みかんのつぶつぶ
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終わったんだなあー・・・って思ったら 急に心細くなってきた。
厳しい道程だった。 抗癌剤治療は、体力と気力の勝負だ。 私だったら、堪えられないな。 自分に負けて、殻に閉じこもり、治療を拒否するだろう。 目の当たりにしたいま、尚更だ。
彼は、起こさなければ眠ったままだ。 だいぶ消耗しているようだ。 首が固くなっているようで、身体の動きがいっそう悪くなっている。
精神は、すっかり自分の世界に入っている。 私へ電話をかけることも忘れている。 ちょっと不安定になってくる気配もあるのだが、 薬でなんとか保っている状態かな・・・
ずっと、ひとつの言葉をきっかけにした独り言のような世界を語っている。 笑顔を交えて、真剣に。 でも、ここにはあまり長くいない方がいいと云う。 帰る・・・と言い出す。
「まだ帰れないよ。点滴終わってないし・・・」
彼には悪いが、いまの私の状態では、とても世話はできない。 お互いの均衡を保つためにも、いまは離れていた方がいい。 家に連れて帰るのを躊躇しているから。
「じゃあ、俺は今晩はどうすればいいんだ?」
「ここで眠っててね。明日また来るからね」
「誰もいないのか?」
「看護婦さんにお願いしておくから。ナースコールはここね」
「うん、わかった。じゃあ気をつけてな」
彼は、彼自身が『仕事』のために残ると思っている。 だから『どうすればいいんだ?』って聞いてくるのだ。 それに私が帰ることが納得できないのだけれど、薬がなんとか納得させている…って状態なのかなあ・・・ それとも、そう、あんまり深く考えるという能力が薄くなってきているのかも知れないな。
子どもを言いくるめるようにして落ちつかせ、足早に病室をあとにする。
どうか穏やかに眠りについてくれますようにと祈りながら 人影まばらな道を帰る夏の夜・・・ こんな日々もいつの日か 忘れがたい過ぎ去りし想い出となるのだ。
そんなことを思いながら 背中を丸め夜道を足早に歩く自分の姿は 月明かりのなか 重いコブを背中にのせ 伏目がちな 砂漠をゆくラクダのようだと思った。
・・・・・・・・・・ おとなしいのだけれど、言うことがヘンだ。 耳に入ってくる単語にそのまま反応する。 他の家族が会話しているのに、割り込んでしまう…とんちんかんに(泣)
だから思わずカーテンをひいてしまった…
主治医に訴えて見たけれど、相変わらずのらりくらりだし・・・ なんとも言えないよね〜〜〜〜〜ってね… 精神科から処方されている薬について、検討してもらうことにした。 副作用、絶対あると思うから。
頭がおかしい…って表現、これしか云い様がない。 原因は? これも、なんとも言えないよね〜〜〜〜だし(泣)
治療の副作用&ストレス。 ・・・結局、存在全部が原因ということだし(泣)
波間に漂う小船のようだね・・・
雨が突然降り出した午後。 なかなか家から出ることができず、グズグズしていたバチがあたった。
雨が上がると、とたんに蒸し暑さが地面からこみ上げて来るようだ。
街の吐息を感じながら、汗だくな表面とはうらはらに なぜか静かな気持ちで病院への道を歩む私がいた。
病室の片隅で、眠っている彼が目に入った。 布団もかけずに、まるでパタン…と横になったまま眠りこけたような姿が。
声は、かけないでいた。 目覚めさせるのは、酷なようで。
コインランドリーへ行ったり 喫茶室でお茶を飲んだり 売店で買い物したり 会計で支払いを済ませたり・・・
今日は全部ひとりだね。
パッチリと目が覚める。 なかなか言葉がでてこない。 お赤飯のオニギリをムシャムシャ食べ始める。
彼はお赤飯が大好物なのだ。 ご飯にごま塩をかけて食べるのは、ごま塩が好きなのではなくて ごま塩をかけるとお赤飯の「ような」気がするから・・・だと(笑)
やっと目覚めたかと思ったら、5時に飲む安定剤を看護婦さんが持ってきた。 なんだか複雑な気分だ。
夕食を終えて、喫煙所で初めての一服。 1本吸い終わると、もう目が開けていられなくなっている。
ベッドに横になると 吸いこまれるように眠りについてしまった。
本当は、寝たくないのだろう。 瞼がピクピクして、目を開けようとしている様子がわかる。
薬に負けて、眠るしかないんだよねえ・・・
8月も、あと4日で終わるのか。
彼の8月27日は、また来るのだろうか。
やっぱりね・・・ そうとうキツイらしい。 意識朦朧としているし。
目覚めていながら意識は眠っているような… そんな感じ(泣)
罪の意識が沸いてくる。 やっぱりやめれば良かったのだろうか…って。
左手の指の動きが良くなったような…と思い 私の手を握ってー開いてーってやってみた。
「あら?良くなったねー!こんなに握れるようになったじゃんっ」
するとウンウンと頷いて
「おまえのお陰だよ…ホント、全部おまえのお陰だよ…」
そうかそうか、わかってるんだったらヨロシイと 私は照れ隠しに彼の頭をペチペチしてしまった(笑)
でもね… 違うよ。 全てはキミの努力だよ。 投げ出さない前向きな ひたむきな 血だらけの努力の結果だよ。
でもこんなこと 言葉に出しても 虚しいだけだから、 胸にしまっておくけどね。
尿道に管を入れられていた。
抗癌剤投与期間には、水分の摂取量と排出量…つまり尿量を計測する。 これは大事な作業ってことはわかってはいるが・・・ 彼はホントにホントに導尿管が嫌いなのだ。 違和感を感じすぎるほど。 平気な人もいらっしゃるのだそうだが・・・
男性は尿道が長いから、管がちょっとどこかにぶつかっただけでも 尿道に響いてしまい、不快になるという。
・・・いまの彼には、摂取量を記入することもままならないからね・・・(泣)
なんだか見ていられないのだ。 彼の姿を正視できない。
辛い治療はこれが最後だからと割り切れるほど 甘いものではない。
「もうやだよ。家に帰りたいよ」
病室のベッドの上からかけてくる電話。 看護婦さん達も、見て見ぬふりをしてくださっている。 精神状態が最悪だった時期には、夜11時頃までひっきりなしに電話をかけてきた。 それがこの数日は、夕食が終わるとパタリとかかってこない。 これは、あんまり身体の状態が良くないということで・・・
また、厳しい波が襲ってきそうだなあ…(泣)
嘘をつくときって 脳のあちこちが働くんだって。 っていうことは、私は正直者なのではなくて、 ただ単に頭の回転が悪いってことが判明…納得^^;
昨日の台風で、じっくりとネットに浸ることができたりした。 今日はこないのかーと電話がしきりにかかってきたけれど。 台風という絶対的な理由のもとに出かけなくっていいのは、ありがたかった本音( ̄∇ ̄;)
様々な人たちのHPに飛んでいった。 そこには十人十色の世界観があった。 私の知らない世界が広がっていて、理解できない事柄もたくさんある。 その立場にならないと、どうしても熟慮できないことって、あるから。
私には、筋の通った理論があるわけではなく、 ただ感じたことだけでしか会話ができないもどかしさを痛感することもしばしばだ。
でも、それを感じる「素の自分」が理論なのかな?
今日から6クール目開始。
最近は午後のパターンだったけど 今日からはしばらく、午前中からついていてあげよう。
最後の治療だからね。
日記を読んでくださった方からメールが届く。
嬉しいなぁ…人間っていいなぁ…って感情に包まれる・・・ 脳の病気で苦しんでいるけれど、 でもやっぱり脳があるからこんな幸せを噛み締めることができるんだな、なんて(意味不明)
言葉は少なくっても、お気持ち暖かく伝わってきます… ありがとう〜〜〜(*^^*)
さてさて・・・ 昨日の朝、病室で煙草に火をつけていたと報告があり(T_T) 買いこんでいたライター8本没収(笑) そのうち1本は看護婦さんが管理してくださるということで。
ここの看護婦さんって、ホント優しいんだよ。 だって、煙草を取り上げてなかったから。 患者への思いやりが、こういう場面で感じるね・・・
昨日で4日間排便がないということで 便を軟らかくする座薬を入れてもらった。 挿入してからしばらくジッとしていなくてはいけないのだ。
「おい、雨が強くなるから帰っていいぞ。 俺は立派なウンチを産んどくからな。気をつけて帰れよ」
「…ハイハイ、安産をお祈りしてますよ。じゃ、帰るねー」
気持ち良く送り出されると、帰り道の足取りが軽いのよ(嬉)
ちゃんと出たのかな… 痔ろうで浣腸はできないし。
・・・・・・・
すんなりと病院へご帰還(笑)
あまりに嬉しそうだから聞いてみた。
「ホッとするの?」
荷物をガサゴソしながら手を休めることもなく
「そりゃあそーだよー。やっぱり具合悪くなったらって思うと心配だもん。 それにここの方が自由に動けるし」
・・・ごもっともな回答で。 今回の外泊は、ちょっと可哀相だったものね。 金曜日に買い物した他は、ずっと家にこもっていたから。
土曜日は子供たちがそれぞれ外出だったので 私達ふたりでお留守番。 私ひとりでは彼を動かすのは無理だし。
で、日曜日は朝食を食べていたら大変なことが起こった。 なんと数日前より悪化していた「痔ろう」が破裂(泣) 大量の膿と出血で大わらわになって・・・ なかなか血は止まらないし、このままじゃ救急車で病院に帰るようだねって感じだった。 それにショックを受けたのかどうなのか、おとなしく横になったままで過ごしていた。
病室のベッドには柵があるから それにつかまって右腕ひとつで起き上がるのだが 自宅では本人のたっての希望で、畳の上で寝ているものだから自力で起きあがれなくて 「起こしてくれ」としょっちゅう呼ぶのに そんなことも言わずにウトウト眠っていた。
治療の後遺症があちこちから飛び出してくるね。 どこまでも苦しめる。 脅かす。
彼にとって快適で安心できる日々は ほんとに稀になってしまった・・・
昼食をおえてしばらくすると帰ってもいいよ、とのことだったので 1時には病室をあとにした。 帰り道2回ほど電話をかけてきたけれど それっきり電話をよこさなかった。 珍しいこともあるもんだ。 安定してきたのかな。
帰りに、区の福祉課へ診断書を持っていった。 が、写真を忘れたため提出できず;;; 2級だと治療費の問題が絡んでくるから 早めに提出したほうがいいですよ、と言われた。 そうなんだ知らなかった…知らないことばかりだし(泣) 調べてみなくちゃね。
やれやれ・・・
最近、日記が書けなくなっている。 なぜなんだか、文章にできない・・・ もう嘆くことも尽きたのかも(泣)
リフレッシュしたいのかな・・・ かも・・・
集中できないのよね…パソコンに(泣) 痒くなってくるからキーボード打てなくなってくるし(泣)
彼が外泊してきている。 月曜日に帰ればいいのに、明日帰るって言ってるし(汗) 落ちつきがないのよねー… まあ、どこへ行っても座っているか寝ているだけだからね…
夕食の時に、ラザニアを作ってもらった。 テーブルに材料をセッティングして、車椅子に座りながら。 で、ビールを飲みつつね(笑)
その姿を見ていたら、なんだかグッときてしまった。
こんな姿になるなんて・・・
休日には3度の食事を作ってくれてた。 食材の買い物も、彼の趣味だった。
「大丈夫?」
って聞くと
「ナニ言ってんだ、おれはプロだぞ」
と得意げな顔して口をとがらせていた。
彼は、料理のプロだ。
それなのに・・・ 仕事も趣味も、全て腫瘍が彼から奪ってしまった。
片腕ではプロの仕事はできないね・・・
あれから1年か・・・って思ったら なんだかドドーーーーっと疲れに襲われたらしく。 妙に涼しくなったのも原因かもね。
去年の13日は日曜日だった。 朝、前日から寝こんだままの彼の布団が 尿で濡れているのを見て愕然としたのだった。
このひと、絶対おかしい!
疲れで血圧が高いからって寝こんでいるだけだと思って… いや、思いこもうとしていたのかもしれない。 寝てれば治る・・・などと・・・
あれから。 あの夏の日から 彼の闘いが始まったの。
少しずつ失ってゆく自分をみつめながら 彼は、生きている。 左腕、左足、そして記憶。
この1年の道程で父も逝ってしまった。
これは試練だと他人は語る。 試練の大きさは、その人が乗り越えられるであろうものであると。
・・・試練の代償が、あまりにも大きすぎるなあ・・・
木曜日から外泊してきている。 今回は、自宅と認識してくれている、良かったよー(泣)
10日金曜日、紹介状とMRI写真を持ち、 前医へ受診。 化学療法後のリハビリ、という形で受け入れてくださるという。 F先生、相変わらず渋い(笑)
「いまが一番ツライねえ・・・」
言葉少なに、F先生がつぶやいた。
「恐らくこの先、意識の方がおかしくなってくると思う。そうすれば、んー…あんまりカワイソウじゃなくなるからね…」
この先生の言葉の重み、温かみ・・・ 3月、この先生の元から旅立ち、がんセンターでの闘病生活が始まり… 辛かった・・・ここまで本当に・・・ そして再び、戻ってきたのだ。 だから、この先生の言葉は、 脊髄に腫瘍があると言われたあの日からの続きなのだ。
彼は、この病院での日々を憶えているし、また戻ってこられる喜びを噛み締めていた。 ただ、看護体制に関する不安も承知済みなのが驚いた。 彼の記憶は、やっぱり痴呆症と同じようなのかも知れない。 昔の記憶は鮮明なのに、ついさっきタクシーに乗ってきたことは忘れてしまうのだ。
『セレネース』という薬が効いているらしい。 この間の混乱状態から抜け出ている。 まあ、まだとんちんかんな部分はあるけれど。 失見当識・・・っていうんだって。
ぁぁ…かゆいかゆい… マイッタマイッタ…(+_+) 今日は絶対に皮膚科へいってこようっと…ぅぅ
もう家ではほとんど寝ている状態で、ハタと気がつくと もう病院へ行かなければいけない時間なわけで。 子ども達が夏休みで良かったよ〜(^^;
それにしても、なんだかんだでマイってる。
どうやら、体調が良くない模様・・・(T_T) 私ったらストレスたまるとジンマシンが発生するらしい。 今回は、ヒドイ・・・ぅぅぅ
そうそう、私はすっごい間違いをしていた。 「抗癌剤治療6回で1クール」だそうで…(汗) だから現在は1クールの中の5回目までクリアした、ということらしく・・・ あと1回で1クール終了… 昨日の主治医と会話で間違いだと気がついたのだった( ̄ε ̄; )ぶっ
この間から気になっていたのだけれど あの先生ったら、精神科の診察結果を読むとき いつも鼻で笑っているような気がしてならないのさ(笑)
脳外科と精神科・・・微妙な関係だよね。 どちらも結局『脳』つながりなのよね。 だけど分析の方法が正反対・・・ 精神的と器質的な違い…っていうのかなぁ・・・ まあ、いいけど。
で、ソーシャルワーカーから身体障害者の申請をしたらどうかと言われたのですが どうなんでしょうか…? と質問してみた。 それは用紙を持ってきてくれればすぐに書くよ…との快いお言葉。
だが、脳腫瘍の患者の申請は、なかなか問題があるんだよねー・・・だって。
「だってさ、脳腫瘍の患者さんはさー、寝たきりになったりどこかしら動かなくなったりするでしょ。 そうするとみんな身体障害者になっちゃうんだよねー」
だからキリがないということらしく、それもそうだなぁーって わからないでもないが、でも身体不自由なのは明白なのだから。
でもね、ここで驚くべきことが判明したのだ。 身体障害者として認可されるってことは、 将来的にその障害が回復の見込みのある人が、認められる、ということ。 なので脳腫瘍患者の申請は、なかなか認めてもらえないということ。 この言葉の意味がどうも理解できなくて、何度も聞き返してみた。 するとこの先生ったら、思いっきりわかりやすく教えてくれた・・・
「脳腫瘍の患者さんは、死んじゃうからねー」
ぅぅぅ…ここまで言わせた私が馬鹿でしたね(汗) で、この一言で、全てを飲みこんじゃったーみたいな驚きもありましたが・・・ハイ( ̄〜 ̄;)
あ、これは決してグチではありません。 この先生独特の個性であって、また常に親身になって 無知な私が理解しやすいように噛み砕いて説明してくださるという 先生の姿勢に感謝するものであります(笑)
今日の彼は、おや?と思うほど落ちついていた。 多少見当違いなことは相変わらずだが ここ数日の混乱からちょっと抜け出た感じだった。 それはどうしてかというと、連日睡眠不足気味だということで睡眠薬を飲んで寝たらしい。 久しぶりに深く眠れたということが良い結果になったのだろう。
まあ、病院は病院と認めつつも、まだ職場だと思いこんでいる…という状態だが…
帰るんだと言って荷物を詰めこんだ紙袋を見て 誰がこんなことをしたんだと文句を言うし(汗) 自分がやったんじゃない…と、つい口を滑らせてしまう私( ̄ε ̄; )ぶっ すると自分ではないと言い張る始末・・・ で、そそくさと紙袋から荷物を取り出して ラックに戻していた。
不思議だ。 あんなに必死な形相で、何を言っても帰るからと言い張り袋に詰めこんでいた荷物を、 自分からあっさりと元の場所に戻しているのだから…
でも詰めこんでいたことは忘れている。 だからあっさり、なのだろうねえ・・・
見当識違い。
自宅をも認識できないでいる。
病院を職場だと思っている。
精神科の領域ではないと診断された。
あくまでも 病状悪化によるため。 さまざまな治療の後遺症。
それにしても急変過ぎるではないか・・・
本日15時よりソーシャルワーカーと面談予定。 嘆いていては余計に悲しいから。 具体的に動かなくては・・・
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