りとるのひとりごと。
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2006年07月29日(土) 可愛くないコイツ!と思う瞬間・・・

洗濯物をせっせと外に干したら10分後に雨に降られたりとるっす。


息子の宿題が多いうえに、何やらテキストを買ってきた母。

「ちびりとるは引き算が弱いらしいから毎日これをやらせなさい」

って・・(汗)

まだ通信教育のテキストもたっぷりやり残してるってば。

宿題もまだまだあるってば。

教育ママならぬ教育ババだわ。


で、テキストの問題にマルをつけていた私は、

「じてんしゃ」と書くところに「じでんしゃ」と息子が
書いていたので、「で」を「て」に直した。

すると見ていた息子が、
「じてんしゃじゃないよ!じでんしゃでしょ!!」と怒る。

「じでんしゃじゃないよ。じてんしゃだよ」と言っても、

「お母さんは間違ってる!じでんしゃだ!!!」と譲らない。

そこへ母がきて「じでんしゃなんて言わないよ。じてんしゃだよ」
と言うが、

「ばあばまで間違ってる!!じでんしゃっていったらじでんしゃ!」

・・・。

何じゃコイツ・・。

大人・・というか、私と母の言うことをまるで信じない。

「じてんしゃなら、じてんのしゃってことじゃない!
そんなのおかしい!!じでんしゃがホントなんだから!!!!」

自転する車だから合ってるじゃん(汗)

でもそこで、息子に「自転」の意味まで教える気力はすでにナシ。

仕方なく小学生用の辞書を出し「じてんしゃ」と書いてあるのを
息子に見せた。これでどーだ。

「・・・なにこれ。これも間違ってるじゃん。
ちびりとるが言うことが正しいんだよ」

ムキ〜〜〜!!!!

も〜〜〜知らないっ!!!


頭に血が上った私はクールダウンのためにその場を離れた。

こんな場合はいったいどーすりゃいいのよ(涙)

どーして息子は私の言うことを信じてくれないの・・。

私ってそんなになめられてる???

途方にくれてる私・・。

自分は間違ってないと思う6歳児にどう対抗すべきか。

先生の言うことしか信用しないのかなあ・・悲しいよ〜。


2006年07月28日(金) いったい何者?!

息子は今のところ異常なしの様子。

元気なのはいいが、ブユにさされまくりで顔も腫れてる・・(汗)

刺す虫ってイヤあね・・。


最近、近くを不審者がうろついているらしい。

連絡網で電話がかかってくるわ、学校から一斉メールが来るわ、
親としては不安が募るばかり・・。

○才くらいで、髪の毛はボサボサ、ヒゲも伸び放題の男だという。

声をかけられた子供もいたらしく、何なのかと思う。

あー嫌な世の中になったものだわ。

子供が出かけると無事に帰ってくるまで気が気でない。

母は「そんな心配したって仕方ない。そうなるときはなる」
なんてお気楽発言。

仕方ないってったって、そっちだって余計な心配ばかりして
不眠になってるじゃん・・・(汗)

ま、何事もないことを祈るばかりだ。


2006年07月27日(木) 午後は気合で仕事。

滑り台から落ちた息子。

腰に擦り傷が出来たが、問題は内蔵だ。

見た目に分からないから心配は募るばかりで、
急いで救命センターへ行った。

が・・。

1ヶ月前の流血事件の際はわりと空いていたのに、
今日はもう大盛況・・・(汗)

救急車が次から次から次から次から、
も〜ひっきりなしに出たり入ったりを繰り返す。

おばーさん、おじーさん、おばーさん、またおばーさん・・。

センターのスタッフは大変だ。

で、比較的元気な息子は当然後回しにされる。

待つこと2時間・・。

ここって・・救急救命センターよね????

息子より私のほうがバテそうになったころ、
看護師さんが来たのでやっと・・と思ったら、
外来にまわされてしまった・・。

とほほ・・・。

溢れる患者に圧倒され、もう倒れそうな私。

やっと呼ばれた頃は憔悴しきってしまった。


超音波検査。

レントゲン。

尿検査(潜血)。

どれも異常なし。

あとは打撲の痛みのみ。

息子は「あいたたたたた」を繰り返し、
私におんぶしてほしい魂胆が見え見えなのだけど。


カルテを見て先生一言。

「キミ・・先月も落ちてるの?
よく落ちるねえ・・・」

はあ・・(汗)

ホントにもう、親は寿命が縮む思いだよ〜。

頭から落ちなくて良かった。
背骨が折れなくて良かった。
腎臓が傷ついてなくて良かった。

まだしばらくは要観察ではあるけれど。



帰宅するともう12時をまわっている。

ひえ〜〜。

猛暑の中自転車を飛ばして仕事に行った。

先月も今月も、仕事期間中にこういうことって・・。

ああもう救命センターのお世話にはなりたくないよう。


2006年07月26日(水) またも救命センター・・・。

仕事WEEK真っ只中。

というのに。

・・・また・・(汗)


それは朝のことだった。

息子がラジオ体操に出かけほどなくしたころ・・・そう、
6時半くらいだっただろうか。

電話が鳴った。

ラジオ体操の当番の方からで、
「お宅のお子さんが滑り台から落ちまして・・」

え。

ええ〜〜〜〜!

「今ベンチに休ませてるんですけど」

「頭から(落ちた)んですか?!」

「見ていなかったんですけど、そうじゃないみたいです」

「意識とかは・・・歩けますか?」

「ええ、普通に会話はできます・・お母さんに
迎えにきてもらう?って言ったら、う〜ん・・って。」

う〜ん、そうなのだ。
ちょっと迎えにいけそうにない。


で、鬼母の私は、歩いて帰らせるようお願いした。

ほどなくして帰ってきた息子。

やはり元気がない。

朝食も食べられない様子。

「どこか痛い?気持ち悪いとか、どう?」

「うーん、背中が痛い・・・」

そう言ううちに、みるみる息子の顔から血の気が引いていった。

真っ白な息子の顔を見て背筋がぞくっとした。

とりあえず横にさせ、救急救命センターへ電話する。

8時半までは夜間体制で外科医もいないので、
来る場合はそれ以降の時間にして欲しいとのこと・・。


息子は寝息をたて始め、顔色が戻ってきた。

歩いて帰らせたのはまずかったかな・・。

で、次に勤務先に電話。派遣会社に電話。
今日の勤務は午後からにして欲しいとお願いした。


そろそろ8時半。

よし。救命センターへ急げ〜〜〜。


・・実はここからが長かった・・・。

続く・・・・。


2006年07月22日(土) 始業式がコワイ・・(涙)

ちょっとイライラ気味のりとるっす。

もー夏休みなんとぅえ〜〜どあいっきらいどぅあ〜〜。

と、スタートから煮詰まってる私。親がこんなでどーする。


だって。

何度も何度もしつこくしつこく言わないと、
息子は夏休みにやることなーんにもやらないんだもん・・。

おまけに玄関やら居間やら台所やら散らかし放題。

チラシの切れ端、ハサミやのり、散乱した本、空き箱など、
そりゃもうしっちゃかめっちゃか。

綺麗好きの母がウキーッ!とキレる。

宿題を、というと「今やろうと思ったのに!」と息子ブチギレ。

言わなきゃずーっとやらないくせに・・。

こっちは息子の靴と服を洗うだけでもうヘトヘト。

でも休む間もなく食事を用意しなきゃならないし・・。

で、ついつい息子をせかしてしまう。

息子は反抗的な態度を取り、一人前の口をきく。

ムカーっときて言い返す。大人に口で勝てると思うか〜〜。

こうなると、とことん息子を言葉で追い詰めないと、
息子は言うことを聞かない・・私も大人げないのだが。

息子が泣いて母が慰めジ・エンド。


学校も、宿題というか、やること出しすぎだよ〜!!

お手伝い一日3つだけならまだしも、
ボランティアをしましょう、できることを自分で見つけて
すすんでやりましょう、やったら表に日にちと内容と感想を
書きましょう、10日以上やりましょう・・・って・・・。

毎日自分のことだけ考えて遊びまくってる子供が、
急にそんなこと一気にできないよ〜〜。

感想文、体験文、朝顔の世話に観察日記、絵日記、
数日かけて作る作品、計算カードに夏の友、
家の手伝いにボランティア、ラジオ体操、プール、
それぞれの項目達成ポスター?の色塗りなど、
1年生の夏休みってこんなにやることあったっけ?って感じ。

親がヘロヘロだよ・・とほほ・・。


2006年07月21日(金) 散々な初日・・・。

ついに夏休みに突入。

息子は「一学期皆勤賞」の賞状を貰った。

うーんたくましくなったもんだ・・。

入園した頃との違いに感慨深いものが・・。


いわゆる「成績表」は、まだ1年生なので項目も少なく、
△(頑張りましょう)は一つもなし。先生の配慮だろう。

二重丸と丸が半々くらいかな〜・・まあこんなもんでしょ。

母は「もっと二重丸が多いと思ったのに!」とガッカリした様子。

まだまだスタートなんだから。焦らない焦らない。



しかし、夏休みは母にとっては普段より過酷なのだ。

まずラジオ体操があるので(今年は当番外れたけど)、
いつもの起床6時半より早い、6時起床でなくてはならない。

今日は、朝からザーザー雨降りにもかかわらず決行。
うちの地域だけ場所が雨をしのげるばかりに・・とほほ。

清掃作業もあり、7時ごろ息子はびしょ濡れで帰ってきた・・。


で、朝食食べさせいってらっしゃーいふうやれやれ、ではなく、
勉強を見たり夏の友を読ませたりあれこれ忙しい。

家事と平行してやっていると昼になり、昼食に頭を悩ます。

子供のお昼ご飯って厄介なのよねえ〜!!

が、今日は息子、勝手にカレーパンだの何だのを食べて、
遊びに飛び出して行ってしまった。雨だってば(汗)

・・数時間後、またまたびしょ濡れで帰宅・・。

そう、これでもう2回着替えている。

もうずっと雨だってのに〜!

洗濯物が乾かないってのに〜!

おまけに履いて行く靴すべてぐっしょりぬらして、
長靴までグショグショにしてどーすんのよー!!!

もう私は怒る怒る。歯科医院で麻酔して口が半分しびれてて
それがよけいにイライラを助長させたりなんかして。

裏山が崩れないかドキドキするし。ったくもう・・。
(近所が土石流危険区域なのだ・・怖いよう)

明日はつかの間の晴れ間が出るらしい・・靴よ乾け〜!!


2006年07月20日(木) 親の顔が見たい。

先週に引き続き学校の役員会。

耳鼻科に行ってアタフタ帰って晩御飯食べてアタフタ学校へ・・。
(耳鼻科が空いていて助かった)

今回は、徴収金・・つまり、保護者が学校へ支払うお金が
正しく使われているか審査をする会だった。

ナンダカンダと大変だなー。クラス長って・・。


で、最初に会長の挨拶があったのだが、
徴収金の未納についていろいろ話があった。

へえ・・。

学校にお金払わない親がいるんだ〜・・。

ちょっとビックリで聞いていると、
「母子家庭の方などの未納が多い地区もあるようです」と。

ぬぬ。

聞き捨てならぬ言葉じゃ。

母子家庭がここにいるのを知らないとみた。

が、そこは私も冷静に・・淡々と聞いて終わり。


その後、1年生の先生から収入と支出について説明があり、
電卓などを使ってせっせと合っているか確かめる。

そこでもまた驚くべき話が!

先生は今年転入されたので、他の学校の話なのだが、
未納の家って結構あるらしい。

未納額が年間数十万円にのぼったりするのだ。なんと・・。

どうしてもお金が払えない、大変な家庭が多いのかと思ったら、
両親ちゃんと揃っていて、おまけに新車買ったりする家もあるという。

なぬ〜?!

小学校は義務教育なので、1年間学校にビタ一文払わなくても
子供は学校に行くことが出来る。

でも、そんな親の子供は可哀相だ。なんということだ。

昔は貧しくて給食費が払えないとか話を耳にしたこともあったが、
世も末だなーと思ってしまった・・。

「うちは母子家庭ですが、子供の教育費だけは出し惜しみません。
絶対お支払いが滞ることはありませんので」
・・なんて、思わず先生に言ってしまった。

ホントそうだもの。

準保護家庭に認定されたけど、助成されるのはほんの数百円。

毎月他の家庭と同じ金額を支払っている。

教育費をケチってはいけない。

親として頑張らないとな〜・・・。


2006年07月19日(水) 石鹸シャンプーは良い〜

今年3月に入った頃。

ふと、シャンプーを替えよう、と思った。

それまであれこれとシャンプーを試していたものの、
頭皮に大きな吹き出物がワンサカ出たり、臭ったり痒かったり、
どーにもなんとも気になって仕方なかったのだ。

インターネットで調べると、石鹸シャンプーがいいらしい。

馴染むのに時間がかかる、とあったが、ここは気長に我慢して、
頑張って使ってみようと思った。

最初は洗っているときのギシギシ感にてこずった。

指が髪の間を通ってくれないのだ。

同時に始めたクエン酸リンスも、水のようでまんべんなく
つけられないし適量も良く分からない。
(その後お湯で薄めてかぶるようにした)


ほぼ3ヶ月経ったころ・・。

ようやく馴染んできた(私は遅いほうだと思う)。

何より、髪の毛一本一本が太くしっかりしてきたのだ。

その上、今までどっさりあった枝毛が一本も見当たらない。

だが、抜け毛が多いし頭皮をちょっと引っかいてみると
垢のようなものが取れる(汚い話ですみません・・)。

うーん・・・。


だがつい先日、図書館で本を借りてようやく自分の間違いに
気付いたのであった!!

石鹸シャンプーを推奨する本だったのだが、
洗い方を見ると私のやり方とまるで違っていた。

私は、今まで使っていた合成シャンプーと同じやり方で
洗っていたのだが、それじゃあ洗い足りなさ過ぎたのだ。

お湯での予洗いもテキト〜だったし・・(汗)

最近は暑いからと、お湯の温度を低めにしていたが、
石鹸シャンプーでは熱めのお湯でないと流しきれないとのこと。

石鹸シャンプーでは短髪でも4〜5回洗わなきゃいけないんだから、
ロングの私なんて10回くらい洗っても多すぎることはないのだ。

抜け毛や頭皮の油性カスは洗い足りなさのせいだった。

リンスもケチって薄め薄めにしていたが、
濃い目にしたほうがクシ通りがよくなるらしい。

うわーん髪が最近ゴワゴワしてたのはそのせいなのね〜・・。


ということで。

数日前からはシャンプーの時間を倍以上にして、
しっかり洗うようにしている。

お湯で予洗い→固形石鹸で1回→液体石鹸で2回→固形石鹸で1回
→リンス原液つけ→リンス薄めてつけ→丁寧に洗い流し。

すご〜〜〜く疲れる。でもサッパリ気持ちがいい。

体調が悪ければ洗う回数を減らすしかないと思うが、
これからの夏はもっと洗ってもいいかもと思う。

これにシャンプーブラシが付けば完璧!

・・ってことで、今日買いに行こう〜っと。


2006年07月18日(火) 雨・・・もうイヤ(涙)

仕事の合間に連休が入るとやりにくい・・。

んが、気温が下がって体調が良くなったりとるっす。

35度はさすがにしんどい〜。


にしても、よく降る雨。

私はそもそも自転車に乗るのがヘタクソなので、
雨なんて降った日にゃヘロヘロのフラフラになっちゃうのだ。

高校生が見たら「ダサ〜」って言いそうな合羽を着るのだが、
フードがないのでどうしても傘をさす。

片手運転できず、傘さしてハンドル持つもんだから、
そりゃもう、その辺のおじ〜さんの方が上手なほどだ。

これで20分・・着いた頃にゃエネルギー消耗しまくり。

晴れて汗まみれも辛いが、雨も辛い。

これで風なんか吹いたら、もう泣くしかない(笑)

でも、台風でも大雪でも頑張って仕事に行ってはや4年目。

頑張ったなあ・・・。


息子は傘に穴を開けてしまったので、
帰宅した頃には全身びしょ濡れだったりする・・。

ピカピカのランドセルもすでに傷だらけ雨うたれ放題。

終業式間近で荷物を持って帰ろうにも、この雨で延期続き。
持って帰れないうちに夏休みになっちゃうんじゃないの??


もう雨はイヤ〜。


2006年07月14日(金) ある朝、汗だくの光景・・・。

朝っぱらから汗だくのりとるっす・・。

今日は仕事だったのだが、
「よしゃ!そろそろ行かなくちゃ」と外に出たとたん、
前の家のおばさんにつかまってしまった。

いろいろ話したいことがあったが、なかなか会えなかったので
・・と、このときとばかりに話が続く・・。

ちょっと焦りつつも「急いでるので」と言えない小心者の私。

「・・・お出かけですか?」
と、おばさんやっと気がついた。

頭にはサンバイザー、
カバンにお弁当バッグに書類ケース、どうみてもお出かけです・・。

「えええ仕事なんです」ちょっとアタフタ気味の私。

「じゃああの、お渡ししたいものがあるのでー」
と、おばさん家の中へ入っていった。

しばらくして大きな袋を手にしたおばさん、
「これお世話になってるからボクに食べさせてあげて」

・・どうやらお菓子・・お中元のようだった。

そんなお世話なんて何もしてないし、いただくようなこと
何もないのに、もー恐縮しまくりまくり。

で、受け取って家の中へ持っていって時計を見ると、
就業25分前!!

自転車で20分はかかるっちゅーねん!

もー焦りに焦ってヨロヨロしつつも自転車にまたがり、
急いで職場へ向かった。

・・無事間に合ったものの、今度は汗が止まらない。

汗が出るわ出るわダラダラダラダラ、
ハンカチで拭いても拭いても噴出す汗汗汗・・。

就業時間になって席についても、まだ肩で息をしてる始末。

いやはや暑いわ〜〜〜。

なんなのこの暑さは〜〜〜!!

普段から貧血気味の私は、目の前がクラクラしながらも
頑張って仕事を始めたのであった。

おしまい・・。


2006年07月13日(木) やっぱり自死はダメ!

昨日、元アイドルの訃報がテレビで流れ、
はからずも先日亡くなった友人を思い出したりとるっす。

自宅で急死、心不全、
救急車を呼んだがすでに手遅れ・・。

あまりに友人と状況が似ていたのだ。

さらに、子供は二人、というのも同じ。

旦那さんの「急なことでパニックになっている」という
コメントを聞いて「これは自死に間違いない」と確信した。

今日、自死だったニュースを見て、やはりと思うと同時に
やりきれなさを感じた。

友人は子供ではなく旦那さんに発見されたようだが、
元アイドルの人は二人の子供が見てしまったのだ。

縊死の遺体は生前の面影なく、とても悲惨なものらしい。

二人の子供が、母親の変わり果てた姿を見てしまったなんて、
本当にどうにかならなかったのだろうかと思ってしまう。

私の友人も、もしかしたら小学生の長男が発見したかも
しれないのだ。

そう考えると、私のダンナは私の手の届かないところで
ひっそりと旅立っていた。

自宅で縊死、という手段を取らなかったというのは、
それほど追い詰められてはいなかったのかとすら思う。

今となってはすべてが憶測でしかない・・。

自死遺児がこれ以上増えて欲しくないと、
ただただ願うのみだ。


2006年07月12日(水) 本日の夕方・・実況中継。

ムシムシするう〜。

お、あと1時間ほどで息子が帰ってくる。

そんな頃にエアコンのドライをスイッチオン。


「ただいまー」

全身汗まみれのドロドロ状態で息子ご帰宅。

帽子もランドセルもじっとり・・(汗)


うがいと手洗いをして、まずはアイスでクールダウン。

「ほらほら、先に着替えて。風邪引くから」

「はーい」

ピンポーン。

んん???

玄関には、例の近所の女の子が二人。

おいおい。早すぎるっちゅーねん。

「ちびりとるくん遊べますか〜〜〜」

「今帰ってきたばかりで、これから宿題するんだけど」

「タケ子ねー、もう宿題やったよー」

「ウメ子も〜〜」

・・ウソやーん・・。

本読み3回、計算カード3回、ドリル2ページ・・。

どー考えても30分はかかるっってば(汗)
(それとも息子が遅すぎる??)

「ねえねえ猫ちゃんは〜〜〜〜?」

ズカズカと中へ入っていくタケ子ちゃん。

出てきたものの怯える猫。

「ちょっとね、目の調子が悪いから・・」と、
出てきた猫を奥へ追いやる私。

「えーっ!!ウソーーーッ!!」

・・ウソじゃないって。

息子が出てきて「しゅくだいやってからね・・」と言う。

私は「またあとでね」と、タケ子ちゃんを
外へと促そうとしたが、

「タケ子、ここで待っていたいー!!」

どすんと座り込んだタケ子ちゃん、今にも靴を脱ぎそうな気配。

うわーやめてくれーい。

「ほらほらもう、ここは中に入れない家だから、
またあとでね、じゃあね」と、ワケわかんないこと言いながら
タケ子ちゃんを玄関外に出した私・・。

「えーなんでー・・・」とブツブツ言いながら
出て行くタケ子ちゃんと、見守るウメ子ちゃん・・。

ふー・・やれやれ・・。

遊びに誘ってくれるのはいいけど、早すぎるよ〜。

あと、自分の家みたいにドカドカ入っていくのは
やめてちょーだい・・お願いだああ。


2006年07月11日(火) 車で行けるのがせめてもの救い・・

体調が悪くて生気ほぼゼロのりとるっす。

いやあ、目をちょっと使いすぎたかなと思うと、
たちまち頭痛と吐き気が襲ってくるんだもの・・。

この吐き気が次第に寒気になったり動悸に代わったりと、
夜まともに眠れなかった次第で。とほほ。

真夜中に気分が悪くなり目が覚めることが以前何度かあり、
そのときの恐怖というか経験が体に染み付いちゃったみたい。

ああ・・またあの気分の悪さがきたらどうしよう・・。

どうしようどうしよう・・・って眠れない。

ああダメだ、こうやって考えるからダメなんだ、
忘れろ忘れろ〜何もかも忘れろ〜〜・・と頑張って考えるが、

・・・やっぱりダメだ・・うわーん。

と、一人で横になってひたすら葛藤するわけだ。も〜バカ。

もう少し心臓に毛が生えて欲しいもんだ。ほんとに。


そんな状態でも、学校の役員会はやってくる。

夕方、早めに食事をして学校へ・・。

大人のつまらない話に付き合わされる息子は、
最初はおとなしいものの、だんだん落ち着きがなくなり・・。

もー最後の15分くらいは息子との静かな戦い(笑)

「りとるさん〜何か一言お願いします〜」

って、ふられたって困るよ〜〜(汗)

「特にありません」・・他に言いようがない・・。

よっぽど先日の「司会兼書記」のことでも言おうかと思ったが、
もう息子が我慢の限界なんで・・はやく終わって欲しかったのだ。


来週はまた役員会・・しかも耳鼻科の日で、
夕食をとる時間がほぼナシ。どーしよ。


2006年07月09日(日) 猫の号泣&ずっとウィンク・・・(汗)

パジャマのゴムを取り替えるだけで汗だくのりとるっす。

むあ〜。

蒸し暑いっちゅーねん。

加湿器の蒸気の中か、肉まん蒸してるセイロの中みたい。

いい息苦しい・・。


だが、以前書いていた、激痛を伴う肩のこりが、
ある日を境にウソのように消えてしまった。

そう。

亡くなった友人の家に行った日だ。

まるで友人が、
「せっかく来てもらったから、お礼にその肩だけでも
楽にさせてあげるね〜」
って言ってるみたいだった。

律儀で義理堅い子だったからなあ・・。

あーまだショックが癒えないわ。



息子の怪我が治ったと思ったら、今度は再び猫の番。

2匹の愛娘はことあるごとに取っ組み合いのけんかを
しているのだが、以前スコティッシュの方が目をやられた。

目やにが異常に出て慌てて病院へ連れて行って、
点眼薬を貰い何とか治ってから、まだ日が浅いってのに・・。

昨日の朝、エキゾチックが片目だけ涙ダラダラなのに気付いた。

あれーと思いつつ、授業参観、スイミングなど忙しくて
まともに見たのはその日の夜。

涙ダラダラだった方の目の、瞬膜が真っ赤な溶岩のように
腫れ上がって、目のほとんどを覆い隠していたのだ。

「うわーっ!!どうしたのチャチャ!!!」

もービックリ。

病院は休みだし、とりあえず以前貰った点眼薬をさす。

すると、数時間後には瞬膜の腫れがウソのように治まっていた。

恐るべし抗菌剤。

が、やはり目をあまり開けられないようで、
涙もずーっと出ていて号泣状態。

おまけに良い方の目は開いているので、まるで
ずーっとウィンクしてるみたい・・。

今日も何度か点眼したが、徐々に良くなっているようで、
すぐさま病院!って感じではなさそうなので一安心だが、
ほんとにも〜、いい加減ケンカはやめてよね〜!!

せめて目を狙うのはナシにして・・(懇願)。


2006年07月08日(土) ろれつも回らずアガりっぱなし・・(涙)

今日は何かとしんどい一日だった。

夕方、力尽きて畳の上に転がって寝てしまったし。


というのも、今日は参観日。
今週は6日学校がある、というワケだ。
しかも、参観後は第1回学年懇談会。
これがまた曲者だった・・。

幸い雨ではなかったが、蒸し暑いことこの上なし。

自転車でかっ飛ばしていったので(笑)、
学校に着いたら汗がどーっと噴出してきた。

とにかく暑い。

教室の扇風機なんてもう、意味ないぞーってくらい暑い。

それでも汗を拭き拭き頑張って参観。


授業が終わり子供たちが別室に移動しているとき、
知らない人が声をかけてきた。

「懇談会ですけど、今回は先生が全部話しをされるようなので、
この報告書だけ書けばいいみたいですよ」

別クラスの役員さんだな。

「書記だけでいいってことですね。どちらがやります?
私はどちらでもいいんですが・・」と言うと、

「私、チビ連れてきてるんで・・」とその人。

「あ、じゃあ私がやります」

・・そう言うしかないじゃん・・とほ。
それより、学年委員長、今日は休みなんだな、きっと。


で、書記に徹するつもりでいたら、先生方が

「みなさん集まられましたよね・・じゃ、お願いします」

「お願いします」

私に向かってそう言うではあーりませんか。

「え?」

「始めてください」と先生。

どああ。

司会やれってか。書記だけでいいんじゃなかったの〜?


一通り、懇談が終わってからも、せっせと書記として
記録している私に向かって、

「じゃあ、お願いします」
「お願いします」と先生。

私はうつむいて書いているので、何度も言われてやっと気付く始末。

お願いしますって・・(汗)

締めの言葉くらい代わりに言ってくれてもいいじゃん・・。


と言う感じで、司会と書記とで一人アタフタしちゃった私。

ふと部屋の後ろを見ると、学年委員長(別クラス)が
平然といるじゃない!!ななななんで〜?!

最初の学年懇談会なのに、学年委員長が知らん振りって(汗)

そりゃ私は副学年委員長ですけど・・司会もやることが
分かった時点で、助けに来てくれてもいいんじゃないの?!

委員長は私と目を合わせないよう懇談が終わったら
す〜〜っとどこかに消えてしまった・・。

脱力しながらも、みんな出て行った教室で、
一人せっせと報告書を書き終え、椅子を片付け、電気を消して、
報告書を提出しに行って、息子を迎えに行った。

みぞおちのあたりがモヤモヤしながらも、
午後のスイミングに間に合わなくては!と大急ぎで下校。

自転車の後ろに息子を乗っけて、いざ!

15分の半分以上が登り坂・・真夏の暑さの中、
ペダルをこぐ私はもう必死の形相(苦笑)・・。

何とかスイミングには間に合ったけど、
やっぱり母に懇談会の愚痴を言っちゃった。

でもいいや。何事も経験。
役員の経験もきっと得るものがあるはず。

・・今月2回も役員会があるのはキツイけどね〜。




2006年07月07日(金) あのテレビ局はもう嫌い。

以前にも書いたが、私はかつてテレビ局で
アシスタントディレクター、つまりADとして働いていた。

・・思えば、私に一番不向きな職業だったのだけど。

超氷河期第1期生だったんで、もう藁をもすがる思いだったのだ。


私はテレビ局100%出資の子会社に所属していたが、
同じ局内にその会社もあったので、本社社員と見た目は区別なし。

しかし、給与や待遇面は、本社社員と子会社社員では雲泥の差。

本社はエリート、子会社は落ちこぼれ、って感じ。


で、そこに入社して配属になった先に、
本社社員として入社した男の子が配属されてきた。

私は先輩たちにこき使われ、罵倒される日々だったが、
その子(たぶん同い年)は、何となく先輩の対応も違っていた。

あからさま、ではないが、何だかちやほやしてる感じがしたのだ。

先輩たちはほとんどが子会社所属。叩き上げの生き残り。

そこにポンッと入ってきたエリート本社員のおぼっちゃま。

そりゃちやほやもするだろーけど・・。

またその子が、要領のいいこと極まりなかったのだ。

一日中ヘラヘラヘラヘラ笑ってて、先輩たちに擦り寄っていく。

私をはじめ子会社所属の新人は苦い思いで見ているだけ。


先輩たちに可愛がられるその子は擦り寄る一方、
私たち子会社新人組を見下していた。

特に私に対しては「おまえと俺とは違うんだぜ」って思いが
アリアリと感じ取れて嫌な気持ちだった。

ある日、その子が原稿を探していた。

たまたまそばにいた私は場所を知っていたので、
「ここにあるよ」と引き出しを開けて教えたのだが・・。

「うるせえ!黙ってろ!!」

彼は私にだけ聞こえる小声でそう言い、凄い顔で私をにらみつけた。

お前になんか教えられたくない、と思ったのだろう。

でも私はショックのあまり、そのあとトイレに駆け込んで
泣いてしまった。



今更なぜこんなハナシを書くのかというと・・。

新聞で、彼がある番組を、担当者として紹介していたのだ。

「温かい、人間味溢れる・・」とか言って。

名前を見て、忘れもしない、あいつだとすぐ思い出した。

ったく、自分と正反対の言葉を並べて、白けるったらないわ。

10年以上経って彼も変わったかもしれないけど。

私を罵ったときの、あの恐ろしい顔、目は、
いまでもくっきりはっきり覚えている。
忘れようったって忘れられない、鬼の顔だもの・・・。


朝からちょっとブルーになってしまったりとるっした。


2006年07月05日(水) キレてやる〜〜〜!!

夕方、帰ってきた息子と本を見ていたら、チャイムが鳴った。


近所の女の子2人だった。

「ちびりとるく〜ん、遊べる〜?」

「うん、ちょっと待って〜」


まずいことに、一人が猫を見つけた。

「きゃ〜かわい〜い〜〜〜。失礼しま〜す」

・・そう、即効で家にあがりこんだのだ。

もう一人も、「ちょっと、いいの?」と言いつつ靴を脱ぐ。

ドタドタドタ、と中まで来た女の子、私の顔を見て、

「うわっ」

驚きのけぞって、

「ね、寝不足??寝不足みたい・・」

グサッ・・。

そんな私の顔酷いですかね・・。

それよりこっちが「こんにちは」って言ってんだから、
挨拶返してくれたっていいじゃん・・。


一度は外に出た息子と友達。

しかし、すぐ戻ってきた。

友達だけ。

玄関からではなく、上がりこんで私を呼んだ。

どうやら息子が私を呼んできてと頼んだらしい。

「どうしたの?」

「ボールが水にはまっちゃってとれなくて・・」


二人の女の子の先導で外に出たはいいが、

「おばさん、早く早く!」

「おばさん、こっち!」

「おばさん!おばさん!おばさん!!!」

「おばさんはやくおばさんはやくおばさんはやく〜!」

ぐあ〜!!

おばさんおばさん言うなあああ!!!

これで二度目のカチン・・。


で、結局「やっぱりちびりとるくんちで遊ぼう!」となり、
私も断れず途方にくれているうちに再びあがりこまれた。

一人の子は猫をひたすら追い掛け回し、
哀れ2匹の猫は一気にストレスモード・・。

あーこの甲高い声が3人分。とても耐えられない・・。

夕食の支度を中断して、一時2階に避難することにした。


すると、玄関チャイムが鳴り、男の子が一人追加(涙)。

4人でドタバタドタバタ追いかけっこが始まった。

キャーキャーキャーキャー、叫び声と振動とで、
この家ももう倒壊か、と思うほどの大騒ぎ振り。

さすがにちょっと注意しなくちゃ、と階下へ行ってビックリ。


同居おじさんと、母の寝室に入り込み、
あろうことか二人のベッドの上で跳ね回り、
布団をグッシャグシャに引っ掻き回していたのだ。

ブチ。

ついに私もキレた。

「何なのこの酷さは!!」

女の子が一人布団を直そうとしたが、んなことしたって、
母の几帳面なベッドメイキングにかなうわけがない。

ひとしきり怒ってその場を離れた私だが、しばらくしても
子供たちは寝室から出てこず、まだキャーキャー遊んでいる。

・・。

もー許せない。

「もうみんな出てって!もう5時だから!!
この部屋は入ったらダメって言ってるでしょう!!!」

ワラワラと出て行く子供たち。

ごめんなさいもお邪魔しましたもさようならも何にもなし。

何なんだあのガキ共は。

以前来たときも、他の部屋は入ったらダメだと言っているし、
今日も、息子は一応みんなが入るのを止めているのだが、
息子の制止もきかず無理矢理入っていくのだから性質が悪い。


我が家は出入り禁止。

息子にそう言い渡した。

私は子供が苦手だし、雨でもないのに家の中で騒がれても
気力体力共に消耗するだけだ。

ましてやあんな子供たちでは・・(汗)

今ってみんなこんななの〜〜?!


2006年07月04日(火) 怪しい女侵入?!

先日頭を負傷して休んだスイミングの振替日。

息子が帰宅するのを待ってからでは間に合わないので、
学校に迎えに行くことにした。


朝、連絡簿にその旨を書いて息子に渡す。

夕方、いざ学校へ。

あ。

息子、どこにいるんだっけ。

あ。

保護者証持ってくるの忘れた。

まあいいや、すぐ見つかるよね・・。


しかし、息子はどこにもいない。

下駄箱に靴があったので、屋内であることは確かだが、

教室も図書室ももぬけの殻・・。


留守宅家庭教室にいるかも!と3階まであがってみた。

途中、男児に会って「怪しまれるかな・・」と不安になったが、
彼は「そ知らぬ」顔。ホッ・・。


が、次に出くわした女の子は違った。

「あっ、知らない人!!」

大声で言う彼女。

「誰ですかっ?!」

にらまれた私はタジタジしながらも、

「ごめんね・・子供と待ち合わせしたんだけど、
どこにいるかわかんなくなっちゃって・・探してるの・・」
と必死に言い訳。

「誰かと一緒に帰っちゃったんじゃないですか?!」

「そ、そうなのかな・・」

「先生に聞いてみれば?」

「そうだね、そうするね!!」


もーここは逃げるしかない(笑)

保護者証もないんだから怪しまれるのは当然だ。

彼女の対応は子供と思えないくらい冷静だった。

うーん、やっぱり男と女は違うわねえ・・。


急いで職員室にいたら、息子はそこにいた(爆)

教頭先生がみていてくださったのだ。

「ちびりとるくん、や〜〜っとお母さんきたよ〜」

・・うう、すみません・・(汗汗)

って、下校時間から20〜30分くらいしか経ってないんですけど。


校内うろうろしちゃってすみません・・。

でも私、クラス長で執行委員ですから〜!

来週から2週連続で役員会出ますから〜!

そんな目で見ないで〜〜。


2006年07月03日(月) しばらく引きずります。きっと。

友人が自死し、そのショックを引きずり続けるりとるっす・・。


もう何してても虚しくて虚しくて。

四六時中彼女の優しい笑顔が思い出され、
いたたまれなくなってしまう。


「娘が好きだった」とご両親から戴いたメリーのチョコレート。

一つ一つ食べながら思いをめぐらす。


「りとるさんは・・いつぐらいに気持ちがおさまって、
立ち直られたんですか?」

彼女のお母さんにそう言われ、

「そうですね・・本当に最近です」と答えた。

ご両親のためにも、もっと早くだったと言えばよかったかも
しれないが、正直に答えた。

7回忌が過ぎるまでは本当に本当に苦しかった。

でも、こういうのは人それぞれだし。


彼女のお母さんは睡眠薬を貰って飲んでいるらしい。

まだ日が浅いから無理のないことだと思う。

「しっかりしないとね」と言われるが、そんな必要ない。

最愛の娘が自死して、すぐしっかり生活できるわけがない。

ご両親には、ご自愛いただきたいと切に願う。



・・・。

みぞおちの辺りがずっしり重い。

虚しくてたまらないよ・・。


2006年07月02日(日) 今はただ冥福を祈るばかり・・

高校時代の友人の訃報を聞いて一ヶ月あまり・・。

ようやく今日、彼女の実家に行くことが出来た。


親しくしていた共通の友人と二人で伺った。
(その子の車にナビがついていたから助かった・・)

それまで、FAX1枚で彼女の死を知らされたせいか、
実感と言うものがまったく沸かなかった。

が、和室に通され彼女の大きな遺影を目にして、
ああ、本当にいってしまったんだ・・と思った。

線香をあげお参りしたら涙が出てきた。

こればっかりは何度経験しても慣れないものだ。


彼女のご両親はすっかり憔悴しきった様子だった。

私が、ダンナの死後彼女にとても励まされたことを話すと、
お母さんが、娘から聞いたことがある・・と言われた。

「私の夫も彼女と同じである日突然だったものですから・・」

「そうですか・・やっぱり心不全か何かで?」

・・いつもなら、「いえ、ちょっと事故で・・」と言うところだ。

しかし、このときはなぜか、「ウソを言ってはいけない。
本当のことを言わなければならない」ととっさに感じた。

「いえ・・。

・・首を切って、ガス自殺しました・・」

私の言葉を聞いたとたん、彼女のお母さんは
ワッと顔を伏せて号泣されたので少し驚いた。

隣にいた共通の友人も、ダンナの自死は知らなかったことなので
絶句していた。


そして、彼女のお母さんが・・。

「お辛いことを話されたからこちらも本当のことを・・。

娘も・・娘も・・首をつったんです」



・・。

言葉が出なかった。

私も友人も打ちのめされた思いだった。
(友人は後で「息が止まった」と言っていた)


7歳と5歳の子供を残して自死・・。

その思いは計り知れない。

毎日どんな思いで生きていたのか・・。

私は彼女に励まされるばかりで、彼女の力になれなかった。

私って大バカヤロウだ・・。


可愛くて優しくて賢くてしっかりしていて、
気遣いもしてみんなに頼られて・・。

でも、故郷から遥か遠く離れた地での暮らしが
彼女に相当なストレスを与えていたらしい。

手紙には、子供が引越しのせいで不安定になってしまったと
書かれていたが、彼女もそうだったのだ、なのに気付かなかった。

ごめんね・・。

本当にごめんね・・。


「りとるさんも大変な思いをされて、頑張ってこられてるんだから、
私たちもしっかりしなくちゃね・・」

彼女のお母さんが帰り際そう言われていた。

自死遺族の辛さ、悲しみ・・。

彼女の死は心不全。私のダンナは事故。


やりきれなさと虚しさで胸がいっぱいになった。



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