2011年03月31日(木) |
困った大人達 その2 |
原発にお詳しいという菅総理、お勉強でお忙しいのか、あんまり表に登場していない様子である。 その勉強会か記者会見か、何の場面でかは詳しく知らないが、総理の口からこんなボヤキが漏れたらしい。
「こんなに頑張っているのに……」
頑張ったと褒められるのは、子供だけだ。 大人の世界は、特に社会人は、結果が全てなんだよ。 いい歳して、何を今時のゆとりみたいな事を抜かしてるんだか。 これが還暦過ぎたジジイ、しかも総理大臣の台詞かと、愕然とした。
誰かこいつ殺してくれないかな……。
2011年03月30日(水) |
困った大人達 その1 |
朝のTVでニュースを見て、唖然とした。
ボーカルの草野マサムネ(43)が、東日本大震災の影響による「急性ストレス障害」と診断されたため、人気ロックバンド「スピッツ」が4月に予定していた4公演を延期するのだそうな。 (私にはよくわからないのだが、スピッツの音楽はポップスではなくてロックらしい。意外な気がしたが、ちゃんと本人達はロックとしてやっているのか、と今回のニュースでは変な所で感心した)
マサムネ……。 いい歳したオッサンが、何やってんだか。 まあスピッツのボーカルなら、芸術家だし繊細そうだしさもありなんという感じもするが、彼に限らず、今回の震災で精神的ストレスから体調を崩す人間が案外多いのだそうだ。 被災者でもないくせに。 家族も友人も家も財産も失っていないくせに。 何で全然被災地じゃない東京の人間がストレスで倒れるんだよ。 どんだけもやしっ子なんだ? と、私はこの現象を、驚きと呆れと腹立ちの入り混じった感情で見ている。 繰り返し流される津波の映像や、原発関連のニュースで、精神的に参ってしまうらしいが、それらを強制的に見なきゃならない報道関連や行政の人間なら兎も角、一般人なら見なけりゃいいじゃん。 TVの電源を切ればいいし、新聞も読まなきゃいい。 自分の事位自分で制御しようよ。 元々心のビョーキの人はある程度仕方ないけれど、そうじゃない人は一体何なんだ? 「被災者の心に寄り添える、心優しい私」に陶酔しているのだろうか。よくワカラン。 確かに今回の震災は酷い。 しかし世界に目を向ければ、毎日どこかの国で戦争があり、罪も無い人々が死んでいるのだ。 ほんの少し前にはNZ地震があり、リビアではずっと大変な状態が続いている。 国内だって、毎日事件や事故は起きていた。「被害者」は毎日生まれていたのだ。 それなのに今回の被災者にだけは同調するって、どうにも納得行かない。 そういう人達は今まで、アフリカの飢えた子供に同情して、体調を崩すほど泣いたりしたの? そんな事ないよね。 結局、偽善なのだ。 そういうのは無駄だ。何の得にもならない。 馬鹿馬鹿しいから、今すぐ止めて頂きたい。 生き残りですらないのに、サバイバーズ・ギルト(生存者の罪悪感)を感じる必要も無い。 本当に倒れたいのは、被災地の行政や医療の関係者だろう。 それでも仕事があるから倒れられない。 身内が行方不明でも、彼等は探しにすら行けないのだ。 被災者でもないマサムネが倒れてどうする。 結果、関係者やファンに迷惑をかけている。 困った大人だ。
置かれた立場も状況も環境も違うのだ。 日本人は横並びが好きだが、皆が被災者になる必要など無い。 被災者に遠慮して、必要以上に楽しみを自粛する必要も無い。 自粛は経済の停滞を招く。浪費の必要は無いが、普通の消費はして欲しい。
我が家には電気ポットが無い。 鉄瓶でお湯を沸かし、魔法瓶に入れている。 魔法瓶は中が硝子で、外側にはあるキャラクターが描いてある。これが気に入って買ったのだ。 とは言え、台所に置いてあるものだから、油や調味料が飛んで汚くなっているけれど。 中のお湯が冷めて来ると魔法瓶はキュウウ〜〜と音を立てる。 これが泣き声のようで、我が家では「タマミちゃん」と呼んでいる。 名付け親は主人だ。 名前の由来は勿論、謀図かずおの「赤んぼ少女」から。 原作漫画は読んでいないが、映画の放映を観て以来、魔法瓶が音を立てると、「タマミちゃんが泣いてるよ」と言うようになったのだ。 本当は、絵柄のキャラクターの名前で呼びたかったのに、すっかり定着してしまったではないか。 時々、隣の子供が泣いているのと混同する事があるけれど。
大地震の時は、電気ポットじゃなくて良かったとつくづく思った。 タマミちゃん、大活躍である。 震災を共に乗り越えたタマミちゃんだったのに、本日、大変な事が。 中をさっと濯いで、流しの端っこに置いたのだが、置き方がまずかった。 不安定なところに置かれたタマミちゃんは、バランスを崩して転落したのだ。
ガッシャーン!!
と嫌な音を立てて、タマミちゃんの頭からは、内部ガラスが飛び散った。 破片がキラキラと美しく煌き、タマミちゃんの成仏を願うかのように、華やかに彩っていた。 タマミちゃん……折角震災を生き延びたのに、私の不注意でごめんよ。 片付けをして、主人にメールを入れた。 「タマミちゃんが……お亡くなりになりました。落としちゃったんです。一緒に冥福を祈ってやって下さい」 返事はすぐに来た。
「殺したのか…… (^∧^)」
ちがーう!! 殺してない! あれは事故だったんだー!!
今日になって、震災以来初めて、やっと、給油する事が出来た。 一寸並んだけれど。 給油制限はもう無かった。 主人には満タンにしとけと言われたのだが、仕事で車を使う人達への遠慮と、ほぼ空→満タンにしたら幾らかかるんだという不安から、途中で止めて貰った。 それでも車にガソリンが入ったら、なんか安心した。 そのまま買い物へゴー。
花粉症の主人のために、ドラッグ・ストアへ行き、眼鏡の曇らないマスクを買った。 店内は寒かった。 天井を見上げると、エアコンがあった筈の場所に、ぽっかりと四角い穴が開いている。地震で壊れたらしい。 そう言えば、いつも行くスーパーでも、エアコンの周囲に罅が入って下方に迫り出していた。あれは弱点なのか。 外套を着ていても寒いのに、店員さんはカーディガン姿で、手を紫色にしてレジを打っていた。 防寒着の着用ぐらい許してあげてよ、店長……。
次は携帯電話会社へ。 今の携帯電話はとても気に入っているのだが、機種変更を決断したのだ。 バッテリーは交換して貰ったのに、機種が旧いからか、すぐに電池が減るので停電時にとても困ったからである。 しかし、今以上に気に入る機種には巡り合えず。 悩んだ挙句、まあこれならいいかな、という次善の策的に妥協出来る物を選んだ。 一寸高いけれどまあいいか……と思ったら、なんと今月は災害特別値引きがあるのだそうで。 人が大勢死んだ災害のお蔭で安くなるなんて、流石の私も素直に喜べない。 貯めたポイントと併せて1.5万円も値引きして貰った。それでも私にとっては高いのだけれど。 新しい玩具を手に入れてほくほくして帰宅したが、今もテーブルの上には、新しい携帯と一緒に旧い奴が置いてある。 やっぱりこの型、旧くても好きだったんだなあと改めて思う。 電池さえ持てばもっと使っていたかったものの、新しいのを手にすると、その画面の大きさ・見易さ・使い易さには目を瞠るものがある。 ううむ、電話機として使うだけなら今までのでも充分だったが、情報アイテムとしてならやはり新しい方が断然いいのか。 私としては、両方持ち歩きたいけれど、それは無駄だよなあ。
折角新しい玩具を手に入れたので、使いこなせるように鋭意勉強中。 今のままでは完全にオーバースペックだもん。
津波の被災者達は、本当にあの場所で生活を再開させたいのだろうか。 TVで見たアンケート結果によると、YES;またここで暮らしたいという人が8割、NO;もうこんな所嫌だという人が2割、そして全体の半数が「ここにいたいけれどもう無理だろうな」も含めて引っ越したいんだそうで。 でも、人の移動は遅々として進まない。 宿泊施設として内陸部の温泉地に被災者を受け入れるという案は、実行されているのに、行く人は少ないという。 1日中避難所で眠っているジジババなんてどうせ邪魔なんだから、さっさと集団で温泉地に移動すればいいのに、何故か動かない。 それは、田舎特有の「皆と違う事をしたら村八分にされる」という恐怖があるかららしい。 正直、馬鹿馬鹿しいとしか思えない。 行政も、いちいち避難民のお伺いなんて立てなくていいから、さっさと強制移動させればいいのに。
もうひとつもどかしいのは、「思い出の品」というやつ。 瓦礫の中から自衛隊員達がアルバムやら位牌やらを拾っているのだとか。 それは死体探しの序でなのかも知れないが、ごみ拾いは自衛隊の仕事じゃないでしょ。 (そもそも死体探しも自衛隊の仕事ではないのだが、本来それをやるべき地元の警察官も流されちゃって人手が足りないらしい) 「住民の思い出の品を、一律ごみとして処理してしまっていいものか」という思い遣りから出た話らしいが、そんな事やっている場合かよ。 行政も保管場所や方法などで、その処理に困っているらしい。 貴重品以外は全部ごみ扱いで、さっさと瓦礫の処理をしないと、復興なんて無理無理。 どうしてもと言うなら、避難所にいて動ける人達が自力で思い出探しをすればいいのだろうが、瓦礫の中の死後何日も経った死体とコンニチハする覚悟があるか、あっても心の傷とやらになる虞があるから、これはお勧め出来ない。 (というか自衛隊員達の心の傷も心配。まあそんなもんは自力で日薬で治すしかないのだが) 滅茶苦茶に破壊された家の片付けをしながら、思い出の品を片手に談笑するジジババを見て、せっかちな私はどうにも苛々したのだった。 住民達が復興を望むなら、この際個人の感情は排除して、行政が強権を発動して、もっと合理的に手早くやらないと。 尤も、あの場所が再び津波に呑まれない保障は全く無いのだけれど。
嗚呼でも私が主人と死に別れて、死体も上がらなくて、しょっちゅう外している結婚指輪も全部津波に呑まれて何にも無くなったら、流石に泣くかも。 指が痒くても、指輪はしておこうと思った。 11日の地震の時も、指輪外しっ放しだったんだよな。帰宅して流し脇の小物入れの中にあるのを見付けて、そういや外してたんだっけと思い出した次第。 大事な物は肌身離しちゃいけないね。
半月も経ってから知った事実。 知り合いが行方不明らしい。
住所を地図で調べたところ、位置的にお家は流されただろうが、本人は避難して無事だろう、今は大変だからもう暫くして落ち着いてから携帯に電話でもしようと思っていたのに、まさか行方不明とは。 元々沿岸の人ではないから、津波の怖さを知らなかったのだろう。 ご主人は職場にいて無事だったが、今は仕事を離れられず、奥さんを探しに行くのも儘ならないらしい。 ご主人の事が大好きで、単身赴任にさせずに転勤先に一緒に付いて行って、そこで被害に遭ったのだ。
それを知った日は、流石の私も良く眠れなかった。 仲良くさせて貰っていた人が、こんな形で急にいなくなってしまうなんて。 あの時ああしておけばこうしておけば、という後悔の念が湧き起こる。 我が家も転勤族で、主人は昨年、被災地への転勤を希望していたのに刎ね付けられた。 今頃津波に飲まれていたかも知れないのに、私は難を逃れた。 なんであの人が消えて、私は残っているのだろう。 でもこれ以上考えると、生き残り症候群になりそうなので、やめよう。 運命だったのだ。そう思う事にする。 私は今、生きている。だから日常を生きるのだ。
知り合いには生きていて欲しいが、現実的に無理だろう。 早く見付かって家族の許に帰れる事を願う。
本日も給油出来ず。 土日には車通勤組がまた大行列をなすだろうから、週明けに持ち越しだな。 薬が切れたから、病院にも行かないと。 天気のいい日を選んで、電車と徒歩で行こう。
2週間経つのに、原発の状況は良くなるどころか、悪化の一途を辿るばかり。 これ、東京電力に任せて大丈夫なのか……? 政府が東電から取り上げて、外部にやらせるべきだろう。 当事者に任せておいて、ヤバい事があったとして、それを素直に公表するとは到底思えない。 企業なのだから、隠蔽→益々被害が拡大→どうにもならなくなって公表(というかバレる) という図式が容易に想像出来る。 政治主導で何とかしろよ、菅。
政府も東電幹部も低脳を通り越して無能としか思えない。 下手したら世界規模の問題なんだから、外国に泣きついてでも早く何とかしろ。
被害は広範囲に亘ったし、長野や静岡でも大きな地震があったのに、東北だけがクローズアップされている。 東北以外の被害者達は不満じゃないのかしら……。
阪神・淡路大震災の時は「がんばろう神戸」だっけ? 今回は「がんばろう東北」なのか。 東北じゃなくても、被災者達は「がんばろう」とか「頑張ろうね」とか言われる。 町に出た時も、商店主同士で「がんばろうね」と言い合っているのを聞いた。 遠くの友人までが、「がんばりましょう」で締められたメールを送って来たが、
そんなに頑張らないと駄目?
頑張れと強要されるのは、とっても嫌だ。 子供の頃からで、益々頑張りたくならなくなる。 「がんばろう」が公然の合言葉にされているのは、とても違和感があるのだ。 無理に頑張らなくてもいいじゃん……と元来怠け者な私は思うのである。 なので主人に訊いてみた。 「ね、私も頑張らなきゃ駄目?」 「いや、頑張らなくてもいい。シオンは寧ろ頑張らない方がいい」 その言い方は如何なものかと思うのだが。 「じゃあ貴方は? 貴方は頑張っているの?」 と訊くと、彼はきっぱり答えた。 「いや、頑張らない。いつも通りでいいんだよ。その方が上手く行くのさ」 なるほど、平常心の勝利か。
貴重なガソリンを使って、スーパーに行ってみた。 相変わらず、棚はスカスカ。 牛乳は開店10分で売り切れ。 欲しかったんだけれどな……まあでも牛乳無くても死なないからいいか。 その代わり、今まで買った事の無い煎餅を買ってみた。 美味い……! 気に入った。
営業中のガソリンスタンドには、長蛇の列。 最後の1目盛りを切っているので、そろそろ給油したいのだが、並んでまで欲しいかと言われると、一寸微妙なので、そのまま帰宅する。 途中で百円ショップに寄ってみたら、意外な掘り出し物が! 野菜ジュース発見。 お菓子も買った。
ガソリンに携帯電話に手回し充電器、車のライターに繋げる充電器、色々と欲しい物はあるし買い物に行きたいのだけれど、それが叶わないため、物欲が変な方向に爆発している。 それがお菓子だ。 見付けると、わあ〜♪という気分になって買ってしまう。 困ったな……。 全然節約にならないし、折角震災痩せしたのに、元に戻ったじゃないか!
2011年03月22日(火) |
石原発言を一寸だけ弁護してみる |
町は少しずつ、日常を取り戻そうとしている。 工事の音が聞こえた。 開店しているスタンドには、相変わらず長蛇の列が出来ているが、工事用の機械が動いているのは、ガソリンが出回っているという事なのだろうか。 でも、余震かと思って一寸びくついてしまう。 トラックが通った振動でも、耳を澄ませてしまう。 震度4ぐらいなら、またかという程度には慣れた。 5は来ないで欲しいなあ。 また電気が止まったら困るもん。
今回、オール電化じゃなくて良かった!と思ったが、都市ガスの場合、1度止まったら復旧に1箇月かかるのだと聞いた。 うちは被害が電気だけで済んだため、ガス併用で良かったと思ったが、都市ガスの家が全部やられた場合、電気→水道→ガスの順番で復旧する訳か。 そうすると、オール電化が強い事になるが、災害でどの程度の被害を受けるかは全く予測出来ない。 しかし災害に限らず、計画停電もあるし、そんな時にオール電化だと、お湯すら沸かせない。 やはり併用が1番良いのだろうか。
神奈川県の松沢知事を後継にとか言っていたくせに、翻意して4期目を目指して都知事選に出馬する石原慎太郎が、今回の震災に関してこう言ったらしい。 「津波をうまく利用して我欲をうまく洗い流す必要がある。積年たまった日本人の心の垢を。これはやはり天罰だと思う」 これを失言として非難する人が多いが、敢えて擁護してみる。 彼は決して「被害者に天罰が当たった」とは言っていない。 天罰は飽くまで日本という国に対するものというつもりで言ったのではないか。 どうせ言うなら、「被害者は犠牲になったのだ」とまで言えばいいのだが、多分石原の事だ、被害者に関しては考えていないと思う。 考えていれば、普通、津波は天罰だと思ったとしても、軽々に口に出来ないだろう。 古来、神様への奉げ物は、1番尊いものが差し出されていた。 悪いものや要らないものでは、奉げ物にならない。 天罰だとしたら、被害者達はまさに「尊い犠牲」なのではないか。
だから私は生き残ったんだよ、うん。
2011年03月21日(月) |
地震2日目以降、まとめ |
電気の消えた町は寂しかったが、駐車場で車から降りると、夜空の星が綺麗に見えた。 眼鏡じゃなくてコンタクトだったら、もっと沢山見えただろうなと思いながら、お隣さんと一緒に徒歩で避難所に向かった。 避難所では、新しい毛布をひとり3枚も支給された。 人が多くて物が行き渡らなかった避難所もあったらしいが、私が行った所は比較的被害も少なく、従って避難民も少なかったようだ。 そこから実家と友人に「今、避難所。今日はここに泊まります」とメールを打ったら、彼らは酷く心配したらしい。 「あのシオンに、汚くて過酷な避難所生活が耐えられるんだろうか」と。 そこまで心配される私って……。
寒かったけれど、主人と一緒なので安心出来た。 お昼から何も食べていないのに、何故かちっとも空腹を感じない。 それでも食べとけと主人が言うので、主人のカレーライスを少し貰った。 緊張のためか頭痛がしたので、市販の鎮痛剤を飲んだ。 ストーブの周りには人が集まっていたので、少し離れた所で主人と毛布に包って横になり、1時間だけ眠る事が出来た。 一度大きな余震で起こされたら、後は寒くて寝付けなかった。余震でびくびくしてしまうし。 なので起きて、後から運び込まれたストーブの前に主人と座っていた。 発電機も来ていたので、携帯を充電させて貰う。自宅の電気が駄目だったので、その後も充電しに度々避難所に通う事になる。 長い夜が明けて、朝になった。こんなに早起きするのは久し振りだ。 隣の子供は、7時半きっかりに目覚めていた。 お隣さん曰く、普段通りの時間に寝て起きたとか。寝付きも良かったし、夜泣きもしなかった。 避難所でもずっといい子にしていた。歯磨きの時だけ暴れて泣いていたけれど(笑)。 主人はそのまま仕事だと言うので、お隣さんと一旦帰宅する事にした。
家の中は避難所より暖かかった。 しかしする事が無い。 散らかってはいるが、元に戻したら余震で木阿弥の予感だし、地震前に掃除してその後すぐ家を出たので床は綺麗。 家計簿整理の続きをしようにも、停電でPCが使えない。 TVもミシンもだ。 水道とガスは大丈夫だったので、取り敢えずお湯を沸かして、お茶にした。 お湯は沸かせるのだ。それならと、明るいうちに洗髪をした。 本でも読もうかと思ったが、読み始めると没頭してしまうタイプなので、余震が来た時に危ない。 なので通販のカタログを眺めていた。見終わったら紐で纏めて、次の資源ごみに出せるようにした。
夕方、主人が帰って来た。 玄関脇に積み上げていた夏用タイヤが崩れているのを指摘されたので、 「だってどうせ余震が来たらまた崩れるんだし、無駄じゃん」 と言ったら、脱力された。 「いや、あれは見た人が凄く空しいというか、嫌な印象を受けるからさ……」 と、自発的に積み直してくれた。 ガスは来ているが電気が無いとお風呂が沸かせないので、台所で沸かしたお湯でタオルを絞り、それで体を拭いて貰った。 主人がどこからか蝋燭を貰って来てくれたので、その明かりを頼りに、夕食は冷蔵庫の中から、1番早く悪くなりそうなものから食べた。 ご飯は鍋で炊いておいた。主人は電気炊飯器で炊いたものより美味しいと言う。 でも火加減が一寸面倒なので、今のうちしか作ってあげない。 避難所で朝、また主人のカレーを少し口にしただけで昼は食べていなかったので、すぐにお腹一杯になってしまった。 空腹中枢がいかれたようで、全く食欲が湧かないのだ。 主人は心配してもっと食べろと言うが、本当に食べたくないんだってば……。 その夜は一緒に布団で眠った。 「静かだね。電車の音がしない」 そう言われて、初めて気が付いた。そういや電車も止まっているんだっけ。 「電気の音がしないから凄く楽だ。信号の変わる音もしない」 ……この人は以前も雪の降り積もる音が聞こえると言っていたが、信号が赤から青に変わる音まで判るのか。 睡眠不足のせいか、主人と自分の布団で安心したせいか、前の晩とは打って変わって、ぐっすり眠れた。
地震3日目は夕方からの勤務だというので、台所で沸かしたお湯を風呂場に持って行き、主人の洗髪を手伝った。 お湯をケチったらぬる過ぎたようで、悲鳴を上げていた。スマン。 天気が良いので、部屋の中は昼間は暖かい。 主人が片付けようと言うので、2人で部屋の片付けをしたら、かなりすっきりした。 夕方、主人は仕事に出掛けて行った。私は1人で夜を過ごす事になる。 食欲も戻って来たので、ちゃんと食べた。 暗くなったので布団に入った。しかし寝付けない。 余震や自分の脈の音にびくついて、よく眠れなかった。
4日目、地震後初めて、町に出てみた。 顔を洗うのも面倒だし、今日も家にいようかなと思ったのだが、散歩がてら見に行こうかと思ったのだ。 顔を洗って外に出ると、窓が割れ、看板は落ち、壁には罅が入り、塀が崩れ落ち、余所ではこんなに被害があったのかと驚いた。 外出する事はあっても、避難所との往復だけだったため、日の光の下で町の様子をはっきりと見た事が無かったのだ。 ふらふら歩いて行くと、青果店が開いていた。 大好きなせとかと苺と加糖練乳を買った。 生活必需品ではないが、お金は生きている間しか使えないのだ。先の大地震でそう思った。 今度はコンビニで、野菜ジュースとチョコをじゃがりこを買った。 カップ麺の棚は空っぽだった。皆そんなにカップ麺好きなのか。 お湯が沸かせるなら、カップ麺よりご飯の方がいいと思う。こんな時にジャンクフードばかり食べていたら、健康に悪いし、ただでさえ苛々しているのに益々苛々しそう。 夕方には主人が帰って来たので、2人で晩御飯を食べた。 冷蔵庫には、もう調味料ぐらいしか残っていない。明日は買い出しに行こう。 布団に入って暫くすると、電気が点いた。 一瞬で消えたが、電気の復旧が近いのだ。 明日には戻るかな、と思うとわくわくした。 もうすぐ電気と共に日常が戻るのだ。 嬉しい気持ちで眠りに就いた。
しかし22時頃起こされた。義父からの電話で(怒)。 無事だって人伝で言ったろうが、こっちは20時には寝てたんだよ、そっちは電気もすぐについたんだろうが、通常営業気分でこんな時間に寄越すなー! と腹が立ったら眠れなくなった。くそう、義父め……! お蔭で日の出と共に早起きする夢がぶち壊しだよ。
結局電気が復旧したのは、日が高くなってからだったんだけれどさ。 そして私の中では、ほぼ普通の生活に戻った。 スーパーではあれもこれも手に入らないみたいな報道だけれど、便所紙はもとから買い置きしているし、乳製品食べなくても死なないし、特に困窮はしていない。 そろそろ病院に行きたいけれど、薬が切れたら死ぬような病気でもないし、もう暫く大人しくしていようと思う。 連休中も夫婦2人で大人しくしていた。 だってガソリン無いし、電車も止まったし、行ってもお店やってないし、主人は花粉症だし。
大地震から1週間以上経って、自分の心も落ち着いて来たので、記録として。
我が人生最大震度で、棚からは本やCDが落下した。 立て掛けていたアイロン台は倒れ、電子ピアノの上の物も落ちている。 落下物の中で1番重かったのはアイロンで、床がちょこっと抉れた。 プレステ2は落ちたが、TVもミシンも無事。壁にかけていた小さな額縁もそのまま。 そして何故か、PC台の上に置いてあった未開封のジョン・クリーズ人形は、倒れてさえいなかった。 記録の写真を残しておこうかと考えたが、棚の物が全て落ちた訳ではなく、ほんの一部だったのでやめた。 そこまで悲惨ではなく、雰囲気は普段と余り変わらない。(主人にそう話すと、酷くがっかりされた) 後で隣の奥さんに訊いたら、やはり大した被害は無かったという。 この建物は窓が南北方向なので、東西の向きにしか家具を置けないのだ。 主人が、TVが駄目になった同僚や、食器類を壊滅された親戚に聞いたところ、何れも家具の正面は南北を向いていたらしい。我が家よりも震源地から遠いのに。 だから、揺れの方向と家具の向きが上手い事合っていたのではないか、と我々の中で何となく答えが出た。素人なので本当のところは知らないが。
さて、最初の大きな揺れが治まって私がした事は、避難用荷物の纏めだった。 幸い部屋の中は大した被害が無いので、片付けないと危険という事も無い。 それにどうせ片付けたって、大きな余震が来ればまた落ちるのだと思うと、無駄な気がした。 次の行動は、私にしては早かった。流石に尻に火が着いたか。 いつも使っている肩掛け鞄に、取り敢えず肌身離さず持っていようと思う物を詰めた。 ・財布・携帯電話・その充電器・化粧ポーチ・メモ帳・ボールペン・ハンドクリーム・塗り薬・当日分の飲み薬・ペンライト・スペアの単四電池・現金・通帳・印鑑・定額郵便貯金証書・旅券・年金手帳・ワンセグTV。 年金手帳が本当に必要かは兎も角、貴重品まで持ち出したのは、万一火事場泥棒に入られた場合を考えての事である。 世の中には性根の腐った奴がいる。田舎だから泥棒なんていないから大丈夫などという事は決して無い。 交通手段の発達した今、余所者だって多いのだ。現に私も余所者だし。 取り敢えず、命とお金があれば何とかなる、と思った。 主人とは連絡が取れていなかったが、生命保険証券は持ち出さなかった。天災なら免責になるだろうと思ったからである。 しかし後に、大手保険会社では、今回の震災は免責の適用外になったらしい。 わからないものだ。次回は持ち出そう。 いや、次回が無いといいのだが。
家の中にいると、余震で食器がカチャカチャと音を立てるのが不安を倍増させるため、車に避難した。 NHK第一をつけたが、日本語と英語または中国語の2箇国語同時放送で、非常に聞き取り辛かった。 苛々するので速攻消して、ワンセグTVをつけた。それで津波の実況放送を目にした。 えっ本当にこれが現在起こっているの?と不思議な感じがした。 運命が違っていたら、私がこの中にいたのだ。 エンジンをかけていなかったので、すぐに寒くなった。温かい飲み物を取りに部屋に戻った。 お茶をタンブラーに淹れ、膝掛け毛布を持って車に戻った。歩くとお茶がちゃぷちゃぷと零れて毛布にかかった。 スタバの蓋付きタンブラーが欲しいと思ったのは、この時である。しかし後に主人にその話をすると、 「ステンレスの水筒に入れればいいじゃん。2本もあるのに。流しの下で倒れていたぞ」 と言われ、初めて水筒の存在を思い出した。すっかり忘れていたわ。 車の中でも酷く揺れた。電線が縄跳びの縄のように揺れる。 地割れが起きたらどうしよう、すぐに逃げられるだろうか、と考えていたら、主人からメールが来た。 こっちも大丈夫だが、家の中はぐちゃぐちゃだと返事を出した。
暗くなって益々寒くなったので、一旦部屋に戻った。地震直前までストーブをつけていたので、車内よりずっと暖かかった。 取り敢えず、いつでも逃げられるように、荷造りをしておこう。 最悪の場合私だけ実家に逃げるつもりで、主人と私それぞれの着替えを別々に1泊分ずつ風呂敷に包んだが、寒さのためか動揺のためか、手が震えて上手く結べなかった。 他に要る物は何だろうと考え、思い付く物を片っ端からスポーツバッグに詰めた。 ・タオル・洗面用具・頭痛薬・整腸剤・私の飲み薬全部・ペットボトル飲料・お菓子・あとは? 荷物を詰めていると、お隣の奥さんが子供を連れて訪ねて来た。何かあったら宜しくと挨拶して行った。 主人からまたメールが来て、今日は余震も心配だし、取り敢えず避難所に来るかと言われ、じゃあ行くと返事をした。 折角声を掛けて貰ったのだからとお隣さんも誘ってみたら、一緒に行くというので、支度を待って一緒に避難した。 うちの車にチャイルド・シートは着いていないが、緊急時として免除して貰おう。 もう日はとっぷりと暮れており、信号も明かりも消えた道を、そろそろと車を走らせた。
今日からCM締めの「AC〜♪」がなくなった。 ACかTV局に、苦情が行ったらしいよ……。 そんなに嫌なら、CMの間は消音にするか、チャンネルをNHKに替えるかすればいいのに、皆カリカリし過ぎだよう。
そんな私は、ポポポポ〜ン♪にすっかり洗脳されてしまった。 今年の流行語大賞はこれで決まりなんじゃないか? 気が付くと、「たのし〜い な〜かま〜が」と頭の中で回っており、 「ポポポポ〜ン♪」 と口ずさんでいるのだ。 恐るべし、CMの力……! ナチスもこうやって人々を洗脳したのだろうか、と戦前のドイツに思いを馳せてみたりする。 折角なので、スキップなんかしたりして。 トイレに行く時も、主人にわざわざ言ってみた。 「行って来ます」 「どこに?」 「……いってきマウス! たのし〜い な〜かま〜が」 脱力する主人。
主人もトイレに行く時に、 「いってきマウス」 と言ったので、私が一所懸命頭を捻って彼を送り出した言葉は、 「……いってらっサイババ!」 とってもビミョーな顔をされてしまった。くそう、イマイチだったか。 そしてトイレから戻った彼が口にした挨拶は、 「ただい松本智津夫」 何故麻原! サイババ繋がりなのかっ。 トイレに籠もっている間にこれを考えていたのかと思うと、笑えた。
私って案外繊細なのかも知れないと思ったこの1週間。 震災後の数日は、不整脈が酷くて、血栓が出来て私死ぬんじゃ……と不安になり、益々ドキドキするという悪循環を起こしていた。 夜も、眠ろうとして横になると、地鳴りが聞こえる。 体を硬くして息を止め、地震の気配を探ると、それは地鳴りではなく自分の血が脈打つ音だったというのがしょっちゅうで、殆ど眠れなかった。 主人が添い寝してくれた時だけは、ぐっすり眠れたが。
ライフラインも徐々に復旧し、主人の泊まりの勤務が無くなると、我が家にも電気と共に日常が戻って来た。 それでもまだ地震の日々は続く。 1週間前の大地震で建物が弱くなったのか、それとも私が過敏になっているだけなのか、トラックが通るだけでも振動が響く。風が窓を揺らしただけでもビクビクしている。 椅子に座っていても、地鳴りの気配を感じる。 「来るよ」 と言った数秒後には揺れが来るので、主人からは 「シオンのケツセンサー凄いな」 と言われた。 でも嬉しくない。
2011年03月17日(木) |
この世でいちばん強いもの |
原発がヤバいと聞いた頃、日中は暖かく、春一番と思われる強い南風が吹いていた。 自衛隊関係者から人伝で聞いたところ、今のところ風程度は大丈夫だが、雨には直接触れないように気を付けた方がいいという話だったが、やはり怖い。 晴れていたが、帽子を被って頬かむりをして買い物に出た。 主人には「革マルっぽいな」と言われたが、革より核の方が怖いので、気にしない。 どうせ知人なんていないんだから、恥ずかしい事も無い。 日焼け対策で化粧をするのが面倒だったからというのもある。 そう言えば、面倒で朝から顔も洗っていなかったな。
原発が益々ヤバくなって来た頃、風向きが変わった。 寒波のお蔭で北風が吹いたため、今度は関東の人間が慌てる事に。 既に、東京を脱出する人も出ている。 見捨てやがって、自分だけさっさと逃げやがって、と非難する人もいるが、避難出来るあてがあるならどんどん逃げたらいいと私は思う。 皆が道連れになる事はないのだ。 それは震災被害者も同じ事で、動ける人は手段とあてがあるなら、どんどん出て行ったらいい。 人間は動けるからまだいいが、植物や土はその場所から逃げられないのだ。
原発は福島にあるが、その恩恵を受けるのは関東である。 大変意地の悪い言い方になるが、北風に変わってザマアミロという気がしなくも無い。 恩恵だけ受けようったって、そうはイカの[ピー]。 リスクもそっちで引き受けろや。 計画停電だって同じだ。 3時間程度の停電でギャースカ言うな。 こっちは3日以上風呂にも入れず我慢したんだよ。 (とは言え夏場じゃないからそんなに辛くはなかったのだけれど。お風呂そんなに好きじゃないし)
しかし大変なのは福島だ。 金で釣って危険物を福島に押し付けた東京電力は性質が悪いが、目先の金に釣られて危険物を引き受けてしまった福島、その見返りは随分高くついたな。 今後、福島産の物は怖くて誰も買わなくなるだろう。 その損失は計り知れない。
2011年03月16日(水) |
スーパー堤防は要らない |
事業仕分けでスーパー堤防を廃止と判定した蓮舫に、石原慎太郎が文句を付けたらしい。 200年に1度の大災害を前提としたスーパー堤防、今回の大津波で、やはり必要なのではないかと言う声が多く上がっているようだが、私に言わせれば
バッカじゃねーの(嗤)
スーパー堤防なんて無駄無駄。こればっかりは民主党が正しいよ。 この件で民主党を批判している連中は、田老町の惨状を見たのかね? 「津波防災の町」を謳い、高さ10m長さ2.5kmにも及ぶ堤防を作って津波に備えていたのに、この有様。 町ご自慢の堤防を過信して、逃げずに津波に攫われた人も多かったと言う。 スーパー堤防でも同じ事ではないのか。 巨額の血税を投じて巨大な堤防を作った所で、絶対大丈夫とは言えないのだ。 絶対の安全なんて、この世には存在しない。 特に日本は自然災害が多い。 いつ来るか判らないのは、洪水だけではないのだ。 今は景気の問題もあって、だからスーパー堤防を作ろうという人もいるだろう。 公共工事で民間は一時的には潤うかも知れないが、それで本当に良いのか、考えて欲しい。 国にとって本当に大切なのは、スーパー堤防より、教育なのだ。
私がスーパー堤防に反対である理由は、他にもある。 人間が自然を管理しようなんて、おこがましい。人間が生きていられるのは、自然のお蔭でもあるのだ。 自然は、あるがままでいい。あるがままだからいい。 人間は、自分の思い通りに自然の形を変えようとせず、自然に沿うように生きるべきだ。
本日電気が戻ってまずした事は、風呂掃除。 そして風呂に入り、残り湯で洗濯した。
11日午後、いつも通りワイドショーを見ながらインターネット・サイトを徘徊していたら、突然揺れが来た。 いつもの地震なら事前に地鳴りがするが、今回はそれが無かった。 大きいがすぐ収まるかなと思ったのに、どんどん揺れは大きくなり、TVもPCもぷちっと電源が落ちた。 食器棚がガタガタ言い、棚の上の物が落ちる音がした。 まだ死にたくないんですけどー!と本当に思った。
酷い地震だったが、我が家では幸い被害は無し。 食器棚の中でコップ等は横倒しになっていたが、無傷で済んだ。 TV台は動いたがTV本体は無事。 本棚もCD棚も中身がぴっちり詰まっていたためか、一部しか落下しなかった。低層建築物だったからだろうか。 同じ鉄筋コンクリートでも、近所の築数年しか経っていない筈の学校は、斜めに罅が入って凄い事になっていた。 そこの体育館は一応避難場所になっていた。 私も1泊したが、寒さと余震と鼾で殆ど眠れず。 家の布団の方が暖かいや。 電気は止まったが、ガスと水道は生きていたので、後は自宅で過ごした。 鍋でご飯も炊いた。赤十字米よりずっと美味しかった。 買いだめ癖が幸いし、食糧の備蓄も多少はある。
電気が無くても何とかなったが、1番困ったのは便座が冷たい事。 正直、ストーブが点かない事や風呂に入れない事より辛かったかも(笑)。 昨日までは割と天気も良く、昼間は暖かく過ごせた。 震災がこの時期だったのは、不幸中の幸いか。真冬や真夏だったらもっと酷かったろうな。
意外と役に立った物 ・ワンセグテレビ。充電しといて良かった。 ・ペンライト ・買い置きの電池。単三と単四。
買っておけば良かった物 ・ガソリン。迷ったのだが、灯油を買う序でに満タンにしとけば良かった。 ・車のライターから電源取るやつ。携帯の電池切れで困った。 ・スタバの蓋付きタンブラー。猫舌だから不要と思ったが、移動用に欲しい。
揺れがやっと収まった時に私が思った事。 ・退去の際に床の傷を咎められたら、全部地震のせいって大家さんに言えばいいや。 ・後悔しないように生きよう。 ・神は死んだ byニーチェ
他に思った事 ・友人よ、地震直後に電話とかメールとか勘弁して。家族間でも控えているのに。充電が持たないよ。 先日のNZ地震でも、報道を聞いて心配ですぐ教え子にメールしたとか言って高校教師が得意気に取材受けていたが、家族でもない人間は落ち着いてから連絡取れよと思う。 ・今、何故か東京の人が買いだめに必死らしい。それより被災地に回せよ!! ・避難所のTVでムカついたのは、オヅラと古館とミヤネとテリー。あ、いつもの事か。 ・オール電化じゃなくて良かった。今TVはACばかりだが、NUMOもCM出さなくていいのー?
電気が復旧した後、心配してくれた友人にメールを送ったら、 「元気そうに毒を吐いてて安心した」 と返事が来た。 毒……吐いてたっけ??
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