子犬日記
むかしのことちょっと前ちょっと先


2005年09月25日(日) 映画「チャーリーとチョコレート工場」

子犬を初めて映画館につれていったのは、四歳の夏で、観たのは「ポケットモンスター/ルギア爆誕」だった。
そのあと映画館で鑑賞した作品は以下のとおり。
順は忘れたので適当。

「ポケットモンスター/結晶塔の帝王」
「トイ・ストーリー2」吹替
「ダイナソー」吹替
「モンスターズ・インク」
「ファインディング・ニモ」吹替
「アトランティス」吹替
「ブラザー・ベア」吹替
「スパイダーマン」
「ハリー・ポッターと賢者の石」吹替
「ハリー・ポッターと秘密の部屋」吹替
「アイ・ロボット」
「シャークテイル」吹替
「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」吹替
(ジュード・ロウのナレーションを聞き損ねた)
「ロボッツ」吹替

忘れてるのもあるかも。CGアニメが多いな。

で、今回はティム・バートンの「チャーリーとチョコレート工場」字幕版。
原作を一日で読みきって大ファンになった子犬、映画もぜったい観たいという。連れて行こうと思って調べると、上記全てを見たいつもの映画館では上映していなかった。ネットでチケットを取り、すこし遠いシネコンへと出かけてみた。新しい施設は綺麗で気分がいい。

いやー……すごかった。バートン映画だからな orz
極彩色で、ブラックで、甘くて(チョコ工場が舞台ですから)、ジョニー・デップが素敵に変。ウンパ・ルンパ人のダンスと歌がすごかった。作曲者エルフマンも歌ってるし(笑)
アクション映画的展開に慣れた子犬は、ワンカさんの変人ぶりにくらくらしたようだ。帰りの電車の中で「よく考えるとすっごい失礼なこと云ってるよねあのひと!」「面白かったんだけどすっきりしないー」「なんかもやもやするけどなんだろう」としきりと考え込んでいた。観たあとしばらく考えてしまう映画もたまにはいいだろう。
「前に映画化されたのも観たいな」とも云っていた。以前、ビデオレンタル屋でもらった無料の古今映画カタログ(けっこう厚い冊子)を熟読していたのは知っていたが、そんなところにもチェックを入れていたのか。油断ならん。

車内で子犬と映画の話をしていると、子犬のとなりに二人連れの神父が座った。ミサの帰りだろうか。若いほうの神父氏の胸に下がっていた銀色のクロスを見たせいかどうか、子犬が「ママは『パッション』観たんだっけ?」とふってきたので、少々あせった。

さて、次はどんな映画に行くのだろう。
とりあえずはスピルバーグの『宇宙戦争』が観たいというので、レンタル予定。


2005年09月18日(日) 行間を読めない世代。

いわむらかずお『後路みね』(理論社)
いわむらかずお『根津あかね』(理論社)
斉藤 洋/作・宇野 亜喜良/絵『アゲハが消えた日』(講談社)
『絶滅哺乳類図鑑』(丸善)

を図書館に持って行き、

ビバリー・バーチ『伝記・世界を変えた人々8 ブライユ』
平見修二『科学史のヒーローたち1 チコ・ブラーエ』(リブリオ出版)
ロイド・アリグザンダー『タランと角の王』(評論社)
ワイリー&バーマー『地球最後の日』(創元推理文庫)

を借りてきた。

最後の本は、子犬たっての希望。親の押し付けではない(笑)
前回、『ルドルフ』シリーズの斉藤さんの本だからと選んだ『アゲハが…』が一種のタイムスリップもので、初めて漫画でも映画でもない活字SFに触れた子犬は、しきりに「不思議な話だよねえ」と云っていた。宇野氏のイラストを見て「僕でも描けそう」と失礼な感想を漏らしたのはヒミツ。
とにかくその余波で、SFっぽいものを読んでみたかったらしい。まだ早いとは思ったが、読めなくてもかまわないので借りた。…親も読んだことがない古典中の古典SFなんですけどコレ。

宇宙にも興味を持ち始めたので、買ってやった小学館NEO図鑑『宇宙』。その中に、天文関係で重要な発見をした人々を紹介するコーナーがある。
ここに、地動説を唱えたケプラーが載っているのだが、彼の神を恐れぬ地動説のもとになったデータ提供者である師匠チコ・ブラーエの姿はない。けっこうこのパターンは多い。決闘で削がれた鼻に金属製の偽鼻をくっつけたり、プラハの錬金術皇帝ルドルフ2世の食客になったりと、ネタには事欠かない変人なのにもったいない、とかねがね思っていたのだ。
小山慶太氏の『科学史年表』(中公新書)ではチコ・ブラーエの没年(1601)から科学史の歴史を始めている。彼は、望遠鏡がつくられる以前に天文台での観測を始めた科学的な研究者ではあったが、宇宙と神の存在を切り離して考えることが出来なかった旧時代人でもあったのだ。
…とかいう長い前説は心の中にしまっておいて、書架の端のいすに座って鳥の図鑑を貪り読んでいた彼にひかえめに勧めてみたら、わりと好感触だったので借りてきた。
ブライユ点字に関しては、ポケモ■のゲームで点字が扱われている関係もあって、前々から興味があった様子だったので借りてみた。
『タラン…』は、物語読解が弱いのでその対策用に。といっても単に読み流すだけ。親がくっついて読ませるわけじゃないのは今までと同じ。続刊たくさんあるのでがんばってくれ。

「古池や蛙飛び込む…」の「蛙」を「かわず」または「カエル」と読めなかった大学生が35%いる、という新聞記事を読んだ。コラムに関して筆者の意図を正しく読み解けるかという問題については正答率42.1%、高校生よりも低かったという。若年層の読解力が落ちているという話はよく聞くが、こうもはっきり数字で出ると愕然とする。
行間を読めないということは、日常会話の筋や細部が読み解けない、ということでもある。世の中に暗黙の了解とよばれる不文律があることもわからないだろう。ちょっと前に云われていた「人を殺してはいけない理由」や「売春をしてはいけない理由」をきちんと教える必要性、というのもこのあたりとつながっていそうだ。そんなの口で教えることじゃないよと思ってしまう旧世代の腹芸文化は、急速に失われていく運命にあるらしい。


2005年09月07日(水) 軟着陸したのだろうか。

学校が始まって一週間が経った。クラスのほうはとりあえず大丈夫らしい。ほかにも嫌がらせをされている子がいるのか、あるいは一対一なのか等、細かい点は話さないので不明。しかし相手はクラスの中でも浮いた存在のようで、周囲が付和雷同することはないらしい。要経過観察。

学童のほうは、先週二回行ったきり。合計時間にして四時間ほど。そして今週はどうしても行きたくないと云って、学校から直で帰ってきた。
月曜は三時過ぎに帰って塾の宿題を片付けたりしてマターリ。火曜も同じくらいの時間に帰って、昼寝や宿題のあと、英語のレッスンに。こちらも夜遅くに帰ってからばたばた勉強させなくて済むので助かった(殴)
さて。犬がきのう、月謝を届けに学童に行くと施設責任者が出てきた。不規則にではなく、なるべくきちんと来てほしいという彼女に、先日の一件以来もう来たくないと云っている旨を伝えた。話をするうちに、あれがあったのは彼女がいないときで、担当の先生が報告していなかったのが判明。事実関係を確認して対処すると約束してくれた。ひと安心。
優しく厳しい彼女は、コドモ至上主義の教育者(先生というよりこちらのことばのほうがしっくりくる)なので、知っていて何のフォローもないのはありえないと思っていた。何年にもわたって面倒を見てくれて、子犬がすぐに手を上げる暴力魔神ではないのをよく知っているひとだから、余計な説明もせずに済んだ。
帰宅後、彼女から電話があり、残っていた子供たちと話し合ったことを知らせてきた。子犬も電話口に出て、なにやら話をきいてはうなずいていた。

で、今日からまた学童にいくことに。あと半年。そのあと二年間どうするかは考え中。ま、こちらも要経過観察。

子犬は『後路(うしろ)みね』いわむらかずお(理論社)読書中。ちなみに後路みねは牛の名前。


2005年09月01日(木) いじめ、のようなもの。

夏休み明け早々、子犬が腐っているので話を聞いてみた。

1 小学校のクラスメートに嫌がらせをされた。

2 学童で下級生に嫌がらせをされた。

1について。
当該児童についての芳しくない噂と言動は前から有名だったので、あまり驚かなかった。やっぱりきたか、というかんじ。去年児童がいたクラスでは、あまりのひどさに親が呼び出されて、被害児童の父兄と先生をはさんで直談判になったらしい。が、子供が子供なら親も親、「うちの子がそんなことするわけない」と暖簾に腕押しでつけるクスリはなかったと、やられた当事者が云っていた。うちのクラスは平和だったんだな。
悪業の詳細を子犬に聞くと、陰湿ないじめというよりは未就学レベルの痙攣的な暴力と嫌がらせがメインらしい。夏休み前からちらほら聞いてはいたし、三者面談では先生も当該児童について把握しているようだった。
とにかく、すみやかに事態の悪化を担任に知らせよと云って送り出した。帰宅して確認してみると「あ、先生に云ってないや。スポーツ大会だから忘れちゃった。それに今日はそんなにひどくなかったしさあ」って。いいのかヲイ。

2のほうが深刻かもしれない。
やはりこちらも、以前からしつこく悪戯や暴力をしかけてくる下級生が問題。常習犯で、先生も投げている感じ。
その日は、トイレでペンケースの中身をばらまかれて、大切にしていたペンがどこかにいってしまったらしい。さすがに怒った子犬が相手をつかまえてぶったところ、下級生が泣き、まわりと先生に責められた子犬もしくしく泣くという結果に。

彼は身体こそでかいが、怒れば瞬時に激辛レッドゾーンに達する親と違って気が長く、穏やかなコトナカレスキーだ。やられてもやりかえすことはない。
イライラした犬がやりかえせと怒鳴っても手を出したことはなかったのに、何度もしつこい嫌がらせをされてとうとう切れたのだろう。
年令的にも、保育園時代から十年間身を浸してきた「みんなで仲良く」を旨とする管理生活に飽きてきたようで、
「ぼく、もう学童に行きたくない」
むすっと一言。
どちらにしろ学童通いは来春でおしまいの予定だった。いろいろ思うところもあって、やめるのをすこし早めてもいいかなあと思ったり。とにかく、学校で嫌な思いをしたあとに学童でこれでは気が休まらない。というわけで、次の日は鍵を持たせて学校から直で帰宅させた。

いろいろあるな…。


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