夜半に帰宅。皆寝静まっている。
消耗する仕事であった。ちょっとブランクがあったせいかもしれない。
出発前に、帰宅を告げる電話。
万事つつがなく楽しくやっているとのことで、 安心なことであるが、自分が不在でも皆楽しいというのが、ちょっと寂しい気もした。
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ラジオのニュースで、子育て支援拡充、という話題。
病児保育施設を増やします、と張り切っている。
悪いけれど、有難くない政策である。
だったら、子どもが病気の時ぐらいは仕事を休める社会にするのが道理ではないか。
どうせどちらも金で解決するのだったら、親と子の本質を選択せよ。
やれやれ、本日は、疲れてやさぐれ日記である。
2008年01月29日(火) 越冬辛抱 2007年01月29日(月) 2005年01月29日(土) sugarな話 2004年01月29日(木) イマジン銃社会
キューポラの街、にて仕事。 久々の旅烏である。
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このenpituという日記には、気に入った記事を登録するMy登録という機能があって、要するにお気に入り登録機能なのだが、 人々の役に立つ有用で素晴らしい日記を書く方はともかく、自分にはほとんど無縁のものである。
人様の目に触れて仕方がないものならひっそりと帳面にでも書いておけ、と言われそうであるが、人の目を意識した緊張感のある文章を綴りたいという煩悩から離れられない。
それはともかく、ほとんど稀に、拙記事をたまには読んでやろう、という有難い方が、おられるのである。
かといって、よほどの縁がなければ、その方の書いているものに向かうことがない無礼を、私はやっている。無礼なことである。
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ふとしたタイミングで、そうした無礼をしている方の書いたものを拝読した。 それはなぜかと言うと、「この日記を読んでくれた方へ」というタイトルがあったからである。
闘病というジャンルで執筆されていたその方は、7月に逝去された、という報告が、簡単に書いてあった。 過去のものを拝読すると、命の最後の輝きと葛藤が、克明に認められていた。
どうして、この方は、この最期の時にあって貴重な時間を、この何の得もない文章にお付き合いくださったのだろうか。
果たして私はこの方の、何かの救いになったのだろうか。 もう少し縁をつなぐべきだったのではないか。
今はただご冥福を祈るばかりである。
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書いたものが全て、であり、書いたことは全てである。 ネットの中へリリースされた自己表現が、意図せずに人とつながることの重みを、いささか自意識過剰なのかもしれないが、それでも感じておきたいと思う。
2008年01月27日(日) 財閥温泉 2007年01月27日(土) 2006年01月27日(金) ビーフとストーブ
明日からの仕事の準備。
君、如何に仕事をやったふりをするかだよと、相方から助言。
ユニークな方である。
親方がそういうのなら今回はこれで行こうじゃないかと、 見かけの完成度を優先して資料を作ってみると、あら不思議、 結果的にはそこそこの品質で効率のいい仕事になりそうである。
何というか、カンニングペーパーをこしらえているうちに、 すっかりその内容を覚えてしまった、という感じ。
本質に迫ろうなどと意気込んでもそうでなくても結果は同じなら、 これはこれでいいやと思いかける。
けれどもこれで準備完了と切り上げるにはどうにも気持ちが悪く、 補足に補足を重ねているうち、結果的に複雑極まりない状態になってしまった。
自分が関わるものには魂を込めなければ気がすまない性分、といえば聞こえはいいが、 客観的によい結果を残さなければ駄目なんだよなあと頭をかきかき、 こんがらがった糸をほどきにかかる。
2006年01月26日(木) 巡礼の年 2005年01月26日(水) 性根
ラジオで、森繁久彌氏の「知床旅情」。 昨年逝去されたので、追悼の意を込めてかこのところ頻繁に耳にする。
何度聴いても、頭がぐらんぐらんするようなテンポや節回しである。
失礼ながら、のど自慢で鐘一つ鳴らされる、風変わりなテンポの人のそれと紙一重、いやほとんど同じである。
けれども、私は森繁久彌さんの歌うこの歌が大好きだ。
俺が作った歌を俺がどんな風に歌おうがいいではないか、という伸び伸びした気持ちは、ボサノバの父と呼ばれたアントニオ・カルロス・ジョビン-彼の歌い方も、また相当にユニークである-に共通する。
お二方とも、歌をうたう人間というのは素晴らしい、楽しい生き物だ、 という気分にさせてくれる。
彼のように、自分の素朴で素直な気持ちを歌にして、 自由に口ずさむことができたなら、それは幸せだろうなあと思う。
2009年01月21日(水) 群集への高度順化 2007年01月21日(日) 11人の中の私 2005年01月21日(金) 英語の時間
2010年01月20日(水) |
光の記憶の在るところ |
暦の上では大寒であるが、小春日和。
少し前の話。
新春恒例の歌会始の儀が14日、皇居・宮殿「松の間」で行われた。というニュース。
歌会始は、もともとは皇室や貴族の年初めの伝統行事だそうであるが、昭和22年から一般国民からも和歌を募集し、国民参加型行事となったのらしい。
今年のお題は「光」だそうである。 10人の入選者のうち、長野県の久保田幸枝さんの歌が、地元の新聞に掲載されていた。 生まれ育った樺太での空襲を詠ったそうである。
焼きつくす 光の記憶の消ゆる日の あれよとおもひ あるなと思ふ
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光の記憶を一人で背負う、孤独と苦しさをもった人は久保田さんだけではない。
だからこそ、この歌は選ばれた。
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人の記憶は過去ではなく、今現在の一種類だ。
時代がどれだけ新しいページを繰ったとしても、その時生きた人がいるかぎり、生々しくそこに在る。 そういう意味で、先の戦争はまだ決着していないのだ。
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光の記憶の消ゆる日をかなえてあげたい、そう思う。
たとえば、未来を引き継いで行く者がその記憶を引き継ぎ、戦争の痛ましさを「過去の苦しさ」から「未来への知恵」へ昇華することができれば、この人達はその荷を下ろすことができるだろうか。
2008年01月20日(日) 2007年01月20日(土) チキンハートクライマー 2006年01月20日(金) 茶番劇場の後継者 2005年01月20日(木) マッチポンプ日記 2004年01月20日(火) 芥川賞と私
日帰り上京す。雑踏と喧騒に疲れ果てて、家にもどる。
あまりに種類の違う仕事に急旋回したから、頭が回らぬまま、打ち合わせ。
これが終われば、ようやく少し、一息つける。
何しろ、クリスマス正月をはさんで、この数ヶ月はひどいものだった。
とりわけ先週は、布団で眠った記憶がない、暗黒のような日々であった。
もうこんな、孤独な作業はやめにしたい。
そのためには、人を雇ってオーガナイズするか、又は雇われるか、 どちらかしなければいけないのだけれど、雇われるのが断然楽ちんではある。
とにかく目の前の仕事が終わってから、ゆっくり考えよう。今はだめだ。
2009年01月19日(月) 迷惑な忠告 2007年01月19日(金) 倫理オセロゲーム 2006年01月19日(木) 2005年01月19日(水) 草稿
この冬一番の冷え込みとともに、大学入試センター試験が行われた、というニュース。
Aに大学の入学試験とは何かと問われ、自分の受験をふと思い出す。
私は、大学受験というものにアグレッシブに取り組んではいなかった。 自分の未来に対して自覚がなかった、と言ってもよい。
まあ、他ならぬ自分が通る通過点としては、仕方のないものだったと思っているが、今の受験生は、自分の目の前の試練に、いったいどんな未来を託しているのだろう。
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クラーク博士は「少年よ大志を抱け」と言い残したが、真に志を立てるということは、簡単ではない。 恐ろしく厳しいハードルを、あらゆる事を犠牲にしても達成しますという宣言である。
だから、そんなに簡単に若者へ等しく説いてよいことではないような気がする。 どっちを向いても坂本竜馬で賑わう今年は、特にそう思う。
何者かにならなければ自分は駄目だとでもいう風潮の中で、若者は皆、志を立てることに躍起になり、終わらない自分探しの旅に出かけたまま帰ってこない。
そして、短い人生を自立できないまま年をとり、奇妙な大人になってゆくのである。
大志どころではなく、この自立できない奇妙な大人を如何にしてつくらないようにするかが、社会の喫緊の課題のように思う。
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社会を支えていくのは、実は立志伝中の人ではない。むしろその反対だ。
何者にもならず、平穏無事な中で「良く生きよう」と人の営みを粛々と継続する人こそ、 坂本竜馬よりも誰よりも、この国を支えている大黒柱である。
誰も彼も何者かになろうとすれば、必定、争いが起きる。 ゲーム思考に毒された社会で何者かになるということは、戦略をもって人に勝つ、という意味を持つ。
何者でもない市井の人間の存在が明るく照らし出される国でなければ、この程度の低い競争はなくならないし、真のリーダー、つまり自分を犠牲にして人の為に大志を抱く人は生まれないのである。
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子どもが10代で進路に悩むまで、まだ少し時間がある。
何者かになってほしいという欲望に、私は打ち勝つことができるだろうか。 わずかな才能や可能性を見つけては、子どもとはいえ、自分ではない他者へ何かを期待したりしないだろうか。
如何にして生きるかと悩む暗黒の中で、「良い人間になりなさい」「しっかり暮らしていきなさい」と、シンプルな光をなげかけることができるだろうか。
2010年01月08日(金) |
初めに射られる二本目の矢 |
ラジオで、ジュディオングさんの話。
「二本目の矢に射られるな」という言葉を座右の銘にされているそうである。
息子を矢で射られた大将が、護衛の不手際を責めているうちに、 矢の毒が体にまわって手遅れとなり息子は死んでしまう、という話に由来する。
一本目の矢は文字通り、息子の体に刺さった矢であり、まさに対処すべき事態である。 二本目の矢は、矢がささったことにまつわる様々な思惑を示す。
真っ先にしなければいけないことを忘れて、恨みつらみや後悔や意味のない強迫心にとらわれていると事態はさらに悪くなるのだ、という教訓と受け取った。
* なかなかよい教訓であると思う。
かくして私も、締め切りが差し迫った仕事の完成にだけ向き合い、 客がやきもきしているとか、この先仕事が来なかったらどうしようなどということは、もう考えないことにした。
これは、私の悪い癖なのだ。一人で仕事をしているせいかもしれないが。
まだ工程に余裕がある時から、そうしたことが気になって、仕事がすすまない。
二本目の矢が先に届いてしまうのである。
2009年01月08日(木) 深く根を張って生きる その2 2008年01月08日(火) 自治再考 2005年01月08日(土) 「ダメ」と「よし」の深呼吸
郵便受けをにぎわしていた年賀状も、大分落ち着いた。
年の瀬、年賀状書きに追われる時にはあんなに億劫なのに、 正月手にするのは嬉しい。
年賀状だけの付き合いというのは、あってよいのだと最近思う。 縁が切れてしまうよりかは、ずっといい。
あの人がいて、この人がいて、自分の輪郭がある。
しょっちゅう会う人だけがそれを形作るとは限らない。
年賀状に限らず、疎遠になった人に季節の便りを出すということを、 ちょっとやってみたくなった。
2008年01月06日(日) 蔵出し年頭所感 2006年01月06日(金) 綱吉公の生き様 2005年01月06日(木) コドモ銀行券の品格
気がつけばPCの前にいたまま年の瀬を迎え、 気がつけば再びPCの前で業務が再開されている。
確かに正月休みは山の家で過ごしていた。 静かな、いい正月だった。
「ポンペイ最後の日」をななめ読みし、ストーブの薪割りをし、 チャップリンのサーカスを観た。
正月の酒を酌み交わしながら、父がやたらと民族が滅びる時について語るのを、どうしたのかと思って聞いたりもした。
初夢はねずみが出てきたが、それは久しぶりに使う山の家の掃除をしたからで、縁起のよさとはかけはなれた代物だった。
しかしこうして再び仕事を始めると、なんだか夢か幻のようであった。
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今年こそ法人成りしたものかどうか、Hと相談する。
こんな景気の悪い時に起業など無謀極まりないが、このままでは営業上どうも中途半端である。
立ち行かなくなったからといって、まさか身ぐるみはがれたりはしないだろうし、 無借金経営だから失うものもない。
どうしたものか。
2009年01月05日(月) 深く根を張って生きる 2006年01月05日(木) 未来志向な遊び 2005年01月05日(水) 人生の成長曲線
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