浅間日記

2004年04月30日(金) 記念行事の押し売り

地元の新聞を読む。

祭りやら花の開花やら鳥の飛来といった
素朴で楽しいニュースとともに、
憲法改正論議の様子が掲載されている。

国会に設置された憲法調査会は、来月5月に最終報告をまとめること。
来年11月の自民党結党50年にあわせて党改憲草案をまとめるよう、
小泉首相が指示したこと。
一方民主党の管直人代表は、憲法制定から60年の2006年をめどに
改正案を取りまとめる意向を表明したこと。



よくわからないのであるが、
自民党の結党50年と憲法改正に何の関係があるのだろう。
となると、結党60年や70年の際には、また改正したいのだろうか。

とにもかくにも、
そういう記念行事は自民党員間の遊びごとにとどめて欲しいし、
そのような予定調和的な目標を、首相という立場で発言しないで欲しい。
これは、国民に議論でなく諦めを強いるための装置だ。

不快である。



2004年04月29日(木) 気の抜けたビール

気の抜けたビールのように一日を過ごす。
年に数回、マラリア熱のようにこうなる。
しかも自分はこの気分を楽しんでいるのだから、
まったく手に負えない。



そういえば昨日新宿駅のホームで、
絶対君は歩けるでしょ、と言いたくなる年齢の子どもが
ベビーカーにはちきれそうに押し込まれていた。
実は結構よく目にする光景である。

これに縛り付けておけば彼方此方ウロチョロしないし、
早く移動できるから歩かせるより輸送してしまえという算段なのだろう。
こういうものがないと子連れで都会を移動するのは至難の業なのである。

過日六本木の回転扉で死んだ子どもの水面下には、
こういう、都会の子ども達の生態がある。

少し前になるが
もう排尿のコントロールができるようになったAであるのに
万が一の粗相を気にしオムツを穿かせようとする母親へ向かって、
人間の尊厳に関わる問題だからやめなさいと、父親が言った。

この人はいつも、いちいち大仰なことを思いつくものだと
その時は変に感心したものだったが、
ベビーカーで輸送される子どもをみて、そのことを思い出した。

死ななければよいというものじゃないのだ。
人生には質というものがあり、
幼少期の人生の質と、身体機能を余すことなく発揮できるということは、
とても深い関係があると思う。



2004年04月28日(水) 奴らの足音のバラード

既に繁忙期に入っているこんな時期に移動は嫌だったけれど、
やむなく日帰り上京。

今日は早めに戻れて嬉しい。
加えて、極めてプライベートにデリケートに
私を嬉しくする知らせがあり、今日はまったく良い日だった。
夕映えに沈む、山々のシルエットが美しい車窓。



景観緑三法の概略を読みながら、過日、国会前で
「イラクの人質を救って!」とか訴えていたあの手の横断幕や看板は、
この法案が施行されたら、即刻、景観阻害要因として
撤去されるんだろうな、と想像。

この時期の景観規制とは、
ナチスドイツの「わが村を美しく運動」を思わせて、
どうしても警戒してしまう。
このように着手できるのなら、何故バブルの乱開発の時にやらなかったのか。

何がしかの法律を適用すれば、国家権力が土足で家や生活や家族に
入ってこられる準備が着々とすすめられている、気がする。

でも、この国がどんな事態になっても、
私の心の中までは入ってこられないはずだ。



2004年04月27日(火) よい子馬鹿

所用で川向こうの地方事務所まででかける。
庁舎の広いロビーの壁に、虐待防止のポスターを見つける。
泉谷しげるというタレントの、凄みを利かせた写真と
「許せねえ、児童虐待」というキャッチフレーズ。

厚生労働省の担当課は、「怒り」をテーマとしてデザインしたとのこと。
虐待に対する国民の通告の義務に関する啓発も
その目的に含まれているようだ。

0.1秒の速さで違和感の反応。
こんなネガティブなキャンペーンを打って、
虐待は本当になくなるのだろうか。
それとも、そのように思う私は、どこか認識が甘いのだろうか。

「ゴミを捨てるのはやめましょう」「海や山をきれいにしよう」
このような、まったく人の心に届かない偽善的な
公共用語が今までどれだけあふれてきたことか。

子どもに虐待をしてしまう大人は様々であるが、
事後にひどく後悔するというのも、一つのパターンだ。
そんな、自分でさえ自分を嫌悪している大人に対して、
こんな暴力的な言葉で追い詰めて、何が楽しいのだ。

罰することばかり上手くなって、救済の知恵がない。
悲劇であり社会全体で止めなければいけないことは、
こんなポスターなんかなくったって誰もが承知なのだ。

親子であることは素晴らしいこと、
親子の愛情は何ものにも代えがたいもの、
それを損なわれている、子どもに手を上げてしまうあなた達は
自分達が不幸なのですよ、でも幸せになる方法はありますよ、と
どうして言えないのだ。

件のポスターは学校に張り出されているようだが、子ども達に
親というのは悪いもの、自分に危害を加えるもの、
一緒にいないほうがよいもの、と思わせたいのだろうか。

自分の子どもが「親による虐待」という概念を知る日、
それもこんなポスターによって知ってしまう日、
私はどういう説明の言葉を用意すればよいのだろう。



2004年04月26日(月) ほどほどの喜び

元日本マクドナルド社長の藤田田氏が逝去。

M社が全盛期で「一人勝ち」という言葉が流行った数年前、
新聞で「進出当時は『母親の味に勝てるわけない』と悪口を言われたが、
マクドナルドのハンバーガーを食べて育った今の大人にとってはこれがお袋の味。
勝てば官軍だ」と豪語していた人、という印象。

会長職に就いた頃からは、赤字経営になり苦しい最後であったようだ。
仏前に供えるのは、フライドポテトとビッグマックか。



Hがまた仕事の帰りにタラの芽を採ってきた。
この人は私が喜ぶと思うと、あきれるほど際限なく同じことをしてくれる。
さすがに食傷気味であると、控えめに正直に告げる。
今日は夕飯にゲストをよんであるから大丈夫だとのこと。やれやれ。



仕事の段取りを再整理し、端の方からまたとりかかる。
万里の道も一歩からなのだが、ときどきそれを見失う。

仕事において「山のようにある」とか「果てしなく」というのは、
一足飛びに結果を出したがる私の平常心を奪ってしまう。
何事も「段取り八分」を心得としているが、まだまだ修行が足りないのだ。



2004年04月25日(日)

グールドのゴールドベルグ変奏曲は、
もうすっかり週末を過ごすあの家の一部分になってしまっている。

まぶしい木々や水の音、遠くの山々を眺めながら、
海に浮かぶ小舟のように自由闊達な旋律を楽しむ。

ぼつぼつあらわれはじめたツバメ達も、畑の虫でさえ、
この歴史的な名演に耳をすましている。

Aは年上の友人に囲まれ楽しそうだ。
Hはその絶腕を誇る天ぷらのための、独活やタラの芽の採取。
私といえば、変な怪我をしないように細心の注意を払った週末。



2004年04月23日(金) 検分上手な話

新しいニュースではないけれど、
アメリカへの入国許可事情が近々変わりそうだ。

日本を含む、短期滞在者のビザが免除されている27カ国に対して、
アメリカは、MRPという機械読み取り式で、なおかつ
バイオメトリクスとよばれる生体認証データ付きの
新旅券の使用を義務付けるのだそうだ。

今年の10月26日、という明確なリミットがあるのらしい。
今日目にした記事には、リミットを2006年秋まで延期するよう、
パウエル国務長官が米議会に要請したと書いてあった。

日本では、この生体認証技術を掲載した新型パスポートに切り替えるべく、
2005年の通常国会で旅券法改正案の提出を予定している。



情けないばかりなのであるが、色々よくわからない。
こういうときに専門家をすぐ呼び出せる身分の人がうらやましい。

入国管理を厳重にするのはよいけれど、
毎度のように、国際社会の中でアメリカがいの一番に、
しかも他国の安全や都合は関係なくそういうことを言うので、
違和感と嫌悪感が満載のニュースなのである。

入国管理は、どの国でも等しい基準でなければ意味がない。
危険な人物に国際間の移動をさせない、という視点は
彼の国にはないのだろうか。

それに、バイオメトリクスだ。
気味の悪い検分や識別をされ、
アメリカ入国管理局のデータベースサーバなんかへ
自分の身体の情報が記録されるぐらいなら、
別にもう一生行かなくてもいいやと思ってしまう。

改正法案が国会で審議される時には、
またアレコレ議論があるかもしれない。



2004年04月22日(木) 覚悟と決意のトレーニング

昭和50年代に作成された、ブラジル日系移民のドキュメンタリービデオ。

コロニアと呼ばれる日本人移住地で暮らす
移民一世、二世、三世たちの様子。移民開始70年の祝典。

移民一世達の、移住にあたっての覚悟と決意は相当だったに違いない。
若しくは、異国への想像力が至らなかった故の見通しなき決断か。

番組には2歳や3歳で移住した人も多く登場する。
「次男だったので、移民に出されました」
「ブラジルへ着いて間もなく父親が死んだので、暮らしは大変でした」
シンプルなコメントの背後を勝手に想像して胸を熱くする。

安住できる岸辺から離れ、もう元へは戻れない状態でいることの
不安や恐怖を乗り越えながら、先へ進むもうとする覚悟と決意は、
人間を強く成長させる何かがある。美しさを帯びた何かが。

現代社会では、
そういう果てしない距離や時間や価値観は、絶滅してしまった。
そして気が遠くなる程の覚悟と決意は、現代人に無縁となった。

今ではほとんどのことにおいて、「もう戻れない」ということがない。
気に入らない服は返品すればいいし、結婚に不満ならば離婚すればよい。
仕事がいやなら辞めればいいし、別に我慢することがよいことではない。

だからこそ、自分が大切に思うことに対しては、
意識して、覚悟と決意を持ち臨んでいたいと思う。
この覚悟と決意という心の体力は、
一度失うとなかなか元には戻らない。



2004年04月21日(水) 修繕・トマト・夜道

書いた日記を直すというのは、一体どういう了見な訳だ、と
自分を問いただしながらも、衝動を抑えきれず所々修繕する。

他の人が過去の日記を削除したり加筆したりすることは
特別何とも思わないし、やりたければぜひそうするべきだと思うのだけれど、
自分がそうすることについては、なんだかとても
品性のない行為に思えて、恥ずかしい限りだ。

しかし違和感を感じる文章というのは、自分のそれに限って、
どうにも許せないのだ。座りが悪いのである。



フランスのル・モンド誌が、人質になった日本人3名の、
日本におけるバッシングを非難する記事を掲載したとのこと。

Hによると、チャレンジに対してとりあえず賞賛を惜しまないのは、
ヨーロッパにおける高所登山者への評価と似ているのらしい。

自分にはできない発想をもち、実行しているという点で、
まずはそこのところを褒め称えてあげましょう、ということである。
これはひょっとして大航海時代の名残なのだろうか。

でもきっとその賞賛は、当たり前のことだけれど
「自分達の生活と権利を損なわない範囲でなされたこと」というのが
大前提なのだろう。
労働条件を巡り、農業従事者がトマトを街中に撒き散らすような
激しいストライキをやる人達だから、フランスという国は、
きっとそういう時には猛烈に怒ることができる国だと思う。



地域の野暮用を済ませ、HとAと3人で夜道を歩く。
星空を見ていたら、いつともなく「いつでも夢を」を口ずさんでいた。
昭和37年、戦後から高度成長期に入る頃、歌われた歌だ。

悲しみから立ち上がる暖かくて力強い歌だけれど、
何もかも失った後の歌、でもある。




2004年04月20日(火) 現代鬼子母神

仕事を休み、東奔西走。
夏のお楽しみの、色々な仕込だ。
人と会い、段取りを付け、工程を組む。



子どもの虐待に関する調査。

虐待をする母親を形容するに、何故か「馬鹿な」となるのは、
そういう非人道的な行為をするのは無知で無教養だからに違いない、
という理解なのだろうか。
そうであれば、知的で教養がなければ母親にはなれないのだろうか。

虐待とか少子化を評価できるほどに、
今の社会は出産育児のメカニズムについて情報を共有できていない。
そんな中で虐待防止法なんか存在していいのか、
実はちょっと問題に感じている。

暴力は暴力として、子どもも大人も老人も、
また他人も家族も関係なく予防が図られ、
罪は罰せられなければいけないと思う。

少年法もそうであるが、犯罪自体に変な冠をつけるから
話がややこしくなるのだ。

WHOによる「出産科学技術についての勧告」という
ヨーロッパ・アメリカ地域事務局が作成した勧告がある。

産む女性が満たされ、安らかになるための配慮や、
親子関係で最も重要な最初の出会いである出産に
配慮すべきことが書かれている。

例えば「健康な赤ちゃんは母親の元にいなければならない。
健康な赤ちゃんの観察のために母親と離れる正当な理由はない」など。

WHOの西太平洋地域に属する日本には効力がない。また強制力もない。
この勧告を満たしていると認定された病院・医院は、日本で30に満たない。
求める女性は多い。そして残念ながら認めない医療関係者も多い。

しかし、幸福な産後感と、育児への自信や愛情との関係は、
国の研究機関でも追跡調査が行われ始めている。

普通に社会に暮らす大人は忙しくてこういうことに考えが及ばないし、
科学的な知見や政策にあまり関心もないけれど、
虐待という事件の悲惨さは理解できるので、とりあえず
首謀者である母親を「無知で無教養な」という安易なカテゴリに納めて安心したいのだろう。
でもそれでは、スケープゴートというものだ。

誕生とは、どういう現象なのか。
親子とは、一体どういうつながりなのか。
そして、親が子どもを殺すということは一体どういうことなのか。
少し勇気がいるが、悲惨な事件の向こうにあるものに対峙する必要があるのだと思う。

この世の全ての人が誰かの子どもとして存在しており、
また同時に親であるかもしれないのだから、
誕生学とは一考に価するテーマなのである。

可哀想なのは、
恐怖と苦しみの中で短い生涯を遂げた子どもだけではない。
現代の鬼子母神は、自分の子どもと知りつつこれを喰らって
涙を流すのである。




2004年04月19日(月) 駄考の日

あたたかい雨が朝から降っている。
事務所にて仕事。

ああ、書くことがない。
こういう日があっても悪くないはずだ。
時事社会ジャンルだろうがなんだろうが、
これは日記だし、私は新聞記者じゃない。

それにしても、WEB日記とは本当に不思議な現象だ。
考えれば考えるほど、底知れない存在だ。
何故書くのか、何故読むのか、何を書くのか、誰に向けて書くのか。

こういう目的と対象でジャンル分けしたら面白いだろうに。
「東北地方に暮らす17歳男子高校生徒に向けた、
53歳サラリーマンの住宅ローン返済日記・やや演出過多」、とか。
いやいや冗談がすぎるか。

ところでWEB日記を書いている人のことを
「作家」などと表現するサーバーがあるけれど、
ただ利用者を喜ばそうとしているだけのようで、
あれは、ちょっとわざとらしい気がする。



2004年04月18日(日) 不在

晴天の日曜日。

昨日からHが不在。
こういう日、私とAは独特の親密な時間を過ごす。

おそらく私が不在の時のHとAも、
同じように過ごすのだろう。

そしてA抜きでHとシングルモルトを楽しむ夜も、
また楽しからずや、なのである。

こうして、たった3人のささやかな相互補完的関係は、
未だ日浅いものの、確実に深められていくのであった。



2004年04月17日(土) 不必要な不祝儀

過日、車内に置き去りにされてしまった子どもの、
通夜や葬儀はもう一段落したのだろうか。

亡くなった子どもは1歳というから、
このような不祝儀は全く予想も必要もなかったことだろう。

事件からずっと頭を離れなかったが、
なかなか整理がつかない出来事である。

車内に置き去りにされているのを確認した母親は、
妊娠し新しい命を宿しているとのこと、影響が心配である。
これからいいことずくめだったはずなのに。

重い十字架を背負わされてしまった夫婦を、
この上なく気の毒に思う。

妻は夫を許すことができるのだろうか。
夫は自分の子どもを奪われてもなお、「人の命を助ける」
医師という職を継続できるのだろうか。

新しい命を自分の人生に迎え入れることは、
それなりの覚悟が必要なのだ。
特に男性の場合は処方が難しい。

父親として十分な祝福をうけ、
妻と喜びを分かち合い、
新しい命をたっぷり慈しむ。

儀式としてこういう時間が少なくとも1年は必要と思うが、
現代社会の父親にはなかなか保証されない。
父親としての権利が損なわれているのだ。

子どもの冥福と、
夫婦がこの困難を乗り越えられることを祈りつつ。



2004年04月16日(金) 記憶の花

この辺りの人は、満開の桜に執着しない。
次から次へ、花が咲き乱れていくからだ。
彩の鮮やかなところでは、桃、木蓮、ボケ、芝桜、蒲公英、躑躅。
そして地味ではあるが心和ませる菫、姫踊子草、フグリ達。
山あいでは、山桜がぽつぽつと点景を添えている。

日射量が全国トップクラスで多いというこの土地では、
花達は、それはそれは鮮やかに開花する。赤い花はきちんと赤く、
桃色のそれは、遺伝子に織り込まれた設計に過不足なく、
正しく桃色に発色する。

「日本人が忘れっぽい気風なのは、四季の変化があるからだ」という話は、
忘れっぽいのは愚かしい特性だという意味を言下に含ませて、
よく言われることである。

春の柔らかな日差しと咲き乱れる花のなかに居て、
ああそれは仕方がないことだ、と観念する。
モノトーンの氷の世界からこの色彩溢れる世界への移行は、
同じ人間に別の感性や思考をもたせる力がある。

この溢れる太陽の光の前で、人間の意志や記憶などささやかなものだ。
太陽神に挑んで焼かれるイカロスじゃないかぎり、
春には春の考え、冬には冬の心構え、秋には秋の思い、
夏には夏の意志という順応方法が存在しても仕方なかろう。

そして少し弁解しておくと、
日本人というのは、出来事を忘れているのではなくて、
考えを一度封印しているだけなのだと思う。

そもそも人間は、課題が深刻で根本的であるほど、
長く考え、思い続けることに精神が耐えられない。

僧侶や哲学者のような、考え続けることが使命である人ならまだしも、
普通の人が日常生活を維持しながら考え続けるには、
休息と思考とのバランスが必要である。

またそうした休息は、よりよい思考のためにも必要である。
筋肉トレーニングがそうであるように。

おそらく、
同じ季節が巡って来た時、季節の空気や色や匂いとともに
一年前、十年前、五十年前の出来事を記憶の納戸から引き出し、
虫干しするように検証するのだ。
夏の時期にだけ、戦争や原爆や平和のことを考えていた(過去形であるが)のも、
きっとそういった理由なのだと思う。

そのような四季のリズムと共に生きることを許されない現代社会で
人々が何かを思いつめたり心を病んだりするのは、
誰が悪いとか劣っているということではなく、
これはもう仕方がないことなのだ。

何世代かかけて、新しい休息と思考のリズムを作っていくしかないのである。



2004年04月14日(水) made in Japan

単身日帰り。もう出なくては。

昨日の続きをちょっと考える。
イラクのことより、日本のこと、について。

そういえば日本は
毒ガステロの起きた国だったっけ。
優秀と言われた人たちが、
易々と教祖の言いなりになったんだっけ。

イラクの人道支援をするのはいいけれど、
鬱憤を貯めた日本人の中から、
新しいテロ組織が生まれ、made in Japanとして
世界にばら撒かれないかという方が心配。

性能はいいだろうから大変なことになるだろう。
こんなことになったら、産出国日本の小泉政権も、
物笑いの種ではすまない。

杞憂に過ぎないと思いつつ。

イラクの問題で、
専門家が一生をかけて研究するに値するような異国の情勢を
瞬間報道で語るよりも、
自分達の足元をよく見て、
自分の生活の範囲で満たされて生きることが大切だと思う。

そして、満たされた生活を侵されない、ということが、
説得力のある平和祈願だと思う。

呆けていると言われても、これしかできないのだから仕方がない。



2004年04月13日(火) 阪神ファンじゃないのに道頓堀に飛び込んだ人

午前中事務所にて仕事。

今ネットの世界は、イラク邦人拘束事件で飽和している。
まっとうな持論を展開する人もいれば、
ひどい中傷の情報もある。

イラクの問題なんか、結局どうでもいい人が
ほとんどなのではないか?という気がする。

結局のところコメントする人の動機は、
学校がつまらない、仕事がうまくいかない、部下がダメだ、
上司が理解がない、お金がない、人から馬鹿にされた、というような
そういう自分への直接的なマイナス経験の捌け口や、
何となく日常生活が憂鬱で面白くない自分自身への存在確認なのだと思う。

それは正論を述べる人も、そうでない人も、だ。
ネット上で誰かが読んでくれる、賛同してくれる、
こういうところで、自分が息をしたいだけなのだと思う。

それだけ日本人が、老若男女日々鬱憤を貯め、
人との人間らしい交流に欠け、
こういう形でしか自己表現できないということなのだ。

はっきり言ってイラクのことなど、私はほとんど知らない。
だからどちらかというと、日本でのこのマスコミの状況とか、
それをとりまく人々の閉塞感の方に問題を感じるのだ。

午後から外出。
車が使えないので電車。



2004年04月12日(月) マンガさん

まるでギャグマンガのように、
暗闇で柱に顔を、それも目玉をぶつけて、
片目が開かなくなってしまった。

深夜痛みで唸っていたら、Aが泣き始める。
「それどころじゃないんだよ!」とうずくまるも、
「そんな事態はありえない!」と却下するように、再び泣く。

ホメオパシー(逆症療法)のレメディという丸薬を試すのに
良い機会だとばかりに、適合するレメディを探す。
「角膜の擦り傷」という事例にとりあえず当てはめることにして、
「カレンデュラ」なる丸薬を舌下に服用。
10分後にまた服用。
翌朝また服用。かなり自己流だ。

本日念のため医者へ。
いかにもコンタクト専門という感じの、駅前の怪しげな眼科にて診察。
レンズの誂え客に飽き飽きしていたらしき若い医者が、
いかにも患者な私の目を、結構丁寧にみてくれた。
14インチモニターには、角膜の傷がよく映っていた。
放っておいても四・五日すれば治るとのこと。



2004年04月10日(土)

Hは遭難事故検証の取材協力で行ってしまった。

今日はジャガイモの植え付けをするのだ。
「キタアカリ」という種類。
時間が許せば、今シーズン初の草もちも作ろう。
あそこのヨモギは格別に香りが高いから。



2004年04月09日(金) somebody laughing inside

早朝の新聞で事態を知る。
コーヒーをすすりながら、Hとアレコレ談義。

マスコミは、
混乱を極めることが分かりきっていた会議の、
議事録づくりばかり、上手になっている。

国という機関は、大量の人・モノ・金を動かしていて、
その重い足かせのために、民間では信じられないほどフットワークが重い。

なにしろ「考えを改める」ということが非常に不得意である。
一人一人の職員は間違ったことを認めていても、
組織として間違っていたと表明することを本当に嫌う。
これほどの大立ち回りであれば、なおさらなのだ。

小泉総理はそのうち、持論の「テロに屈しない」を押し通すため、
「自分で行ったんだから、つかまったら国の負担にならぬよう、自害せよ」と
言い出す可能性だって、十分考えられる。

いずれにしても、
国民には、戦争に巻き込まれない権利というのもあるはずだ。





領地を侵略して植民地政策をとるという19世紀のスタイルは、
宗主国にはコストパフォーマンスが悪いので
今は「経済」というカードに切り替えられている。

いつのまにかこっそりやることができるし、
食いつぶす国の環境や教育、貧困の問題なんかに
関わらなくてすむからだ。

だからこれは、誰が誰に危害を加えているのか、
よほどよくウォッチングしていないとわからない。
彼らは「平和」とか「安全」とか「国家」「宗教」という名でもって、
周到に、入念に、化粧をほどこしている。

彼らによってひどく人生を損なわれている人も、
何が一体そうさせているのか、図ることが難しい。
もやもやとしたあきらめと、怒りと、悲しみだけが残る。

もうこんな馬鹿なことはやめにしようと思ったところで、
「セリ場」の存在をつかみ、「賭場」を閉鎖させなければ、
ゲームは終わらない。
とにかく、19世紀と同じ頭で平和を考えていてはだめなのだ。

この風で笑う、桶屋は誰だ。



2004年04月08日(木) 無言の圧力

父と母の正月休みの娯楽がパズルから映画鑑賞に変わったのは、
レンタルビデオというのが普及し始めた頃だから、
もう随分前のことになる。

そのラインナップの中に、クロード・ルルーシュ監督の
「愛と哀しみのボレロ」が入っていた理由は、
今ではもうわからないが、たまたまだったと思う。

ただでさえ難解なフランス映画、それも3時間も続くものを
正月の酒盛りの慰めに見ようというのだから無茶もいいところなのだ。

とにかくラストシーンの、ジョルジュ・ドンによる素晴らしい舞踊見たさに
アルコールで稼働率50%の頭を家族全員分あわせ、
「あの時のあれがあの人だ」、「あの台詞の意味はこうだ」などと、
ストーリーを追いかけていた。

それでも解明できない下りが翌年の宿題となって、
いつしかこの映画は、正月の定番となっていた。

そうした正月を何年か経て、ストーリーはもちろん、
映画のあちこちに潜んでいる仕掛けや、役者の演技まで
すみずみといっていいほど味わい尽くしてしまった。

いつしか私たち子どもはこの恒例行事から離脱し、
他の楽しみや過ごし方に目を向けるようになった。

そして両親だけが、毎年毎年この映画を、
もう飽きているはずなのに儀式のように見ていた。

さすがにそこまでやられると、
「戦争と平和について年初めに考えるため」に見ていることぐらい
何も言わなくてもこっちに伝わってくる。

まあこれは、大人になってから親に何かを教わる、
数少ない出来事なのだ、ということにした。

ところが私がそう感心したのを察知したとたん、
「役目は果たした、次の世代も平和でたのむ」とばかりに、
一昨年あたりから「奇人達の晩餐会」をメインに据えた、わが親である。

やれやれ。まあAともちゃんと見ますけどね。
ジョルジュ・ドンを。



2004年04月07日(水) 愚民ちゃん

Hが借りてきた、水木しげるの「総員玉砕せよ!」という本。
読後彼は、眠れなくなるほど気分を落ち込ませていた。

Hは素直でゆがみのない性格であり、
そこが私も気に入っているのだが、
その汚れのない典型的な反応は時々鼻につくので、

「やれやれ良い子はどんな平和が好きなのかな」、と
実はちょっと意地悪な気持ちで私も読んだ。
そしてやはり、落ち込むことができた彼は素直な性格だと思った。
私はそんなに素直に哀れむことができない。

著者を含む兵士達が、異国の島で
まるでゴミのようにむなしく命を失っていく一連のほぼ実話に対して
私のように「愚民ちゃんの成れの果て」、という感想を持てば、
作者や遺族は怒髪天をつくかもしれない。

でも、玉砕命令なんか無視して逃げればよかったのだ、逃げれば。
国のために、たった一つしかない命を粗末にするのは愚民だ。
命を懸けて逃げるべきだった。

たぶん、法律と既成事実の積み重ねという毒を徐々に盛られ、
気が付いたら、玉砕せよ!と言われればそうせざるを得ないほど
「国家病」におかされていたのだろう。まるでオウム信者の洗脳だ。

しかし徐々にそうなる前に、
「そういうのは嫌だ」と動かなかったから、そうなったのだ。
そこのあたりが「愚民ちゃん」なのだと思うのだ。

でも本当に一番憎たらしいのは、
普通に青春を過ごし、恋愛をし、家庭生活や社会参加をしている人々が
日常的に考えなくてもよいこと、また考えや行動が及ばないことに対して
判断を強いるその状況だ。
本来愚民などと呼ばれる筋合いのない人をさえ、愚民にしてしまうそれだ。

どうやって殺されないで生き延びるか(それも国策によって)、
などということを市民が日々考えなければならないのならば、
そんな国も、政治家も官僚もお払い箱だ。

愚民ちゃんには、なりたくない。

私は何故、どうして人々がああも硬直して、
自分の生存への意志を無くしていったのか、
そのシステムが知りたいのである。



2004年04月06日(火) 上野公園のアコーディオン弾き

子どもの頃、春休みといえばよく上野公園へ出かけた。
そこで毎年のように、両足がない物乞いの老人を見た。
軍服を着てアコーディオンを弾き、
「戦争でこんな身体になってしまった私にお恵みを」、
というような立て札がかかっていた。

低学年であった私は、違和感を笑いに変えながらも、
同時に何かをインプットしていた。

休み時間、友人と語る身の上話のなかで、
「おじいちゃんは戦争で死んだ」というフレーズは、
今の子供達にとって「親は離婚した」と同じぐらい、
普通に在り得るものだった。

夏休みに出かけた父の田舎では、日傘を差した黒い服の人々や、
家々から立ち上る線香の匂いを嗅ぎながら、海や山で遊んだ。
課題図書の一つには、必ず戦争の本が入っていた。
夏休みとはそうするものだと思っていた。

子ども番組は、笑いの後ろに、暗さを秘めていた。
みなしごとか、貧しさ、世の不条理といった設定を背景に、
華やかなカラーテレビの映像にも、それはくっきりと映っていた。

大人向けのドラマ番組は更に暗く、戦争を取り扱ったものも多かった。
演じる役者も、それをブラウン管のコチラからみる大人も、
表情は一様に暗かった。

学校へ出かける前に見ていた朝の連続テレビドラマでは、
空襲警報に防空壕へ避難する場面や、
赤紙と呼ばれる召集令状に怯え悲しむ家族、
公安に連れ去られる人々、万歳三唱を受けて列車に乗る男、
遺骨を抱いて汽車に乗る女、などが放映されていた。
兵士の安全を祈願する千人針という習慣も、「りんごの唄」も、
掛け算より先に、自然に覚えてしまった。

自分は戦争を知らない子どもたち、などでは決してないと思う。
なぜならば、親や身近な大人達の瞳の中や、息遣いに残る
戦争の匂いを、ちゃんと知っている。

あれから数十年を経た今日、またこの匂いがしている。
東京駅に配置された「爆弾を嗅ぎつける犬」には、
これは嗅ぎ分けられない。



2004年04月05日(月) 病名告知

無事未遂に終わるも、スペインで再び爆破テロが発覚し、
電車での移動も生きた心地がしない中、日帰り上京。

駅前の駐車場は夜間閉鎖を知らせていた。
係員は駐車している車のナンバーを控えていた。
駅の構内は警察が警備に立ち、
乗り込んだ車内では、鉄道警察が見回りに来た。

国鉄時代の置き土産のような車掌が、車内で
水を得た魚のごとく高圧的な態度。
図に乗るなよ、の意を込めて、一瞥をくれる。

こういう時代だからこそ笑顔で対応するのが
本当のサービスというものだろうが、と思った瞬間に、
「こういう時代」などという言い回しをした自分に悲しくなった。
どういう時代だというのだ、と反問す。
戦前、という言葉より他に回答がないことを認め、
また心の底から悲しい気持ちになった。

余命いくばくもない病名の告知をされた瞬間は、
こういうものだろうか。

自分のいる世界は、既にひどい病魔におかされていて、
こういうものと対峙していかなければならない事実。
きっとこの悲しい気分は、車内から世の中へ蔓延していくのだろう。

車窓から見える、晴れ渡った空に白く輝く山々を見ても、
私は本当に、ただやるせないだけだった。



帰路。
すっかり疲れていた上に、行きと同じ心境になるのはもう嫌なので、
慰みに購入した泉鏡花の「天守物語」と「夜叉ヶ池」を車中にて読む。
幾分助けられた気持ちになる。

家に帰り着き、山から下りてくる冷気を吸い込み、
ふりそそぐ蒼い月の光を浴びて、
さらに、かなり回復する。

とにかく明日考えよう、明日だ。
ラストシーンの、スカーレット・オハラの心境だ。



2004年04月04日(日) 春の引き潮

寝しなに降っていた雨は、朝みぞれ雪であった。
咲き始めた桜には災難なことだ。

この時期、天気は急上昇、急降下するので、
暖房器具や服の入れ替え作業にあたって
その見通しを間違えるとひどい目にあう。

そして5月の連休までは、暖かさ寒さの変化に
気持ちも一喜一憂するのだ。

押しては返す波のように、行きつ戻りつしながら、
いつしか初夏になる、これが信州の春である。

子どもの成長も同じで、今日のAは赤子のごとくである。



2004年04月03日(土) 第一声

Aと家中を掃除。

市報に新市長挨拶を読む。
のっけから、ミヒャエルエンデの「モモ」を引用。
なかなか素敵なセンスではないか。

市長としての第一声にあたっては、
大層考え抜いたのだろう。
そういう試行錯誤の結果が読み取れる。




2004年04月02日(金) 現代人に「ウサギと亀」は創れるか

隣に住む家主のマダムK −親愛の情を込めてこっそりこう呼んでいる− は、気さくな女性で、時々訪れると茶飲み話に誘ってくれる。

もっぱら畑仕事に追われる話や、諸々の世間話を聞かされるのだが、
時々目撃する野生動物(地方都市といっても森に囲まれたこの辺りでは、
まれに猿とかイノシシ、ハクビシン、の類が出没する)に話が及ぶと、
「今日どこそこで○○と行き会った」と表現する。

マダムKだけでなく、この辺りのお年寄りはみなそう言う。
そして何をしていたとかどんな風だったかということを、
とてもよく見て話すのである。

「伊那谷の動物たち」という本には、半世紀前の南アルプス山麓で、
村の猟師や村人達が動物達と深くかかわりながら生活している様が
書いてある。

人間と動物達は、殺したり殺されたり、騙しあいをしたり、
子育てを学んだり食べ物を共有して、一緒に生活している。

「産後の肥立ちが悪い女性には、猿の胎児を焼いて食べさせた」と書かれた
次のタイトルで、「猿の温情熱い子育て」について書かれていたりする
そのふり幅に、現代都市生活者の私は驚かされる。

前出の、マダムKの「行き会う」という言葉の中には、
そうした動物との豊かな交流の名残を感じるので、
この言い回しを初めて聞いた時には、
軽い感動をおぼえ、すっかり気に入ってしまった。



絶滅の危機に瀕しているトンボを救おうとか、その類の自然保護論に
どうも心から賛同できないのは、人間が高見から見下ろす(又は下から仰ぎ見る)ような姿勢だ。
同じ理由で、昨今流行の環境教育もちょっとアレルギーがある。

何故自然を大切にしなければならないか、生物多様性が重要なのか。
もうそろそろ、その理由に「人間の心の豊かさや心の安定に欠かせないから」ということを現実的な問題として入れて欲しいと思うのだ。

ペットブームやアニマルセラピーなどの現象から、
本質的な部分について、もう一歩掘り下げるとよいと思うのだ。

というようなことを考えていた矢先、
「自然環境共生技術フォーラム」という団体の理事をつとめる
鷲谷いずみ氏が、ニューズレターにこのような巻頭言を寄せていた。

「日本列島に住む人々は太古の昔から、その自然の移ろいやすさをよく理解していたようだ。しかし、人々は、そこに諸行無常だけをみていたのではない。常に同じ場所が瀬であり淵であることはなくとも、川には常に瀬と淵の繰り返しがある。狭い範囲で見ると変化が大きくとも広い視野で見れば一定である。また、一見無常のようでも、変化のあり方が有常であれば、人々は自然に信頼を寄せ、それに頼って暮らしを立て、また心のよりどころにすることもできる。…略」

また氏は同文の中で、花とその花粉を運ぶ昆虫との関係など、互いに他を必要とする関係を「共生的生物間相互作用」といい、失われたそれを取り戻すことで、豊かな生態系を蘇らせたい、と述べている。

半世紀前の山村と同じようにとはいかないまでも、
人と動物の共生的生物間相互作用も、
いつか取り戻すことができたら、と思う。



変則的な生活のせいで、
すっかり寝起きの機嫌が悪くなったAを、
ここのところ毎朝、毛布にくるんでオモテに出る。

這い出てきた春先の虫を見てなぐさめられ、
ホトトギスの鳴き声で気持ちを立て直す。
十分もしてAはすっかり元気になり、朝食の食卓へ向かう。

大人の家族がもう1人いるぐらい、助かっている。



2004年04月01日(木)

新年度。日帰り上京す。

車窓から見える桜は、都心に近づくにつれ
まだつぼみの状態から、五分咲き、八部咲きと
開花グラデーションを楽しませてくれた。
終着の東京では、もう満開である。

あっちこっちへ移動しているので、
ゆっくり花見をするタイミングを逃してしまいそうだ。


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