誰かのコト 私のコト
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My追加
題名に、「日記と言うよりメモ」の言葉が含まれた場合は、 母の様子や入院等についての内容が書かれています。 ここに、ガンのコトが少し書いてあります。


2001年12月31日(月) 日記と言うよりメモ(外泊)

今日から3日まで外泊許可が出た。
体調も多少安定してるようだ。
これからが大変。

でも母も嬉しそうだ
きっと楓が喜ぶだろうな。


2001年12月29日(土) 親元に帰る

左ひじがこんな(包帯グルグル)なので私は役立たず
楓の遊び相手だけだな。
大掃除もできない(笑)

母の元へ行きひじのことは話した
ちゃんと話さないと不自由そうな動きを
不審がられても困るからね
案の定心配されてしまった(笑)


楓は今年最後の美容院でシャンプーカット
キレイになるけど一瞬なんだよなぁ(泣)

今回の親元で過ごす期間が5日間程度なので
着替えが多くて途中で嫌になった
持って帰ったのは妹だけどね(笑)。


2001年12月28日(金) 仕事納め

っていうか仕事しまい込み?
いや・・・ほったらかし(笑)


2001年12月26日(水) 急患になった私(ちょっと痛そうかも・・・)

負傷した?左ひじが痛い。
こんな性格なのでそそっかしいので
よくぶつけてあざを作ったりしている
忙しいと「後で痛がろう」等
訳の判らない言い訳をつぶやくのだ。
それでぶつけたことを思い出せず
「あれ?こんな所に青あざ???」となるパターンが一番多い

今回も同じだと思った

午後にひじが痛くなり曲げ伸ばしが苦痛になった
いてぇーなぁ?と思って触れると肘が熱い
あっれーぶつけた?

夕方になると左手がむくんでるような・・・
ひじを触るとぶにゃんとしてる
んー腫れてるのかな?
見ると
赤いような青いような・・・

B君に見てもらったら
腫れてるような腫れてないような。
でも熱は持ってると言われた

21時仕事を終え妹に連絡すると22時になるとのこと
しばらく仕事をしながら待つことにした

妹にひじを見せると
急患で病院に行け!と間髪いれず言われる

近くに救急病院があるので行くと
整形外科の先生がいないから、と断られ
消防なんとかの電話番号のメモを持たされる。

かかり付けの病院も、同じ理由で断られた、チェッ。
妹が別の病院に電話をして
整形外科がある病院を幾つか教えてもらえた。
親切な病院もあるんだな。

教わった病院に連絡をして、
症状・名前・性別・年令等細かく聞かれ、説明を終えやっと
来てください
と言ってもらえた
タクシーに乗った時すでに23時だった。

つくと血圧・体温測定した後先生登場。
ぎゅーぎゅー押されて
水が溜まってますね
と言った後
抜きましょう
げー!
でっかい注射器魚肉ソーセージ位のが出たときは
こんなおっきいのでですか?と思わず泣きが入ったら
ごめんごめん20ミリと言い
シャチハタ位の注射器に変わった
痛いところを押さえて、痛いところに注射しますからね
といわれ
「えー」と言うと看護婦さんに向かって
押さえて
と言い放った先生は女医さん(笑)
看護婦さんが私を後ろから羽交い締めにするように押さえる時
ごめんね
と言ってくれた
看護婦さんを突き飛ばしたらどうしようなんて考えたけど
「いったーーーーい」と言ったくらいで「あ、我慢できそう」
といったら看護婦さんが離れた
そんなに痛くなかった。

多分ばい菌が入ったのでしょう
と言われ検査に回してくれるとのこと
結果がわかれば安心。
そんな風に思っていたところに救急の電話が入った。

看護婦さんが
ホームと電車の間に挟まったけど
外傷はなく意識もあるが、なんとかが変形してるらしいんですけど。
変形?多分手術になると思うんだけど今日は手術室使えないからなぁ。
そうですよね。どうしましょうか。
もう1回外傷と意識を聞いて。
外傷はなくきれいです、意識はハッキリしているとのことです。
んーでも変形ね。やっぱり手術はできないから、かかり付けか他の病院を当たってもらって。


急患って恐いのね。



ちなみにぶつけた時のあざは、堅くなり
ぶよんぶよんってなってるのは水だそうです。
抜いた水がにごってる場合はばい菌だとのことです。
あまり簡単に考えず早めに病院へ行くことをオススメします、
って私が言うな?(笑)たはは


2001年12月25日(火) 仕事

忙しいと言いたくないけど忙しい
どうやって今月、今年を乗り切るんだ?

母のことはボスにしか話していない
だから他の皆は私がどんな状況か判らないで
話す。
そんな知らない人からの言葉に
幸か不幸か
傷ついてる時間がない


2001年12月24日(月) 日記と言うよりメモ(クリスマスの食べ物)

風月堂を覗いてみたら可愛いプリンがあった
あまりの可愛さに思わず、
2種類を各10個買って病院に行く

母と三人で2個を山分けした
入れ物がサンタクロースと雪だるまのカップ
普通のプリンとココアプリン。味は普通だ

病院では看護婦さんからの
全患者さんへ手作りクリスマスカードが届いてた

父から母はは、冗談半分でリクエストされた
ダイヤのネックレス
私達からは特に今回はなにもあげなかった
でも携帯の機種変更をしようと思っている(笑)

クリスマスが終わったら、これどうするの
看護婦さんが、病室の壁に飾ったクッキーを指差した
25日夜勤の人と分けようかなぁー
母が答えると
24日にしようよぉー私夜勤だし
と更に突っ込まれた。
一緒にいた私達は笑い転げた。
今日の夜勤は何人いるの?
4人なの
じゃ4等分ね



結局連休を親元で過ごした。
21日から24日までだったが
家族皆がしんどい

気を使うのが疲れる
母が、何を気にしてるのか判らない

母に気を使われるのが疲れる
普通にしててと言われても、判らない


2001年12月22日(土) 日記と言うよりメモ(クリスマスの仕度)

クリスマスの飾りを買いに行った
病室のカーテンを少し華やかにしようと
妹と考えた結果だ。

母は笑った。私達も笑った。

ベッドに座った母が、私達に
「その星はもう少し上!」等と遠隔操作しながら
飾りをつけていく。

カーテンに窓の明かりが差し込むから
ベッド側につけた飾りが廊下側に
すけて見えたので
飾りをつけ終わったと同時に
看護婦さんが病室に訪ねてきた。

看護婦さんも笑う。

私達が笑い転げて帰った後
患者さんが数人、母の病室を訪ね
写真を撮っていったそうだ


2001年12月21日(金) 親元に帰る

昨日の無理がたたったか、
「歳」なのか、この際どーでもよくって(笑)
体調が悪くタクシーで親元まで帰った
思ったより道はすいていたが
14000円程かかった。


隠語で「おばけ」?っていうんだっけ
長距離のお客さんって少ないからだったかな。
タクシーの中で妹と調子悪いって言ってるのに
肉まん食べてちょっと寝た(笑)

カーナビって便利ね

タクシー運転手さんは規定時間内に
車庫に戻れたんだろうか。


2001年12月20日(木) よれよれ

何でこんなに忙しいのかと思ったら
20日だったんだね。トホホ
気がつかなかった私がとほほぢゃ!
どーりで忙しかったわけっす。

なんだかんだ片付けたりデータ入力して
ふと腕に目をやると
1:50?お昼かよっ。
一人三村になってしまいました。

当然真っ暗な1:50
25:50って言うんですかね?
もちろん晩御飯抜きだったので
帰りにコンビニに寄ったのだけれど
肉まんがなくて、サンドイッチを買いました。
ハラペコな私はそれを道々
歩き食いしました。
そんなことしちゃいけません!って叱られても
背に腹は・・・。

食事を歩いて済ませたので?
3時にはベッドに潜り込んだけど
メールを書き終えたのが、5時
何度エラーになったか・・・
HPからのフォーム送信だったので、その度に書きなおし(笑)
送信を完了してからの記憶がないのは言うまでもありませーん


えぇご想像通り遅刻いたしました(汗)


2001年12月18日(火) 日記と言うよりメモ(二人で半日過ごす)

朝起きたら、父も起きて来てた。
母は簡単ではありながらも、父への朝食の仕度をしていた。
入院前と変わらない風景。

早起きだなぁとブツブツ文句を言いながら、
布団に包まったまま私は二人を見ていた。
父が家を出る頃布団から出て、台所で母と一緒にテーブルに付いた。

バナナの皮がテーブルに置かれたままだった。
チッ、私が舌打ちしてゴミ箱に捨てた。
母が
ねっムカツクでしょ?
昨日ね、私が食べたバナナの皮を灰皿に捨ててやったの。
そしたらそのバナナの皮はゴミ箱に捨ててるんだよ?

似た者夫婦?なんだかおかしくてちょっと笑った。

母と半分こにしたパンを食べた。

今日皮膚科に一緒に行こうか?と聞いてみた。
うーん休みかもしれないのよね。
どれどれ・・・あら?そーだね。じゃ駅前に買い物に一緒に行こうか?
うん、銀行も行きたいしそうする。
じゃ早い方が良いだろうし、仕度してね。

10分かからないで行ける距離を倍の20分かかって歩いた。
銀行でお金を下ろし、通帳記帳する。
ストアに行き、ハガキを買った。
ベストが1枚しかなかったのでもう1枚買った。
切手を買い損なったので、出口からもう1度店内に戻った。
お茶して帰る?と母が聞いてきた。
どうしたい?私はどうでもいいよ。
うーんどっちでもいい・・・
じゃ帰ろう?と私が言った。
外で長時間過ごさせたくないからだ。周りの風邪も恐い。

家に帰るとすぐ母はパジャマに着替えることもせず
ちょっと疲れたといって横になった。
楓をなでながら私もうとうとしていた。

13時
母が付けたTVで偶然「ガン患者への心のケア」?みたいな番組をやっていた。
思わず二人で見入った。
その番組では、日本のガン患者への告知は30%であると言っていた。
そんなに少ないのか?
告知を家族しか受けていない場合、家族が患者の元に行きにくくなる・
話をしにくくなる等で、患者自身が疎外感を味わい良くないらしい。
そうだろうな・・・元気にするって辛かったもん。
そして、さらに本人だけでなく家族や友人に病気を告知して、
皆で患者をバックアップしましょうみたいなことを言っていた。
母が、「そっか友達に言っても良いんだ」と、泣き出した。
一人で黙って耐えるって辛い。
『話す』ってことで気持ちを消化することがあると思う。
私もこうやって日記と言う形で、私の気持ちを吐き出してる。
見たくない人は見なくて良いという方法を選択したつもりだ。
話すということは、聞きたくない人にも聞かせることになるのではと
私は思ってる。

そして知らなくて良いこと、知りたくなかったことが
世の中にあふれてると思う。


15時
親元から会社に向かう。
疲れて頭も身体も重い。

昨日から今日にかけて私も強いストレスを受けたのだろう。
免疫力の低下したのか口内炎が二個できた。
母と同じ健康食品を今晩から試すことにした。


2001年12月17日(月) 日記と言うよりメモ(父からの告知)

5時半に起き、6時何分だかの電車に乗った。
途中叔母に電話で、母にばれたことを連絡。
叔母が、今日そっちに行く約束してるんだけどどうしよう?
母から来ないでと言われない限り来て欲しいと頼んだ。
今思えばずいぶん辛いお願いをしたもんだ。

妹と、電車の中で寝ようね?
そう話してたのに、後三分の二あるのに寝られない。
横にいる妹も同じ。
家に帰ったとき、父が出た後だったらどうするか
等、色々相談しながら考える。
まず駅についたら家の電話に連絡をして
様子を探ろうと決めた。
7時、家に電話すると母が出て、
今父が起きてきたといったので家まで走って帰った。

ちょうど母が
私ガンでしょ?と聞いていた。
歯を磨いていた父は
私達を見て驚いたのか、母の質問で驚いたのか判らない。

母が父の傍を離れた隙に私が
手帳見たんだって。
もうだませないよ、疑惑を持たせ続けることはまずいよ。
私達は知らなかったことにしてあるから。
妹からも
もう言ってあげよう。

父が重たい口を開いた
皆座れ

父が話したのはガンのステージ(レベル)と余命以外。
父が全て内緒にしていたということにして、話をした。
母が泣きながら、家族は蚊帳の外かと父に抗議する。
耐える父。
母が泣きながら、この子達が知ってると思ってたけど。
ガン相の話しをして、治らないものではないということだと思っているが
本人の気力がなくなるのが1番心配でいわなかったと説明する。
事実そうなのだから、それ以外に黙ってた理由はない。
治す、治る。
いや、ガンと共存しながら生きていくんだと
私達、母以外は信じているから。


時間にして3時間
その時間が長かったようにも思えたし、あっという間にも思えた。
母は泣きはしたが、私達の手前か
平静を装った。


私と妹は今日は会社を休むことを決めていたので、
会社に行った父を見送り、母と3人で過ごした。


お昼頃、叔母が来た。
平然を装うのは難しい、でも叔母は頑張ってくれた。
ありがとう、おばちゃん。

ほんまもんの再放送をなぜか見た。
涙が止まらなかった、朝からキツイのやってるんだな。
同じ、ガンの告知を本人にしない選択をした話しだった。


悲しくてもお腹が減るもので
先日スーパーで送ったレトルト食品の品評会を兼ねて
叔母と女四人でお昼を食べることにした。
おかゆ・かぼちゃのやわらか煮、野菜のあんかけ等など
しょっぱいね?とか食べやすいね?だとか
にぎやかに話をしながら、母も三品を平らげた。

食事が終わって、母と叔母が方言丸だしで
親戚の話をしだした。
忘れようとしてる、母を見るのが辛かった。
心なしか叔母が母の顔を見ないで、楓ばかりを見ていたように思えた。
そうだろうな・・・見れないよ。


父が帰ってきた。私達がいることに驚いたが、無視した。
母と父の食事の仕度を妹がし終えて、家に帰した。
私はこっちに残った。
明日の夕方から出社することに決めていた。

洗物をする私の横でタバコを吸う父が、ぼそっと
俺の気持ちなんてあいつはちっとも理解しようとしてない
私は洗物の手を休めず
今はお母さん自分の気持ちだけで精一杯よ?
それは判るよね?

夜、父が寝てから
母と何度となく、同じ会話を繰り返した。
何時の間にか私は母の横で眠ってた。


2001年12月16日(日) 日記と言うよりメモ(ばれた)

親元を15時頃出て、ライブへいった。


25時携帯に母からメールが入る

私ガンじゃないの?
お父さんの手帳にそう書いてあった。


ばれた
一番恐れていた形で本人が知ることになった。


電話をかけて母と話しをする。
完全にばれている
私達は知らなかったことを押しとおした。

26時
電話を切って妹と話しをし
父だけが知っていたことにするために
明日7時に親元に帰りつくようにすることにした。
27時、空けたばかりのカバンにまた荷物を詰め込む
何日分入れたら良いのか判らない
取りあえず2泊分用意することにした。


告知とばれるは全然違う


2001年12月14日(金) 親元に帰る

親元に帰った。

明日は父がゴルフに行く。
よかった、三人でゴロゴロしながら好きなTVを見られる。
ご飯もいい加減にできる。

楓の調子がよかったり悪かったりみたいで
母も落ち着かないようだ。
そんな母を見ていて私達も落ち着かない。


2001年12月13日(木) 先生にメール

母がお世話になっている病院の先生に
母の食事のことで質問をした。
FAXで流したが、返事は先生の便利な方でと添えたら
メールで返事が届いた。
これで母に内緒の相談も素早く出来るな、よかった。


質問したのは

肉類中、牛・豚肉類はどの部位も避けるべきか?

鶏肉で避けるべき部位(種類)はあるか?

今後も乳製品で避けるべきものはあるか
 チーズ・バター・牛乳・生クリーム・ヨーグルト・ほか
 ヨーグルトが良い場合、できたらその理由を教えて

間食はしてもいいか?
 甘いものもいいか(和菓子系・洋菓子系、アイス等)
 おおよそどの程度の量か(例:一般的な一人前より少なく)

カフェインの含まれる飲み物を摂ってもいいか?(緑茶・コーヒー・紅茶・ウーロン茶等)
 量(濃さ)の制限について
  特になし/通常よりも薄め/通常よりも少なめ(1日おおよそ ml程度)

食物繊維の含まれる食品はできるだけ細かく裁断するのか?  
 きのこ類も同様、細かく裁断か?

水溶性繊維質(海藻・こんにゃく類除く)を摂る場合も細かい方が良いか?

揚げ物類を摂ってもいいか?

油・脂類の摂取に制限はあるか?
 積極的に摂って良い油はなにか?
 不飽和脂肪酸類は摂ってもいいか?

食品の調理法の制限は(焼く・煮る・蒸す・揚げる・生、など)?

市販の制限食を摂ってもいいか?
(ストークやタイヘイ、キューピー等で販売している病人(老人)食)

便が出ないというのは、どれくらいの期間か(半日・1日・1日半・それ以上)

便が出ない場合、水酸化マグネシウム類の助けを借りてもいいか(スイマグ・ミルマグなど)

1日の総摂取カロリーはどれくらいか?

自宅療養中の体重の増減は、退院時のどれくらいまでなら容認できるか?


調理をしたことがある人なら、おそらく食事制限の難しさを理解できると思う。
病院から退院時に聞いた注意点だけでは、日常生活で様々な疑問にぶつかる。
それを一気に聞いてしまった。
嫌な(うるさい)患者の家族だって思われないようにしたかったけど、
私達も必死なのだ。
癌患者を抱える家族の必死な様子は、きっと先生も
何度も見てきてよく判っているのだろう。
これだけの質問を翌朝には全て返事をくれた。
本当に、疑問が解決してうれしかった。ありがとうございます先生。


2001年12月12日(水) レトルト食品を買いに

仕事を強引に終わらせ、スーパーに出かけた。
母の食事の仕度が簡易になるように、だ。
離乳食も思いきって!と思ったが、妹に
それはさすがに・・・と止められた。
老人介護食というものが出ていたので、それにすることにした。
前から気になって見ていたものだ。
量が少なく、栄養のバランスも考えたものになっている。

母が便秘になることは、病院から注意を受けていることなので
できるだけ消化の良いものが良いのだ。
つまりそれだけ調理に時間をかけなくてはならないのだ。
食材を刻む・すりつぶす。火を良く通す、よく煮込む等手間がかかる。
父は昼間働いているので、それは出来ない。
母本人もまだ長い時間は無理。

便利なものがあるなとしみじみ思いながら
カゴにどんどん詰め込んだ。
会計を済ませ、ひょいと壁に目をやると『配達』の文字が見えた。
早速配達をお願いしたが、時間が遅かったので、
明後日の夜に届くと言われた。

母へのメールは明日にしよう。
勘違いして明日届くと思われても厄介だし。

母にばっかり物が届いて父がヤキモチやいても困るので
父用にインスタントコーヒーも入れておいた。
しめて1万円。
結構かかるのね。


2001年12月11日(火) 楓の手術(母からのメール・電話)と、ごちゃごちゃな気持ち

楓は来年、母と同じ歳女だ。
今日は楓の腫瘍(良性のガン)をとる手術をした。


母が入院する前から腫瘍はあった。それが入院してる間に数倍に大きくなった。
手術をお願いできなかったのは、楓が戻った時にやっぱり母が家にいないことが
どれだけ寂しいかを考えたら、母の退院までなにもできなかった。

母が病院に連れていった。
先生も「甘えんぼうだしやっぱり(母がいないことによる)ストレスかなぁ」。
病院の先生に自分(母)の入退院の説明をし、了承をもらった。
手術前に楓の検査した。弱り目に祟り目か、心臓、肝臓が弱っているのと、
貧血気味といわれた。
楓の腫瘍は心臓のそばにあり、麻酔をかけるのに、大変危険が多いといわれた。
母が楓を病院のベッドにおいた時、楓がいつもよりワンワン鳴いたそうだ。


病院から戻り母が、母の姉(告知に立ち会ってくれた叔母)と
買い物(一人では無理なので、母がお願いした)にいってる間に、
留守伝に病院からのメッセージが入っていた。
緊張した声で、「戻ったら電話をください」と。
慌てた母が電話をすると、麻酔から覚めた楓が鳴いて鳴いて、
舌が紫色になってしまい、手がつけられないから迎えにきて欲しい。
ストレスなのか?
母と引き離されるストレス
母に会えないストレス。

母は姉に家にいてもらい、タクシーで楓を迎えにいった。
「すいません」、母が病院についた。
先生が「楓ちゃんをよんできてー」
でてきた楓の顔の毛は、手術の時に引いていたシートをかきむしったのか、真っ白。
母曰く、「もぉ〜クリスマスツリー状態よ。二、三日このまんまね」。
母と一緒に家に戻った楓は、麻酔から完全に覚めてないのか、
ふらふら小屋に入り寝てると母から携帯にメールが届いた。
時々小屋から出て、母の膝にあご(Z家通称あごすけ。あごすけしてる、という)をのせ、
寝ては起き、また小屋に戻ることを繰り返してる、いっていた。

手術は出血も少なく、うまくいった。

包帯を巻いてて、それがずれて糸が見えるので、母が直そうと触れると、
きゃいんきゃいん鳴くので直せないでいるといってた。
明日も病院にいくので、楓の腕には針?が刺さったままでそこも包帯がしてある。
「わたし自分の身体のことより、楓の身体のことが心配になっちゃったわよ。
病院からの伝言きいた時、心臓がドッキーンってなったわよ」と母がいった。
それは本音だろう。

だけど、これでこっちは同じ位大きな注意するべき点になった。
もともと心配はしていた。楓になにかあったら絶対まずいって、
妹と私は理解している。
もちろん父にも話したが、恐らく理解はできてないだろう。

私が母にいった「免疫力をあげたりするサプリメントが、
犬用にも出てるんだって。それ扱ってないか聞いてごらんよ?
免疫力をあげることで、お母さんがいないストレスに
負けないようにしてやらないと」
ハーブでできてるサプリメントを、病院でも取り寄せができるらしいとのこと。
サンプルをもらえたので明日以降ためすといっていた。

母と楓、このどちらか何かあったらと考えると、口の中が渇いてしまう。

でも、もうそんなことは考えない。
どっちも一緒にいるのが一番幸せ。みんな一緒にいるのが幸せなんだろうな。
それを絶対守ってやるんだ。
例え誰に鬼と呼ばれようが薄情者と呼ばれようが、
どーだろうがかまうもんか。
それで今、母のわがまままでつい聞いてしまいそうになる。
それは甘やかすだけで、これからの生活を考えるとよくないと思う。
私は母を補助するが、余分には手は貸さないし、叱る役担当なんだ。
しっかりしろ!私。

しかも金庫番は12月は仕事が多い。賞与と年末調整。
それと、年明け早々の書類も多いからその仕込。
毎年、年末年始はの休み嫌いーって思うほど仕事が多いのに…。

絶対負けない!!!!でも正直へこんだ。


神様(特定の信者ではないが、漠然と神様はいると思ってる)を
怨んだりはしていない。なんで私だけ?!とも不思議とまだ思わない。
ただ、こんなことって重なるもんだなぁと思う。
あと何からどう手をつけたらいいか、解らなくなることが増えた。
頭悪くなったのかな?気持にゆとりが、もっと無くなったのかな?
でもそれもこんな状況じゃ仕方ないのかなぁ。
こうやってあきらめたくないな。

身体がもう一個欲しいな。
寝る時間はあるんだけど、眠くならないから遅くまで寝られない。
当然睡眠時間は減って、疲れが抜けず起きられなかったりもしてる。
週末を親元で過ごすため、平日に無理をすることになり
仕事が22時以降じゃないと、終わらない。
日曜、親元からこっちへ戻るのが20時〜21時。
それでこっちの生活での洗濯とか溜まる一方。ん〜どっか無駄がありそうな…?
細く長くなんだけど、全力で対処しないとって気持の方が強くてね。
いい意味で、こ慣れないと大変だなぁ。


やっぱり健康であるって、普通なようでものすごく重要。
見えない部分も大事に、自分も家族の身体も、もちろんペットも。


2001年12月10日(月) 日記と言うよりメモ(母からのメール・小姑に電話)

母からメールが届いた
小姑に電話をしたと
バカだなぁ、嫌いならなんにもしなきゃいいのに。
しかも入院したことを、自分から告げたんじゃないのに。
でもそういうことをやっちゃう。

母がまーいいやと言いながらも気にしたのは、
自分の説明を書きとめる音がしたので
小姑の友人のドクター(通称だけど本当のお医者さん)に
聞くだろうということだった。

父は会社に行く時家に昼間寄るからなと言って
出ていったそうだ。

夕方にまたメールが母から届いた
おやぢ戻ってこず!クリーニング屋さんまで
楓を抱っこしていったけど重かった。
明日楓を病院に連れて行くことにする。
私のことを話したら手術してくれるって。

ばかおやぢ!!こいついっつもこうだ。
守れなさそうになったら連絡して来いよ!
待ってる方の身になって考えろよなぁ。
それにしても楓の手術はちょっと心配。


2001年12月09日(日) 楓(犬)

楓の心臓あたりにできている腫瘍は
良性だが癌だ
母が入院した時はさほど大きくなかったらしいが
私達が親元に帰ったときは大体このサイズだった

母が倍以上に大きくなった腫瘍を見て
こんなに大きくなかったと言っている
確かに大きいので母が入院している間に
楓の手術をとも考えたが
楓が退院したときに母がいないことを
考えると、手術に踏み切れなかった

昨日より今日は、
少し母への距離が近くなっていたと思う
犬なのに猫っぽい?のかな


2001年12月08日(土) 日記と言うよりメモ(退院)

午前中から病院に行く

退院してからの注意点を先生から聞く
昆布や海草類、コンニャクなどは食べないように
腸の掃除をするものは、消化が悪く母は便秘になりかねないので
禁止といわれた
便秘には充分注意するようにといわれた。

次の入院スケジュールを決めた
12月22日朝入院、点滴治療を開始
12月30日午後、体調が良いようだったら一時退院
1月3日朝入院、検査を行い経過がよいようであれば
1月5日から2週間退院
お正月は家で過ごさせてあげようということだろう。


荷物が山のようになっている
段ボール4箱はありそうだ
入院した時はバッグ一個だったのにね?と
女3人で笑った


お昼ご飯を病院で食べ
そそくさと、パジャマから着替え出す母
嬉しそう。
え、もう着替えるの?退院していいの?と聞くと
いいんじゃないの?と母が答える
でも・・・お薬とか出てないのよねと母が付け加えるように言う
慌てて先生を探しに出る
先生をつかまえ
本人もう着替えて、出ていく気なんですけどお薬とかは・・・
え、もう?わー薬を急ぐから、ちょっとお部屋で待ってて

部屋で待つことにした。

その間妹が部屋の荷物をどんどん外に出していた
んーやっぱりちょっと多いなと笑ってる
タクシーを呼び家に戻る


楓と母が再会
楓の尻尾がゆれない

傍らに寄らないが離れもしない
微妙な位置に楓がいて母をじっと見ている

母が
お母さん私のこと置いていったでしょ?!
どこ行ってたのよっ!
って目で見てたと後で話した

恐い
また母が入院したら楓はどうなっちゃうんだろう


2001年12月07日(金) 退院の準備

明日退院
40日間の入院。
怒涛のごとく過ぎた月日だな。

明日母が家に戻るので
心地よさそうな居場所を作る為
父と3人でわらわらする。
楓もなんだか落ち着かない
「お母さん明日帰ってくるよ?!」
と声に出して楓に言ってみた
久しぶりに「お母さん」って単語を
楓に聞かせた

動物の言葉が判ったらって思うことが
頻繁にあるなぁ


2001年12月03日(月) 日記と言うよりメモ(母に先生から退院の報告)

先生から母に
12月8日退院と説明があったと
母からメールが来た

点滴治療はまだあるんだってぇ
ちょっと泣きが入ってるけど
第一目標クリアだ
ここまでは順調
第二目標は?
・・・
点滴の回数を減らす?

ここからが勝負かもしれない
良くするも悪くするも
家での過ごし方は
大きなウエイトを占めることになるだろう

さて、父と母をどうするか
私達がどう動くか
だな


2001年12月02日(日) 日記と言うよりメモ(上履き)

母からメール
階段の昇り降りをするので、上履きが欲しい。
買ってきてー(はぁと)

上履き?まぁいいや買っていくか
家で洗濯と掃除をし食事を済ませると
回覧版・・・
年末年始のゴミの案内だ
めんど臭いけど、母にとっては重要だねぇ
コピー取るか?
一緒に上履きも買えば良いし
そうだね

上履きを用意し
持ちかえった洗濯物を半分だけ持っていく
退院が決まったから、タオルもパジャマも
全部は要らないよね?
そうだね
心と同じように荷物も半分にして
病室を訪ねる

嬉しそうに上履きを履く母
病室内を点滴をガラガラ引きながら歩く

楓の写真は?!
急に思い出したように言い出す
あるわよ、ほらっ
可愛いねぇ・・・
もうすぐあえるよぉー
うん
写真をなでる母

晩御飯の時間になって8割程度食べた
食は細いが食べたい気持ちもあるようだ
無理は禁物

健康補助食品を勧める
これから1回3つにしなさい
えぇー?
文句言わない!写真隠すぞ?免疫がただでさえ弱ってるんだからね
妹が
お母さん?あのね免疫力アップするとシミやしわも消えるってよ?
と言うと嬉しそうに笑い
そんじゃがんばろうかなー?
三人でまた笑った

私達が上履きを持って行ってから帰るまで
ずっと上履きを履いたままだった
嬉しいんだろうな
嬉しいよ私達だって。


ただガンが治ったわけではない
治療方法が変更になっただけ
退院することが治療の一貫になっただけ
抗がん剤の効果はまだ判らないと言われているのだから


2001年12月01日(土) 日記と言うよりメモ(退院)

先生と父が夕方会う約束をした。退院の話しだ。

病室で三人がバカ話で笑っていると、先生がやってきた
笑顔で「経過は非常に良好ですよ」
三人とも笑顔で
わーい
そうですか
よかったね
と答える
母以外は『本当に?』と心で聞いた
いや、母もそうだったのかもしれない


私達と入れ替わるように父が来た

私達が家に戻り、しばらくして母から5:40電話。
「お父さんが先生に呼ばれたの、なんか聞いてる?」
聞いてないよ?退院の話じゃないの?
「看護婦さんが呼びに来たけど、驚かないのよ?にこにこして行ったわ」
ふーん『演技力ゼロ』じゃやっぱり退院の話じゃないの?

妹からすぐ病院に行くように言われ、病院に行き父と母が会う前に
父の様子を見に行く
窓から見える渋い顔をした父
私を見るなり険しい顔
どうだった、良い退院?悪い退院?
と聞いた途端、その顔がくしゃっと笑顔になる
『チッ悪い冗談だ』

どうやら良い意味の退院らしい

先生から
病室で言ったとおり、非常に経過も良好です
癌相も1番やさしいのでした
12月8日に退院しましょう
そして治療方法を、2週間点滴・1週間飲み薬の3週間入院
2週間退院で、1サイクルと変更にしましょう。
父が
奇跡のようです、ガンが治ったように思える
というと
先生は
ガンは治っていません、奇跡は起きませんから
とハッキリ言ったらしい

釘を刺してくれてありがたいと正直思う


退院の日取りを報告に、父は母の元へ
私はまた家に戻る
楓を美容院に連れていったので、その足で迎えに行く

ふわふわになった楓の写真を撮ってくれと母からメールが来た
うまく撮れなかったけど、なんとかアップも含め数点撮り
二人で病院へ行く
母にデジカメを見せるが小さくて見えないようだった

父から
今日メシを外で食わんか?と誘いを受ける
私達三人は父と外で食事をするのが大嫌いだ
でも今日は母からも頼まれたので、二人とも行くことにした
病院を出た私は
母の病気のことを一切外で話さないことを条件に出した

父と私達で久しぶりに外で飲んだ
2年ぶりに来た店

楽しかった。


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