日々是迷々之記
目次|前|次
旬というものがやはりあるのではないかと思ってしまった。例の派遣の件だが、あれから電話があって、いろいろと確認された。「お子さんのご予定は?」とかまあそんな感じ。これは結婚していて子供がいないと割と尋ねられる。
正直に予定はありませんと答えるわけだが、この手の質問には疑問を感じる。派遣でしかも3ヶ月契約でその都度更新とかなのに、妊娠しようが、子供を産もうが勝手ではないか。長く働いて欲しいと思うのならちゃんと社員を雇えばいいと思うのだが、経費節減とかいろいろ勝手な事情があるのだろう。
それもあって今回の話はナシになった。女子は20代が中心の職場だから、というのが理由。気を遣ってくれてありがとうと言うべきなんだろうか。
前々から感じていたことだが、誰もが知っているような企業で営業のサポートみたいな仕事は、割と未婚の男性社員の嫁さん候補みたいな感じで採用されることがあるようだ。大企業になると女子社員が結婚退職などでいなくなると、後を派遣で補うわけだが、社内には高学歴で仕事の鬼みたいな男性がごろごろいる。残業も多いからおのずと出会いの機会も少なくなるわけで、それに対する福利厚生じゃないけど、そんな感じで女子の派遣を雇ったりするわけだ。
こういうパターンで社員と結婚した派遣の同僚は何人かいた。まぁ、女子の方も割とこれを狙って大企業ばかりを希望して派遣されてきている子もいたが。需要と供給がうまく合致しているということだろう。
しかしこれも20代、しかも前半が勝負のようだ。この歳になるとわかることだが、若さはものすごい武器になる。アホでも若さゆえの未熟さととらえてもらうことができ、そういうのが好きな男性もいる。それを知って、計算してそうしている女子もたくさん見てきた。
というようなことにごく最近気が付きはじめ、微妙に惜しかったなぁと思う。私は若さゆえの未熟さを非常に恥じていたので、何だかちょっと暗めの若者時代を送ってきた。もっとこう、明るく生きれば別の人生もあったのかもしれないと思ったりする。特に仕事に関しては。
年上でものびのびと生きている女性を見ると、私もああなりたいと思う。コートニーラブとか中村うさぎまで行くと行き過ぎだが(でも好きだけど)、西原理恵子、こぐれひでこさんなんか、いい生き方してはるなぁと思う。
こんなふうに生き方のことを考えると、女はちょっと損な気がする。いろんな局面で決断を迫られるし、男より要領が必要なかんじだ。もし私が男なら、とにかく体を鍛え、理論を身につけ、どんな局面でも動じない自信を身につけた人間になりたい。小さなことには動じず、堂々と生きたいもんである。
ってこれはうちの相方そのものではないか。(爆 私は自分の理想と結婚したようである。幸か不幸か。
日曜日の晩はちょっとしたいさかいがあった。直接の原因は私が夜中までマックで調べ事(田舎の土地を売ることに関しての法律的なこと)をしていたら、その物音が気に障って眠れないとのことだった。
私は即座にマックの電源を落とした。でもそれで終わりではなく物音は単なる引き金でしかなかったようだ。私のことが「計算違い」だったと言う。簡単に言うと収入が少ないのになおかつ母親のことで仕事を中断したり、入院費用を一部だが出しているのが気に入らないようだ。ついでにカブとVTR250の2台を持つ必要があるのかとか、鬱病なんか気の持ちようだとか。などなど。
結局話をまとめてみるとストレスが溜まっているようだった。私は仕事もせず毎日のほほんとしているように見えるんだろう。実際のほほんとしていようと心がけているのでそう見えて当たり前だ。鬱病だから鬱々としていたら本当に頭が狂ってしまいそうになるので、努めてのほほん。青空やおいしいもの、楽しいテレビなんかには素直に笑ったりしている。
それも程度の問題で、朝の5時半に起きて6時38分に家を出て、帰るのは22時から23時という人間からみたら苛々するのだろう。ついでに最近共通の友人がごっついいバイクを買うことになった。それが羨ましいみたいで、しょっちゅうそのことばかり言う。ので私もハイハイと適当に流していた。(そんなに大金持ちでもないので100万円のバイクをほいさと買えるほどの余裕も置き場所もないのだ。衝動買い&路上保管ができるのは50万円以下の不人気車だけやと思うし。)それも不満のネタになっていたようだった。
私はやっぱりちょっと悲しかった。マンガとかだとこういうとき年上のだんなというのは限りない慈愛を注いでくれ、見守ってくれるもんだが、実際はそうはいかないんである。が、自分を振り返れば母親のことや、鬱病と気分転換(ラーメンツーリングのことなど)ばかりしか頭になくて、だんなさんが何を求めているのかとか、家のことなんか少しも頭になかったのも事実である。やはり私にも改めるべき点はあると感じた。
というわけで昨晩は一睡もできなかった。@考えすぎ。今も頭の芯がしびれるような変な感じがする。だんなさんを送り出してから中断していた調べ事を終わらせ、洗濯をして、親の事務手続きで区役所に行ったあと、大阪市の無料の法律相談会でどうやって土地を処分したらいいか、具体的な方法、法律上の問題点などを相談してきた。結果、大きく10歩くらい前にどかっと進んだ気がするが、それは私がのほほん人間だからだろう。ぐっと歯をくいしばる。とりあえずクリアしたのは住民票と保険証の件だけ。土地のことは弁護士さんに頼めばスムースだが、あんまりお金を使いたくないので勉強して自分で片づけるつもりだ。
ついでに仕事の案件も舞い込んできた。外国人上司の外資企業での貿易関連業務。定時が10時〜19時なのでがんばれば役所仕事も朝にできそうだ。私は超やる気まんまんで「是非、やらせてください。」と言った。場所がへんぴなところ(うちの近所だが)なので、向こうも助かりますと言ってくれた。
「やればできる。やればできる。やればできる。」エヴァのシンジが「逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。」とつぶやくように言ってみた。壊してしまうことは一瞬でできるからこそ、大切にしないといけないものが世の中にはある。(ってかっこつけてみたが、レベッカの歌詞です。(^^;)
きっとわたしの人生はがんばるようにできてるんだなぁ。
2005年10月22日(土) |
みんなでラーメンツーリング |
予告通り、今日はラーメンツーリング本番だ。
結局うちの相方が先導することになってほっとした。総勢8台の大所帯。下は220ccから上は1200ccまで仲良く国道43号線を飛ばす。
まず「もっこす石屋川店」でラーメンを食べる。
写真は中華そば630円だが、今日はおなかが空いていたのでチャーシュー麺840円を食べる。ちょうど写真のラーメンにどばーっとチャーシューをもう一層乗せた感じだ。チャーシューに覆われて湯気も出ていない。(笑
おなか一杯になって六甲山へ。むっちゃ寒かった。下界で14度ってことは山頂付近は10度くらいだったのではないだろうか。ぶるぶる震えてしまった。長袖Tシャツに、薄手のセーター、ジャケット。下はジーンズの下に登山用のアンダーウェアまで着ていたが、まだ足りない感じだった。
帰りに西宮のセブンイレブンでコーヒーを飲んで一服。ここから先は家がバラバラの方面なので自由解散。
一人で行くのも楽しいが、大勢でも楽しい。いいねぇラーメンツーリングは。っと、お風呂で体を温めながらしみじみ思った。
昼頃、派遣会社から電話があった。某電機メーカーで輸出の貿易事務の仕事があるんだけど、と話を持ちかけられたのが3日くらい前。進めてもらっていたのだ。こちらから出した条件は一つ。毎月月初めにいつでも良いので半休が欲しい。何故なら寝たきりで入院している母親の用事で区役所で書類にはんこをもらい、病院に提出しなければならないからだ。
果たして、その仕事の案件はお流れになった。その平日に半休を取るというのが受け入れられないとのこと。私は静かに受話器を置いた。
昨年末に親が倒れてから、その場で区役所に行くので休ませてくれと前日に言い、どうにかその責務を果たしてきたわけだが、これから働きはじめる場合、こういうことは最初から告げておくべき事だと思う。それとも黙って勤め始めて、それから、「実は…。」という感じで切り出し、平日に半休をもらった方がいいのだろうか。
これが理由で採用が流れたのはこれだけではない。なんだかなぁと思う。今までは単に家にずっといるのが向いていないという理由で、子供もいないし、必然的理由もないまま働いてきた。が、今は違う。働かないと入院費用が払えないのだ。どうにか貯金や、実家を引き払ったときの敷金の返りで払っているが、底を着くのは目に見えている。(なんせ40万円くらいしかなかったし。)
だからまぁ働かなきゃしょうがないんだが、区役所にも行かなければいけないわけで、どっちも別に自分のためではない。区の生活保護課に相談をしてみた。まず、本人名義の貯金が4万円以下であること。土地を持っていてはいけないこと。家賃が4万2千円以下の賃貸住宅に住んでいることが、生活保護を受ける条件らしい。
現在、実家は引き払っており、住民票は置いたままである。生活保護課の人によると、病院に住民票を移して、土地を手放し、貯金が4万円以下になるまで使い切ってから、病院のある区の役所に相談しなさい、とのことだった。
ということで、田舎の土地は手放すことにした。以前テレビで見たのだが、これも高齢者の虐待とかになるらしいが、どうなんだろう。まぁ、客観的に見れば、勝手に家財を売り払って、貯金を勝手に下ろしたりしているわけだから、私のやっていることは責められるべきことなのかもしれない。
こんなときに、昨日のニュースを思い出す。中一の男の子が母親をぶん殴ったら当たり所が悪くて脳挫傷で死んでしまった、というやつだ。最初に手を出したのは母親で、「勉強しなさい。」と言って平手打ちを食らわしたらしい。
私も中学生、高校生の頃はよくぶん殴られていた。家に帰るのが遅い(私が食事を作っていたので8時とかに帰ると横殴り)、勉強して京大に入れ(父親が早稲田だったので、それに対する典型的な学歴コンプレックス)、などなど。大学受験に失敗したときが一番の修羅場で、ベランダからマンガや本を投げ捨てたりとほとんどキチガイ状態だった。
それでも私は手をあげなかった。あの人はかわいそうな人だと哀れんでいたからだ。目先の利益で自分の立ち回り方を考える人だった。ヤクザ系の会社に出資という名目で金を貸して踏み倒されたり、マルチ商法に手を出して、友達をなくしたり、そんな愚かな姿を見て、「ああ、この人は広く世界を見られない、かわいそうな人なんだなぁ。」と子供のころから思っていた。だからこそ、「生まなきゃ良かった。」とか、「死ね。」とか言われても、「ハイハイ。」って感じで流して来られた。
愛なんかないんである。大体そもそもそれって何なんだろう。
もう別に生きていてくれなくていいんだけどさぁ、というのが正直なところ。こんなとき、自分の中の殺意を隠してしまったことを後悔する。中学生のあのときに手をあげて、怒りを爆発させてしまえば良かったのかもしれない。子供だから終身刑にも、無期懲役にもならないし、名前も公表されない。あのころは失う物なんかなかったし。
でも今は違う。相方もいるし、妹もいるし、私の人生にいろんな人たちが関わっている。そういう人たちに迷惑をかけたくはない。
とりあえず、住民票を病院に移して、土地を手放して、貯金が底をつくまで入院費用を払い続けよう。最終的に生活保護に切り替えれば済むことだ。もう私の方からの経済的負担はとりあえずなしの方向で。
うーん、愛がないなぁ。
2005年10月19日(水) |
ひとりラーメンツーリングin六甲 |
夕暮れを狙って六甲山へ走りに行った。週末に友人達と行くちょこっとツーリングの下見も兼ねている。恐ろしいことに私が先導するんである。道を知っているのが私だけ、ということで自動的にそう決まってしまった。(泣
うちから神戸まで40km弱。そこから表六甲経由で山へ入る。すぐにある鉢巻展望台から景色を眺めた。六甲アイランドが見える。
もうすぐ日が暮れるので風がつめたい。途中で見た温度計は18度だったので、ここは15度くらいだろう。
長袖Tシャツにジャケットを羽織っただけなので立ってるだけで寒い。バイクにまたがっている方がまだましだ。足下だけでもエンジンの熱が伝わってくるから。まあ、上半身は寒いのだが。
びゅわんびゅわんと軽快に流す。クルマは少ないし、まだ真っ暗になっていないので走りやすい。前回同じところを走ったときは夜中だったので、まるで墨汁の中を走ってるように真っ暗けだった。
あっという間に山頂を越え、芦屋市に入り、西宮市へ。街へ下りるとすっかり真っ暗だったが、あまり寒くなくてほっとした。ネットで見つけておいしそうだなぁと思っていたラーメン屋、「宮っ子ラーメン」へ行ってみる。
チャーシュー麺700円を注文。
チャーシューは12枚くらい入っていた。カウンターの上のニラこしょう(刻んだニラととうがらしを混ぜたもの。自由に食べることができる。)をチャーシューでくるんで口に入れる。あったかくて美味しくて、単純に幸せだ。
完食して外へ出ると体がほかほかした。ここから家までは30分弱。よく流れているので走っていて気持ちがいい。往復80キロくらいだった。
最近あんまり気が晴れるようなことがなかったので、いい息抜きになった。時間があるときはこうやってふらりと走りに出ようと思う。
2005年10月18日(火) |
人と人とが支えあう? |
支えあっているから「人」なのです!というドラマが昔あったが、一方的に支えさせられている場合、どうなんだろうか?そんなことを今日思った。
母親の入院している病院に行ったのである。月に一度の支払いの日。請求書が母親のベッド脇のテーブルに置かれているので行かなければしょうがないんである。私を見るや、訳の分からないことを言い出す。家に帰るから、とか、どうしょもなく妄想的な言葉。鼻から栄養を摂取しているので、入れ歯の必要もなくなり、ふがふがしながらしゃべる。65歳だが、80過ぎくらいの感じだ。森光子は85歳らしいが、うちの母親とは比べるのも失礼なほどだ。
適当に相づちをうって、請求書を探し出し、会計に行く。すると保険証が今月末までだから、新しいのを持ってこいという。忘れていた。住民票をこの病院に移していいかと訊いてみると、転院の可能性があるからだめだと言われた。ということは、我が家に移すか、今のままで私が逐一役所に出向くかのどちらかである。
我が家に移すことだけはしたくない。「死んでも帰ってくるな。出てゆけ。」と言われて結婚した以上、形だけでも同居するなどあり得ない。本人はボケてるので都合の悪いことは忘れたふりでも何でもできるわけだが、私の心の中にはがっしりと遺恨が根を下ろしている。
大体、あの人の保険証がどうなろうと私には関係がない。保険がきかない→10割負担→当たり前だが払えない、となるだけで、私は一つも困らないのだ。携帯電話を解約して、黙って引っ越してしまえば縁は切れてしまうだろう。でも、実際そんなこともできない。病院側もそれを知っているのか、親戚の名前、連絡先など何件か書かされた。姥捨山にさせられたらいい迷惑だろうし。
というわけであの人は私の善意だけに頼って生きている。ただ機械のように。ベッドの上で看護士さんに寝返りを打たせてもらい、時間が来たら鼻から栄養を入れられ、夜が来ると眠る。それの繰り返し。平均寿命を全うするとしたらこれが後20年続く。
合法的に死んだふり、というのができないかなと思う。常々あの親は「最大の親不孝は子供が親より先に死ぬことだ。」と言っていた。ということは、私が死んでしまえば最大の親不孝ができることになる。といっても私は死ぬ気がないので、看護婦さんに「娘さん、亡くなったらしいですよ。自殺です。」と一言耳打ちしてもらえばいいのだ。それで私が現れなければ信用するだろう。
が、しかしこれも私のことを娘だと思っていれば成立する話で、ただの金づると思っていればさほど落胆もしないだろう。「お母さんのことは誰が面倒見てくれるの!」と元気な頃ならヒステリックに叫ぶだろう。
というわけで私の憤りをあの人が理解することはないだろう。私はあの人が生きている限り、こういった日常と鬱病とつきあっていくことだろう。淡々と。人生はテレビドラマではない。愚にもつかない毎日が続くことが日常なのだ。
世の中の男性はどうやって毎日着る物を選んでいるのだろう。我が家では私は一切関知せず、である。ただ洗濯してたたんだり、吊したりしておくと、そこから自分の気分で好きな物を着ているようだ。まぁそんなもんやろ、と思っていたら、知り合いの男性は毎日奥さんが選んで並べてくれるらしい。しかも休みの日に一緒に外出するときなどは靴下まで選んでくれるのだそうな。
「なんか適当に履くやんか。そしたら、何で白いソックスやねん!センスないなぁ、とか言われるねん。」と言っていた。うちの相方も気が付くとスゥエットのパンツの中にTシャツを押し込んだりするので、あなどれないが。
が、しかし、毎日だんなの服を選ばないといけなかったらめんどくさいなぁと思ってしまう。大体私にあんまりセンスがないので、ネクタイとYシャツの関係とかよく分からないし。
そもそも、私は相方の服を一切買わない。買ったとしても下着のランニング程度。以前、安いYシャツを見つけたので、後日一緒に見に行ったら、「ポケットのフタの部分が作業着みたいでなんか嫌。」と言われてびっくりした。そんなとこ見てるねんなぁってことで。この1件があって、洋服類は本人が自分で買ってくるのが我が家式なのだ。
が、こないだフェリシモのカタログを見ていたら、なにげにかっこいいパンツとカッターシャツがあった。のでこれの相方用を購入しようと思った。しかし、サイズがわからないのである。LLとかLTとかあるのだが、身長178センチだったらどうなんだろう。本人にサイズを聞いてみて、なおかつフェリシモに電話で実寸を問い合わせた。
すると、合わないんである。裄丈(首の付け根から測った袖の長さ)が88センチ、パンツのレングスが88センチらしいのだが、フェリシモのそれはLTでもそれより小さかった。
そんなこんなで一応ちょうどよさそうなカッターシャツだけ買ったのだが、それでも今風なタイトフィット感がいまいちらしく(おっさん化しているからか?)たまにしか袖を通さない。
「じゃあ、チェ・ホンマン(韓国のK1ファイター。めっちゃ背が高い)とかスーツ買うのん大変やろなぁ。」と言うと、「そうやで、大きい青山とか行かないと、袖の長いYシャツがないんや。B体って言うて全体に太く作ってるんはあるけど、そういうのは首まわりが合わんのや。結構めんどうやねんで。」とのことだった。
これは新鮮な驚きだった。どんなバイクに乗っても足が届くからいいなぁと良い面しか見えてなかったが、実は苦労もあったのだ。しかし、解せないのはパンツのレングスが私より15センチも長いことである。身長が20センチ違って、足の長さが15センチ違う、ということは胴+頭で5センチしか差がないということではないか。
やはり私の足は短いようだ。(どんな結論やねん。)
別に今日のことではないのだが、自分への戒めとして日記に書いておくことにした。
先日、相方とテレビのニュースを見ていて、びっくりした。なんと、パキスタンってどこにあるん?と聞かれたからだ。何を言うねんな、インドのとなりやんかいな、と言うと実はインドの場所もはっきりわからないらしい。モルドバやリトアニアの場所がはっきりわからないというのなら理解できるが、パキスタンやインドの場所が分からないってどーよ、と思ってしまった。
というようなことがあり、友人に「そんなん常識やと思ってた。」というような話をしたら、「それは突き詰めてゆくとめっちゃ嫌なやつになるで。」と言われた。
自戒。自分が知っているからといって、世の中の人が全部それを知っているとは限らない。そんなことは当たり前なんだけれど、心の中は難しい。パキスタンやインドの場所は私にとって当たり前のようにそこにあるからだ。
「知ってる知らないはその人によるで、当たり前やけど。」と素で言われた。うん、ほんま当たり前やぁ。こういうふうに自分の中で「当たり前」を作ってるから、世の中では戦争が起こったりするのではないだろうかと思ってしまった。イスラムの教えが当たり前ならキリストの教えを理解しようとは思わないだろうし。
ということで、私ははっとした。相手が何かを知らなかったとしても、「そんなん知らんの?」と言う代わりに、教えようと思う。何か子供の作文みたいだが、そう思った。
昼頃宅急便が来たようだった。ちょうど洗濯物を干していた時間だったようで、呼び鈴が鳴ったことに気が付かなかった。夕方買い物帰りに管理人室へ寄った。
瞬間、管理人逆ギレ。「あんたんちねー、国勢調査!なんでいつ行ってもいないの。プライバシーの何のってねー、ちゃんと協力してくれないと。話になりませんよ!」だそうな。血管切れよ!とばかりに叫びだした。だから何なのだ。非協力な態度に文句があれば訴えれば、としか思えない。管理室に預けてもいい、とは言われたが、預けろとも言われていないし、取りに来ないのはそっちではないか。
「死にさらせ、クソボケが。誰が家賃払ってる思てるねん。」と思いつつ。「それは大変申し訳ありませんでした。今すぐお持ちしますので、お静かに願えますか。」と制した。このじいさん正直汚いので嫌だ。いつも作業ズボンのファスナーは開いてるわ、口から米粒やつばを飛ばしながらしゃべるわ。生理的に受け付けない。デリヘル業者のチラシをポストに入れられるのが嫌なので、業者に注意して欲しいと言いにいったら、「向こうだって仕事でやってるんだから。」と業者を擁護。何の為の管理人なのかと首をかしげたくなることもしばしば。
宅急便はホーローの鍋だったのでこれでドタマかち割ったったらよかったわ、と思いつつ、家に戻り国勢調査票を持って管理室へ。奥の部屋でテレビを見ているようだったので、「ここに置いて行きますから。」と言って置いてきた。
おっさんせこいんだよなぁ、相方とは毎朝顔を合わせているくせに何も言わずに、私にだけ怒鳴りつけてくる。これが人を見てるってことなんだろう。顔が怖くて体格のいい人は得だな、きっと。としみじみ思った。
2005年10月11日(火) |
時にはクラゲのように |
絶不調である。目が覚めてからじりじりとした切迫感があるが、体を起こすことができなかった。天気が悪かったからだろうか。夕方、現実を直視し商店街に買い物に行った。
商店街は当たり前だが平和そのものだった。メークイン、大根、ぶりの切り身などを買って帰る。雨が上がったのでメンタルクリニックにはカブで行くことにした。2週間に一度、先生に話を聞いてもらい、薬をもらう。あんまり調子悪いときは、行く気がしないが、薬がないのも不安だ。
ときおり、どうして生まれて生きているんだろうと疑問に思う。ナンボ自由だ!と思ってみても、何かに行かされているのではないか、と感じることがある。突き詰めていくと自殺などすることになってしまいそうだが、この自殺というのも大変そうだ。
もし仮に手首を切ったり、首を吊ったりしたら、私の場合60kg以上の肉と骨がそのへんにどん!と置かれることになる。これはやっぱりちょっと迷惑だ。こんなとき、クラゲはよさそうだ。確か死んでしまうと水に溶けるんだったと思う。透明なクラゲが透明な水にとりこまれてゆく。クラゲは自殺なんかしないのだろうが。
そんなことを考えつつも相方は帰ってきて、ゴハンを食べて、酒を飲む。考えても考えなくてもそれは同じように毎日続く。
結局国勢調査は変人ながらも常識人でもある相方の意見によりちゃんと書くことにした。私としては別の名前で書いて、変なダイレクトメールなどがその名前で届けば調査結果が漏洩していることが分かるわけで、それなりにネタとして面白いかなと思っていた。(実際なんかのアンケートでデタラメ書いたらデタラメな名前でDMが来まくったことがある。)
明日は朝から活動的に生きようと思う。午前中に本屋に行き、昼は面接。夕方は日本橋に行ってDVD-Rの高いディスクを買うつもりだ。ノーブランドの安物だとマックでは使えるのだが、HDDレコーダーのダビング機能ではエラーが出て使えないのだ。
そのためには早く寝なくては。最近ミクシィが面白いのでつい読みふけってしまう。世の中には面白いことを考え出す人がいるもんだなぁとしみじみと思う。(オチがないなぁ。)
2005年10月10日(月) |
国勢調査について考えてみた |
玄関の呼び鈴が鳴る。うちに来るのは通信販売の配送屋さんか、物売りのどっちかで、通信販売の場合は来ることが予想されている。ので、予期せぬ呼び鈴には基本的に憮然と答えることになる。
国勢調査の回収であった。来たか…と思った。先日用紙を配布されたがまだ書いていない。家に鉛筆が見あたらない、という理由もあるのだけれど、私はこれに納得できないからだ。
総務省統計局のこのサイトでおおよそ突っ込まれそうなところはQ&Aで回答されている。虚偽の申告、申告の拒否は「六ヶ月以内の懲役または禁固、もしくは10万円以下の罰金」だそうな。で、最近注目の個人情報保護法は適用されないらしい。
今日回収しにきた人にまだ書けていない旨を伝えると、明日また回収しにくるという。なんならマンションの管理人に預けてもかまわないという。
この日記を続けて読んで頂いてる方ならわかると思うが、うちのマンションの管理人はかなりファッキン・クレージーなおっさんでとてもそんな大切なもの(私にとっては)を託せるタイプの人間ではない。そこで、インターネットでいろいろ調べてみたというわけだ。
結果、この国勢調査員(回収に来た人)の言ったことは正しかった。マンションの管理人には守秘義務があるので、調査票を託すに値するということである。ついでにこの守秘義務違反は「一年以下の懲役、もしくは10万円以下の罰金」が課せられるわけである。
この国勢調査は個人情報として見た場合、かなり価値があると思う。実際に「国勢調査」でグーグル検索してみると、右側の「スポンサー」部分に、「 無料で国勢調査閲覧。豊富な地域・経済動向データを用意。」とキャッチコピーの添えられた広告が表示される。すでに公表されたデータを元に加工して閲覧性をアップさせたものが商業ベースに乗っているのだ。(もちろん総務省の発表したデータだけなのだが。)
氏名、家族構成、生年月日、勤務先、電話番号、家の平米数、あとメールアドレスがあれば名簿のデータとしての価値は高いと思う。うちのマンションの場合、約500世帯が住んでいる。1世帯3人として1500人分の個人情報。それをエクセルに全部入力して、年齢別、性別などで整理し、名簿化すればどれだけのお金を生むことになるだろう。悪意さえあれば…。ナンボ漏洩させても罰金の上限は10万円なんだからたまらない。
この罰則を定めた統計法は昭和22年に制定されたようだ。60年前と今とでは10万円の価値は全然違う。嘘を言っても10万円、漏洩させても10万円なら罰則は無きに等しいのではないだろうか。私なら、「虚偽の申告」もしくは「申告の拒否」をして10万円の罰金を払う方を選ぶ。
そもそも国勢調査は「国内の人口や世帯の実態を明らかにするため」に行われるようだ。それならうちの母親のような病院で寝たきりの老人だとか、公園にテントを張って暮らしているホームレスのおっさんらだとか、放浪中の旅人だとかはどうやってカウントするのだろう。この時点で統計としての精度は低くなってしまうのではないだろうか。
住民票を数えればいいのではないかとも思うが、転居しても住民票を動かさない人がいるので、それでは正確な統計ではないというのが国勢調査を行う理由の一つらしい。そもそも、転居しても住民票を動かさなくても別に何の不都合もないようなシステムが破綻しているし、そもそもカナダなど住民票や戸籍自体がない国もある。
こんなローテクな国勢調査に調査員(非常勤の公務員扱いなので、公僕=税金で養っている)を雇うくらいなら、諸外国に学ぶ方が賢いのではないだろうか。多分カナダではソーシャルセキュリティナンバー(社会保険番号)でそのへんを管理していると思う。
というわけでわたしの結論はテキトーに書くことである。名前なんか一郎でも花子でもジェニファーでも何でもかまわないわけで。ただ、国としての年齢の構成比なんかは正確なところが分かった方がいいのは当たり前なので、生年、月は正確に書く。そして「調査書類整理用封筒」という封筒をもらって封をしてから渡そうと思う。前出のサイトでは全世帯に配られるものらしいが、うちはもらっていないのでもらわないといけないが。白紙で提出しないのは調査員と玄関先でもめるのが嫌だからである。
「赤信号みんなで渡れば怖くない。」ではないが、椎名誠さんの自伝的小説にも国勢調査を適当に書くくだりが堂々と綴られていた。当時、仲間うちでアパートの一室に住んでいた椎名さんたち4人組が、「おまえはいちばんしっかりしているから父親だな。」などと言いつつ、お父さん、お母さん、子供二人の適当な構成にしてガハハと笑っているのである。(「哀愁の町に霧が降るのだ。」に書いてあったと思う。)
ライフスタイル、個人の意識の多様化についていけてへんなぁというのが素朴な感想である。ついていけてないから大正9年からずっと続けているのだろう。大正9年て、アンタ…。どんだけ昔やねん!
今日は昼から派遣の顔合わせがあった。が、家を出ようと靴を履いた瞬間に呼び鈴が鳴る。ちっと思いつつ居間に戻ってインターホンを取ると、換気扇のフィルター屋だった。百均で売っているようなものを3000円で売りつけるようなその業者に結構です。と言い、家を出ようとドアの覗き窓から外を見たらまだそいつが立っている。
すごく出にくいんやけど、早くどけーと思うが、相手は何だか粘っているようだった。つーか絶対買わないし。どけどけどけーとどけどけオーラを出していたらあきらめて去っていった。この間5分くらいあったように思う。
結果電車に乗り遅れ、待ち合わせに4分ほど遅れてしまった。面接自体が13時からで待ち合わせが12時30分。たいがい15分前の待ち合わせというパターンが多いので、駅から遠いところなんだろうかと思って焦った。派遣の担当者もさあ、遅れていますので早く行きましょうとせかす。が、ところが、隣のビルだった。到着したら12時40分。
さあ、打ち合わせをしましょうと言われた。大体自分が今までやってきた仕事について説明するだけなので、たいした打ち合わせも必要ないのだが、「がんばります!お役に立ちます!って気合いを見せてくださいね。」とか言い出した。
私ははぁそうですねと答えつつ、どっと出る汗を拭く。せかされたのと正味急いでいたので汗まみれだ。額の汗をぬぐっていると、はぁ、なんでそんなに汗かいてんの?みたいな感じで、「お手洗いでヘアとか整えられますぅ?」と言われた。
一瞬何を言っているのかわからなかった。要は私の髪型がなんかイマイチとでも言いたかったのだろう。結構です、と私はその山田優と篠原涼子を足して2で割って冷血動物にしたような巻き髪女に言った。こういう汗を一滴もかかなさそうな人っているよなぁ、マスカラのまつげがひじきみたいだなぁとしみじみ思いながら。
相手の会社に通されても、担当者がまだ昼食から帰ってきていなかった。まだ12時45分だからしょうがない。別に13時ちょうどに来てもええんちゃうのと思う私は間違っているのだろうか?
会議室に通され、担当者を待つ。その間もその冷血巻き髪女は「伏し目がちにならずに、明るく前向きに話してください。」だとか、「口角をあげるようにして。」とか、仕事とはまったく関係ないことばかり注文してくる。だんだん脱力してきた。
そこで、私からの希望(月初めに母親の病院関係の書類仕事をするために午前中半休を取らせて欲しい)は、もう先方に伝えたかどうか訊いてみた。すると、それは今日伺いますから、と来た。私は最初っから伝えてあるし、それが受け入れられなかったらここじゃ働けないんですけど、と思うと、何だか今ここにいることが無駄足になる予感がした。
おしゃればっかりしてないで、ちゃんと仕事しようぜ、と思ってしまうのはわたしがおばさんだからだろうか。
相手側担当者が来ても、甘く見られているのは一瞬で分かった。15分も遅れてくるし、先にメールしておいた私の職務経歴書は目を通されていなかった。何かいい人がいれば雇おうっかな〜みたいなノリである。そこに巻き髪女の「こちらが弊社登録スタッフの○○(私の苗字)になります。」的な、今どきの変な言葉遣い。「おっしゃっていられましたよね。」とか言っている。
まぁ今日は消化試合だよな、みたいな気持ちになり、私も決まり切ったことを一通り説明した。すると、「うちはさ、件数こなしてナンボみたいなところあるからさ、英語がしゃべれるような優秀な人要らないんだよね。」と言われた。それならそれで職務経歴書見た時点で断れよ、と思うが、実際は私を見てちょっと違うなと思ったのだろう。
夕方、巻き髪女から電話があった。今働いているのが20歳代の独身女性たちばかりなので、33歳既婚の私には少し合わないかもしれないという理由で断ってきたと言うのだ。こういう理由って何だかわけがわからんなぁと思うのは私だけだろうか。最初に巻き髪女が職務経歴書をメールした時点で、確認しておけば面接に赴くまでもないわけで。
そんなこんなで今日一日は無駄な日になってしまった。今しみじみと足にできたマメの皮を剥がしつつそう思う。(革靴を履くとマメができるのだ。)
2005年10月05日(水) |
役所の手続き・寝たきり老人編 |
雨の中、重い腰を上げて区役所に行って来た。というのも寝たきりで入院している母親の健康保険証が今月末で期限切れになってしまうからだ。通常、この手の郵便物は「転送不要」、「配達証明」などで送られるため、実際に住んでいないと受け取れないようになっている。母親宛の郵便物は我が家に転送をするよう郵便局で手続きをしているが、この手の重要書簡は受け取れないのである。
ということで役所で訊いてみたら、二つの方法があるとのことだった。一つ目は、病院に住民票を移す。すると自動的にその区の管轄で病院に郵便物が運ばれるとのことだった。が、病院側がそれを嫌がる場合が多いので最初に病院に相談しないといけないらしい。
二つ目は私の家に住民票を移す、という選択だ。これだと何の問題もないという。住民票の置いてある場所が一緒だと扶養家族になってしまうのでは?と訊いてみたらあくまで別の2つの世帯が存在するようにすればいいという。私の住んでいる区に転入届を出すときに世帯主を私の相方でなく、母親その人にすれば、一つ屋根の下、独立した二世帯があるようにできるという。
ついでに確定申告についても訊いてみた。母親に関しては今年確定申告をしていない。大体何の仕事で生計を立てていたのか、収入はいくらあったのかなどを知らないのでやりようがないのだ。すると、国民健康保険の納付額が標準額(けっこうな高額)になってしまい、往生した。結局役所に事情を話し、昨年度と同じくらいの額にしてもらったのだった。
で、来年の3月にする確定申告は、年金収入だけだったとしてもしなければならないらしい。ということは、追加で払わなければいけない場合もあるということである。先ほど年金給付予定額と、毎月病院に払っている金額を計算したら同じくらいだった。ことと次第によっては医療費の方が若干多いかも?くらいである。ということは、収入(年金)より支出(医療費)の方が多いわけで、そんな確定申告で通るのだろうか?
まだ起こっていないことを心配してもしょうがない。それは真理だが、わたしはこういう事柄がまったくわかってないので、微妙に不安だ。プラス母親のことをよく思っていないので、別世帯だとしても同じ屋根の下に住んでいるような扱いにしたくはないのだ。こんなことを書くと親不孝で地獄に堕ちるかもしれないが、医療費を支出することすら苦痛だ。金額うんぬんより、一人暮らしの年寄りなら自分で貯金しとけや、と思う。勝手に倒れて何考えてるんだか、と思ってしまう。
生きて落ちる地獄と死んで落ちる地獄。死んで落ちる地獄の方がまだましや、というのが私の考えである。
そんなこんなで明日は病院に住民票をどうするか相談してみようと思う。このへんはさっさと片づけたい。金曜日には次の仕事の面接が決まった。その面接の結果によっては、来週からはお気楽主婦ニートではなくなってしまう可能性があるからだ。
あれも仕事でこれも仕事なら、やりたいことで実りのあるほうの仕事に心が傾いてしまう。それは不遜なことかもしれないが。
2005年10月04日(火) |
今私は怒っている、のか? |
友人とチャットでしゃべっていたのだが、先日の郵便局で5円引き出すのがめちゃくちゃめんどくさかったという話の日記を読んで、「あれはあれでしょうがないのだ。世の中には悪人がいて、システムの隙のようなものを突いて悪事をはたらくので、格子定規なようだけれどいちいち住所を書いたりするのは必要なことなのだ。」とのコメントをもらった。ついでに、他人名義の通帳を解約するのには委任状が本来なら必要らしい。
その友人は郵便局関係の仕事をしているので、そういうことには詳しいようである。もっとも、私だってそれくらいは知っているつもりだった。で、友人のそのことを伝える口調(というか、文章か。チャットだから。)が「そんなに怒らなくてもええのに。」といった感じであった。
これはこの日記を読んでる他の友人からもよく言われるのだが、私はしょっちゅう怒りに震えているように思われるらしい。違う、違うのだよ。怒っている、というよりは、そのだるい状況に対して激しくめんどくさい気持ちになって対応がいい加減になっているだけなのだ。
ちびまる子ちゃんで言えば「ハイハイ分かったよ。」と言いつつまる子の顔に縦線が入っている感じである。怒りというよりは諦念に近い。
ただ、私の日記のこの口調も「怒っている。」ように取られる要因の一つだと思われる。色んな人の日記を読むが、女性でこういった断定口調で書いている人は少ない。口語体で顔文字、記号を交えつつ書くのが女性web日記では主流のように感じる。
でもぉ、この日記をなんかそぅぃぅカンジで書くとちょっとイタイ(>_<)☆かも〜。やっぱいつもの断定口調?かな(^ー^)b イェイ
…。これじゃただのアホである。というわけで今後の課題としては、書きたいことは書くが、怒っているような感じにならないように書くことである。
これが悩むんである。夏の盛りなら、お造り、冷や奴、ざるそば、そうめん、冷やし中華。冬なら鍋物、煮込み料理などなど。一般論では食欲の秋だが、実際の夕食の献立、として考えると、なかなか難しいものがある。
例えばさんまが旬だが、どう転がっても和風な食卓になってしまう。それにそのもの単品でメインのおかずになりにくい、と思ってしまうのは私だけだろうか。例えば、カレーライス、水炊きなどそれらはそれだけで食事が成立するが、サンマの塩焼きだけだとなんだか寂しい。それにうちの相方は酒を飲むので、ご飯+みそ汁+おかずのゴールデントライアングルを饗することができない。ので、なんかつまみのような、おかずのようなものを3品出して飲み、それが終わる頃、なんかご飯もの、そしてフィニッシュに果物や甘い物を出すという流れになっている。
これだと、炊き込みゴハンだの豚汁だのは出しにくい。って作ればいいんだが、最初の3品を作る時点で労力を失ってしまい、汁物やごはん類にを作る気力がないんである。
というわけで今日は、小松菜のごま和え、冷や奴、鶏肉のスパイス焼アボカド添え。んでごはん物は冷凍の豚角煮丼。果物はりんごだった。
こういうメニューのコツは冷や奴のように切るだけとか、出すだけ、みたいなものを一つ入れると楽である。あと、冷凍物をうまく活用すること。もし、このメニューで、ご飯が栗ご飯に変わったりすると一気に作るのが面倒くさくなってしまう。結構ポイントが高いのが煮魚で、簡単、おいしい、まず失敗しないの3拍子そろっている。
一番楽なのはパスタ系で、最初にチーズとクラッカー、生ハムなどを出しておき、一段落ついたところでパスタを出すパターンである。でもこれは必ずワインを1本空けてしまうし、生ハムやブルーチーズが高いので、コスト的にそうそうたびたびはできない。まあ一ヶ月に2回くらいか。
ということで日々夕食のメニューに頭を悩ませているんである。仕事に悩むよりは全然楽でいいんだが。
2005年10月01日(土) |
フェリシモ、どうでしょう |
例のギャンブル通販、フェリシモが今回もやってきた。結果、惜敗というべきだろうか。雑貨類はほぼ予想通りでお買いあげ。しかし洋服類で真剣ギャンブル感を味わった。
まずタートルネックの長袖。この色がピンクというか、むらさきというか、微妙なんである。マルカワのフーセンガムのぶどうとイチゴを同時に噛み噛みしたら多分こんな色、って感じである。「ベーシックな色に加えて差し色としても使えるカラーをそろえました。」とカタログには書いてあるが、このイチゴぶどう色は差し色ってやつなんだな。実は私はタートルネック好きだが、黒しか持っていない。色んなメーカーの黒いのが何個かあるんである。そこにいきなりこのイチゴぶどう色。むはー!着るのが難しそうである。しかもこんな色を着たことないので似合っているかどうかも不明だ。
次にニットのセット。半袖ニットとカーディガンである。これも色が微妙だった。よく言えば新鮮な干し草の色。アルプスの少女ハイジが「わぁい、うふ!」とか転げ回りそうな干し草の色だ。新品の畳とか、そういう感じ。でもまぁ、率直に言えばおばあさんが羽織ってそうな色である。これも対応に困る。こういう中途半端な色って普段まず買わないので、(買っても薄いグレーかベージュくらいのもんである)それを着た自分に違和感があるのだ。
この手の違和感はスカートを履いたときに感じる物に似ている。私は高校を卒業してから、会社の制服以外でスカートを履いたことがほとんどないので、たまに履くと歩くときに左右の足の肌(?)が触れあって気色悪いんである。ついでに鏡を見ると何か見慣れない自分が映っている。何だか女装でもしている気分だ。
実際洋服なんて、自分が思うほど他人は気にしてないわけで、私がスカートを履こうが、イチゴぶどう色のタートルネックを着ようが、干し草色のニットを着ようが、まぁ、どうでもいいことなんだろうが、自分自身の内なる違和感には何とも抗えないものがある。
ということでやはり返品だろうか。で、このフェリシモ、返品は購入者が送料を払うことになっている。自分の尻は自分で拭けということだろう。
冒険はかくも難しい。しかし、来月こそは勝利を収めるつもりである。要はジーンズに合いそうで、女子っぽくないアイテムを無難に注文するわけです。ははは。(^^;
|