浅間日記

2013年04月27日(土)

東京からやってきた両親と合流して、山の家へ。
連休の10日間ばかりをここで過ごす。

この冬は、ついに訪れることができなかったが、
思いの外、埃もたまっていないようだ。

窓を開け、風を入れ、床や畳を拭き上げて、
今シーズンの開幕である。

2009年04月27日(月) 
2007年04月27日(金) 
2006年04月27日(木) 天国はいらない、故郷をくれ
2004年04月27日(火) よい子馬鹿



2013年04月18日(木)

三國連太郎死す。

昭和の名優がまた一人、あの世へ行ってしまった。

あまり知られていないことだが、親鸞研究に熱心であった人である。
「芸能と差別の深層」という対談集がある。

徴兵を逃れて大陸に渡るも、母親に宛てて出した手紙が
母親の手により警察に提出され、追われる身になった、という人物である。

伊丹十三監督の「マルサの女2」で演じた鬼沢鉄平という役が印象に残っている。
戦争を起こした国家や何か大きなシステムに対する個人的な怒りみたいなものが演技ににじみ出ていた。

そうだから、「釣りバカ日誌」の社長を演じた、
という締めくくり方ではちょっと可哀想だ。


2007年04月18日(水) 追悼する理由
2006年04月18日(火) ショーの役割
2005年04月18日(月) 死者を想え、次世代を想え
2004年04月18日(日) 不在



2013年04月17日(水) 絶句

Yときたらば、なんだか年中、禅問答みたいな会話をやりたがる。
世界を知り始めた4歳児というのは、小さな哲学者なのである。

この世で一番大きな数は何か?!
この世で一番強いものは何か?!
この世で一番高く飛べるものは何か?!

話題が巡り巡って、死んだらどうなるかということに。

死んだらもう生き返らないのか?と問うYへ、
命は一人にひとつ、大事にせよ、と説く。

昨今、ゲームばかりやっている子は死んでも何度も生き返ると本当に思っているということも聞くし、ここはひとつ命の教育だ、という親の下心丸出しで、長々と説教する。


すると「でも死んでも帰ってきた人がいるって言ったよね」とYが云う。



まずい。
思わぬ不意打ちに、言葉が詰まる。

一昨日Yと風呂に入った時、私は、ザ・フォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」の歌詞について、詳説をぶっていた−今のように大得意になって−のだった。

ああ、あれは、あれはねえ、と言いながら、言葉が続かぬ。

2007年04月17日(火) 美しい国の資源ごみの日
2006年04月17日(月) 魂込め
2005年04月17日(日) 嫌だといっているというのに
2004年04月17日(土) 不必要な不祝儀



2013年04月16日(火)

4月から新型の出生前診断が始まった。

妊婦の血液で胎児のダウン症などの染色体異常がわかるのらしい。
昭和大学病院(東京)などで始まり、17の医療機関が計画中で準備が整い次第、スタートさせるということだ。



出生前診断の技術は今に始まったことではないし、
その是非についてはもう少し控えめに議論されていたような気がする。
どちらかというと「寝た子を起こすな」という感じで積極的に話題にするようなものではなかった。

どうも今までの報道のされ方と違う。
新聞記事やテレビの内容に、是非を問う議論というよりも、
制度の普及に近いニュアンスを感じるのである。



ああそうか、と思ったのは、ずいぶんたってからである。

放射性物質。染色体異常。出生前診断。

頭の中でキーワードを並べると、
できれば忘れていたかった現実が暗闇から姿を現し、
私はその暗黒であることに心が押しつぶされそうになる。

あの事故は大したことではなかったことにしなければいけない、という大義のために、生まれる前に消してしまえということか。

2010年04月16日(金) 楽器のある街
2007年04月16日(月) 尊厳
2006年04月16日(日) 包帯クラブのOB活動
2005年04月16日(土) 男シンデレラ
2004年04月16日(金) 記憶の花



2013年04月08日(月) family

仕事再開。と同時にエンピツを更新。

昨年生まれた息子は、Yとともに
子どもの集団に入って日中を暮らすことになった。

静かな家の中で独りPCに向かう。



自分にまとわりついていた小さい息子が、
身体から引き離され、違う空間にいることが寂しくてならぬ。

できることならば、末の息子とずっと家で過ごしたい。
否、末息子だけでなく、その上のYだってそうだし、
小学校に行っているAも、さっさと帰ってきて家で一緒に過ごしてほしい。

母親のセンチメントからそんなことを言うのではない。

家族をきちんとつくっていかなければ、
この国はおかしくなってしまう。そう思うからだ。

法律とか制度とか、施設とか店とか、
そんなところしか心の拠り所がなくなってしまったら、
「生まれてきた一人の人間」としての誇りや喜びは
一体どこへ行ってしまうだろう。



せめて、離れ離れになっていることが寂しい、という気持ちをかみしめる。
心の中で何度も、それが失われていないことを確認する。

2011年04月08日(金) 東日本大震災 新聞と自治
2010年04月08日(木) 標準化の対極
2007年04月08日(日) 放棄狂
2006年04月08日(土) 
2004年04月08日(木) 無言の圧力


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