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2005年01月29日(土) リクエスト.


美容室行った帰りにお茶をしようと思い、
あちらこちらを物色していたら
メイン通りから外れた
一軒屋風のお店に目を奪われた。

一軒家を正しく改築したぞっという窓からは
カウンターと
壁一面にカクテルのお酒が
行儀よく並んでいた。
いや手招きしているような気がする。
きっとアレもあるはずだ。

お腹も少々空いているし
これは行くしかないぞ、
まだランチタイムである。

今日は休日である。
今日は時間が有る。
天気も良い。
これは白昼堂々
もしかしてアレが飲めるのかしら、
そういう期待を抱かせてくれたのだ、きっと。

そう思って元気にドアを開けたら
店の男性がカウンター越しに
「2階へどうぞ」と案内してくださったので
そのまま2階へ登ってみる。
角地なので2方向に窓がある。
窓際に座ってメニューをみたのだが

あれ、ちょっとまてよ。

ランチメニューのドリンクは
ソフトドリンクしかない!
あとはデザート。
いやいや豆とかチーズとか
という期待も空しく掲載されていない。
あとは焼酎とカクテルの名前が連なっていた。

とても残念だったので
無理を承知で
注文を聞きに来た店の男性に尋ねてみた。

「ランチビール、ないんですかね?」

・・・

無言のまま2階の景色を見ながら
BLTサンドのランチと
別注文でビールを味わった。
ちょっと拍子が抜けてしまう。

期待が大きすぎだよ、と
耳元で別の私が囁く。
そうだよな、
昼間からビールが飲めない土地なのか。
ドイツじゃないもんな。
大袈裟すぎる?
ビールが飲めないから嘆くなんて。

気落ちしたまま
1階のレジで勘定する。
店の男性が

「どうですかね?」

と尋ねた。
ランチビール無いっていってたじゃん!と
泣きそうになりながら無言で押し通していたら、

「只今休日はメニュー変更を考えていまして
 ランチにアルコールをつけようかと思っていまして」

というじゃないですか。
ええーって聞き返したら

やはり夜に飲む人もいるのですが
休日の昼間に軽く飲みたい人もいらっしゃって
30代後半の男性で先日午後3時から8時まで
飲んでいった人もいたと言うのだ。
昼間楽しくお酒を飲もうという人もいるのだ。

「是非ランチビール頼みます」

来月美容室へ行く頃には
実現してると嬉しい限りである。


2005年01月28日(金) 人生に必要なもの.


とうとう買っちゃったショルダーバック。
皮製のベージュ色の小振りの奴を。
少し匂いがして冬色の服の上でも存在感ありだ。

手提げ鞄を通勤時愛用していたのだが
電車の中でも 撮影する時でも
散歩しても 座ってメモしたり読書するにも
腕や手に持つという動作が
こんなに辛いものかと少々嫌気がさしていて
今回色々探した挙句の出逢いだった。

新しいバックの包みをルンルンで開けていると
「またバック買ったの?
 女の人っていくつ人生に必要なの?」
と主人は呆れ顔で溜息ついた。

そう?って確認したら
結構持っているものだね、小さいものから大きいものまで。
冠婚葬祭用黒のフォーマル、日頃使うグリーンのDバック、
手提げ大小各二つ、旅行用バック、
カメラ用のバック、登山のバックなどなど
おうおうあるなぁ、と人事(ひとごと)のように感心してたら
後ろから主人に大笑いされてしまった。

確かにっていくつ人生に必要なの?って聞かれると
本当は一つで事足りることなのかもしれない。
体はひとつ、心もひとつなのだから。

本物の一つを探す為に色んな出逢いはある。
探すまでの経過、その後のサクセスや失敗も
まとめてみんな人生に必要なものだと私は思っている。

ただし数こなせばという、乱暴な言い方はしない。
色々探し回って買って一生懸命使ったバックは
新しいものを買ったといって捨てられない。
愛着もあるし、また出番もあるのだ。
そんな可能性を捨てたくない。

気持ちを込めて使えば
きっとプラスになる。
人もモノもそれがとても必要で大事な事だ。



買ったバックは触り心地抜群なので、
肩にかけてたまに
無意識に撫で撫で擦っていると
怪訝な顔の主人が眺めている。


2005年01月27日(木) しぼむ心.


「まいったなぁ」

冷静な自分としてみてるのって不思議なのですが
そう思ったのは昨夜22時頃。
布団に潜り込んだとたん、
どうやっても悲しくて涙がとまりませんでした。
何が悲しいのか辛いのか
おへそのあたりが鈍痛を感じて仕方ありません。

生理中もあってだろう、
そう思い薬を飲みお腹に貼るホッカイロをし
再度寝ようとしたのですが
寂しさが過ぎるばかり、なのです。

生理期間が多少短縮したり
量的なものも少しづつ減ってきているところを見ると
体の変化とともに
心も少々影響しているのでしょう。

たぶん自分に課した一つは、
もう一人家族を増やしたい事
もう一つは
その希望は今年実らなければ諦めなくてはならない事


一方夕食のとき家族を叱ったな、言い過ぎたかな
怒る事もエネルギーは消耗されてしまいます。
特に心のエネルギーは影響大でして
怒ったときよりも怒った後にとても響きます。

良い人になろう
それを辞めればいくらか楽になるのに
無意識に働くココロ・・・。

どんなに人にすがってしまっても
やはり最後は自分がやらなければならないこと
わかっているのに
それでもここでちょっとの「愚痴」を
黙って見てくれる誰かに
少し申し訳なく話しかけています。

・・・ありがと、少し楽になれるの。
あとは早く眠ろう。


2005年01月26日(水) 冬のひまわり.


最初の会社を辞めたとき花束をもらった。
ああ自分が辞める番になったんだと実感した。
酔い覚めの晩、
とぼとぼと帰宅した覚えがある。

その時の送別会には
沢山来ていただいた。
普通は部署内だけのはずだったのに
と幹事さんが嘆いた。
老若男女問わず、他の部署の人もきてくださった。
考えてみたら同じ会社の人と結婚し辞めたのだから
声ぐらいかけてくれれば
と思ったのだがその辺は会社の付き合いなのだろう。

それでも宴を開いて
みんなでわいわい出来たことが嬉しく
沢山アルコールを頂いたのだ。

その時の向日葵の花束が
みんなの笑顔に重なって見えて
この時期の向日葵を花屋で見つけると
私はつい眺めていたくなる。

あのころに戻りたいというわけではなく
みんなはどうしてるんだろう、
元気で過ごしたらいいな、
そう思う冬の日である。


2005年01月23日(日) 白い人.


どこなくこの世に心が無い人を
見かけることがある。
それはお化けというわけではなく
かといって生きているという感じが
体に滲み出ていない人。


ある年の厳しい冬の雨の夜、
2間ほど開いた店先で
綺麗な着物を着て
たった一人お客さんを待っていた女性だった。

歓楽街というより、
時代が逆回転したような
ひっそりした遊楽街。

何軒か同じような店が連なり、
玄関先に一人だけ座っている。

店の前の通りには男性がまだらに行き交う。
店に一人男の人が入ると
奥から店の主らしい年配の女性が
客を促し店先にいた女性と
奥へ入っていく。

連なる店の中での或る店先に座っていた女性は
どこを凝視するわけでもなく
この世のものを見ていない視線だった。
その視線の先が気になった。
けれど、、、その時、

「どんな感じ?」

こちらが希望するわけでもなく
この街の裏側いくか、
そう言って世の中の裏側を
見せたがるその当時の彼は、
私を車の助手席に座らせて
ここへ連れてきた。

だいぶ遠くで
スモークガラス越しに
彼女を見たあの時、背筋がぞくっとした。

「白く感じた、そう見えないの?」

私はそう呟いてた。

「どう言う事?」

誰もが目をひく
華やかに輝く着物も
目立つような化粧も
何もかも剥がされてしまって
魂だけあるような
白い人の形をした様そこに佇んでいる。

「早く車出してもらっていい?
 ここ寒くない?」

そこにずっと居られなかった。
彼女の視線に捉ってしまったら
たぶん動けなくなりそうだった。
彼女からすぐにでも逃げたかった。

彼女に見つかってしまいそうで
「そこで貴方何してるの?」
そういう風に
遠くから口を動かされたら
私は何も返す答えがないから。

知っていても
立ち入ることが出来ない場所
ずっと居てはいけない場所
世の中にはあるのだ。
そういわれたような震え。

彼はその後
彼女やその場所については何もいわず、
夜の賑やかな明るい
繁華街の喫茶店へ私を連れて行き、
即座に私の好きなホットレモネードを注文した。

「なんか落ち込んでるの?」
そう心配そうに彼は尋ねたけれど
「違うよ」それしか言えなかった。

そうじゃないのよ、
あの人生きようとしていないの。
声に出して彼には言えなかった。
寒い雨はすぐには止まず、
強く地面に叩きつけていた。


暫くして白い女性を見た場所は、
「置屋」という名前だったことを知ることになった。
彼女はまだあの店にいるのか、私は確かめたことはない。


2005年01月22日(土) 湯豆腐が食べたい.


秋の冷えた空気の縁側で
ぐつぐつと煮える鍋に
白い湯気が天に向かって
立ち上がる。


秋冬の京都の湯豆腐。
いや春先にも頂く事にしている。
ひとりで物思いにふけながら。


今年は行きたいな。
はふはふ、熱い熱いと
言いながら
冷たいビールも頂く。


はあ、湯豆腐が食べたい。


2005年01月19日(水) 新聞を待つ朝.


早く寝すぎて
午前様の主人と入れ替えに目覚めた。
最近寒さで起きられない日々を過ごし
「今日くらいは」
と厚手の長袖に腕を通し、
早速珈琲を入れるために
やかんに火を点けた。

結婚して何が嬉しかったというと
朝の新聞の音が聞こえることだ。
早めに目が覚めたときに
玄関から「コトン」と音がした。
急いで玄関備え付けのポストの蓋を開けると、
真新しい新聞がちゃんとそこに居た。

かといって隅々まで読む程、
新聞好きではない。
最終面から読んで、
あとは太文字の見出しを見ておわり。
チラシも興味のあるものだけピックアップ。
あっというまの新聞タイムだ。

なのに新聞が来た音が好きだ。
朝が来たんだ、ということ。
太陽が昇って白々と明ける風景も好きだが
時が来たという知らせも良い。

実家のような集合住宅では、
新聞屋さんが各家庭に入れない作りの為、
(ある意味新聞屋さんが楽なのかもしれない)
ポストも集合住宅になっている。
いつ新聞屋や郵便屋が来たのかわからない。
覗きに行って新聞が来てなかった、
そういうこともあったのだ。

朝早くから起きて
もうそろそろ新聞屋がくるのだろう、
そう思うと嬉しくなる。

それに
新聞屋さんはもっと早くから起きて
作業をして届けてくれるのに、
新聞の音を聞く前に
自分が目が覚めていることが
なんだか優越感に思えて仕方がない。

真新しい新聞を広げると
インクの匂いが漂う。
珈琲と一緒に
最終面から目を通す、
そんな今日が始まる。


2005年01月13日(木) 記憶のシオリ.


記憶はきちんと脳に収まっているのだと思う。
ただ思い出すのに時間がかかりすぎてしまう。
普通であれば本棚やファイル、引き出し、小箱のような
分かりやすいツールに整理整頓しておけばいいのに
私の脳においてはそのようなものが曖昧だ。

例えばテーブルの上に大事なメモを残して
そのまま食事をしたり
絵を描いたり仕事したり
そんな感じで記憶してしまうのがよくないのだろう。
記憶のシオリやカギをしておけがいいのに
そのような「ヒント」もないので
思い出すまで時間がかかるのだ。

あの時こんなこと書こうと思ったことが
いざエンピツに書こうとすると
パソコン画面の前にいるだけで時間が経過する事が多い。

まいったな。

その為今年は落書き帳ならぬ
赤いスケジュール手帳を用意した。
スケジュールを書き込むのではなく、
記憶のシオリを書き込む為のもの。
人様には到底見せられない代物だ。
ページが5�仍擁�の方眼になっていており
毎日日付がふられているが
何を書いてもいいぞ!といった感じがする。
書くのが楽しくなる。そういう気持ちが大事。

電車で朝の珈琲タイムにも
ふと気がついて書き込んでいる。
だからといって
脳のシワを増やす為のものではないけれど
また書くのが、そして色々想像するのが
楽しくなる相方ができた。


2005年01月08日(土) ジャングルジムの空の向こう側へ.


幼稚園時代とても好きな風景は、
ジャングルジムの上に登って
冷たい風を受けながら
実家あるの方向の空を眺める事でした。

シンクロしたなあ、そう思い出すのは
私の中ではあるドラマのワンシーン。
それはフジテレビで以前放映された、
新米監察医の成長過程を
軸にした漫画原作の「きらきらひかる」。
幼い女の子が亡くなった場所が
ジャングルジムなのです。

その女の子はお母さんを好きで、
幼稚園でグレーに囲まれた絵を描くのだが
まわりの大人たちは
何の絵なのか理解できなくて
女の子はニコニコするばかり。

なぜ女の子がジャングルジムに居た理由、
それはジャングルジムの上から
大好きなお母さんの働いているビルを眺めていた。
先程のグレーの絵は
お母さんのいる会社のビルを描いたもの。

大事な、彼女の居場所。

幼稚園の私は
お友達もいっぱい居たのに
大好きな先生も居たのに
ジャングルジムの空の向こう側が好きでした。

ジャングルジムにやっと登れたという満足感と
友達よりも先生よりも
大人よりも誰より高い場所で、
自営業をしていた両親に
思いを深く馳せる事が出来たのです。

それは誰よりも両親に逢いたくて
早く家に帰る「近道」なのです。


2005年01月05日(水) 心の瞳.


雪が降った去年の暮れ、
朝早くから起きて映画の梯子をした。
その日は映画は1000円と来たものだから
見たい放題ということではなかったのだけれど
ひとりでワクワクしていた。

映画の後の感想を言える人も
欲しかったのは本音だが、
私の中のゲリラ的に「映画に行きたい!」
衝動を抑える事が出来ず、
「ハウルの動く城」と「約三十の嘘」を見てきた。
中でも印象に残った科白は「ハウルの動く城」の
この科白だった。

「美しいと言われた事がない」

何故だかその科白が私には
「私は誰にも愛されていない」と聞こえそうな科白だった。

主人公の彼女は
更に荒野の魔女に
90歳のおばあさんにされてしまう。

わけがわからず前へ進む彼女は
持ち前のユーモアと
バイタリティで乗り切っていく。
大きな挫折が目の前に出現した時
彼女はこの科白を呟かないわけにはいかない。


人に「綺麗ね」と声をかけられ
キラリ輝くときがある。

美しいというものは、人から評価されるもの
そういう一面も「美しい」はもっているのだろう。
そうではなく私の美しいと思うものは
自分の気がつかないところに埋もれていて
自分自身で掘り出して
一生懸命磨いて
惜しげもなく使うもの、
それがもっとも輝くものだということに気付いた。

今の私の美しいと思うものは、「心の瞳」だ。

激しく揺さぶるもの、
汚れていく見てはいけないもの
優しく包み込むもの、
突き進む悲しみも
この手でこの耳でこの足で
更に私の感じる血となり肉となって、
そして感覚というものとなるのだろう。

「心の瞳」は、
自分自身も私の周りの人をも
揺さぶる「風」になるのだから。

私は他の人に
美しいと言われたことはない。
しかし
美しいと感じる事とそれを伝える風を、
私はもう持っている。


2005年01月03日(月) 初夢.


一富士ニ鷹三茄子を
目に焼け付けて
寝床に入ったのだが
夢を覚えていない位
ぐっすり眠ってしまったらしい。

幸せな夢を見たと思おう、
嫌で悲しい夢だったら
嫌悪感と嫌な汗をかいて
目覚める事と想像できる。

しかし
夢のひとかけらでも
覚えておきたかった。


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