りとるのひとりごと。
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2001年08月31日(金) 本日休肝日

体調悪し。
腸やら子宮やらキリキリ痛んで、うずくまったまま動けない。
苦悶の表情で午前が過ぎ、午後は薬を飲んで何とか乗り切った。

ここのところのアルコール漬けで身体が悲鳴をあげているかも。
今日はさすがに飲めなかった。ま、たまには休ませてあげないと。
胃も検査で50代並と言われていることだし。大切にせねば。

息子のぐずりは突発後徐々に減ってきて、やれやれといったところ。
病気すると子供ってみんなこうなるのかなあ。
笑う回数も増えてきたし、一人遊びもまたするようになった。
勝手に庭に出て砂いじりをし、砂だらけの指をしゃぶっていたりする。
雨上がりだからなあ・・砂ってくっつくんだよねえ・・。
口の周りも砂だらけ・・。

体調が悪い故に外出しなかった。
引きこもりの一日。
散歩にも出なかったので息子に申し訳ない。

8月も終わり。
9月かあ・・また歳を取るな・・。
はあ・・。


2001年08月30日(木) 肝臓は大切に

冴えない天気。
家の中は蒸し暑い。

義母が帰宅する前に日本酒を飲んで頭を麻痺させておいた。
義母が何を言っても頭に響かないから助かる。
いつもは大嫌いな義母大好きの演歌番組さえ見ることが出来た。
アルコール、恐るべし。

だが肝臓は悲鳴を上げているかもしれない。
朝テレビで、「手のひらで見る健康チェック」をやっていた。
手のひらが赤いと飲み過ぎなんだそうだ。
自分のを見てみた。
赤い。
ヤバイ。

飲むと頭は軽くなるが内臓は重くなる。
胃腸もどよ〜んとする。
翌日は頭すら重い。
飲みたくないよなあー。

午後に母の所に行った。
車に乗るとなると朝からアルコールは飲めない。
一度酔うとなかなかさめないからだ。
母の所に居てもグウタラしているだけだが。
しかし息子以外に話し相手がいると違う気がする。
息子に、自分にキレることがない。

息子のぐずりは少しだけマシになった。
私も少しはマシになるだろうか。


2001年08月29日(水) アル中の危機

先日の、爆発寸前の事態があってから、アルコールに依存するように
なってしまった。

朝から日本酒を飲む。
あれこれ考えなくてもすむ。
昼にビールを飲む。
身体が動かなくなる。
夜に日本酒かビールを飲む。
自分が自分でないようになる。

酔っていると息子の泣き声もやや遠のいて感じられ、怒鳴ることも
なくてすむ。
息子は昼食を食べている最中、口の中に何を入れても吐き出すように
なり、ギャーギャー泣いて寝てしまった。
眠いなら眠いと言ってくれれば分かるのに。
言葉が交わせないつらさ。いつになったらしゃべるのだろう。

午後、ぐったりしていたら母が来た。
なかなか言い出せなかったが、思い切ってここを出たい話をした。
母もどうすれば最善の選択になるのか悩んでいるようだった。
でも私は早く物件を探したい。
ここにいたらますますアルコールに依存して、にっちもさっちも
いかなくなってしまう。
自分を壊したくない。

自殺だけは絶対にしない。
自殺がどれほど周りに影響を与えるか身をもって感じてきた。
息子を育て上げるまでは死にたくない。死ねない。
母にも死んで欲しくない。

夕食は作る気にならなかった。
母が持ってきた鮎を焼いておわりにした。
義母は不満だったかもしれないが知ったことか。
掃除もしなかった。

自分がどんどん堕落していくような気がする恐怖。
母親としてもっとしっかりしなければならないんだろうが・・。
支えてくれていた夫はもういない。
私は強いんだろうか、弱いんだろうか・・。

アルコールのせいで頭がぼーーっとする。


2001年08月28日(火) 心に負担が

今日も前半は最悪な精神状態だった。
それに輪を掛けて息子が朝から泣いてばかり。
極端に言えば、5分おきに「ギャアー」と泣き叫ぶ。
だんだん私の心が追いつめられていく。

昼になり、ついに私は自制が効かなくなった。
「うるさい!!」と大声で怒鳴る。
息子は驚きさらに泣き叫ぶ。
近所からみたら虐待の真っ最中に聞こえただろう。
そのうち保健所に通報されるかも知れない。

泣きながら息子は私にしがみついてきた。
自分のしてしまったことが今更ながら情けなく、涙が溢れてきた。
泣きまくった。
もう何もしたくない、何も考えたくない、そう思った。

息子に昼食を食べさせ、その後は横になってばかりいた。
内臓が重苦しく、息をするのも面倒だった。
寝てしまうと考えなくてすむのでウトウトしたりもした。
遺影のダンナが睨んでいるようだった。でもどうだってよかった。
こうなったのもアンタが原因の一つなんだ。

午後は息子の泣きも少し治まっていた。
早めに夕食の支度をし始めた。
料理をしていると、余計なことを何も考えなくなるから良いかも知れない。
ただ無心で作る。
作り終わると息子は遊びながら眠ってしまっていた。
寝顔は天使のようだった。

夜は義母といつも通りに接することが出来た。
昨日あんなに腹が立ったのがウソのようだった。
「しばらくここにいても大丈夫かも」と思う。
このパターンばかりだ。そうやって約1年半ここにいる。
でも、次第に精神的に無理がかかってきている。
爆発する前にここを出なければならない。


2001年08月27日(月) 不安定な一日

ちょっと壊れかけた。
自分自身が。
何とか持たせているが・・・きつい。

今日はろくでもない一日だった。
相変わらず息子はよく泣く。泣いて泣いて泣いて泣いて泣きまくる。
しかも私が家事をしていると泣く。

掃除機をかけていたら、最初はおとなしかった息子が掃除機に
ぶつかってちょっとよろけた。
たちまち泣き出す。私はとにかく早く終わらせたくて手を止めない。
ますます泣きわめく。私もイライラが最高潮に達する。
かけおわった掃除機をガンガン蹴飛ばす。
(以前もキレて掃除機を階段にたたきつけた。)

なおも泣く息子を抱っこすると、ガンガン頭突きされた。
あまりの痛さに思わず大声で「痛い!!」と叫んだ。
息子はますます泣き方に火がついた。
もうどうにでもなれ。

息子がようやく落ち着くと今度は自分の目から涙が出てきた。
ボロボロボロボロ、滝のように流れ、鼻水まで止まらなくなった。
息子は私のグチャグチャの顔をしげしげと眺めていた。

いつもより遅く、7時半頃義母が帰宅。
私は散歩から帰ってまた泣きわめく息子がようやく落ち着いたので
遅めの夕食を食べさせていた。
義母は機嫌が悪いようで、息子のおもちゃなどを床に投げつけた。
私の胃がキリッとねじれた。

義母はさっさと一人で夕食を食べ始めた。
息子がおかずのひじきをテーブルの上のあちこちにこぼしていた。
「きったない!!拭いて!!」と義母。
無視した。
子供が食べ散らかすのは当たり前じゃ。

テレビで、腰痛の改善法などをやっていた。
母が椎間板ヘルニアなので、食い入るようにテレビを見ていた。
片時も視線をテレビから外さず、身体ごとテレビの方を向けていた。
無言の義母が突然リモコンを手にしてチャンネルを変えた。
一瞬あっけにとられた。
「何????」と思った。
しかも義母が選んだ番組は「夫なんて必要ないと、子供と二人で
悠々と暮らす女性」を取材したものだった。

嫌がらせか?!
私にこんなもの見せて。デリカシーがないとかの問題じゃない。
バカにしている。
頭に血が上った。義母をどうにかしてしまいそうになった。
全身の力を込めて「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせた。
顔が引きつった。しかし爆発は何とか抑えられた。

怒りのあまり胃がおかしくなり、食べ物を受け付けられず、結局
夕食は食べなかった。
アルコールだけを胃に流し込んだ。
今日は昼にもアルコールで気を紛らわそうとしていた。
このままじゃアル中になるかもしれない。
父がアル中だ。あり得ない話ではない。私はアルコール好きではないが。

ゴミを捨てるふりをして、外に出て風に当たった。
空を見上げつつ、「冷静になれ、こんなくだらにことで怒るな」と
深呼吸しつつ、自分に言い聞かせた。
体が重い。
頭も重い。
気も重い。

夜、息子を寝かしつけた後、再び洪水のごとく涙が溢れてきた。
ダンナが死んでから、ダンナのことで泣いてばかりで、すっかり
涙も枯れ果てたと思っていたが、滝のように次々と涙が流れた。
嗚咽が漏れそうになり、必死でこらえた。
息子が寝返りを打つ。
今日の涙は、誰かに助けを求める涙。
現在では、実母が唯一思ったことを何でも言えて、ワガママも言える
相手だった。
しかしそんな母も永遠に生きているわけじゃない。
それでなくても母は何かにつけ「私は先が長くない」と言い私を
不安がらせる。

今の状況で母が死んだら私は誰に支えてもらえばいいのだろう。
そう思っただけで、不安で不安で涙が溢れてくる。
救われたい。
今にも倒れそうになる私を誰か支えて欲しい。
でないと・・壊れる。

ダンナへの憎しみが日増しに強まる。
裏切り者。


2001年08月26日(日) ワガママ大王

今日は蒸し暑い。

息子の発疹は今日も消えていなかった。
もっと酷く出ると思っていたので拍子抜け。

しかし熱が出て以来、息子の機嫌は良くない。
下がった今も、甘えん坊だし泣き虫だし、ワガママ。
我慢できない。スーパーのカートに10分も座っていられない。
泣いたり奇声を上げたり・・・落ち着いて買い物なんてできやしない。

しかし義母は今日も遊びに行ってしまった。
帰ってきたのは夕方6時。それから畑を耕しに行ってしまう。
息子は構ってもらえずますます機嫌が悪くなる。
私は夕食の支度で忙しい。
息子を放っておいて料理しつつ、ふと見ると息子はテーブルの上に
置いてあったハンバーグを、両手に握りしめてバクバクかじっていた。
結局はボロボロにしてあちこちに散らばらせるのだが。

休みの日の夕食の支度の間くらい、孫の面倒みてくれたっていいのに。
何のための同居だ。
気が向いたときだけ相手するんじゃない。
昼から夕方まで昼寝しっぱなしで、息子がじゃれついていくと
「うるさい」「やかましい」と背を向ける。

義父は仕事で休日も居ないことが多いし、仕事がなくてもいない。
平日はいつも飲んで帰るので帰宅は夜中近くだ。
義父母揃って孫より自分が大切。自分中心の生活。
私は当然息子中心の生活。

「息子の面倒を見なかったから、孫はちゃんと面倒みる」と
言っていた義父。口先だけだ。
そんな義父をなじる義母も休みの度に遊び回っている。
「今日はみていてあげるから、たまには一人で買い物したりして
羽を伸ばして来たら?」なんて、きっと死んでも言わないだろうな。

ちくしょう。

あー、心に余裕がないと言葉も汚くなっていく・・・。
せめてもう少し息子が聞き分け良いと助かるのだが・・。

つらいなー。


2001年08月25日(土) 突発

よーーーやく熱が下がった。
と同時に赤い発疹が出てきた。

予想的中。
突発性発疹だ。

熱が下がったとたんパワー全開、外に出て行きたがり大泣き。
庭で遊ばせたがイマイチ気に入らなかったようだ。
病み上がりなんだからもう少しおとなしく・・なんて言ったって
1歳児が分かるはずもない。

今日もとにかくよく泣いた。
少しでも気に入らないとワンワン泣く。
一度スイッチが入るとしばらく泣きやまない。自分でも自制が
効かなくなるようだ。
こんな時声なんてかけようものなら余計酷くなるのでひたすら
押し黙っている。

今日はちと酒を飲んで酔ってしまった。やけ酒だ。
義父が「じっちゃんがご飯食べさせると食べるな。やっぱり
普段やりなれてない人がやると食べるんやな」と言いつつ息子に
ご飯をあげていた。

じゃなにかい、毎日せっせと食べさせている私は用無しかい。

おまけに義母は私が食べさせようとすると「もう一人で食べさせな
あかん。何でも一人でできるようにならな」と言い、義父は
「ちゃんと食べさせなあかん」と言う。

一体どっちじゃ!!!

1歳5ヶ月で、何でも一人で出来るわけないんじゃないの。
あれもこれも急いでやらせすぎではないか。そんなに急いでどうする。
私がのんびり屋なのかもしれないが・・。
大人になっても母親に「あーん」して食べさせてもらう息子なんて
いないんだから、それができる今を大切にして何が悪い。

うーーー、むかつく。

しかも今日は息子のお昼寝布団を一人占領して、義母は昼から夕方まで
ずーっっっと寝ていた。
あわれ息子はカーペットの上でお昼寝。
寝るなとは言わないが、子供布団で寝るのはいかがなものか。
しかも腹丸出しだった・・。

あー、飲むとだるい。歳だなあ・・。うう。


2001年08月24日(金) 4日目

まだ熱が下がらない。
今週は息子熱出しで終わった感じ。

朝尿を取り、病院へ。
しかし息子はよく泣く。
私がそばを離れれば泣き、病院でも泣き、帰ってきても泣き、
薬を飲ませようとして泣き、身体や顔を拭いて泣き、泣き、泣き、泣き・・。
もうこっちもヘトヘトだ。精神的に。
まだ言葉でコミュニケーションがとれないからもどかしいしややこしい。
息子よ、早くしゃべってくれい。

しかし、やっと出た言葉第1号「ママ」は、意味が分かっているんだろうか。
時々「マママー」や「マンマンマ」になったりするし。
私を呼んでいるつもりなのかそうでないのかすら分からない。
ちとイライラするが仕方ない。
車は何でも「バークン」。「ブーブ」としか教えてないのに何で
「バークン」なんだろう。全くもって不思議だ。
1歳5ヶ月にしては少し言葉が遅いかもしれない。
指さしも遅かった。早かったのはずりばいやつかまり立ちくらいか。
まああとは平均的。
とりあえずは、はやく日本語を理解してくれることを願う。

今夜は座薬なしで寝た。明日には熱が下がるかもしれない。
でもって発疹が出れば万々歳だ。
孫が熱だしてぐずっているときくらい義母は畑に行くのをやめて欲しい。
でないと食事の支度もできないじゃないか。
おんぶだって最近はままならない。先日したらおんぶ紐の肩に当たる
部分が内出血してしまった。5分くらい負ぶっただけだったが。
すごーく重くなったーと思ったのに、病院で計ったら10圓舛腓辰函
あれ。1歳の頃と大して変わらない。ヘンだなー。


2001年08月23日(木) 原因不明

息子の熱は下がらない。
昨夜は9度5分まで上がって座薬を入れた。
今日の午前に病院に行ったが、何の熱なのか分からないと言われた。
また明日行かなければならない。

しかし39度近い熱のある乳児を1時間待たせて診察はたった1分かよ。
ちったあ前にまわしてくれたってよさそうなものだ。
元気そうな大きい子もいたのに。
プリプリ。

喉が真っ赤らしいので、扁桃腺が腫れたんだと義母は言った。
ダンナも扁桃腺が弱かったらしい。
私は自分の記憶にはない。ということはダンナに似たか。
弱い部分なんて似て欲しくないんだがなあ。

座薬を入れて寝かせた。
明日も下がらないだろうか。今日で3日目だ。
少々暴れてもいいからやっぱり元気なのが一番。

明日に備えて早く寝るとするかな。


2001年08月22日(水) 熱下がらず

息子は昨夜は何回か泣いて起きたり、うわごと言ったり笑い出したり、
やはり熱が出ていて寝苦しかったようだ。
今朝もいつもより遅く起きた。が、比較的元気。
昼間もわりと元気。
昼寝もいつも通り2時間くらいした。
食事もいつもよりは少なめだったがちゃんと食べた。
薬も、不味かったようだが何とか飲ませられた。
今日は様子見のつもりだったが、帰ってきた義母に病院に
行かなかった事をとがめられてしまった。

義母は育児にあれこれ口を出す・・もうウンザリ。
「うるさい!黙ってろ!!」って怒鳴ったら効くかもなあ・・。
普段おとなしい私だけに。
キレるとコワイぞー。
とっとと出ていきたいと思いだしたのは去年の秋頃からか。
義母が口うるさくなってからだ。
義母の口の悪さは本人も認めている。その上声が大きく
口数が多いときたら、もうこれはツライ。
義父も負けじと声がデカイ。
だからダンナもでかかった。バカみたいに声がでかかった。

私は大きな音がキライだ。
大きな声も苦手。
なのに義両親は、早朝といい夜中といい、家中の戸という戸を
思いっきり音を立てて開け閉めする。
孫が寝ていようがおかまいなしだ。
夜中、階下でドーン!!と音がするたびストレスが溜まる。
おまけに大声で口げんかを始めたりする。勘弁してくれよー。
バンバン音を立てて大声でしゃべる。
ツライ。非常にツライ。
おまけに犬は吠えまくる。うるさい。うるさすぎ。
なのに「犬は吠えて当たり前」だと。
冗談じゃない。無駄吠えしないようしつけもしないくせして。
何度犬に殺意を抱いたことか。
近所の住人が犬をにらみつけると義母は怒っていたが、睨んで当然。
近所迷惑という言葉はここの家の辞書にはないらしい。

書いていても腹が立つばかりだからもうやめた。


2001年08月21日(火) 1歳5ヶ月

息子が1歳5ヶ月になったとたん、熱を出した。
夕方からぐずり始め、夜には8度6分。
慌てて病院に行くが休診。次に行った所も休診。
「台風のため」だなんて・・・風ぜんぜん吹いてないじゃん!!
それに実際来るのは明日の未明だぞー!
雨の夜慣れない道を急いで運転する身にもなってくれ・・。

でもそれは自業自得。もっと早く気づかなかった私が悪い。
でも体温が高いのも夕食を作っているときにぐずるのもいつものこと
だったから油断した。
義母には嫌みを言われた。
むかついても、口答えは滅多にしない。
グッとこらえる・・が、こうしているときっといつかはじけるなあ・・。

総合病院の時間外で診てもらえたが、「風邪でしょう」とかるくあしらわれる。
小さな身体が熱くてグッタリしているのを見ると可哀想で仕方ない。
「ママー!ママー!」と抱っこをせがむので、ずっとくっついていた。
そのうちウトウトしだして、薬を飲ませる前に寝てしまった。

しかし今晩は台風直撃でかなり騒々しく眠れそうにない。
息子がグッタリ寝ているそばで、義母は大声で長電話・・何でそういう事が
できるかなあ・・。おまけに犬が玄関に連れてこられ吠えてうるさい。

台風ってのは何かと厄介だ。


2001年08月20日(月) 平和再び

義両親のお盆休みも終わり、今日からまた平常に戻った。
息子と二人だけの時間。平和だ。
心にも少しゆとりが出るのでありがたい。
マイナスなのは食欲が戻ってきたことか・・。

台風が来て雨の予報は見事に外れて一日曇り。
息子との散歩も出来た。
近所に一気に住宅が建つのだが、そこで家を建てているおじさんたちに
息子は愛想笑いを振りまく。
平気で近づく。もう・・さらわれてしまうやん。
それでなくても可愛いんだからー。

親バカ。

意味が分かって言っているのか、息子が「ママ」と言うときがある。
今日も私が2階に物を取りに上がると、下で「ママー!」と叫んでいた。
メチャメチャ可愛い。

再び親バカ。

それ以外は言葉は特に出ていない。遅いほうかもしれない。
車を見ると「バークン」だし飛行機を見ると「オー!!」だし、
あと「カッカッカ」と言う時があるが・・何の意味だ?!
良くしゃべるのだが全く意味不明・・。
語り合える日はいつのことか・・。
しかし「今が一番可愛い」と言う人もいるし・・どうなんだろう。
まあ息子は生まれてずーっと可愛いが。

またまた親バカ。

父親が居ない分、余計に溺愛してしまうかもしれない。
ま、それでもいっか。


2001年08月19日(日) 大脱走

息子がついに外の門の階段をクリア。
知らぬ間に道路に裸足で出ていた。
近所の人がたまたま通りかかり、「赤ちゃん出てますよー!!」と叫ぶ。
義母と私は慌てて外に出てみると、見つかった息子は慌てて逃げた。
そんなに家の中がイヤなんだろうか。なんだろうなあ。
しかし車が来なくて良かった。寿命が縮んだ。

おまけに今朝は嫌な夢を見た。
ダンナが出てきたのにだ。
だってダンナが帰ってきたと思ったら、女連れてるんだもん。
んで私に「二股は出来ないからゴメン」って土下座するんだから参った。
現実だけでなく夢でも捨てられる私って・・。
もう現実でも捨てられるのが怖くて二度と男性を愛せないかも。

私は思ったより男性に依存するタイプなんだろうか。
でもこの先男の人を好きになるにしても、ダンナに雰囲気なり見た目なりが
似ている人を好きになってしまいそうでイヤだ。
その人自身でなく、その人にダンナを重ねて見てしまうかも。
やっぱもう恋愛しないほうがいいな私は。
相手に申し訳ない。
それ以前にふられるか。

今朝の夢でアレコレ考えて泣いてしまった。
まーよく泣くこと・・。


2001年08月18日(土) のりうつった?!

霊感の強い人に、一度自分を見てもらいたいと思うことがある。
「私のそばに誰か居ますか?!」

今日、母と息子の3人で久々にデパートに行った。
メル友の息子のバースデープレゼントを買ったのだが、自分の息子にも
買いたくってたまらなかった。何とかこらえたが・・。

その後、あちこちまわって、とあるお店で用紙に自分の名前や住所を
書くことになったのだが、名前はちゃんと自分のを書いたのに、
なぜか「ふりがな」にダンナの名を書いてしまった。最初の1文字だけだが。

書いた自分に驚いた。うろたえた。
「うわっ」と声まで出た。
こんな事初めてだった。どうしたんだろう。
ダンナがのりうつっていたんだろうか。
母と別れて家路につく途中で思いだし、涙が出た。

ダンナはどこでどうしているのやら。
義母が「私は毎日仏壇の前で寝ているのにちっとも(夢に)出てこない」と
よくぼやいている。
私もたまにしか見ない。
先日のお盆の間くらいは見るかなと思ったが、実際出てきたのは
なんと初恋の人だった。
何なんだ一体・・・?!

何だか無性に買い物がしたい。
ストレスたまっているかも。


2001年08月17日(金) 始まり始まり

なぜ8月17日からなのか。
誕生日の1ヶ月前だから・・っていうのも様にならないが
まあそういうことにしておこう。

暑い。
今日は午前中はなぜか眠くて眠くて息子と二人グータラ寝てしまった。
起きたら正午ではないか。
息子と昼食を取り、ふたたびグータラ。
仕事しなくていい今のうちだけ出来ることだ。
義両親には申し訳ないが、これくらいの休息を得てもばちは当たらないと
思う。
ダンナもきっとうらやましがりつつ分かってくれるだろう。

私には身体の休息より、心の休息が必要だ。
ここ・・ダンナの実家にいつまで居られるだろうか。
ダンナが死んでここに来たときは、義両親も気を遣って優しかったが、
日を追うにつれそれも薄らいでいった。
今じゃ義両親がストレスの原因になっていたりする。
静かな環境を好む私にとって、義両親の地声の大きさと大きな物音を
立てて平気なところが耐えられないことしばしば。

選択肢はいくつかある。
ここで頑張って生きるか。
息子と二人で生きるか。
母とその友人、息子と4人で生きるか。
父の元で息子と生きるか。

頭が痛い。
考えたくない。
当分はここで頑張るつもり。
息子にはここがとてもいい環境に思えるからだ。今のところ。

・・・これって日記になっているんだろうか。
まあいいや。


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