2006年03月30日(木) |
久しぶりにゲームを。 |
最近、「最果てのイマ」をやりはじめた。 購入してから半年くらいして、初めてシュリンクを破ったわけだが。 それはさておき、久しぶりのパソゲーである。 自宅にネット環境がないので、余暇をゲームでつぶそうと思ったわけだ。
で、「最果てのイマ」といえば、かの「CROSS†CHANNEL」の田中ロミオのシナリオなわけだが、なぜだかあまり業界でも話題にはならなかったと記憶している。 で、プレイしてみてその理由がわかった。 「最果てのイマ」は「CROSS†CHANNEL」を純化したような風味なのだ。 よりテーマが明確になっているが、これではわからん人は本当に何もわからない。 おそらく、「日本語がおかしい」という感想すら漏らすだろう。 テーマがある、という事実に非常に驚くのだが、それは消費者には関係のないことだ。 エンターテイメントとして、マスに向けた商品として評価すると非常な酷評を受けるだろう。 つまり、この作品は僕のこの日記と同じようなスタンスで書かれているわけだ。 なので、僕はこれをプレイしていると自分の中からあらゆるものが引きずり出されてぐちゃぐちゃになってしまう。
まだ序盤もいいところなのだが、現段階の感想としては一言「泣きたい」と言っておこうと思う。 それは感動ではなくて嘆きだ。 泣ける、ではなく泣きたい。 だが、彼はきっとこの絶望に面していまだ諦めていないのではないだろうか。 無闇に希望を抱くわけではないが、決して諦めているわけでもなく。 その態度は僕を救うかもしれないし、僕も同じように諦めなくてもよいかもしれない。
これは日記なので支離滅裂でいいのだ。 そして、これだから創作はやめられないと思うのだ。
2006年03月27日(月) |
とりあえず生存報告。 |
いまだ家にネット環境がないために大学の図書館からのアクセスです。 最近、日記更新がないのはそのためです。
それなら書き溜めて一気に更新すればいいような気もするのですが、そこはこの日記。 いつも気分で書いているので、それがすぐに反映されないとわかると書く気力があまり…。 メモ帳に向かって垂れ流すのはちょっと違うような気がするのです。
ということで、書きたいことは腐るほどあるけれど、とりあえず生存の報告だけしておこうかと。 まず、預金残高がそろそろ10万を切ります。 そして私は無職です。 今からバイトしても、4月はしのげないこと決定。 なので、4月はどうにかして実家から貯まっているバイクを運んで換金する必要がありますです。 そんな感じで楽しくも危機的に生きております。 では、またバイト探しに戻りますです、はい。
うるさいッ 最低なのはおまえだろうが
つごうのいいときは気味悪いほどもて囃し つごうが悪くなれば手の平返してたたきつぶす
なにもしなければ手を汚すこともない 安全な場所で正論語るのは楽でいいよなあ
安全な場所に居る人間は、得てしてそれに気付かない。 なぜなら、安全は安心を生み、安心は慢心を生む。 そして、慢心は盲目へとつながるからだ。
だから、そのような社会には必ず身代り羊が必要となる。 盲目の羊飼い達を導くために、身代り羊は必要とされる。 あるいは人身御供と言い換えても同じ。 盲目は聖者を供物として殺す。 彼らは御供を殺さなければ何も知る事は出来ない。
だから、遍く人の子等を愛する聖者はその身を捧げる。 聖者は人を博愛するからこそ、自ら十字架にかけられる。 そうして盲目の羊飼いたちは、自らの身を汚すことなく贖われる。
では、盲目の羊飼いと、彼らによって神へ捧げられる人身御供と、どちらが真実に近いのか? あるいは真実へと目を開こうとしているのはどちらか? どの時代にあっても、苦悩し真実への道を切り開いて行くのは、目を開き汚れることも厭わず、自ら泥の中に身を投げ出す者だけだと思いたい。
ちなみに冒頭のセリフは「彼氏彼女の事情」からの引用。 とりあえず、それだけは記しておきます。
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