過日 某所、某学生スポーツ大会パンフレットの出場者名簿を見て (;・∀・)ハッ?...としました
○山 恥×郎
恥×郎......
恥?????????
えーーーーーーーーーーーーーーー???
どう読むの?はじ×郎?ち×郎?
なぜにこの文字をわざわざ名付けに使う???
しかもこの子、既に思春期と思われる年齢だし....
同じパンフレットには 女子の部に
「ひまわり」というひらがな名前の子もいました もちろん思春期年齢
これって普通なのかなあ...
前にこの日記か別の日記でも書いたけど 友人の娘さんがかよう幼稚園に、ひらがなで「ぷりん」ちゃんて人間の子供がいたりする御時世ですからして
最初にこれ聞いたときはてっきり「犬」の名前だとばっかり思ったものですよ 犬ならいいよ犬なら別に プリンでもヒマワリでもタンポポでもミルクでもココアでもショコラでもさ
でも人間につけるかなあ
ていうか冷静に
自分がその名前をつけられてたらどうかってなんで想像できないんだろうなあ 自分がその名前で人様から公共の場面で呼ばれたり 人前で自己紹介しなきゃいけないとしたらどう感じるかって 想像したら絶対つけないだろうに....なんて ふと思った次第
くわばらくわばら。
中1になる姪っ子が泊まりに来て 「iPod touchを買ったけど曲を勝手にダウンロードして買ったらお母さんに叱られた」 と言うので だったら私がレンタルショップで借りて好きな曲を編集して焼いてやろうではないか、と それを家に持ち帰って自分で取り込んで同期してみたら、と提案し 早速CDを借りに出かけました
いやー あんな小さいのにすごいもんですなーiPod 今更ですが実は我が家にもあるんですよ
正確には私が購入して夫に送ってあげたんですけどね
「ウォーキング中に何か音楽とか聞きながらテンポ良く歩きたかー」 という夫の願いを聞き 早速iPod nano を手に入れ 50年代〜80年代の洋楽で彼の好みに合いそうなものをレンタルして取り込み 宅急便で送ってあげたりなんかしたわけで
いやいや本当にどちら様も老若男女 耳にイヤホンぶっこんで(・∀・)フンフンフ-ン♪ イェァ スンスンスーン♪してるんですから誠にすごいことです
で 姪っ子とレンタルショップに行きました
「好きなの借りておいでー」とカゴを渡して8枚ほど彼女が選択し 手続きを済ませてさー、取り込んでみました
えーと、なになに このアーティストは....
「いきものががり」
え???小学生バンド?
「アンジェラ・アキ」
え?ジェロの姉妹とか?
「レミオロメン」
・・・・レ・ミオロメン?
いやー さすがにレミオロメンぐらいは知ってましたが 彼女が選択した他のアーティストは、私にとっちゃ異国の人、平成のかほり
どっぷり昭和な私には たまの日曜サンデーというのに なにがなにやらさっぱりわからぬ笠置シヅ子ってなもんですよ
あと、彼女が聞いてたのはエグザイル これなんかもうね 亀田興毅&ゆかいな仲間たちが歌ってんのかと思ったりしてた私ですよ、終わってますか、終わってますね
しかしすごいなー これが平成21年なのかー
・・・・・。
で、現在私のPCのiTunesには彼女が借りてきたのが入ったままなんですが これ、次に夫のiPodと同期したら入っちゃうんですよねー
驚く顔が見て見たい気もするが 逆に平成サウンドの虜になられても私一人取り残されては困るのでやはり削除しておきますです
実は彼女のiPodに私がこっそり入れておいたものがあります 何か?
それは 矢島美容室の 「はまぐりボンバー」
今更ですが いいのです。
許せ姪っ子。
2009年11月20日(金) |
四十路に何が起こったか。 |
はい、左半身に持病が集中している四十路ですこんばんは。
自分でも不思議だなーと思うんですが 私は左半身がツラい仕組みになっています
左膝関節に水が溜まるのは22歳を過ぎた頃からの症状でして 当時なんて165センチ46キロだったってのに 季節の変わり目なんかには あいたたあいたたと痛む膝をかかえつつ それでも痛い様子なんて微塵も顔にださずに←恥ずかしかっただけ ハイヒールをカツカツならして闊歩していたものでありました
膝の痛みが始まったのはこの頃が最初じゃないんですね それは高校1年の頃に突如襲った「成長痛」がスタートで
当時はまだ整形外科にいっても 成長痛なんて言ってくれるお医者はおらず みんなして首をひねって湿布薬を大量にくれるばかり
私は激痛のする左膝をかばいながら通学し あまりの痛さと激痛に ときおりすっころんだりなんかしていたわけです
それもそのはず 半年位で20センチも身長が伸びたんだから そりゃー骨もきしみますわな
それから私は左膝に泣かされる日々を歩むわけです
まあ この痛みにもずいぶんと苦しめられましたが 子供を産んでからは膝をガードする肉もついたせいか 痛みに呻き苦しむ夜は激減しました
ハイヒール履かなくなったのも要因かもねー
ところが 私は妊娠中にまたもや左半身にトラブルが発生するのです
病名「帯状疱疹」
妊娠7ヶ月頃のことでした いきなり首の左側にかゆいプツプツができたかとおもうと あっというまに無数の水ぶくれが左の胸部、首、顔面、側頭部にまであらわれ やがてかゆみは激痛へと変化したのです
左上半身(正確には鎖骨から上)はすさまじい数の水疱で覆われ 右半分はなにもなし すごいなーと思いましたね
なんて楽観的なことを言ってる場合じゃないのです 24時間痛いんです しかもアイタタ...なんてーんじゃなくて 神経が痛むみたいなもうすごい痛み
病院に行きましたが私は妊婦なので皮膚科の先生と産婦人科の先生が相談し 本来ならば水疱が目の周りにもできているので危険な状態であり お腹の子供に絶対影響がないとは言えないけれど薬を使わないことには治りが遅くなるし痛みも軽くならない と説明を受け
.......................。
私はこれまでに二人の子供を流産していて、ようやく三人目が7ヶ月もお腹の中で頑張って元気に育ってくれているのに、ここで私が危険にさらしてなるものかと、すっぱり投薬を拒否
それから2週間 焼かれるような痛みに耐え続け 気がつけば顔面も頭部も首も胸も、真っ黒のかさぶただらけ。
お岩さんもびっくりして逃げだそうってなもんですよ
ローズヒップオイルや馬油を塗りながら かさぶたを柔らかくして少しずつ落としていき
ようやく治りましたが オイルの塗り方が甘かった場所(見えにくかったあごの裏側と耳の後ろ)には、一部ヒキツレのケロイドが残りました
これが完治してからというもの 私には怖いものがなくなったかもしれんなーとつくづく思いましたね
耐えられるもんだな、と
きっと、守るものがあったから耐えられたのかもしれないけれど
さて 膝の水もあまり溜まらなくなった私ですが 帯状疱疹は土産物を私に置いていきました
帯状疱疹後神経痛です
未だにときどーーーーーーーき左半身を帯状疱疹のときの痛みが襲います
特に季節の変わり目とかね
で、 なんで今日の日記はこんな内容なのかってーと
今、その神経痛がでてるからでーーーーーーーーーーす
(;´∀`)…痛いなぁ…
だけど今は鎮痛剤が飲めるので幸せであります♪
ボジョレー解禁日ですなあ。
・・・・。
昨年はあれこれ各種取りそろえてニヤニヤしていたんですが 今年はまったく触手が動きません
触手も動かなければ心も動かない、と
ていうか もー、見るのも嫌なんですなー
あんなに酒豪だった私が とーとー嫌酒家になり下がりです
辛うじて今、口にできるのはカクテルとシャンパンとフルーティなチューハイ あと、パンチのないノンアルコールビール
舌がですね なんていうか ガキ舌になってんですよ
参ったなあ...
まあ、それで不自由することはないんでどってことないんですけどな 下戸になったわけじゃないんで
で ボジョレー大好きウチの旦那が言いました 「何本かお前の好みで見つくろって買っといてくれよー。今度帰ったときに一緒に飲もう〜」
あー 旦那ちゃーん 私、相変わらず飲めないんですけどー
すると彼は言いましたな
「つきあってくれんとかー、なんでー、さっさと自分だけ健康志向かー、サギやないかー」
詐欺ってあんさん.....
夫に詐欺師呼ばわりされる妻
致し方ないので週末はワインを水割りにして付き合いたいと思います
後輩が忘年会しましょー♪と電話してきました 「ワイン美味しいとこみつけたんですよ♪ガッツリいきましょう〜♪」
・・・・ブルータス、お前もか。
未だに私の周囲は私が酒豪であるイメージから抜けきれないままである
・・・・もちろん私本人もだがヽ(゚∀゚)ノ▼
2009年11月15日(日) |
シチメンチョウではない。 |
今月始めのことであります
秋も深まってきたことですし そろそろ山村紅葉でも愛でに行きたいものだと思いたち Yahoo!の紅葉特集2009をチェックしてみたんですが 当時近隣ではまだモミジやカエデは見ごろを迎えておらず
(´・ω・`)ガッカリ… と思いましたが
いやいや奥さん ありましたよこの時期でも色づいていたモノが
「海の紅葉」といわれるシチメンソウであります
干潟で有名な有明海に面した佐賀県東与賀町の「干潟よか公園」付近海岸に群生するシチメンソウは、世界でも珍しい「塩生植物」だそうでして、なーんと干潟と同じような海水を含む泥の中に自生している強者なんであります。
というわけで 爺婆息子&姪っ子連れて、ぶぃーっとドライブ 干潟が見下ろせる場所に車を止めて 降りてみました
すると
なんということでしょう そこには幅10m、長さ1600mに渡る真っ赤なシチメンソウのレッドカーペットが
うひょーーーーーーーーっって感じ
曇天なのが惜しいなーと思いつつ、それでもいい色出してます
また 干潟と同じような泥の中で自生するだけあって シチメンソウの下には無数のトビハゼや
カニとかが
普通にウヨウヨしておりまして
カニタワーもいっぱいこしらえてたりしてました
すごいなー
息子と姪っ子はシチメンソウなんか眼中になく カニを追いかけて遊んでいるばかり
爺婆は初めてみるこの珍しい植物に喜んでおりました もーちょっと天気が良かったらもっと綺麗に見えただろうなー
この自生地が面した干潟では 遠くにムツゴロウ釣りをしている漁師さんなんかも見ることが出来て興味深いです
カールおじさん干潟バージョン
来年は双眼鏡持参で来たいものです
では股。
ソフトボールチームに入っている甥っ子(小6)の 最後の試合が行われるというので 爺婆連れて応援に行きました
6年生にしては小柄で細身な彼ですが チーム1のホームラン打率を誇り 機敏かつ正確な動作でショートを守る 小さな巨人なのであります
ピッチャーの男の子は6年生らしい体格でとても凛々しく いかにも野球少年(ソフトだけど)って感じのお兄ちゃん 投げる球も球威がある
聞けば今年は様々な大会(地方大会だけど)で優勝、準優勝、三位と 上位の常連となっているとのこと
そんなチームでショートとは 小さな体で6年間よく頑張ってたんだなーと 試合をみててうるうるしてきた私
.......。
それにしても こういう少年ソフトだの野球だのの監督とかコーチって なんで罵声暴言大魔王ばかりなんでしょうか うちの兄貴も一徹バリの暴言大魔王ですが まー、このチームの監督ったら試合中も試合後も とにかく子供たちをひたすら怒鳴りまくりです
貴様ゴルアに始まり 帰れ、やる気あっとか、なんかその顔は、ああー??と 恫喝フルコース博多弁バージョン
子供たちは試合中だろうがなんだろうが監督に糞味噌に怒鳴られたあげく 見に来ている親からも糞味噌に言われまくり バッターボックスに入ったらそれこそ捨てられかけた子犬みたいな 縋るような目で監督の指示をひたすら待ってる
思わず一徹に「なんでそこまで罵声浴びせないかんと?」と聞いたら
「あれは心を鍛えよったい」と爽やかに答える
こころをきたえるー?
つまりはプレッシャーに強くする為だとのこと
罵声が 心を 鍛える
スポ根世代特有の理論だよなー
ついつい私は監督の後ろで聞こえよがしに
「昭和時代じゃあるまいし、そんな時代錯誤な方法だけで今時の子供は伸びんやろ。ありえんって。今は平成よ、平成も21年よー?」
すると一徹 「うひゃあー、俺いいきらーん。それ監督に言ってきー」
まあ とは言え私もスポ根世代 こんな歌も馴染み深い昭和っ子です
コートでは誰でもひとり一人きり 苦しくったって悲しくったって 私の愛も私の苦しみも誰も分かってくれない だけど コートの中では平気なの きらめく風が走る 太陽が燃える 涙も汗も若いファイトで サーブ、スマッシュ、ボレー 青空に遠く叫びたい エースエースエース ナーンバーワーン
白いマットのジャングルに 行くが男のど根性 ルール無用の悪党に 巨人の星を掴むまで ゆけゆけタイガー どんと行け
そう 昭和の頃、全てのコーチは鬼でした。
私も高校の部活では竹刀でケツを何度も叩かれ 罰としてウサギ跳びで体育館を何周もさせられ ボケのクソのアホのマヌケのと罵られ 体がボールの痣だらけになるほど打ち込まれたりと そりゃーひどい目にもあいましたが
それはそれで根性ついたわけでして
でも 試合の時は怒鳴られませんでした 練習中は怒鳴られまくりでしたが 試合は別でした 勝っても負けても 反省は自分でしろ、でしたっけ
だけど野球はなんで試合中に怒鳴るんだろうなあ
今でも昭和の名残を色濃く残す少年ソフト(野球)の世界
この手のスポーツは 少年からプロまで 罵声を聞き流す神経の図太さまたは無神経さが必要なんだなーと つくづく感じ入りましたね
いちいち罵声を真に受けて思い悩んでたら一歩も動けないだろうし
だから 罵声に動じることない それを無視できる図太さを持たせたいって意図なんだろうかなどと そんなふうに考えました
でもなあ 四六時中怒鳴りつけてて萎縮せず育つ子供っているんだろか まあ 地方大会でそれなりの結果出してるチームなんだろうから それはそれである程度のレベルまでは 怒鳴りつけるだけの指導で行けるのかもしれないけれど
全国的に強いってチームもやっぱりこういう指導方法なんだろかしらん
・・・少年スポーツは指導者で選ばなきゃ怖いよなと感じた日曜日であります。
2009年11月02日(月) |
・・・・・・・・・・・・ポゥ!!!!!! |
志村!志村!大丈夫なのか??? だいじょぶだぁ〜と言ってくれ!
好きだなあ、これ 「Smooth Criminal」
うちの息子は「Bad」でノリノリでした
そ 映画見てきたんですよ 「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」
思い出すのは1996年12月の福岡ドーム 開演遅れてるなーと思いながら待ち続け ようやく出てきたマイケルは遠くにいるホンモノ テレビのほうがよっぽどよくみえるんだけれど やっぱりドームでのライブは驚いた 私は英語も分からないし特にファンというわけでもなかったけれど 世界的人気のアーティストがやらかすステージは ただただ 「うひょー、やっぱマイコーすげー」状態
当時のマイケル既に30代後半 脂ののりきった頃とはまた違うステージだったとは思うけど heal the world や you are not alone は 素直に感動した覚えがある
・・・そうだ、この年の1月に私は結婚して姓が変わり、数年後には子供が生まれ、それからは慌ただしく時が流れていったんだっけ
私の「ライブ」はマイケルジャクソンがラストだったんだなあと そんなことを思い返しながら
50歳のマイケルジャクソンが久方ぶりすぎる大舞台を前に 念入りなリハをやっていて そう この後、迎えるはずだったオープニングではなく 予想だにしなかった突然のエンディングに向かって 静かに時を刻んでいたなんて
リハ中のキング・オブ・ポップは「忠実」だったように思えた 何に? そう、ファンに
50歳 フツーだとオヤジ
でもスリム ダンス綺麗 リハなのに 歌も
ダンサーもすごい とてつもない人数のオーディションから選ばれた子たち スタッフもみんなでこのステージを 「つくりあげてる」
ドキドキしてきた
終わらないで 終わったら彼はいなくなる 幕はあかない あかないままエンディングになるから
そんな映画、「THIS IS IT」。
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