群青

wandervogel /目次 /一覧 my

091128
2009年11月28日(土)




 「この時間帯は特に混んでいて、あっちからだと三十分はかかってましたよ」と運転手は言う。じりじりと迷った末、地下鉄を選ぶ。降車するなり一足飛びに階段を駆け上がり地上でタクシーをつかまえる。出航時間を告げると「ぎりぎりってとこじゃないすかね」とのこと。反対車線の渋滞に言われたことを思い出しひやりとする。到着するや開いたドアの隙間から身を滑らせ駆ける。時遅く出航時間を迎えて船は桟橋を離れた。揺れる波間を足下に数十センチを飛び乗った。





 調律の必要性を感じる。対話時の感情の着地先を読めず、放った言葉の変化に鈍感になる。自分で自分をつまらないと感じ、退屈さに苛立つ。見たくない。聞きたくない。話したくない。畢竟、移動中も黙って俯くことになる。生産的なことはそこにはなにもなく、ただ心苦しさだけがある。そうだね、そうだよね。すごいね。でも、それはとっくに経験したことだよ。もう過ぎたことなんだよ。


 『象の消滅を経験して以来、僕はよくそういう気持になる。何かをして
 みようという気になっても、その行為がもたらすはずの結果とその行為
 を回避することによってもたらされるはずの結果とのあいだに差異をみ
 いだすことができなくなってしまうのだ』





 寒風が頬を叩くもアドレナリンの作用か不思議と寒さを感じない。船上からは都市の冷えたあたたかみを目にすることができる。田園風景や地方の寒村に郷愁を抱く人がいるように、都市のその光に強い郷愁を憶える。都会は自然からかけ離れたものでありながら、その機能の極大増幅の発露はときとして自然の性質を備える。見上げるほど大きく精緻な造物に、人の手によるものでありながらそれらを超越した力や意志を感じる。自然の在り方がなにものかを与えるだけではないように、都市の在り方もまた奪うだけのものではないのだと思う。





 失調が一朝一夕に回復することはないだろう。圧倒され、存在を揺さぶられたとしてもただちに調律が完了するとは思われない。それでも、寒風吹きすさぶデッキから離れることができなかった。ばらばらになった感覚が統合されるその予感を船上から静かに見つめ続けた。


-----------------------------------------------------------


あうるすぽっとで飴屋法水「4.48サイコシス」

Zher the ZOO YOYOGIでsoulit
「soulit presents life-time 12th mini album『Tears』 レコハツワンマン 」
CLUB QueでLOST IN TIME「毎週Queチャンネル ~土曜ワイド激情~」

東京国立近代美術館で「河口龍夫展 言葉・時間・生命」「権鎮圭」
東京オペラシティアートギャラリーで「ヴェルナー・パントン展」
NTTインターコミュニケーション・センターで
「コープ・ヒンメルブラウ:回帰する未来」
INAXギャラリーで「七宝 -色と細密の世界-」
「高橋治希 展 -磁器の蔓草-」
「出和絵里 展 -陶 白き小さき光のかたち-」
ギャラリー小柳で「Thomas Ruff cassini×zycles」
ギャラリー・間で「隈 研吾展」
ツァイト・フォト・サロンで「柴田敏雄 作品展『For Grey』」
東京都写真美術館で「コレクション展『旅』第3部
『異邦へ 日本の写真家たちが見つめた異国世界』」
「セバスチャン・サルガド アフリカ 生きとし生けるものの未来へ」
「写真新世紀東京展2009」
神奈川県立近代美術館で「内藤礼 すべて動物は、
世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」


-----------------------------------------------------------


津村記久子「君は永遠にそいつらより若い」
紅玉いづき「MAMA」
村上春樹「パン屋再襲撃」

読了。






091116
2009年11月16日(月)




 父が帰省する。東京を離れて暮らす唯一の心残りと言えば、父の急変時に即応できないことだ。水戸の駅からバスでさらに一時間の距離なので、もとより立ち会いができるとは思っていないが、今よりなお遠くなるのはなんとも心許ない。といって、在宅で看るのはいかにも難しいだろう。ケアをする上での資格的要件は揃いつつある。いつかいつかと思いつつ、もうじき十年が経とうとしている。





 弟の運転する車に乗っている。時々実家に帰っても、生活時間の違いからろくに会話をした覚えがない。狭い空間に長いこと一緒にいてなにも話さないわけにも行かず、ぎこちない会話が始まる。一頃前であれば、身内ならではの共感の欠如と、過去に遡って冷笑する酷薄さが会話を尻すぼみにさせただろう。そうして話しかけるのではなかったという薄ら寒い気持ちになるのが常であった。しかしながら今この場においては、互いに一目置いて、不快にならない程度に気遣いをしている。自分にはない種類の鷹揚さや、威勢の良さを見るにつけ、果たしてこれは弟であったろうかと、傍らの人間を再認識するのだった。





 父のオムツを替え、閉じようとしたところ、見事に放尿されてしまった。照れ隠しの笑いに父の感情を読み取ることはできない。人が人を充全に理解し得ないのは当たり前にしても、こと彼に関しては澱みが激しく、その内奥を推し量ることすらできない。帰省にあたっての一連の働きかけは、善かれと思って行なう自己満足的なものに過ぎない。それでも、ごく稀に立ち現れる一瞬の澄明さに救われる。連れ帰って良かったと思う。





 別れ際は辛い。ベッド柵の隙間から覗く僕を後にして去らなければならなかったときの両親の気持ちはきっとこういうものだったのだろう。そのまなざしは交差している。若い父と幼かった僕の。立ち去る僕と車椅子から見上げる父の。長い年月を越えて、僕は父に幼かった自分を見る。同時に、父に映る自分の姿に若かった父の姿を見る。そして彼の見るものは、幸せの面影であって欲しいと思う。幸せの解釈は人それぞれだろうが、少なくとも、なにかに悩まされることなく、心穏やかであってくれることを願う。





 『或る感情の量を極度まで増してゆくとおのずから質が変って、わが身
 を滅ぼすかと思われた悩みの蓄積が、ふいに生きる力に変るのだ。はな
 はだ苦い、はなはだ苛烈な、しかし俄かに展望のひらける青い力、すな
 わち海に』


-----------------------------------------------------------





草月ホールで下條信輔、佐藤勝彦、他
「ルネッサンス ジェネレーション ’09
[パラレルワールド!]-明日見る夢を、あなたは憶えていますか?-」
BLDギャラリーで柴田敏雄、鷹野隆大トークショー

世田谷美術館で読売交響楽団「モーツァルト:ディヴェルティメント 他」

早稲田松竹でビクトル・エリセ「エル・スール」「ミツバチのささやき」
シネマート新宿でデニス・ガンゼル「ウェイヴ」





東京都現代美術館で「レベッカ・ホルン展 静かな叛乱 鴉と鯨の対話」
「スウェーディッシュ・ファッション-新しいアイデンティティを求めて」
「ラグジュアリー:ファッションの欲望」
「妹島和世による空間デザイン/コム・デ・ギャルソン」
BLDギャラリーで「柴田敏雄作品展『a View』」
ラムフロムで「鷹野隆大『男の乗り方』展」
東京アートミュージアムで
「楢橋朝子写真展 2009/1989『近づいては遠ざかる』」














091105
2009年11月05日(木)




 職場研修の一環で音楽療法を学ぶ。閉じた身体の頑さに苦労する。一時的接触に対する極端な恐怖と、経年による自尊心の拡大が、押し広げようとする外部からの働きを悉く拒む。一向に火の回らない炭を片目で睨みながら、長らく居心地の悪い感じを味わっている。手っ取り早く人肌への欲求を満たす術はあるものの、予期せぬ方向からの接触に背筋のぞっとするような感触を得る。





 自身で枠を作り、その中で自足するようになったのはいつからか。新たな個性を認識し、受け容れるのがとても億劫で、以前出会ったパーソナリティーを敷衍してなんとなくその人を知ろうとする。調和を乱すものが苦手だ。発信する力の乏しいものに手をかけて調和を作ろうとするものの、それが想像以上に傍若無人だと途端にアプローチする意欲を失ってしまう。





 禿頭の僧が言うには、自分でなんでもできるという思い込みが「最も人間的な心を忘れて他人を支配しようとする」傾向に拍車をかけるとのこと。初出の音楽療法の講師もそうだったが、人を惹き付ける吸引力のある人間の周囲に展開されるファンの構成が肌に合わず、事物を射抜く発言を聞くも、総じて居心地の悪い思いをした。





 不安年慮を打ち消す思考が亢進し、読書のできない期間が続いた。調和を求めるにも関わらず、均整のとれた室内では寛ぐことができない。適度に乱雑な場の方が居心地は良いのに、望んでそうしようとすると不自然になり安らぐことができない。そんな性質を面倒臭いと思いながら、一部容認している節もあり、もしかしたらそれを愛しているのかもしれないと思ったりもする。





 夏惚けの覚めやらない頭で浅いところを徘徊していると、現実のガス抜きとしてTと暮らす未来が作用している場合がある。そんなとき、未来はまるでファンタジーで、来春に向けて準備を始めなければならないのに、現実と地続きの感じがあまりにもしないため着手しようという気持ちが湧かずにいる。年と共に可塑性が狭まっているのを感じる。咄嗟に身を転じることができず、ぐずぐずと同じところで足踏みをして苛立ちばかりが亢進している。


-----------------------------------------------------------









両国国技館でダライ・ラマ「『地球の未来』への対話 -仏教と科学の共鳴-」

シアターN渋谷で井口昇「ロボゲイシャ」
恵比寿ガーデンシネマで野村友里「eatrip」

世田谷美術館で「オルセー美術館展 パリのアール・ヌーヴォー」
「和のいろ・かたち-日本画と工芸作品を中心に 第2期収蔵品展」
山種美術館で「速水御舟 -日本画への挑戦-」
上野の森美術館で「聖地チベット-ポタラ宮と天空の至宝」
メゾンエルメスで「ジャン=ミッシェル・アルベロラ展
『大きいものと小さいもの-チャプター2』」
21_21デザインサイトで「THE OUTLINE 見えていない輪郭 展」
根津美術館で「新・根津美術館展 国宝那智瀧図と自然の造形」


-----------------------------------------------------------





ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」
ジョージ・オーウェル「一九八四年」

読了。












過日   後日