神の宿る細部と宿らない細部がある。 「神の宿らない細部はただの細部だ」と、あの豚なら言ってくれるだろう。 つまり、神の宿らない細部はただの細部で小事に囚われては大事を逃すのだ。
そして、最も忌避すべき事は大事が見えないからと言って小事に目を向けることである。 つまり、何が大事かわからないから、とりあえず見えることに拘泥してみる、というのは愚行であると言わざるを得ない。 もちろん、自覚的にそこに浸かるのなら問題はない。 しかし、そこに選択が存在しないなら、それは自由な行為ではないし、もはやそれは人である必要さえない。 自分には大事が見えていないという自覚とともに小事と戯れるなら、そこには人としての遊戯が存在するだろう。
大事に関わる小事は確かにある。 だが、大事に関わらない小事もある。 では、何が重要なのか? それは大事の先に見える神である。 大事や、あるいはそれに繋がる小事が重要なのは、その行為の先に神が想像されているからだ。 神が見出されていなければ、どの大事も小事も意味など持たない。 神無き行為には遊戯しかない。 さて、あなたの見ている神とはいったい何なのか? さぁ、あなたは神を前に問うことが出来るだろうか?
2005年11月25日(金) |
架け橋としての日記。 |
前回に引き続き「萌える男」を参照するが、この中で著者は「萌え」とは観念的な次元での新たな人間関係を模索する思考実験として機能する可能性を秘めている、という事に触れている。 たった一人が抱いている観念は妄想でしかないが、その幻想が多くの人々に共有されるようになれば、それは新たな現実として作用し始める、ということらしい。 つまり様々な「萌え」の形を参照することによって、一元的な恋愛の呪縛から逃れられる可能性を示唆しているわけだ。 もちろん、一歩間違えば単なる異性、対人関係からの逃避し堕落したひきこもりを量産するだけだが。 しかし、ここには真に"新たな"人間関係の形態を模索することを可能にするシステムが存在している。
観念から現実としての行動へのフィードバックを、おそらく僕は試みてきたのだろうと思う。 僕が機会があるごとに垣間見せる傍若無人な振る舞いや荒唐無稽な発言は、思考実験からフィードバックされた新たな試みなのだ。 むしろ、観念的な思考を現実的に機能する行動へと適応するために思考実験を行う、と言った方が正しいだろう。 ここで言う思考実験とはつまり、新たな観念を現実へと適応させるための方法を模索(思考)し、それを試みる(実験)という運動である。 もちろん、試みであるから全てが成功するはずはないし、実際に躓くことの方が多い。 そして、思考は試みの結果からフィードバックを受け、思考が変化することによって試みもまた変化する。 それはあたかも無限円環のように見えるが、しかしそれは螺旋構造であり、常に変化の連続となる。 螺旋が円に収束するとき、思考は停止しているのだ。
つまり、僕の発言や態度が変わり続けることはつまり、僕の思考が常に螺旋を描き続けている証拠でもある。 ここで言う態度とはもちろん機嫌のことではない。 (まぁ、僕個人、機嫌がコロコロと変わりやすい人間であることは自覚しているが) この態度とは人生態度のことである。 あるいはキリンのセリフを借用すれば「スタイル」であろう。 僕は個人的にポーズとスタイルを対で使うことがある。 ポーズとは格好を装うことである。 スタイルとはスタンスにも近く、「そう在ろうとする意志」と言える。 つまり、問題なのは意志の有無であって、ポーズには意志が無く、意志があることによってスタイルは生まれる。
さて、かなり話が脱線してしまったので、強引に表題へと話題を移そう。 架け橋としての日記。 僕は今になって、やっとこの日記の役割を理解し始めているようだ。 かつて「アクチュアルな問題系とイマージュの問題系は非ユークリッド幾何学的に交わるのである」と評されたこの日記。 この日記は交差点なのだ。 つまり、これは思考と行動の架け橋と言えるだろう。 観念的、概念的な思考と現実が出会う場であり、つまり思考と実験が出会う場であり、僕はここで得られた回答でもって躓いた現実に再び挑む。 せめて、最低限でも現実に挑む上で自己(思考)と世界(現実)のせめぎ合いを経ようと言う、これが僕のスタイルなのだ。 もちろん、僕のこのスタイルが現実に上手く折り合いを付けられていない部分が多いことは認める。 それでも、この日記が不定期ながらいまだ続いている事実を持って、僕だけは僕を称えようと思う。
躓きの石を見つけた。
たまたま本屋で衝動的に購入した「萌える男」本田透 著(存在論敵、郵便的を買ったついでだったのだが)を読んで、僕が今まさに躓いている石を見つけた。 見つけてしまえばこっちのものだ。 避けることも出来るし、蹴飛ばすこともできる。 そして、それを拾い上げることもできる。 (まぁ、それが大きすぎれば僕はどうしようもなく、ぶつかり続けるだけなのだが)
この中で著者は吉本隆明を引用して自己幻想、対幻想、共同幻想という言葉を使う。 つまりは僕の躓きは自己幻想から出られないことにあるのだ。 最近の現実的な僕の行動の順序としては共同幻想→対幻想であると考えられる。 これらはいずれも失敗に終わろうとしている。 そして、最終的に向かうのが自己幻想による自己救済である。 とすると「MsYs」に登場する翠は、僕の自己幻想が生み出した自己救済のための「萌えキャラ」なのである。 年の割りに幼い容姿。 無口で無干渉、無関心に見えて全てを理解し受け入れてくれる存在。 まさに不安定な自我と希薄な存在理由を共済するために光臨した神である。
観念的な思考に理解を示し、見守り、時に助言を与えてくれる。 そんな仲間であり、かつ恋愛の対象ともなりえる完璧な先輩。 それが雨宮さんであり、彼女の存在によって神の国はさらに完璧に補完される。
これらの自己幻想はある程度の成功を収めていると言える。 確実に僕は癒されている。
さて、ここからは話を戻し、どうして実生活において僕は共同幻想、対幻想の構築に失敗したのかを考察してみたい。 まずは共同幻想についてであるが、これは単純に僕が理想とする幻想を共有できる環境になかった、という事であろう。 ここで責任の所在を追及する事はつまり本田氏の言うところの一元論、あるいは単純な二項対立に陥るだけであるために考慮しない。 環境とは僕個人の対人関係におけるスキルや抱く理想の明確性などの個人的要因(もちろん、グループの成員それぞれにもある)やグループに課せられた制約、形態など様々である。 ここは詳細な議論を繰り広げる場ではないために書き殴るが、結論としてはその場に相応しい共同幻想を用意できなかった、ということに尽きるであろう。 共同幻想とは、つまり他者と幻想を共有することであるから、他者と共有できる幻想でなければ、それは共同幻想とはなり得ない。 その自明をコントロール出来なかったが故の躓きである。
続いて対幻想に話を移そう。 おそらく生涯を通じて僕は自己幻想による癒しにだけは成功してきた感がある。 そのため、次の段階として対幻想があり、それに対する試みは大学時代を通じで行われてきた。 もちろん、その試みは未消化のままいまだ僕の中に溜まっているわけだが。 (おそらく、共同幻想への挑戦が上手くいかない原因もこの未消化に基礎を置いているような気もするが) さて、この対幻想を論じるにあたって僕は母子関係を追想してみる。 「萌える男」においても再三、家族関係について論じられているが、やはり他者との一対一の関係を考えるにはまず母子関係に遡るのが重要かと思うのだ。
まず、僕は幼いころの母親との交流の記憶があまりない。 それは育児放置を受けてきたというわけではなく、鮮明な記憶があまりないという意味である。 そういう意味で僕の母子関係は希薄だったのかもしれない。 だが、これは古い記憶に関することなので定かではない。 ともかく、僕と母親の関係は常に僕が抱えている「問題」にまつわることで起こる。 僕は次男で、兄との二人兄弟。 兄は小さい頃から活発で外で遊ぶのが大好きな子供だったようだ。 また勉強が嫌いで、中学はさぼりっぱなし。 高校は行くところがないと言われたらしい。 つまり、僕とは対極的な幼少時代を送っている。 というか、そんな兄を見て僕は対極的な「手のかからない子」として育ってきた感がある。 だから、基本的な母子関係が希薄なのだ。 僕は手のかからない子供で一人遊びが上手く、放っておいても自分でなんとかした。 しかし、僕は時折「手のかかる子」だった。 小学生のころは喘息、おねしょがなかなか治らないといった問題を抱えていた。 けれどそれ以外、普段はいたって普通の子供だった。 しかし、時折そういった形で何かが噴出していた。 そういえば指しゃぶりも当分続けていたような気がする。 これをパターン抽出すると、 普段は手のかからない子供で関係性は希薄だが、一定以上溜まるとそれを問題行動として噴出して強引な関係性を求める、 という行動パターンとして認識できそうだ。 もしかすると僕が中庸を求める深層もここに根が伸びている可能性もあるが、それはまた別の機会があれば検討することにして先に進む。
このパターンは今現在も強力に駆動していると思われる。 書いている最中に感じたのだが、これは碇シンジの行動パターンによく似ているのでは?と思った。 やはり同じ問題を抱えていたためにシンパシーを感じたのか。 さて、「萌える男」のなかで少しだけ触れられているのだが、エヴァは二次元の「萌え」を否定して三次元の「現実」への回帰を主張したためにオタクのトラウマになったと本田氏は主張する。 それが事実なら、僕はまさにそのトラウマを「現実」へ向かうことで解消しようとして躓いたことになる。 僕が常に異性と関係を持とうとする時は「問題」を抱えている場面である。 僕は「問題」を抱えている場面でしか異性と関係を持とうとしない。 しかも強引である。 もちろん、それは暴力的な強引さではなく、心理的なプロセス面の強引さである。 よって、形容詞は「ストーカーっぽい」である。 おそらく、それが僕が抱える根本的な問題なのであろう。 身近な女性にアプローチしてはキモがられるのも、出会い系に手を出して高い確率でリストカッターを引き当てるのも、おそらくそれで説明できる。 常に正常な状態で異性と接触できない。 正常なときには異性を必要としないのだから当然である。 あるいはそれを反転して相手に求める。
だから僕は絶対を志向し、思考し、嗜好する。 これを支えられるのは見返りを求めない絶対的な純愛でなければならないからだ。 keyの作品を毛嫌いしながらMsYsを書いてしまう根拠がここにある。 現実をしっているが故に、そうせざるをえないのだ。 絶対的な純愛を「愛される」という面から描いたのが「MsYs」であり、「愛する」という面から描いたのが「彗星の生まれたとき」であり、次回作として構想している騎士が登場するファンタジー作品であろう。 (騎士と主が結ぶ主従関係の根拠を忠誠と信頼に置こうとしている) そうなると僕が書く作品には文学性が宿ってしまうのだが、それを断言するにはまだまだ詳細な検討が足りない。 (ここにも「愛される」を補完したのちに「愛する」へ向かうというベクトルが見えるが、それが実現するかはまだわからない)
それはともかく、 これらが今の僕が抱える他者との関係における問題である。 躓きの石は見えた。 しかし、これはどうやら地中深くまで埋もれた大きな岩のようである。 それでも僕はこれから目を逸らしたくないし、どうにかしようと思っている。 幸い、僕には自己幻想による自己救済に関して高い能力があるように思えるし、それを助けるシステムが消費社会の端っこで踏ん張っている。 大塚英志や本田透のような人たちががんばっているうちは、僕もどうにか足を踏み外さずに生きていきたいと切に願う。 そしていつの日か、彼らのように「萌え」を生み出すことによって自己救済の手助けを出来るようになればと願う。
そう言えば高校生のときはカウンセラーに憧れていたが、今も本質的には変わっていないのだなと感じる。 僕は癒されたいし、そして、その手助けをしたい。 そう言う場を守るために僕はこの業界に身を置くべきなのだろうと思う。
なんしか全開、というのを最近納得した。 とりあえず全開にして話はそれからというわけだ。
ラフに開けるとリアがすべる。 まぁ、10000rpmオーバーのフルスロットルでコーナーを旋回しようとした時の話なのだが。
つまりそういうことだ。 全開にしなければそんな問題は起きない。 とりあえず、まずは全開だ。
で、バックステップに換えてみた。 部品取車にはバックステップがついていたのだ。 それに換えてみた。 まだ工場から家の間を走っただけで峠に行ってないのでわからないが、けっこう良さげ。 人が乗っかっている位置が高くなったような感じで、マシンが自分の下に入り込んでいる感覚が増している。 これならステップワークで積極的にマシンをコントロール出来そう。 僕がよく言う直立不動のマシンコントロールだ。
マシンと上に乗っかったライダーがバラバラに動く人馬不一体のライディング。 これならスライドに対する恐怖心がかなり軽減されるような気がする。 まぁ、まだ気がするという段階だが。
あえて述べる。 「なんでいまさら?」でも「いいわけ」でも「逆ギレ」でも何でもいい。 私は否定されるためにここに居るのだ。 私の人生はつまり否定で構築されている。 だから「あえて」なのだ。 そして、あえて述べる。 あるいはこれを読める、かつ読んでくれる人がいるかもしれないと、まだほんの少しだが希望を持てているのだから。
なぜ私がこのような言論を用いるのか。 それを知りたければ下記に引用する書籍を読んでいただきたい。 他者である私を少しでも"本当に"理解しようと思うなら、それくらいの対価は支払ってもいいのではないだろうか。
「人身御供論」大塚英志 より。
「唯一の物語」がもはや存在し得ない状況下においては、「現実受容」の手続きは反復され続けなければならない。
と述べる。あるいは、
(現実受容を)強引に完結させようとすることは唯一の物語による抑圧を生み出す。
と述べる。
それは私の求める自由に反する。 唯一の物語による抑圧から自由であろうとするには、つまり通過儀礼を続けなければならない。
さて、私は常に「乗る」ことと「書く」ことがライフワークだと吹聴してきた。 ライフワークである。 つまり、「書く」ことがライフワークである時点で逆説として「書かない」こともまたメッセージであることを免れない。 どのようなものであったとしても、それがつまり私が発した言葉の隘路であると刻まなければならない。
2005年11月15日(火) |
なんかヤバイことになってるかも。 |
「同人ど〜らく 同人ゲームの総合サイトを目指して」というサイトがある。 同人でググるとトップで出てくるような有名なサイトだ。 そこをチェックしていると各サークルの冬コミ当落情報とかが乗ってたり、当選したところはブースの場所とかが報告されてたりする。
まぁ、暇な人はチェックしたりしてみてくれ。 ちなみにうちは「西う15-b」だ。 そう、同人ど〜らくで紹介されてるサークルがわんさか同じブロックにいるのだ。 みなさんとなり近所ですよ。 これはなんだか楽しい事になりそうだ。 これぞまさに祭りだ。
これを見ている人にはあまり関係ないかもしれませんが、冬コミの情報を。 2日目、西う-15bで(同)エクリチュール名義にて出展します。 例のH見君の紹介で知り合った絵師さんとのゲームの体験版や、MsYsのビジュアルノベル版の体験版とか出せたらいいなぁと思っています。
ってか、やっとこさちゃんとした同人活動が始まります。 なんだかその筋で知り合いも出来てきたので、少しずつこの業界の人間になりつつあるようです。 歩みは遅くとも。 色々と言われながらも続いているようです。 ので、生暖かく見守っていてください。
メディアの発達はボーダーを越える。
原始的なメディアは限定的である。 最も分かりやすい例は身体であろう。 身体においては脳を除き、それらの時間、距離、到達範囲、何を取っても限定的である。 全てにおいて機械に劣る。
電話の発明によって声は距離を越えた。 蓄音機の発明によって声は時間を越えた。 衛星、海底ケーブル、インターネット。 新たに登場する様々なメディアは、旧来のメディアの様々な制約から人々を解放した。
メディアの発達とはすなわち境界の崩壊である。 電話の登場によって声はより広大な到達範囲を手に入れた。 携帯電話によってさらに広大は到達範囲を手に入れ場所の制限からも解放された。 電話の歴史を追うことはすなわち、声の届く領域の拡大を追うことでもある。 領域が拡大すればおのずと他の領域と重なり合い、境界の意味が薄れていく。 外出先で電話が使えるようにと登場した公衆電話。 しかし、これは携帯電話の登場で駆逐された。 携帯電話という新しいメディアの登場が固定電話と公衆電話のボーダーを破壊した。
メディアとは簡潔に述べるなら伝える媒体である。 一般的に言われるマスメディアやパーソナルメディアだけがメディアではない。 例えばネットワークと名の付くものはほとんどがメディアと考えていい。 郵便や宅配。交通機関などはすべてメディアだと言える。 メディアをそういった広義に規定したとき、メディアの発達はイコールで境界の崩壊だと言えると思っている。
だから、「ボーダーを越えるボーダフォン」というキャッチフレーズはかなり秀逸だと思うのだ。
ZCOOを装着した。 意味が分からない人はグーグルでググってください。
冗談はさておき、前評判どおりの効きですな。 今まではハードブレーキングは三本指でぎゅーっとだったんですが、今では二本指ですっ、という感じです。 効きすぎて体が前にずれてしまう。 次の課題はハードブレーキに耐える体のホールドか!?
それはともかく、これでブレーキングを言い訳に出来なくなりました。 あと、マシンを言い訳に出来るのはハイスロぐらいでしょうか。 少しずつ追い詰められている感じです。
まずは体勢のコントロール。 次は半クラかなぁと思います。 問題は減速とシフトダウン。 前々からわかっていたのですが、僕はブレーキングが下手くそなのです。 そろそろ本格的に問題として浮上してきた感が。 これが上達すれば、ライディングの中で色々と試行錯誤出来るだけの余裕が身に付くと思います。
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