2006年06月30日(金) |
一身上の都合により。 |
一身上の都合により無職となりました。 色々とあるはずだった予定がなかった事になったので、無職になってしまいました。 仕事のことに関しては、どう書いたらいいか分からなかったので、日記には書いてなかったのですが、現状報告ぐらいはしておこうかと思います。
とりあえず、バイト先を変わる予定になっていたので、今まで行っていた所を6月いっぱいで辞めたのですが、7月から行く予定になっていた先で不採用となり、結果として無職となりました。 連絡があったのが今日(29日)だったので、対処する時間がありませんでした。 まぁ、しょせんバイトだし、口約束だったので、不問に処すべきかと思います。 よそへ移るからと言って辞めた手前、もう信用がないので戻れないですし、さてどうしたものかと思案している所です。
とりあえず、冬にバイトを辞めた時よりもモアピンチングです。 収入なしで一人暮らしは不可能ですから。 しかも、今回は前回よりも蓄えが少ないのです。 バイトの収入で一人暮らしだとほとんど貯まりませんから。 それでも蓄財を現金化したのもがいくらか手元にあるのは不幸中の幸いかと。 それにしても、はてさてどうしたものか。
諸君の知ってのとおり、私は昨年、スクールデイズというゲームを何の前情報もなく素で買ってハマった。 そして、当然の流れとして昨日発売になったサマーデイズも購入したわけだ。 ここからしばらく、長い話になるので我慢してくれたまえ。
まず、予約はしていなかった。 最近は経済状態を省みながら衝動をコントロールできる大人になったので、予約はせずに買える時に買おうと余裕の態度を示していたわけだ。 しかし、バイトのシフトの関係で発売日に日本橋へ行ける事が判明。 なので、喜び勇んで発売日にゲットしに向かった。 仕事に追われる社会人なので、機会がある時はしっかりと羽目を外すのだ。 で、夕方からはバイトに入り、残業を含めて帰宅したのは深夜12時。 明日は休み。 これは好機と、さっそくインストール作業に"挑む"。
そう。 スクールデイズもそうだったが、サマーデイズもDVD二層。 インストールに時間がかかるのだ。 長丁場を前に意気込んでディスクを挿入。 「あれ?」 オートランが反応しない。 原因は不明だが、仕方ないのでエクスプローラから自動再生。 反応なし。 原因は不明だが、仕方ないのでエクスプローラからディスクの中身を開く。 インストーラーらしきアイコンなし。 原因は不明だが、仕方ないのでエクスプローラからの捜索を断念。 修正パッチが出ていたことを思い出し、オフィシャルページへアクセス。 予想通り反応の重いオフィシャルページ。 これは前回の経験を踏まえて成長した私になんら衝撃を与えることはなかった。 想定の範囲内だ。 重いページをどうにか開き修正パッチを配布しているサイトへアクセス。 ダウンロード時間を推定するために容量を確認。 その前に修正パッチのヴァージョンが3つほどあり、どれを適用すればいいのか判断するのに10分を要したことを記しておこう。 適合する修正パッチの容量は1.6GB。 前回の経験から推測するに、これはアニメーション部分を修正したための容量だ。 つまり、想定の範囲内。 そして、ダウンロード開始。 最速のサイトでも60kb/秒が限界。 全容量をダウンロードするまでに10時間以上を要する。 一晩明かしても終了していない計算だ。 そのためパッチを適用後のプレイを断念。 パッチなしでプレイを検討する。 また、インストールと修正パッチが無関係である事にその時点で気付いた事も方針転換に大きな影響を与えた。 そこで再びエクスプローラを駆使し、インストールに関連しているであろうファイルを捜索する。 幸い、エクスプローラにディスクの中身を表示させると「stratup」というフォルダを発見できた。(誤字ではなく、明確にstratupと表示されている) しかし、やはり「stratup」は「stratup」であり、「startup」ではなかった。 そのフォルダ内にインストーラー的なファイルは発見できず。 残る捜索候補は三箇所。 「MiniGame」 「SummerDays」 「WindowsMediaPlayer」 という各フォルダである。 さて、ここで闇雲に捜索してもいたずらに時間が過ぎていくだけである。 そこでマニュアルを参照することとした。 マニュアルには以下のように記されている。 「自動的に起動しない場合は、「マイコンピュータ」の中のDVD-ROMドライブを開いて「BOOT.EXE」プログラムを実行してください」 それに従って「BOOT.EXE」を"捜索"する。 ―――発見できず。 原因は不明だが、仕方ないので全てのフォルダを手動検索。 すると、「SummerDays」フォルダの中にstartup.exeなるファイルを発見。 これをダブルクリックするとインストールが開始された。 ここで安堵のため息をつく。 ようやくトゥルーエンドのルートに入ったようだ。 後は長いエンディング(進行状況のスクロールバー)を眺めながら余韻に浸る。 こうしてサマーデイズ第0話「インストール」のプレイを終えた。
さて、続いて第0.5話「修正パッチ」をプレイしなければならないが、時間的制約が厳しいため、スキップ機能を駆使して第一話へ進むことになる。 前回の経験から推測するに、パッチを適用していないと途中でゲームが止まるだけであろう。 それならば、そこまでプレイ可能であるからして、今晩はその部分まで楽しむことに決定する。 前回の経験から推測するに、修正パッチを適用するとそれまでのセーブデータが利用できなくなることが予想されたが、一晩でそこまで進める予定はないので特に問題はない。 大人は一つの事をゆっくりと時間をかけて楽しむものだ。 そうして、特に問題もなく第一話を終了。 何故か第一話終了と同時に強制的にタイトル画面に送り込まれるという事象を体験したが、修正パッチを適用していない事実を考慮して不問に処す。 二度目のプレイでは無事に二話へ進むことが可能であった。 そこで一日目のプレイが終了する。 この日はインストール、第一話とかなりゲームを進めることが出来た。 特に一日目でインストールを完了することが出来た事は喜ばしいと言えるであろう。
二日目。 昼間は用事があったので、修正パッチのダウンロードをその間に済ませようとPCを起動したまま出かける。 午前10時外出。 午後6時帰宅。 ダウンロード完遂率70%オーバー。 順調にダウンロードが進行していることを確認して、再びプレイに戻る。 第二話。 ここで異変が生じる。 まず、このゲームはワイドスクリーン仕様で画面上下が黒く、その黒い部分にセーブ・ロードや早送りなどのアイコン、あるいは選択肢などが表示される仕様になっている。 しかし、その部分に何故かタイトル画面が消去されずに出現。 吉里吉里を使用した経験から推測するに、タイトル画面の画像をバッファから消去していないために、本来なら透明(ベースがブラックなので、透明だと画面にはブラックとして表示される)の部分にタイトル画像が残っているのだろうと予測。 さすがオーバーフローなどと一人ほくそえみつつプレイ続行。 プレイを続けるうちに画像と音声のズレが頻繁に生じるようになる。 画面を見ていても何が起こっているのかは判断できない。 最終的には誠が刹那の声で喋りだす始末である。 抱腹絶倒とはこのことか。 古谷徹の声でなのはが喋るMADを思い出してしまい、それを契機として許容量をオーバー。 爆笑。 その後も、おそらく8割程度の割合で音声と映像はずれ続け、もはや紙芝居付きのラジオドラマ風な様相を呈するようになったのである。 そこで私は方針を転換した。 つまり、「SummerDays(初回版)」はラジオドラマ風に楽しむべきものなのだ。 選択肢には、消去されずに残ったタイトル画面の残骸が重なり何も選択できない仕様になっているのも、全てはラジオドラマ風であることを強調するためである。 もちろん、私は上級ユーザーなので、話の流れやセリフの間から選択肢の出現ポイントと内容を予測。 見えない選択肢を選択するという遊び方を楽しんでいるが。
このように、「SummerDays(初回限定特典バグ付き)」は、画面上に表示されるユーザーをミスリードすための不条理な視覚情報を、淡々と流れ続ける唯一の正確な指針である音声を頼りに、ストーリーだけでなく選択肢の出現ポイントなどシステム面までユーザーの豊富な想像力でもってプレイする事が出来るという、たいへん奥の深い作品である。
もちろん、視覚情報も楽しむに値するものである。 どこを見ているのか分からない直立不動の体勢で向き合って淡々と会話を交わす登場人物たちなどは、とてもシュールで現代アートを思わせる。 それが総合され、私はこのゲームをプレイしている最中は常に腹筋が悲鳴を上げているのである。
今日、店内で流れている曲にふとI'veっぽさを感じて手が止まってしまった。 「これはMELLの声では?」と思い、帰宅後にネットで検索。 すると、ブラックラグーンのオープニングではないか。 そういえばMELLもメジャーデビューがどうとかいう話を聞いたような記憶が仄かに蘇ってくる。
それはともかく、ひぐらしの時もそうだったのだが、店内で仕事中にもかかわらずすイントロ(ひぐらしの時は第一音)を聞いただけでI'veっぽいと体が反応してしまうのは、けっこうな中毒っぷりだなぁと思うのだ。
で、最近追いかけてなかったのでI've関連情報を検索していると、取りこぼしている情報が多々あることに気が付く。 一人でやってるわけじゃないのでアホみたいに曲出してるから、全てをフォローするのは面倒な作業だろうとは思うけど。 まぁ、それでもまだ諦める気にはならないので、時々は追っかけてみようと思う。
I'veとは別に、どうやら同人音楽が密かなマイブームらしいと気付いた。 同人の世界では本やゲームよりも音楽に興味があるようだ。 まずは何がなくとも「Barbarian On The Groove」。 ここはオタクなら万人にオススメする。 あと気になるのはeufoniusとかAppleProjectとか。 霜月はるかはわりと好き。 まぁ、彼らは完全な同人というわけではないのだけど。 ん〜、けっきょくはアニソン好きという枠で捉えられるのだろうか? にしても、けっこう金と手間がかかる。 当たり前だがレンタルCDショップにはないし、知り合いで持ってる人もいないので自腹で収集するか某共有ソフトに頼るしかないのだ。 で、プレスCDだとふつーに2000とか下手すると3000とかするので、二三枚でも買うとけっこうな出費になるわけだ。 一日の生活費を1000円で計算している身の上としてはつらいところだ。 経済的な観点で言えば、I'veも集めるのに苦労するのだよなぁと思う。
ゲームのサントラに主題歌として収録されてるだけの曲とか、1曲のためにアルバム買うの?と思ってしまうので無理。 下手すると1曲のためにゲームを一本買わなきゃならんとか。 最近はシングルCDも沢山出してるようだが、2曲ほどのために1000円出すのはちょっと…。 で、結果としてシングルのカップリングに隠れた名曲を聞き逃したりしてるのかなぁと不安になるわけだ。 まぁ、僕も大人になったので、100%は無理だからと割り切って、そこそこで楽しめるようにはなったからいいのだけど。
そんなこんなで趣味に生きる男に悩みは尽きないのですよ。
学力とは、つまり想像力ではないのか?と思いついた。
手前味噌だが、前回の日記から着想を得たのだ。 例えば歴史であれば、近現代史が現代社会の実生活に繋がっていることを想像するのは容易である。 現代に繋がれば、そこで生きる自分に結びつける事も比較的容易なはずである。
しかし、例えば古代史をどうやって自分と結びつけるか? 自らと無関係な知識は役に立たないので実学とは言えない。 全ての学問を実学とするには、全ての知識を自らとの関連の中で捉えられなければならない。 つまり、それが学力なのではないかと思いついたのだ。
知識を自らと無関係な場所に放置していては、それはいつまで経っても意味を為さない無為な記号の集合でしかなく、いつまで経っても覚えられないし、役にも立たない。 しかし、その知識と自分の関係性については誰も教えてはくれない。 その知識をどうやって使えば役に立つのかも、誰も教える事は出来ない。 個々人でケースバイケースが過ぎるので、教える事は出来ないのだ。 自らが学ぶしかない。
無意味の海原に浮かぶ知識の孤島に、想像力と言う名の橋を架け、自らの世界に取り込む事によって意味を生み出していく。 その橋は自ら学ぶことによってしか築くことは出来ない。 故に、学力とはつまり、想像力ではないだろうかと思うのだ。
こういう連鎖は建設的な気がするので、TKSK君に触発された日記を書いてみよう。
歴史は実学である。 それは僕が高校のときから実感していることだ。 歴史とは何か? それは今現在が、どうしてこのような状態にあるかの原因をたどるための一つの方法である。 それはつまり物理学が宇宙の成立を追及することと同義である。
歴史とは現在、そして未来を見るためにある。 過去からの変遷を調査し思考することによって、未来に向かう自らの態度を思考することが可能となるからである。 つまり温故知新である。 さらに言うならば、歴史とは事象を連結させる行為である。 世界に無数に散らばる個々の事象を、歴史と言う名の時系列でもって連結させ、そこに新たな概念を見出す。 歴史を学ぶ事で、「温故知新」と「歴史」という二つの事象の間に意味のある連結が生まれる。 そのような連結が無数に生まれるうち、不意に新たな概念が生まれる。 そうやって社会は発展してきたはずだ。
しかし、それはすべからく学問が目指すところであるはずだ。 過去から現在へ向かう知識の蓄積を体系化することにより、そのままでは個々にバラバラで無意味な事象を有意に組み合わせ、現在の問題に対処する。 すべからく学問は実学であるはずなのだ。
では、どうして義務教育を無駄だと言う人たちがいるのだろうか? 簡単に言えば、普遍的な真理に触れていないからだ。 因数分解も現代文の読解も英語の長文も、全ては通底する一つの能力、すなわち論理的思考によって攻略されるはずである。 確かに学校のペーパーテストではある程度の記憶力を要求されるが、それ以上に論理的思考を身に付ければ気付くことが出来るはずだ。 全てが繋がっていることに。 だから、義務教育に何一つ無駄な事などない。 教育が無駄なのではなく、教育を無駄にしているだけだ。
義務教育期間中に全ての教科を勤勉に学び、論理的思考をきちんと身に付ければ、社会に出てからも、すぐに社会を理解する事が出来るだろう。 それこそがまさに高水準で汎用的な労働者である。 そういった学生を育てることが、日本の経済を将来的に渡って支えるに必要なことだと思うのだが。
と、そのレールからドロップアウトした僕が言ってみる。
ALIPROJECTとJ.A.シーザーを足したような音楽が出来れば最高なのでは? と思いついた。 それはきっと日本的なものの極みだろう。
最近感じている焦燥感について、何かヒントを得ようと思って去年の夏ごろの日記を読み返してみて驚いた。
自分で言うのもなんだが、酷すぎる。 驚くほど自分を見失って暴走しているのが良くわかる。 今見ればすぐにわかる事なのに、何であの時わからなかったのかと思うが、だからこそ見失っていると形容するわけだが。
でも、日記に対するスタンスは真摯だったのだな、と読み取ることが出来たのは良かった。 たぶん、あの時の自分もあんな事を書きたかったわけじゃないのだ。 あれが単なる憂さ晴らしでしかない事もわかっていて、わかっていたからこそ、あえてあんな日記を書いたのだろう。 この日記は僕の「真実」を刻みつけようと、常に自尊心と戦い続けている。 全てを曝け出すことは自尊心が邪魔をするから、だから常に全てを曝け出し続けているわけではない。
でも、あの時は、どうしようもない焦燥と暴走の吐露を、理性でもって止めるべきではないと判断したのだ。 幼稚だろうと、他者を傷つけるかもしれなくても、わけのわからない感情が募る焦りを刻み付けたかった。 誰に迷惑をかけても、因果応報になっても、吐露すべきだと思った。 当時の日記にも確かにそんな覚悟が記されている。 感情を書きなぐりながらも、そんなのはダメだと思っていて、でも正しい答えがわからなくて、あれを書くしかなかった。 あれを書くことが、してはならない事だとわかっていた。 その感情が存在している以上、書かなければならないという想いもあった。 その二つがせめぎ合った結果があそこに記されている。
今でもあの頃の自分を肯定するわけにはいかない。 けれど、事実と真実は受け入れていかなければならない。 わけもわからず書きなぐった日記は、過去の自分が放ったそれなりの覚悟を込めた言葉は、こうして未来の自分に届いたようだ。
2006年06月02日(金) |
性愛と生き死にについて。 |
今日、白バイとがちんこバトルに突入しそうになった。 二つ連続した信号があったのだけど、一つ目をギリギリで通過。 で、二つ目は明らかに赤だけど、「ええい、ままよ!」と突破しようとした瞬間、脊髄に危険信号が走ってフルブレーキ。 スキール音を立てながら停止線を突破。 次の瞬間、危険信号の原因が反対車線に潜んでいた白バイであることを認識。 頭の中で「やばい!やばい!」と繰り返しつつ、横断ほどの寸前で停止。
・・・
いちおー、お咎めなしでした。 反対車線に停車しつつ、頭はこっちを向いてたので、明らかに信号無視を見張ってたっぽい白バイだったので、赤信号を突破した瞬間にバトルスタートだったわけですよ。 何が驚いたって、白バイだと認識するより早くフルブレーキに突入してましたからね。 頭より先に体が動く。 まだまだ若い証拠でしょうか?
まぁ、それはともかく、最近思うのだけど、僕にとっては男女の性愛よりも生きるの死ぬのの方がリアルに感じられるんじゃないだろうか。 改めて言うまでもないが、男女の色恋沙汰よりも生死の境に触れた回数の方が多いわけだし。 先日もM田君が死んでもおかしくない状況に遭ったり、やはりバイクにそういう乗り方をしている以上、恋愛よりも生き死にの方がより日常的に感じられるのではないかと思うのです。
なので、時々TKSK氏が、登場人物が死ぬことで話を盛り上げるのは安易だみたいな事を言っていたような気がする。 けれど、経験が想像を補ってくれるという点から見ると、僕にとっては好きだの嫌いだのよりも、生きるか死ぬかの方が切実に感じられるのだ。
だから、僕はもっと正面から生き死にを書いた方がいいんではないだろうか。 今まではもっと別の方法で登場人物に切実さを与えられると思っていたけれど、最も強烈なのは死だと、避けることなく書いていってもいいんじゃないだろうか。
死だけが唯一の絶対的自由だと、カオル君も言っていた。 おそらく、回り道をしたとしても、最終的にはそこに行き着いてしまうような気がする。
2006年06月01日(木) |
忙しいのも良し悪しなもので。 |
最近は忙しいと言うか、やろうとしてる事が多い。 ので、すぐにお疲れモードに突入してしまう日々です。 でも、忙しい割には思うように進んではいないので、満足する部分があると同時に不満が募り続ける部分もありんす。
仕事もプライベートも中途半端なまま忙しさに流される日々、なのですよ。でも、僕のキャパではこの速さにはついていけないので、どうしても流され風味です。 理想を言えばもう少しゆっくりと生きたいのですが、どれだけ時間が残されているか明確な検討が付かないので、今は忙しくても何とか乗り気らなければと思うのですが。 でも、いくら忙しくても、結局は二年前から何も変わっていないような気がして、焦りは募る一方です。 大学卒業してからの二年間、何が出来るようになったかと言うと、マンガを読む力が増したことと、バイクに乗るのが少し速くなったくらいで。そんな状況を打開しようと環境を変えてみたけど、すぐには変化は現れなくて。ということで、焦り気味です。
大阪に戻ってきてから三ヶ月。 短いように見えるけど、本気ならば何か結果を残せるには十分な時間のはず。 そう感じているので、余計に焦りは募りますです。
とりあえず、6月に大阪で同人のイベントに出ます。 それが終わったら一区切りつけて、徐々にゲームにかける労力を減らして行こうかと思い中です。 ゲームを作るとなると、どうしても誰かの手を借りないとならないので、純粋に自分の作りたいものをなかなか作れない。 特に僕はやっているうちに考えがコロコロと変わって、作品も完成までに二転三転してしまうので、自分の作りたいようにやるには一人でやる方が都合がいいような気がするのです。
将来的なことも含めて、いったんゲームから距離を置いて、次は小説を書こうかと思っているところでございます。
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