謝辞。
僕を支えてくれた全ての作品とお客様に感謝を。 そして、いつかは僕もその支えの一部を担えるようにと願いを込めて。
2006年1月31日
ねこねこソフトが解散するそうだ。 TKSK君あたりが反応するべきネタなのだろうけれど、デリダや岡崎律子が亡くなったときと同じような感傷を感じているので、そのことを記しておきたい。
少なくとも、僕の世界においてはデリダが亡くなるのと同等の喪失だと思うのだ。 僕はこのメーカーについてはみずいろしかやっていないし、さして詳しいわけでもない。 けれど、同人あがりの商業メーカーとして、時代の一角をきちんと担ってきたことは確かだと思う。 堅実に業界の空気を担ってきた、そして片岡ともはステージななで何かを試みようとしていた。 そういうメーカーが亡くなるのは惜しまれるべきだと思うのだ。 もちろん、メーカーがなくなっても、そこにいた人たちは他に活躍の場を移すだけだろう。 それでもねこねこソフトという象徴が亡くなるのは事実だ。 それは僕に時代の流れを明確に感じさせる。 だから、僕はこの日記にわざわざ記す。
2006年1月27日深夜 自室にこもってギャルゲーのシナリオを書きながら。
2006年01月21日(土) |
ホリエモンの感情に関する一考察。 |
堀江社長がときおりカメラの前で見せる不機嫌な様子について思うところがあったので日記化してみる。
あれは、つまり事実が事実として機能しない事態に対する不快感の表明なのであって、決して不遜な態度ではないのかもしれない。 大衆(あえてここでは大衆という言葉を使う)は往々にして事実をコンスタティブに捉えることをしない。あるいは出来ない。 では、どうするかというと、そこにあるのは感情だけだ。 エクリチュールをコンテクストの中で巧みに使いこなしているように見せかけてただ感情を垂れ流しているだけなのだ。 つまり、そこに思考は無く、もはやそれは慣習とも呼べない反射のみである。
そのような社会には事実を事実として認識する能力は無く、問題とされるのは事実そのものではなく、その事実が原因であるにもかかわらずそこから引き起こされる感情という結果である。 もちろん、結果を考慮すべきコンテクストもあるし原因を考慮すべきコンテクストもある。 しかし、事実を事実として認識できない以上、原因を考慮することは初めから不可能なのである。 よって、この根源的な論点のずれは根源的であるが故に解消することが困難であり、認識できない事象について説得することは徒労に終わる可能性があまりにも高すぎ、かつ現実的にそのような時間は用意されていない。
現実的に問題の解消に向けて働きかけるために事実をあるコンテクストでスタティックに検証するべきだと考えているのに、しかし、それは慣習や日常といった緩やかに流れ続ける極めて不安定なコンテクストに乗せられ、その時々の個々人の感情が述べられ並べられていくに過ぎず、コンスタティブな立場を取ろうとすることで逆に流動する大衆からは孤立してしまう。 当然の帰結として、全に抗する一は敵と見なされ排除されるわけだ。 もちろん、全に同一化して排除を回避することも可能かもしれないが、それでは問題が解決されないと認識してしまったなら、そこに矛盾と葛藤を抱えざるを得ない。 そのような状況に対して彼は苛立ちを表明しているのではないかだろうか、と考えてみた。
コンスタティブとパフォーマティブについて。 言語行為論という分野そういった用語があるらしい。 コンスタティブとは言語の意味を文字通り捉えること。 パフォーマティブとは言語の意味を文脈のなかでパフォーマンスとして捉えること。 と、ここでは簡単に説明しておく。 もちろん、純粋にコンスタティブな言語や純粋にパフォーマティブな言語は現実的にありえない。 しかし、限りなくコンスタティブに近づける努力は出来ると思う。 そして、現実的な場面で問題解決のためにそのような言語が必要とされる事態はあるはずだ。 しかし、僕が感じる範囲で日本では基本的に言語を純粋にコンスタティブに捉えようとする努力はなされない。 それは大学という機関においても同様で、常に言語はそれを行使することによって発生する効果=結果にしか興味を払われないし、認識されない。 これは純粋な能力の問題ではなく、そのような訓練が施されていないことに起因すると思うのだが、とにかく根本的にそのような能力を育成されていないのだから、言語がコンスタティブに機能しない以上、言語によって示される事実もまたコンスタティブに機能することはありえない。 つまり、事実もまたパフォーマティブに機能せざるをえないのであり、これが堀江社長の不快感の原因ではないかと思ってみるわけだ。 つまり、これは僕が感じているコミュニケーションの根本的な部分に関わる問題である。 僕もまた同様に日本の義務教育を受けて育ってきた子供なので、言語をコンスタティブに捉える能力に秀でているわけではない。 それゆえ、そこに固執しなければ維持できない。
バイクで事故を起した友人が、バイクに乗り続けることを迷っているので、僕から何かしら言葉を送れないかと思ったので今日のこの日記を書いてみようと思う。
もし、今までに読んだことがないなら、湾岸ミッドナイトを読んでみて欲しいと思う。 他にもいろいろとぐちゃぐちゃ書いては消し、書いては消しを繰り返しているのだけど、どうも上手く言葉が出てこない。 どうやっても僕は降りられない側なので、どちらの立場も取らない中立の言葉が出てこないのです。 バイクは独りで乗るものだから、答えは独りでだすべきだと思うので、これだけで留めておきます。
何年も経って、「そう言えば昔、バイクに乗ってたな」と思った時にでも読んでみてください。 そして、もし、再び乗り始めたらツーリングへ行きましょう。
仲間内で大きな事故に遭ってない人間が少なくなってきました。 自慢ではないけれど、僕は事故でバイクを廃車にしたことはないし入院したこともない。 けれど、バイクに乗っている限り、命と免許は消耗品だという覚悟をいつまでも持ち続けたいと思う。
最近、バイクに乗る時間が減った。 仕事が休みの日、週に一回くらいしか後方排気に乗らない。 しかも、冬に入ってからはエンジンをかけるためだけに、街乗りをしたりするだけだ。 でも、案外それでも楽しい。 通勤でビッグバイクに乗るオジサンの気持ちが少しだけわかる。 スクーターでの通勤も思いのほか楽しい。 それに、もうすぐ仕事をやめて無職になるので、少し旅がしたいと思っている。 そうなると4サイクルのオフ車でロングツーリングというのも楽しいかもしれないと思い始めた。 スクーターにオーディオを積む計画もあるし、一度はアメリカンにも乗ってみたい。 たぶん、生活のどこかほんの一部にでもバイクがあれば、それはきっと楽しいのだと思うのだ。 だから、近所のコンビニへ行く足でもいいので、何か一台手元にあれば、と思う。
2006年01月16日(月) |
つまりこれが癒しというもの。 |
いま、委員長ルートを終えました。 とてもいい気持ちです。 今なら素直にありがとうと言える。
別に傑作のシナリオでも抜群のグラフィックでもなかったけれど、とても心持が軽くなれた。 とてもよく出来た秀作と呼べるゲームだと思う。 そして、これこそがゲームの良さなのだと改めて実感した。 ので、それを忘れないうちに記しておこうと思う。 今、僕が作っている「めがねいいんかいっ!」が目指すべき方向性を強く指し示してくれた。
素直に嬉しくなれた。 明日は気持ちよく仕事に臨めそうだ。 そういうものを、僕も作ってみたい。
2006年01月14日(土) |
ビクスク、ウーファー、アニソンで日本橋。 |
一部誇張があるが、あながち冗談ではない。
ご存知の通り、私の普段の足はヴェクスターである。 今はなんちゃって二種登録だが、本来は軽二輪。 つまり、マジェやスカブーやフォルツァと同じナンバーをつけているれっきとしたビッグクスクーターなのだ。 そして、私はそれにオーディを一式を積むかなり現実味を帯びた計画を思いついた。
悲しいかな私のヴェクはフロント周りにスピーカーを埋め込む隙間がない。 メットインにもウーファーを埋め込む隙がない。 そこで考えた。 スピーカーを前に付けようとするからダメなのだ。 そこで思いついた。 そうだ、リアトランクに全部入れてしまおう。 つまり、リアキャリアに大き目のトランクを装着し、そこへスピーカーやウーファー、そしてアンプに電源も搭載してしまえばいい。
今、手元には80w×4のアンプがある。 もちろん、ブリッジ可能なので、80w×2+160w×1の3チャンネルで駆動できるわけだ。 とりあえずウーファーの代用となる16cmのスピーカーもある。 4つあるので破れても、さらに替えがきく。 あとはフロントスピーカーとして使える防水スピーカーと、それらを収納する大型で強度の高いトランク。 (レインカバーを作れば、スピーカーは防水である必要もないのだが) 強度が低いと音量を上げた時にビビりが出る可能性があるのだ。 最後はそれらのシステムを駆動するための電源として、車用のドライバッテリー。
これが完成すれば、ワンタッチで取り付け、取り外しが出来るスクーター用汎用オーディオシステムとなるだろう。 もちろん、帰宅後にバッテリーの充電を必要とするが、車体と電源を共用しないために遠慮なくオーディオの出力を上げる事が可能というメリットがある。 総合で300w程度なら車では当たり前だが、二輪では強烈だ。 バッテリーさえ強化すれば、1000wオーバーも夢ではない。 トランクをでかくすれば(格好はともかく)電源もスピーカーもいくらでも大きい物が積める。 となると、ビクスクよりジャイロとかの方が有利なのか?という疑問も出てくるが。
それはさておき、私はこの計画をヴェクにおいて実行しようと思う。 ちなみに資金はモタードTSを売却して調達する。 この計画が成功したあかつきには、日本橋にI'veソングを鳴り響かせてみようと思う。
世間では年末年始の商戦でやれXBOXだPSPだと騒いでいたようですが、それにつられて僕もついにPS2を買いました。
さて、気を取り直して。 ついにPS2を買いました。 白色の薄い奴です。 それほどバケモノではないようです。 それはともかく、ついに巷で噂のToheart2をはじめてみました。 by同人ショップ店員。
それはともかく、カルカンに飛びつく猫もびっくりするくらい委員長まっしぐらです。 久しぶりに身をよじっています。 それはともかく、花梨が「たかちゃん」って呼ぶのでこっ恥ずかしいです。 なぜなら、僕の名前は「貴浩」なのですが、幼少の頃に「たかちゃん」と呼ばれていたからです。 そう言えば、あのころはバレンタインにチョコレートを持ってきてくれるような幼馴染がいたなぁ、と思い出すけれど、それはまた別の話。 とにかく花梨が爆音でたかちゃん、たかちゃんと呼ぶので恥ずかしいです。 しかも、PS2なので居間でやっていると、ゲームのキャラクターにたかちゃんと呼ばれているのを家族に目撃されてしまいます。 よけい恥ずかしいです。 これが世に言う恥ずか死にそうという状態でしょうか。
でも、どうせなら委員長にたかちゃんって呼ばれたかった。
えー、今年最初の更新を期待されていた方々には申し訳ないが、まともな更新はしばらく待ってほしい。
近年まれに見る体調不良で新年を迎えております。 初コミケ参加は成功に終わったのですが、それで精神的に区切りが付いてしまったのか、今までの疲れに強襲されております。 おそらく、ここ二〜三年の疲れが…。 とりあえず20時間以上寝たはずなのに風邪が治らない。 今も朦朧とする意識と格闘しながら、指の震えを抑えてキーボードに向かっております。
ですので、冬コミであった事、思った事、05年を振り返っての06年の展望などはいましばらくお待ちを。 書く「べき」ことはたくさんあるのですよ。
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