Dynamite徒然草
Dynamite徒然草

2009年07月31日(金) 嫌酒の日々。

2週間と4日、酒を口にすることのないまま
先日、以前から予定していたママ友らとの飲み会の日を迎えましてな

この計画が立った頃なんか
私はもうすっかり飲んだくれる気マンマンで
駅前のビジネスホテルなんか予約しちゃったりしたほどだったんですが

嗚呼、思い出したくもない轟沈の夜
あれから2週間もたてば少しは
少しは飲めるようになるだろうとの本人及び周囲の期待も虚しく
相変わらず酒を見ると全身全霊で拒絶反応をおこす四十路のカラダは
もうモトには戻れない
ああ、生娘には戻れないのねヒドイわヒドイわと
取り返しがつかないほどに体質が変わってしまったようで

..........................。

最近、夜になると脳内で
やたらと「夜明けのスキャット」がエンドレスで流れる四十路

虚しい
虚しいよ
歌詞がない
いつまでたっても歌詞がない

いつまでたっても酒が嫌

あああああ

あんなに愛した酒なのに
ずっとずっと好きだったのに
いつまでも一緒にいられるとおもったのに
突然の出来事が二人を引き裂いたの
嗚呼あの夜から生理的嫌悪感
もう二人は
そうモトには戻れないのねー
涙の佐賀県民〜
シャバダバドゥー

こんな日が私たちにくることなんて
誰が予測できただろう


いつまでもしつこくボヤいていたら息子が言いました

「かーちゃんまだ酒のみきらんと?むなー」

・・・彼の言う「むなー」とは「虚しい」の略だそうです

「それよかオレのタンプレのことやけどさ、やっぱとーちゃんに直接頼むけん、かーちゃんは買わんでいいよ」

...オレのタンプレ

なにそれ


「タンプレわからんと?ありえーん。誕生日プレゼントのことやろーが。常識たい」

誕生日プレゼント=誕プレ


なんかちょっと懐かしい響きに聞こえた気がしたのは
きっと小学生の頃に買っていた「りぼん」でおなじみ「全員プレゼント」略して「全プレ」に酷似しているからではないかと自分なりに分析してみちゃったりなんかしたわけですが

そんなこんなで懐かしいりぼんのふろくを掲載したサイト(ていうかショップ)発見

くだん書房

1970年代のりぼん付録はどれもこれも私の記憶の中にあるものばかりで驚き
完璧に記憶にあるのが「陸奥A子のワンタッチ・インテリアボックス」
このインディアンの絵、すっげー覚えてる
一条ゆかりの砂の城したじきも田渕由美子のトランプももってたー
懐かしすぎて鼻血が出そう

...あれ?一体何の話でしたっけ???

あ、酒に対する拒絶反応の話でしたね

とまあ
そういうものなんだろうなと思いました
何がって?
禁酒とか禁煙とかってそういうもんなんですよ

私なんか絶対死ぬ寸前まで酒は止められないだろうとおもっていましたが
こんなふうに心身共に酒が苦手になったりするわけですから
しかも本人の意志とは関係なく

そして私は周りが酒飲みまくっている中で
うすーいカンパリソーダをちびちびやりながら
同様に盛り上がったりなんかできちゃったりするようになっちまったわけです

飲まない飲み会
慣れればまた楽し、と。



2009年07月27日(月) 轟沈。

実は今月の12日から今日まで
飲酒をしておりませぬ四十路でございます

もしかしてこれって...
飲酒を初めてから初の記録なのではないだろうか

妊娠中も1週間に一度くらいは
グラス一杯程度のワインやビールは飲んでいた私であります

あげく産後も
はなっから母乳育児でないのをいいことに
連日ビールの1〜2缶程度は夕食時に嗜んでおりました

そんな蟒蛇が
2週間+1日も
アルコールを口にしない日がこようとは
誰が思っておりましたでしょうか

思い起こせば7/11
私は友人らと久々に車でなく電車で博多で待ち合わせし
もつ鍋&ビール&焼酎ですっかり陽気な島田のブンブン
次はカラオケだーっと
意気揚々と入店したのはいいもののあなた
飲み放題で提供されたワインの質の悪さでまさかのリバース

嗚呼四十路となってこんな日がこようとは
誰が想像したであろう飲酒からわずか4時間後に店のトイレに沈む
生ビールをチェイサーがわりにズブロッカを飲みまくっていたあの私が
ビアガーデンではピッチャーごと飲んでいたあの私が
1日でウイスキー2本を空けていた私が
ビールなら一晩で1ケースは平気で空けていた私が
何故だ何故だ何故だ

泥酔して自転車で転んで前歯は折っても
朝まで飲み続けて一旦着替えに帰り、駅の階段駆け上がって電車に乗ったところでいきなり胃がせき自分のビジネスバッグの中にリバースしたことはあっても←最悪
店のトイレで沈むことはなかったはずだ
敵に背中を見せることはこれまでなかったはずなのだ

しかしもはやこれまでである
不沈艦四十路、北緯33度35分、東経130度25分
博多駅付近にて国籍不明の敵艦「安酒」によって無念の轟沈


そしてその翌日より
アルコールを受け付けない体となってしまったのであります

これはもはや私にあらず
ただのおばはん
ただの中高年


目下アルコール恐怖症となってしまった四十路の左に置かれたグラスには
クリスタルガイザー スパークリング レモンが注がれているのでありました


しかしいつの日かまた甦る日を夢に見つつ
いまはしばしの休肝日、と。

ぐっすん。



2009年07月23日(木) 恐怖日食。

日食でしたね
佐賀の空は昨日までの異様にしつこい連日の土砂降りから
次第に日食の時間が近づく頃には曇天から晴れ間も見え隠れ
四十路も生まれて初めての生日食をみることができまして

私は農協の朝市にのんびり買い物に出かけたりなんかしておりましたが
農協職員のおじさん方が日食グラスを片手に

「おおーっ、欠けよる欠けよる」
と、プチ祭り

通りかかった私に

「見てみらんね?」と貸してくれて
それで見るとこれがまた
きれいなオレンジ色の太陽のシルエットが

ひとしきり日食談義で盛り上がり
朝市で野菜を購入して帰宅

母としばらく日食をチラチラながめながら
「でもテレビのほうがよく見えるし面白いよー」

お祭り騒ぎのテレビリポート番組をチラ見

なんだかきっと
みんな日食みてるからなのか
町もいつもよりよけいに静かになっていました

お昼過ぎからは用事があったので外出し
午後にお目にかかった方々ともやはり
話題は日食関係一色

そんな中、知人の一人が

「私ね、実は悪石島のツアーに友達から誘われていたのよー。行きたかったんだけど仕事があるからお断りしていたんですよ。でもこんな結末だったら、今考えるとお断りしててよかったわ。行った方には申し訳ないけど〜」と言ってました。

部分日食ではあるけれど
佐賀でも十分見ることができてよかったですよ

さて
夕方、私が息子と共に帰宅すると
母が言いました

「あなたが出かけた後、しばらくして救急車がうちのお隣にきて驚いたよー」

お隣の奥さん、具合悪かったっけ?

「それがねー、遊びにきていたお客さんが突然具合が悪くなって運ばれたんだって」

うひゃー

すると息子も思い出したように言いました
「そういえばうちのクラスの女の子も、午後から急に気分が悪くなって一人早退したよ」

えー


その日の午後九時からは
町の夜警当番だったので
公民館の前に集まったんですが
うちのお向かいの奥さんが来ていないんですね

「私がお声かけしてきましょうか」と言ってお向かいのインターホンを押すと奥さん登場
今夜が夜警当番であることを告げると彼女は言いました

「今日、主人が急に具合が悪くなって入院したのでバタバタしてて...すみません」

あちゃー


やがて夜警チームで町内をまわっているとき
私と一緒に歩いてくれていた組合長さんの奥さんが
こんなことを言いました

「実は今夜は娘に夜警にまわってもらうつもりだったんだけど、午後に急に具合が悪くなって病院で点滴を受けてきたんですよね。それで過労じゃないかって。かわりに私がきたんですよ」


げひょーーーん


・・・・日食恐るべし。



2009年07月20日(月) 阿修羅しゅしゅしゅ〜。

18日の土曜日に
KBC&朝日新聞主催の
「阿修羅ウォーク」なるイベントに参加してきましてですな

阿修羅
  +
ウォーク

なんだそりゃ


えー
阿修羅は興福寺の阿修羅像のことでして
現在、九州国立博物館で9/27までの予定で催されている「国宝 阿修羅展」を見に行くついでに
太宰府あたりを散策してきなさいあなたがた、と
参加者貸し切りで阿修羅をご覧なさいあなたがた、と

KBCラジオのパーソナリティとかも参加するから
親しんできなさいあなたがた、というイベントでありました

もちろんあなた
高齢タレント好きな私は中村もとき(68歳)がもちろんお目当て
でしたがあなた
私が割り当てられていた時間の担当は40代のローカルタレント

だーかーらー
私が好きなのは1940年代生まれ以上なんだってばーもー
がっかりですよ


しょっぱなから私の思惑がハズれまくった状態でイベントが始まったので
致し方なく、うろちょろしていた着ぐるみめし丸くんをつかまえて写真を撮る四十路と五十路。

やがて
出発式などというものがはじまり
やがてスポンサーの「JA全農ふくれん」のお偉いさんらしき人が
挨拶をはじめたのはいいのだが

「被れ」といわんばかりに配布された農協帽子を人の良い我々に被せたあげく
その上マイク片手に親父ギャグ。
そこは笑うべきところなのか?
と、
影でツッコミを入れてるうちにやっと挨拶終了

するとどうでしょう
やがてぞろぞろと登場する高齢者の皆さん
何ですか?
募金ですか?

いいえ彼らは徘徊ウォーキングのプロ
日本野鳥の会ならぬ日本ウォーキング協会の皆さんであります

そしてようやく約4キロの阿修羅徘徊ウォークがスタートしました

息子はひとりでさっさと先に行ってしまったので
私は友人Hちゃんとくっちゃべりながら歩き続けましたが
まーこれが
ι(´Д`υ)アツィー

イベントに参加する前にシダックスでカラオケ歌って食事してたので
体力は充実していたはずですが
まあ、いい感じで汗ダラになってしまいました

さて
ようやく歩き続けて博物館にたどりついたところで
ステージ上に栗田善太郎発見
うわーい♪生栗善だーv
生きてるー
しゃべってるー
仏像マニアチックなトークしてるー

やがてその隣に
栗善父・栗田善成(70歳)がー

うわーい♪本物だー!!!うれしー♪♪♪
脳内でむやみにはしゃぐ四十路

けれども彼はステージの上
もーずっと聞きたかったトークも短くて残念
阿修羅より栗田善成のほうが私的にはお目当てだったのにーい
一緒に写真撮りたかったよー
うえーん


後ろ髪をひかれる思いで阿修羅展に向かうも
私の目的は栗田善成だったわけで
全てはこれで終わったようなもの

あーあ

阿修羅?
見ましたよ

でもこれってKBC奥田智子アナウンサーの恋人なんでしょ?
いやー、私って他人の恋人には興味ないからー

で、ハマッたのは木造四天王立像のひとつ「持国天像」
彼に踏まれた邪鬼がいちばんいい味出してます
あー私も持国天になりたーい

あと「迦楼羅立像」かわいーw
私が旦那と結婚した年の1996年、当時福岡空港が見えるマンションの13階に住んでいた私は
ちょうどお昼頃、ベランダに出て洗濯物を干していたところ
空港の方角から突然煙が立ち上り始めたのに気付き
あれ?と思った数分後には
市内の四方からものすごい数の消防車と救急車が空港に向かいはじめたのを見て
テレビをつけたところ
ガルーダ・インドネシア航空の旅客機がオーバーランののち炎上したというニュース。

ガルーダ=ガルダ=迦楼羅
神の翼
あーあ


そんな出会いのカルラと私

懐かしくあのベランダから見つめた炎上する神の翼を思い出していたのでありました

あと「波羅門立像」
これ哀愁〜w

この像の前に托鉢の鉢でも置いてあったら
財布の小銭全部入れてってあげたくなるほどの表情ですよ
小さな像なんだけど巧で繊細でどっぷり哀愁で悲壮感

つるーっと見て大満足しました

あっ
そうそう

先に出ていた息子が戻ってきて言いました

「ピーコがいたよ。話ししてきたよ」

えー????

ピーコが来てるの???聞いてないよーーーっっ
てことはまさかおすぎも???
いやーーーーーっっ

めちゃくちゃ会いたかったぁぁぁーーーーっっっ

_| ̄|○ il||li

........自分の運のなさにほとほと落胆。


こんなに好きなのに
私はちっともおすぎに会えやしない


そんなものよね人生なんて


というわけで
私の阿修羅ウォークは終わりました

楽しかったーv

めし丸の中の人、お疲れ様v
写真一緒に撮らせてくれてありがとー♪



2009年07月10日(金) トムとジェリーの間。

車の後部座席でDVDが見られるようになったので
息子が何か買ってくれとせがみました

なので
これならば飽きないだろうと
昔懐かしの「トムとジェリー」を数枚購入

案の定
息子はもちろん爺婆も飽きずにみてくれて
先日の旅行では大助かりだったわけですが

私はそれを「聞きながら」(※走行中運転席では映らないのでナビ画面のまま音声のみ)
ふと、自分が子供の頃に見ていたトムとジェリーのことを思い出していました

.............................。

四十路が物心ついたころからあの番組は放送されており
終わったかと思ってもまた何度も繰り返し放送されていましたが
これが何度見ても飽きないんですよね
ベタでテンポがいい
コントの王道ですよまさに


買ったDVDはトムとジェリーなんですが
私は思い出していたのです
テレビでやってた頃のあの番組の
3作品の真ん中
トムやジェリーが出てこない作品のことを

トムとジェリーのドタバタは楽しいけれど
私はあの楽しさを「飽きないもの」にしてくれたのは
作品の完成度もそうだけど
あの真ん中にやってた作品の存在も大きかったのではと思うのでありますよ

今でもよく覚えてるのは
未来の車とかテレビとか家なんかのシリーズ
あと、エドさん
彼はいい味出してました

あと好きだったのは
「フィガロの結婚」を歌ってるのを魔術師が邪魔するやつ

トムとジェリーの作品の中でも
トムがピアノひいたりオペラを歌ったりするシリーズは特に好きだったけど
この作品はまたコントとしてすごく楽しかった
手品ででてくるウサギが途中からやたらいい仕事し始めるし

子供心にもすごいなーアメリカさんはと関心しまくったもんです

日本のアニメも好きでしたよ

狼少年ケン、風のフジ丸、マッハGoGoGo
妖怪人間ベム、サイボーグ009、タイガーマスク、男一匹ガキ大将

....は?女子モノ?

チャンネル権が5歳年上の兄貴にあったんでほとんど見たことありませんでしたーw

みんながサリーちゃんのよっちゃんの口真似とかしてても
誰それ?
ってな感じで
意味不明な件を親友に話したら
姉妹だけの彼女は私が彼女の家に遊びに行った際に、サリーちゃん見せてくれました

あー、こういうマンガだったのかーといたく関心しました
面白いとは思わなかったけど

懐かしい1960年代テレビアニメの世界

では股。



2009年07月09日(木) 2009年島原の旅。

昨年夏に引き続き
今年も島原に行ってきました(先週末のこと)

昨年は天草からフェリーに乗って渡ってきて
そのまますぐにホテル入りし
翌朝にはホテルから長崎市内へまっすぐ向かったので
島原観光は何もしていませんでした

多少心残りだったので今年は
名物の具雑煮喰ったり寒ざらし喰ったり
普賢岳見たり、被災した小学校跡地とか見たりしようと思ったのであります

しかーし
私は雨婦人
雲仙に向かって車を走らせれば土砂降り
あきらめて山を下りたら小雨

おお
普賢岳は私を拒絶するのか

雲仙地獄見物を諦めて
「島原まゆやまロード」を通る
大火砕流後の場所を間近に見ることができる道

お目当ての具雑煮屋の目の前が島原城なので
腹が減るまで城観光でもと思いましたが
ここで一番衝撃的だったのは天守閣の資料館よりも城内にあった観光復興記念館


島原大変肥後迷惑の関連資料や
1991年の大火砕流関連資料と映像
いちばん辛いなあと思ったのは
大火砕流で父親を亡くした子供の作文の展示
「あの日帰らぬ父に 普賢岳のもとで」※児童生徒体験作文集「災害を超えて」より

マスコミが危険区域でいつまでも取材していたのはよく覚えてる
私は1990年の夏から秋にかけてツアーコンダクターのバイトをしていて
10月には山口県の中学校の修学旅行に同行して雲仙を訪れ
その翌月の11月から普賢岳の火山活動が始まったので
ギリギリでヤバかったなー

多少なりとも注目していたニュースだったから

火山学者が近くに行ってるらしいとか
テレビカメラが結構近くでいつまでも取材しているのを
ニュースで見聞きするたび

なんていうんだろう
ドロドロの真っ赤な溶岩が流れまくったり
ドカンドカンと大爆発を繰り替えすようなこれまでの「噴火」のイメージと違って
グレーの溶岩ドームが
少しずつ大きくなっているだのいないだの
それが崩落しただのしないだの
火砕流が発生しただのしないだの

だいたいこの
「火砕流」というのが耳慣れない危機感をイメージできない言葉だったので
土石流みたいなものだろうか
などと
いつまでもそんな感じでしか捉えられず

それが一変する1991年6月3日夕刻

大火砕流の映像や住民が避難する様子
避難所で過ごす人たちや灰まみれの町
当時の島原市長の活動の様子を報道するニュース映像は
私の脳内にも比較的鮮明に残っています

だから
ニュース映像の素晴らしさや価値はよくわかる
よくわかるんだけれどもやはり
住民の安全を守るため必死で警戒にあたっている地元警察や消防の邪魔になるようなことをさせてまで
最前線に取材クルーを出すものじゃない

自然災害は怖いと思うけれども
自然の上に住むのならばこれに立ち向かい共存するのが生き物の宿命
ならばせめて
人の心が引き起こす二次被害はなくならないものかと
ふと思う

阪神淡路大震災のときも
やたらにヘリを飛ばしたりむやみに現地入りして
生き埋めになっている人たちの救助活動の妨げになっていたとか

想像力の欠如というよりも大企業に、業界全体に根付く傲慢なんだろうか


・・・・・・・・・

島原城を後にして
目の前にある姫松屋で名物の具雑煮を食べる

...その素朴な美味しさに癒された

そして
また
この町に来たいなと思った


次に来るときは慰霊碑に行きたいな


・・・どこにあるんだ?慰霊碑。

「道の駅みずなし本陣」にも行きたいです


まだまだがんばれ島原。



2009年07月07日(火) 七夕の思い出。

七夕ですね

浴衣なんて着こなしたくなる浮かれポンチな季節ですね


四十路・遡ること29歳の夏
巷ではブランド浴衣なるものがブームになりつつありまして
私も20代最後の夏を
ブランド浴衣なんぞ着て謳歌しようと呉服屋へ行き

緑の地に真っ白な大輪のカサブランカが咲き乱れる
ジュンコ・シマダの浴衣と帯を2本
赤い鼻緒のついた緑色の下駄、淡い紫の巾着袋などを購入し
早速着付けてもらってその夕刻
当時知り合ったばかりの夫に
自慢の浴衣姿を見せました

・・・・・・・

嬉々として。


するとどうでしょう。



「いやー、しかしお前は似合わんねー和服。やっぱりスーツが似合っとーよ。肩がイカッとーけん羨ましいー。ほら、俺ってなで肩やろうが。スーツ作るとき肩パット高くしてもらわんとカッコ悪いったい。その点お前はいいなー。肩パットいらんやろー?カッコいいねー」

ニコニコして言う彼。


・・・ケンカ売られたのかと思いましたね。


いや
彼は褒めてんですよこれでも

私はスーツが似合うって
肩がイカッてて羨ましいって

しかし
それは
これからお付き合いする予定の女性に
ていうか
先から結婚を前提に付き合ってくれと口説いている女性に対して言う台詞ですかっての

キミはおかしい
私に嫌われたいのか?
私に振られたいのか?
私とデートしたいと思っている
お付き合いしたいと思っている( ゚∀゚)o彡°おっぱい!星人は山ほどいるんだ
それを何だキミは
少しは法螺を吹くなりヨイショするなり
そうは思っていなくても褒めちぎるのがスジではないか?????????

私を好きならもっと餌を撒け餌を!!!


................。


しかし
それからも彼は執拗に結婚を迫りつづけ
その三ヶ月後に私はそれを承諾し
翌年一月には入籍してしまったあげく
それから13年が過ぎてったのですからして
男と女というものは誠に奇異なものでございます


ジュンコ・シマダの浴衣ですか?
結婚した年の夏に性懲りもなくまた着ました
相変わらず夫は

「いやー、いいね浴衣ー。しかし立派な肩やね。やっぱりお前はスーツが似合うよ。うん♪」

と、笑顔で言いました


それから二度と着ていません
いわゆる一つのタンスの肥やし状態です


今後一生和服に袖を通すことはないでしょうよ私は
死に装束には何がなんでも絶対にドレスを着せてもらいます
着せてもらえなかったら化けて出ます
いや
生き返って着替えてまた死にます


七夕は私の
イカリ肩確認記念日、と。



2009年07月02日(木) まるくなったのは心だけであって欲しい。

息子の担任の先生とお話する機会がありまして
40分くらい雑談していたんですが
そのとき言われました

「お母さま、入学当初のイメージとは違ってきているような感じがするんですけれども」

....私が?

「はい。あの、以前より今はまるくなったというか...お優しくなったような感じがします」




そっかー

ていうか

やっぱりなー

思いました


最近、他人につっかかることが激減ですもん


正論ぶちかましの真っ向勝負だったけど
最近しないんですよ


人は人
自分は自分

見て見ぬふりはしたくないから
相手がポイッと捨てていった道端のゴミや空き缶は
黙って拾ってゴミ箱に入れますけど

以前だったらここで一言相手に物申すだったのが
今は言わずに男は黙ってサッポロビールなんですな


叱ったり注意したりして
相手が素直に反省することなんて
1000000000000%もあり得ないんですよ
これまでの経験上

子育てでもよーーーーーーーくわかりました


やらないもんはやらないんですからして
何度怒鳴ろうが叱ろうが注意しようが
北風と太陽じゃないけど
逆にムキになってしないだけ


息子に教わりましたね
このことは

なので
やって見せていればいいんだよな、と

それで気付かないならそれだけの相手なんだから
それはもう致し方ないってことです

話し合いができる相手ならいいけど
赤の他人やましてや反抗期の子供に対して
叱ったって怒鳴ったって

なーーーーーーーーーんも意味がないことを
激しく徒労であることを
体感したのですよ小学生になった我が息子から


小学生男子恐るべし


なので私はまるくならざるを得ないというか
対処を変えざるを得なくなったというわけです


まるくなりましたよ私
以前よりは、ですが


どうか先生の言う「まるくなった」のが
私の体型の揶揄ではないことを
心の底から祈りますです

いや、それはないはずだそれは
目下59キロジャスト!!!
耳ツボやめたらまた痩せてきたっっっ

キタ━━━━━━━━m9( ゚∀゚)━━━━━━━━ッッ!!



2009年07月01日(水) その四十路、猛省中につき。

連日の大雨警報は気にならないけれども
減らない体脂肪は気になる四十路ですジトジトジト

目下生理中なんですが
いつもよりか妙に体調不良です

ダイエットと称して偏食ばかりしているので
やはり疲れやすく凹みやすくひねくれやすくなったりするのです


思いました
ダイエットは人を凹みやすくします
喰わねば腹は凹むだろうけど
気持ちも凹むのです

人間やはり
食べなければ不幸です
生気がなくなります

少食には慣れましたが
飲みたくもない甘臭いシェイクなんか飲んでたら
本当に不愉快の極みなのです


なので
私は基本に戻りたいと思います
私好みのサプリメントはやはりタブレット
甘くなく薬のようにジャラッと一瞬で飲めるのが性に合ってます

というわけで
マルチビタミン・ミネラル+ビタミンCをきちんと飲み
あとは少食を心掛けて
コーヒーと酒を
今後より一層減らしていきたいと思います

もう耳ツボ飽きた
つーか
耳ツボ張ってるとたしかに食事を少なくしてもお腹が減った感じが強くないのでよかったけど、おかげでもう少食にも慣れたし
てか
耳ツボ張り替えにいくの面倒だし


2009年下半期の四十路のテーマは「自制」

辞世じゃないですよ自制

自らを制するの自制


制しますよこの四十路を
もはや誰も制することのできなくなった丙午中年女を
そうです
乗り手がいないのならば私が制するのです


そうそう
それと最近、古本屋好きが再燃してきまして
100円とかでいい本をゲットする喜びを
何十年ぶりかで思い出して楽しんでいるのであります

しかし昔の本は文字が小さいっっ

けれども
たった100〜150円ぽっちで
古典やら教育論やらが勉強できるんですから
素晴らしき哉古本の世界ですよ

43にして再び学に志す

大学ノートの裏表紙に四十路ちゃんを書いたりはしませんが
本年度下半期は古本読書と勉強に勤しみたいと思います


なんでまたいきなりこんなこと頑張ろうと思ったかっていうと
最近おもいっきり「言葉が出てこなくなった」んですよ
先週、学校の役員会議がありまして
その時
自分が脳味噌で考えていたことが
口からスラスラと出てこなくなったことに愕然としたのです

いや
兆候は以前からありましたが
ここ最近、露骨にひどいのが恐ろしくて

脳味噌狂ったのかとドキドキするんですよ
脳と口の回路がショートしてる感じ

本気でゾッとしたので
これは勉強するしかないぞと
思った次第です

机上の学習だけでどうなるものではないと思いますが
読書を「音読」にすることでまた
滑舌のトレーニングとか
考えながら読むことで脳と口の回路の修正が図れはしないかと
ささやかな望みをもって取り組むことにしたのであります

脳のアンチエイジングも怠らないようにせねば


中高年は忙しいんだわ!!!!!!!!!!もうっ!!!!!


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書いてる人 : Dynamiteおかん