amatelasuの日記

2005年02月15日(火) 続鳴子ハナハル

ここの日記には簡易アクセス解析の機能がある。
で、前回の日記で鳴子ハナハルについて触れると、「鳴子ハナハル」でググってこの日記を見たい人が何人かいた。
なかなかのレスポンスである。
やっぱり、彼はそれなりに注目されている漫画家なのだろうと再認識したしだいである。

で、ついでに褒めちぎっておこうかと思う。
彼は、僕が知る限り、最も理想に近い漫画家かもしれない。
画力、構成力とも高い次元でバランスが取れている。
絵に関しても特殊性に拠った個性ではなく、それぞれの媒体に合わせて最適な描き方を持ってきているように見える。
つまり、これしか描けないからこれを描く、ではなく、漫画のジャンルやプロット、媒体に合わせて最適な絵を描いているように僕は感じる。
つまり、彼の漫画はトータルで必然性を持っているのだ。
こういう漫画家がエロ漫画から出てくるとは、意外な盲点だった。



2005年02月12日(土) 鳴子ハナハル。

鳴子ハナハルという漫画家を発見した。
これは僕にとって発見と呼ぶに相応しい出来事だった。

僕が今まで見た中で、彼の最高傑作は「エレベーターアクション」ではないかと思う。
これは4ページの短編である。
4ページの中に漫画がきちんと収まっている。
しかも、彼のはエロ漫画である。
4ページの中に自然流れでかなりのエロがあり、しかも漫画としてストーリーが完結している。
たったそれだけのページでエロ漫画として十分実用的で、しかも完結した漫画。
才能を感じずにはいられなかった。



2005年02月07日(月) 同人は同人へ帰れ。

同人ショップで働いているので、同人の嫌なところが全て見えてしまう。
しかも、勤めている会社が会社としても最低なので、余計に悪い部分を見てしまう癖がついた。

とりあえず、もっとプロと素人の線引きをしっかりして欲しい。
それはプロにも言えることだが、素人にも言いたい。
で、今回は素人に向かって言いたい。
同人は同人をやれ、と。
プロの真似事をして、「商業のレベルを目指す」とか言うな。
死ね。

商業とは全てコストパフォーマンスの世界だ。
そこに一切の芸術性は必要ない。
商業作品を制作する側には一寸の楽しみも趣味も必要ない。
作品の質を向上させることは最終目的ではない。
全てはコストパフォーマンスのために。
作品の質でもなく、作品の売上でもなく、全ては利益のために。
つまり、「商業のレベルを目指す」ということは、売れる製品を定期的に生産し、それによって制作費を確実に回収しつつ利益を上げる、という"体制"を作り出していくということだ。
つまり、商業とは作品のレベルが問題なのではなく、製品の生産と流通を通じて確実に利益を上げていく体制を構築できるかどうかが問題なのである。
作品の質を追求するのは売上の上昇と固定購買層の獲得、拡大のためである。
自分の作りたいものを作るのは、成功した会社の道楽でしかない。

だから、同人は同人へ帰れ。
同人で、経済にしばられない自由さを甘受すべきだ。
その中で生み出される作品の中に、商業作品とは"異なった"魅力を持った作品が出現するはずだ。
作品のレベルとして商業作品に追いつくことは容易だ。
しかし、同人はそれを安易に目指してはならない。
「商業のレベルを目指す」というのは一時のネタでなければならない。
同人が目指すべき可能性はもっと別の部分にあるのではないか?

とりあえず、うわべだけ商業っぽさを装っている同人は死ね。
本当に商業の理論を導入している同人は、同人をやめて商業で勝負しろ。
グレーゾーンはそろそろなくした方がいいかもしれない。
何もわかってない厨房がグレーゾーンでいきがっているのは見るに耐えぬ。



2005年02月01日(火) 残るもの。

今までに最も売れたPCゲームがAirやFateである事実は驚くほど重要だ。
そして、オタク業界の主流はそれを理解していない、と感じる。

僕は同人あがりの漫画家はありえないと思っている。
なぜなら、彼らの多くは漫画を描けないからだ。
僕は同人ショップでバイトをしているが、そこに入荷してくる本に漫画なんてほとんど1%もない。
最近お気に入りの漫画の一つに「G戦場ヘブンズドア」というのがあるのだが、あれでいい台詞があった。
「ちょっとくらい絵が変わっても、わたしの漫画は変わんないよ」みたいな台詞だ。
つまり、漫画とはそういうものなのだ。
漫画を漫画として全体たらしめるもの。
それを身に付けていない漫画家に良い漫画が描けるはずがない。

僕はそれを身に付けようとしている。
もちろん、それは漫画に限ったことではない。
今はゲームの世界に身を投じようとしている。
組む原画家が変わっても、所属する会社が変わっても、あるいはゲーム業界を離れたとしても、変わることなく作品を生み出しつづけられるような、そんなライターに僕はなりたい。
つまり、それが僕の目指すオリジナリティーだ。
ストーリーを構築する能力を持っていれば、ゲームシナリオでも、小説でも、脚本でも、あらゆる分野で通用する。
逆に言うと、ジャンルやメディアが変わっただけで作品の品質が左右されるようでは、そこに個性などない。
ジャンルやメディアにかき消されるような脆弱な個性なんて必要ない。
だから、僕の目指す職業はコロコロと変わり、次々とバイクを乗り換える。
僕が僕である何かはそんなことでは変わりはしないはずなのだ。


じきに同人バブルは弾ける。
アニメ、ゲーム業界も危険だ。
なぜなら、これは日本社会全体に言えるのではないかと思っているのだが、「人材」が育っていないからだ。
僕が言っているのは会社が潰れただけで途方にくれる「作業員」のことではない。
状況に依存しきらない、自立した人材だ。
この国にはそういう意味での自己責任の認識が育っていない。
会社が潰れようが、業界が少々不況に陥ろうが、様々な手段で生き残る能力を持った、そういう「人材」の育成が必要なのだ。

そういう意味で、僕は自立した個性を持ったライターになりたいと思っている。


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