早かれ、それはガンのような病気を引起こします。冷たい食べ物は、それほど恐ろしい現象を引起こすのです。」

[Extract from Teachings of Oshienushisama, Construct the Foundation for the 21st Holy Century, Heaven on Earth, given on 7 July 1988. Published in Mahikari Australia Journal, Volume 6, No 8, pg 3]
毎日の食事の品々からよさそうな部分を少しだけ、仏壇の先祖に供えるということがなされます。

信者は、電子レンジは食品の霊的な要素を破壊し、栄養を損なうので使用を避けるようにと言われています。(これは正式な教えではありませんが。) 電子レンジで温められた食品は、先祖には供えることができません。

食品のお供え(奉載)が、感謝祭のときに行われます。そのお祭りのあと、食品は祭壇から下げられ、切り分けられて信者や参加者に配られます。奉載に使われた食品は、真の光に満ち、癒しの力があるとされています。多くの信者は一握りの奉載米を持ち帰り、例えば、料理全体に光をあたえるようにと、料理の中に2,3粒の米を入れます。奉載に使った卵はケーキを作るのに使われ、そのケーキは「満ち溢れる光」を受けられるようにと家族や友人に配られます。殆どの道場では、何も食べられなかった病気の子供が奉載米を口にしたあと急速に快方に向かった、というような話がたくさんあります。

d. How much sleep the person is able to have  
  睡眠は何時間とるか

真光の中では、睡眠時間はそれほど厳しくは制限されていません。しかし、現在のリーダー、教え主様は、毎晩3時間から4時間ほどしか必要としないと言われています。より浄まれば浄まるほど、少しの睡眠しか必要としなくなると言われています。このことが人々をあまり眠らせないようにし、人々を組織のなかに留めることに対して多少の効果を発揮しているように思います。

「真光の業を実践し、いくつかの神の教えに従うだけで、完全に健康になることができ、症状を取り除くだけでなく、あらゆる病気や不調から解放されるのです。また、疲れを知らない人になることができます。もし充分に浄まれば、5時間の睡眠で充分になります。」
[Mahikari - Thank God for the answers at last, Dr A. K. Tebecis, 1982, pg 214]

「『私は、神が私に示したとおりに人類に対する愛に生きるのです。私は自分の心を愛する人々の中に溶け込ませてしまうのです。そして何が起ころうとも、どんなに疲れていても、たとえ何も食べられなくても、そんなことはたいしたことではありません。私は人を救わなければならないのです。』私はこのような決意をもって、日々お浄めを施しています。そうすると、私は救いを受ける人になってしまうのです。これが、私があなたに対して次のように言う理由です。『私の真似をしなさい。そして、自分の曇りをとることを楽しみなさい』」
[Teachings of Sukuinushisama, Be a practitioner of raising the hand altruistically, given on 2 August 1995, MAAJ Vol 13 No 9 September 1995]

訓練部(日本にある導士の養成所)にいる訓練生たちは、一般的には夜11時から朝5時までの6時間の睡眠しかとることができません。ときどき、彼等は夜中にサイレンで起こされ、バックパックを背負って山の中を歩き回るということを、非常事態に備えた「緊急時訓練」としてやらされます。

導士たちはしばしば、真光センター(拠点)において夜遅くまで起きてオフィスワークを仕上げなければなりません。たとえ夜中の3時まで仕事をしたとしても、6時には起きて再び一日中仕事をしなければならないのです。

信者でも睡眠時間を削って人に光を与えることはとても賞賛されます。例えば、母親が1,2時間の睡眠を削って子供たちが眠っているときに光を与えることとか、朝早くおきてパンフレットを配りにいくことなども賞賛されることです。


「その当時、私は毎日道場へ参拝することを習慣にしていました。私の家から道場まで車で40分ほどかかります。私は仕事のために朝早く家をでなければなりませんでした。色々な事情から、毎日道場へ行くというその習慣をやめようと何度も考えましたが、その度に「これは神様が私を試しているのだ」と考えて続けました。それから、手遅れにならないうちに自分を浄めなければという何か不安のようなものを感じ、私は睡眠時間を削って道場に通うようになったのです。」
[Extract from We are a family going towards God by TF, 7 November 1994. MAAJ Volume 13, Number 8, pg 16]
e. Financial dependence  
  財政的依存

殆どの信者は仕事をもっている社会人か学生です。しかし、この組織のスタッフ(専属幹部)は日本円にして最低の賃金で生活をしています。幹部候補生は非常に少ない給料で生活しなければなりません。

「神にフルタイムで仕えることが許されている」という特権を持っているとされるため、スタッフは適正な給与を支払われていません。彼等の給与は最低限のものです。家族を養う導士(教師)にとって、借金もせず収入内で暮らすのは非常に難しいことです。その他の導士は真光センター(拠点)に住み込み、わずかな持ち物しか持っていません。拠点の長の旅費は信者の寄付でまかなわれ、多くの贈り物、食物、住まいを信者から与えられ、大きな尊敬を集めています。

f. Little or no time spent on leisure, entertainment, vacations  
  レジャーや趣味、休暇にほとんど時間をかけることができない。

これはそのようにすることが公式に決まっているわけではありませんが、非常にたくさんの行事があり、熱心な信者は真光以外の活動にほとんど時間を割くことができません。この集団は単なる親睦会のようなものは開かず、総ての活動が「神への奉仕」であり、真の光を与え、教えを勉強することに注がれます。教え主様は休暇をとることに関する教えを与えています。その教えの中で彼女は日本の信者に、もし休日に海辺に行きたければ熱海へ行き、山へ行きたければ高山へ行くように教えています。(両方の場所とも、重要な神殿のある所です。) ある信者は、休暇の予定を話し合った時にこう言われたといいます。「火の洗礼がこんなに迫っているのに、どうして遊びにいくことなど考えられるのですか?」

もしあなたが熱心な信者であれば、時間とお金を物を買ったりレジャーに浪費するよりも、道場にいて奉仕をし、お金については奉納することを好むはずだ、というような雰囲気が、ほとんどの道場にあります。殆どの教えが、すべての信者に際限の無い努力をするよう要求して結びの言葉としています。以下の引用は、そういう雰囲気をよくあらわす好例です。


「...あなた方がこの道において怠けることなくより一層の努力をされますよう、私は心より切に願ってやみません。」
[Extract from Teachings of Sukuinushisama, The Mystery of 5 and the Serious Responsibilities of Yokoshi, The Origin of Creation (Birth, Growth) of all Creatures, given on 4 and 5 May 1987. Published in Mahikari Australia Journal, Volume 5, No 7, pg 9]

「精進とは、一寸の無理を積み上げて参ることこそ大事なれ。大いなる無理を致せば、脱(はず)るるか壊るるかなり。ス直に無理致して行くなり。」
[御聖言、要のカナメ P.379]



1975年08月27日(水) a

2. Major time commitment required for indoctrination sessions and group rituals  
  教義の勉強や儀式に必要な時間が多い。

基本的なトレーニングコース(初級研修会)には3日間を必要とし、通常午前8時から午後6時まで行われます。参加者には、ある一連の満たすべき基準があります。それは年とともに変化していますが、参加者はテベシス博士の著作である「Mahikari - Thank God for the answers at last 真光−ありがとう神様、真の答えを与えてくれて」の全部か一部を道場において最低10回読むこと、天津祈言(あまつのりごと)を暗記すること、寄付をすること、研修に先立つ事前トレーニングを受けること、み祭りに参加すること、幹部と面談すること、などが要求されます。

研修会があるときはいつでも、既存の信者は再聴講し、研修会の開催を手伝うための奉仕を申し出ることが奨励されます。これには研修会の講師の食事を作ったり、講義中の黒板を消したり、セットアップを手伝ったり、かかる費用を負担するための寄付をしたり、遠方から来る信者の宿泊の面倒を見たり、参加者の面倒を色々と見たり、ということが含まれます。

毎月たくさんの行事があります。その中には月々の波調合わせのみ祭りがあり、それは日本の月々の感謝のみ祭りと同時刻に行われます。その後、各道場での感謝のみ祭りが行われますが、それは通常次の日曜日に行われます。み祭りの日は、道場の行事予定の中で主要なものであり、半日をかけて行われ、同様にしてその前日には道場の清掃が行われます。また、勉強会、青年の活動、様々な小グループの活動があります。(母、農園、教師などのグループ)

信者は道場における日々の活動の開始と修了のお参りにもできるだけ参加するように誘われます。学校や事故の多発地点、自然界における霊的存在に対し、集団で光を与えることで教えさとし、食物を与えると言われる霊界お浄め(Spirit Realm Okiyome)が毎月しばしば、特に週末に行われます。

信者はいくつかのグループに分けられ、世話をする人がとりしきります。これらのグループは月ごとのミーティングを週末か夜に開き、しばしばそのグループで一緒に活動を行います。世話人はしばしば、世話人のための研修やミーティングに参加します。

最も時間を要することは、総ての信者に推奨されている、日々のお浄め交換です。基本的には30分かかり、時間いっぱい使えば一時間近くかかります。親は総ての子供に毎日光を与えるようにと言われます。熱心な信者は、毎日少なくとも基本セッション(腎臓までのお浄め)の交換をする時間を持とうとします。信者はその他にも住居や周りの環境に毎日光を与えることを奨励され、朝晩に祈りを捧げ、食物に最低でも20分のお浄めをし、他人にもできるだけ光を与えるようにと言われています。キャッチコピーは、いつでもどこでもなんにでも手をかざせ、です。

毎日の御み霊の取り扱いには余分な時間がかかります。信者はシャワーを浴びようとするとき、お浄めをした(手かざしをした)石鹸を使って手を洗い、お浄めをしたタオルで拭き、ほんの少しですが祈りをささげ、御み霊を首からはずして特別な箱の中に入れます。御み霊を再び首にかけるときは、同じ行為が繰り返されます。御み霊には月に一回包みかえが行われ、それは道場で行うのがよいとされています。

真光に関する聖なるものを自分の家の中に持っている信者は、かなりの負担を強いられます。先祖の祭壇への世話として、祭壇の掃除や位牌の掃除が毎月行われ、毎日食事をささげてその瀬戸物の食器を洗い、毎週のように祈りをささげ、お浄めをします。御神体を持っている信者は、毎日の開け閉めの儀式を家で行い、毎月の感謝のみ祭り、入念な清掃をしなければならず、そしてその家の使用方法に関する制限を受けます。




1975年08月26日(火) a

3. Need to ask permission for major decisions  
  主要な決定については許可をとる必要がある。

このことについては、あなたがどういう人かによって異なります。真光の導士は、結婚にあたっては教え主様の許可を受けなければなりません。そして、導士は毎年のように赴任先が異なる場合があり、その場合は夫婦が年単位で離れて暮らすことを強いられます。

導士は「上に報告する」ことが必要とされ、人生上の主要なほとんどの決定に関して、たとえば婚約以前の交際、結婚、そして退職などについて許可を得なければなりません。あるとき、あるオーストラリア人の導士はニュージーランドで働いている夫に会いに行きたいと思いました。彼女はニュージーランドの道場でいくつかの勉強会を開くことを条件にして、夫とたった2,3日を過ごすことが認められただけでした。タイでも同様のことが起きています。ある女性導士は彼女の短い新婚旅行の間でさえ、祖霊まつりの儀式を執り行なわなければなりませんでした。彼女の時間は彼女のものではないのです。たとえ休暇のときであっても。

過去においては、真光の幹部はいつでも信者たちにアドバイスやどうすべきかの提案を行っていました。しかし現在では、めったに直接のアドバイスはせず、ものごとに対して自分で解決するようにと信者を励ましています。




1975年08月25日(月) a

4. Need to report thoughts, feelings and activities to superiors  
  考え方や気持ち、活動を上の階層に報告しなければならない。

信者は「川上に報告する」ようにと常に言われています。つまり、人生におけるあらゆる重要なこと、問題、悩み、困った出来事、挑戦、決定などについて、霊的な指導者に報告するということです。

通常、末端の信者は属しているグループの世話人に報告し、世話人は道場長か導士に接触してその情報を渡します。これは、「正しい順序」に従うことと言われており、このようにすれば、信者の人生における色々な物事をスムーズに神にアレンジしてもらえるとされています。グループの世話人はまた、信者の逸脱行為を密かに報告することを期待されています。




1975年08月24日(日) a

5. Rewards and punishments (behavior modification techniques - positive and negative).  
  報いと罰(振る舞いを操作するテクニック−善と悪)

グループの中でよいことをした信者は、そのグループの中で個々の人から感謝されることはありますが、グループの構成員全体の前で感謝されることはありません。誰も特別扱いはされないのです。そのため、真光オーストラリア−アジアジャーナルを作るために毎月大変な努力をしている人々の名前が公になることもありません。

「隠れたよい行い(陰徳)」がもっとも良いとされます。もしみんなから感謝されたら、それだけ神から受ける恩寵が減ってしまうとされます。だから、信者は一般的にはそういう行いを隠そうとします。

「自らに 気付く奉仕と陰の徳 積めば積むほど神は報ゆも」
[祈言集、奉仕の心 P.112」



1975年08月23日(土) a

6. Individualism discouraged; group think prevails  
  個人主義は良くないものとされ、集団で考えることがよいとされる

真光においては、グループが一つになること(一体化)がとても重要なこととされています。月々の感謝のみ祭りにおいては、賛美歌や祈りの言葉は、一つになって熱狂的に唱えたり歌ったりされます。それがうまくいくようにと、いくつかの祈りはみ祭りの前に練習が行われます。真光隊は一体化した行進や祈り(祈言奏上)を練習し、特別な制服を着ます。

「神の教えと自分の考えを混同している人たちがいます。もしそういう人たちが自分の考えを他人に広めたら、混乱を招きます。それらを明確に区別する(立て分ける)眼力を養うことが重要です。」
[Teachings of Oshienushisama, Be a person who receives Divine teachings seriously, given on 7 July 1990. MAAJ Volume 8, No 8, August 1990, pg 5]



1975年08月22日(金) a

7. Rigid rules and regulations  
  厳格な規則、決まりがある。

真光は、神を頂点とした霊が主体の組織であることを誇りにしています。そして、守るべきたくさんの厳しい規則や決まりごとがあり、そうすることで信者は神の意志に正しく従うことができるとされます。しばしば言われることは、神がどれだけ厳しい側面をもっているかということ、そして霊の世界は現実世界よりもずっと厳しいところである、ということです。

以下はその例です。

* 神の教え、御神書(ごしんしょ)、その他の文献をフォトコピーすることは禁じられている。もしコピーが欲しければ、手で書き写さねばならない。
* 御神書や真光誌は、神の光を帯びているものであるから、地面や足のつくところに置いてはならない。
* 2階建て以上の建物では、御神体や先祖の祭壇(仏壇)は、最上階に置かれなければならない。
* すべての信者は、御み霊と神をつなぐ霊波線を維持するため、また感謝を表すために、「霊線保持御礼(れいせんほじおんれい)」を前月までに納めなければならない。もしこれが滞ると、信者は呼び出しを受け、それについての忠告を受ける。

「もし霊線保持御礼を奉納するのを忘れたりやめたりしますと、神に対する畏敬の念を失っていることになり、神につながる霊波線は徐々に細くなり、やがては途切れてしまいます。」
[Mahikari Primary Kenshu Reference Textbook, pg 86]




1975年08月21日(木) a

8. Need for obedience and dependency.  
  従順と依存が必要とされる。

ス直であること(神の意志に従順であること)が、真光においては最も重要なこととされています。信者は自分に要求された役目を重荷に感じることなく引き受け、心をこめて奉仕に励むことを常に奨励されています。

「ス直をば 真に覚らば神向きの 出来たる人と神は愛づらん」
「人知にて 何(な)ぞ覚り得ん神仕組み ス直にならば体得し得ん」
[祈言集、ス直 P.98]


1975年08月20日(水) a

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3. Information Control 情報のコントロール

1. Use of deception  
  ごまかし行為がある。

a. Deliberately holding back information  
  意図的に隠された情報がある。

信者に明かされていない真光の本当の歴史や性質は、数多くあります。この教団や創設者の岡田氏に関する初期のころの本当の歴史は、すべての教団書物の中で正しく述べられていません。信者は、教団に関する財務報告も決して見ることはありません。

オーストラリアの組み手は(また、世界中の殆どの組み手がそうであると私は思っているのですが)、岡田氏が死んだ後の後継者争いについて、1997年にメディアによって報道されるまで知りませんでした。その後になってようやく、教団は信者にそのときの状況を説明しようと試みました。たった一回だけ、「崇教真光の真の歴史」、と題する講義を開くことによってです。

b. Distorting information to make it acceptable  
  都合のいいように歪められた情報がある。

岡田氏の経歴は、真光の教えに適するように変えられています。つまり、後継者の教え主様(岡田恵珠女史)の経歴や素性とうまく適合させるためにです。岡田女史は、救い主様の養女であるということになっていますが、実際には愛人でした。教団は強く否定しますが、岡田氏を個人的に知る古い日本人の組み手は、このことはよく知られた事実だったと言っています。

c. Outright lying  
  明白な嘘がある。

岡田氏が国際アメリカン協会から授与されたと言われるセントデニスザンテの勲章については、嘘で塗り固められています。その紋章は真光の旗にも表れ、岡田氏はあらゆる公式な場において、そのメダルを首に掛けていました。このメダルは、信用できない勲章とされているザンテ・聖デニス・ギリシャ勲章のメダルであり、今日においてさえ、二百ドルか三百ドル(アメリカドル)で購入することができます。この団体は、例えばアメリカの大統領であるアイゼンハワー、トルーマン、ケネディなどの著名人にメダルを送りつけることにより、信頼のできる団体であるという評判を得ようとしています。岡田氏は、この勲章のもつ虚偽の名声を利用して自分の地位を高めようとし、逆にこの団体は、「聖なる師」である岡田氏の虚偽の名声を利用して自分たちの信用度を高めようとしたのです。

2. Access to non-cult sources of information minimized or discouraged  
  カルト教団以外の情報源に接することは、望ましくないとされ、制限される。

一般的な感覚として、信者は教団出版物以外の書物も読むことはできます。しかしそれは、真光の教えが最もレベルが高いものであり、唯一本当の教えであるということを心に留めた上での話です。信者は,心霊研究や精神修養や、(他の宗教からくる)真実であるかのような偽物の教えについては、危険なものなので注意するようにと言われています。しかし、導士と呼ばれる人々にとっては事情は少し異なり、彼らには真光の教えのみを勉強することが期待されています。真光の教えは最も高い教えなのだから、他に何も読む必要はないとしているのです。

真光の教えの中では、「人間の知識(人知)は役に立たない」、ということが強調されます。人間の思想、哲学、そして理性がいかに役に立たないかということが、真光の教えの中では繰り返し述べられています。ここに、いくつかの例を示します。


「理屈は気の毒ながら、神には人間の屁としか感ぜざるものなり。」
[御聖言 世の変わり目、人類大曲がり角、P.305]

「人間丈の心にて考えて放つ言の葉を玉の緒といたすは信よ。万象創造の神霊の霊力や仕組みの法より離れし人間が、勝手な屁理屈造りて申す言の葉信じてアオグが仰ぎ、...」
[御聖言、信仰と神向き信仰 P.237]

「人知にて 何ぞ覚り得ん神仕組み ス直にならば体得し得ん」
[祈言集、ス直 P.98]

「私は真光に導かれる以前は無神論者でした。無神論者として、私は神に詫びたり感謝をすることもありませんでした。私は総ての出来事を肩をすくめて見ていました。私はいわゆる心の知性や理性の働きによって答えを見つけようとしていました。そして行き詰まるといつも、それ以上考えるのをやめてしまいました。私は今,自分はなんて愚かだったのだろうと思います。」
[My Journey to the Reality of God, by UP, MAAJ Vol 10 No 10, October 1992, pg 24]

「今日の医学の貧弱さは、食物、人間の生命、身体機能などに対する問いを無視していることに起因しています。「医学は進歩している」というよく聞く言葉とは反対に,医学はガンや白血病、都市化に伴って起こるその他の病気を防ぐことができないでいます。その原因は,食物→血液→細胞の働きといったものに対する不完全な知識にあるのです。今日の医者の考え方を変えない限り,このような問題は解決されないでしょう。」
[Primary Kenshu Textbook, 1981, Chapter 7, pg 20]

「私が伝えた神の教えの一言一句を正確につかむことが重要です。さらに、その教えを伝えるときには、自分の個人的な意見で教えを変えてしまわないように徹底することが重要です。神の教えを聞くときには、その教えを自分に都合のいいように解釈しないように、極めて注意深くあらねばなりません。人間の弱点の一つは,物事を聞くときに自分に都合のいいように理解してしまうということです。
[Sunkyo, The Golden Divine Teachings and the way they should be Transmitted, Mini-teachings by the first Oshienushi (Okada), MAAJ Volume 13, Number 5, May 1995, pg 2]
a. Books, articles, newspapers, magazines, TV, radio, and other critical information  
  本、記事、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、その他の批判的情報について

教団や信者、幹部、その教えに対する批判は、真光が神の計画をこの地上にもたらすのを止めようとする悪霊による、正しい神に対する霊的な反逆と受け取られます。

b. Former members  
  元信者

元信者はすべて「悪霊に邪魔されている」とされるので、信者が元信者の話に耳を傾けることは愚かなことだとされてしまいます。私は2000年の始めに教団を離れました。一年後、私の知っているもう一人の信者が真光を離れました。私たちが会った時、彼女は私が同じように教団を離れていたことを知って驚いていました。私が教団を離れたことは、教団の内部では全く話題に登っていなかったのです!

教団を去った人は、弱い人間であり、意志が弱く、神の祝福を投げ捨てた人間であり、真光を破壊しようとする悪霊や邪神に邪魔された人間であり、充分浄まっておらず、神に従うチャンスを与えられたにも関わらずそれを捨てた人間であると見られてしまいます。

教団を去った信者や真剣な努力や献身を怠った信者にどのようなひどい出来事が起こったかという話は、この教団の中に溢れています。さらには、たまたま御み霊をはずしたその日のうちに悪いことが起こった人の話などもあります。

家族の中を除けば、ほとんどの信者は元信者と継続的に接触を持つようなことは実際にはありません。そのため、このカルト教団を去った信者がいかに幸せにまた健康的に過ごしているかということを知らないのです。信者が体験することはといえば、ある人が道場に来なくなるとその人とは音信不通になり、偶然ばったり出くわすことによってその人についてのわずかなニュースを聞くだけなのです。信者にとって、元信者に対して何故教団を去ったのかと深く問いつめることは極めてまれです。私が信者だったころ、そのような質問をすることは私にとって恐ろしいことでありました。私は教団に居つづけ、献身しつづけることに困難を感じていたのです。それ故、そのようなシビアな議論をすることは、私にとっては厳しすぎることでありました。

c. Keep members so busy they don't have time to think  
  信者を忙しくさせ、考える時間を持てないようにする。

光を与えたり活動的であることが、物事を考えることよりも奨励されています。真光の教えや組織について批判的に議論しようとする人は,「憑依霊に邪魔されている」というレッテルを貼られます。道場(真光センター)ではいつもたくさんの行事や活動があります。信者は「役に立たない人間の知識」を放棄するようにと言われ、そして光を与える実践を行い、何よりも真光の教えに従順に従うことを奨励されます。

3. Compartmentalization of information; Outsider vs. Insider doctrines  
  情報の区分:外対内という主義がある。

a. Information is not freely accessible  
  情報を自由に得られない。

教団の歴史や創設者に関する情報は、厳しくコントロールされています。信者は初級研修でしかその歴史を知らされません。そして、調査や批判的な質問に対して回答が与えられることはありません。

b. Information varies at different levels and missions within pyramid  
  組織のピラミッド構造の中で,そのレベルや役割の違いによって情報が変化する

初級、中級、上級研修によって、異なる教えが与えられます。

c. Leadership decides who "needs to know" what  
  リーダーによって、誰が何を「知る必要」があるかが決められる

情報の開示のレベルに明らかに違いがあります。多くのごく普通の信者には、多くの情報は与えられません。幹部などのメンバーには,もう少し多くの情報が与えられています。

1997年3月、メディア上を多くの反真光記事がにぎわしたとき、教団は信者用に「Sukyo Mahiari - The Facts (崇教真光−その真実)」という配布物を用意しました。そこには、信者に対して初めて色々な財務上の事柄が詳細に紹介されていました。真光はマインドコントロールを行う終末論カルトである、というメディアの主張に対する教団の反応は、以下のように信じられないほどお粗末なものでした。

「どんな信者でも未信者でも、教団の活動に関して少しでも経験があれば、そのような主張は間違っていると理解できるのです。」
[Sukyo Mahikari Australia-Oceania Regional Headquarters, 30 March 1997]
この当時に明らかにされた財務上の詳細は、幹部を除いてすべての信者にとって初めて知らされたことでした。信者は、教団の財務上の詳細に関する年次報告を与えられたことがありません。

他の都市や国における真光の活動がどのようなものであるかについての情報も非常に限られています。ほとんどの信者にとって、世界中で何が起こっているかを知りたがることはごく自然なことです。しかし、そのような情報が公にされることは極めてまれです。誰が教団を去ったか,特に幹部の中から誰がやめたか、という情報は厳しくコントロールされています。

4. Spying on other members is encouraged  
  他の信者を見張ることが奨励されている

a. Pairing up with "buddy" system to monitor and control  
  2人一組にすることによって、互いに監視とコントロールを行う。

もし誰かが御み霊を大事に扱わず、御無礼をしているような場合には,世話係は幹部に知らせる、すなわち川上に報告するようにとされています。

b. Reporting deviant thoughts, feelings, and actions to leadership
 逸脱した思想、感情、リーダーシップをとろうとする行為の報告

再び,「川上に報告する」という言葉がそのために使われます。

5. Extensive use of cult generated information and propaganda  
  教団が作り上げた情報や宣伝を多用する。

a. Newsletters, magazines, journals, audio tapes, videotapes, etc  
  ニュースレター、雑誌、専門誌、オーディオテープ、ビデオテープなどの利用。

真光オーストラリア−オセアニア,アジアジャーナルは、キャンベラにいるボランティアたちによって、毎月一回発行されています。これは、教えや信者の体験を、信者の間で共有するための主な方法です。時には,ノストラダムスの予言のようなビデオが修練会の間に使われることもありますが、いつもではありません。現在は,教師や家庭教師の信者たちはしばしば集まって修練会を行っています。

b. Misquotations, statements taken out of context from non-cult sources  
  カルトでない情報源からの不正確な引用

初級研修のテキストブック全体において、聖書やその他の宗教的書物、科学者や医師の書いたものが引用されています。

(準備中)




1975年08月19日(火) a

6. Unethical use of confession  
  懺悔を倫理に反した形で利用する。

a. Information about "sins" used to abolish identity boundaries  
  主体性を放棄させるために使われる、「罪」に関する説明がある。

信者はしばしば、深い秘密や悲惨な出来事、教団に対する疑いを、川上にあたる世話係や真光の幹部に告白します。つまり、彼らを神が与えたカウンセラーだと信じているのです。

私は道場が近くにない外国の地で病気にかかり、さらにカルチャーショックになったことがあります。そのとき私は最も近い(100KMはなれた)真光センターに電話をかけ、会ったことも無いそこの道場長に正直に、また率直に相談を持ちかけました。私はこの人物はそのような役目を持っているのであり、支えてくれたり共感してくれたり、困難の中にある私を助けてくれるものだと思っていました。しかしながら、その人物は導士でもありましたが、私を非難したのです。私はクリーニングの原理に関する基本的な教えを理解していないと言われました。この人物は極めて冷たくて、私を助けてくれるような人ではありませんでした。この電話での会話は、私に深く影響を与えました。私は完全に打ちのめされてしまったのです。

b. Past "sins" used to manipulate and control; no forgiveness or absolution  
  過去の「罪」を信者のコントロールに用いる:その罪については何の許しも与えられない。

特に催眠的な霊査をしているときがそれに当てはまります。あなたが過去に何をしたのか、どんな間違いを犯したのかについて知らされないまま、罪に対して報いを受けているとされてしまいます。


1975年08月18日(月) a

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4.Thought Control  思考のコントロール

1. Need to internalize the group's doctrine as "Truth" 
  グループ内の教義を「真実」として内在化させようとする。

これは、初級研修における主要なテーマの一つでした。研修受講者がまず最初に言われることの一つは、古い考え方を捨て、新しいものの見方を受け入れるように、ということです。一杯のお茶がそのたとえ話として使われています。−もし古いお茶(現在のあなたの考え方)がカップに残っていたら、新しいおいしいお茶(真光の教え)を味わうことができないでしょう?− 私たちは、新しくておいしいお茶のためにカップを空にして準備するようにと言われました。

a. Map = Reality 

(準備中)

b. Black and White thinking 
  白か黒かという思考方法

(準備中)

c. Good vs. evil 
  神対悪魔

スの神に導かれた正しい神々と、悪の神々との戦いは、真光の主な教義の一つです。この戦いが、信者の日々の生活にも広がっていると言います。

d. Us vs. Them (inside vs. outside) 
  我々対彼ら (内対外)

(準備中)


2. Adopt "loaded" language (characterized by "thought-terminating cliches"). Words are the tools we use to think with. These "special" words constrict rather than expand understanding. They function to reduce complexities of experience into trite, platitudinous "buzz words".
 (考えることをやめさせる効果のある)「含み」のある言葉を用いている。言葉は我々が考えるための道具である。これらの特殊な言葉は、我々の理解を発展させるよりむしろ狭める。我々が経験する世の中の複雑な事柄をすべて、これら単純で平凡な「決まり文句」で言い表してしまう。
  

(準備中)

3. Only "good" and "proper" thoughts are encouraged. 
  よい考え、正しい考えのみが奨励される。

” ...ネガティブな精神状態は身体の中に毒物を発生させます。救い主様は、怒り、憎しみ、敵意、不安、心配などは、体中に毒物を発生させると説いています。”
〔テベシス氏の著作P.199より〕
4. Thought-stopping techniques (to shut down "reality testing" by stopping "negative" thoughts and allowing only "good" thoughts); rejection of rational analysis, critical thinking, constructive criticism. 
  思考を停止させるテクニック(ネガティブな思考をやめさせ、前向きな思考のみを許すことによって、「現実を直視」することをやめさせる): 理性的な分析、批判的な思考、建設的な批判を拒絶する。

a. Denial, rationalization, justification, wishful thinking 

(準備中)

b. Chanting 
  唱えること

天津祈言は、真光の中で使われている最も主要な祈りの言葉です。信者は危険な状況や困ったときなどにこれを力強く唱えるようにと指導されています。また、光を与える前や、み祭りのとき、日々の祈りのとき、霊界お浄めのときなども同様です。あるトレーニングでは、特に若い信者に対してですが、20−30分間も休むことなく唱えるという場合もあります。

c. Meditating 
  瞑想

瞑想は、霊に憑依されやすくなるという理由で、真光では許可されていません。

d. Praying 
  祈り

神に祈りをささげることが,次のような場合に奨励されています。毎晩寝る前,朝起きたとき、道場に行ったとき、み祭りのとき、車を運転しているとき、光を与える前と後など。

e. Speaking in "tongues" 
  意味不明のことをしゃべりだすという現象

霊査の最中には、霊査を受けている人が見知らぬ外国語でしゃべるということがあり、それは憑依霊の仕業ということになっています。小さい子供が母国語でないドイツ語をしゃべったり,オーストラリア人が流暢な日本語やラテン語さえ話したという報告があります。しかしながら、私の14年間の経験の中では、そのような例を聞いたことがありません。私が霊査を受けたときは、殆どの反応は言葉によるものではなく、うなずいたり、首を横に振ったりというものでした。一度だけ私は日本語で返答したことがありましたが、それは「はい」のように、私がすでに知っているとても簡単な言葉でした。

f. Singing or humming 
  歌うこと、あるいはハミングすること

特にこれが真光の中で使われているということはありませんが、日本語のみ歌はみ祭りの席では歌われます。しかし、それらは極めて短いものです。より長い祈り、すなわち弔霊(ちょうれい)といわれるものがあり、それは人々が額に光を受けているときに歌われることがあります。それは、人々を半催眠状態に導くものです。


5. No critical questions about leader, doctrine, or policy seen as legitimate 
  指導者、教義、正しいとされる方針に対して批判的質問は許されない。

神の教えや救い主様、教え主様、道場の幹部、真光の書籍に対して批判をすることは、信者の罪や穢れ、あるいは邪霊に操られていることの明らかな証拠と見なされます。このことは真光の教えの色々なところで繰り返し述べられており、御聖言、祈言集、月々の教え、初級研修テキストブックに載っています。

「想念の中に間違いが起こったとき、すなわち、それと気づかないうちに我と慢心が湧き起こってきたとき、または、神の絶対性に対する徹底した無条件の信頼が弱まり始めるとき,人は常に神の教えに対して不平を言ったり批判したりするのです。これは想念の中にギャップを生み出します。これは人間の弱点なのです。このときに人は操ろうとしている霊に憑依されやすくなってしまうのです。この理由により、常に「霊(の障り)と戦うという精神的態度」を持つことが重要なのです。」
[Extract from Teachings of Sukuinushisama, Pioneering the Age of Light & Gap in Sonen, given June 1986. Published in Mahikari Australia Journal, Volume 4, No 9, Sept 1986, pg 16]

「人々はしばしば次のように言います。「これは金儲け宗教だ。宗教はいいことしか言わない。あなたは愚かだ、騙されている。働いて、お金を稼いで好きなように使うことはあなたの権利だ。もし神が大きな愛であるならば、神が救ってくれるのは当然のことだ。」」

「これらの言葉は,正しい方法と間違った方法、あるいは正しい神と邪悪な神との区別を知らない人の言うことです。さらには、神秘なことを体験していない人々でもあります。もしあなたがこれらの人々に言いくるめられて、真光−最高の神の救いの場−の入口から遠ざけられてしまったとしたら、なんとかわいそうなことでしょうか。それは、幸せの門から去ることであり、自分自身で地獄への道を歩むことを意味します。あなたはまだ真光の中をほんのちょっと覗いただけです。気をつけてください。これは、邪悪な霊による混乱が再び現れる兆候なのです。」
[Mahikari Primary Kenshu Reference Textbook, Do Not Listen to Dangerous Words of Evil Deities, pg 84]


6. No alternative belief systems viewed as legitimate, good, or useful 
  他のどんな信仰も、正当であるとか役に立つとはされない

真光流の世界の歴史観によると、神は人類の退廃した振る舞いにブレーキをかけるために現在の主な宗教の発展を許したのだということです。真光はそれらを人間が作った「ブレーキ宗教」と呼び、それにはキリスト教、仏教、ヒンズー教、イスラム教が含まれます。それらは「偽の、仮の教え」であり、真実の一部でしかないとされています。すべてに対して正しい答えを持っている唯一の団体は、もちろん○○真光であると言います。「○○」という部分には、「最高」などの意味があります。真光が言うには,歴史上のすべての宗教は、人間の哲学を加えた妥協の産物であり、現代の宗教はもはや適切ではなく、何の救いの力もないと説きます。

「神道も仏教も基教も、主神拝(ぬしがみおろがみ)みし釈迦(ゴータマ)、イエスの生きありし時の教えに万教者も世人も還りて、マ光放ち得る使徒と化さざるべからず。神裁きの世、仏滅の世参る丈なり。」
[御聖言 四つアの世と七つの燈台の火、P.326]

「幾億年目の大ヒックリ返し、神が致すを以って、凡て古きは捨て、新しき改まりたるマコト神の子文明紀へ進ましむる大仕事へ切り換え致す訳なるも、人間界にはそれに対する手立てだになき時の到来を「終末」と申せしなり。故に信仰も最早末となり、人類総神向となる外なきなり。」
[御聖言 信仰と神向き信仰 P.235]

「もしあなた方がこの道に入らなければ,あなた方の殆どは慢性病などに苦しみ、耐えがたく苦しい人生が続くことになるでしょう。同じことは、あなた方の仕事や事業などにも言えるのです。」
[Mahikari Primary Kenshu Reference Textbook, pg 80]

「また、いやしくも今後信仰によって救われんとする心のある人、世救い世直しに指導的役割りを果たさんとする人は、なにをおいても先ずこの人類最高の啓示を、一応は受け入れてしまうべきである。」
〔御聖言 序 P.12〕


1975年08月17日(日) a

5.Emotional Contrl  感情のコントロール

恐怖を利用することは最も強力な方法であり、カルト信者に絶大な影響を与え,そのグループから去ることをためらわせることができます。「BITE Mind Control Model」の部分の主な点を指摘する前に,私はスティーブン・ハッサンの書物「Combatting Cult Mind Control」からいくつかの引用を示し,カルトが生み出す恐怖が如何に深い心理的あるいは感情的問題を生み出すかを説明しようと思います。


「恐怖の構造とは、いくつかの構成要素をもち,互いに作用して悪循環をもたらす。これらの構成要素とは、厄介な考え、ネガティブな内的イメージ、怖いと思う心、コントロールできない状態、などである。

いくつかのカルトでは、信者はそのグループを去ることに対して恐怖を抱くように組織的に教育される。今日のカルトは効果的な方法を知っており,信者の心の奥底に生き生きしたネガティブなイメージを植え付けることができる。それによって信者は、自分がグループの外にいるときに何かを達成することや幸せになること、などを想像できなくなってしまう。

信者は多かれ少なかれ,もしそのグループを去ったら酷い病気になって死んだり交通事故にあったり、飛行機事故で死んだりとか、あるいは愛する人の死を引起こす、というようなことを信じるようにプログラムされてしまう。」
[Steve Hassan, Combatting Cult Mind Control, pg 45]

「様々なやり方で、カルトが生み出す恐怖は信者がそれと気づかないうちに、巧妙に作られて植え付けられていくのである。信者は思考を停止するようにうまく操作されているので、そのグループを去りたいという願望を自分が持っていることさえ気づかなくなってしまう。」
[Ibid, pg 46]
上記の引用は、まさに私自身が体験してきたことです。私が真光の中にいたときに出来たこと、あるいは私が期待に応えることができたのは、教団を去るという選択を私自身にさせない、ということだけでした。私は教団を去ったら一体何が起こるのかということに恐怖を感じていて、それを考えることすらできませんでした。そういう状態であるかぎり、私は信者でありつづけたのです。

私の夫や家族を含むすべての人に対して,私は自分が真光の中にいて如何に幸せであるか、真光が如何にすばらしいかなど、教団に対するよいイメージを広めるために言わなければならないことを言いつづけてきました。しかし、私の内面では、教団のすることや言うことの多くが私にとって心地よいものではないことに気づいていました。私は自分自身が正直でないことや模範的でないと感じていました。私は教えが矛盾に満ちており脅迫に近いことを見出していました。私はその中に捕らえられてしまっていたのです。

1. Manipulate and narrow the range of a person's feelings. 
  感情の範囲を狭め,操作する。

「いつもニコニコ陽光子」は、真光の道場におけるスローガンです。陽光子とは、「明るく積極的な人」を意味します。信者は陽光子とも呼ばれ,すべてのことに対して感謝を表し、決して怒ったり妬んだり批判したり、機嫌をそこねたりしないようにすべきとされます。

「起きてよし 寝てよし居てよし全てよし ああ有難し悪しきものなし」
「善し悪しと 思う心の浅きかな 浅き瀬にこそさざなみの立つ」
「病(やまい)悪し 不幸悪ろしと思いなば 神大愛の禊ぎ忘れし」
[祈言集 善し悪し P.117]

「神様は、今日の世界中の人々が、純粋で、陽の気で、正しく、神に従って生きることを望んでおられます。スの神様に対して純粋で陽の気で正しく従順であることは、人格を完成する上で大きな助けとなるでしょう。より純粋で、ほがらかで正しく、従順であれば、より愛と調和に満ちた社会がもたらされるのです。」

「スの神様に対して純粋で、陽の気で、正しく、従順な想念で祈れば、本当の正しい神様がその祈りに応えてくれます。陰気で正しくない想念で祈れば,代わりに邪神が答えるでしょう。邪神に操られた人々は、間違った選択をすることになります。」
[MAAJ Vol 15 No 4 April 1997]

2. Make the person feel like if there are ever any problems it is always their fault, never the leader's or the group's. 
  問題が起こったとき、それは組織や指導者のせいではなく、常に自分のせいだと信者に感じさせる。

この点はまさに真光にぴったり当てはまる点です。もし信者の生活において何かがうまくいけば、それはすぐに神様の仕組みや神の光,教えを実践したからだとか、そういうもののおかげとされます。しかしながら、もし信者がトラブルにあったり、困難な状況に陥ったり、教えを疑ったり、身体の調子が悪くなったりすると、それは信者自身の負のカルマや蓄積してきた濁毒(だくどく)や罪や穢れ、悪想念や霊の障害のせいにされます。

3. Excessive use of guilt - Identity guilt 
  罪の意識の濫用−罪を自覚させる。

真光の中では,多種多様な罪の意識が信者に影響を与え,信者を操作するために用いられています。

a. Who you are (not living up to your potential) 
  あなたはだれなのか?(あなた自身の力で生きる存在ではないということ)

「長々と、病と貧と争いに 生くるは霊曇り(ひくもり)多しとは知れ」
「病貧争災 つき纏いなば汝(なれ)何処か 真如と逆法に生きし証(あかし)ぞ」
[祈言集 P.89 真光の業]

「全ての人類にとって、自分のためだけでなく他人の救いに対しても、神に感謝と真をささげることは、避けて通れない義務ではないでしょうか?」

「もしもこれを喜びとすることができないとしたら、たぶんあなたは神の教えを自分勝手な解釈で受け取っているか、あるいは研修受講後に神の教えをス直に実践していないということなのかもしれません。」
[Mahikari Primary Kenshu Reference Textbook, pg 81]
「御神徳(ごしんとく) 小さき中(うち)はまだ神に 真(まこと)不足の証(あかし)とこそ知れ」 
[祈言集 P.114 選び子と組み手]

「神真光の 業(わざ)に世人を覚まさずば 神にはナマケの罪となるらん」 
[祈言集 P.118 祈り]

b. Your family 
  家族について

真光の教えによれば、すべての物事はバランスの中に成り立っているといいます。例えば,ある男女が結婚できるのは、正と負のカルマの総量のバランスが男女間で取れている場合だけだといいます。このことから、もしパートナーが真光に反対したり、真光をけなしたり、神に使えることに興味がない(つまり霊層が低い)場合には,自分も同じレベルにあるにちがいないという結論を出してしまいます。そこで信者は、家族を救うのは自分の義務であり、もっと神や道場に奉仕することで家族を救おうとしてしまうのです。

いくつかの真光の教えでは、最低でも家族全員を信者に引き入れるべきであると説いています。しかし一方では、真光信者が家族の中に1人でもいればそれは充分な救いになると説いています。このような混乱した、矛盾に満ちた教えは、真光の教えの中ではしばしば見られます。

「此(こ)のミチに 逢わずとすれば一生の 家庭を救う術(すべ)は得られじ」
[祈言集 P.104 感謝報恩]

「曇り多き 魂霊(たまひ)の家は沈み行き 浄きぞ何(いず)れは上(かみ)に住むなる」
「濁りおば 遂々(ついつい)我が家に積み行きて 何時か贖わさるる人の愚かさ」
[祈言集 P.132 大炎開陽霊]

あなたの守護霊もあなたの家族(先祖)の1人であり、もしあなたが高い霊層にあれば、遠くの未来まで見通せる高いレベルの守護霊がついてあなたをより助けてくれるとされています。逆に、もしあなたが低い霊層に落ちれば、あなたよりはほんの少し霊層が高いだけの、低いレベルの守護霊しかつかないということです。


c. Your past 
  あなたの過去

「初級研修の最初に私が教えたことは、次のようなことです。『真光の業に関して言えば,受光者の想念が70パーセントであり、施光者の想念は30パーセントです。』...これが何を意味するかというと、たとえ私が同じ力を受けて人々に同じように放射しても、結果は受ける人それぞれの想念で違ってしまうということです。神様は全ての人に同じ結果をお許しになったりはしません。」

「この理由は何かというと、人間は神の時代から存在する’因縁’を感じ取ることができないからです。もしそれが過去の罪だけだったら、それらは告白によって明らかにすることができます。しかしながら、霊的存在でいた間に霊界の法則を破ったことは、自分には決してわからないのです。言うまでもなく、自分がどんな罪や穢れを積んできたか、今日現れた正神の神様に反抗して自分のご先祖様がどんなことをしてきたか、そういうことは普通の人々にはわからないのです。」

「また、たとえそれが判ったとしても、どうすることもできないのです。...結局は、罪や穢れの問題は、神の火の聖霊による洗礼、すなわち真の光によってしか、取り除くことができないのです。」
[Teachings of Sukuinushisama, The True Nature of Miracles and how repentance of the Soul should be, given on 8 July 1989, MAAJ Vol 7 No 8 August 1989]


d. Your affiliations 
  あなたの帰属

信者は、どのようなレベルの人であろうと全ての人々を救うようにと言われるが、より高いレベルの人と友人になるようにと奨励されている。


「利己愛と 我利(がり)につき合う友どちは 何れは汝が家離れ去り行く」
[祈言集 P.200 結婚を祝いて]
e. Your thoughts, feelings, actions 
  思考、感情、行動

信者は事あるごとに繰り返し思い出します。憑依霊は自分の好きなように人間にものを見させ、考えさせ、行動させることができるということを。このことは、あなたがあなた自身の考えや感情、行動に自信を持つことを困難にし、常に自分の中で自分と憑依霊との戦いが起こっているのだと感じはじめます。そして、自分の考えに自信が持てなくなり,どちらが自分の考えでどちらが邪悪な霊のささやきなのかが判らなくなってしまいます。

神が常にあなたのすることすべてを見ているという考えは、ある種の抑制になります。私がグループリーダーのトレーニングに参加していたとき、私たちが死んで最初に起きることは、人生における全ての出来事、全ての行動、個人的なこと、正しい行い、卑しい言動などを映画のように見てしまうということでした。この教えは、グループリーダーたちの間で冗談のネタにされましたが、しかし私たちは不安を感じてもいました。個人的には、この教えは私を強い不安と心配に陥れました。


「神が存在するかどうかなどわからないと主張し、そして自分勝手に振舞う人々がいます。しかしながら、親神様は全ての物事、非常に細かい部分まですべてご覧になっておられるのです。」

「あなたが何を聞こうと、何をしようと、「親神様が常に見ている」ということを忘れさえしなければ、どんな困難や障害も乗り越えることができるのです。」

「天地の創造主である主の大御神様とともに生きることを許されている」という考え方を持つことは、極めて重要であります。」
[Teachings of Oshienushisama, The Sonen of Total Devotion to God, given on 8 July 1989, MAAJ Vol 7 No 8 August 1989]

「尊(とうと)かり 神の縁(ゆか)りの吾が魂(たま)を 知らず汚せし我を詫びつも」
[祈言集 P.161 吾が心]

「神となり 獣となるは自在なり 想う瞬間(たまゆら)自由恐ろし」
「幾度(いくたび)か 逢う神試し神振い 受けずばサトレぬ人の哀れさ」
[祈言集 P.165 吾が心]


f. Social & Historical guilt 
  社会的、歴史的罪

真光の教えによれば、人類は多くの罪と穢れを受け継いできています。主なものは、正神の神様たちを天の岩戸に押し込めたという古代における罪です。

「人類は共通の罪と穢れを持っています。神中心の世界を賞賛して作り上げることをせずに、かわりに神の法則に逆らった習慣や法律が蔓延している世界を作り上げてきたという重大な罪があります。これは神の計画の一部であったとは言っても、神にお詫びしなければならないのです。」

「もう一つ,人類共通の罪穢があります。それは、神が創りたもうたすべての生き物に対して、感謝を捧げるという心を忘れてしまったことです。」

「それ故、人々は自分たちの罪と穢れにできるだけ早く気づき、詫びなければならない全てのことに詫びる必要があります。お詫びをするということは、感謝をしてこなかったという借金を返すことを意味します。簡単に言うと,「申し訳ありませんでした。」と単に言うだけでは、それはお詫びをしたということにはならないのです。」
[Teachings of Sukuinushisama, "How going-towards-God based on the righteous path should be", MAAJ Vol 13 No 8, August 1995, pg 8]

「恐ろしも 主に逆気(榊)立て豆播きし 罪を詫びずば永遠に滅びん」
[祈言集 P.118 祈り]
4. Excessive use of fear 
  恐怖を多用する。

a. Fear of thinking independently 
  自分で考えることに対する恐怖

信者はしばしば、憑依霊というものは人間を操ってものを見させ,考えさせ、何でも言わせることができると教えられます。このように教えられると,多くの信者は自分自身の考えに対して疑いを持つようになります。これはそんなに驚くようなことではありません。

b. Fear of the "outside" world and enemies 
  「外」の世界と敵に対する恐怖

他の全ての宗教は、「真如」(真実の如きものだが真実ではないもの)であるとされます。真光の教えの中には、このような姿勢が繰り返し現れます。

真光の主な敵は、見えないもの、水の系統の神々とされています。それらは現在火の系統の神々に置き換わりつつあるとされています。また、真光の信者に対して復讐を試みたり、教団の正しい活動を邪魔しようとする霊たちがいるとされています。教団の活動を邪魔するものは何であっても、それは「霊障」であるとされます。地縛霊は事故を引起こし、憑依霊は人間のものの見え方、聞こえ方、発言を操るとされます。また、ある民族全体が他のグループを妨害しようとするといった、集団霊障なるものもあるとされています。例えば,北アイルランドの紛争が絶えないのはこの集団霊障のためだというような説明をされます。




1975年08月16日(土) a

c. Fear of losing one's "salvation" 
  「救い」を失うことに対する恐れ


「今日の神は、神の計画の進展に遅れをとったり、新しい霊的文明の建設に役に立たない魂を必要とはしていないのです。(自分が日本人やユダヤ人だからといってうぬぼれてはいけません。)そのような役に立たない魂は火の洗礼によってその存在自体が消去されてしまうというのが神の意志なのです。神の計画では、充分に浄まった魂だけが、種人(たねびと)としてこの地上に留まることを許されるのです。」
[Sunkyo (Great Guideposts on the Path of Divine Wisdom), by Sukuinushisama, The Descent of Holy Spirits, pg 16]

「仮の教えにては皆つぶされ行くのみ。バラバラに致せし世を一つに致す大仕組み始まるなり。」
[御聖言 P.297 人生の夢]

「それ故、頂上に上ろうとしている今日の人類は、平安のうちに自己満足に浸っているわけにはいかないのです。もし怠ければ、あなたが引いている人生という手押し車はすぐに坂道を転がり落ちて大きな事故を引起こし、全てが無駄になってしまうということをよく知った上で、ご自分の未来を選んで欲しいと私は望みます。」
[Extract from Teachings of Sukuinushisama, Arrival of the Age of Major Compensation - Cleaning and the Path to become Seed People & Let us thoroughly enjoy cleaning" August 1987, MAAJ Vol 6, No 10, October 1987, pg 8]

d. Fear of leaving the group or being shunned by group 
  グループを去る恐怖、あるいはグループから避けられるという恐怖

この恐怖はまさに現実の恐怖であり、日常の中で持続していきます。それは、信者が御み霊(おみたま)と呼ばれるペンダントをシャワーを浴びるなどの理由で身体からはずすときの恐怖です。御み霊は神からの守護を信者に与えるものだとされているので、信者がそれをはずすとき、御み霊をかけているときと同じ程度には神から守られていないとされます。何らかの理由で御み霊をはずしている信者は、一般的に言って大変な緊張と不安を感じます。私は時々、ブラジャーを買うとき(試着が必要なため)や水泳をするためやX線検査を受けるために、自分の御み霊を家に残して出かけなければなりませんでしたが、それは常に不安に満ちた時間でした。

御み霊に関して御無礼があった人は、(例えば落としたりベッドや椅子につけてしまったりなど)、哀れみの目でみられ、軽蔑に似た目で見られます。御無礼を犯した人は、その他の人に比べて明らかに罪や穢れが多いとされるからです。

「御み霊を授かることによって、私たちは神からの不断のご守護をいただけるだけでなく、人様の命もお救いすることが許されるのです。」

「睡眠中もトイレにはいるときも運動しているときでも、どうしても不可能な場合を除いては常に御み霊を首にかけるようにしましょう。」
[Mahikari Primary Kenshu Reference Textbook, pg 70, 71]
e. Fear of disapproval 
  非難に対する恐怖

もう一つの大きな恐怖があります。道場の幹部は助けの手を差しのべてくれるはずの存在ですが、時には虐待的で批判的です。私の場合,幹部が助けの手を差し伸べてくれないという場面に私は遭遇したことがあります。彼らは次のように言います。『もし教えに対して疑問をもつならば、あなたは明らかに神の教えを正しくつかんでいない。』 他の信者もまた、真光の道場の中では監視役として振る舞い、大きな影響力を及ぼします。誰かが神に対して御無礼をしたり、幹部や教えに対して批判的な意見を述べたりした場合にそれがおこります。もし誰かが神に対してご無礼をしてしまった場合,それは深い罪や穢れを持っている証拠であり、もっと多額の寄付をしたり神に仕えたりすることでお詫びをすることを勧められるのです。

5. Extremes of emotional highs and lows. 
  感情の高低の激しさがある。

真光の信者には、霊査のときに感情の激しい変化がよく起こります。それは、憑依霊が信者の身体を乗っ取っているとされ、信者の様々な深い感情にはけ口を与え、叫んだり震えたり,怒ったり恐れたり、復讐心や絶望を表したりします。この霊査は時には30分ぐらい続き、信者をひどい苦痛にさらします。一般的にはそれほど頻繁におこることではありませんが。

毎月のみ祭りで配られる教えは、時として非常に厳しくて恐ろしいものです。一般的には信者は自分の生活全てを「霊的な目」で見るようにとされ、全てを真光の世界観を通じて解釈するようにと教えられます。こうして、大きな恐怖を用いることで信者自身の生活を非常に歪んだものにしてしまいます。

「私は、はかりしれない深い精神的苦痛を感じました。そして、これはおそらく神が私に行動に移すようにと望んでおられるためではないかと考えました。」
[ "Salvation from practising teachings" by LH, MAAJ Vol 17, No 1, January 1999, pg 13]

み祭りの時や、研修(初級)の最後の御み霊拝受式のとき、霊界お浄め、周年大祭、神向き会、その他信者が集まって何かをするとき、みんなで一斉に祈言を奏上したり、霊的な体験談を聞いたりすると、精神が高揚します。

多くの信者は、光を与えたり受けたりしているときにも、「霊的な高揚」の感覚を経験します。これらの経験はしばしば、疑念や不安をもちつつも教団への関与をしつづけてしまう原因になるのです。

6. Ritual and often public confession of "sins".
  儀式においてや、しばしば公の場で「罪」を告白させる。

み祭りにおいて人々が集まっている前で、信者によって体験談が読み上げられます。その体験談というものは、困難なことや感情的なことに関しての話になりがちなので、しばしば非常に感情的な状況に陥ることがあります。また、典型的なものとしては、信者は自分の内なる「間違った」考えや態度を告白し、状況が変化したことによって真光の教える真理にめざめることができた、ということをよく話します。体験談を話すときの信者は一般的にいって非常に神経質になります。なぜなら体験談を話す信者には、そのとき神様が注目していると教えられ,かつ公衆の面前で話をしなければならないからです。これは多くの人にとって非常に恐ろしいことです。なぜなら、自分がよく知らない部屋一杯のたくさんの人々に対して、自分の魂(心の奥底)をさらさなければならないからです。


7. Phobia indoctrination: programming of irrational fears of ever leaving the group or even questioning the leader's authority. The person under mind control cannot visualize a positive, fulfilled future without being in the group. 
  恐怖を植え付ける: グループを去ることや指導者に疑問を持つことに対して、得体の知れない恐れを抱くようにプログラミングする。マインドコントロール下にある人は、グループをやめた後のポジティブな実りの多い未来を、自分の中にイメージすることができない。

a. No happiness or fulfillment "outside" of the group 
  グループの外においては、なんの幸福も満足感もありえない。

もし幸せになる唯一の道が神に仕え、真の光を与えること以外にないとしたら、教団を去るということは地獄行きの魂になることを意味します。光を受け,研修を受講したのに、熱心な信者にはならない人々に対する態度は、彼らはチャンスを与えられたのにそれを逃した仕方の無い人たちだ、というものです。

b. Terrible consequences will take place if you leave: "hell"; "demon possession"; "incurable diseases"; "accidents"; "suicide"; "insanity"; "10,000 reincarnations"; etc. 
  もしそのグループを去ったら,悲惨な結末が待っている。:「地獄」、「悪霊の憑依」、「不治の病」、「事故」、「自殺」、「発狂」、「一万回の輪廻」など。

教団を去ることを決めたある若い女性は、道場(センター)の長から次のようなことを言われました。「真光をやめるとガンにかかりやすくなりますよね...。」 このような例は無数にあり、一般的にはこう言われます。「真光をやめた人は,2,3年の間はもともと持っていた良いカルマのおかげで何事もなく過ごすことができ、普通の生活にもどることができます。しかし、悪いことがそのうち起こりはじめます。真光をやめたときに感じる大きな喜びや解放感というものは、その人についている憑依霊がその人を喜ばせているのであり、憑依霊は、その人を唯一正しい道である真光から引き離すという邪悪な目標を達成したことに対して喜んでいるのです。」

c. Shunning of leave takers. Fear of being rejected by friends, peers, and family. 
  脱会者に対する忌避。友人、仲間、家族から拒否されることへの恐怖

これは常に起こっていることであり、私自身にも起こりました。1人のとても親しい友人を除いて,私は真光内の友人のすべてを失いました。最近真光を去ったある女性は、私が真光を去ったことを1年以上も知りませんでした。道場の中では,教団を去った人についての話はほとんどされません。あるとき私は街中で信者の人と出くわしましたが、いくらかめずらしいことではありますが、完全に無視されました。殆どの信者は、元信者に対して礼儀正しい態度をとりますが、真光の中で元信者についての話し合いがもたれるということはまずありません。

d. Never a legitimate reason to leave. From the group's perspective, people who leave are: "weak"; "undisciplined"; "unspiritual"; "worldly"; "brainwashed by family, counsellors"; seduced by money, sex, rock and roll. 
  グループを去るにあたっての正当な理由などありえない。グループの見地からすれば、脱会者とは「弱く」、「自制心に欠け」、「霊的でなく」、「俗物であり」、「家族やカウンセラーに洗脳され」、お金やセックス,ロックンロールなどの誘惑に負けた人とされる。

教団の見地からすると、教団を去った信者は邪神邪霊に操られ、また、自己中心的で物質主義的(物主)で、恐ろしい結末になることを運命付けられた人、という見方をされます。神の守護はなくなり、同様にして光を受けることからくる利益も得られなくなるとされます。



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