このベタナギな世界で

ただ波間にたゆたうだけ

記憶力が…

2006年10月30日(月)
通常、記憶力というとどんなイメージなんだろう。よく覚えがよい例えなどで、「スポンジで水が吸収されていくような」みたいな言い回し聞いたことない?本当のことがどうあれ、みんなはどう思い浮かべるのかな?真っ白い画用紙とか?ブロック積み上げてくような感じとか?それともグラフみたいなものなのかメーターみたいなものなのか?みんなあくまでも自分のイメージしやすいやつね。

今日、思ったのはオレの記憶力イメージとは、液体だった。コップに水(記憶)が入ってるような感じのさ。これまで液体としてのイメージで考えてみたことなかったから個人的には新鮮だったけれども、これってけっこういそうだよなぁ。今の自分にはこれがあってるな…。使わなくても勝手に蒸発していって減ってしまうような、なんとも時間の流れを感じてしまうような、無抵抗のうちにも消えてしまう、そんな記憶。つまり老人化してきているのに違いないとお思う…うっせぇ!黙れ。泣きながら去っていくのであった。

深い夜の庭で

2006年10月28日(土)
疲れきって眠ってしまった。なんだか寒い季節になってきて、何もしたくないようにさせる誘惑がこちらを見て手招きしてるようだよ。寒いのは嫌いではないけど、季節の変わり目って嫌なモンだ。考えを文章にしたいのだけれど、うまくまとめられなくて下書きしてるものが増えてしまった。寒い夜に気心知れた仲間で鍋したいなぁ…。

意識の違い

2006年10月25日(水)
この前に「経験」とかすぐ持ち出すことにウダウダ言いました。ちょっと説明が足りてなかったようで、ある方に誤解を招いてしまったようで補足というか、付け足しです。うまく伝えられずに申し訳ない、言いたいのはこんな感じです。その時にも書いたけど、別に経験が不要なんて思ってない。経験を持ち出して、他のものを押さえ付けようとする傲慢さが嫌いなのだ。たしかにそれで正解の時もあるのだ。オレは謙虚なのだ。だが、これを美徳とするとか優越感を持つとかそんな余裕もないものなのだ。要するに謙虚にならざるをえないという立場なのだ。おそらくこれからずっとそうだろうし、そうであることに不満もない。今とは違った意味で「経験」とかすぐ持ち出すことにウダウダ言ってた時期があった。俗にいう「若気の至り」というズバリそのものの意味もないような反抗心というか、自惚れがそうさせていた。だがそれは「経験」を持つものにコテンパンにされてしまった。そして「経験」を持つものはくやしいほどに寛容であることが多い。それがさらにレベルの差をみせつけられてテクニカルノックアウトだ。賢い「経験をもつもの」は更にレベル高いので、その自分の持つ経験では計れない事象があることも心得ている。運がよければ、そういう人物を身近に得ることが出来る。その行動や仕事っぷりを見ていれば謙虚になるしかないもん。またそういうようになりたいとも思うし、そういう環境に自分が存在することを感謝したくなるし、日々勉強出来る歓びもある。だから選択肢としてそれしか選べないとでもいいたくなるようにしてなっていった結果としての謙虚。それでも中身もないのに「経験」などと抑圧的に持ち出すものは区別しなければならない。そういなければ、自分の進むベき方向の障害になるだろう。認識は大切だ。根底にある意識が違い過ぎるもの。

chain reaction

2006年10月24日(火)
人と人との繋がりの神髄のようなものを体験することは、私の歓びとするところであります…と書き出したくなるような爽快な気分を味わった。停滞していたスケジュールがまた動き出したようなものだ。予感はあったのだ。兆しはあったのだ。

最近は何もかもがバラバラで、なんというか自分の行動に統一性を自分でも感じられない、つまり目的もなくて、その場の与えられた物事を単純にこなすような、そんな機械的な制御された日常だったかもしれない。もちろん、それも悪くはないのだが、スパイスをパッと振り掛けるような、そこにもう少し方向性をつけたいと思っていた。その方が日々、張り合いがあるってもんでしょ。初志貫徹か柔軟な対応かとか、とりあえずいろいろ模索してみたものの、正直、限界かもしれないと感じ始めていたところに風邪ひいてすべての活動の休止を強いられてしまったので。とりあえず、読書でもして身動き出来ない間の時間をつぶしていたのだけれども。基本的に読書嫌いでもないし、考えるのも嫌いでないしということで、アイデアがたまってきた。ただ、こういった場合気をつけなければらならないのが、頭の中で昇華して培養されたものを一度、俗っぽくアレンジしなければ誰にも伝わらないことだ。だって所詮、高尚な自分の理想を熱く語るだけの滑稽な光景なんか誰も欲しくないって。それはそれぞれが持っていれば良いのだ。

このあたりの流れが、急に繋がりはじめた。しかも予想以上に副産物をボンボン産み落としていきながら。それがもう震えちゃう。なんだろうこれは?という驚きを隠せない。これは一体なんなのだ?

ストレート

2006年10月23日(月)
しっかし寒くなった。心も寒い。風邪から体調を戻したけど、実はまだ本当には治ってないのがムカツク。いつも2月くらいに悪い風邪のひき方してるが…この季節はめっちゃ活動期なのに、今年だけこんなことになってしまったことがムカツクのだ。そりゃ未来なんてのはわからないし、絶対なんてあり得ないとか、そんな常套句をのっけてみたりするのもありがちだけども。今はそれじゃダメだ。全然ダメ。とり憑かれたような狂気が今のボクには必要なのだ。

知識を得て、心を開き、自転車に乗れ!

2006年10月22日(日)
そりゃそうだ。先生ボクもそう思います!といったところだろう。でもまぁ知識って別に本だけから得られるものでもないしさ。経験ってのは大事だろうと思うんだ。けど、これはあまり言いたくないって感じだ。努力して学んでもいないような何もないような人に限ってそんなことばかり強調して言うモンだから、経験が大事なのはもうホント心底、理解してて認めているんだけど、わざわざ言わない。そこに逃げるのはちょっとな…逃げるだけならまだいいのかもしれない。さらに「そゆのわかんないけど経験はありますから」とかいらんこと言っちゃうみたいな。その保身的な姿勢が志が低いようで同じになりたくない気分になるんだよな。「一緒にしないで!」と。

一度,空気を入れ換えよう

2006年10月20日(金)
読書ばかりしている。ちょっとおりこうさんになれたかな?今月は過ぎるのが早かったなぁ…何もしないうちに終わりそうだ…と書きながら振り返ってみれば、風邪ひいててあまり活動が出来なかったんだというのを思い出した。別にサボってたわけじゃなかったのでホッとしたような…健康って大事ですよねホント。

今日はなんかとてもせつないっすよ。せつねーせつねー
せつねーもうとんでもなくせつねー
色んな事思い出したりして胸がキューーっと締めつけられる

そんな秋の夜更け

中庸

2006年10月19日(木)
このような状態を保持することの難しさよ。そこに至るまでには多くの荷物を捨てなければならないだろう。むろんその軽快さ故、動きやすく多向性を実現しやすいわけだから、最小限の手荷物にとどめたいものだ。よくよく考えれば執着するに値するものとは何ぞや?それほどのものがどれくらいあるのか?無常

紅茶のシャルロット

2006年10月04日(水)
ダウン。風邪が治らないよ。今回の風邪はあまりいい風邪ではない。風邪にいいも悪いもあるのかないのか、そんなのはどうでもいい話だが、どうも治りが遅くて焦る。どうも咳が止まらないんだよね。個人的だろうけど通常の風邪ひいてるのは発熱や悪寒、頭痛、鼻水…くらいまでで、その先は回復方向で軽く乗り切ることが出来ている。今回はその先がダラダラと咳やら続いて無駄に時間を過ごしている。初期症状では頭痛などに悩まされながら考え事したりするのはつらいんだけど、今はそこは通過してるので頭は以外と働くのだけれど、なんとなくカラダが軽快ではなく…いわゆる体調が悪い感じ。とりあえずお茶を飲んでくつろぐ。…関係ないけどな。

夏はさ、水分補給って意味でも飲み物は超必要で不可欠という感じだけども、今はなんというか優雅に時間を過ごす為にお茶している、この贅沢な時間を有意義に感じながら、思考を遥か彼方まで飛ばして遊んでいる。あと風呂もそうかな。至福のリラックス状態にいながら思考を宇宙の果てまでも飛ばすのだ。よく忙しくてゆっくり風呂入る暇もないよ!なんていうけど、リラックス状態で考え事が出来る時間なのにもったいないなと思う。仕事のことでも人間関係のことでも将来の夢のことでもなんでもいいけど、せかせかしながら考えたって頭の中はきっと悪い因子が溢れてると思うんだ。そんな時に明るい未来像なんて浮かばなそうな気もするから嫌なんだよね。いや、ちょっとシャワーしてるだけでもリラックスしてる感じしないか?ネットなんかでネットしまくって風呂も入らないみたいなのをたまに見かけることがあるけど…まるで世界が違うなぁって思う。どうなんかね?悪い因子が溢れてるとか、そんなイメージそうでこわいな。

流れるは飛ぶに非ず

2006年10月01日(日)
ニュース系サイトって見てる?なんか便利だよなぁと感じててさ。でも、自分でやるほどのエネルギーもないし、ただただひたすら利用者。なんかめちゃくちゃ時間使ってそうなんだもん無理、無理。でもあの情熱なのか…よくわからないがすごいなーと感心するな。速さが信条みたいなところがあると思うんですよねニュース系。やっぱりジャンル特化されてたりすると使う方は楽だもん。でもまぁ面白みがなければ、それだけつーことにもなるのかもしれないんだけど。とりあえず、それはそれでいいかと。切り口が斬新に感じたりするとよく通ってしまうようなところがあります。共感性てかフィーリングが合ってるとかそんな感じのやつ。だからそんなところが閉鎖なんかになるとがっくりなんだよね。あれは心臓によくない。